法華経ブログ

わかりやすい法華経と釈尊物語

2016年4月28日木曜日

三世・三界・三世間・三世界

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まぎらわしいので、整理しときます。 三世とは、「過去世」「現世」「来世」 三界とは、「欲界」「色界」「無色界」 三世間とは、「五蘊」「仮名」「国土」 ちなみに、三世界とは、仏教用語ではないみたいです。
2016年4月22日金曜日

仏の三十二相

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以下は、いわゆる、仏の三十二相です。 無量義経の徳行品に出てきます。 釈尊の完全な人格への賛嘆を示しているとされています。 仏像は、まさにそのような形になっていますね。 額にある月のような渦毛 項(うなじ)に日の光あり 渦巻く頭髪は紺青色 頭上は高く盛...
2016年4月13日水曜日

サッダルマ・プンダリーカ・スートラ

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法華経こと『妙法蓮華経』は、サンスクリット(梵語)でサッダルマ・プンダリーカ・スートラといいます。 サッダルマとは、サット(正しい)とダルマ(法)が合わさったもので、そのまま正法を訳した人ともいますが、鳩摩羅什は『妙法』と訳しました。 プンダリーカとは、白い蓮の華で、そ...
2016年4月12日火曜日

阿鼻地獄(あびじごく)と阿迦尼タ天(あかにたてん)

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法華経の序品に、無量義を説いた後、三昧に入っていたお釈迦さまが、『眉間の白毫相(びゃくごうそう)より光を放ち、その光が、下は阿鼻地獄(あびじごく)、上は阿迦尼タ天(あかにたてん)に至る』というクダリがあります。 阿鼻地獄は無間地獄ともいい、人間のあり方における最低の状態(...
2016年4月10日日曜日

慈悲と智慧

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まずは、おさらいです。 慈悲の慈とは、慈しみ与え幸福にしてあげること。 慈悲の悲とは、悲しみを取り除いてあげること。 智慧の智とは、すべての物事の違いを見分ける力。 智慧の慧とは、すべての物事の共通を見いだす力。 そして、弥勒菩薩は慈悲の象徴の菩薩で、文殊菩薩は...
2016年4月9日土曜日

三昧とは

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普通、三昧とは、遊び三昧とか温泉三昧とかで、楽しいことをずーっとやっている意味で使われます。 また、無念無想になる行のように思う人もいるかも知れません。 しかし、仏教でいう三昧とは、そのようなものではなく、一切の雑念を断ち切り、<善き思い>と<正しい教え>に<全精神を...
2016年4月7日木曜日

法華経の教え

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法華経の教えとは 悟ればこの身がすなわち仏であり、みんなが悟ればすなわちこの世が寂光土であるという教えです。 仏はわれわれの心のなかにある、極楽はわれわれの日常生活のなかにあるという教えなのです。 『新釈 法華三部経十巻』(著:庭野日敬) より ごく身近...
2016年4月6日水曜日

仏の十号

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法華経には、釈尊を始めとして沢山の仏さまが登場します。 過去の日月燈明仏等や弟子達の未来仏、そして他の惑星の仏さま達……。 登場するたびに、仏の十号という尊称で紹介されます 如来(にょらい)- 真如(ほぼ真理と同じ)から来た人 応供(おうぐ)- 供養を受けるに相...
2016年4月5日火曜日

四顛倒(してんどう)

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顛倒とは、物事を逆さまに見ること、すなわち真相を見誤ることです。 普通の人(凡夫)には4つの顛倒があると、仏教では云われています。 常顛倒 - 本来は無常(変化)であるのに、常(変化しない)と考える。 楽顛倒 - もともとは苦であるものを、一時的な現象だけで楽と考える...
2016年4月3日日曜日

『劫』という時間の長さ

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お経には、『劫(こう)』という時間の単位がよく登場します。 では、『劫』という時間の長さはどれぐらいでしょうか? お釈迦さまは以下の様に、おっしゃたそうです。 『たとえば、広さ40里もある石の山があって、その頂きを100年に一度ずつ柔らかい衣の袖で撫でることによっ...
2016年4月1日金曜日

さとりの境地

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さとりの境地をまとめてみました。 1.なん法 - 仏法にふれて暖かく傍にいたいと思う境地。 2.頂法 - 仏法の尊さはやや認識できたけど、あやふやな境地。 3.忍法 - 仏法の尊さがはっきり認識できた境地。 4.世第一法 - 仏法が世の教えの中で第一であると確固たる境...
2016年3月31日木曜日

仏教で云う『真理』とは?

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普通、『真理』とは、いつでも、どこでも変わりのない法則が真理です。 仏教では、その真理を『 空 』とも呼び。真理に合うとは、大調和のある世界を創造する一因をなすことが、 真理に合ったということなのです。たぶん。
2016年3月29日火曜日

仏教で云う『中道』とは?

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普通、中道とは、物事の中程の道と思われています。 しかし、釈尊は、最初に説法された初転法輪で以下のように仰いました。 『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。 如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。』 この『中道』とは、『極端を離れたほ...
2016年3月27日日曜日

仏教で云う『我執』とは?

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普通、『我執』とは、我に執着することで、すべて自己中心に考え「自分のために・・・」と考える気持ちです。 釈尊は、お悟りを開かれた時につぎのように仰いました。 『奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。 ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。』...
2016年3月26日土曜日

仏教で云う『空(クウ)』とは?

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色即是空とか空即是色といった言葉をよく目にします。 この空(クウ)は、一般的な意味は空『カラッポ』という意味です。 しかし、仏教で云う空とは、全く反対の『実体』と云うことなのです。 空の原語である梵語のシャーニャは、『脹らむもの』と云う意味だそうです。 『脹らむもの』とは、...
2016年3月24日木曜日

法華経(仏教)を解き明かす『3』という謎の数とは?

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法華経を読んでいると、なにかと3つが組みになっているキーワードに遭遇します。 智慧系 慈悲系 行徳系 文殊菩薩 弥勒菩薩 普賢菩薩 多宝如来 釈迦如来 阿弥陀如来 法 仏 僧 法身 応身 報身 如来の室 如来の衣 如来の座 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 声...
2016年3月22日火曜日

初転法輪

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初転法輪とは、今から約2500年前、釈尊がお悟りを開いた後に、以下の5人へ、はじめて鹿野苑(インドのベナレス)で説法をされたこと云います。 ちなにみ、初転とは、はじめて転がすことで、法輪とは、法の車輪を転がすことです。(古代インドでは、りっぱな王には、巨大な車輪が授けられた...
2016年3月21日月曜日

開経偈

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開経偈とは、『 お経文として読誦するのでは無く、法華経を拝読するときにお唱えする讃文(讃歌)であります。 』ということで、以下を唱えます。 無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭いたてまつること難し。 我今見聞し受持することを得たり、願わくは如来の第一義を解せん。 至極の大乗思議すべ...
2016年3月20日日曜日

三帰依文

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三帰依文とは、仏教徒なら毎日お経を上げる前に必ず唱える例の決まり文句です。 自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 大道を体解して、無上意を発さん。 自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん。 ...
2016年3月18日金曜日

三身一体(法身・応身・報身)

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三位一体では、ありません、こちらは、キリスト教でのお祈りの言葉で「父と子と聖霊の名のもとに・・・」であり、父とは神であり、子とはイエスのことであり、聖霊とは信仰の証のことです。 さて、三身一体とは、以下のように仏教での三身の仏のことをいい、そして、三身だけど実は一体なのだと...
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