法華経ブログ
わかりやすい法華経と釈尊物語
2016年5月23日月曜日
終日竟夜(ひねもすよもすがら)とは?
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法華経譬喩品第三に以下のくだりが出てきます。 世尊、我昔よりこのかた、終日竟夜毎に自らを剋責しき。 終日竟夜は、「ひねもすよもすがら」と読み、「昼も夜も常に」という意味だそうです。
2016年5月21日土曜日
「みょう牛(ご)の尾を愛するが如し」とは?
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法華経譬喩品第二に以下のくだりが出てきます。 みょう牛(ご)の尾を愛するが如し みょう牛(ご)というのは、ヤクのことで、毛の長い(特に尾が)種類の牛です。 この牛は、この尾を大変大切にしていますが、それが元で殺されたそうです。(人間はその尾をとるために殺す) ...
2016年5月18日水曜日
高原穿鑿の譬え
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法華経法師品第十に「高原穿鑿(せんしゃく)の譬え」というくだりがあります。 薬王。譬如有人。渇乏須水。於彼高原。穿鑿求之。猶見乾土。知水尚遠。施功不已。 転見湿土。遂漸至泥。其心決定。知水必近。菩薩亦復如是。 水のない高原に井戸を掘るのは、現実の苦しみから逃れよ...
2016年5月17日火曜日
願生(がんしょう)
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法師品第十で以下のくだりがあります。 衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。 衆生を救おうという願いと慈悲心によって生まれ変わってくること。これを願生(がんしょう)という。 人間とは、もともと人の意味でなく、人と人の間のことで世間とい...
2016年5月7日土曜日
唯我れ一人のみ。能く救護を為す。
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法華経譬喩品に以下の一節(偈)があります。 今此の三界は。皆是れ我が有なり。其の中の衆生は。悉く吾が子なり。而も今此の処は。諸の患難多し。唯我れ一人のみ。能く救護を為す。 意訳: この三界はみんなわたしのものだからです。 その中にいる衆生はすべてわたしの子だ...
2016年5月5日木曜日
三帰依文とは
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三帰依文とは、仏教徒なら毎日お経を上げる前に必ず唱える例の決まり文句です。 自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 大道を体解して、無上意を発さん。 自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん...
2016年5月3日火曜日
一大事の因縁とは
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法華経方便品に以下の一節が出てきます。 諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なるを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。 衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。 衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。 衆生を...
2016年4月28日木曜日
三世・三界・三世間・三世界
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まぎらわしいので、整理しときます。 三世とは、「過去世」「現世」「来世」 三界とは、「欲界」「色界」「無色界」 三世間とは、「五蘊」「仮名」「国土」 ちなみに、三世界とは、仏教用語ではないみたいです。
2016年4月22日金曜日
仏の三十二相
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以下は、いわゆる、仏の三十二相です。 無量義経の徳行品に出てきます。 釈尊の完全な人格への賛嘆を示しているとされています。 仏像は、まさにそのような形になっていますね。 額にある月のような渦毛 項(うなじ)に日の光あり 渦巻く頭髪は紺青色 頭上は高く盛...
2016年4月13日水曜日
サッダルマ・プンダリーカ・スートラ
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法華経こと『妙法蓮華経』は、サンスクリット(梵語)でサッダルマ・プンダリーカ・スートラといいます。 サッダルマとは、サット(正しい)とダルマ(法)が合わさったもので、そのまま正法を訳した人ともいますが、鳩摩羅什は『妙法』と訳しました。 プンダリーカとは、白い蓮の華で、そ...
2016年4月12日火曜日
阿鼻地獄(あびじごく)と阿迦尼タ天(あかにたてん)
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法華経の序品に、無量義を説いた後、三昧に入っていたお釈迦さまが、『眉間の白毫相(びゃくごうそう)より光を放ち、その光が、下は阿鼻地獄(あびじごく)、上は阿迦尼タ天(あかにたてん)に至る』というクダリがあります。 阿鼻地獄は無間地獄ともいい、人間のあり方における最低の状態(...
2016年4月10日日曜日
慈悲と智慧
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まずは、おさらいです。 慈悲の慈とは、慈しみ与え幸福にしてあげること。 慈悲の悲とは、悲しみを取り除いてあげること。 智慧の智とは、すべての物事の違いを見分ける力。 智慧の慧とは、すべての物事の共通を見いだす力。 そして、弥勒菩薩は慈悲の象徴の菩薩で、文殊菩薩は...
2016年4月9日土曜日
三昧とは
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普通、三昧とは、遊び三昧とか温泉三昧とかで、楽しいことをずーっとやっている意味で使われます。 また、無念無想になる行のように思う人もいるかも知れません。 しかし、仏教でいう三昧とは、そのようなものではなく、一切の雑念を断ち切り、<善き思い>と<正しい教え>に<全精神を...
2016年4月7日木曜日
法華経の教え
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法華経の教えとは 悟ればこの身がすなわち仏であり、みんなが悟ればすなわちこの世が寂光土であるという教えです。 仏はわれわれの心のなかにある、極楽はわれわれの日常生活のなかにあるという教えなのです。 『新釈 法華三部経十巻』(著:庭野日敬) より ごく身近...
2016年4月6日水曜日
仏の十号
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法華経には、釈尊を始めとして沢山の仏さまが登場します。 過去の日月燈明仏等や弟子達の未来仏、そして他の惑星の仏さま達……。 登場するたびに、仏の十号という尊称で紹介されます 如来(にょらい)- 真如(ほぼ真理と同じ)から来た人 応供(おうぐ)- 供養を受けるに相...
2016年4月5日火曜日
四顛倒(してんどう)
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顛倒とは、物事を逆さまに見ること、すなわち真相を見誤ることです。 普通の人(凡夫)には4つの顛倒があると、仏教では云われています。 常顛倒 - 本来は無常(変化)であるのに、常(変化しない)と考える。 楽顛倒 - もともとは苦であるものを、一時的な現象だけで楽と考える...
2016年4月3日日曜日
『劫』という時間の長さ
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お経には、『劫(こう)』という時間の単位がよく登場します。 では、『劫』という時間の長さはどれぐらいでしょうか? お釈迦さまは以下の様に、おっしゃたそうです。 『たとえば、広さ40里もある石の山があって、その頂きを100年に一度ずつ柔らかい衣の袖で撫でることによっ...
2016年4月1日金曜日
さとりの境地
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さとりの境地をまとめてみました。 1.なん法 - 仏法にふれて暖かく傍にいたいと思う境地。 2.頂法 - 仏法の尊さはやや認識できたけど、あやふやな境地。 3.忍法 - 仏法の尊さがはっきり認識できた境地。 4.世第一法 - 仏法が世の教えの中で第一であると確固たる境...
2016年3月31日木曜日
仏教で云う『真理』とは?
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普通、『真理』とは、いつでも、どこでも変わりのない法則が真理です。 仏教では、その真理を『 空 』とも呼び。真理に合うとは、大調和のある世界を創造する一因をなすことが、 真理に合ったということなのです。たぶん。
2016年3月29日火曜日
仏教で云う『中道』とは?
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普通、中道とは、物事の中程の道と思われています。 しかし、釈尊は、最初に説法された初転法輪で以下のように仰いました。 『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。 如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。』 この『中道』とは、『極端を離れたほ...
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