2025年4月29日火曜日
燈明日記ブログ: 脳と指がバグる〜
初転法輪
- 嬌陳如(きょうじんにょ)
- 跋提(ばつだい)
- 婆沙波(ばしゃば)
- 摩訶那摩(まかなま)
- 阿説示(あせつじ)
ちなにみ、初転とは、はじめて転がすことで、法輪とは、法の車輪を転がすことです。(古代インドでは、りっぱな王には、巨大な車輪が授けられた)
2025年4月28日月曜日
三帰依文
三帰依文とは、仏教徒なら毎日お経を上げる前に必ず唱える例の決まり文句です。
- 自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上意を発さん。
- 自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん。
- 自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無げならん。
意味は、「仏(仏さま)・法(真理)・僧(仏の仲間)を全身全霊で信じきり、拝みきって、心のよいどころに致します。」ということらしい。
では、なぜいきなり、三帰依文かというと・・・。
それは、先日、三身一体でお話した「応身・法身・報身」が、もしかしたら、「仏・法・僧」のことではないか・・・と、ふと思ったのです。っていうか、報身がイマイチ理解できなくて、そこに「仏・法・僧」の「僧」が、飛び込んできたのです。つまり・・・
応身 = 仏
法身 = 法
報身 = 僧
ということで、報身とは、法華経を行ずる我々自身だということに気づかせて頂きました。
そして、他人からいわれるのでなく、自ら「仏・法・僧」を全身全霊で信じきり、拝みきる・・・。私は、いつになったら、その境地になれるのでしょうか・・・。
2025年4月27日日曜日
三身一体(法身・応身・報身)
三位一体では、ありません、こちらは、キリスト教でのお祈りの言葉で「父と子と聖霊の名のもとに・・・」であり、父とは神であり、子とはイエスのことであり、聖霊とは信仰の証のことです。
さて、三身一体とは、以下のように仏教での三身の仏のことをいい、そして、三身だけど実は一体なのだという教えです。
- 法身 - 法華経では、多宝如来として表されている究極的な真理(仏さまの本体)をいいます。
- 応身 - 究極的な真理を衆生にお示しになるために、人としてこの世に生まれた釈迦如来をいいます。
- 報身 - 浄土宗でいう阿弥陀如来などのことで、修行の報いによって仏になられた信仰の証をいいます。
そう、三位一体とほぼ一緒と言おうか、これは、もう同じでしょう・・・。やはり、仏教もキリスト教も根本では、同じ説を信じます。
2025年4月26日土曜日
衣座室(えざしつ)の三軌
以前、法華経の勉強会に行って、法師品第十を主に勉強してきました。で、心に残った『衣座室(えざしつ)の三軌』をお分けいたします。
これは、法華経を説く時の三つの心構え(ルール)です。
まずは、法師品第十からの引用です。
如来の室に入り如来の衣を著如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。
ちなみに、「四衆」とは僧、尼、信男、信女の仏教信者をいいます。
以下は、『衣座室(えざしつ)の三軌』と言います。
- 如来の室(大慈悲心是れなり)ー 大きな喜びをあたえ、大きな苦しみをも取り除いてあげようとする心。
- 如来の衣(柔和忍辱の心是れなり)ー やさしくおだやかで、種々の侮辱や苦しみを耐え忍び、心を動かさないこと。
- 如来の座(一切法空是れなり)ー すべての人は、仏の子(同根同胞)であり、すべての教えは、平等に受け止められ、生きるエネルギーになる。
とある教団で、とある開祖さまが、ナンバー2の人を担いだグループから邪険にされた時代がありました。
しかし、とある開祖さまは、そのグループをまったく咎めなかったのです。
のちに、とある開祖さまが、この時の心境をインタビューされたとき、以下のようにおっしゃいました。
そのグループの人達は、私の可愛い子供達(仏の子)ですからね。出来の悪い子供ほど可愛いものです。
開祖さまは、まさに、『衣座室の三軌』を実践したといえるでしょう・・・。すごい。
2025年4月25日金曜日
四弘誓願(しぐせいがん)
実は、この四大菩薩は、菩薩としての四つの大誓願を代表しておられるのです。これを四弘誓願といいます。
- 安立行(衆生無辺誓願度)- 衆生の数は無辺であろうとも、すべてもれなくお救いしようという誓願。
- 浄行(煩悩無数誓願断)- 煩悩の数は無数であろうとも、かならずすべてを断ち切ろうという誓願。
- 無辺行(法門無尽誓願学)- 仏の教えは無尽であろうとも、かならず学びつくそうという誓願。
- 上行(仏道無上誓願成) - 仏の道は無上であろうとも、かならず成就しようという誓願。
また、菩薩の名前に「行」が付いているのは、まさに「この世界を法華経(正しい教え)によって平和を作りださねばならない」という「行」そのものなのです。そして、その「行」は、四弘誓願の実践とイコールらしい。
2025年4月24日木曜日
燈明日記ブログ: 正確さと速さ
知恵と智慧
- 知恵の知とは、文字通り知ること。
- 知恵の恵とは、めぐみやめぐむこと。
- 智慧の智とは、すべての物事の違いを見分ける力。
- 智慧の慧とは、すべての物事の共通を見いだす力。
です。
例えば、AとBがあって、AとBを知って、それを教え恵むことが知恵で、AとBとの違いや共通点を見い出すことが智慧なのかな・・・
一般的には「知恵」を使いますが、宗教的には「智慧」を使う場合が多いですね。
2025年4月23日水曜日
慈悲の心とは・・・
また、法華経では、すべての人が平等であると説いていますが、人生にはいろいろと苦と楽にアンバランスが生じ、不平等が生じます。
そして、不平等が生じたときに、ほとんど無意識にその不平等を均して平等に返そうとする気持ち、どうしてもそれをぜすにはいられなくなる気持ちを・・・、慈悲の心と言うらしい・・・。
2025年4月22日火曜日
四無量心(慈・悲・喜・捨)
しかし、約2500年前のとあるお方は、
- 自分でなく人を幸せにしてあげたい(慈)
- 人の苦しみを取り除いてあげたい(悲 )
- 人の喜びを一緒に喜んであげたい(喜)
- 愛憎、好悪の心を捨てて、平等にしてあげたい(捨)
種明かし、そう、とあるお方は、ブッダこと仏さまのことであり、また、『慈・悲・喜・捨』の4つを仏教用語で『四無量心』といいます。
つまり、ブッダの教え、仏教は、『四無量心』の実践といえます。また、法華経そのものともいえますね・・・。
さあ、あなたも、いつまでも本能まま生きるのではなく、『四無量心』を実践してみては・・・。と、誰にともなく・・・と、言ってみる(^^;;
2025年4月21日月曜日
燈明日記ブログ: 私の日課
十二因縁
逆に云えば、正しいものの見方、正しい生き方で、真理に沿って生きていけば、幸せになれますよって教えです。
- 無明 - 生まれてくる前の状態で、正しいものの見方を知らない無知の状態です。
- 行 - 無明よる業が、両親の行為を縁として母親の胎内に宿ります。
- 識 - 生けるものとしての誕生です。
- 名色 - 名は無形のもので「心」表し、色は有形のもので「体」を表します。
- 六入 - 名色が発達してくると、「眼」「耳」「鼻」「舌」「触覚」「第六感」がはっきりしてきます。
- 触 - 六入が発達して、触ることにより、自然にものごとを見分ける力が出てきます。
- 受 - すると、好き嫌いの感情が起こるようになります。これを「受」と云います。
- 愛 - 「受」が起これば、当然の流れとして「愛」が生まれます。この場合の「愛」は愛着や執着のことです。
- 取 - 「愛」が起これば、当然の流れとして愛するものを欲しかる「取」が生まれます。この場合の「取」は所有欲のことです。
- 有 - 所有欲から差別心が生まれることを「有」と云います。
- 生 - 差別心から争いが生じ、苦しい人生展開になることを「生」と云います。
- 老死 - 思い通りにならない苦しい人生を送っているうちに、老い、ついに死がやってきます。
補足:十二因縁は、ここに上げた以外にも違う解釈があるようです・・・
2025年4月20日日曜日
十如是(じゅうにょぜ)
十如是の如是は、「このように」とか「あるがままのすがた」という意味です。では、各々説明いたしましょう。
- 如是相 - あらゆる存在には、必ず持ち前のすがた(相)があります。
- 如是性 - (相)あるものには、それにふさわしい持ち前の性質(性)があります。
- 如是体 - (性)あるものには、それそのものの主体(体)があります。
- 如是力 - (体)あるものには、かならずそれにふさわしい(力)をもっています。
- 如是作 - (力)あるものには、かならずいろいろな作用(作)をおこします。
- 如是因 - (作)を起こせば、そこに、原因(因)が生じます。
- 如是縁 - いろいろな原因(因)がいろいろな条件(縁)で出会います。
- 如是果 - すると、いろいろな結果(果)でることになります。
- 如是報 - 結果(果)がでれば、あとに必ず何か(報)を残します。
- 如是本末究境等 - そして、これら9つ(本末)は、つまるところ(究境)、等しいものである。
と、いう教えです。つまり、『因縁果報』そのもので、諸法実相とも云い、そして、『法華経の神髄』で述べた半分の部分です。
2025年4月19日土曜日
八正道
- 正見 - 正しくものごと見る。
- 正思 - 正しく考える。
- 正語 - 正しく語り。
- 正行 - 正しく行為し。
- 正命 - 正しく生活し。
- 正精進 - 正しく努力し。
- 正念 - 正しく念じ。
- 正定 - 正しく心を定める。
これ、法華経の極意(神髄)です。
2025年4月18日金曜日
六波羅蜜(ろくはらみつ)
六波羅蜜の波羅蜜は、梵語でパーラミータのことで、到彼岸ことです。また、彼岸とは、ずばり真理を悟った境地のことです。
つまり、六波羅蜜とは、悟りに到るための六通りの修行のことです。
- 布施 - 精神的、物質的、肉体的にあらゆる面から人に尽くすこと。
- 持戒 - 謙虚に教えを守り、人格完成の努力をすること。
- 忍辱 - 他に対して寛容であり、どんな場合でも平静心を保つこと。
- 精進 - 本来の使命にむかって、人格完成の努力をすること。
- 禅定 - どんな事が起こっても動揺しない、平静心をえること。
- 智慧 - どんな場合でも、真理に沿った、正しい道を選ぶことができること。
お布施とは、悪徳宗教の資金源のことではありません。また、お金でなくても、人に尽くことは沢山ありますよね!
2025年4月17日木曜日
四諦
仏法には、苦しみの原因やその克服方法として、四諦と云う法門があります。
- 苦諦
生、老、病、死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦(以下に補足説明)の四苦八苦を明らかにすること。 - 集諦
苦の原因を見極めるとそれは皆、渇愛または貪欲にもとづくものであることを明らかにすること。 - 道諦
苦を消滅させる道、『八正道』を明らかにすること。(実践すること) - 滅諦
集諦で明らかにした、渇愛または貪欲を道諦により捨て去り、苦を消滅させたことを明らかにすること。
補足説明
- 怨憎会苦(おんぞうえく)恨み憎む者と会う苦しみ。
- 愛別離苦(あいべつりく)愛する者と別れる苦しみ。
- 求不得苦(ぐふとくく)求めているものが得られない苦しみ。
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく)心身を形成する以下の五つの要素から生じる苦しみ。
- 色(しき)は身体機能が活発や不活発であることで生じる苦しみ。
- 受(じゅ)は感覚器官を通して得られる快や不快から生じる苦しみ。
- 想(そう)は見たものについて何事かをイメージし、その理想と現実で生じる苦しみ。
- 行(ぎょう)は悪習慣や依存症、自己中心的な行動がもたらす苦しみ。
- 識(しき)は物事を認識し、その判断の難しさからくる苦しみ。
2025年4月16日水曜日
三法印 (さんぽういん)
- 諸行無常 - この世の中に現れるすべての現象は、たえず変化する。
- 諸法無我 - この世の中のすべてのものごとは、必ずつながりがあり、孤立しているものはない。
- 涅槃寂静 - 迷いをすっかり吹き消してしまってこそ、平穏な、生活が得られるのだ。
諸行無常は、たえず変化するということで、「永遠の時間」の概念です。
では、「永遠の時間でも空間でもないもの」って何でしょうか?
この世?・・・、あっ!、思い付いた! もしかしたら、涅槃寂静は、あの世ことではないでしょうか・・・。そして、永遠の時間と空間が畳み込まれた世界・・・。
2025年4月15日火曜日
燈明日記ブログ: 一歩先を読む・・・
第一義
以下は、仏教において第一義といい、万物の真実の姿や究極の真理を指す言葉で、すべて同じものなのです。
- 真理
- 無常の法
- 仏
- 法身の釈迦
- 諸法実相
法華経そのものを指す場合もあります。
また、それを悟った人、又は魂を指すこともあります。
ちなみに、人間の釈迦を「応身の釈迦」といいます。