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2008年11月30日日曜日

第7話:仏陀釈尊(奇なるかな)

魔王を退治した菩薩は、本格的な瞑想に入り、明けの明星が輝く12月8日の朝、ついにお悟りを開かれたのです。
それは、菩薩から仏陀になられた瞬間でもありました。ちなみに、仏教界では12月8日にお釈迦さまの成道会を行っています。


仏陀とは、梵語(サンスクリット)で『真理を悟った人』と云う意味で、今世の歴史上では釈尊お一人ということになっています。


悟りとは、深い禅定に入ると全く澄み切った無我の境地になり、すると真理がなんの妨げもなく心に流れ込んで、
真理そのもと合致してしまうのです。
すると、万物の本当のすがたの実相がありあり見えて(仏眼)しまうのです。


そしてその時、仏陀は、つぎのように仰せられました。


奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。

意訳しますと。



不思議なことに。不思議なことに。すべての人には、如来と同じ智慧と徳相をもっている。
しかし、仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』であることを証れ得ないでいるのだ。

いや~、驚いたことに、お悟りのこの一番最初に、法華経16番の『永遠の命』を説いていたのですね。


そして、『永遠の命』を相手に応じて手を変え品を変え説いたので8万4千もの教えが出来てしまったとか・・・。


そして、一番最後の亡くなる直前に説いた法華経も『永遠の命』がテーマでした。

2008年11月29日土曜日

第6話:瞑想釈尊(降魔)

真の悟りを求めるにふさわしい場所を見つけ、そこで、菩薩は瞑想をはじめました。


瞑想中に菩薩は思いました。魔王を知る前に悟りを得るのは私にとってふさわしくない・・・、魔王を呼び出そう!


魔王の方も、自分が支配している欲界に仏陀が誕生されるとまずいので、なんとか、菩薩の瞑想を邪魔します。


魔王は、はじめに、若くて美しい自分の娘たち(魔女達)をやって誘惑させます。


しかし、菩薩は、魔女達をやさしく諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。


怒りたけった魔王は、つぎに、怪物の軍勢を送って暴力で屈服させようとします。


しかし、菩薩は、怪物たちを慈悲をもって諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。


さらに怒りたけった魔王は、戦法を変え、ずる賢いペテン師をつかって菩薩を混乱させようと試みました。


しかし、これも失敗に終わってショックを受けた魔王は気絶し、魔力は全く無力化してしまいました。


こうして、魔の軍団を降伏させた菩薩は、本格的にお悟りをする準備に入ったのでした・・・。




ここで少し解説です。


ポイントは、魔王が先に来たのではなく、菩薩が先に呼び出したこと。そして、菩薩の力が魔の力よりすぐれていることが証明されました。


また、魔王の攻撃の初めの2つの『性的な誘惑』と『野蛮な暴力』は、理性でなんとか克服できますが、
3番目の『知的な悪魔の論理』は、結構厄介です。これにかかると自分の主義主張が正しいものと信じ込んでしまいますので、
それを元に戻すには、すごく大変なわけです。ですので、仏教の力によって『知的な悪魔の論理』を大掃除しなければならないわけです。


とにかく、菩薩は、深い禅定に入り、お悟りは、もうすぐです・・・つづく。

2008年11月25日火曜日

第5話:苦行釈尊(一麻一米)


さて、沙門になられた太子は、もう太子ではなく菩薩となりました。


菩薩は、師をもとめてバラモンの仙人へ弟子入りしましたが、すぐ仙人と同じ境地に達してしまい、もう師はもとめず一人で修行することに決めました。
ところが、仙人とすぐ同じ境地に達してしまった菩薩をみていた5人の仙人の弟子は、菩薩を慕い6人の仲間で修行することになったのです。
ちなにみ、この5人は後の初転法輪の5人です。


修行は、食事を一日に米一粒、麻の実一粒等の苦行が主で6年間続きました。
しかし、菩薩は、苦行では悟れないということを悟られ、苦行をやめ、村の娘(スジャータ)から乳粥を供養してもらい体力を回復されました。
それを見ていた、5人の仲間は、菩薩が苦行から逃げた脱落者と思い、菩薩から離れていきました。
しかし、菩薩は、意に介せず、苦行では得られなかった真の悟りをもとめて、それにふさわしい場所を探し歩き続けました・・・。つづく。

2008年11月24日月曜日

第4話:出家釈尊(大いなる放棄)


さて、四門出遊で出家を決意した太子でしたが、王子であるので王の後継ぎをしなければなりませんでした。
しかし、しばらくすると、太子の御妃が羅ご羅(ラゴラ)を出産されたのです・・・。


これで、後継ぎを羅ご羅(ラゴラ)に任せ、生まれたわが子と産後のお妃と孫出産に喜び慕っている父王を
おきざりにして、太子は出家されました。


王になるべき身分を捨て、乞食同然の沙門になられたのでした。
これを、ヨーロッパの学者は『大いなる放棄』と呼んでいるそうです。
すべての人を救うため、王位と妻子父母を放棄してしまったのです。


この大いなる放棄をして、2500年後の我々まで及んでいる絶大な恩恵である仏教を説いた、お釈迦さまにたいして、
感謝をせずには、いられないのです。
そして、そのお陰さまで、我々は、妻子父母を放棄することなしに、絶大な恩恵である仏教を受け継ぐことができるわけです。
あぁ、よかった・・・。

2008年11月21日金曜日

第3話:青年釈尊(四門出遊)


王子から太子になられた青年釈尊は、ある日、郊外の園林に遊びに行くことになりました。


太子がお城の東門から馬車に乗って出かけると、見るに耐えないヨボヨボの老人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。



『老人でございます。すべての人間は、生身であるいじょう、老いの苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう遊びにいくどころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、また、外出することになりましたが、東門をさけ、南門から出かけました。
すると、道端に倒れてる病人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。



『病人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、病の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


また、それからしばらくして、外出することになりましたが、東門と南門をさけ、西門から出かけました。
すると、遺体を運んでいるお葬式に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。



『死人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、死の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、またまた、外出することになりましたが、東門と南門と西門をさけ、北門から出かけました。
すると、出家修行者に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは、どういう人か』とお尋ねになりました。



お供の者は、答えました。



『沙門でございます。出家の修行者でございます』


太子は、沙門に尋ねました。



『沙門には、どういう利益があるのでしょうか?』


沙門は、答えました。



『わたくしは、生老病死の苦しみを超越し、多くの人に安らぎとしあわせをやりたいと願うばかりで、
 世間の汚れから離れている身でございます。これが沙門の利益だと思います』


太子は、『まことにそのとおり、これこそ、わたしの求めていた道だ!』と出家を決意されたとのことでした。



このように仏教は、釈尊が少年期、青年期で体験した苦に対して、どのように克服すればよいかからスタートしたものと思われます。



ということで、仏教は、まず、はじめに苦ありき! です・・・。

2008年11月20日木曜日

第2話:少年釈尊(一切皆苦)


後の釈尊こと悉達多王子は、幼くて母親を亡くし、ものに感じやすい考え込みがちな少年でした。
ある年、年中行事の鋤き入れの式がありました。


王子は、父の淨飯王に連れ添って、それを見ていると・・・。
鋤きで掘り起こされた土の中にいた虫を、鳥が舞い降りてきて食べてしまったのです。
その光景は、何度も何度も繰り返されました。
王子は、いたたまれなくなって、そして思いました。


『一方が生きるために、一方が殺される・・・なんとむごたらしい・・・生きることはすべて苦である・・・』
『そして、それは、確かに現実なのだと・・・、そう、一切皆苦なのだと・・・』


しかし、王子の現実生活は、王子なので、学問・武芸など、なに不自由なく幸福だったとのことです。
そんな王子悉達多少年が、青年へ成長する過程で、出家を決定付ける出来事がありました。四門出遊・・・つづく。

2008年11月19日水曜日

第1話:誕生釈尊(天上天下唯我独尊)


時代は、約紀元前500年。場所は、今のネパールのあたりにカピラバストという国がありました。
そして、その国王の淨飯王と摩訶摩耶夫人に、はじめて王子が誕生されました。
名を悉達多(シッダールタ)といい、後のお釈迦さまの誕生でありました。
誕生された悉達多は、四方に向かって七歩ずつ歩かれ、右手を天に指し、左手を地に指し『天上天下唯我独尊』と宣言されました。
生母:摩訶摩耶夫人(まかまやぶにん)は、出産後、7日後に亡くなり、悉達多は継母:摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)に育てられました。



ここで解説です。
まず、皆さんは、たぶん2つの疑問を持ったことだと思います。



  1. 生まれたての赤ちゃんが、なんで歩くことができるのか? 
  2. 『天上天下唯我独尊』とは、なんて傲慢なことを言うのか?


1は、古代インドの文化では、時空をこえた表現をよくするとのことです。
つまり、生まれたての赤ちゃんの釈尊とお悟りを開いた釈尊が、ごっちゃに表現されているのです。


2は、普通の人が言えば、超傲慢ですが、釈尊が言ったということは、宇宙の真理ということです。
つまり、世界を救えるのは、唯一、宇宙の真理だけであるので、宇宙の真理(法)は尊いのだ、ということです。


とにかく、ここに人類の大導師、お釈迦さまが誕生されたのです。
ちなみに、仏教界では4月8日にお釈迦さまの降誕会を行っています。