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2017年11月18日土曜日

法華経の概略ストーリー

法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。
また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品 第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。
以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。

  • はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。
  • そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。
  • すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。
  • そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。
  • しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。
  • すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。
  • そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。
  • ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。
  • そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。
  • そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。
  • さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます。

2016年7月8日金曜日

真の菩薩行

『ある人』が、『ある先生』のお供で、インドに行きました。 『ある先生』は、大変忙しく、また、大変偉い方なので、 日本では、話すご縁などありませんでした。
しかし、今回のご縁で2時間、さしでお話しする機会を得たのです。 『ある人』は、大変有り難いご縁を得たので、緊張と感激のあまり喉が乾き、 傍にあった生水を誤って飲んでしまったのです。
そう、インドは、ご存知の通り、生水は不衛生です。 その晩、当然のごとく、「なんとか赤痢」に掛かって、死ぬような苦しみを味わいました。 すると、『ある先生』は、自分がこのようになった時のために用意した点滴をくれたのでした。 尚、点滴は3本用意してきましたが、すでに2本は、同じような症状の同行者に与え、最後の1本を くれたのでした。
点滴を打ったら、『ある人』は、今までの苦しみがうそのように回復しました。 すると、こんどは、『ある先生』の様子がおかしいことに気づきました。 そう、『ある先生』も、実は、「なんとか赤痢」にかかっていたのです。 しかも、『ある人』に点滴を与えた時に、すでに「なんとか赤痢」にかかっていたのを 『ある先生』は、ご自分で知っていたようなのです・・・。
真の菩薩行とは、自分がどんな状態でも、目の前の苦しんでいる人を助けずにはいられない、そして、助ける。そのような行いらしい・・・。
その後、『ある先生』は、恩に着せることなく、そして、『ある人』は身を持って、真の菩薩行を間近で見ることが出来たのです。

2016年7月6日水曜日

あぁ有り難い

障害を持って生まれてきたある一人の青年がいました。 青年は、学生時代に障害のことでイジメにあったり、機能回復の手術を何回も受けたりと、 困難な人生を歩んできました。
そんな青年の母は、お見舞えに来た人達などに、ことある毎に『有り難い有り難い』と言っていました。 しかし、青年は、何がそんなに『有り難い』のかいつも疑問に思っていました。
そんな中、母のご縁で、とあるボランティアに参加することになったのです。 はじめは、母の手前、我慢して、何でオレがと・・・参加していたのですが・・・。
しばらくして、ボランティア人達とも打解けて仲間になり、そして、その仲間のやさしさにふれた時に、 はじめて、心の底から『あぁ有り難い』と思える感動が湧き上がってきたのです・・・。
そして、それは、お母さんやご先祖さまから受け継いだ感謝の気持ちだったのかも知れません。

2016年7月2日土曜日

「正」しいとは?

昨日、法華経の勉強会がありました。その時、正しいの「正」は、一(真理)が止まると書きます』と説明がありました。そこで、すかさず、一は真理とイコールですかと質問をしてみました。
すると、『一般的には、「一」には真理という意味はありません、しかし、法華経観では、すべての人は一つの乗り物(一乗)に乗っているいう真理があり、そこから「一」イコール「真理」となる』と説明がありました。
つまり、正しいとは、真理が止まること、言い換えれば、真理がある状態らしい・・・。
正しいHTML、正しいかな使い、正しい論理、正しい・・・は、真理がやどる・・・。

2016年6月29日水曜日

『辛』と『幸』

今日は、午前中に某出版社の社長さんの講演会へ行きました。
講演では、記者出身の社長さんが、記者時代に取材現場の感動を如何に文章(記事)で表現することが難しいかというお話しをしていました。
確かに、感動を文章で表現するのは、超難しいです。
で、社長さんが言うには、結局、如何に自分がその感動で高まるかが、キーポイントになるそうです。
あと、特に心に残ったお話しで、仏法では、『一切皆苦』という教えがあります。つまり、生きることは、すべて苦しみという教えです。 そして、苦しみであるがゆえに、生きるのが『辛』いわけです。
また、その『辛』さの原因を見極め、結果的には善い行いをしていくと『辛』という字に真理(一)が宿り『幸』になるとの事でした。なるほど、うまい。

2016年6月23日木曜日

法華経的人生の目的

あなたの人生の目的はなんですか?

なんて、突然言われてもこまっちゃう・・・。とか、そんなこと考えたこともない・・・、と思った人がほとんどだと思います。そこで、そんな人のために、今日、法華経の講習会で教わった、法華経的人生の目的をご紹介致します。
法華経的人生の目的
人間の本質は、仏性であることを自覚し、自分と他人を分けて自己中心に考える「我」の心を取り除きながら、いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」と常に一体感を味わえる境地(成仏)にまで、絶えず向上の道を歩むこと。
まぁ、こんな感じです。『いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」』がつっこみどころかもしれませんが、とにかく、法華経的には、すべての人は「一つの大きな輝くいのち」に生かされていると説かれています。
わかりやすく言うと、魂的には、実は全人類皆兄弟姉妹で、だからこそ、仲良く助け合って生きて、皆さん全員幸せになりましょう ってことらしい。(まだ、修行中なのではっきり言えない・・・)
で、まとめですが、ちょっとテーマが大きすぎて、まとまりませんが、次回の機会にと・・・ということで、よろしくお願い致します。

2016年6月22日水曜日

バスの時刻表

あるバス停におじいさんとおばあさんがいました。
なにやら、おじいさんは時刻表をぶっ叩いて怒っています。
『もうとっくにバスが来ている時間なのに、なんで来ないんだぁ!こんな時刻表などいるもんか!捨てちまえ!』

すると、連れ合いのおばあさんが言いました。
『おじいさんや、その時刻表がないと、バスがどれだけ遅れたかわかりませんよ・・・』

現実の社会は、このバスと同じように、決して時刻表通りにはいきません。しかし、時刻表があるからこそ遅れているのがわかるのです。
そう、お釈迦さまの教えは、バスの時刻表のようなものです。
人生は、時間通りに来ないバスのようなものだからこそ、つねに時刻表(お釈迦さまの教え)と照らし合わせて、その差を埋めるべくことに価値があるのです。
そして、その価値こそ、『生きがい』と呼べるものだと思います・・・。