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2025年1月18日土曜日

現代版 法華経見宝塔品 ニ仏同座


法華経の見宝塔品には、真理を実践するお釈迦様と真理の象徴である多宝如来が虚空で同座するシーン(ニ仏同座)があります。

 

現代でも、それを彷彿するシーンがありました。1994年11月第六回WCRP(世界宗教者平和会議)がバチカンで行われた時でした。

 

ひな壇の一番高い座に席が二つ、一つは教皇ヨハネ・パウロ二世、もう一つは誰が座られるのだろと注目のところ、なんと立正佼成会開祖さまこと庭野日敬氏が導かれて座られたのです。

 

ここで話しは、29年前にさかのぼります。

1965年9月第二バチカン公会議開会式に出席された、開祖さまは、時の教皇パウロ六世から『キリスト教が分派を生んだのは歴代の教皇の罪です。いまや宗教が分裂しているときではありません。お互いに手を携えてひとつの平和に向かって進むときです』と身近で聞いて、大きな衝撃を受け、宗教協力は可能だと、このお言葉がWCRP活動へと繋がっていきました。

 

そして、開祖さまは感激のあまり教皇さまへ、カトリックへ改宗してもよいと、おしゃったとか・・・。オイ!

 

それを聞いた当時佼成新聞記者の「とある人」さんは、開祖さまに、仏教徒であるのになぜそのようことをおしゃったのですかと問い詰めると・・・。すると開祖さまは一言。

 
相手を信じきれなくて、どうして自分を信じてもらえるでしょうか・・・。

 

このように、開祖さまは、教皇パウロ六世と強い信頼関係を築き、教皇パウロ六世は、1978年8月にご逝去されました。

 

そして、開祖さまは、1994年11月第六回WCRPでバチカンにつくなり、教皇パウロ六世の地下墓所へ一番先に訪れになりましたが、しかし、そこに行く通路がたまたま工事中で、仕方無く、地下墓所の真上辺りの広場で、地面に額をつけて、教皇パウロ六世を参拝されたそうです。それは、霊界にいる教皇パウロ六世と開祖さまがあたかも何かを語り合っているように感じられたとのことでした。

 

以上、『開祖さま生誕会』で、元佼成新聞記者の元某教会長の「とある人」から聞いた開祖さまのエピソードでした。


2025年1月9日木曜日

法華経は誰が説いたのか?


『とある先生』ことRKK教団の開祖、庭野日敬氏が初代会長を引退する時に、当時、佼成出版社の記者であった『とある人』は、仕事でインタビューする機会があったそうです。

 

庭野日敬氏は、あまり知られていませんが、実は、昔から日本には、宗教教団の初代でこれほどおおぜいの信者さんをもった人はいないそうです。数は少なくとも、親鸞、日蓮、達磨等は有名ですが・・・。

 

ですから、『とある人』は、当然、庭野教の祖師を起こされるんでしょうか?・・・とインタビューすると・・・。

 

庭野日敬氏は、以下のようにおこたえになりました。

 

「私が説いた教えなど何もないです。ただ、法華経の教えを説いていただけなのです。」

「ですので、庭野教などなく、釈尊教団の立正佼成会なのです。」

「また、釈尊も日蓮も自分の説いた教えなど何もないはずです。」

 

では、誰が、法華経の教えを説いたのですか?

 

それは、釈尊がいた時代よりもっともっと大昔よりあり、これから先、未来永劫にまである、普通の人には理解し難い、真理そのものが、実は、法華経なのです・・・。

 

ちなみに、『とある人』とは、当時、佼成出版社の記者で、後に立正佼成会三鷹教会の元教会長さんです。

 

教会長さん、いつも、ネタ、ありがとうございます!


2016年7月8日金曜日

真の菩薩行

『とある人』が、『とある先生』のお供で、インドに行きました。 『とある先生』は、大変忙しく、また、大変偉い方なので、 日本では、話すご縁などありませんでした。
しかし、今回のご縁で2時間、さしでお話しする機会を得たのです。 『ある人』は、大変有り難いご縁を得たので、緊張と感激のあまり喉が乾き、 傍にあった生水を誤って飲んでしまったのです。
そう、インドは、ご存知の通り、生水は不衛生です。 その晩、当然のごとく、「なんとか赤痢」に掛かって、死ぬような苦しみを味わいました。 すると、『ある先生』は、自分がこのようになった時のために用意した点滴をくれたのでした。 尚、点滴は3本用意してきましたが、すでに2本は、同じような症状の同行者に与え、最後の1本を くれたのでした。
点滴を打ったら、『とある人』は、今までの苦しみがうそのように回復しました。 すると、こんどは、『とある先生』の様子がおかしいことに気づきました。 そう、『とある先生』も、実は、「なんとか赤痢」にかかっていたのです。 しかも、『とある人』に点滴を与えた時に、すでに「なんとか赤痢」にかかっていたのを 『とある先生』は、ご自分で知っていたようなのです・・・。
真の菩薩行とは、自分がどんな状態でも、目の前の苦しんでいる人を助けずにはいられない、そして、助ける。そのような行いらしい・・・。
その後、『とある先生』は、恩に着せることなく、そして、『とある人』は身を持って、真の菩薩行を間近で見ることが出来たのです。

2016年6月19日日曜日

悩んだ人ほど、真理はすぐ傍に・・・

『とある先生』のお供で『とある人』が海外へ行きました。
『とある人』は、そこで、日本語交じりの英語で何かいろいろ回りの外人さんに話し掛けている日本人を見かけました。どうやら海外で迷子なって凄く動転している模様です。迷子の人は、『ある人』が日本人あるとすぐわかったので、地獄で仏のごとく、助けを求めてきました。
で、手がかりは、Sの付く看板があるホテルに泊まっているとのことで、さっそく、Sの付く看板があるホテルを探しましたが、これだけの手がかりでは、まったく、分かりません。そこで、地図でSの付くホテル探しをしていたらシルトンホテルがあり、それを発音すると『おー、その名前のホテルだ!』と迷子の人は言いました。
そして、なんとそのシルトンホテルは、今立って居る斜め後ろのビルではありませんか!
悩みに悩んで、探しに探していたら、いつの間にか探していたホテルのすぐ前に居たのです。しかし、居ても気づかずに・・・。

このことを『とある人』は、『とある先生』に報告すると、『とある先生』は、以下のようにおっしゃいました。
『人助けが出来てよかったですね。悩みに悩んだ人ほど・・・真理のすぐ傍にいるものです・・・。』