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2025年1月24日金曜日

法華経概略ストーリー


法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。


また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品 第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。

 

あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。


以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。


はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。


そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。


すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。


そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。


しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。


すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。


そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。


ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。


そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。


そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。


さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます


しかし、あの難解な法華経が、 あまりにも、あっさりまとまってるな・・・さすがだ自分(^^;;;

    2025年1月3日金曜日

    教えの流れ

     

    初めに、無量義経は、法華経(本経)の開経と呼ばれ、法華三部経の一部を担っています。ちなみに、もう一つは、仏説観普賢菩薩行法経で結経と呼ばれています。

    そして、教えの流れが 開経無量義経の中でお釈迦さま(世尊)への質問にて明らかにされます。

     

    無量義経の十功徳品で、大荘厳という菩薩が世尊(釈尊)に3つの質問をします。

    1. この経典は、いずれの所よりか来たのですか?
    2. 去って、いずれの所にか至るのですか?
    3. とどまって、いずれの所に住するのですか?

     

    世尊は、この質問を褒め称え、以下のようにお答えになりました。

    1. この経典は、本諸仏の室宅の中より来たり。
    2. 去って、一切衆生の発菩提心に至り。
    3. とどまって、諸々の菩薩所行の所に住する。

     

    分かり易く言うと、この教えの流れが、宇宙の万物を生かす仏の心の奥にある真実の慈悲からあふれ出たものですべての人に届きこの法を知ることによって最高無上の悟りを得る智慧に至り菩薩行の実践(行徳)の中に流れが存在し留まる

     

    ・・・ここにも、法華経の3つのキーワード、「慈悲」「智慧」「行徳」が顔を出しました・・・(^o^)

    2024年11月19日火曜日

    わかりやすい法華経

    本ブログの一番のコンテンツ、「法華経のあらまし」を一つのスレッドにまとめてみました。

     

    法華経ってなに?

    ここにブログとして『法華経』を取り上げます。
    そこで、超簡単に『法華経』を紹介させていただきます。
    『法華経』は、ずばり! お経です・・・。お経は、お釈迦さまの教えです。
    お経は、沢山あり、なぜ『法華経』かと言われれば、たまたまご縁があったってことでしょうか・・・。
    さて、この『法華経』は、28の章(品)から成り立っていて、16章の「如来寿量品」が『法華経』の真髄とされています。
    そこには、「法身の釈迦」について説かれています。「法身の釈迦」とは、人間の釈迦ではなく、時空のあらゆるところに存在し、真理(法華経)を説く釈迦のことです。
    もう少し、わかりやすく言うと、過去未来、宇宙全体のいつでもどこにでも存在して、真理(法華経)を説く存在です。
    ごく普通の人は、そんな馬鹿な! と、まず思うでしょう。でも、そうらしいのです。とにかく、理屈でなく、信じることから、始まるらしい・・・。
    どんな、真理(法華経)なのかは、これからが、本テーマへと続きます。ご期待ください!

     

    なぜ法華経なのか?

    なぜ法華経なのか? と問われれば、たまたま、そうとしか言えませんが・・・。しかし、この法華経の凄いところは、実践の書というところです。
    他のお経や宗教は、単に、拝んだり、祈っただけで御利益があるって感じですが・・・。法華経は違います。法華経に書かれている教えを実行しなさい。そうすれば、「必ず幸せになれます」よ、と云う教えです。
    この「必ず幸せになれます」ってところが凄いところです。つまり、法華経の教えを実践すれば・・・。貧乏な人、犯罪者の人、極悪人の人、また、お金持ちでも心の貧しい人、偽善者の人、善良だけど運の悪い人などなどでも、100%幸せになることが出来ると書かれているらしいのです。
    どうですか、そろそろ、法華経には、どんな事が書かれているか知りたくなって来たでしょう。あせらず、じっくり、行きましょう。では、続きをお楽しみに・・・。

     

    法華経のルーツ

    お釈迦さまがお説きになったお経は、約1700種あると云われていますが・・・。実は、直筆のものは無いそうです。
    この沢山のお経は、お釈迦さまの弟子達が、お釈迦さまが亡くなってから、編集したもので、法華経も仏滅後400~600年後に編集されました。
    その後、インドに留学していた鳩摩羅什が中国に持ち帰り翻訳し、天台大師に引き継がれます。また、同時期に日本にも伝わり聖徳太子が「十七条の憲法」を法華経をもとに作ったとされています。
    その後、奈良朝の終わり頃、最澄が天台宗を日本にも起こし・・・。鎌倉時代に法華経のエース、日蓮が登場し、法華経を元に日蓮宗を起こします。
    まぁ、簡単ですがこんなところです。尚、鳩摩羅什、天台大師、聖徳太子、最澄、日蓮は、仏教界では、今の大谷翔平級の人達です。

     

    法華経の誕生秘話

    法華経の教えが説かれたのは、お釈迦さまの晩年、すなわち亡くなる前の8年間であることが、法華経の本文からうかがい知ることができます。
    ところが、経典として出現したのは、仏滅後、400~600年ぐらいと推定されています。
    なぜ、こんなに経ってから法華経が成立したのでしょうか・・・。それは、今もよくある宗教論争が、当時もあったのです。
    仏滅後、お釈迦さまの教えを一字一句守ろうとする保守派(小乗)と教えの精神こそ守るべきとする進歩派(大乗)の対立でした。
    もともと、争いをなくし、みんなが幸せになるという、お釈迦さまの教えが原因で、逆に争いが起こることに疑問をもった良識派(一乗)が、大乗も小乗もなくすべてが一乗なのだという精神のもとに、お釈迦さまの晩年の教えを法華経としてまとめました。
    そう、ここに法華経が誕生したのです!
    つまり、法華経こそが、すべての教えを包み込む性質をもったお経として誕生したのです。

     

    法華経ストーリーの流れ

    法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。
    また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品 第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。
    以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。

    • はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。

    • そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。

    • すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。

    • そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。

    • しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。

    • すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。

    • そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。

    • ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。

    • そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。

    • そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。

    • さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます。

    では、上記を踏まえて、各品毎のあらましにつづきます。

     

    序品 第一(法華経のあらまし)

    序品は、文字通り法華経のプロローグです。舞台は、王舎城(おうしゃじょう)の霊鷲山(りょうじゅうせん)。まさに今、大オペラが始まろうとしています・・・。

    お釈迦さまの教えを聞こうと、沢山の人(弟子、菩薩、他教の神々、鬼神、動物等)が集まってきました。そして、その教えは、『無量義』という教えでした。その教えを説き終えれると、お釈迦さまは、三昧(瞑想)にお入りになりました。そして、しばらくすると、空から美しい花が降ってきて、お釈迦さまの眉間から光が出て、宇宙のあらゆる世界を照らしました。しかも、過去世の様子まで・・・。

    この光景を見ていた弥勒菩薩は、このことが、どういうことか、お釈迦さまへ聞きたかったのですが、三昧に入っていたので、代わりに文殊菩薩に聞きました。そして、文殊菩薩は答えました・・・。

    「わたしはかつて、過去の諸仏もとで修行をしていた遠い昔に、同じような奇跡を見た事があります。それは、日月燈明如来という仏がおられ、声聞には『四諦』を、縁覚には『十二因縁』を、菩薩には『六波羅蜜』を説かれました。また、そのつぎの時代にも別の仏が現れ、名は同じく日月燈明如来とよばれ、今度は、『無量義』を説かれ、三昧に入り、そして、『妙法蓮華経』をお説きになったのです・・・。まさに今、その時と同じ光景なのですよ!」

    とまぁ、こんな感じに展開していきます。そして、本品のポイントは、他教の神々や生きとし生けるものすべてに対して説かれたこと。また、眉間からの光が時空を超えてすべてのものにとどいたこと。つまり、法華経は、あらゆるものに通じる真理を象徴しています。

     

    方便品 第二(法華経のあらまし)

    序品第一で三昧に入られていたお釈迦さまが目を開け、そして起き上がり、弟子の舎利弗に告げはじめました。

    「もろもろの仏が悟った智慧は、深遠で大変難しく、舎利弗をはじめとする皆さんには到底理解することができません。もし、お話ししても、皆さんの頭が混乱するだけなので、説くのはやめましょう。」



    しかし、舎利弗は余計に聞きたくなり、再度、説いてくださいとお願いしましたが、やはり、駄目で、三度目でやっと、それほど云うならと説法をお話し始めました。(これが有名な三止三請です。)

    すると、今までお釈迦さまの教えを聞いて、自分はもう悟っていると思っている弟子達五千人が、いまさら新たな教えなど聞き耳もちませんとその場を退場していきました。

    すると、お釈迦さまは、その弟子達を止めもせず、あらためて、舎利弗へこの教えを聞くに相応しい人だけ残りましたと説法をお話し始めました。

    しかし、この品では、肝心の法華経については、至らず、さわりで、因果の法則(十如是)や方便についてお話しになりました。

    十如是は、相、性、体、力、作、因、縁、果、報、がすべて等しいことであるとする法門で、諸法実相とも云います、あとで詳しく説明を致します。

    また、方便は、正しい手段のことで、それぞれの人に、その時、その場所により、無数の教えを今まで説いてきましたが、実は、ある一つの教え(真理)がすべて元になっていて、そこに気づき、理解できれは、舎利弗をはじめとする皆さんも、仏になれますよ・・・。

    と、云う事で、方便品は終わり、『譬諭品 第三』へ続いていきます・・・。

     

    譬諭品 第三(法華経のあらまし)

    方便品で、お釈迦さまから、つぎのようなお言葉を承った舎利弗は・・・。

    『無数の方便で、それぞれの人にふさわしい、適切な道によって教えが説かれ、そして、ある一つの真理を会得すれば、舎利弗をはじめとするすべての皆さんも仏になることが出来ますよ。』

    これを聞いて、自分も仏になれるのだと大変喜びました。そこで、舎利弗は「ある一つの真理」とはどんなものでしょうかと、お釈迦さまへおうかがいしました。すると、お釈迦さまは、『三車火宅の譬え』をお話し始めたのです。

    『三車火宅の譬え』をお話し終えたお釈迦さまは、今まで無数の方便の尊い教えを説いてきましたが、実はそれは、ただ唯一の一番尊い真理を説いていたのです・・・。
    ということで、法華経の神髄は、まだ、語られず、信解品へ続くことになります。

     

    信解品 第四(法華経のあらまし)

    譬諭品 第三で、お釈迦さまから『舎利弗をはじめとするすべての皆さんも仏になることが出来ますよ』と聞いた、慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目ケン連の4人は、われわれも仏になれると大喜びして、我々が理解した内容を譬えにして申し上げますと『長者窮子の譬え』を語り始めました・・・。

    尚、信解品の「信」とは、感情(行)のはたらきです。「解」とは、理性(学)のはたらきです。そう、信仰に対して、この両方がかね備わってこないと、なかなか「ある一つの真理」を会得することが難しいみたいです・・・。

     

    薬草諭品 第五(法華経のあらまし)

    信解品 第四で、摩訶迦葉らから『長者窮子の譬え』を聞いた、お釈迦さまは、「よろしい、よく分かってくれました。しかし、如来は、もっともっと計り知れないほどの功徳があるのです。如来は、一切の教えを知り、それを自由自在に支配するものです。そして、すべてのものごとの真相を明らかに究め尽くして、多くの衆生にたいして、その一切を知るものの智慧を示されるのであります・・・。」と、続いて『薬草の譬え』をお説きになりました。

     

    授記品 第六(法華経のあらまし)

    この品は、『信解品 第四』で、仏の教えについて理解した内容を『長者窮子の譬え』にして申し上げた、慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目ケン連らが、『薬草諭品 第五』『薬草の譬え』を聞き、ますます、教えを深め、そして、そのことに対して、お釈迦様が、仏法を理解したこと認め、あなた方も仏になれますよと、授記されます。

    授記とは保証のことで、保証にはいつも条件があり、それは、これからも行学二道の研修に励み、多くの人々を仏道に導いた後・・・、ということです。つまり、これからが大事で、理解した仏法を実践してくださいってことです。

     

    化城諭品 第七(法華経のあらまし)

    はるかなる大昔に、大通智勝如来という仏さまがおられました。この仏さまには、出家するまえに16人の子供がいました。16人の子供は、みな父上を見習って法華経を説くために仏さまになりました。そして、16番目の仏さまが娑婆国担当の釈迦牟尼仏でありました。

    釈迦牟尼仏ことお釈迦さまは、過去世に法華経の教えによって教化した衆生たちこそ、いまの弟子たち及び未来世の信者(現在の我々)に他ならないことを、明らかにしました。

    真に悟りを得る道は2つあるものでは、ありません。ただ一つ法華経の教えがあるのみです。しかし、五官の欲にとらわれて、みずから苦しみを招いている人もいますので、そういう人達のために、とりあえず、迷いを除いて、心に安心を得るようにみちびいてあげるのです、と。このことを譬え話で説明いたしましょうと『化城宝処の譬え』を説かれ始めます・・・。

     

    五百弟子受記品 第八(法華経のあらまし)

    この品は、お釈迦さまが富楼那(フルナ)をはじめとする5百人の弟子(阿羅漢)に成仏の保証(受記)されます。
    阿羅漢たちは、受記されるにいたった悟ったことを『衣裏繋珠の譬え』にして、申し上げました。

    この譬え話が終わると、「お釈迦さまも、この友人のようなお方です。まだ菩薩であられたころ、私たちに、『だれしも仏性が具わっているのだから、修行して仏の悟りをひらくように』と教えてくださってのですが、私たちの心は眠りこけていて、そのことを知らず、ただ煩悩を除くことだけで、それが最上の悟りだと思い込んでおりました。

    今、ここに、お釈迦さまは私どもの目をさまさせてくださいました。と心からお礼を申し上げるのでした・・・。

     

    授学無学人記品 第九(法華経のあらまし)

    この品は、前品の『五百弟子受記品 第八』で 五百人を受記(仏に成れる保証)されましたが、さらに、『授学無学人記品第九』では、阿難(アナン)羅ご羅(ラゴラ)を始めとする授学無学人の二千人を受記されます。

    さて、この阿難と羅ご羅ですが、ブッダ十大弟子でありながら、一番最後に受記されました。
    どうしてかと言うと、この2人、実は、お釈迦様の従弟と実子(長男)で、いかに身内の者を教化することが難しいかということと、お釈迦様の身内に生まれたことの強い因縁があったと言われています。

    阿難は、「多聞第一」といわれ、当時、いまでは考えられないほどの男尊女卑の時代に比丘尼教団を作ってしまった人です。どうしてかと言うと、女の人が沢山慕ってくるほどの美男子だったようです。

    羅ご羅は、「密行第一」といわれ、人の見ていないところでも常に慈悲のある正しい行いをし、また、高い境地にいながらも、決してそれを表に出すことなく陰徳を積んだとされています。

    そして、この2人の受記が終わると他の授学無学の二千人を受記されます。
    ちなみに、ここでいう無学とは、学が無いという意味でなく、もう学ぶことが無いと言う意味です。
    で、結局この品は、方便品 第二から始まった受記がすべて完了したと言うことでしょうか・・・、ブッダ教団は皆、菩薩になりました。

     

    法師品 第十(法華経のあらまし)

    ほとんどの弟子を受記されたお釈迦さまは、今度は薬王菩薩をはじめとする八万の菩薩に告げ始めました。

    「法華経の一偈ー句を聞いて、一瞬の間でも有りがたいと思う者があれば、その人に悟りを得る保証を与えましょう。」「法華経の一偈ー句でも受持・読・誦・解説・書写し(五種法師)、感謝を捧げる人が、仏になれる人であると答えましょう」

    そして、すべての教えの中で『法華経』が第一であると宣言されました。

    また、お釈迦さまは、『法華経』を説くときに、「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して説くのです。如来の室とは大慈悲心です。如来の衣とは柔和忍辱の心です。如来の座とは一切は空であり、すべての人間は平等に生かされているという、根本真理です。この大慈悲心と、柔和忍辱の心と、平等心を胸にしっかりと持ちつづけて、広くこの経を説きなさい」と教えられました。

     

    見宝塔品 第十一(法華経のあらまし)

    序品第一から前回の法師品第十までは、第一幕で、この品から、第二幕の始まりになります。
    第一幕の舞台は、王舎城(おうしゃじょう)の霊鷲山(りょうじゅうせん)でしたが、この第二幕からは、霊鷲山の上空にいきなりなってしまいます。

    どういうことかと言うと、大地から東京タワーのような塔がいきなり湧き出して来て、中から『お釈迦さまの説く法華経は、すべて真実です』という大きな声が聞こえてきました。

    不思議に思った大楽説菩薩は、お釈迦さまに、中には何方がいるのですかとお尋ねすると、『如来の全身である多宝如来です』とお答えになりました。

    そして、多宝如来が塔の中にお釈迦さまを招き入れ、一つの椅子に2人並んでお座りになりました。すると弟子達もその近くまで行きたいと思うと同時に、それを察知したお釈迦さまが、神通力で弟子達を虚空(上空)へ引き上げられました。

    と、こんな感じで大スペクタルが展開していきます。これから先は、とうぶん虚空が舞台になります。
    で、結局、この品はどういうことかと言うと、大地が人の比喩で、塔が仏性の比喩で、多宝如来が真理の比喩で、要は、法華経を授受すると、人は皆、本来持っている仏性が塔のように現れ、その中に真理が宿っている・・・。ということらしい・・・.。

    そして、お釈迦さまがお説きになった法華経が、多宝如来によって真理であると証明されました。しかし、根拠がイマイチ謎ですが・・・。

     

    堤婆達多品 第十二(法華経のあらまし)

    法華経は、正しい行いをしていけば、すべての人が幸せ(成仏)になれるという教えです。
    すべての人ですから、当然、悪い人も女の人も正しい行いをしていけば、成仏できるわけです。
    なぜ、悪人と女性を同等に扱っているかと言うと、『提婆達多品第十二』のテーマが『悪人成仏 & 女人成仏』なのです。
    悪人成仏は、極悪人である提婆達多が主人公で語られ、女人成仏は、8才の竜女が主人公で語られます。

    悪人成仏

    お釈迦さまは、前世において、阿私陀(あしだ)と言う仙人に法華経を教わったとお話しになりました。
    その阿私陀は、現世において、お釈迦さまの命を狙ったり、いろいろ悪いことした提婆達多のことだと明らかにされました。
    しかし、その提婆達多も長い間修行をすれば、仏の悟りを得られるでしょう、と授記されました。
    そして、お釈迦さまも極悪人の提婆達多が、実は『善知識』だったお蔭様で成仏できたとお明かしになりました。
    生きていくうちには、良い縁ばかりではありません。そう、もちろん悪い縁(逆縁)もあります。本品は、如何に逆縁に遭遇したときに、それを人間的成長の糧として消化していくことの大切さを教えてくださっています。

     

    女人成仏

    文殊菩薩から教化された竜女が、即座に悟りを得ますが、舎利弗はそんなことがあるはず無いと信じません・・・、でも結果的には信じざるをえなくなります。
    しかし、竜女はそのままでは、成仏出来ず、男性に変身して成仏するのです。法華経では、『変成男子』とあります。また、梵本では、『女性の生殖器が消え、男性の生殖器が生じる』とあるそうです。
    なんで、女性のまま成仏ができないのか・・・謎だ。ブッダの時代は、よほど女性の地位が低い時代だったのかなぁ・・・。
    とにかく、ブッダの時代は、女性のまま成仏するなど、とんでもないと思われていた時代だったようです。現代でもまだ、なごりはありますよね・・・。
    そして、すべての人を平等に救う教えの法華経だからこそ、女性までもが成仏できるというのはごく当然のことなのです。どんなに女性蔑視の時代にも・・・。つまり、法華経こそが、女性の味方の経典なのです。(ここにもってこれて良かった・・・。)

     

    勧持品 第十三(法華経のあらまし)

    この品には、いかなる困難にも耐えて忍んで、『法華経』を勧め、受持することが述べられています。

    はじめに、お釈迦さまへ薬王菩薩と大楽説菩薩をはじめ、先に授記された8千人の比丘たちが、お釈迦さまが入滅されても、この『法華経』を受持し、学び、人々のために説き広めましょうと申し述べました。

    つぎに、お釈迦さまは、突然ですが、叔母(摩訶波闍波提比丘尼)と妻(耶輸陀羅比丘尼)を授記します。先に堤婆達多品で竜女を授記していますが、これは、身近な者や教養の高い人ほど『法華経』を受持するのが難しいことを表しています。

    で、この品のポイントですが、法華経が、正しいがゆえに迫害や謗り辱めを受けやすく、それを忍辱の鎧を着て忍び、この教えを説き広めるという一大事のために、あらゆる困難に耐えましょう。ということらしい・・・。

     

    安楽行品 第十四(法華経のあらまし)

    この品は、文殊菩薩がお釈迦さまへ末法の世で法華経を護持し、説き広める心がけをおたずねになりました。
    するとお釈迦さまは、自分の行いと人々との交際についての心構え(身安楽行)、ことばについての戒め(口安楽行)、心の持ち方についての戒め(意安楽行)、理想の実現に対する努力のしかた(誓願安楽行)、の四つの心がけを教えられます。
    そして、髪中の譬えで法華経がどんなにすぐれた教えであるのかを力説し、四安楽行を完全に行って、この教えを広める者の功徳について以下のようにお説きになりました。

    • 一切心配事がなくなる。
    • 一切苦痛がなくなる。
    • 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
    • 生活にこまることがなくなる。
    • 大勢の人から崇め慕われる。
    • 神からも守護される。
    • いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
    • 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまうでしょう。

    上記のことは、当然、四つの心がけある以下の四安楽行を実践できている人が対象です。

    身安楽行

    いつも柔和忍辱をたもち、権力や邪法や勝負事には近寄らず、性的なことには最善の注意を払う、などなど。

    口安楽行

    悪口や見下すような言葉、批判、また、あの人は好きだとか嫌いだとか、などなど。

    意安楽行

    嫉妬の心を持たないようにしたり、人を軽んじたり、失望させたり、えこひいきなどをしない、などなど。

    誓願安楽行

    すべての人をこの法華経によって幸せにしたいと誓願すること、などなど。
    そして、次の従地涌出品第十五から如来寿量品第十六で法華経の神髄が述べられます。ご期待ください!

     

    従地涌出品 第十五(法華経のあらまし)

    他の世界からやって来た菩薩達が、仏の滅後に娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。


    しかし、お釈迦さま、そのお申し出を次のようにお断りになりました。
     

    「尊き志をもつ菩薩達よ。その必要はないのです。なぜなら娑婆世界には、あなた方の数をはるかに凌ぐ六萬恒河沙の菩薩がおり、その一人一人の菩薩にも六萬恒河沙の眷族がおり、彼らこそがこの地において法華経を護り、教えを広める使命を持つからなのです。」


    この言葉が終わるやいなや大地は激しく振動して裂け、そこから計り知れない数の菩薩達が現れました。その姿はみなお釈迦さまと同様に三十二相という尊い人相をそなえ、全身は金色に輝き、光を放っていました。


    この菩薩たちは、娑婆世界の下の虚空に住んでいたのですが、お釈迦さまのお説になったお言葉に応じて大地から湧き出してみもとに参ったのです。
     

    その中に四人の大導師がおられました。その名を上行(じょうぎょう)菩薩・無辺行(むへんぎょう)菩薩・浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行(あんりゅうぎょう)菩薩といいました。(四弘誓願を参照のこと)


    で、この光景をみていた古参の弥勒菩薩等は、どうも納得がいきません。お釈迦さまは、どうやって短い間にこれだけの沢山の菩薩達を教化されたのか・・・。


    と云う感じで、その疑問は、そのまま法華経の神髄を解き明かすキーワードとして、「如来寿量品 第十六」へ引き続くことになります・・・。

     

    如来寿量品 第十六(法華経のあらまし)

    従地涌出品での疑問:『お釈迦さまは、どうやって短い間にこれだけの沢山の菩薩達を教化されたのか?』
    答えのポイントは、輪廻です。答えは、良医の譬えの解説を参照願います。

    そう、『すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。』

    これが、法華経を毎日読誦して感じた、今のレベルでの私の法華経感です。
    とにかく、仏は『永遠の命』こと『仏寿無量』で、これを信じきることが出来るか出来ないかが、法華経を理解するキーになるようです。

     

    分別功徳品 第十七(法華経のあらまし)

    この17番から28番までが、流通分と云われ、法華経を実践すれば、大変素晴らしい功徳のあることが説かれています。


    この分別功徳品では、とにかく『仏寿無量(永遠の命)』を信解すれば、ものすごく大きな功徳があると説かれています。


    たとえば、以下の感じです。
    80万億那由他劫という長い長い間、五波羅蜜(六波羅蜜から智慧を除く)を行じてえる功徳は、大変なものですが、しかしそれでも、『仏寿無量』をほんの一念にでも信解することよって得られる功徳とくらべると、その百千万億分一にも及ばないそうです。つまり、『仏寿無量』の信解の方が百千万億倍も功徳があるのです。


    ホントかよって感じですが、もしホントなら、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。

     

    随喜功徳品 第十八(法華経のあらまし)

    この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。


    たとえば、法華経の伝言ゲームで、50番目の人が一偈でも信解したならば、その功徳は、宇宙のあらゆる生あるものに物質的&精神的に布施した功徳より大きいと・・・。
     

    また、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
    信じることから始まるらしい・・・。

     

    法師功徳品 第十九(法華経のあらまし)

    この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。


    もし信仰心の深い男女が、法華経を信じ、読誦し、解説し、書写したとしましょう。その人は、以下のような功徳を得ることが出来るのです。


    • 『八百の眼の功徳』
    • 『千二百の耳の功徳』
    • 『八百の鼻の功徳』
    • 『千二百の舌の功徳』
    • 『八百の身の功徳』
    • 『千二百の意の功徳』


    その功徳をもって、すべての感覚・知覚器官の作用を美しく。清らかなものにするでありましょう・・・と。


    またまた、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
    信じることから始まるらしい・・・。

     

    常不軽菩薩品 第二十(法華経のあらまし)

    仏の教えが形式化、そして、形骸化された時代に一人の菩薩がいました。その菩薩は、会う人ごとに、会う人ごとに、『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と言って賛嘆するのでした。


    ところが、大勢の中にはそんなことを言われて腹を立て、石や瓦を投げつける者がいました。
    すると、菩薩は走って逃げ、遠くのほうからまた同じセリフ『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と、大声で唱えるのでした。


    そして、菩薩は一生の間、この行を続けたのです。すると、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)が清浄となって、虚空の中からひびいてくる声を聞くように法華経を自得したのです。
    すると、寿命が2百万億那由他歳になり、広く人々のためにその法華経の教えを説きました。
     

    で、解説です。この常不軽菩薩品では以下の3つがポイントです。


    • 真心から行じた、ただ一つの礼拝行だけでも実に尊いことで、それが救いの道に入る第一歩になる。
    • 逆に言うと、形式だけをいかに多く行じても真心から行じないと無価値である。
    • 仏性を礼拝することは、あらゆる人間の中にある仏性を認めることである。


    あぁ、雨にも負けず風にも負けず、私は、常不軽菩薩でありたい・・・。

     

    如来神力品 第二十一(法華経のあらまし)

    この神力品は、法華経の総まとめの品と云われています。しかし、普通に(浅く)読むと、とてもそうとは思えません。舌を出したり、光を出したり、咳をしたり、指パッチをしたり・・・とか、そのどこが、神力なのだと思うわけです。また、仏なら神力でなくて仏力だろ・・・とか。だけど、それには、以下の意味があるらしい。

    しかし、その前に復習です。法華経は、前半が『方便品』を中心とした智慧の教え(迹門の教え)で、後半は『寿量品』を中心とした慈悲の教え(本門の教え)です。これは、前半(迹門)と後半(本門)が別々のように思えてしまいますが・・・、実は・・・。

    • 『舌を出したり』とは、インドでは、自分の言ったことは真実であると云うことで、迹門を信じても、本門を信じても、実は一つなのだという象徴。(出広長舌)
    • 『光を出したり』とは、迷いの闇を打ち破ることで、迹門の原理も、本門の原理も、実は一つなのだという象徴。(毛孔放光)
    • 『咳をしたり』とは、声を出し教えを説く象徴のことで、迹門の教えも、本門の教えも、実は一つなのだという象徴。(一時謦がい)
    • 『指パッチをしたり』とは、インドでは承知しましたと云う事で、迹門の教えを広めることを承知した人も、本門の教えを広めることを承知した人も、実は一つなのだという象徴。(倶共弾指)

    このように如来(釈尊と菩薩)が『一時謦がい』『倶共弾指』をしたら以下のようなことが起こりました。

    • 天地のあらゆるもの心が感動した。(六種地動)
    • 普くすべてのものがこの大会を見ることができた。(普見大会)
    • 諸天善神が法華経を説いた釈尊を供養すべしと空中から唱声した。(空中唱声)
    • 空中唱声を聞いて、必ずすべての人が釈尊に帰命する。(感皆帰命)
    • 花、香、瓔珞等が美しい帳に変じて如来の上に覆った。(遥散諸物)
    • すると、宇宙空間(十方世界)が一つの仏土になった。(通一仏土)

    そして、この

    1. 出広長舌
    2. 毛孔放光
    3. 一時謦がい
    4. 倶共弾指
    5. 六種地動
    6. 普見大会
    7. 空中唱声
    8. 感皆帰命
    9. 遥散諸物
    10. 通一仏土


    これが、『如来の十大神力』と云われています。

    そして、この『如来の十大神力』を踏まえ、法華経の総まとめの句がつぎに示されます。
     

    『如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘蔵の蔵・如来の一切の甚深の事・皆此の経に於て宣示顕説す。』

    とにかく、如来の一切の『正法』『衆生救済力』『秘密の教え』『修行の実践方法』が、すべてこの法華経に注ぎ込んでいると宣言しているのです・・・。あぁ、なんて有り難い、合掌。

     

    嘱累品 第二十二(法華経のあらまし)

    釈尊は、法座より起き上がり、菩薩達の頭を撫ぜながら、この法華経の広宣流布を託します。と述べられ、とりあえず、この品で法華経は、ひとまず終わりを迎えます。

    では、後の薬王菩薩本事品から普賢菩薩勧発品までは、何かというと、
    一編一編が一つの短編ストーリーになっていて法華経実践の大切さを説いています。まぁ、法華経の駄目押しですかね・・・。 

     

    薬王菩薩本事品 第二十三(法華経のあらまし)

    薬王菩薩の沢山の前世のお話で、体を燃やしたり、両腕を燃やしたりして仏を供養したお話です・・・。

    ・・・その時、宿王華菩薩が釈尊におたずねになりました。
    『薬王菩薩というお方は、どのようにして、大変素晴らしい働きがおできになるようになったのでしょうか・・・・・・そのことを知ったら、みんな歓喜することでございましょう!』
    その問いにたいして釈尊は、次のようにお答えになりました。
    『遠い遠い昔、日月淨明徳如来という仏さまがいました。仏さまは、一切衆生憙見菩薩をはじめとするもろもろの菩薩、声聞に法華経の教えをお説きになりました。』
    『すると一切衆生憙見菩薩は、法華経を1万2千年の間、一心に修行して、高い境地に達し、大いに歓喜し、仏恩にお報いする大きな力を得て、一切衆生を救いたいと思い、日月淨明徳如来と法華経を供養するため、自分自身に火をつけ、80億恒河沙の広い世界の普く闇を照らし出したのです。』
    『燃え尽きて、一度亡くなった一切衆生憙見菩薩ですが、再度、生まれてきて、今度は、両腕を燃やして供養しました・・・とさ・・・。』
    『さて、あなたは、どう思いますか。この一切衆生憙見菩薩は、ほかでもありません、今の薬王菩薩の前身なのです・・・』
    ここで解説です。
    とにかく、法華経の実践には、いろいろありますが、中でも身の布施が一番尊いということの本事です。
    ちなみに、本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。
    そして、釈尊は宿王華菩薩へ法華経の実践の功徳を『十二論の利益』の譬えにしておおせになりました。

    1、池の清らかな水を飲んで、喉の渇いた者が満足するように。
    2、寒さに震えていた人が、暖かい火を得て生き返ったように。
    3、裸の人が、着物をえたるがように。
    4、商人が、主のものをえたるがように。
    5、子が、母をえたるがように。
    6、渡りに、船をえたるがように。
    7、病に、良い医者をえたるがように。
    8、暗に、灯火をえたるがように。
    9、貧乏に、宝をえたるがように。
    10、民に、王をえたるがように。
    11、貿易者に、平穏な海路をえたるがように。
    12、たいまつの灯かりが、暗を除くように。

    とにかく、法華経を実践すると、何かと、事(お手配)がスムーズに行くのですよ・・・いや、ホントに不思議や!
    そうそう、この品には、念仏で有名な阿弥陀仏が登場します。
    『仏滅後、5百歳の中の世に、もし女人があってこの経典を聞いて修行したならば、その世の生を終えた後、阿弥陀仏のいる安楽世界の蓮華の寶座の上に生まれ変わるでしょう!』
    なぜ、女人なのかは、謎ですが・・・。
     
     

    妙音菩薩品 第二十四(法華経のあらまし)

    理想の世界からやって来た妙音菩薩のお話です・・・。
    ・・・釈尊は、突然、眉間から光を出し、宇宙のあらゆる世界を照らしました。
    すると、淨光荘厳という理想の世界いる三昧神通力を具えられた妙音菩薩がそれを察知し、この光から、非常に徳の高い方と分かりましたので、娑婆という現実の世界へ、釈尊(仏)と法華経(法)と菩薩達(僧)を供養しにやって来たのでした。
    妙音菩薩は、過去世に一万2千年間、美しい音楽(プラス言葉で仏を称える)を奏し、8万4千の数(経典数)の七宝の鉢をささげ、仏を供養しました。
    その結果、淨光荘厳という理想世界に生まれ変わり、三昧神通力と三十四身を得たのです。
    ここで解説です。
    理想世界は、もちろん尊いものですが、あくまでも頭の中で考えられている間は、その価値が生きてきません。それを現実世界の生活の中に一つ一つ実現していくことにこそ、本当の価値がいきてくるのです。
    そして、つまるところ、この品は、理想世界の代表である妙音菩薩が、現実世界での理想世界具現者:釈尊を讃嘆しているのです。

        理想は、それを一歩ずつでも現実化してこそ尊いのである。

    ちなみに、妙音菩薩は身長が4万2千由旬です。これをキロメートルにすると・・・。・・・一由旬が約四十里で、一里が約3.9キロメートル、よって、42000*40*3.9 = 6552000で6百55万2千キロメートルもあります。驚きです。

    妙音菩薩の三十四身
    妙音菩薩は三十四身で自由自在に法を説きました。
    01.梵王/ 02.帝釈/ 03.自在天/ 04.大自在天/ 05.天大将軍/ 06毘沙門天/ 07.転輪聖王/ 08.諸の小王/ 09.長者/ 10.居士/ 11.宰官/ 12.婆羅門/ 13.比丘/ 14.比丘尼/ 15.優婆寒/ 16.優婆夷/ 17.長者の婦女/ 18.居士の婦女/ 19.宰官の婦女/ 20.婆羅門の婦女/ 21.童男/ 22.童女/ 23.天/ 24.龍/ 25.夜叉/ 26.乾闥婆/ 27.阿修羅/ 28.迦楼羅/ 29.緊那羅/ 30.摩羅伽/ 31.人/ 32.非人/ 33.苦難にあえぐ人 34.後宮の女身
     
     

    観世音菩薩普門品 第二十五(法華経のあらまし)

    観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・、実は、観世音菩薩みたいになりましょうということらしい・・・。
    ・・・南無観世音菩薩を唱えれば、三毒(貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ))、四苦(生・老・病・死)、七難(火難・水難・風難・剣難・鬼難・獄難・盗難)を滅し、さらに願う通りの子を得ることができるという・・・。
    しかし、こんな拝み信仰じゃ、いままで序品から説かれていた法華経は、なんだったのかということになりますね。これらの観音力は、確かにこの品に書かれています。でも、浅い理解なのです。
    本当は、無尽意菩薩が偉大な救済力(観音力)をもつ観世音菩薩を供養しようとして、瓔珞(首飾り)をさしあげましたが、しかし、受けとっても、首にかけず、それを2つにして、釈尊と多宝如来に捧げました。これは、偉大な救済力である観音力の元は、真理を教えられた釈尊と、その真理を証明された多宝如来のおかげであるということの表明なのです。
    つまり、救いの本質は、ある外側の力によって目の前の苦難から逃れることではなく、久遠実成の本仏のみ心に沿い、そこに周囲との調和がうまれ、みんなが救われることにあるのです。
    また、観世音菩薩普門品の観世音とは、世の人々の声(音)を見(観)分けることで、菩薩とは、手本として仰ぐべき方で、普門とは、相手に応じていろいろ姿(三十六身)をかえて、平等に真理の門に引き入れることです。
    とにかく、観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・ではなく、真に観世音菩薩を念じるとは、慈悲をもって苦しみあえぐ人の声(世音)を感知し聞き入れ(観)、観世音菩薩のようになりましょうということです。

    観世音菩薩の三十六身
    ちなみに、妙音菩薩は三十四身でしたが、観世音菩薩は三十六身で自由自在に法を説きました。数はあまり気にしなくてよく、とにかく、いろいろな人を救うために身を現じて法を説く、ということです。
    01.仏身/ 02.辟支仏/ 03.声聞/ 04.梵王/ 05.帝釈/ 06.自在天/ 07.大自在天/ 08.天大将軍/ 09毘沙門天/ 10.転輪聖王/ 11.小王/ 12.長者/ 13.居士/ 14.宰官/ 15.婆羅門/ 16.比丘/ 17.比丘尼/ 18.優婆寒/ 19.優婆夷/ 20.長者の婦女/ 21.居士の婦女/ 22.宰官の婦女/ 23.婆羅門の婦女/ 24.童男/ 25.童女/ 26.天/ 27.龍/ 28.夜叉/ 29.乾闥婆/ 30.阿修羅/ 31.迦楼羅/ 32.緊那羅/ 33.摩羅伽/ 34.人/ 35.非人/ 36.執金剛神

    陀羅尼品 第二十六(法華経のあらまし)

    薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天王、持国天王、十羅刹女等が法華経の説法者を守護するため呪文(神呪、陀羅尼)を唱えました。

    『あに まに まね ままね しれ しゃりて しゃみや しゃびたい せんて もくて もくたび しゃび あいしゃび そうび しゃび・・・・・・』


    この神呪は、神々の名もしくはその異称の呼びかけであるということです。また、神呪を唱えることにより、善をよく身にたもち、悪をおしとどめて、発しせしめない・・・とのことです。
    ではなぜ、法華経説法者の守護が必要なのかというと、法華経は真の善の教えなので、悪の教えや、見かけ上は善の教えの勢力などから迫害を受けやすいとのことです。
    そして、神呪に守られた法華経説法者に、迫害をくわえることは、神々に迫害を加えるのと同じで・・・後は推して知るべし・・・です。
    ちなにみ、毘沙門天王、持国天王は、他教(バラモン教)の神々で、羅刹女とは、鬼女のことです。つまり、他教の神々や鬼女までもが、法華経説法者の守護を願って、神呪を唱えてくれたのです。
    これは、法華経の教えが、万教をも包容し、また、鬼女たちをも平等に成仏させる力をもっていることの証しです。
    また、鬼女の中に鬼子母もいました。これは、法華経の主な登場人物の鬼子母と十羅刹女を参照願います。(しかし、鬼子母と十羅刹女・・・・・・どんなにやさしい女の人でも、たまに垣間見る性質のような気がします。やばい書いてしまった・・・)
    とにかく、陀羅尼(ダラニ)は、法華経説法者からみれば、いろいろ守護してくれる有り難い神呪なのです。合掌。
     
     

    妙荘巌王本事品 第二十七(法華経のあらまし)

    薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話で、王様の父を教化するお話です・・・。
    ・・・そのとき釈尊は、もろもろの大衆に薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話を語り始めました。


    はるかはるかな遠い大昔に、雲雷音宿王華如来という仏さまと妙荘巌王という王さまがいました。
    王さまの夫人は、淨徳と言い、また、淨蔵(前世の薬王)と淨眼(前世の薬上)と言う2人の王子がいました。
    淨蔵と淨眼は、六波羅蜜を行じ、仏教を信仰しておりました。
    しかし、王さまの父は、邪教を信仰しており、2人はなんとか正しい教えの仏教へ改宗してもらいたいと思っていました。
    そこで、2人は母に相談しました。すると母は、父へびっくりするような信仰の証しの奇跡をみせれば、改宗できるでしょうとアドバイスをされました。
    2人は母のアドバイス通りにいろいろな奇跡を父の前で演じ、父の妙荘巌王を改宗させました、とさ・・・。


    で、本品のポイントは、身近な家族の教化の難しさと、指導的立場の人(王様等)の教化の難しさで、それらの人を教化するには、法華経を頭で理解してもらうだけでなく、自ら身を持って示さなければならないということです。
    ちなみに、妙荘巌王本事品(みょうそうごんのう ほんじほん)の本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。

     

    普賢菩薩勧発品 第二十八(法華経のあらまし)

    最後の最後に大菩薩団を引き連れて娑婆世界に釈尊の説法を聞きに来た大物菩薩の普賢菩薩と釈尊(お釈迦さま)の問答です。
    はじめに、普賢菩薩はお釈迦さま(釈尊)へ『仏滅後、どうしたら法華経の真の功徳を得ることができるのでしょうか』とお尋ねになりました。
    すると、お釈迦さまは普賢菩薩へ、以下の『四法成就』、を実践すれば、真の功徳を得ることができましょう・・・と、お答えになりました。


    1. 諸仏に護念されているという絶対の信念を持つこと。(仏さまを信じきる)
    2. もろもろの徳の本(もと)を身に植えること。(いつも善い行いを心がける)
    3. 正しい教えを実践する人々の仲間にはいること。(正しい信仰者の仲間に入る)
    4. 一切衆生を救おうという心を起こすこと。(いつも人のために尽くす)

     

     それをうかがった普賢菩薩は、感激して次のように申し上げました、
    『法華経行者がどこにいても、六牙(六波羅蜜の象徴)の白象王(実践の象徴)にのって応援し守護したいと思います!』
    と、お釈迦さまの許可をえて、法華経行者を守護するために陀羅尼(神呪)を説きました。
     

    『あたんだい たんだはだい たんだはて たんだくしゃれ たんだしゅだれ しゅだれ しゅだれはち ぼっだはせんね さるばだらに・・・・・・』

     

    お釈迦さまは、満足そうにうなずかれ、今度は具体的な功徳についてのべられました。

    • 世俗的な楽しみを貪ったり、とらわれたりすることがなくなる。
    • 仏教以外の教えや本に、はまりこんでしまうことがなくなる。
    • また、その著者や悪人に心を奪われることがなくなる。
    • 肉屋、猟師、女色系の職業に、親しく近づくことがなくなる。
    • この人は、心が素直で、ものの考え方が常に真理に一致していて、福の徳で人を幸せにすることができる。
    • 貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ)の三毒に悩まされることが無い。
    • また、嫉妬・我慢・邪慢・増上慢に悩まされることが無い。
    • 少欲知足で普賢菩薩のように法華経の教えを行じられる。

    そして、この普賢菩薩勧発品の説法を聞いた無数の菩薩は、百千万億人に展転する善をすすめ悪をとどめる大きな教化の力を得て、普賢菩薩とおなじような、徹底した実践力を身に具えることができました。
    このようにして、ここに法華経のすべての教えを聞き終えた、普賢等の諸々の菩薩、舎利弗等の諸々の声聞、及び諸々の一切のギャラリーは歓喜し、仏語を受持し、お釈迦さまを礼拝し、去っていきました。
    ちなみに、普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつ かんぼっぽん)の勧発とは、元気づけとか励ましという意味です。
     
     

    法華経の神髄

    法華経をいろいろ勉強してまいりましたが、おぼろげながら、その神髄が見えてきました。

    それは、ズバリ! 『因縁果報(縁起)』と『正しい生活』です。

    要は、正しい生活をして(因)、良い(縁)が沢山出来、人生苦が消滅(果)して、幸せ(報)なる。

    そして、正しいとは、真理(法)にそった、とういうことです。

    人は、良因を積むことで、宇宙の調和と共振し、いつでもどこにでも、法身の釈迦を見ること、感じることが出来るようになる。

    すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。

    つまり、仏になっていくこと、言い換えれば法華経の実践こそが、宇宙の調和であり、世界平和実現の礎になる。とまぁ、法華経の神髄とは、こんなところですか、たぶん。 

     

    2024年11月18日月曜日

    法華経の主な登場人物

    法華経には沢山のギャラリーが登場します。それは、人間(比丘衆)だけでなく、如来、菩薩、神様、非人等などで、 結果的に生きとし生けるものすべてが登場するのです。

    逆に云うと、法華経は、生きとし生けるものすべてを救うお経なのです。

     

    仏(如来)

    • 釈迦如来 - ご存知、お釈迦さまです。
    • 多宝如来 - 真理の象徴の仏さまです。
    未来仏(釈迦如来から未来に仏になれると授記された仏)
    • 華光如来 - 舎利弗の未来仏。
    • 華足安行 - 堅満菩薩が未来仏華光如来から授記された未来仏の未来仏。
    • 光明如来 - 摩訶迦葉の未来仏。
    • 名相如来 - 須菩提の未来仏。
    • 閻浮那提金光如来 - 大迦旃延の未来仏。
    • 多摩羅跋栴檀香如来 - 大目けん連の未来仏。
    • 法明如来 - 富楼那の未来仏。
    • 普明如来 - 嬌陳如(きょうじんにょ) 比丘の未来仏。
    • 山海慧如来 - 阿難の未来仏。
    • 蹈七宝華如来 - 羅ご羅の未来仏。
    • 宝相如来 - 2000人の未来仏
    • 天王如来 - 提婆達多の未来仏。
    • 一切衆生喜見如来 - 摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだい)の未来仏。
    • 具足千万光相如来 - 耶輸陀羅比丘尼(やしゅたら)の未来仏。
    過去仏
    • 日月燈明如来 - 文殊菩薩が弥勒菩薩へ話したの過去の経験に出てくる過去仏。
    • 浄身 - 徳蔵菩薩が日月燈明如来から授記された仏。
    • 燃燈仏 - 過去仏。
    • 威音王如来。(常不軽菩薩品 第二十 )
    • 日月浄明徳如来。(薬王菩薩本事品 第二十三)
    • 浄華宿王智如来。(妙音菩薩品 第二十四)
    • 雲雷音王。(妙音菩薩品 第二十四)
    • 雲雷音宿王華智。(妙荘巌王本事品 第二十七)
    化城諭品に出てくる仏
    • 大通智勝
    • 阿しゅく
    • 須弥頂
    • 師子音
    • 師子相
    • 虚空住
    • 常滅
    • 帝相
    • 梵相
    • 阿弥陀
    • 度一切世間苦悩
    • 多摩羅跋栴檀香神通
    • 須弥相
    • 雲自在
    • 雲自在王
    • 壊一切世間怖畏

     

    菩薩

    弥勒菩薩

    慈悲を象徴する菩薩です。お釈迦さまと同じ時代に実在したらしい・・・。

    文殊菩薩

    智慧を象徴する菩薩です。こちらは、架空の菩薩です。このような菩薩を『法身の菩薩』といいます。

    普賢菩薩

    行徳を象徴する菩薩です。こちらも、架空の菩薩です。六牙の白象王に乗って現れます。六牙とは、六波羅蜜を表し、白象王に乗ってとは、徹底した実践を表します。

    上行(じょうぎょう)菩薩(四大菩薩)

    従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

    無辺行(むへんぎょう)(四大菩薩)

    従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

    浄行(じょうぎょう)菩薩(四大菩薩)

    従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

    安立行(あんりゅうぎょう)菩薩(四大菩薩)

    従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

    常不軽菩薩

    常不軽菩薩品で登場する菩薩で、すべての人の仏性を礼拝する菩薩です。

    妙音菩薩

    理想の国からやって来た、なぜかウルトラマンのイメージがする菩薩です。

    観世音菩薩

    苦しい時に、お願いをなんでも叶えてくれる菩薩・・・、いえいえ、自分がそのような菩薩になれるようにとの見本の菩薩。

    薬王菩薩

    以下のように凄い菩薩です。
    薬王菩薩の前世で「香油を飲み、また香油を身体に塗ってしみこませ、如来の前で宝衣に自ら火をつけて、こうして自身を灯明として法華経を供養しました。」

     

    十大弟子

    舎利弗(十大弟子)

    釈尊教団の二大柱の一人、智慧第一と言われていました。

    慧命須菩提(十大弟子)

    空についてよく理解していた、解空第一と言われていました。

    摩訶迦旃延(十大弟子)

    教えの解説が得意で、論議第一と言われていました。

    摩訶迦葉(十大弟子)

    釈尊教団の最長老で、頭陀第一と言われていました。(頭陀とは、貧著なく簡素に暮らすこと)

    摩訶目ケン連(十大弟子)

    釈尊教団の二大柱の一人、神通力第一と言われていました。

    富楼那(フルナ)(十大弟子)

    弥多羅尼子という母親が大変すぐれた人だったので、弥多羅尼子富楼那(息子なので男)と呼ばれていました。 後世『富楼那の弁をふるう』といわれる通り、説法第一と言われていました。

    阿難(アナン)(十大弟子)

    「多聞第一」といわれ、当時、いまでは考えられないほどの男尊女卑の時代に比丘尼教団を作ってしまった人です。 どうしてかと言うと、女の人が沢山慕ってくるほどの美男子だったようです。釈尊の従弟

    羅ご羅(ラゴラ)(十大弟子)

    「密行第一」といわれ、人の見ていないところでも常に慈悲のある正しい行いをし、また、高い境地にいながらも、 決してそれを表に出すことなく陰徳を積んだとされています。釈尊の実子。

    阿那律(十大弟子)

    「天眼第一」といわれ、失明してから、永遠の真理を見る智慧の眼を明るくひらいた。釈尊の従兄。

    優波離(十大弟子)

    「持律第一」といわれ、戒律に精通し、様々な事件を調停した。

    十大弟子以外で有名な比丘

    優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)

    事火外道という一種の原始宗教の一派で、500人の弟子がいました。


    伽耶迦葉(がやかしょう)

    優楼頻螺迦葉の弟。


    那堤迦葉(なだいかしょう)

    同じく優楼頻螺迦葉の弟で、世に三迦葉といわれる兄弟です。


    劫賓那(こうひんな)

    大上座の一人で、勇猛端正第一といわれていました。


    離婆多(りはた)

    舎利弗の末弟で、坐禅することを好み、坐禅第一といわれていました。


    薄拘羅(はくら)

    無病小欲第一といわれ、160歳で入寂したと言われています。


    摩訶拘ち羅(まかくちら)

    議論がじょうずで、問答第一といわれていました。


    孫陀羅難陀(そんだらなんだ)

    釈尊の異母弟で、釈尊の継母で摩訶波闍波提比丘尼の実子。

    容貌は、釈尊と瓜二つだといわれていました。

     

    初転法輪五比丘

    嬌陳如(きょうじんにょ)

    初転法輪の五比丘の一人、『衣裏繋珠の譬え』を説く。

    跋提(ばつだい)

    初転法輪の五比丘の一人。

    婆沙波(ばしゃば)

    初転法輪の五比丘の一人。

    摩訶那摩(まかなま)

    初転法輪の五比丘の一人。

    阿説示(あせつじ)

    初転法輪の五比丘の一人、舎利弗と摩訶目ケン連を導く。

     

    釈尊の身内

    摩訶摩耶夫人(まかまやぶにん)

    釈尊の母、釈尊を出産後、7日後にお亡くなりになりました。

    摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだい)

    釈尊の継母。

    耶輸陀羅比丘尼(やしゅたら)

    釈尊の妻。

    提婆達多(だいばだった)

    釈尊こと悉達多(しつだった)の従兄弟であり、永遠のライバル。前世では、悉達多の師匠だったりする。

    また、阿難(アナン)の兄。

    釈尊の命を狙い、仏典では悪人の代表として有名。

     

    神様鬼神鬼類

    夜叉

    空中を飛び歩く鬼神。

    乾闥婆(けんだつば)

    帝釈天に仕えて音楽を奏している神。

    阿修羅(あしゅら)

    つねに帝釈天と戦っている鬼神。

    迦楼羅(かるら)

    竜を餌とする鳥の王の鬼神。

    緊那羅(きんなら)

    天上界で音楽を奏している神。

    摩羅伽(まごらか)

    地竜で、蛇のような鬼神。

    羅刹

    暴力的な鬼類。

    ふたんな

    悪臭を発する腐敗鬼。

    きっしゃ

    人間の死体を食う鬼類。

    鳩槃荼(くはんだ)

    動物の生き血や生肉を食らう鬼類。

    餓鬼

    前世で悪業を積み、貪欲が強く、飢渇に苦しんでいる鬼類。

     

    鬼子母と十羅刹女

    鬼子母(きしも)

    子煩悩な鬼女でしたが、王舎城(おうしゃじょう)の町に来ては、人の子をとって食べてしまいます。釈尊は鬼子母の子をお隠しになり、 半狂乱になった鬼子母へ、『あなたに食べられた子の親の身になってごらん』と諭しました。すると鬼子母は、非をさとり、仏教に帰依して、安産と幼子の守り神になろうと誓願し、鬼子母神となりました。

    藍婆(らんば)

    世間をさまよいあるく鬼女。

    び藍婆(びらんば)

    藍婆より藍婆の完全藍婆?

    曲歯(こくし)

    まがった歯の羅刹女。

    華歯(けし)

    花の歯(?)をもった羅刹女。

    黒歯(けし)

    黒い歯をもった羅刹女。

    多髪(たはつ)

    髪の毛の多い羅刹女。

    無厭足(むえんぞく)

    厭き満足することのない羅刹女。

    持瓔珞(じようらく)

    首飾りをもった羅刹女。

    こう諦(こうたい)

    屋根にのぼって死人の霊魂を呼び戻す鬼女。

    奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)

    すべての生物の精気を吸い取ってしまう鬼女。


    2024年11月17日日曜日

    わかりやすい法華七喩

    法華七喩(ほっけしちゆ)とは、法華経に説かれる7つの譬え話です。

    法華七喩は次のとおりです。

    • 三車火宅の譬え(譬喩品)
    • 長者窮子の譬え(信解品)
    • 薬草の譬え(薬草喩品)
    • 化城宝処の譬え(化城喩品)
    • 衣裏繋珠の譬え(五百弟子授記品)
    • 髪中の譬え(安楽行品)
    • 良医の譬え(寿量品)

       

      三車火宅の譬え

      妙法蓮華経譬諭品第三に出てくる譬え話しです。

      物語

      ある国のある町に、大きな長者がいました。 その家やしきは広大なものでしたけども、門はごく狭いのが一つしかありませんでした。 しかも、家は大変荒れはてていました。

      ある日、その家が突然火事になりました。 家の中には、長者の子供達が大勢いて、夢中で遊びたわむれていて、火事に全く気づきません。 長者は、大声で知らせますが、全く聞こえてくれません。 その時、長者は、ふと子供達が車を欲しがっていたことを思い出しました。

      そして、火事のことではなく、つぎのように呼び掛けたのです・・・。

      『おまえ達の好きな、羊のひく車(羊車)や、鹿のひく車(鹿車)や、牛のひく車(牛車)が門の外にあるぞ、早く行ってとりなさい!』

      すると子供達は、その言葉を聞いて正気にもどり、われ先にと燃えさかる家から出て助かることができました。 長者が、子供達が助かって安心していると、子供達は、口々に約束の車をせがみます。 すると、長者は、子供達が欲しがっていた車ではなく、大きな白牛のひく大変豪華な車(大白牛車)をみんなにひとしく与えたのでありました・・・。

      解説

      父の長者は、いうまでもなくお釈迦さまです。 子供たちは、われわれ凡夫です。 荒れはてた家は、現実の人間社会です。 火事は、われわれの煩悩をさしています。

      われわれ凡夫は、物質、肉体などにとらわれて、なかなか苦しみからのがれられません。 そこで、お釈迦さまは、いろいろな教えをお説きになりました。 まずは、声聞(羊車)で、とにかくお教えを聞きなさい。 つぎに、縁覚(鹿車)で、とにかくお教えを体験しなさい。 最後に、菩薩(牛車)で、とにかくお教えで沢山の人をお救いしなさい。 などなどです。

      そして、この3つ(三乗)の教えを実践して、人格を高めて歩んでいけば・・・、ある一つの真理(大白牛車)にたどり着くのです・・・。

       

      長者窮子の譬え

      妙法蓮華経信解品第四に出てくる譬え話しです。

      物語

      幼い時に父(長者)の屋敷をさまよいい出て、ゆくえも知らず50年・・・、放浪しながら他国で貧乏な暮らしを続けいた、一人の貧しい子(窮子)がいました。

      そして、放浪で知らないまま本国へもどり、偶然、父とは知らず父の立派な屋敷の前で再会しました。 父親は、すぐ我が子だと気づきましたが、窮子は気づかず、立派な父に畏れをなしてしまい、屋敷から立ち去りました。

      しかし、父親は、使用人へ窮子と同じような貧しい恰好をさせて近づきさせ、屋敷で働くように仕向けました。 そして、窮子は、屋敷で働くようになりました。

      父親は、始めお便所掃除などの汚れ仕事から徐々に財産の管理などの重要な仕事へと段階的に導きました。 窮子も、始めの卑屈な心から次第に菩薩のような心へと段階的に変化していったのです・・・。

      そして、父親は臨終間じかに、大勢の人の前で、この窮子は私の実の子ですと真相を明らかにしました。 窮子は、昔の極貧の境遇と、それに甘んじていた志の低さにくらべ、父の莫大な財産を得た身の広やかな思いは、生まれてはじめて味あう喜びでありました・・・。

      解説

      もちろん、父親(長者)はお釈迦さまの喩えで、そして、窮子はわれわれ凡夫の喩えです。 お釈迦さまは、われわれ凡夫が、志の低いところから徐々に高い所に導いて、最後にはすべての人が、最高の境地で達することができるのです。と説かれました。

      そして、父親(長者)の言うことを信じ、理解して、窮子は父親(長者)の後を継ぎ、最高の境地を手に入れたのです・・・。 

       

      薬草の譬え

      妙法蓮華経薬草諭品第五に出てくる譬え話しです。

      物語

      この地上には、いろいろさまざまな草木が生い茂っています。その草木は、大きさにも大・中・小があり、性質もすがた形も、千差万別です。 しかし、すべての草木に共通していることは、ひたすら雨のうるおいを欲し求めていることです。 そして、雨は、どこにでも、どの草木にも、同じように平等に降りそそぎます。ところが、それを受ける草木の方では、その大小や種類の相違によって受け取り方が違ってきます。

      仏の教えと衆生との関係もこれと同様であることを知らなければなりません・・・。

      解説

      この譬えは、差別相と平等相について述べています。

      人々の天分や性質は、一人ひとり違います。生い立ちも、健康も、環境も、職業も、それぞれ違います。 そういう様々な条件の違いがあるため、人々が等しくもっている仏性は、まったく平等であるにもかかわらず、真理の雨の受け方にさまざまな違いが生じてくるのです・・・。(差別相)

      しかし、いくら受け方が違っても、それぞれの人が真理の雨を受けて、天分の性質のままに成長し、それぞれの花を咲かせ、それぞれの実を結ぶという点において、全く平等なのです・・・。(平等相)

      つまり、人間は、それぞれにすがたは違って(差別相)いても、それぞれに成長していくところは、全く同じ(平等相)で、この事を認識することにより、自分もほんとうに生かし、他の人もほんとうに生かす正しい生き方ができるわけです。 

       

      化城宝処の譬え

      妙法蓮華経化城諭品第七に出てくる譬え話しです。

      物語

      長くけわしい非常に困難な道を、宝物を探し求めて旅をしている一行がありました。一行の中には、もう疲れてしまったり、この道は恐ろしくて行く気にならなと言い出しました。そこで、リーダーは、ひとつの大きな城を幻としてあらわしたのです。

      一行は、その城で休息して疲れをすっかり癒し、そして、それを見計ってリーダーは、その幻の城を消してしまい、さぁ、本当の宝物のある場所はもうすぐですよと一行をはげまし、そこへ導きつづけたのでした・・・。

      解説

      「長くけわしい非常に困難な道」とは、われわれ人生の旅路です。人生での出来事に疲れてしまったり、迷いが生じた時に、とりあえず、迷いを除いて、心に安心を得るようにみちびいてあげるのです(化城のこと)。つまり、「目の前に現れる現象は、仮の現われに過ぎないので、それにふりまわされるな」ということです。

      そして、捜し求めている宝物とは、「創造」と「調和」のことで、何を「創造」するかというと、「調和」した平和な世界ということです。これこそが、捜し求めていたこの上のない宝物だったのです・・・。 

       

      衣裏繋珠の譬え

      妙法蓮華経五百弟子受記品第八に出てくる譬え話しです。

      物語

      貧乏な『ある人』が『友人』の家に訪問し、ごちそうになり、酒に酔って眠ってしまいました。 ところが、その『友人』は、急に用事で旅立つことになりました。 寝ていた『ある人』を起こすのも気の毒と思い、また、貧乏から脱出できるようにと着物の裏の襟に『宝石』を縫い付けてから旅立ちました。

      やがて、目を覚ました『ある人』は、『友人』がいなくなっているので、その家を立ち去り、相変わらず貧乏な生活を何年も続けていました。

      ずいぶんたってから、『友人』は、『ある人』にバッタリ出会いました。 『友人』は、哀れな『ある人』を見て、「なんとバカなことだ、着物の裏の襟の宝石を売れば、素晴らしい生活ができるのだよ」といいました。

      解説

      貧乏な『ある人』は、我々凡夫です。『友人』とは、お釈迦様です。着物の裏の襟の『宝石』は、人の心の奥の仏性です。

      要は、すべの人は、仏性(宝石)を持っているが、なかなか気づくことができず、苦の人生をさ迷うってしまう。救われるには、その仏性に気づき、仏と同じ命を生きていることに気づけばよいのだと・・・。 

       

      髪中の譬え

      妙法蓮華経安楽行品第十四に出てくる譬え話しです。

      物語

      非常に強いある国の王が、命令に従わない多くの小国を次々と討伐しました。その戦いで手柄があった武将には、領地や衣服や宝石などを褒美として与えましたが、自分の髪に結ってあった明珠の飾りだけは、与えませんでした。

      なぜならば、それはたった一つしかない最上の宝なので、もしむやみにこれを与えたら、王の一族が驚き怪しむだろうと考えたからです。

      しかし、くらべもののないようなすごい手柄を立てた者がいたら、おしげもなく髪に結ってあった明珠のを与えるでしょう。

      解説

      この譬えは、法華経が難信難解なので、機根ない人に無闇に説いては行けませんよ。しかし、機根ができれば、おしげもなく法華経を説きなさい。ということの譬えです。

      つまり、仏は、禅定と智慧で法の国を治める王です。菩薩達が、衆生を教化して仏道に入ると、 無漏(迷いがなくなる)や根力(精進の力)や涅槃(煩悩を滅する)などを褒美として与えます、 そして、菩薩達が仏法にたいする迷いをなくし、しかも信心が固くて大丈夫だと見極めたら、はじめて法華経を説くのです。

       

      良医の譬え

      妙法蓮華経如来寿量品第十六に出てくる譬え話しです。

      物語

      ある所にどんな病気でも治す名医がいました。 また、その医師にはたくさんの子供がありました。 ある時、用があって、他国へ出かけました。

      その留守中に子供達は、したい放題の生活をして、間違って毒薬を飲んで、地べたにころげ回って、苦しがっていました。 そこへ、突然、父が帰って、その状態を見て、良く効く薬を作り、子供達へ与えました。

      何人かの子供は、その薬を飲んで治りましたが、ほとんどの子供達は、飲みませんでした。 なぜかというと、本心を失っている子供達には、その薬が良い薬と思えなかったのです。そこで、父は、何とか子供達に薬を飲まそうと、ある方法を考え、子供達に告げました。

      『私は年をとって、体が弱り、あまりさきが長くない。それなのにまた用があって他国へ出かけなければならないのだ』と良薬を置いて、旅たって行きました。 そして、旅先から使いをやって『父上は、お亡くなりになりました』と告げさせたのです。

      それを聞いた子供達は、大変驚き、悲しみましたが、逆に本心を失っている子供は、ハッと目を覚ましたのです。そして、良薬を飲み、毒による病は治りました。 そして、そこに父が旅先から帰ってきて子供達のまえに姿を表したのです。

      解説

      この譬えは、仏の神髄を説いたものです。どこが、神髄なんだって声がきこえますが・・・。

      まず、医師はお釈迦さまで、子供達は私達衆生です。そして、良薬は法華経です。 お釈迦さまは、序品から寿量品まで『生身の釈迦』が、実は、『法身の釈迦』でもあるのだ・・・と、手を変え品を変え述べているのです。

      そして、『生身の釈迦』が入滅するのは、私達衆生を教化するための方便で、本当は滅度したのではなく、『法身の釈迦』として、いつでもどこにでも、私達衆生のために法(法華経)を説いているのだと、明らかにされたのです。

      つまり、仏の神髄は、『法身の釈迦』としての、いつでもどこにでも、私達衆生のために法を説いている『永遠の命』だったわけです。

      そして、その法とは、すべての人が正しい生活(法華経の実践)をしていけば、世界が大調和し、すべての人が幸せになれるということらしい。

      だから、まず始めに自ら正しい生活を実践し、そして、あなたにも実践していただいて、みんなで幸せになりましょう・・・ということが、法華経の教えなのです。

       

    2024年11月16日土曜日

    法華経プロローグ

    「法華経のあらまし」を読む前の予備知識「法華経概説」をシリーズにしました。

    一気にお読みください!

    読み終わったら、最後の「法華経あらまし」リンクをクリック!!

     

     法華経ってなに?

    ここにブログとして『法華経』を取り上げます。
    そこで、超簡単に『法華経』を紹介させていただきます。
    『法華経』は、ずばり! お経です・・・。お経は、お釈迦さまの教えです。
    お経は、沢山あり、なぜ『法華経』かと言われれば、たまたまご縁があったってことでしょうか・・・。
    さて、この『法華経』は、28の章(品)から成り立っていて、16章の「如来寿量品」が『法華経』の真髄とされています。
    そこには、「法身の釈迦」について説かれています。「法身の釈迦」とは、人間の釈迦ではなく、時空のあらゆるところに存在し、真理(法華経)を説く釈迦のことです。
    もう少し、わかりやすく言うと、過去未来、宇宙全体のいつでもどこにでも存在して、真理(法華経)を説く存在です。
    ごく普通の人は、そんな馬鹿な! と、まず思うでしょう。でも、そうらしいのです。とにかく、理屈でなく、信じることから、始まるらしい・・・。
    どんな、真理(法華経)なのかは、これからが、本テーマへと続きます。ご期待ください!

     

    なぜ法華経なのか?

    なぜ法華経なのか? と問われれば、たまたま、そうとしか言えませんが・・・。しかし、この法華経の凄いところは、実践の書というところです。
    他のお経や宗教は、単に、拝んだり、祈っただけで御利益があるって感じですが・・・。法華経は違います。法華経に書かれている教えを実行しなさい。そうすれば、「必ず幸せになれます」よ、と云う教えです。
    この「必ず幸せになれます」ってところが凄いところです。つまり、法華経の教えを実践すれば・・・。貧乏な人、犯罪者の人、極悪人の人、また、お金持ちでも心の貧しい人、偽善者の人、善良だけど運の悪い人などなどでも、100%幸せになることが出来ると書かれているらしいのです。
    どうですか、そろそろ、法華経には、どんな事が書かれているか知りたくなって来たでしょう。あせらず、じっくり、行きましょう。では、続きをお楽しみに・・・。

     

    法華経のルーツ

    お釈迦さまがお説きになったお経は、約1700種あると云われていますが・・・。実は、直筆のものは無いそうです。
    この沢山のお経は、お釈迦さまの弟子達が、お釈迦さまが亡くなってから、編集したもので、法華経も仏滅後400~600年後に編集されました。
    その後、インドに留学していた鳩摩羅什が中国に持ち帰り翻訳し、天台大師に引き継がれます。また、同時期に日本にも伝わり聖徳太子が「十七条の憲法」を法華経をもとに作ったとされています。
    その後、奈良朝の終わり頃、最澄が天台宗を日本にも起こし・・・。鎌倉時代に法華経のエース、日蓮が登場し、法華経を元に日蓮宗を起こします。
    まぁ、簡単ですがこんなところです。尚、鳩摩羅什、天台大師、聖徳太子、最澄、日蓮は、仏教界では、大谷翔平級の人達です。

     

    法華経の誕生秘話

    法華経の教えが説かれたのは、お釈迦さまの晩年、すなわち亡くなる前の8年間であることが、法華経の本文からうかがい知ることができます。
    ところが、経典として出現したのは、仏滅後、400~600年ぐらいと推定されています。
    なぜ、こんなに経ってから法華経が成立したのでしょうか・・・。それは、今もよくある宗教論争が、当時もあったのです。
    仏滅後、お釈迦さまの教えを一字一句守ろうとする保守派(小乗)と教えの精神こそ守るべきとする進歩派(大乗)の対立でした。
    もともと、争いをなくし、みんなが幸せになるという、お釈迦さまの教えが原因で、逆に争いが起こることに疑問をもった良識派(一乗)が、大乗も小乗もなくすべてが一乗なのだという精神のもとに、お釈迦さまの晩年の教えを法華経としてまとめました。
    そう、ここに法華経が誕生したのです!
    つまり、法華経こそが、すべての教えを包み込む性質をもったお経として誕生したのです。

     

    法華経(仏教)を解き明かす『3』という謎の数とは?

    法華経を読んでいると、なにかと3つが組みになっているキーワードに遭遇します。
    智慧系慈悲系行徳系
    文殊菩薩弥勒菩薩普賢菩薩
    多宝如来釈迦如来阿弥陀如来



    法身
    応身報身
    如来の室
    如来の衣如来の座
    諸行無常
    諸法無我
    涅槃寂静
    声聞
    縁覚
    菩薩
    四諦
    十二因縁
    六波羅蜜
    小乗
    大乗
    一乗
    無量義経
    法華経
    懺悔経
    縁起の法永遠の命法の実践
    呼ばれたら返事、ハイ!朝の挨拶、おはよう!脱いだ靴は、そろえるよ!
    法布施財布施身布施
    敬供養利供養行供養
    自分が変れば相手が変るまずは人様すべては自分
    そして、それらのイメージが自然と、智慧系、慈悲系、行徳系に分類されるのです。 また、法華経の前半を智慧系が、中程を慈悲系が、後半が行徳系のくだりになっているのです。
    どうも、この3つの系が一体化されたものを釈尊は、悟られたのかなぁと思う次第です。 まだ、未消化気味の内容の文章ですが、これからも考察していきたいと思う次第です。

     

    法華経の教え

    法華経の教えとは
    悟ればこの身がすなわち仏であり、みんなが悟ればすなわちこの世が寂光土であるという教えです。
    仏はわれわれの心のなかにある、極楽はわれわれの日常生活のなかにあるという教えなのです。
    『新釈 法華三部経十巻』(著:庭野日敬) より


    ごく身近な心の中と日常生活の中にあるとは、まさにその通り、素晴らしい気づきだ!

     

    法華経ストーリーの流れ

    法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。
    また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品 第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。
    以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。

    • はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。

    • そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。

    • すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。

    • そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。

    • しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。

    • すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。

    • そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。

    • ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。

    • そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。

    • そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。

    • さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます。

    では、上記を踏まえて、各品毎のあらましにつづきます。


     

     

    2024年11月15日金曜日

    法華経あらましシリーズ(前半)

    ブログだと投函した順番が逆順になってしまうので、正順で読める様にしました。

    法華経あらまし前半1〜24品まで、一気にお読みください!

     

    法華経ストーリーの流れ

    法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。
    また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品 第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。
    以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。

    • はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。

    • そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。

    • すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。

    • そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。

    • しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。

    • すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。

    • そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。

    • ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。

    • そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。

    • そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。

    • さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます。

    では、上記を踏まえて、各品毎のあらましにつづきます。

     

    序品 第一(法華経のあらまし)

    序品は、文字通り法華経のプロローグです。舞台は、王舎城(おうしゃじょう)の霊鷲山(りょうじゅうせん)。まさに今、大オペラが始まろうとしています・・・。

    お釈迦さまの教えを聞こうと、沢山の人(弟子、菩薩、他教の神々、鬼神、動物等)が集まってきました。そして、その教えは、『無量義』という教えでした。その教えを説き終えれると、お釈迦さまは、三昧(瞑想)にお入りになりました。そして、しばらくすると、空から美しい花が降ってきて、お釈迦さまの眉間から光が出て、宇宙のあらゆる世界を照らしました。しかも、過去世の様子まで・・・。

    この光景を見ていた弥勒菩薩は、このことが、どういうことか、お釈迦さまへ聞きたかったのですが、三昧に入っていたので、代わりに文殊菩薩に聞きました。そして、文殊菩薩は答えました・・・。

    「わたしはかつて、過去の諸仏もとで修行をしていた遠い昔に、同じような奇跡を見た事があります。それは、日月燈明如来という仏がおられ、声聞には『四諦』を、縁覚には『十二因縁』を、菩薩には『六波羅蜜』を説かれました。また、そのつぎの時代にも別の仏が現れ、名は同じく日月燈明如来とよばれ、今度は、『無量義』を説かれ、三昧に入り、そして、『妙法蓮華経』をお説きになったのです・・・。まさに今、その時と同じ光景なのですよ!」

    とまぁ、こんな感じに展開していきます。そして、本品のポイントは、他教の神々や生きとし生けるものすべてに対して説かれたこと。また、眉間からの光が時空を超えてすべてのものにとどいたこと。つまり、法華経は、あらゆるものに通じる真理を象徴しています。

     

    方便品 第二(法華経のあらまし)

    序品第一で三昧に入られていたお釈迦さまが目を開け、そして起き上がり、弟子の舎利弗に告げはじめました。

    「もろもろの仏が悟った智慧は、深遠で大変難しく、舎利弗をはじめとする皆さんには到底理解することができません。もし、お話ししても、皆さんの頭が混乱するだけなので、説くのはやめましょう。」



    しかし、舎利弗は余計に聞きたくなり、再度、説いてくださいとお願いしましたが、やはり、駄目で、三度目でやっと、それほど云うならと説法をお話し始めました。(これが有名な三止三請です。)

    すると、今までお釈迦さまの教えを聞いて、自分はもう悟っていると思っている弟子達五千人が、いまさら新たな教えなど聞き耳もちませんとその場を退場していきました。

    すると、お釈迦さまは、その弟子達を止めもせず、あらためて、舎利弗へこの教えを聞くに相応しい人だけ残りましたと説法をお話し始めました。

    しかし、この品では、肝心の法華経については、至らず、さわりで、因果の法則(十如是)や方便についてお話しになりました。

    十如是は、相、性、体、力、作、因、縁、果、報、がすべて等しいことであるとする法門で、諸法実相とも云います、あとで詳しく説明を致します。

    また、方便は、正しい手段のことで、それぞれの人に、その時、その場所により、無数の教えを今まで説いてきましたが、実は、ある一つの教え(真理)がすべて元になっていて、そこに気づき、理解できれは、舎利弗をはじめとする皆さんも、仏になれますよ・・・。

    と、云う事で、方便品は終わり、『譬諭品 第三』へ続いていきます・・・。

     

    譬諭品 第三(法華経のあらまし)

    方便品で、お釈迦さまから、つぎのようなお言葉を承った舎利弗は・・・。

    『無数の方便で、それぞれの人にふさわしい、適切な道によって教えが説かれ、そして、ある一つの真理を会得すれば、舎利弗をはじめとするすべての皆さんも仏になることが出来ますよ。』

    これを聞いて、自分も仏になれるのだと大変喜びました。そこで、舎利弗は「ある一つの真理」とはどんなものでしょうかと、お釈迦さまへおうかがいしました。すると、お釈迦さまは、『三車火宅の譬え』をお話し始めたのです。

    『三車火宅の譬え』をお話し終えたお釈迦さまは、今まで無数の方便の尊い教えを説いてきましたが、実はそれは、ただ唯一の一番尊い真理を説いていたのです・・・。
    ということで、法華経の神髄は、まだ、語られず、信解品へ続くことになります。

     

    信解品 第四(法華経のあらまし)

    譬諭品 第三で、お釈迦さまから『舎利弗をはじめとするすべての皆さんも仏になることが出来ますよ』と聞いた、慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目ケン連の4人は、われわれも仏になれると大喜びして、我々が理解した内容を譬えにして申し上げますと『長者窮子の譬え』を語り始めました・・・。

    尚、信解品の「信」とは、感情(行)のはたらきです。「解」とは、理性(学)のはたらきです。そう、信仰に対して、この両方がかね備わってこないと、なかなか「ある一つの真理」を会得することが難しいみたいです・・・。

     

    薬草諭品 第五(法華経のあらまし)

    信解品 第四で、摩訶迦葉らから『長者窮子の譬え』を聞いた、お釈迦さまは、「よろしい、よく分かってくれました。しかし、如来は、もっともっと計り知れないほどの功徳があるのです。如来は、一切の教えを知り、それを自由自在に支配するものです。そして、すべてのものごとの真相を明らかに究め尽くして、多くの衆生にたいして、その一切を知るものの智慧を示されるのであります・・・。」と、続いて『薬草の譬え』をお説きになりました。

     

    授記品 第六(法華経のあらまし)

    この品は、『信解品 第四』で、仏の教えについて理解した内容を『長者窮子の譬え』にして申し上げた、慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目ケン連らが、『薬草諭品 第五』『薬草の譬え』を聞き、ますます、教えを深め、そして、そのことに対して、お釈迦様が、仏法を理解したこと認め、あなた方も仏になれますよと、授記されます。

    授記とは保証のことで、保証にはいつも条件があり、それは、これからも行学二道の研修に励み、多くの人々を仏道に導いた後・・・、ということです。つまり、これからが大事で、理解した仏法を実践してくださいってことです。

     

    化城諭品 第七(法華経のあらまし)

    はるかなる大昔に、大通智勝如来という仏さまがおられました。この仏さまには、出家するまえに16人の子供がいました。16人の子供は、みな父上を見習って法華経を説くために仏さまになりました。そして、16番目の仏さまが娑婆国担当の釈迦牟尼仏でありました。

    釈迦牟尼仏ことお釈迦さまは、過去世に法華経の教えによって教化した衆生たちこそ、いまの弟子たち及び未来世の信者(現在の我々)に他ならないことを、明らかにしました。

    真に悟りを得る道は2つあるものでは、ありません。ただ一つ法華経の教えがあるのみです。しかし、五官の欲にとらわれて、みずから苦しみを招いている人もいますので、そういう人達のために、とりあえず、迷いを除いて、心に安心を得るようにみちびいてあげるのです、と。このことを譬え話で説明いたしましょうと『化城宝処の譬え』を説かれ始めます・・・。

     

    五百弟子受記品 第八(法華経のあらまし)

    この品は、お釈迦さまが富楼那(フルナ)をはじめとする5百人の弟子(阿羅漢)に成仏の保証(受記)されます。
    阿羅漢たちは、受記されるにいたった悟ったことを『衣裏繋珠の譬え』にして、申し上げました。

    この譬え話が終わると、「お釈迦さまも、この友人のようなお方です。まだ菩薩であられたころ、私たちに、『だれしも仏性が具わっているのだから、修行して仏の悟りをひらくように』と教えてくださってのですが、私たちの心は眠りこけていて、そのことを知らず、ただ煩悩を除くことだけで、それが最上の悟りだと思い込んでおりました。

    今、ここに、お釈迦さまは私どもの目をさまさせてくださいました。と心からお礼を申し上げるのでした・・・。

     

    授学無学人記品 第九(法華経のあらまし)

    この品は、前品の『五百弟子受記品 第八』で 五百人を受記(仏に成れる保証)されましたが、さらに、『授学無学人記品第九』では、阿難(アナン)羅ご羅(ラゴラ)を始めとする授学無学人の二千人を受記されます。

    さて、この阿難と羅ご羅ですが、ブッダ十大弟子でありながら、一番最後に受記されました。
    どうしてかと言うと、この2人、実は、お釈迦様の従弟と実子(長男)で、いかに身内の者を教化することが難しいかということと、お釈迦様の身内に生まれたことの強い因縁があったと言われています。

    阿難は、「多聞第一」といわれ、当時、いまでは考えられないほどの男尊女卑の時代に比丘尼教団を作ってしまった人です。どうしてかと言うと、女の人が沢山慕ってくるほどの美男子だったようです。

    羅ご羅は、「密行第一」といわれ、人の見ていないところでも常に慈悲のある正しい行いをし、また、高い境地にいながらも、決してそれを表に出すことなく陰徳を積んだとされています。

    そして、この2人の受記が終わると他の授学無学の二千人を受記されます。
    ちなみに、ここでいう無学とは、学が無いという意味でなく、もう学ぶことが無いと言う意味です。
    で、結局この品は、方便品 第二から始まった受記がすべて完了したと言うことでしょうか・・・、ブッダ教団は皆、菩薩になりました。

     

    法師品 第十(法華経のあらまし)

    ほとんどの弟子を受記されたお釈迦さまは、今度は薬王菩薩をはじめとする八万の菩薩に告げ始めました。

    「法華経の一偈ー句を聞いて、一瞬の間でも有りがたいと思う者があれば、その人に悟りを得る保証を与えましょう。」「法華経の一偈ー句でも受持・読・誦・解説・書写し(五種法師)、感謝を捧げる人が、仏になれる人であると答えましょう」

    そして、すべての教えの中で『法華経』が第一であると宣言されました。

    また、お釈迦さまは、『法華経』を説くときに、「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して説くのです。如来の室とは大慈悲心です。如来の衣とは柔和忍辱の心です。如来の座とは一切は空であり、すべての人間は平等に生かされているという、根本真理です。この大慈悲心と、柔和忍辱の心と、平等心を胸にしっかりと持ちつづけて、広くこの経を説きなさい」と教えられました。

     

    見宝塔品 第十一(法華経のあらまし)

    序品第一から前回の法師品第十までは、第一幕で、この品から、第二幕の始まりになります。
    第一幕の舞台は、王舎城(おうしゃじょう)の霊鷲山(りょうじゅうせん)でしたが、この第二幕からは、霊鷲山の上空にいきなりなってしまいます。

    どういうことかと言うと、大地から東京タワーのような塔がいきなり湧き出して来て、中から『お釈迦さまの説く法華経は、すべて真実です』という大きな声が聞こえてきました。

    不思議に思った大楽説菩薩は、お釈迦さまに、中には何方がいるのですかとお尋ねすると、『如来の全身である多宝如来です』とお答えになりました。

    そして、多宝如来が塔の中にお釈迦さまを招き入れ、一つの椅子に2人並んでお座りになりました。すると弟子達もその近くまで行きたいと思うと同時に、それを察知したお釈迦さまが、神通力で弟子達を虚空(上空)へ引き上げられました。

    と、こんな感じで大スペクタルが展開していきます。これから先は、とうぶん虚空が舞台になります。
    で、結局、この品はどういうことかと言うと、大地が人の比喩で、塔が仏性の比喩で、多宝如来が真理の比喩で、要は、法華経を授受すると、人は皆、本来持っている仏性が塔のように現れ、その中に真理が宿っている・・・。ということらしい・・・.。

    そして、お釈迦さまがお説きになった法華経が、多宝如来によって真理であると証明されました。しかし、根拠がイマイチ謎ですが・・・。

     

    堤婆達多品 第十二(法華経のあらまし)

    法華経は、正しい行いをしていけば、すべての人が幸せ(成仏)になれるという教えです。
    すべての人ですから、当然、悪い人も女の人も正しい行いをしていけば、成仏できるわけです。
    なぜ、悪人と女性を同等に扱っているかと言うと、『提婆達多品第十二』のテーマが『悪人成仏 & 女人成仏』なのです。
    悪人成仏は、極悪人である提婆達多が主人公で語られ、女人成仏は、8才の竜女が主人公で語られます。


    悪人成仏


    お釈迦さまは、前世において、阿私陀(あしだ)と言う仙人に法華経を教わったとお話しになりました。
    その阿私陀は、現世において、お釈迦さまの命を狙ったり、いろいろ悪いことした提婆達多のことだと明らかにされました。
    しかし、その提婆達多も長い間修行をすれば、仏の悟りを得られるでしょう、と授記されました。
    そして、お釈迦さまも極悪人の提婆達多が、実は『善知識』だったお蔭様で成仏できたとお明かしになりました。
    生きていくうちには、良い縁ばかりではありません。そう、もちろん悪い縁(逆縁)もあります。本品は、如何に逆縁に遭遇したときに、それを人間的成長の糧として消化していくことの大切さを教えてくださっています。


    女人成仏


    文殊菩薩から教化された竜女が、即座に悟りを得ますが、舎利弗はそんなことがあるはず無いと信じません・・・、でも結果的には信じざるをえなくなります。
    しかし、竜女はそのままでは、成仏出来ず、男性に変身して成仏するのです。法華経では、『変成男子』とあります。また、梵本では、『女性の生殖器が消え、男性の生殖器が生じる』とあるそうです。
    なんで、女性のまま成仏ができないのか・・・謎だ。ブッダの時代は、よほど女性の地位が低い時代だったのかなぁ・・・。
    とにかく、ブッダの時代は、女性のまま成仏するなど、とんでもないと思われていた時代だったようです。現代でもまだ、なごりはありますよね・・・。
    そして、すべての人を平等に救う教えの法華経だからこそ、女性までもが成仏できるというのはごく当然のことなのです。どんなに女性蔑視の時代にも・・・。つまり、法華経こそが、女性の味方の経典なのです。(ここにもってこれて良かった・・・。)

     

    勧持品 第十三(法華経のあらまし)

    この品には、いかなる困難にも耐えて忍んで、『法華経』を勧め、受持することが述べられています。

    はじめに、お釈迦さまへ薬王菩薩と大楽説菩薩をはじめ、先に授記された8千人の比丘たちが、お釈迦さまが入滅されても、この『法華経』を受持し、学び、人々のために説き広めましょうと申し述べました。

    つぎに、お釈迦さまは、突然ですが、叔母(摩訶波闍波提比丘尼)と妻(耶輸陀羅比丘尼)を授記します。先に堤婆達多品で竜女を授記していますが、これは、身近な者や教養の高い人ほど『法華経』を受持するのが難しいことを表しています。

    で、この品のポイントですが、法華経が、正しいがゆえに迫害や謗り辱めを受けやすく、それを忍辱の鎧を着て忍び、この教えを説き広めるという一大事のために、あらゆる困難に耐えましょう。ということらしい・・・。

     

    安楽行品 第十四(法華経のあらまし)

    この品は、文殊菩薩がお釈迦さまへ末法の世で法華経を護持し、説き広める心がけをおたずねになりました。
    するとお釈迦さまは、自分の行いと人々との交際についての心構え(身安楽行)、ことばについての戒め(口安楽行)、心の持ち方についての戒め(意安楽行)、理想の実現に対する努力のしかた(誓願安楽行)、の四つの心がけを教えられます。
    そして、髪中の譬えで法華経がどんなにすぐれた教えであるのかを力説し、四安楽行を完全に行って、この教えを広める者の功徳について以下のようにお説きになりました。

    • 一切心配事がなくなる。
    • 一切苦痛がなくなる。
    • 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
    • 生活にこまることがなくなる。
    • 大勢の人から崇め慕われる。
    • 神からも守護される。
    • いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
    • 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまうでしょう。

    上記のことは、当然、四つの心がけある以下の四安楽行を実践できている人が対象です。

    身安楽行

    いつも柔和忍辱をたもち、権力や邪法や勝負事には近寄らず、性的なことには最善の注意を払う、などなど。

    口安楽行

    悪口や見下すような言葉、批判、また、あの人は好きだとか嫌いだとか、などなど。

    意安楽行

    嫉妬の心を持たないようにしたり、人を軽んじたり、失望させたり、えこひいきなどをしない、などなど。

    誓願安楽行

    すべての人をこの法華経によって幸せにしたいと誓願すること、などなど。
    そして、次の従地涌出品第十五から如来寿量品第十六で法華経の神髄が述べられます。ご期待ください!

     

     

    法華経あらましシリーズ(後半)

    ブログだと投函した順番が逆順になってしまうので、正順で読める様にしました。

    法華経あらまし後半15〜28品まで、一気にお読みください!

     

    従地涌出品 第十五(法華経のあらまし)

    他の世界からやって来た菩薩達が、仏の滅後に娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。
    しかし、お釈迦さま、そのお申し出を次のようにお断りになりました。
    「尊き志をもつ菩薩達よ。その必要はないのです。なぜなら娑婆世界には、あなた方の数をはるかに凌ぐ六萬恒河沙の菩薩がおり、その一人一人の菩薩にも六萬恒河沙の眷族がおり、彼らこそがこの地において法華経を護り、教えを広める使命を持つからなのです。」
    この言葉が終わるやいなや大地は激しく振動して裂け、そこから計り知れない数の菩薩達が現れました。その姿はみなお釈迦さまと同様に三十二相という尊い人相をそなえ、全身は金色に輝き、光を放っていました。
    この菩薩たちは、娑婆世界の下の虚空に住んでいたのですが、お釈迦さまのお説になったお言葉に応じて大地から湧き出してみもとに参ったのです。
    その中に四人の大導師がおられました。その名を上行(じょうぎょう)菩薩・無辺行(むへんぎょう)菩薩・浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行(あんりゅうぎょう)菩薩といいました。(四弘誓願を参照のこと)
    で、この光景をみていた古参の弥勒菩薩等は、どうも納得がいきません。お釈迦さまは、どうやって短い間にこれだけの沢山の菩薩達を教化されたのか・・・。
    と云う感じで、その疑問は、そのまま法華経の神髄を解き明かすキーワードとして、「如来寿量品 第十六」へ引き続くことになります・・・。

     

    如来寿量品 第十六(法華経のあらまし)

    従地涌出品での疑問:『お釈迦さまは、どうやって短い間にこれだけの沢山の菩薩達を教化されたのか?』
    答えのポイントは、輪廻です。答えは、良医の譬えの解説を参照願います。

    そう、『すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。』

    これが、法華経を毎日読誦して感じた、今のレベルでの私の法華経感です。
    とにかく、仏は『永遠の命』こと『仏寿無量』で、これを信じきることが出来るか出来ないかが、法華経を理解するキーになるようです。

     

    分別功徳品 第十七(法華経のあらまし)

    この17番から28番までが、流通分と云われ、法華経を実践すれば、大変素晴らしい功徳のあることが説かれています。
    この分別功徳品では、とにかく『仏寿無量(永遠の命)』を信解すれば、ものすごく大きな功徳があると説かれています。
    たとえば、以下の感じです。
    80万億那由他劫という長い長い間、五波羅蜜(六波羅蜜から智慧を除く)を行じてえる功徳は、大変なものですが、しかしそれでも、『仏寿無量』をほんの一念にでも信解することよって得られる功徳とくらべると、その百千万億分一にも及ばないそうです。つまり、『仏寿無量』の信解の方が百千万億倍も功徳があるのです。
    ホントかよって感じですが、もしホントなら、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。

     

    随喜功徳品 第十八(法華経のあらまし)

    この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。
    たとえば、法華経の伝言ゲームで、50番目の人が一偈でも信解したならば、その功徳は、宇宙のあらゆる生あるものに物質的&精神的に布施した功徳より大きいと・・・。
    また、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
    信じることから始まるらしい・・・。

     

    法師功徳品 第十九(法華経のあらまし)

    この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。
    もし信仰心の深い男女が、法華経を信じ、読誦し、解説し、書写したとしましょう。その人は、以下のような功徳を得ることが出来るのです。

    • 『八百の眼の功徳』
    • 『千二百の耳の功徳』
    • 『八百の鼻の功徳』
    • 『千二百の舌の功徳』
    • 『八百の身の功徳』
    • 『千二百の意の功徳』


    その功徳をもって、すべての感覚・知覚器官の作用を美しく。清らかなものにするでありましょう・・・と。
    またまた、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
    信じることから始まるらしい・・・。

     

    常不軽菩薩品 第二十(法華経のあらまし)

    仏の教えが形式化、そして、形骸化された時代に一人の菩薩がいました。その菩薩は、会う人ごとに、会う人ごとに、『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と言って賛嘆するのでした。
    ところが、大勢の中にはそんなことを言われて腹を立て、石や瓦を投げつける者がいました。
    すると、菩薩は走って逃げ、遠くのほうからまた同じセリフ『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と、大声で唱えるのでした。
    そして、菩薩は一生の間、この行を続けたのです。すると、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)が清浄となって、虚空の中からひびいてくる声を聞くように法華経を自得したのです。
    すると、寿命が2百万億那由他歳になり、広く人々のためにその法華経の教えを説きました。
    で、解説です。この常不軽菩薩品では以下の3つがポイントです。

    • 真心から行じた、ただ一つの礼拝行だけでも実に尊いことで、それが救いの道に入る第一歩になる。
    • 逆に言うと、形式だけをいかに多く行じても真心から行じないと無価値である。
    • 仏性を礼拝することは、あらゆる人間の中にある仏性を認めることである。


    あぁ、雨にも負けず風にも負けず、私は、常不軽菩薩でありたい・・・。

     

    如来神力品 第二十一(法華経のあらまし)

    この神力品は、法華経の総まとめの品と云われています。しかし、普通に(浅く)読むと、とてもそうとは思えません。舌を出したり、光を出したり、咳をしたり、指パッチをしたり・・・とか、そのどこが、神力なのだと思うわけです。また、仏なら神力でなくて仏力だろ・・・とか。だけど、それには、以下の意味があるらしい。

    しかし、その前に復習です。法華経は、前半が『方便品』を中心とした智慧の教え(迹門の教え)で、後半は『寿量品』を中心とした慈悲の教え(本門の教え)です。これは、前半(迹門)と後半(本門)が別々のように思えてしまいますが・・・、実は・・・。

    • 『舌を出したり』とは、インドでは、自分の言ったことは真実であると云うことで、迹門を信じても、本門を信じても、実は一つなのだという象徴。(出広長舌)
    • 『光を出したり』とは、迷いの闇を打ち破ることで、迹門の原理も、本門の原理も、実は一つなのだという象徴。(毛孔放光)
    • 『咳をしたり』とは、声を出し教えを説く象徴のことで、迹門の教えも、本門の教えも、実は一つなのだという象徴。(一時謦がい)
    • 『指パッチをしたり』とは、インドでは承知しましたと云う事で、迹門の教えを広めることを承知した人も、本門の教えを広めることを承知した人も、実は一つなのだという象徴。(倶共弾指)

    このように如来(釈尊と菩薩)が『一時謦がい』『倶共弾指』をしたら以下のようなことが起こりました。

    • 天地のあらゆるもの心が感動した。(六種地動)
    • 普くすべてのものがこの大会を見ることができた。(普見大会)
    • 諸天善神が法華経を説いた釈尊を供養すべしと空中から唱声した。(空中唱声)
    • 空中唱声を聞いて、必ずすべての人が釈尊に帰命する。(感皆帰命)
    • 花、香、瓔珞等が美しい帳に変じて如来の上に覆った。(遥散諸物)
    • すると、宇宙空間(十方世界)が一つの仏土になった。(通一仏土)

    そして、この

    1. 出広長舌
    2. 毛孔放光
    3. 一時謦がい
    4. 倶共弾指
    5. 六種地動
    6. 普見大会
    7. 空中唱声
    8. 感皆帰命
    9. 遥散諸物
    10. 通一仏土


    これが、『如来の十大神力』と云われています。

    そして、この『如来の十大神力』を踏まえ、法華経の総まとめの句がつぎに示されます。

    『如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘蔵の蔵・如来の一切の甚深の事・皆此の経に於て宣示顕説す。』

    とにかく、如来の一切の『正法』『衆生救済力』『秘密の教え』『修行の実践方法』が、すべてこの法華経に注ぎ込んでいると宣言しているのです・・・。あぁ、なんて有り難い、合掌。

     

    嘱累品 第二十二(法華経のあらまし)

    釈尊は、法座より起き上がり、菩薩達の頭を撫ぜながら、この法華経の広宣流布を託します。と述べられ、とりあえず、この品で法華経は、ひとまず終わりを迎えます。

    では、後の薬王菩薩本事品から普賢菩薩勧発品までは、何かというと、
    一編一編が一つの短編ストーリーになっていて法華経実践の大切さを説いています。まぁ、法華経の駄目押しですかね・・・。 

     

    薬王菩薩本事品 第二十三(法華経のあらまし)

    薬王菩薩の沢山の前世のお話で、体を燃やしたり、両腕を燃やしたりして仏を供養したお話です・・・。
    ・・・その時、宿王華菩薩が釈尊におたずねになりました。
    『薬王菩薩というお方は、どのようにして、大変素晴らしい働きがおできになるようになったのでしょうか・・・・・・そのことを知ったら、みんな歓喜することでございましょう!』
    その問いにたいして釈尊は、次のようにお答えになりました。
    『遠い遠い昔、日月淨明徳如来という仏さまがいました。仏さまは、一切衆生憙見菩薩をはじめとするもろもろの菩薩、声聞に法華経の教えをお説きになりました。』
    『すると一切衆生憙見菩薩は、法華経を1万2千年の間、一心に修行して、高い境地に達し、大いに歓喜し、仏恩にお報いする大きな力を得て、一切衆生を救いたいと思い、日月淨明徳如来と法華経を供養するため、自分自身に火をつけ、80億恒河沙の広い世界の普く闇を照らし出したのです。』
    『燃え尽きて、一度亡くなった一切衆生憙見菩薩ですが、再度、生まれてきて、今度は、両腕を燃やして供養しました・・・とさ・・・。』
    『さて、あなたは、どう思いますか。この一切衆生憙見菩薩は、ほかでもありません、今の薬王菩薩の前身なのです・・・』
    ここで解説です。
    とにかく、法華経の実践には、いろいろありますが、中でも身の布施が一番尊いということの本事です。
    ちなみに、本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。
    そして、釈尊は宿王華菩薩へ法華経の実践の功徳を『十二論の利益』の譬えにしておおせになりました。

    1、池の清らかな水を飲んで、喉の渇いた者が満足するように。
    2、寒さに震えていた人が、暖かい火を得て生き返ったように。
    3、裸の人が、着物をえたるがように。
    4、商人が、主のものをえたるがように。
    5、子が、母をえたるがように。
    6、渡りに、船をえたるがように。
    7、病に、良い医者をえたるがように。
    8、暗に、灯火をえたるがように。
    9、貧乏に、宝をえたるがように。
    10、民に、王をえたるがように。
    11、貿易者に、平穏な海路をえたるがように。
    12、たいまつの灯かりが、暗を除くように。

    とにかく、法華経を実践すると、何かと、事(お手配)がスムーズに行くのですよ・・・いや、ホントに不思議や!
    そうそう、この品には、念仏で有名な阿弥陀仏が登場します。
    『仏滅後、5百歳の中の世に、もし女人があってこの経典を聞いて修行したならば、その世の生を終えた後、阿弥陀仏のいる安楽世界の蓮華の寶座の上に生まれ変わるでしょう!』
    なぜ、女人なのかは、謎ですが・・・。
     
     

    妙音菩薩品 第二十四(法華経のあらまし)

    理想の世界からやって来た妙音菩薩のお話です・・・。
    ・・・釈尊は、突然、眉間から光を出し、宇宙のあらゆる世界を照らしました。
    すると、淨光荘厳という理想の世界いる三昧神通力を具えられた妙音菩薩がそれを察知し、この光から、非常に徳の高い方と分かりましたので、娑婆という現実の世界へ、釈尊(仏)と法華経(法)と菩薩達(僧)を供養しにやって来たのでした。
    妙音菩薩は、過去世に一万2千年間、美しい音楽(プラス言葉で仏を称える)を奏し、8万4千の数(経典数)の七宝の鉢をささげ、仏を供養しました。
    その結果、淨光荘厳という理想世界に生まれ変わり、三昧神通力と三十四身を得たのです。
    ここで解説です。
    理想世界は、もちろん尊いものですが、あくまでも頭の中で考えられている間は、その価値が生きてきません。それを現実世界の生活の中に一つ一つ実現していくことにこそ、本当の価値がいきてくるのです。
    そして、つまるところ、この品は、理想世界の代表である妙音菩薩が、現実世界での理想世界具現者:釈尊を讃嘆しているのです。

        理想は、それを一歩ずつでも現実化してこそ尊いのである。

    ちなみに、妙音菩薩は身長が4万2千由旬です。これをキロメートルにすると・・・。・・・一由旬が約四十里で、一里が約3.9キロメートル、よって、42000*40*3.9 = 6552000で6百55万2千キロメートルもあります。驚きです。

    妙音菩薩の三十四身
    妙音菩薩は三十四身で自由自在に法を説きました。
    01.梵王/ 02.帝釈/ 03.自在天/ 04.大自在天/ 05.天大将軍/ 06毘沙門天/ 07.転輪聖王/ 08.諸の小王/ 09.長者/ 10.居士/ 11.宰官/ 12.婆羅門/ 13.比丘/ 14.比丘尼/ 15.優婆寒/ 16.優婆夷/ 17.長者の婦女/ 18.居士の婦女/ 19.宰官の婦女/ 20.婆羅門の婦女/ 21.童男/ 22.童女/ 23.天/ 24.龍/ 25.夜叉/ 26.乾闥婆/ 27.阿修羅/ 28.迦楼羅/ 29.緊那羅/ 30.摩羅伽/ 31.人/ 32.非人/ 33.苦難にあえぐ人 34.後宮の女身
     
     

    観世音菩薩普門品 第二十五(法華経のあらまし)

    観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・、実は、観世音菩薩みたいになりましょうということらしい・・・。
    ・・・南無観世音菩薩を唱えれば、三毒(貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ))、四苦(生・老・病・死)、七難(火難・水難・風難・剣難・鬼難・獄難・盗難)を滅し、さらに願う通りの子を得ることができるという・・・。
    しかし、こんな拝み信仰じゃ、いままで序品から説かれていた法華経は、なんだったのかということになりますね。これらの観音力は、確かにこの品に書かれています。でも、浅い理解なのです。
    本当は、無尽意菩薩が偉大な救済力(観音力)をもつ観世音菩薩を供養しようとして、瓔珞(首飾り)をさしあげましたが、しかし、受けとっても、首にかけず、それを2つにして、釈尊と多宝如来に捧げました。これは、偉大な救済力である観音力の元は、真理を教えられた釈尊と、その真理を証明された多宝如来のおかげであるということの表明なのです。
    つまり、救いの本質は、ある外側の力によって目の前の苦難から逃れることではなく、久遠実成の本仏のみ心に沿い、そこに周囲との調和がうまれ、みんなが救われることにあるのです。
    また、観世音菩薩普門品の観世音とは、世の人々の声(音)を見(観)分けることで、菩薩とは、手本として仰ぐべき方で、普門とは、相手に応じていろいろ姿(三十六身)をかえて、平等に真理の門に引き入れることです。
    とにかく、観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・ではなく、真に観世音菩薩を念じるとは、慈悲をもって苦しみあえぐ人の声(世音)を感知し聞き入れ(観)、観世音菩薩のようになりましょうということです。

    観世音菩薩の三十六身
    ちなみに、妙音菩薩は三十四身でしたが、観世音菩薩は三十六身で自由自在に法を説きました。数はあまり気にしなくてよく、とにかく、いろいろな人を救うために身を現じて法を説く、ということです。
    01.仏身/ 02.辟支仏/ 03.声聞/ 04.梵王/ 05.帝釈/ 06.自在天/ 07.大自在天/ 08.天大将軍/ 09毘沙門天/ 10.転輪聖王/ 11.小王/ 12.長者/ 13.居士/ 14.宰官/ 15.婆羅門/ 16.比丘/ 17.比丘尼/ 18.優婆寒/ 19.優婆夷/ 20.長者の婦女/ 21.居士の婦女/ 22.宰官の婦女/ 23.婆羅門の婦女/ 24.童男/ 25.童女/ 26.天/ 27.龍/ 28.夜叉/ 29.乾闥婆/ 30.阿修羅/ 31.迦楼羅/ 32.緊那羅/ 33.摩羅伽/ 34.人/ 35.非人/ 36.執金剛神

    陀羅尼品 第二十六(法華経のあらまし)

    薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天王、持国天王、十羅刹女等が法華経の説法者を守護するため呪文(神呪、陀羅尼)を唱えました。

    『あに まに まね ままね しれ しゃりて しゃみや しゃびたい せんて もくて もくたび しゃび あいしゃび そうび しゃび・・・・・・』


    この神呪は、神々の名もしくはその異称の呼びかけであるということです。また、神呪を唱えることにより、善をよく身にたもち、悪をおしとどめて、発しせしめない・・・とのことです。
    ではなぜ、法華経説法者の守護が必要なのかというと、法華経は真の善の教えなので、悪の教えや、見かけ上は善の教えの勢力などから迫害を受けやすいとのことです。
    そして、神呪に守られた法華経説法者に、迫害をくわえることは、神々に迫害を加えるのと同じで・・・後は推して知るべし・・・です。
    ちなにみ、毘沙門天王、持国天王は、他教(バラモン教)の神々で、羅刹女とは、鬼女のことです。つまり、他教の神々や鬼女までもが、法華経説法者の守護を願って、神呪を唱えてくれたのです。
    これは、法華経の教えが、万教をも包容し、また、鬼女たちをも平等に成仏させる力をもっていることの証しです。
    また、鬼女の中に鬼子母もいました。これは、法華経の主な登場人物の鬼子母と十羅刹女を参照願います。(しかし、鬼子母と十羅刹女・・・・・・どんなにやさしい女の人でも、たまに垣間見る性質のような気がします。やばい書いてしまった・・・)
    とにかく、陀羅尼(ダラニ)は、法華経説法者からみれば、いろいろ守護してくれる有り難い神呪なのです。合掌。
     
     

    妙荘巌王本事品 第二十七(法華経のあらまし)

    薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話で、王様の父を教化するお話です・・・。
    ・・・そのとき釈尊は、もろもろの大衆に薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話を語り始めました。


    はるかはるかな遠い大昔に、雲雷音宿王華如来という仏さまと妙荘巌王という王さまがいました。
    王さまの夫人は、淨徳と言い、また、淨蔵(前世の薬王)と淨眼(前世の薬上)と言う2人の王子がいました。
    淨蔵と淨眼は、六波羅蜜を行じ、仏教を信仰しておりました。
    しかし、王さまの父は、邪教を信仰しており、2人はなんとか正しい教えの仏教へ改宗してもらいたいと思っていました。
    そこで、2人は母に相談しました。すると母は、父へびっくりするような信仰の証しの奇跡をみせれば、改宗できるでしょうとアドバイスをされました。
    2人は母のアドバイス通りにいろいろな奇跡を父の前で演じ、父の妙荘巌王を改宗させました、とさ・・・。


    で、本品のポイントは、身近な家族の教化の難しさと、指導的立場の人(王様等)の教化の難しさで、それらの人を教化するには、法華経を頭で理解してもらうだけでなく、自ら身を持って示さなければならないということです。
    ちなみに、妙荘巌王本事品(みょうそうごんのう ほんじほん)の本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。

     

    普賢菩薩勧発品 第二十八(法華経のあらまし)

    最後の最後に大菩薩団を引き連れて娑婆世界に釈尊の説法を聞きに来た大物菩薩の普賢菩薩と釈尊(お釈迦さま)の問答です。
    はじめに、普賢菩薩はお釈迦さま(釈尊)へ『仏滅後、どうしたら法華経の真の功徳を得ることができるのでしょうか』とお尋ねになりました。
    すると、お釈迦さまは普賢菩薩へ、以下の『四法成就』、を実践すれば、真の功徳を得ることができましょう・・・と、お答えになりました。


    1. 諸仏に護念されているという絶対の信念を持つこと。(仏さまを信じきる)
    2. もろもろの徳の本(もと)を身に植えること。(いつも善い行いを心がける)
    3. 正しい教えを実践する人々の仲間にはいること。(正しい信仰者の仲間に入る)
    4. 一切衆生を救おうという心を起こすこと。(いつも人のために尽くす)

     

     それをうかがった普賢菩薩は、感激して次のように申し上げました、
    『法華経行者がどこにいても、六牙(六波羅蜜の象徴)の白象王(実践の象徴)にのって応援し守護したいと思います!』
    と、お釈迦さまの許可をえて、法華経行者を守護するために陀羅尼(神呪)を説きました。
     

    『あたんだい たんだはだい たんだはて たんだくしゃれ たんだしゅだれ しゅだれ しゅだれはち ぼっだはせんね さるばだらに・・・・・・』

     

    お釈迦さまは、満足そうにうなずかれ、今度は具体的な功徳についてのべられました。

    • 世俗的な楽しみを貪ったり、とらわれたりすることがなくなる。
    • 仏教以外の教えや本に、はまりこんでしまうことがなくなる。
    • また、その著者や悪人に心を奪われることがなくなる。
    • 肉屋、猟師、女色系の職業に、親しく近づくことがなくなる。
    • この人は、心が素直で、ものの考え方が常に真理に一致していて、福の徳で人を幸せにすることができる。
    • 貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ)の三毒に悩まされることが無い。
    • また、嫉妬・我慢・邪慢・増上慢に悩まされることが無い。
    • 少欲知足で普賢菩薩のように法華経の教えを行じられる。

    そして、この普賢菩薩勧発品の説法を聞いた無数の菩薩は、百千万億人に展転する善をすすめ悪をとどめる大きな教化の力を得て、普賢菩薩とおなじような、徹底した実践力を身に具えることができました。
    このようにして、ここに法華経のすべての教えを聞き終えた、普賢等の諸々の菩薩、舎利弗等の諸々の声聞、及び諸々の一切のギャラリーは歓喜し、仏語を受持し、お釈迦さまを礼拝し、去っていきました。
    ちなみに、普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつ かんぼっぽん)の勧発とは、元気づけとか励ましという意味です。
     
     

    法華経の神髄

    法華経をいろいろ勉強してまいりましたが、おぼろげながら、その神髄が見えてきました。

    それは、ズバリ! 『因縁果報(縁起)』と『正しい生活』です。

    要は、正しい生活をして(因)、良い(縁)が沢山出来、人生苦が消滅(果)して、幸せ(報)なる。

    そして、正しいとは、真理(法)にそった、とういうことです。

    人は、良因を積むことで、宇宙の調和と共振し、いつでもどこにでも、法身の釈迦を見ること、感じることが出来るようになる。

    すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。

    つまり、仏になっていくこと、言い換えれば法華経の実践こそが、宇宙の調和であり、世界平和実現の礎になる。とまぁ、法華経の神髄とは、こんなところですか、たぶん。