『一般的には、「一」には真理という意味はありません、しかし、法華経観では、すべての人は一つの乗り物(一乗)に乗っているいう真理があり、そこから「一」イコール「真理」となる』
と説明がありました。
つまり、正しいとは、真理が止まること、言い換えれば、真理がある状態らしい・・・。
正しい生活、正しい行い、正しい論理、正しい・・・は、真理がやどる・・・。
『一般的には、「一」には真理という意味はありません、しかし、法華経観では、すべての人は一つの乗り物(一乗)に乗っているいう真理があり、そこから「一」イコール「真理」となる』
と説明がありました。
『もうとっくにバスが来ている時間なのに、なんで来ないんだぁ!こんな時刻表などいるもんか!捨てちまえ!』
すると、連れ合いのおばあさんが言いました。
『おじいさんや、その時刻表がないと、バスがどれだけ遅れたかわかりませんよ・・・』
『人助けが出来てよかったですね。悩みに悩んだ人ほど・・・真理のすぐ傍にいるものです・・・。』
ん〜さすが・・・
ちなみに、『とある先生』とは、立正佼成会開祖の庭野日敬氏で、『とある人は』当時、佼成出版社の記者で、かつて三鷹教会長の岡部さんです。
『良いご縁を作ることです。』
法華経の教えとは
悟ればこの身がすなわち仏であり、みんなが悟ればすなわちこの世が寂光土であるという教えです。
仏はわれわれの心のなかにある、極楽はわれわれの日常生活のなかにあるという教えなのです。
『新釈 法華三部経十巻』(著:庭野日敬) より
悟れば、ごく身近な心の中と、日常生活の中にあるとは、まさにその通りだと思います。素晴らしい気づきですね!
人間の本質は、仏性であることを自覚し、自分と他人を分けて自己中心に考える「我」の心を取り除きながら、いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」と常に一体感を味わえる境地(成仏)にまで、絶えず向上の道を歩むこと。
まぁ、こんな感じです。『いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」』がつっこみどころかもしれませんが、とにかく、法華経的には、すべての人は「一つの大きな輝くいのち」に生かされていると説かれています。
働くことは、「自分はここに生きて、存在している」という事実を、自分に対して、そして周囲の人々や世の中に対して、はっきりと証明する行為なのです。そして、職場とは、さまざまな試練を通じて、自分を成長させるため、大チャンスなのですから。とにかく、リストラのことなど気にせずに、また子供のためにでもなく、自分の成長のために…働くんだと!
大事なので、もう一度書きますね『自分の成長のために働くんだと!』
- 仕事での失敗とは、実は、失うことではなく、失敗という学びを得ることである。
- 仕事での嫌な事は、実は、自分を成長させてもらえる、チャンスなのである。
- 仕事での嫌な人は、実は、自分を成長させてもらえる、有り難い人なのである。
この本に書いてあった『楽しく働くための三カ条』もメモしときます。
楽しく働くための三カ条
- 「あらゆる仕事には価値がある」と信じること
- 「どんな仕事であれ、自分の仕事を愛そう」と決心すること
- 「困難な仕事でも、勇気と希望を持って挑戦しよう」と決心すること
そう、「信じること」と「決心すること」が大事!
まさに、法華経の内容って感じでしょう! (^^;;
まずは、パートⅠはで、以下の2つの真理を悟りました。
・すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)。
・すべてのモノゴトはたえず変化する(時間的)。
つぎに、パートⅡはで、以下の生きる目的を悟りました。
・人類すべて幸福にする行為の実践。
そして、今回、前回の宿題の答え、パートⅢです。
”では、どうしたら自分自身と家庭を幸福にできるでしょうか?"
例外を除いて、人間は一人では生きて行けません。
つまり、家庭では家族との人間関係があります。
人間関係が良い状態で、毎日楽しく暮らせることが幸福だと定義いたします。
では、人間関係を良い状態にするには、どうしたらいいと思いますか?
それは意外に簡単で、”ほめる”ことです。
どんな悪い人間でも、良心はもっているはずですが、周りの悪い環境で良心に気が付かないのです。
その悪い環境で、良心が生きていくうちに垢まみれになり、隠れてしまっているだけなのだと思います。
その垢まみれの良心を引き出す特効薬が”ほめる”ことです。
これは悪い人間だけではありません。妻、子供、同僚、上司、部下、...にも同じです。
とにかく、これらの人たちが、ちょっとで も、良いことをしたら、見逃さず、”ほめる”ことです。
ですから、つねにまわりを見渡し、良いことした人を発見したら、とにかく”ほめる”ことです。
つねにまわりを見渡し、ちょっとでも良いことをした人を”見逃さず、ほめる”こと。
これを実行すれば、人間関係はバリバリよくなります。試して見て下さい。
とにかく、ちょっとした事でも、見逃さず、ほめる。
とにかく、育児に効果抜群です。
とにかく、家庭内離婚に効果抜群です。
とにかく、いやな上司に効果抜群です。
とにかく、出来の悪い部下に効果抜群です。
とにかく、試して見て下さい。
すべての人の良心が輝いた社会を想像してみてください。
そこは、まさしく、悩みのない、理想境です。
本シリーズ、『悩めるすべての人へ 』パートⅠ、Ⅱ、Ⅲが少しでも、お悩みの解消になれば幸いです。
前回のパートⅠで、”人間はもしかしたら大宇宙に生かされているのではないのか?”って述べましたが…。それって、結構、なやみに効果あります。
すべての、善いこと悪いことが自分でなくて、宇宙意志による仕業(しわざ)だと思うんです。
たとえば、家庭、会社、社会でのトラブルすべて、自分でなくて、宇宙意志による仕業だと...。
するとすごく、気が楽になりませんか。私はパートⅠを書いてからそれを実感しています。
ここで、話しを少し変えます。
人間(自分)はどうして、ここに今いるのでしょうか?(存在するのでしょうか)
大宇宙に生かされているのですから、大宇宙が必要だと思って、人間(自分)を作ってくれたんでしょう。
つまり、大宇宙から使命をうけてこの世に生まれきたはずなんです。
では、大宇宙からうけた使命ってなんでしょう。
また、話しを少し変えます。
宇宙意志は善いこと、悪いことのすべての意志です。
そして、パートⅠで以下の様にのべました。
・すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)。
例えば、悪い行いをしたとします。
すると、すべてのモノゴトはつながりありますので、全宇宙に悪い影響を与えます。
悪い影響は、すべてのモノゴトはつながりありますので、自分に帰ってきます。
するとそこに、悩みが発生することになります。
逆に、良い行いをしたとします。すると同じように、良い影響が自分に帰ってきます。
ですので、悩みは発生しません。
宇宙意志は悪いことも含みますが、全宇宙(宇宙自身)に悪い影響をおよぼす悪い行いを好むはずはありません。
つまり、大宇宙からうけた使命とは善い行いをすることだったのです。
では、善い行いってなんでしょう。
これは、究極の悪い行いの反対を思えば、案外と簡単にわかります。
大宇宙から使命をうけてこの世に生かされてきたのですから、究極の悪い行いは、その反対の殺人、自殺、戦争でしょう。
つまり、殺人、自殺、戦争の反対は自分を含むすべての人を幸せにする行為だと思います。
人類すべて幸福にする行為の実践、これが大宇宙からうけた使命だったのです。
ちょっと、おおげさな話しになりましたが、人類すべては元をたどれば、家庭、個人です。
つまり、家庭、個人がすべて幸福になれば、人類すべて幸福になります。
今自分ができることは、自分自身と家庭を幸福にすることです。
そうすれば、悩みがなくなると思いたいです。
では、どうしたら自分自身と家庭を幸福にできるでしょうか…。
これは、つづきパートⅢにてお話ししたいと思います。
では、今回はこの辺で...。
いろいろな人がいて、いろいろな悩みを抱えていると思います。
最近、私は、悩みをかなり軽減する方法を見つけましたので、
本ブログへ来られた人だけに内緒でお教え致します(^o^)
それは、意外に簡単で、大宇宙を感じるコトです。
宇宙でなく大宇宙がミソです。
ものすごく大きな宇宙空間と、ものすごく長い宇宙的時間を想うのです。
すると、悩みがチッポケに思えてきます。
人間は大宇宙のチッポケな地球に生まれ、そして、人間の一生は宇宙的時間では一瞬です。
こんな人間の悩みなど、大した問題ではなく思えてきませんか…。
では、どうしたら、大宇宙を感じるコトができるでしょうか。
まず、静かな場所をみつけて、リラックスして座り、かるく目を閉じ、頭の中で、地球、太陽、銀河系等の大宇宙をイメージします。
そうすると、すべてのモノゴトには、つながりがあり(空間)、そして、たえず変化している(時間)、ということに気づきました。
そして、もしかしたら人間は、この大宇宙に”生かされている”のではないのかと...。
逆にいうと、大宇宙に生かされている人間が悩むということは、大宇宙に沿った生き方をしていないのでは?
では、大宇宙に沿った生き方とは何か?
それは、先ほど説明した以下の2つを心の底から知ることだと思います。
・すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)
・すべてのモノゴトはたえず変化する(時間的)
各々説明致します。
例えば、悪い行いをしたとします。すると、すべてのモノゴトはつながりがありますので、全宇宙に悪い影響を与えます。 悪い影響は、すべてのモノゴトはつながりありますので、自分に帰ってきます。するとそこに、悩みが発生することになります。
逆に、良い行いをしたとします。すると同じように、良い影響が自分に帰ってきます。
ですので、悩みは発生しません。
例えば、今現在、深刻な悩みがあったとしても、すべてのモノゴトはたえず変化しますので、長いスパンで悩みの解決策を立てると、結構時間が解決してくれたりします。
とにかく、一瞬先は闇です。悪いことよりも良いことをしましょう。
人間誰しも、悩みはあると思います。それをどう捉えるか、どう感じるか、大宇宙と比較して、なるべく感じないようにすれば、いいのでは...。
また、できれば、悩みごとが起きないように、日頃から良い行いをしましょう。
すると、すべてのモノゴトはつながりがありますので、良い影響を受け、悩みは発生しません。
最近、私自身、いろいろ悩み事があり、上記を編み出しました。すると、意外に気が楽になりましたので、同じ様な人が居るのではと思い、ここに発表致しました。
すこしでも、お悩み解消のヒントになれば幸いです。
尚、『もしかしたら人間は、この大宇宙に”生かされている”のではないのか』については、『悩めるすべての人へ...パートⅡ』で、お話したいと思います・・・つづく
しかし、そのチャンスは、普段から努力して実力を蓄えていないと通り過ぎてしまうそうです。つまり、実力を蓄えていないとチャンスが来たことすら気がつかないのです。
ですので、普段から以下の2つを意識するいいらしいです。
だから、自分の夢を「出来る」と思って、脳をフル回転させ努力していけば、きっとチャンスをつかめるのです。
努力を続けていれば、才能などなくても、きっと夢を実現することができるのです。
がんばれ! だれにともなく・・・
お経(私の場合は法華経)をあげたり、神仏へ願掛けやお願いを凡夫の私などは、よく行いますが・・・
実は、お経の功徳とは、そのようなお願いでなく、すべての現象について『有り難い』と受け止めることができるようになる……ということなのです。
その昔、中国の武帝から『仏教信仰の功徳は何か』と問われた禅宗の達磨大師は、『無功徳』と答えたそうです。そう、仏教に功徳など無いと!
これは、信仰をしたから願いが叶うということではなく、信仰をすることにより、すべての現象について『有り難い』と受け止めることできるようになる……ということらしいのです。
…と某小誌に書いてありました。私も、そう思います!
実は、親が子供を育てるのではなく、子供が親を育てるのです。
法華経では願生といって、子供は、親を選んで生まれてくるそうです。
なので、子供は親にとって『お客さま』みたいなものなのです。
そう、子供を通して、親として成長していけるのです。
今日は、3月20日春分の日です。そう、お彼岸です。お彼岸は、超簡単に言うと先祖供養をする日です。先祖というと大昔のことのように思いますが...、実は、一番身近な先祖は親だったりします。まして、お子さんがいる人は、自分が先祖だったりします。
たとえば、子供から親孝行をされた時は、言葉では言い表せないぐらい嬉しいものです。また、親は無条件で子供たちの健康と安全をいつも見守っています。
また、よく考えると、子が親を思う親孝行って、私たちが先祖を思う先祖供養と同じなのですね。ですから、先祖供養は、ご先祖さまが、言葉では言い表せないぐらい嬉しがっているはずなんです。
そして、親が子を見守るように、ご先祖さまは、無条件で私達の健康と安全をいつも見守っているんです。ちなみに、読経や念仏によって得た功徳を故人に回し向けるを「回向」と言います...。
先日、こんな話しを聞きました。
ある母と娘がいました。娘は亡くなったお祖母さんが大好きでした。 娘は、小学校である賞をもらい、家に帰るとすぐ、お祖母さんに知らせたく、 仏壇に賞状をお供えました。 すると、ろうそくの火がゆれたのです...。 それを見た娘は、「お祖母ちゃんが喜んでいる、喜んでいるよ!」と言いました。 母は、きっとそうね、きっとそうね、と娘を抱きしめました...。
情景が浮かんで・・・涙涙・・・
もう、お彼岸ですね!
お彼岸について少し調べてみました。
まず、お彼岸とは? 大辞林(国語辞典)より
(1)春分の日・秋分の日を中日(ちゆうにち)とする各七日間。また、この時期に営む仏事。俳句では、彼岸といえば春彼岸のこと。[季]春。
と、いうことです。しかし、春と秋に「なぜお彼岸は年二回あるか?」疑問に思いませんか。そこで、この素朴な疑問を調べてみましたが・・・。
結論からいうと、はっきりとは、分かりませんでした。
しかし、なんとなく、以下の感じです。
ご存知、日本は昔から農業の国です。春に「どうかたくさんの作物が実りますように」と祈り、秋には「たくさんの作物がとれました」と、お日様に感謝する習慣がありました。
つまり、春、秋、年二回、お日様に感謝を願うのです。そう日願(ひがん)です。
一方、仏教では、仏の世界(悟りの境地)へ行くことをサンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、日本語で「かなたの岸」として「到彼岸」となり、略されて「彼岸」となりました。
そう、ここに、日本の習慣である「日願」と仏教での「彼岸」がクロスオーバーして、春、秋、年二回に「彼岸」が行われるようになったらしいのです・・・。
そして、現在は、すでに仏の世界へ逝っている人(ご先祖様)をご供養する日に、お彼岸は、なりました。
また、悟りの境地になる「到彼岸」は、サンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、そのための修行が6通りあり、それを六波羅蜜といいます。
それは、朝起きてからと、寝る前に、法華経の抜粋(経典)を読誦します。
尚、立正佼成会については、以下をご覧ください。
また、法華経の抜粋の経典には、その解説本である「釈尊のいぶき」もあります。
その解説本「釈尊のいぶき」は、以下のリンク先で購入することができます。
では、ここからが本題です。
朝夕のご供養は、経典の内容通りに、以下の順序で読誦します。
ちなみに、法華経抜粋は以の各品からになります。
『朝夕のご供養』は朝夕で2回が基本ですが、私の場合、実は寝る前の1回になっています。不良会員なので・・・(^^;;
寝る前に法華経を読誦しながら、その日を振り返り、今日一日無事に過ごせたことに感謝を祈るのです。特に、孫のピコちゃんの健康と安全を祈り念じます。
仏教の功徳は、現象が良い方向へ変わることと考えがちですが、実は、むしろ何も変わったことがないのが功徳である場合が多いのです。
ということで、今日も家族みな何ごともなく過ごせました。あぁ功徳功徳…。
そうそう、お経を読誦していると、子守唄と同じ効果あり、ご供養のあとすぐ寝付けることも功徳ですね!
いつも書いてますが、夕食後4時間は何も食べず、熱めのお風呂に入って、ご供養して寝る。これ、立派な健康法になりまよ!みなさんも是非どうぞ!
3月12日から、4月の初めまでは、立正佼成会の経典の内容 を解説する予定です。
実は、そのコンテンツは、すでに全て準備済みで、ひとつずつ公開して行きます・・・そう、立正佼成会経典内容の解説開始です(^o^)
尚、立正佼成会については、以下で紹介済みです。
また、立正佼成会の経典については、基本、法華経の抜粋で、その解説本「釈尊のいぶき」があります。
その解説本「釈尊のいぶき」は、以下のリンク先で購入することができます。
すでに準備したコンテンツは、解説本「釈尊のいぶき」の解説サマリーになっています。
なぜ、経典解説をブログにしたかというと、意味も分からず読誦するのではなく、意味も理解できたら、気持ちがいいのかなと思った次第です(^o^)
多分、佼成会の会員さんにとって、大変ためになる内容になっていると思います。
会員以外の皆さんにも、法華経の真髄がわかる内容になっていて、一読の価値はあると思います(^^;;
ということで、これから当分、立正佼成会経典である法華経最高エッセンスの解説をお楽しみください!!(^o^)
全然関係ないけど、今日3月10日は、29歳で結婚して40年目、長男が12月に40歳で、私は7月に70歳。40年目の結婚記念です(^o^)
子供は3人とも各々独立して、特に次男夫婦には可愛い可愛いお孫ちゃんが生まれて、今は、お孫ちゃんといる時間が一番の幸せな時間ですね(^o^)
40年目の結婚記念に、ある意味、正式に立正佼成会会員をカミングアウトかな・・・(^^;;;
新興宗教などの宗教に嫌悪感のある人もいるかも知れません。強制のない初期仏教教団のような立正佼成会なら大丈夫ですよ・・・と、とりあえず言ってみる(^o^)
仏法には三法印とか四法印という仏教の旗印があります。その法印内の一つ、「 諸法無我」について、思うところがありました。
「 諸法無我」は、文字通り「すべての事象や存在は無我である」という意味を持ちます。すべての事象や存在に我がないというイメージは、全てがつながっていると解釈していいですか・・・
人間の体は、物質レベルで見たときに、酸素・炭素・水素などの元素から成り立っています。
これらの元素は、すべて地球上の元素からきています。
別の言い方をすると、すべての人間は地球上の元素から出来ていて、地球上の元素を食べて生きていき、亡くなったら地球上の元素に戻りますね。
つまり、物質レベルで見たときに、すべての人間は、つながっているのです。
また、地球上の元素から生まれ、死んで地球上の元素へ戻る…つまり生死を繰り返して、永遠の命なのですね。
魂とかのよくわからない概念でなく、地球上の元素で考えると、空間的繋がりや時間的永遠の命がわかるような気がしたので、ブログに書きましたです(^^;;
宗教素人の戯言です・・・すみません、誰にともなく