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2025年3月19日水曜日

なぜお彼岸は年二回あるか?


もう、お彼岸ですね!

お彼岸について少し調べてみました。

 

まず、お彼岸とは? 大辞林(国語辞典)より

(1)春分の日・秋分の日を中日(ちゆうにち)とする各七日間。また、この時期に営む仏事。俳句では、彼岸といえば春彼岸のこと。[季]春。

 

と、いうことです。しかし、春と秋に「なぜお彼岸は年二回あるか?」疑問に思いませんか。そこで、この素朴な疑問を調べてみましたが・・・。

 

結論からいうと、はっきりとは、分かりませんでした。

 

しかし、なんとなく、以下の感じです。

ご存知、日本は昔から農業の国です。春に「どうかたくさんの作物が実りますように」と祈り、秋には「たくさんの作物がとれました」と、お日様に感謝する習慣がありました。

つまり、春、秋、年二回、お日様に感謝を願うのです。そう日願(ひがん)です。

 

一方、仏教では、仏の世界(悟りの境地)へ行くことをサンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、日本語で「かなたの岸」として「到彼岸」となり、略されて「彼岸」となりました。

 

そう、ここに、日本の習慣である「日願」と仏教での「彼岸」がクロスオーバーして、春、秋、年二回に「彼岸」が行われるようになったらしいのです・・・。

 

そして、現在は、すでに仏の世界へ逝っている人(ご先祖様)をご供養する日に、お彼岸は、なりました。

 

また、悟りの境地になる「到彼岸」は、サンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、そのための修行が6通りあり、それを六波羅蜜といいます。

 

波羅蜜は前に解説していますので、そちらを参照してください。

2025年3月6日木曜日

正定聚の力

 


仏教では、社会を構成する人々を3つの種類に分類しています。


  • 正定聚(いつも正しい心を持って、善をなす人々の集まり)
  • 邪定聚(いつも邪心を持って、悪をなす人々の集まり)
  • 不定聚(正定聚に接すれば正定聚に、邪定聚に接すれば邪定聚に、心や行いが定まらない人々の集まり)


施設警備の現場では、禁煙エリアなのに喫煙、吸殻のポイ捨て、ゴミのポイ捨て、自転車の不法駐輪、バイクの不法駐車、弁当食べ残し放置、嘔吐物放棄、糞尿物放棄…。
モラルの無い人、ルールを守らない人、まさに、施設警備の現場では、邪定聚(じゃじょうじゅ)の人が一杯居ます。


なんとか、私たち警備員が、いつも正しい心を持って、清掃や注意勧告をして、邪定聚の人を正定聚(しょうじょうじゅ)に引き入れようと…まぁ、不定聚(ふじょうじゅ)の人は、結構、引き入れていると思いますが、どうなんでしょうか…。


正定聚の力で、不定聚と邪定聚の人達をなんとか善に目覚めさせる方法はないものでしょうか?
なんて、思いながら、いつも巡回をしている今日この頃です。特に、吸殻のポイ捨てを撲滅する妙案は、ないものでしょうかねぇ……。

 

しかし、人間社会の正定聚、邪定聚、不定聚の関係は、腸内環境の善玉菌、悪玉菌、日和見菌の関係と同じですね。今気がつきました(^^;;

2025年3月5日水曜日

「とやせん」とは


 

妙法蓮華経 化城諭品 第七を読誦していると気になったフレーズがありました。

『大徳の天の生ぜるとやせん、仏の世間に出でたまえるとやせん』等で何回か「とやせん」というフレーズに遭遇します。
これ、ちょっと気になったので、ネットで調べて見ました。

 

「とやせん」とは、「と」は接続助詞。「や」は詠嘆・反語の係助詞。「せ」はサ変動詞「為(す)」の未然形。「ん」は「む」の変形で推量を表す助動詞です。ですので、この部分だけで「どうしようか?どうしようもない」と現代語訳になります。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1470035774

 

また、最近流行りの AIくん に聞いてみると

「仏の世間に出でたまえるとやせん」という表現での「とやせん」は、仏教の文献や経典で見られることが多く、特に法華経の文脈で使われることがあります。この「とやせん」は、日本語の古典的な表現で、「どのようにして」「どのような形で」という意味を持っています。


ということで、「とやせん」は、「どうしようか?どうしようもない」とか「どのような形で」ということでした。

2025年3月1日土曜日

少欲知足

 


今日のテーマは少欲知足です。意味は読んで字の如く、欲を少なくして足りることを知る。

 

実は、少欲知足という言葉は、普賢菩薩勧発品 第二十八に出てくるのです。 つまり、少なくとも今から約2000から2500年前からある言葉なのです。 

 

 現代は、乱獲飽食エネルギー大量消費の時代になって持続不可能な世界になりつつあります。 (温室効果、オゾン層破壊、異常気象、森林伐採、資源枯渇・・・) 一日も早く持続可能な世界に戻さなければ、なりません。 それには、少欲知足がキーワードになるような気がするのです。

 

とにかく、一人ひとりが、一日も早く、乱獲飽食エネルギー大量消費をやめ、少欲知足に目覚めて、環境にやさしい生き方をして欲しい(もちろん自戒を込めて)。 このままでは、次世代(子供、孫達・・・)につけが沢山まわって、大変な苦労を負わせることになってしまう・・・。

 

ちなみに、少欲知足は小欲知足と勘違いし易いですね。あくまでも少欲知足です。小欲知足の方だと、持続可能な世界を実現させる大きな欲はダメになってしまいます(^^;;


2025年2月27日木曜日

一大事の因縁とは


 

一大事の因縁とは、妙法蓮華経方便品第二に、以下の一節が出てきます。

 

諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なるを得せしめん

欲するが故に、世に出現したもう。

衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。

衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。

衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。

舎利弗、是れを諸仏は唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうとなづく。

 

要約すると、仏さま(諸仏)は、我々(衆生)の良心(仏性・仏知見)を「開き」「示し」「悟らせ」「正しい道に入らしめる」ため、この世に出現したとのことです。


逆にいうと、我々は、仏道とご縁になることにより、良心(仏性)に目覚め、正しい行いをしていくことが、結果的に幸せになれるよ〜って事らしい(^o^)


2025年2月12日水曜日

不惜身命(ふしゃくしんみょう)

 


『不惜身命(ふしゃくしんみょう)』は、法華経の勧持品第十三に出てくる言葉です。意味は、「身命をなげうっても惜しくはない」という精神のことです。

 

では、「身命をなげうっても惜しくはない」精神とは、すべての人の真の幸せのためには、自分の生命さえも惜しくないという徹底した境地です。

 

といいますと、たぶん、反感や抵抗感をもたれた方がいると思います。生命が何より尊いものだと・・・。

 

しかし、これは、生命の受け止め方が自分本体だと思うからで、仏法で云う生命とは、仏性のことであり、永遠の命です。自分の生命さえも惜しくないという生きかたこそが、実は、ほんとうに生きるということなのです。


と、某法華経解説本に書いてありました。今、噛み締めていまーす(^-^;)


2025年2月9日日曜日

四安楽行とは


妙法蓮華経安楽行品第十四に出てくる身口意誓願(しんくいせいがん)の四安楽行(しあんらくぎょう)です!
 

身安楽行

いつも柔和忍辱をたもち、権力や邪法や勝負事には近寄らず、性的なことには最善の注意を払う、などなど。

口安楽行

悪口や見下すような言葉、批判、また、あの人は好きだとか嫌いだとか、などなど。

意安楽行

嫉妬の心を持たないようにしたり、人を軽んじたり、失望させたり、えこひいきなどをしない、などなど。
 

誓願安楽行

すべての人をこの法華経によって幸せにしたいと誓願すること、などなど。


四安楽行を完全に行って、この教えを広める者の功徳については、以下のようにお説きになりました。


  • 一切心配事がなくなる。
  • 一切苦痛がなくなる。
  • 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
  • 生活にこまることがなくなる。
  • 大勢の人から崇め慕われる。
  • 神からも守護される。
  • いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
  • 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまうでしょう。

 

これは、もう四安楽行を実践するしかないですね(^o^)

2025年2月2日日曜日

ダラニ(陀羅尼)って……


木鉦(もくしょう)

 ほぼ毎日、法華経の抜粋を読誦するのですが、その中に陀羅尼があります。


陀羅尼とは、法華経26番(品)と28番(品)に出てくる呪文です。

 


もともとは、サンスクリット語の発音でいろいろな神の名前を云っているそうですが、日本人には呪文に聞こえます。


ご利益は、『あらゆる悪をとどめ、あらゆる善をすすめる』とのことです。

たとえば、こんな感じです。

 

あに まに まね ままね しれ しゃりて しゃみや しゃびたい せんて もくて もくたび しゃび あいしゃび そうび しゃび・・・・・・

 

本当は、これに、木鉦(もくしょう)でリズムをつけて読誦しますが、木鉦のリズムが不規則で習得するのが凄く難しく、普段は、木鉦なしで読誦します。

 

ということで、陀羅尼を簡単に説明させて頂きました。 


今度、本部の木鉦研修で陀羅尼木鉦をマスターしたいと思う今日この頃です(^-^;)

2025年1月31日金曜日

器量と布施と徳積

 
人には、人格やリーダーシップ等の器量というものがあります。器量が小さいと、その人の人生も、小さなものになってしまいます。これは、大きなチャンスが来たときに、小さな器だと受け取れないから、そうなってしまうのです。

 

では、器量を大きくするためには、どうしたらよいでしょうか?

 

それには、2つ。

  1. すでに入っているものを出して、器の容量を増やす。
  2. やはり、器そのものをなんとか大きくする。

 

1は、布施です。自分の持っているもの(財施、身施、法施)を出して人に施し、自分の器の容量を増やすのです。

2は、徳積です。仏法では、善い行いを続けて行くことを徳積と云い、これにより器が大きくなると説かれています。 

 

1の布施とは

  • 財施 - 金銭や物質を他人に施し与えること。
  • 身施 - 自分の骨折りによって他人の心配や苦労を少なくしたり、喜びを与えること。
  • 法施 - 正しくものごとを他人に教え与えること。

貧乏で財施はできなくても、身施、法施は、出来そうですね!

 

2の徳積とは

  • 徳積の『徳』という字は、行ずるの行人偏に十四の心と書きます。
  • 十四の心とは、六波羅蜜八正道を足した数の心です。
  • そして、十四の心積んで行くことが徳積なのです。 

我ながら、最後は上手くまとまったな・・・(^o^)

 

2025年1月19日日曜日

七仏通戒偈

 

 

突然ですが、仏教の教えは、八万四千の法門があると言われますが、実は、元は以下の3つだと言われています。

  • 諸悪莫作(しょあくまくさ) - 諸々な悪い行いをしてはならない
  • 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)- 多くの善い行いをしなさい
  • 自浄其意(じじょうごい)- 心を自ずから浄めていく

 

善い行いをする前に、とにかく悪い行いをしないことが重要らしい、そして、「諸悪莫作」と「衆善奉行」は、道徳とイコールで、宗教では、「自浄其意」が要らしいです。

 

また、この3つを『七仏通戒偈』と言って、七仏は、お釈迦様から過去へさかのぼった七代の仏を指しており、久遠の昔から連綿と受け継がれてきた『戒め』という深い意味があります。


まとめ

1に悪い事はしない。2に善い事をしなさい。3に心を磨く。

仏教は、このワン・ツウ・スリーです!

そう、仏教って簡単でしょう!

 

ちなみに、七仏通戒偈は、法華経には出てきていません(^^;;

2025年1月18日土曜日

現代版 法華経見宝塔品 二仏同座


法華経の見宝塔品には、真理を実践するお釈迦様と真理の象徴である多宝如来が虚空で同座するシーン(二仏同座)があります。

 

現代でも、それを彷彿するシーンがありました。1994年11月第六回WCRP(世界宗教者平和会議)がバチカンで行われた時でした。

 

ひな壇の一番高い座に席が二つ、一つは教皇ヨハネ・パウロ二世、もう一つは誰が座られるのだろと注目のところ、なんと立正佼成会開祖さまこと庭野日敬氏が導かれて座られたのです。

 

ここで話しは、29年前にさかのぼります。

1965年9月第二バチカン公会議開会式に出席された、開祖さまは、時の教皇パウロ六世から『キリスト教が分派を生んだのは歴代の教皇の罪です。いまや宗教が分裂しているときではありません。お互いに手を携えてひとつの平和に向かって進むときです』と身近で聞いて、大きな衝撃を受け、宗教協力は可能だと、このお言葉がWCRP活動へと繋がっていきました。

 

そして、開祖さまは感激のあまり教皇さまへ、カトリックへ改宗してもよいと、おしゃったとか・・・。オイ!

 

それを聞いた当時佼成新聞記者の「とある人」さんは、開祖さまに、仏教徒であるのになぜそのようことをおしゃったのですかと問い詰めると・・・。すると開祖さまは一言。

 
相手を信じきれなくて、どうして自分を信じてもらえるでしょうか・・・。

 

このように、開祖さまは、教皇パウロ六世と強い信頼関係を築き、教皇パウロ六世は、1978年8月にご逝去されました。

 

そして、開祖さまは、1994年11月第六回WCRPでバチカンにつくなり、教皇パウロ六世の地下墓所へ一番先に訪れになりましたが、しかし、そこに行く通路がたまたま工事中で、仕方無く、地下墓所の真上辺りの広場で、地面に額をつけて、教皇パウロ六世を参拝されたそうです。それは、霊界にいる教皇パウロ六世と開祖さまがあたかも何かを語り合っているように感じられたとのことでした。

 

以上、『開祖さま生誕会』で、元佼成新聞記者の元某教会長の「とある人」から聞いた開祖さまのエピソードでした。


2025年1月17日金曜日

懺悔経

 

 

『懺悔経』は、『佛説観普賢菩薩行法経』の愛称で、『法華経』ではないのですが、『無量義経』と合わせて、以下の法華三部経の一部を担っています。

 

また、法華経には、三大菩薩がほどよく登場します。

  • 序盤は『智慧の文殊菩薩』
  • 中盤は『慈悲の弥勒菩薩』
  • 終盤は『行徳の普賢菩薩』

 

つまり、法華経の序盤・中盤・終盤は以下のようになっています。

  • 序盤は『十如是』等の法を頭で理解(智慧)することが中心。
  • 中盤は『如来寿量品第十六』等で、法を心(慈悲)で理解することが中心。
  • 終盤は『頭と心で理解した法』を如何に実践(行徳)して行くかが中心。

 

つまるところ懺悔とは、普賢菩薩の行法実践で、六波羅蜜と七戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不悪口、不綺語、不両舌)を行い、心(魂)の垢を落とすだけでなく、ピカピカに磨いていくことらしいです。

 

未来は、一瞬一瞬の積み重ねです。いまこの瞬間こそ、汚れた魂をピカピカに!


尚、懺悔経自体の解説は、またの機会に(^-^;) このタイトル詐欺が〜

 

2025年1月10日金曜日

永遠の命

 


もちろん、人間としての命は有限です。しかし、法華経の如来寿量品第十六に、無限の過去から永遠の未来まで、すべての人へ法を説く仏さまのことが述べられています。

 

つまり、仏さまは、永遠の命なのです。まぁ、いきなり言われてもにわかに信じられないと思いますが・・・。

 

そして、仏教とは、仏になるための教え・・・、いや、実は、自分が仏であったことに気づく教えなのです。

 

つまり、自分も永遠の命なのです。もちろん、人間として生身の命は有限です。あくまでも、魂として・・・。

 

しかし、そう簡単に「永遠の命」なんて理解できるはずがないと思うのが普通でしょう。だからこそ、日々、法華経を学んで実行し、法華経の極意「永遠の命」を体感したいと思います。


法華経の極意

『すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。』



2025年1月8日水曜日

法華経の実践とは?

 

法華経は、実践の書と云われています。

では、法華経のを実践するのですか・・・と問われた時に、即座に答えられないのです。 いや~、盲点でした。

 

確かに法華経はドラマ仕立てになっていて、いろいろありすぎて、決定的な実践すべきことが、即座に分からないのです。

 

ですが、とりあえず、思いつくまま述べてみると・・・。

  1. 四諦,八正道,六波羅蜜の流れの実践。(布施と正しい行い)
  2. 法師品での、五種法師の実践。(法華経の受持・読・誦・解説・書写)
  3. 安楽行品での、四安楽行の実践。(法華経を護持し説き広める心がけ)
  4. 常不軽菩薩品での、仏性礼拝行の実践。(アメニモマケズ、カゼニモマケズ、徹底した礼拝行)

 

1は、法華経というより、根本仏教の教えで、初転法輪のときに説法された、仏教の基本中の基本です。

 

上記を踏まえて、私が、思いついた法華経の実践とは、以下の通りです。

仏教の基本である八正道六波羅蜜を実践しながら、法華経を読誦し解説書写し、
四安楽行を心がけて、相手の仏性を礼拝しながら、法華経を説き広める。

 

上記を実践すれば、『諸法実相(十如是)』『永遠の命』『六通』を会得できるのかなと思う次第です。

そして、以下の実践の功徳があるとのことです。(in 安楽行品

  • 一切心配事がなくなる。
  • 一切苦痛がなくなる。
  • 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
  • 生活にこまることがなくなる。
  • 大勢の人から崇め慕われる。
  • 神からも守護される。
  • いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
  • 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまう。

これは、もう、実践するしかないですね!

 

2025年1月6日月曜日

六通(神通力)


 

仏道を修行していると、2次的にいつのまにか会得してしまうという6個の神通力(六通)があります。

  • 天眼通 - 普通の人に見えないものを見通す能力
  • 天耳通 - 普通の人に聞こえない音や声を聞くことができる能力
  • 他心通 - 人の心をすっかり見通す能力
  • 宿命通 - 前の世のことを知ることのできる能力
  • 神足通 - 素晴らしい早さでどこにでも自在に行ける能力
  • 漏尽通 - 自由自在に人の迷いを除ける能力

また、生まれつきそのような神通力を持ち合わせている人もいるようです。 たぶん、そのような人は、前世で仏道の修行をしたのかも知れません。


しかし、世の中には、このような超能力を全否定する人が結構沢山います。

 

確かに今の科学では、証明されていないし、疑い深い人は、インチキだと思っていることでしょう・・・。

 

でも、私は本当だと信じたい・・・


2025年1月4日土曜日

供養とは何か?

家内(ママ)からご仏壇(ご宝前)に、毎朝、必ずお水とお茶を上げてね・・・と言われて、 始めのうちは、いやいやながらでしたが、今では習慣になってしまいました。 当然、寝る前にはそれを下げるのも私です。

 

このような行いを仏教では、「利供養」といい、 本来、仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為なのです。

 

私の場合は、そんなことつゆ知らずに、家内から半強制にやらされましたが、 結果的にそういうことだったのです(^^;;

 

供養こと「仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為」は、 「利供養」とは別に「敬供養」「行供養」があります。

 

  • 「利供養」とは、仏さま(仏壇)へお香・華・水、お茶、ご飯)をたてまつる供養。
  • 「敬供養」とは、仏さま(仏壇)へ読経(法華経等)をし、敬い、賛嘆する供養。
  • 「行供養」とは、仏さまの教え(法華経等)を受持し、実践(六波羅蜜)する供養。

 

自分で言うものアレだけど、結構、供養している。 でも、供養が「仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為」と言われると、ちょっと意外。

 

しかしだんだん、自分にも信仰心が芽生えてきていると自覚しはじめている今日この頃です。かつては、大嫌いだったのに・・・

 

宗教嫌いのあなたへ、神(仏)にすべておまかせする生き方もいいものですよ、とか言ってみるテスト(^o^)

 


2024年12月26日木曜日

同心とは


とある小誌より

口で「同心」を唱えるだけでは、一つの心になれるものではありません。
共通の願いを持って、苦楽を共にしてこそ同心が育っていくのです。

共通の願いを持って、苦楽を共にする・・・まさに夫婦ですね!

結婚して40年、しかし、よく我慢している・・・もちろん奥さんの方が(^^;;;

私の方は、優しい優しい奥さんで、幸せや〜 

また今年、可愛い可愛いお孫ちゃんもできて、幸せや〜



 

2024年12月25日水曜日

仏性を拝み出す・・・菩薩行

 開祖さまに倣いてから

 

菩薩行の根本は、人間を礼拝することである。

人間を礼拝するとは、あらゆる人間の中にある仏性を認めることである。
仏性を認めないでその人を救おうというのは、形式だけの空虚な行いに過ぎない。
その人の中に必ず実在する仏性を拝み出すところに、真の済度はあるのだ。

菩薩にとっていちばんたいせつなのは、いうまでもなく愛他・利他の精神であり、その精神から発した実践行動であります。
その実践行動を<布施>というのです。

 

逆にいうと、愛他・利他の精神から発した実践行動が布施であり、それが菩薩行と言われるのか(^o^)

 


 

2024年12月24日火曜日

願いに沿って生きる・・・修行 

開祖さまに倣いてから


 『開祖さまに倣いて』より引用です。

・・・「人間は、いくらでも幸せになってもいい。幸せになったら、その功徳をみんなにお分けすればいいんです。そうすれば、もっと幸せが増えるから」・・・

それは毎日の生活のなかで、小さな幸せ、小さな喜びを発見し、その喜んでいる心をそのまま口に出してみることから始まります。
どんな小さな喜びでも、それを言葉に表し、人に伝えてみることで、驚くほどまわりをあたたかく、幸せに変えていきます。
すると自分自身が、仏さまの説かれる法をより深く実感できるようになるのです。

開祖さまに倣いて


確かに、そんな感じがします。

小さな喜び、伝えて行きます(^o^)


2024年12月23日月曜日

願いによって生まれてきた・・・願生

開祖さまに倣いてから 


 『開祖さまに倣いて』より引用です。

「願って」生まれてきた心境になれたとき、人生の苦しみ、悲しみが、解決すべき問題から、仏さまの慈悲の導きに変わったのです。

開祖さまに倣いて

 

あなたは、ソウルメイトを信じますか?

赤ちゃんは、お空から、親を選んで生まれてくるといいます。

私もお空から、親を選んで、願って、生まれてきたのかも・・・

そう思うと、人生の苦しみや悲しみを、実は自分が望んでいた(^^;