良医の譬え(寿量品)
三車火宅の譬え
妙法蓮華経譬諭品第三に出てくる譬え話しです。
物語
ある国のある町に、大きな長者がいました。
その家やしきは広大なものでしたけども、門はごく狭いのが一つしかありませんでした。
しかも、家は大変荒れはてていました。
ある日、その家が突然火事になりました。
家の中には、長者の子供達が大勢いて、夢中で遊びたわむれていて、火事に全く気づきません。
長者は、大声で知らせますが、全く聞こえてくれません。
その時、長者は、ふと子供達が車を欲しがっていたことを思い出しました。
そして、火事のことではなく、つぎのように呼び掛けたのです・・・。
『おまえ達の好きな、羊のひく車(羊車)や、鹿のひく車(鹿車)や、牛のひく車(牛車)が門の外にあるぞ、早く行ってとりなさい!』
すると子供達は、その言葉を聞いて正気にもどり、われ先にと燃えさかる家から出て助かることができました。
長者が、子供達が助かって安心していると、子供達は、口々に約束の車をせがみます。
すると、長者は、子供達が欲しがっていた車ではなく、大きな白牛のひく大変豪華な車(大白牛車)をみんなにひとしく与えたのでありました・・・。
解説
父の長者は、いうまでもなくお釈迦さまです。
子供たちは、われわれ凡夫です。
荒れはてた家は、現実の人間社会です。
火事は、われわれの煩悩をさしています。
われわれ凡夫は、物質、肉体などにとらわれて、なかなか苦しみからのがれられません。
そこで、お釈迦さまは、いろいろな教えをお説きになりました。
まずは、声聞(羊車)で、とにかくお教えを聞きなさい。
つぎに、縁覚(鹿車)で、とにかくお教えを体験しなさい。
最後に、菩薩(牛車)で、とにかくお教えで沢山の人をお救いしなさい。
などなどです。
そして、この3つ(三乗)の教えを実践して、人格を高めて歩んでいけば・・・、ある一つの真理(大白牛車)にたどり着くのです・・・。
長者窮子の譬え
妙法蓮華経信解品第四に出てくる譬え話しです。
物語
幼い時に父(長者)の屋敷をさまよいい出て、ゆくえも知らず50年・・・、放浪しながら他国で貧乏な暮らしを続けいた、一人の貧しい子(窮子)がいました。
そして、放浪で知らないまま本国へもどり、偶然、父とは知らず父の立派な屋敷の前で再会しました。
父親は、すぐ我が子だと気づきましたが、窮子は気づかず、立派な父に畏れをなしてしまい、屋敷から立ち去りました。
しかし、父親は、使用人へ窮子と同じような貧しい恰好をさせて近づきさせ、屋敷で働くように仕向けました。
そして、窮子は、屋敷で働くようになりました。
父親は、始めお便所掃除などの汚れ仕事から徐々に財産の管理などの重要な仕事へと段階的に導きました。
窮子も、始めの卑屈な心から次第に菩薩のような心へと段階的に変化していったのです・・・。
そして、父親は臨終間じかに、大勢の人の前で、この窮子は私の実の子ですと真相を明らかにしました。
窮子は、昔の極貧の境遇と、それに甘んじていた志の低さにくらべ、父の莫大な財産を得た身の広やかな思いは、生まれてはじめて味あう喜びでありました・・・。
解説
もちろん、父親(長者)はお釈迦さまの喩えで、そして、窮子はわれわれ凡夫の喩えです。
お釈迦さまは、われわれ凡夫が、志の低いところから徐々に高い所に導いて、最後にはすべての人が、最高の境地で達することができるのです。と説かれました。
そして、父親(長者)の言うことを信じ、理解して、窮子は父親(長者)の後を継ぎ、最高の境地を手に入れたのです・・・。
薬草の譬え
妙法蓮華経薬草諭品第五に出てくる譬え話しです。
物語
この地上には、いろいろさまざまな草木が生い茂っています。その草木は、大きさにも大・中・小があり、性質もすがた形も、千差万別です。
しかし、すべての草木に共通していることは、ひたすら雨のうるおいを欲し求めていることです。
そして、雨は、どこにでも、どの草木にも、同じように平等に降りそそぎます。ところが、それを受ける草木の方では、その大小や種類の相違によって受け取り方が違ってきます。
仏の教えと衆生との関係もこれと同様であることを知らなければなりません・・・。
解説
この譬えは、差別相と平等相について述べています。
人々の天分や性質は、一人ひとり違います。生い立ちも、健康も、環境も、職業も、それぞれ違います。
そういう様々な条件の違いがあるため、人々が等しくもっている仏性は、まったく平等であるにもかかわらず、真理の雨の受け方にさまざまな違いが生じてくるのです・・・。(差別相)
しかし、いくら受け方が違っても、それぞれの人が真理の雨を受けて、天分の性質のままに成長し、それぞれの花を咲かせ、それぞれの実を結ぶという点において、全く平等なのです・・・。(平等相)
つまり、人間は、それぞれにすがたは違って(差別相)いても、それぞれに成長していくところは、全く同じ(平等相)で、この事を認識することにより、自分もほんとうに生かし、他の人もほんとうに生かす正しい生き方ができるわけです。
化城宝処の譬え
妙法蓮華経化城諭品第七に出てくる譬え話しです。
物語
長くけわしい非常に困難な道を、宝物を探し求めて旅をしている一行がありました。一行の中には、もう疲れてしまったり、この道は恐ろしくて行く気にならなと言い出しました。そこで、リーダーは、ひとつの大きな城を幻としてあらわしたのです。
一行は、その城で休息して疲れをすっかり癒し、そして、それを見計ってリーダーは、その幻の城を消してしまい、さぁ、本当の宝物のある場所はもうすぐですよと一行をはげまし、そこへ導きつづけたのでした・・・。
解説
「長くけわしい非常に困難な道」とは、われわれ人生の旅路です。人生での出来事に疲れてしまったり、迷いが生じた時に、とりあえず、迷いを除いて、心に安心を得るようにみちびいてあげるのです(化城のこと)。つまり、「目の前に現れる現象は、仮の現われに過ぎないので、それにふりまわされるな」ということです。
そして、捜し求めている宝物とは、「創造」と「調和」のことで、何を「創造」するかというと、「調和」した平和な世界ということです。これこそが、捜し求めていたこの上のない宝物だったのです・・・。
衣裏繋珠の譬え
妙法蓮華経五百弟子受記品第八に出てくる譬え話しです。
物語
貧乏な『ある人』が『友人』の家に訪問し、ごちそうになり、酒に酔って眠ってしまいました。
ところが、その『友人』は、急に用事で旅立つことになりました。
寝ていた『ある人』を起こすのも気の毒と思い、また、貧乏から脱出できるようにと着物の裏の襟に『宝石』を縫い付けてから旅立ちました。
やがて、目を覚ました『ある人』は、『友人』がいなくなっているので、その家を立ち去り、相変わらず貧乏な生活を何年も続けていました。
ずいぶんたってから、『友人』は、『ある人』にバッタリ出会いました。
『友人』は、哀れな『ある人』を見て、「なんとバカなことだ、着物の裏の襟の宝石を売れば、素晴らしい生活ができるのだよ」といいました。
解説
貧乏な『ある人』は、我々凡夫です。『友人』とは、お釈迦様です。着物の裏の襟の『宝石』は、人の心の奥の仏性です。
要は、すべの人は、仏性(宝石)を持っているが、なかなか気づくことができず、苦の人生をさ迷うってしまう。救われるには、その仏性に気づき、仏と同じ命を生きていることに気づけばよいのだと・・・。
髪中の譬え
妙法蓮華経安楽行品第十四に出てくる譬え話しです。
物語
非常に強いある国の王が、命令に従わない多くの小国を次々と討伐しました。その戦いで手柄があった武将には、領地や衣服や宝石などを褒美として与えましたが、自分の髪に結ってあった明珠の飾りだけは、与えませんでした。
なぜならば、それはたった一つしかない最上の宝なので、もしむやみにこれを与えたら、王の一族が驚き怪しむだろうと考えたからです。
しかし、くらべもののないようなすごい手柄を立てた者がいたら、おしげもなく髪に結ってあった明珠のを与えるでしょう。
解説
この譬えは、法華経が難信難解なので、機根ない人に無闇に説いては行けませんよ。しかし、機根ができれば、おしげもなく法華経を説きなさい。ということの譬えです。
つまり、仏は、禅定と智慧で法の国を治める王です。菩薩達が、衆生を教化して仏道に入ると、
無漏(迷いがなくなる)や根力(精進の力)や涅槃(煩悩を滅する)などを褒美として与えます、
そして、菩薩達が仏法にたいする迷いをなくし、しかも信心が固くて大丈夫だと見極めたら、はじめて法華経を説くのです。
良医の譬え
妙法蓮華経如来寿量品第十六に出てくる譬え話しです。
物語
ある所にどんな病気でも治す名医がいました。
また、その医師にはたくさんの子供がありました。
ある時、用があって、他国へ出かけました。
その留守中に子供達は、したい放題の生活をして、間違って毒薬を飲んで、地べたにころげ回って、苦しがっていました。
そこへ、突然、父が帰って、その状態を見て、良く効く薬を作り、子供達へ与えました。
何人かの子供は、その薬を飲んで治りましたが、ほとんどの子供達は、飲みませんでした。
なぜかというと、本心を失っている子供達には、その薬が良い薬と思えなかったのです。そこで、父は、何とか子供達に薬を飲まそうと、ある方法を考え、子供達に告げました。
『私は年をとって、体が弱り、あまりさきが長くない。それなのにまた用があって他国へ出かけなければならないのだ』と良薬を置いて、旅たって行きました。
そして、旅先から使いをやって『父上は、お亡くなりになりました』と告げさせたのです。
それを聞いた子供達は、大変驚き、悲しみましたが、逆に本心を失っている子供は、ハッと目を覚ましたのです。そして、良薬を飲み、毒による病は治りました。
そして、そこに父が旅先から帰ってきて子供達のまえに姿を表したのです。
解説
この譬えは、仏の神髄を説いたものです。どこが、神髄なんだって声がきこえますが・・・。
まず、医師はお釈迦さまで、子供達は私達衆生です。そして、良薬は法華経です。
お釈迦さまは、序品から寿量品まで『生身の釈迦』が、実は、『法身の釈迦』でもあるのだ・・・と、手を変え品を変え述べているのです。
そして、『生身の釈迦』が入滅するのは、私達衆生を教化するための方便で、本当は滅度したのではなく、『法身の釈迦』として、いつでもどこにでも、私達衆生のために法(法華経)を説いているのだと、明らかにされたのです。
つまり、仏の神髄は、『法身の釈迦』としての、いつでもどこにでも、私達衆生のために法を説いている『永遠の命』だったわけです。
そして、その法とは、すべての人が正しい生活(法華経の実践)をしていけば、世界が大調和し、すべての人が幸せになれるということらしい。
だから、まず始めに自ら正しい生活を実践し、そして、あなたにも実践していただいて、みんなで幸せになりましょう・・・ということが、法華経の教えなのです。