2025年4月2日水曜日

釈尊のいぶき:エピローグ(その20)


ここまで「釈尊のいぶき解説サマリーシリーズ」を読んで下さって、ありがとうございました。

 

まだ、読んでない方は、3月12日からこの「釈尊のいぶき解説サマリーシリーズ」が始まっております(^^;

 

「釈尊のいぶき解説サマリーシリーズ」の内容は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめた、立正佼成会の「経典」の解説です。

 

尚、立正佼成会については、「私と立正佼成会 」をご覧ください。

 

その経典には、法華経の最高エッセンスが散りばめられていて、これを理解して毎日読誦すれば、法華経マイスターになれると私は思います(^o^) 

 

佼成会会員の方は、毎日朝夕に経典を読誦して、本コンテンツを参考にして、法華経の最高エッセンスを掴んで、実践してみてください。

 

一般の方は、佼成会に入会するか、経典と「釈尊のいぶき」を佼成ショップで買って、毎日朝夕に経典を読誦して、同じく法華経の最高エッセンスを掴んで実践してみてください。

 

ということで、本シリーズは、ひとまず終わりにしたいと思います。ご精読ありがとうございました!!

 

「釈尊のいぶき」の購読は、以下のリンク先で

 

2025年4月1日火曜日

釈尊のいぶき:普回向・唱題・回向(その19)

 


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-16/


・経文(普回向)(「釈尊のいぶき」での抜粋)

わくは
(あまね)ぼし
(われ)()
(みな)(とも)(じょう)ぜん

 

・訳文

たちのいといたしますところは、このをあまねくのものにおよぼし、たちすべてのが、みんなじようにしたい、ということでございます。

 

・唱題

では、「()()(みょう)(ほう)(れん)()(きょう)」のお(とな)えます。

というのは、インドの)のをそのままてはめたもので「」というです。 

」とは、してさまのんでいく、すなわち、すべてのものをかしているのなかにんでいくことです。

そして、そのえるほどにじる「ありがたい」というも、こののなかにめられています。

 

・経文(回向)

んで(たてまつ)
(あつ)むる(ところ)(もっ)
()(おん)(じつ)(じょう)(だい)(おん)(きょう)(しゅ)
(しょう)(みょう)(ほっ)()
(ふん)(じん)(さん)()

(とう)()()(さつ)



(かん)(じょう)()(しゅ)()(そん)(じん)
()(しゅ)()(そん)(じん)
()(こう)()(おん)(ほう)(しゅう)す。

わくは(しょう)(れい)
(しょう)(れい)
()(えん)()(えん)(しょ)(しょう)(れい)
(なに)(とぞ)
()()(じょう)()(だい)せしめ(たま)え。
じては、りまするよう、(ひとえ)(たてまつ)る。

 

・訳文

いまここにんでさせていただきましたえ・められたのすべてを、

宇宙大生命である()(おん)(じつ)(じょう)で、そのわれとして人類救済のために真理いてくださった大恩ある教主釈尊


法華経えの真実証明される


宇宙大生命分身であり、過去現在未来じて、こののあらゆるにおでくださる諸仏


すべての救済しようとされた四大菩薩


釈尊のお実践)のきを象徴するをはじめとする菩薩方


くの困難えて、法華経めてくださった


法華経世界信受して本会創立してくださり、菩薩し、法華経導師であられた


開祖さまののもと、人心救済教化しまず、菩薩じてご証明された


菩薩実践むようにと守護してくださる神々


こののあらゆるにいらっしゃり、びとをってくださる神々

し、そのいたします。
そして、ごさま、今日にあたる)よ、どうかたちのをおけください。   

に、をはじめ、からおげます。とぞ、であり、さまのである『』がやかにいたしますよう、たちのをごくださいませ。


2025年3月31日月曜日

燈明日記ブログ: 朔日(さくじつ)と布薩(ふさつ)

燈明日記ブログ: 朔日(さくじつ)と布薩(ふさつ):   朔日(さくじつ)とは、 陰暦で、月の第一日のことで、 朔日参りの時は「ついたち」参りと読む。   一方、 布薩(ふさつ)の日とは、1日と15日のことで、月2回仏教徒が集会を開いて反省会(懺悔)をする日です。(以前にアップした 布薩の日 を参照のこと)   また、2月15日は釈...

釈尊のいぶき:仏説観普賢菩薩行法経(その18)


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-15/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

()(げん)(こん)あって。

(ごう)(しょう)(まなこ)()(じょう)ならば。

(ただ)(まさ)し。

すべし。

れを(まなこ)して。

くすとく。

()(こん)(らん)(しょう)いて。

()(らん)す。

れに()って(おう)(しん)すこと。 

()(おろか)なる(おん)(こう)し。

(まさ)し。

()(そう)ずべし。

くして。

()をもってかん。

(しょ)(こう)して。

(ぜん)ってす。

(かく) 

(ぜん)(したが)って(しょ)(じん)ず。

(じゅ)し。

(にょ)(じっ)(さい)ぜば。

れて。

(また)(しょう)ぜじ。

の。 

(あっ)()(ごう)す。

調せんとせば。

めてし。

(しん)(じゃく)()(おも)うて。

(おもい)なかるべし。

(しん)(こん)(おん)(こう)(ごと)くにして。

(しばら)くも(とど)まるあることなし。

せんとせば。

めてし。

(だい)(かく)(しん)

(しょ)(じょう)じたてまつるべし。

()

(したが)ってずるがし。

()()して。

にして(さわ)()なし。

して。

(じん)(ろう)れ。

し。 

にして(こころ)(たん)(ぱく)ならんとせば。

して。

ずべし。

(しょう)(ほう)便(べん)は。

うに()って()

(かく)()(ろっ)(ぽう)を。

けてとす。

(ごう)(しょう)(かい)は。

よりず。

せんとせば。

(たん)()してえ。

(しゅ)(ざい)(そう)()し。

()(にち)()す。

(ゆえ)()(しん)に。

すべし。


・訳文

もし、のもののっていたとづいたならば、えをし、)ということにをそわせることがです。

これが(まなこ)であり、のよくないないを()くすです。

また、いがあるがゆえに、ものごとをしくくことができないと、じさせるとなります。

ったをすれば、ったえをこし、あたかものみによってのように、あられもないことをしてしまうのです。

ですから、えをし、すべてのものごとは「(くう)」であり、した(すがた)はないことをしっかりとじ、すべてのつめることをがけなければなりません。

そうすれば、せつけず、すべてのものごとがしくってくるようになるでしょう。

 さのみにすれば、そのによってさまざまなまちがったこし、そのいのためにいろいろな(ちり)が生じます。

そのときにじるならば、にもろもろのかられることができ、じことをくりすことはないでしょう。 

は、しいなど、をつくるもとです。

しいりたいとうならば、ないをし、びとのというものにいをこらし、からけへだてをするててしまわなければなりません。

 というものは、からのように、しばらくもじっとしていません。

もしそのいたをおさえ、しいれようとうならば、つとめてえをし、天地ったであり((だい)(かく)(しん))、(そな)え()、ものをも(おそ)れはばかることなくく(()())、(わざ)(こころ)にありありとかべることがです。 

きは、まるでばされるように、によっていかようにもします。

そのなかには(こころ))ののわがままなれまわっています。

このったしてにいたいとうならば、して)をじなければなりません。

させる(すぐ)れたは、このようにえによって、うことからまれてくるのです。

いまいたつのえもそのであって、これらはきをしくしてきわめるようになるにほかならないのです。

すなわち、ないのち((ごう)(しょう))はみな、ありもしないことをあるとからこるのです。

もししようとうならば、かにってじることです。

もろもろのというものは、ちょうど(しも)(つゆ)のようなのあらわれにぎず、えば、たちまちしてしまうのです。

ですから、ひたすらうことによって、めなければなりません。

 

 ・補足

()(こん)(しょ)(こう)(じゃく)して

のすべての()(こん)させています。したがってこのは、るように、さのみをすることをしています。
 

(ぜん)(したが)って

(ぜん)」とは、などがにしみんでれないように、ものごとにするします。
 

(そく)(おこ)

(そく)」とはのことです。
 

(ほう)(しん)(じゃく)()

(しん)」は、「(じゃく)」はというですから、)ということです。にあてはめると、すべてのは「らのいのちのとする」というにおいてであるということになります。
 

(しゃく)(ぶく)

にそれてしまったしいれることです。
 

(ろく)(ぞく)

(こころ))のして(ろっ)(こん))が、それぞれのおもむくままにいていることをしています。
 

です。そこで、さまとじようなたいとずることが、であるというのです。


2025年3月30日日曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八(その17)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-14/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

()(げん)げたまわく、

せば(おい)(まさ)()()べし。

にはせらるることを()

にはえ、

には(しょう)(じょう)(じゅ)()り、

にはうの(おこ)せるなり。 

(かく)せば、(おい)()()ん。

()(もう)して(もう)さく、(のち)(じょく)(あく)()(おい)て、()()することあらんは、(まさ)して()き、(あん)(のん)なることをせしめ、(うかが)(もと)むるに()便(たより)()なからしむべし。

 

・訳文

さまはかっておえになります。

もしが、つのことがらをすれば、においてもこのえをつかみ、ることができるでしょう。

は、られ、(おも)われているのだということをすることです。 

は、いつもないをすることをがけることです。

は、いつもしいえをするびとのっていることです。

は、いつもをよくすること、のためにつくすことをめざすことです。

もし、がこのつのことがらをなえば、がこのったのちにおいても、のものにすることができるでしょう。

そのときは、さまにげました。 

、ありがとうございます。

よくわかりました。 

はおいいたします。

くなり、のことばかりするため、いがえない)の(にご)りきったのなかで、このえをするがおりましたならば、そのをしっかりいたしましょう。

もろもろのりをき、いつも(あん)(のん)なえるようにいたしましょう。

かの(すき)をねらってりつき、(さまた)げたり、(はく)(がい)えようとするたちに、そのがかりをえないようにってやりましょう。


2025年3月29日土曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五(その16)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-13/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

(こん)(やく)(こうむ)って。 

()()()めんに。 

(みょう)()

()う。

()(そく)し。

便(しゅ)して。

(もろもろ)に。

(くに)としてぜざることなし。

(あく)(しゅ)

 

(もっ)(ようや)(ことごと)せしむ。

(しん)(かん)(しょう)(じょう)(かん)

()()(かん)

(およ)()(かん)あり。

(せん)(ごう)すべし。 

()()あって。 

()(にち)し。

()(さい)(ぶく)して。

(あまね)かにらす。

()(たい)(かい)(らい)(しん)のごとく。

のごとく。

(そそ)ぎ。

(ほのお)す。 

(じょう)(しょう)して(かん)(しょ)()

(ぐん)(じん)()()せんに。

ぜば。

(あだ)退せん。

(ぼん)(のん)(かい)(ちょう)(おん)

(しょう)()(のん)あり。

()(ゆえ)(すべか)らくずべし。 

(しょう)ずることなかれ。

(じょう)(しょう)は。

()(やく)(おい)て。

()(ため)()()れり。

して。

をもって()る。

(じゅ)なり。

()(ゆえ)(ちょう)(らい)すべし。

 

・訳文

びとがい、しみにさいなまれているとき、のすぐれたびとをいます。

え、どのようなにも、そのいにピタリとてはまるにつけていますから、いかなるにもわれていのきをされます。

こうしてり()・(むさぼ)り()・)といったからい、をしだいにき、ついにはことごとくさせるのです。

きわめる(まなこ)(しん))、いのないらかな(しょう)(じょう))、(こう)(だい)()())、しむすべてのってあげたいというやさしいいにちた)、すべてのせにしてあげたいというしみをたたえた())をっています。

びとは、にそのような(まなこ)ちたいとい、としなければなりません。

からは、(けが)れなきらかなたれ、智慧太陽のごとく、すべてのいのい、もろもろの不幸ぼしてらします。

かれるめは、びとのしみをいてあげようというざしたものですから、その(らい)(めい)のうち(ふる)うがごとくです。

また、びとにせをえずにはいられないは、あたかも()りにしむのようにありがたいものであって、のようにわいのあるえのをあまねくぎ、してくれます。

いごとできをけたり、それでもせずにずくのいとなってろしいうようなときでも、ずれば、もろもろの()まわしいことは、たちまちせてしまうでしょう。 

は、(みょう)(おん))をき、のあらゆるいをらかにけて()くれます。

えをらか((ぼん)(のん))で、かれるりのようにびとのり((かい)(ちょう)(おん))、すべてのいやしみをいて((しょう)()()(けん)(のん))くれます。

ですから、のようになりたいとうことがです。

ほんのにもってはなりません。

らかなであり、いろいろなしみやったときも、()()となります。えて、びとをてくれます。

すべてのまるように、(しあわせ)がそのによってせられるのです。

ですからし、そのないにんでいくことがなのです。

 

・補足

()(もん)

このにあるの「()」とは、くあまねく、どこにもかしこにもというです。「(もん)」は、からじて、をさすいられます。また、ものごとをするというもあります。したがってすると、「あまねくすべてのに」「えるのすべてのに」というになります。わかりやすくえれば、「こののいたるところに、ありとあらゆるとあらゆるに、あらゆるに、に」ということになります。


2025年3月28日金曜日

燈明日記ブログ: 法華経ブログの目的

燈明日記ブログ: 法華経ブログの目的: 私は、この「燈明日記ブログ」と、もう一つ「 法華経ブログ 」をやっています。 燈明日記ブログは、単に日記で、何でもありの内容になっていますが、法華経ブログは法華経に何かしら関係のある内容になっています。  法華経ブログは2008年の4月から開始していますが、その前に「法華経ノート...

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 如来神力品第二十一(その15)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-12/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

(おい)て。

の。

って。

(したが)ってかん。

の。

()(ゆう)(みょう)くがく。

()じて。 

()し。

をして。

(ひっ)(きょう)してせしめん。

()(ゆえ)あらん

()いて。

(おい)て。

()すべし。

()(おい)て。

(けつ)(じょう)して疑いあることなけん。 

 

・訳文

したのちのにおいて、

いたえがどういうで、

どういうかれたかということをよくり、

えのにしたがってりなくびとにくならば、

が、

すべてのさせるように、

びとのいのり、 

)たちをへとくでしょう。

よって、をほんとうにえるめる)は、

このえのがすぐれていることをいたならば、

において、このえをするのがなのです。

どうしても、このえ()にせざるをないのです。

そうなれば、そのずるであろうことは、

もはやいもありません。

 

・補足

とは(いち)(ぶつ)(じょう)したものです。さまのえには、(というつの)があるようにえますが、それはくための便であり、ではありません。すべてのえは、「く」というただつののためにかれています。という、それぞれにいがあるようにえるも、このつのにつながっているのです。ですから、とは、もすべてをします。


2025年3月27日木曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 常不軽菩薩品第二十(その14)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-11/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

いましき。

()(おん)(のう)(なづ)けたてまつる。

(じん)()()(りょう)にして。

(しょう)(どう)したもう。

(りゅう)(じん)の。

するなり。

()

()きなんと(ほっ)せし

一人あり。

(じょう)()(きょう)(なづ)く。

(けい)(じゃく)せり。

()(いた)って。

(しか)(これ)ってわく。

(なんじ)しめず。

(なん)(だち)(どう)じて。

(みな)(まさ)()(ぶつ)すべしと。

(しょ)(にん)()(おわ)って。

(きょう)()()()せしに。

()(これ)(にん)(じゅ)しき。

()(つみ)()(おわ)って。

(みょう)(じゅう)(のぞ)んで。

()(きょう)くことをて。

(しょう)(じょう)なり。

(ゆえ)に。

寿(ぞう)(やく)して。

(また)(しょ)(ため)に。

()く。

(じゃく)(ほう)(しゅ)

(みな)の。

して。 

(じゅう)せしむることを(こうむ)る。

(みょう)(じゅう)して。 

()いたてまつる。 

()くが(ゆえ)に。

()(りょう)

(ようや)()して。

()ず。

()は。

(すなわ)()れなり。

()()(しゅ)の。

(じゃく)(ほう)(もの)の。

(なんじ)(まさ)に。

()(ぶつ)すべしというをきしは。 

()(もっ)て。

()いたてまつる。

()()

(しゅ)

幷及(ならび)

(しょう)(しん)()(にょ)の。

(いま)()て。

()れなり。

(おい)て。

()(すす)めて。 

()の。

(ちょう)(じゅ)せしめ。

(かい)()してえて。

(じゅう)せしめ。

()()(かく)(ごと)き。

しき。

(ごう)より。

()()()(いた)って。

(いま)し。

()くことを()

(ごう)より。

(いた)って。

()きたもう。

()(ゆえ)

(ほとけ)(めつ)()(おい)て。

(かく)(ごと)いて。

(しょう)ずることなかれ。

()()(いっ)(しん)に。

()くべし。 

()いたてまつりて。

()(じょう)ぜん。

 

・訳文

()(おん)(のう)というがおられ、すぐれた(みちび)かれました。 

びとも、びとも、たちも、ともにげておえしていました。

このされ、そのえもれられようとするころ、一人がいました。

(じょう)()(きょう)というでした。

そのころのたちは、えをして、それにとらわれていましたが、らのそばにってこううのでした。『はあなた(かろ)んじません。

あなたずることによって、となるだからです』と。

びとはのことを、いいかげんなことをうやつだとし、(ののし)り、いましたが、(かん)(よう)をもって、じっとそれをけとめました。 

からの(しん)ない)、()言葉)、())の(さん)(ごう)(きよ)()くして、このえようとするとき、えをくことができました。

そのためにもすっかりわれました。

そして、寿びたため、びとのためにまたえをきました。

(しょう)(ぼう)にとらわれていた(ひと)びとは、のおかげで(ただ)しく(きょう)()され、(ほとけ)(さと)りを(こころざ)すようになりました。

はそのによって、も、またでもにおいすることができました。

そして、そこでもこのえをけたために、はかりしれないほどのることができました。そのでまたにおいするというをくりすうちに、ついにはりにしたのです。

そのときのなのです。

そして(しょう)(ぼう)にとらわれていたたちは、(じょう)()(きょう)から『あなたになれるです』といつもかされていたために、そのによってくことができ、うことができました。

この(ほう)()には、たちがまっていていますが、じつは、あなたこそにおいてしたたちなのです。

は、において、あなたであるこのえをくことをめ、〈すべての(あら)われである〉というかせ、く〈〉のして、)に(いた)らせました。

そして、もいつのにあっても、このえをしたのです。

しかし、うことはなことではありません。 

(ごう)というえられないほどのがたち、(じゅく)して、めてくことができるからです。 (ごう)というばぬほどのて、ふさわしいばれてこそめてはこのえをおきになるからです。

そういうわけですから、したのちのたちよ、このえにつことなく、めてえをめてください。

そうすれば、そのによって、いつのにもうことができ、まわりをすることなくりにすることができるでしょう。


・補足

()(しゅ)

(()())、()()())、()()(そく))、()()())のことです。「()()」とうこともあります。
 

(にん)(じゅ)

りやじながらも、じっと()えるというではありません。むことなく、をもってけとめるということです。
 

には、とか、などというがよくてきますが、これらはをさすのではなく、「たくさん」とです。ですから、このというも「たち」とです。
 

()(つみ)()(おわ)って

するは、っていました。ときにはないをしたり、ったり、ったこともあったはずです。そうしたったないが、によって、すっかりめられたということです。


2025年3月26日水曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 如来寿量品第十六(その13)

 



・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-10/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

てより(このかた)

たる 

(さい)()(そう)()なり。

いて。

して。

らしむ。

(しか)しより(このかた)なり。

せんがに。

便して(げん)ず。 

(しか)にはせず。

(ここ)してく。

すれども。 

(もっ)て。 

 顚(てん)(どう)をして。

しと(いえど)(しか)ざらしむ。

て。 

し。 

(ことごと)(いだ)いて。

(しょう)ず。 

(すで)(しん)(ぶく)し。

(しち)(じき)にして(こころ)(にゅう)(なん)に。

たてまつらんとして。

まず。

 

(とも)ず。

る。 

(ここ)にあってせず。便(もっ)ての(ゆえ)に。

ありとず。

の。

()(ぎょう)(しん)(ぎょう)するあれば。

(また)(おい)て。

く。

(なん)(だち)()れをかずして。

(ただ)(われ)(めつ)()すと(おも)えり。

れば。

()(かい)(もつ)(ざい)せり。

(かるがゆえ)ぜずして。

れをして。

(かつ)(ごう)ぜしむ。

()(れん)()するに()って。

(すなわ)でてく。

(かく)(ごと)し。

()(そう)()(こう)(おい)て。

(りょう)(じゅ)(せん)

(およ)()(もろもろ)(じゅう)(しょ)にあり。

きて。

かるるとも。

(あん)(のん)にして。

せり。

(おん)(りん)(どう)(かく)

(しゅ)(じゅ)をもってし。

(ほう)(じゅ)()()(おお)くして。

()(らく)するなり。

(しょ)(てん)(てん)()って。

()(がく)し。

(まん)()()()()らして。

(およ)ず。

(やぶ)れざるに。

(しか)きて。

()() 

(かく)(ごと)(ことごと)(じゅう)(まん)せりとる。

()は。

(もっ)て。

()(そう)()(こう)()ぐれども。 

(みな)かず。

(あら)ゆる(しゅ)し。

なるは。

(すなわ)(みな) 

(ここ)にあってくとる。 

(ある)(とき)()に。

(ぶつ)寿(じゅ)()(りょう)なりとく。

(ひさ)しくあって(いま)たてまつるには。

(ため)には()(がた)しとく。

(かく)(ごと)し。

すことに。 

寿 

しくしてなり。

(なん)(だち)()あらん

(ここ)(おい)(うたがい)ずることなかれ。 

(まさ)(だん)じて(なが)()きしむべし。 

にして(むな)しからず。

()()便をもって。

(おう)()()せんがに。

には()れども(しか)()すというに。

()()(もう)くものなきがく。

(また)()

()(げん)なり。

(てん)(どう)せるを(もっ)て。

には()れども(しか)(めっ)すとう。

るを(もっ)ての(ゆえ)に。

(しか)(きょう)()じ。

(ほう)(いつ)にして()(よく)(じゃく)し。

()ちなん。

の。

ぜざるをって。

すべき(したが)って。

(しゅ)(じゅ)く。

(つね)(みずか)()(ねん)()す。

(もっ)てかをして。

()り。

かにすることをせしめんと。

 

・訳文

となってから、これまでにったです。

そのあいだは、えをき、してきました。

そのときからもまた、っているのです。

つとして、このから姿したこともありますが、)したのではなく、にこのにいていているのです。  

にこのにいるのですが、によって、(てん)(どう)している(ごともえ、ものごとのようとしない)には姿えないようにするのです。

は、(にゅう)(めつ)したのをて、をまつってをし、そこではじめてえをめようというこします。 

()(どう)こしたは、えをからじ、らかくで、とともにいるというようと、をもしまないほどのさでします。 

このようなびとがくなれば、たちとこのてきて、『にここにいますが、としてだとわれるときに(にゅう)(めつ)せるのです。

また、このでも、しいえをい、じ、きたいとたちがいれば、はそのたちのにもわれてきます』とります。 

くのは、このことをらないために、するのだとんでいるのです。

ると、くのんで、しみもがいています。

さればこそ、はわざとわさないで、めるちをこさせるのです。

するびとにこれば、すぐにわして、そのたちのために()きます。

とはこのようなものであって、からまで、およびそのしているのです。

ると、かれてしまうようなになっても、(あん(のん)であって、がたくさんまり、しいっています。

しいかな(ほう)(ぎょく)によってられたがたくさんあります。

にはしいき、かながなっていて、そのびとはいもなくんでいます。 

(てん)(にん)(たえ)なる音楽(かな)で、(まん)()()()びらをのように、びとのじています。

(まなこ)からは、このようにしいのですがからると、あたかもかれるがごとく、ちているようにえるのです。

このようなは、よくないないをねるために、っても)のをくことができません。

に、のためのためにさまざまなをなし、(にゅう)()は、がいつもそばにいていている姿る(する)ことができるのです。

そのようなびとにして、あるときは『寿りないものであって、である』ときます。 

いあいだかかって、ようやくったには、『うことはしいのだから、いまえたびをんで、らずむのですよ』とくこともあるのです。

はこのようにきいものであり、そのらしだすです。

また、寿であって、それはいあいだんで寿なのです。

ほんとうのめようとしているみなさんは、寿であり、であることをってはなりません。

もし、いをこすようないのがあれば、ってしまわなければなりません。 

は、すべてなのです。

べたにおいて、んでってしまったどもたちをすために、便をもって、んでいないのに『んだ』とげさせたことを、だれもとがめたりしないのとじように、姿えなくするのもしてうそ、りではありません。

です。

です。

さまざまなえるです。

いつものそばにいて、そのしみをこうとしているのですが、(てん)(どう)しているので、そのることができません。

そこで、そのまさせるために、はそばにいても『がくれば姿すのだ』とげるのです。

もし、いつでもえるのだということになれば、にわがままなじてする((おのれ)にとらわれる)ため、いの)やりの)などもろもろのしみがわれてくるのです。

のすべてをとおして、あるはよくじており、あるじていないということを()くしていますから、がけやえをするじて、び、さまざまにいてあげるのです。

とはいえ、どんなしても、しもわりません。どうしたられることができるだろうか、どうしたらやかにせしめることができるだろうかと、にそれのみをじているのです。

 

・補足

ここでとは、などによってられるということではありません。()(おん)(じつ)(じょう)は、のものをかしているですから、っておられます。そのしているのです。
 

(りょう)(じゅ)(せん)

かれたであったために、こうおっしゃられたのであって、は「この」ということです。たちがえをくところは、どんなであっても、そこがなのです。
 

()(こく)

国土ということですが、宇宙のありとあらゆるというにとらえるといいでしょう。
 

(まん)()()()

で、ばせずにはおかない、しいのことです。
 

でいうとは、ずしもいことをしたというだけではなく、されて、らのをくらましてしまっていることもいいます。
 

(みな)かず

 さまにうことも、さまのえにふれることも、えをめるれてもらうにもまれないということです。
 

()(こう)(てら)すこと

らしだすであるということは、いつ、いかなるでも、いのにいるいのえ、かせるきをするということです。したがって、すべてのめることができるというです。