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法華経あらまし前半1〜24品まで、一気にお読みください!
法華経ストーリーの流れ
法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。
また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品
第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。
以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。
- はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。
- そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。
- すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。
- そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。
- しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。
- すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。
- そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。
- ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。
- そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。
- そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。
- さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます。
では、上記を踏まえて、各品毎のあらましにつづきます。
序品 第一(法華経のあらまし)
序品は、文字通り法華経のプロローグです。舞台は、王舎城(おうしゃじょう)の霊鷲山(りょうじゅうせん)。まさに今、大オペラが始まろうとしています・・・。
お釈迦さまの教えを聞こうと、沢山の人(弟子、菩薩、他教の神々、鬼神、動物等)が集まってきました。そして、その教えは、
『無量義』という教えでした。その教えを説き終えれると、お釈迦さまは、三昧(瞑想)にお入りになりました。そして、しばらくすると、空から美しい花が降ってきて、お釈迦さまの眉間から光が出て、宇宙のあらゆる世界を照らしました。しかも、過去世の様子まで・・・。
この光景を見ていた
弥勒菩薩は、このことが、どういうことか、お釈迦さまへ聞きたかったのですが、三昧に入っていたので、代わりに文殊菩薩に聞きました。そして、
文殊菩薩は答えました・・・。
「わたしはかつて、過去の諸仏もとで修行をしていた遠い昔に、同じような奇跡を見た事があります。それは、日月燈明如来という仏がおられ、
声聞には
『四諦』を、
縁覚には
『十二因縁』を、
菩薩には
『六波羅蜜』を説かれました。また、そのつぎの時代にも別の仏が現れ、名は同じく日月燈明如来とよばれ、今度は、『無量義』を説かれ、三昧に入り、そして、『妙法蓮華経』をお説きになったのです・・・。まさに今、その時と同じ光景なのですよ!」
とまぁ、こんな感じに展開していきます。そして、本品のポイントは、他教の神々や生きとし生けるものすべてに対して説かれたこと。また、眉間からの光が時空を超えてすべてのものにとどいたこと。つまり、法華経は、あらゆるものに通じる真理を象徴しています。
方便品 第二(法華経のあらまし)
序品第一で三昧に入られていたお釈迦さまが目を開け、そして起き上がり、弟子の
舎利弗に告げはじめました。
「もろもろの仏が悟った智慧は、深遠で大変難しく、舎利弗をはじめとする皆さんには到底理解することができません。もし、お話ししても、皆さんの頭が混乱するだけなので、説くのはやめましょう。」
しかし、舎利弗は余計に聞きたくなり、再度、説いてくださいとお願いしましたが、やはり、駄目で、三度目でやっと、それほど云うならと説法をお話し始めました。(これが有名な三止三請です。)
すると、今までお釈迦さまの教えを聞いて、自分はもう悟っていると思っている弟子達五千人が、いまさら新たな教えなど聞き耳もちませんとその場を退場していきました。
すると、お釈迦さまは、その弟子達を止めもせず、あらためて、舎利弗へこの教えを聞くに相応しい人だけ残りましたと説法をお話し始めました。
しかし、この品では、肝心の法華経については、至らず、さわりで、因果の法則(十如是)や方便についてお話しになりました。
十如是は、相、性、体、力、作、因、縁、果、報、がすべて等しいことであるとする法門で、諸法実相とも云います、あとで詳しく説明を致します。
また、方便は、正しい手段のことで、それぞれの人に、その時、その場所により、無数の教えを今まで説いてきましたが、実は、ある一つの教え(真理)がすべて元になっていて、そこに気づき、理解できれは、舎利弗をはじめとする皆さんも、仏になれますよ・・・。
と、云う事で、方便品は終わり、『譬諭品 第三』へ続いていきます・・・。
譬諭品 第三(法華経のあらまし)
方便品で、お釈迦さまから、つぎのようなお言葉を承った舎利弗は・・・。
『無数の方便で、それぞれの人にふさわしい、適切な道によって教えが説かれ、そして、ある一つの真理を会得すれば、舎利弗をはじめとするすべての皆さんも仏になることが出来ますよ。』
これを聞いて、自分も仏になれるのだと大変喜びました。そこで、舎利弗は「ある一つの真理」とはどんなものでしょうかと、お釈迦さまへおうかがいしました。すると、お釈迦さまは、『三車火宅の譬え』をお話し始めたのです。
『三車火宅の譬え』をお話し終えたお釈迦さまは、今まで無数の方便の尊い教えを説いてきましたが、実はそれは、ただ唯一の一番尊い真理を説いていたのです・・・。
ということで、法華経の神髄は、まだ、語られず、信解品へ続くことになります。
信解品 第四(法華経のあらまし)
譬諭品 第三で、お釈迦さまから『
舎利弗をはじめとするすべての皆さんも仏になることが出来ますよ』と聞いた、
慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目ケン連の4人は、われわれも仏になれると大喜びして、我々が理解した内容を譬えにして申し上げますと
『長者窮子の譬え』を語り始めました・・・。
尚、信解品の「信」とは、感情(行)のはたらきです。「解」とは、理性(学)のはたらきです。そう、信仰に対して、この両方がかね備わってこないと、なかなか「ある一つの真理」を会得することが難しいみたいです・・・。
薬草諭品 第五(法華経のあらまし)
信解品 第四で、摩訶迦葉らから『長者窮子の譬え』を聞いた、お釈迦さまは、「よろしい、よく分かってくれました。しかし、如来(長者窮子の譬え言う長者)は、もっともっと計り知れないほどの功徳があるのです。如来は、一切の教えを知り、それを自由自在に支配するものです。そして、すべてのものごとの真相を明らかに究め尽くして、多くの衆生にたいして、その一切を知るものの智慧を示されるのであります・・・。」と、続いて『薬草の譬え』をお説きになりました。
授記品 第六(法華経のあらまし)
この品は、『信解品 第四』で、仏の教えについて理解した内容を『長者窮子の譬え』にして申し上げた、慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目ケン連らが、『薬草諭品 第五』で『薬草の譬え』を聞き、ますます、教えを深め、そして、そのことに対して、お釈迦様が、仏法を理解したこと認め、あなた方も仏になれますよと、授記されます。
授記とは保証のことで、保証にはいつも条件があり、それは、これからも行学二道の研修に励み、多くの人々を仏道に導いた後・・・、ということです。つまり、これからが大事で、理解した仏法を実践してくださいってことです。
化城諭品 第七(法華経のあらまし)
はるかなる大昔に、大通智勝如来という仏さまがおられました。この仏さまには、出家するまえに16人の子供がいました。16人の子供は、みな父上を見習って法華経を説くために仏さまになりました。そして、16番目の仏さまが娑婆国担当の釈迦牟尼仏でありました。
釈迦牟尼仏ことお釈迦さまは、過去世に法華経の教えによって教化した衆生たちこそ、いまの弟子たち及び未来世の信者(現在の我々)に他ならないことを、明らかにしました。
真に悟りを得る道は2つあるものでは、ありません。ただ一つ法華経の教えがあるのみです。しかし、五官の欲にとらわれて、みずから苦しみを招いている人もいますので、そういう人達のために、とりあえず、迷いを除いて、心に安心を得るようにみちびいてあげるのです、と。このことを譬え話で説明いたしましょうと『化城宝処の譬え』を説かれ始めます・・・。
五百弟子受記品 第八(法華経のあらまし)
この品は、お釈迦さまが富楼那(フルナ)をはじめとする5百人の弟子(阿羅漢)に成仏の保証(受記)されます。
阿羅漢たちは、受記されるにいたった悟ったことを『衣裏繋珠の譬え』にして、申し上げました。
この譬え話が終わると、「お釈迦さまも、この友人のようなお方です。まだ菩薩であられたころ、私たちに、『だれしも仏性が具わっているのだから、修行して仏の悟りをひらくように』と教えてくださってのですが、私たちの心は眠りこけていて、そのことを知らず、ただ煩悩を除くことだけで、それが最上の悟りだと思い込んでおりました。
今、ここに、お釈迦さまは私どもの目をさまさせてくださいました。と心からお礼を申し上げるのでした・・・。
授学無学人記品 第九(法華経のあらまし)
この品は、前品の『五百弟子受記品 第八』で 五百人を受記(仏に成れる保証)されましたが、さらに、『授学無学人記品第九』では、
阿難(アナン)と
羅ご羅(ラゴラ)を始めとする授学無学人の二千人を受記されます。
さて、この阿難と羅ご羅ですが、ブッダ十大弟子でありながら、一番最後に受記されました。
どうしてかと言うと、この2人、実は、お釈迦様の従弟と実子(長男)で、いかに身内の者を教化することが難しいかということと、お釈迦様の身内に生まれたことの強い因縁があったと言われています。
阿難は、「多聞第一」といわれ、当時、いまでは考えられないほどの男尊女卑の時代に比丘尼教団を作ってしまった人です。どうしてかと言うと、女の人が沢山慕ってくるほどの美男子だったようです。
羅ご羅は、「密行第一」といわれ、人の見ていないところでも常に慈悲のある正しい行いをし、また、高い境地にいながらも、決してそれを表に出すことなく陰徳を積んだとされています。
そして、この2人の受記が終わると他の授学無学の二千人を受記されます。
ちなみに、ここでいう無学とは、学が無いという意味でなく、もう学ぶことが無いと言う意味です。
で、結局この品は、方便品 第二から始まった受記がすべて完了したと言うことでしょうか・・・、ブッダ教団は皆、菩薩になりました。
法師品 第十(法華経のあらまし)
ほとんどの弟子を受記されたお釈迦さまは、今度は
薬王菩薩をはじめとする八万の菩薩に告げ始めました。
「法華経の一偈ー句を聞いて、一瞬の間でも有りがたいと思う者があれば、その人に悟りを得る保証を与えましょう。」「法華経の一偈ー句でも受持・読・誦・解説・書写し(五種法師)、感謝を捧げる人が、仏になれる人であると答えましょう」
そして、すべての教えの中で『法華経』が第一であると宣言されました。
また、お釈迦さまは、『法華経』を説くときに、「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して説くのです。如来の室とは大慈悲心です。如来の衣とは柔和忍辱の心です。如来の座とは一切は空であり、すべての人間は平等に生かされているという、根本真理です。この大慈悲心と、柔和忍辱の心と、平等心を胸にしっかりと持ちつづけて、広くこの経を説きなさい」と教えられました。
見宝塔品 第十一(法華経のあらまし)
序品第一から前回の法師品第十までは、第一幕で、この品から、第二幕の始まりになります。
第一幕の舞台は、王舎城(おうしゃじょう)の霊鷲山(りょうじゅうせん)でしたが、この第二幕からは、霊鷲山の上空にいきなりなってしまいます。
どういうことかと言うと、大地から東京タワーのような塔がいきなり湧き出して来て、中から『お釈迦さまの説く法華経は、すべて真実です』という大きな声が聞こえてきました。
不思議に思った大楽説菩薩は、お釈迦さまに、中には何方がいるのですかとお尋ねすると、『如来の全身である多宝如来です』とお答えになりました。
そして、多宝如来が塔の中にお釈迦さまを招き入れ、一つの椅子に2人並んでお座りになりました。すると弟子達もその近くまで行きたいと思うと同時に、それを察知したお釈迦さまが、神通力で弟子達を虚空(上空)へ引き上げられました。
と、こんな感じで大スペクタルが展開していきます。これから先は、とうぶん虚空が舞台になります。
で、結局、この品はどういうことかと言うと、大地が人の比喩で、塔が仏性の比喩で、多宝如来が真理の比喩で、要は、法華経を授受すると、人は皆、本来持っている仏性が塔のように現れ、その中に真理が宿っている・・・。ということらしい・・・.。
そして、お釈迦さまがお説きになった法華経が、多宝如来によって真理であると証明されました。しかし、根拠がイマイチ謎ですが・・・。
堤婆達多品 第十二(法華経のあらまし)
法華経は、正しい行いをしていけば、すべての人が幸せ(成仏)になれるという教えです。
すべての人ですから、当然、悪い人も女の人も正しい行いをしていけば、成仏できるわけです。
なぜ、悪人と女性を同等に扱っているかと言うと、『提婆達多品第十二』のテーマが『悪人成仏 & 女人成仏』なのです。
悪人成仏は、極悪人である提婆達多が主人公で語られ、女人成仏は、8才の竜女が主人公で語られます。
悪人成仏
お釈迦さまは、前世において、阿私陀(あしだ)と言う仙人に法華経を教わったとお話しになりました。
その阿私陀は、現世において、お釈迦さまの命を狙ったり、いろいろ悪いことした提婆達多のことだと明らかにされました。
しかし、その提婆達多も長い間修行をすれば、仏の悟りを得られるでしょう、と授記されました。
そして、お釈迦さまも極悪人の提婆達多が、実は『善知識』だったお蔭様で成仏できたとお明かしになりました。
生きていくうちには、良い縁ばかりではありません。そう、もちろん悪い縁(逆縁)もあります。本品は、如何に逆縁に遭遇したときに、それを人間的成長の糧として消化していくことの大切さを教えてくださっています。
女人成仏
文殊菩薩から教化された竜女が、即座に悟りを得ますが、舎利弗はそんなことがあるはず無いと信じません・・・、でも結果的には信じざるをえなくなります。
しかし、竜女はそのままでは、成仏出来ず、男性に変身して成仏するのです。法華経では、『変成男子』とあります。また、梵本では、『女性の生殖器が消え、男性の生殖器が生じる』とあるそうです。
なんで、女性のまま成仏ができないのか・・・謎だ。ブッダの時代は、よほど女性の地位が低い時代だったのかなぁ・・・。
とにかく、ブッダの時代は、女性のまま成仏するなど、とんでもないと思われていた時代だったようです。現代でもまだ、なごりはありますよね・・・。
そして、すべての人を平等に救う教えの法華経だからこそ、女性までもが成仏できるというのはごく当然のことなのです。どんなに女性蔑視の時代にも・・・。つまり、法華経こそが、女性の味方の経典なのです。(ここにもってこれて良かった・・・。)
勧持品 第十三(法華経のあらまし)
この品には、いかなる困難にも耐えて忍んで、『法華経』を勧め、受持することが述べられています。
はじめに、お釈迦さまへ薬王菩薩と大楽説菩薩をはじめ、先に授記された8千人の比丘たちが、お釈迦さまが入滅されても、この『法華経』を受持し、学び、人々のために説き広めましょうと申し述べました。
つぎに、お釈迦さまは、突然ですが、叔母(摩訶波闍波提比丘尼)と妻(耶輸陀羅比丘尼)を授記します。先に堤婆達多品で竜女を授記していますが、これは、身近な者や教養の高い人ほど『法華経』を受持するのが難しいことを表しています。
で、この品のポイントですが、法華経が、正しいがゆえに迫害や謗り辱めを受けやすく、それを忍辱の鎧を着て忍び、この教えを説き広めるという一大事のために、あらゆる困難に耐えましょう。ということらしい・・・。
安楽行品 第十四(法華経のあらまし)
この品は、文殊菩薩がお釈迦さまへ末法の世で法華経を護持し、説き広める心がけをおたずねになりました。
するとお釈迦さまは、自分の行いと人々との交際についての心構え(身安楽行)、ことばについての戒め(口安楽行)、心の持ち方についての戒め(意安楽行)、理想の実現に対する努力のしかた(誓願安楽行)、の四つの心がけを教えられます。
そして、
髪中の譬えで法華経がどんなにすぐれた教えであるのかを力説し、四安楽行を完全に行って、この教えを広める者の功徳について以下のようにお説きになりました。
- 一切心配事がなくなる。
- 一切苦痛がなくなる。
- 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
- 生活にこまることがなくなる。
- 大勢の人から崇め慕われる。
- 神からも守護される。
- いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
- 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまうでしょう。
上記のことは、当然、四つの心がけある以下の四安楽行を実践できている人が対象です。
身安楽行
いつも柔和忍辱をたもち、権力や邪法や勝負事には近寄らず、性的なことには最善の注意を払う、などなど。
口安楽行
悪口や見下すような言葉、批判、また、あの人は好きだとか嫌いだとか、などなど。
意安楽行
嫉妬の心を持たないようにしたり、人を軽んじたり、失望させたり、えこひいきなどをしない、などなど。
誓願安楽行
すべての人をこの法華経によって幸せにしたいと誓願すること、などなど。
そして、次の従地涌出品第十五から如来寿量品第十六で法華経の神髄が述べられます。ご期待ください!