ついにネタ切れで、どうしようかと思っていたら、思いつきました!
今月1ヶ月の30日間は、日めくり「開祖さまのお言葉」で誤魔化します(^^;;
5日のお言葉は、
希望を 失わなければ 老いることはないです。
確かに、精神的には、そう云う面はありますね。しかし、肉体的には自然に摂理には逆らえません。 だからこそ、希望を失わないように生きよう〜
実は、 「日めくり開祖さまのお言葉」は、戒名当番の時に戒名室に貼ってあったのを、了解を得てコピーさせて頂いたものなのです。
ついにネタ切れで、どうしようかと思っていたら、思いつきました!
今月1ヶ月の30日間は、日めくり「開祖さまのお言葉」で誤魔化します(^^;;
5日のお言葉は、
希望を 失わなければ 老いることはないです。
確かに、精神的には、そう云う面はありますね。しかし、肉体的には自然に摂理には逆らえません。 だからこそ、希望を失わないように生きよう〜
実は、 「日めくり開祖さまのお言葉」は、戒名当番の時に戒名室に貼ってあったのを、了解を得てコピーさせて頂いたものなのです。
ついにネタ切れで、どうしようかと思っていたら、思いつきました!
今月1ヶ月の30日間は、日めくり「開祖さまのお言葉」で誤魔化します(^^;;
4日のお言葉は、
いつも 笑顔を忘れず 大きな声で 明るい返事です。
返事しないヤツって結構いるんですよね。社会や会社には・・・
だからこそ、 大きな声で明るい返事は、仕事をスムーズにするって、いつも実感してます!
実は、 「日めくり開祖さまのお言葉」は、戒名当番の時に戒名室に貼ってあったのを、了解を得てコピーさせて頂いたものなのです。
ついにネタ切れで、どうしようかと思っていたら、思いつきました!
今月1ヶ月の30日間は、日めくり「開祖さまのお言葉」で誤魔化します(^^;;
3日のお言葉は、
大切なのは 現在 何をなしているか これから 何をなすかです。
当たり前すぎて、コメントすることができない・・・(^^;;;
とにかく、人それぞれ、だと思います・・・
実は、 「日めくり開祖さまのお言葉」は、戒名当番の時に戒名室に貼ってあったのを、了解を得てコピーさせて頂いたものなのです。
ついにネタ切れで、どうしようかと思っていたら、思いつきました!
今月1ヶ月の30日間は、日めくり「開祖さまのお言葉」で誤魔化します(^^;;
2日のお言葉は、
身の丈に合わない 欲望や 願望は 身を 滅ぼすもとです。
これは、開祖さまのお言葉と言うより、一般的によく言われてますね(^^;;
実は、 「日めくり開祖さまのお言葉」は、戒名当番の時に戒名室に貼ってあったのを、了解を得てコピーさせて頂いたものなのです。
ついにネタ切れで、どうしようかと思っていたら、思いつきました!
今月1ヶ月の30日間は、日めくり「開祖さまのお言葉」で誤魔化します(^^;;
1日のお言葉は、
まず 人さまです。
自分の幸せを願うよりも、まず人さまの幸せを願うことを意味します。
これは、利他的な行為を行うことで、自分の仏性(ぶっしょう)を発揮し、結果的に自分も幸せへと導かれると考えられています。
それは、人さまの幸せを願うことが、仏性をまっすぐに発揮していく実践だからです。
そして「人さまのこと」「人さまのこと」と心をくばっていくと、自然に自分が幸せになっていくのです。
『一般的には、「一」には真理という意味はありません、しかし、法華経観では、すべての人は一つの乗り物(一乗)に乗っているいう真理があり、そこから「一」イコール「真理」となる』
と説明がありました。
『もうとっくにバスが来ている時間なのに、なんで来ないんだぁ!こんな時刻表などいるもんか!捨てちまえ!』
すると、連れ合いのおばあさんが言いました。
『おじいさんや、その時刻表がないと、バスがどれだけ遅れたかわかりませんよ・・・』
『人助けが出来てよかったですね。悩みに悩んだ人ほど・・・真理のすぐ傍にいるものです・・・。』
ん〜さすが・・・
ちなみに、『とある先生』とは、立正佼成会開祖の庭野日敬氏で、『とある人は』当時、佼成出版社の記者で、かつて三鷹教会長の岡部さんです。
『良いご縁を作ることです。』
爾の時に釈提桓因、其の眷属二万の天子と倶なり。
みょう牛(ご)の尾を愛するが如し
法華経法師品第十に「高原穿鑿(せんしゃく)の譬え」というくだりがあります。
薬王、譬えば人あって、渇乏(かつほう)して水を須(もち)いんとして、彼の高原に於いて、穿鑿(せんしゃく)して之(これ)を求むるに、猶お乾(かわ)ける土を見ては、水尚遠しと知る。功(く)を施すこと已(や)まずして、転(うた)た湿(うるお)える土を見、遂に漸く泥に至りぬれば、其の心決定して、水必ず近しと知らんが如く、菩薩も亦(また)復(また)是(かく)の如し。
水のない高原に井戸を掘るのは、現実の苦しみから逃れようという救いをもとめる努力の譬えです。
掘り初めのうちは、絶望感を感じますが、しだいに水気をたっぷり含んだ土にぶつかるのです。
この土こそ、真実の教え「法華経」なのです。
その「法華経」を得て、さらに掘りつづけていくことが、「菩薩行」にほかなりません。
衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。