法華経譬喩品第二に以下のくだりが出てきます。
みょう牛(ご)の尾を愛するが如し
みょう牛(ご)というのは、ヤクのことで、毛の長い(特に尾が)種類の牛です。
この牛は、この尾を大変大切にしていますが、それが元で殺されたそうです。(人間はその尾をとるために殺す)
ということで、上記は、自分にとってはたいした役に立たぬものに心をとらわれ、かえってそのもののために不幸を招くことの譬えで用いられました。
みょう牛(ご)の尾を愛するが如し
薬王。譬如有人。渇乏須水。於彼高原。穿鑿求之。猶見乾土。知水尚遠。施功不已。転見湿土。遂漸至泥。其心決定。知水必近。菩薩亦復如是。
衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。
今此の三界は。皆是れ我が有なり。其の中の衆生は。悉く吾が子なり。而も今此の処は。諸の患難多し。唯我れ一人のみ。能く救護を為す。
「正しい行いを続けていくと、善い縁が沢山できて、善い結果が生じ、世界が大調和し、みんなが幸せになる」
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上意を発さん。自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん。自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無げならん。
自ら仏に帰依したてまつる。自ら法に帰依したてまつる。自ら僧に帰依したてまつる。
諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なるを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうとなづく。