2016年6月11日土曜日

一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し

今朝、ネットをしていて見つけた『マンガ仏教ゼミナール』。
ここに『雑阿含経』の「盲亀浮木の譬え」が載っていました。
「盲亀浮木の譬え」とは、江原さんの影響か・・・人間が死んだら、すぐ生まれ変われるみたいな誤解がありますが、実は、生まれ変わるには物凄く大変だという譬えなのです。
  • 『マンガ仏教ゼミナール』
    (2024年11月現在リンク切れ)
とにかく、百年に一度、浮かび上がる目のみえない亀が、海に浮かぶ丸太ん棒の穴にひょいと頭を入れる確率より、人間に生まれ変わるのは大変だという譬えです。

つまり、人間に生まれるのはすごく大変なことなのだから、命は大切にしなさい・・・という教えなのです。
実は、法華経でも『一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し』というフレーズが24番の妙荘厳王本事品にあります。
こちらは、仏の教えに遭えることの大変さを譬えています。

2016年6月10日金曜日

和顔愛語(わげんあいご)

和顔愛語とは、「大無量寿経」にある仏教の言葉で、笑顔が幸せを呼び込むという教えです。
  • 『和顔愛語』 By マンガ仏教ゼミナール
    2024年11月リンク切れ
上記リンク先に以下のようなことが載っていました。
全国を回っている売薬さんから聞いた話だけど、奥さんの対応によって、その家の未来が分かるそうです。
明るい笑顔をたたえている奥さんの家は、1、2年後に行ってみると、必ず家を新築したり改築したり、庭がきれいになっている。
ところが、苦虫かみつぶしたような奥さんの家は、相変わらず玄関に履き物が散らばり屋根瓦が落ちたりしている。
一家の盛衰は、笑顔で決まりますね。
そう、その人はしみじみ語っていました。
とにかく、家を整えないと・・・とくに玄関は念入りに・・・。
そして、和顔愛語ですね。

実は、笑顔によって人の心を和ませることは、大切な布施行の一つだと仏教では教えられているのです。

2016年6月8日水曜日

ダンナ(旦那)とは

旦那とは、そう、我々亭主のことです(独身者は除く)。

実は、旦那の語源は、古代インドのサンスクリット語で『ダーナ』といい、「布施」を意味します。
「布施」は、慈悲心や情け、思いやりを表しいます。

昔、旦那は寺院や僧侶に布施をする「施主」や「檀家」の意味として用いられていました。
やがて、一般にも広まり、稼いだお金(ある意味、布施)で生活の面倒を見る人、つまり、妻が夫を呼ぶ敬称として旦那が用いられるようになったのです。

まさに、我々旦那衆は、家族のために布施する存在ですね。
財布の中は、最近は小銭しか入っていませんが、こんな時だからこそ、本来の旦那になっているのですね(^^;

2016年6月4日土曜日

あらやしき(阿頼耶識)を清める

最近、仕事のプレッシャーなのか精神的に不安定で、夢の中でも結構叫んでいるらしい・・・。
となりで寝ているママが驚いて、私を起こしてくれるのです・・・顔面ピンタとかで(^^;。

こういう時は、法華経読誦(ご供養)が効きますね。特に陀羅尼(26番、28番)がいいようです。
ここのところ、毎日の法華経読誦が復活しました。確かに精神が安定してきました。
法華経読誦が、なぜ精神安定に効くかというと・・・私が思うには以下の感じです。

潜在意識や無意識のことを仏教では、あらやしき(阿頼耶識)といいます。
この阿頼耶識に仕事のプレッシャーなどがインプットされるみたいです。

しかし、阿頼耶識は、意識的には制御できない無意識の領域なのです。
また、法華経には良い事が沢山書かれています。

つまり、良い事が沢山書かれている法華経を、毎日毎日繰り返し読むことによって、潜在意識に刻み込まれ、プレッシャーの意識などを追放して、阿頼耶識を清めることができるみたいです。

当分、阿頼耶識を清めて参ります。
ついでにママの阿頼耶識も清めてあげるって言ったら、あなただけには言われたくないと、強い拒絶を受けました(^^;

2016年6月1日水曜日

釈提桓因(しゃくだいかんいん)とは

法華経序品第ーに以下のくだりがでてきます。
爾の時に釈提桓因、其の眷属二万の天子と倶なり。
釈提桓因とは、帝釈天の別名で、娑婆世界のうえにある天上界の主とされていました。
その帝釈天の眷属には、以下の天子がいました。
  • 名月天子(月の神)
  • 普香天子(星の神)
  • 宝光天子(日の神)
  • 持国天(四大天王の一人:東方を護る)
  • 多聞天(四大天王の一人:北方を護る。別名:毘沙門天ともいう)
  • 増長天(四大天王の一人:南方を護る)
  • 広目天(四大天王の一人:西方を護る)
実は、これらの神々は、仏教ではなくバラモン教(古代インドの宗教)の神なのです。
釈迦は、これらの神々を排除することなく、仏法護持の神々としたのです。

2016年5月23日月曜日

終日竟夜(ひねもすよもすがら)とは?

法華経譬喩品第三に以下のくだりが出てきます。
世尊、我昔よりこのかた、終日竟夜毎に自らを剋責しき。
終日竟夜は、「ひねもすよもすがら」と読み、「昼も夜も常に」という意味だそうです。

2016年5月21日土曜日

「みょう牛(ご)の尾を愛するが如し」とは?

法華経譬喩品第二に以下のくだりが出てきます。
みょう牛(ご)の尾を愛するが如し
みょう牛(ご)というのは、ヤクのことで、毛の長い(特に尾が)種類の牛です。
この牛は、この尾を大変大切にしていますが、それが元で殺されたそうです。(人間はその尾をとるために殺す)

ということで、上記は、自分にとってはたいした役に立たぬものに心をとらわれ、かえってそのもののために不幸を招くことの譬えで用いられました。

2016年5月18日水曜日

高原穿鑿の譬え

法華経法師品第十に「高原穿鑿(せんしゃく)の譬え」というくだりがあります。
薬王。譬如有人。渇乏須水。於彼高原。穿鑿求之。猶見乾土。知水尚遠。施功不已。
転見湿土。遂漸至泥。其心決定。知水必近。菩薩亦復如是。
水のない高原に井戸を掘るのは、現実の苦しみから逃れようという救いをもとめる努力の譬えです。
掘り初めのうちは、絶望感を感じますが、しだいに水気をたっぷり含んだ土にぶつかるのです。
この土こそ、真実の教え「法華経」なのです。
その「法華経」を得て、さらに掘りつづけていくことが、「菩薩行」にほかなりません。