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2016年5月7日土曜日

唯我れ一人のみ。能く救護を為す。

法華経譬喩品に以下の一節(偈)があります。
今此の三界は。皆是れ我が有なり。其の中の衆生は。悉く吾が子なり。而も今此の処は。諸の患難多し。唯我れ一人のみ。能く救護を為す。
意訳:
この三界はみんなわたしのものだからです。
その中にいる衆生はすべてわたしの子だからです。
しかも、この三界にはもろもろの苦しみ悩みが満ち満ちているのです。
どうして、わたしがこの苦の世界に飛び込んでいって、わが子を救わずにいられましょう。
しかも、みんなを救うことのできるのは、たった一人、わたししかいないのですよ。

解説:
「みんなを救うことのできるのは、たった一人、わたししかいないのですよ。」のフレーズは、
普通の人が言えば、超傲慢ですが、釈尊が言ったということは、宇宙の真理ということです。
つまり、みんなを救えるのは、唯一、宇宙の真理だけであると・・・。

逆に云うと、宇宙の真理に沿って生きていけば、みんな救われるということです。
では、宇宙の真理とはなにか?

私が思うには、「正しい行いをしていくと幸せになる」です。
もうちょっと詳しく言うと
「正しい行いを続けていくと、善い縁が沢山できて、善い結果が生じ、世界が大調和し、みんなが幸せになる」
だから、毎日読誦する『唯我れ一人のみ。能く救護を為す。』の偈は、心に勇気を与えてくるのかなと思う次第です。

ちなみに、三界とは、凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つに分けたものです。
つまり、「この世」は、「三界」に含まれるのかな。

1 件のコメント:

OHMY さんのコメント...

法華経ブログわ見せて頂き有難う御座いました!

「唯我一人のみ能く救護を為す」
>しかも、みんなを救うことのできるのは、たった一人、わたししかいないのですよ。?

少し勘違いするのではと愚考します?
経文の中に、我と吾とが有りますが、我(一人ひとり)と吾(釈尊)ではないでしょうか?

吾(釈尊)が説かれた佛教を、我(一人ひとり)が学び行ずる事で、救われますからと言う意図で説かれたものと愚考しております。
神仏が救護して下さるものと思いがちですが、我(一人ひとり)が真理に添った行為をしないと、救護は無いとの警告とも受け取れます。

宗派によっては、南無阿弥陀仏を唱えることで、救護されると信じておられる様ですが?です・・・
この世の人々を全て、阿弥陀仏が救護して下さるので有れば、現在のコロナ問題など起きないのでは?

思考は夫々の知識の度合いで異なると思います・・・
ブログを拝見して、忌憚なく書きました事、悪しからず諒恕を御願い申し上げます。 合掌