2016年3月24日木曜日

法華経(仏教)を解き明かす『3』という謎の数とは?

法華経を読んでいると、なにかと3つが組みになっているキーワードに遭遇します。
智慧系慈悲系行徳系
文殊菩薩弥勒菩薩普賢菩薩
多宝如来釈迦如来阿弥陀如来



法身
応身報身
如来の室
如来の衣如来の座
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
声聞
縁覚
菩薩
四諦
十二因縁
六波羅蜜
小乗
大乗
一乗
無量義経
法華経
懺悔経
縁起の法永遠の命法の実践
呼ばれたら返事、ハイ!朝の挨拶、おはよう!脱いだ靴は、そろえるよ!
法布施財布施身布施
敬供養利供養行供養
自分が変れば相手が変るまずは人様すべては自分
そして、それらのイメージが自然と、智慧系、慈悲系、行徳系に分類されるのです。 また、法華経の前半を智慧系が、中程を慈悲系が、後半が行徳系のくだりになっているのです。
どうも、この3つの系が一体化されたものを釈尊は、悟られたのかなぁと思う次第です。 まだ、未消化気味の内容の文章ですが、これからも考察していきたいと思う次第です。

2016年3月22日火曜日

初転法輪

初転法輪とは、今から約2500年前、釈尊がお悟りを開いた後に、以下の5人へ、はじめて鹿野苑(インドのベナレス)で説法をされたこと云います。
ちなにみ、初転とは、はじめて転がすことで、法輪とは、法の車輪を転がすことです。(古代インドでは、りっぱな王には、巨大な車輪が授けられた。)
  • 嬌陳如(きょうじんにょ)
  • 跋提(ばつだい)
  • 婆沙波(ばしゃば)
  • 摩訶那摩(まかなま)
  • 阿説示(あせつじ)
第一声は以下でした。
『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。
如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである』
そのあと、四諦八正道の教えが説かれたとのことです。
また、仏、法、僧がはじめてそろった、つまり、仏教が誕生した記念すべきイベントが初転法輪なのです。

2016年3月21日月曜日

開経偈

開経偈とは、『お経文として読誦するのでは無く、法華経を拝読するときにお唱えする讃文(讃歌)であります。』ということで、以下を唱えます。
無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭いたてまつること難し。
我今見聞し受持することを得たり、願わくは如来の第一義を解せん。
至極の大乗思議すべからず、見聞触知皆菩提に近づく。
能詮は報身、所詮は法身、色相の文学は即ち是れ応身なり。
無量の功徳皆この経に集まれり。是の故に自在に冥に薫じ密に益す、
有智無智罪を滅し善を生ず、若は信、若は謗共に仏道を成ず。
三世の諸仏甚深の妙典なり、生生世世値遇し頂戴せん。 
要約すると、「法華経に巡り会えることは凄く難しく。しかし、私は今、法華経と出会い、心に刻み、できれば、法華経の神髄を理解したい。」、つまり、「遭い難き法華経に出会えて、法華経の神髄を必ずつかませていただきたい!」ということです。
そして、法華経の神髄とは、「無常の法」であり、お互いに生かしあい(諸法無我)、絶えず変化している(諸行無常)ことを悟り、宇宙全体のありようを、一つの大きないのちと観じられる・・・。

2016年3月20日日曜日

三帰依文

三帰依文とは、仏教徒なら毎日お経を上げる前に必ず唱える例の決まり文句です。
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 
大道を体解して、無上意を発さん。 

自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 
深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん。 

自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 
大衆を統理して、一切無げならん。 
意味は、「仏(仏さま)・法(真理)・僧(仏の仲間)を全身全霊で信じきり、拝みきって、心のよいどころに致します。」ということらしい。

では、なぜいきなり、三帰依文かというと・・・。
それは、先日、三身一体でお話した「応身・法身・報身」が、もしかしたら、「仏・法・僧」のことではないか・・・と、ふと思ったのです。っていうか、報身がイマイチ理解できなくて、そこに「仏・法・僧」の「僧」が、飛び込んできたのです。つまり・・・
  • 応身 = 仏
  • 法身 = 法
  • 報身 = 僧
ということで、報身とは、法華経を行ずる我々自身だということに気づかせて頂きました。
そして、他人からいわれるのでなく、自ら「仏・法・僧」を全身全霊で信じきり、拝みきる・・・。私は、いつになったら、その境地になれるのでしょうか・・・。

2016年3月18日金曜日

三身一体(法身・応身・報身)

三位一体では、ありません、こちらは、キリスト教でのお祈りの言葉で「父と子と聖霊の名のもとに・・・」であり、父とは神であり、子とはイエスのことであり、聖霊とは信仰の証のことです。
さて、三身一体とは、以下のように仏教での三身の仏のことをいい、そして、三身だけど実は一体なのだという教えです。
  • 法身 - 法華経では、多宝如来として表されている究極的な真理(仏さまの本体)をいいます。
  • 応身 - 究極的な真理を衆生にお示しになるために、人としてこの世に生まれた釈迦如来をいいます。
  • 報身 - 浄土宗でいう阿弥陀如来などのことで、修行の報いによって仏になられた信仰の証をいいます。
そう、三位一体とほぼ一緒と言おうか、これは、もう同じでしょう・・・。やはり、仏教もキリスト教も根本では、同じ説を信じます。

2016年3月17日木曜日

四弘誓願(しぐせいがん)

先の「法華経 従地涌出品 第十五」で、他の世界からやって来た菩薩達が、仏の滅後に娑婆世界にとどまってこの法華経を広めたいと申し出たのを、きっぱりとお釈迦さまは、お断りになったとたん、突然地面の中から涌き出した四大菩薩(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)等は、どのような意味があるのでしょうか。
実は、この四大菩薩は、菩薩としての四つの大誓願を代表しておられるのです。これを四弘誓願といいます。
  • 安立行(衆生無辺誓願度)- 衆生の数は無辺であろうとも、すべてもれなくお救いしようという誓願。
  • 浄行(煩悩無数誓願断)- 煩悩の数は無数であろうとも、かならずすべてを断ち切ろうという誓願。
  • 無辺行(法門無尽誓願学)- 仏の教えは無尽であろうとも、かならず学びつくそうという誓願。
  • 上行(仏道無上誓願成) - 仏の道は無上であろうとも、かならず成就しようという誓願。
まず、娑婆世界の地から涌き出したということは、娑婆世界の住民であるわれわれが、自らこの世界を法華経(正しい教え)によって、平和をつくりださねばならない、という力強い意味があります。
また、菩薩の名前に「行」が付いているのは、まさに「この世界を法華経(正しい教え)によって平和を作りださねばならない」という「行」そのものなのです。そして、その「行」は、四弘誓願の実践とイコールらしい。

2016年3月15日火曜日

衣座室(えざしつ)の三軌

以前、法華経の勉強会に行って、法師品第十を主に勉強してきました。で、心に残った『衣座室(えざしつ)の三軌』をお分けいたします。
これは、法華経を説く時の三つの心構え(ルール)です。
如来の室に入り如来の衣を著如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。
  • 如来の室(大慈悲心是れなり)
    大きな喜びをあたえ、大きな苦しみをも取り除いてあげようとする心。
  • 如来の衣(柔和忍辱の心是れなり)
    やさしくおだやかで、種々の侮辱や苦しみを耐え忍び、心を動かさないこと。
  • 如来の座(一切法空是れなり)
    すべての人は、仏の子(同根同胞)であり、すべての教えは、平等に受け止められ、生きるエネルギーになる。
ちなみに、「四衆」とは僧、尼、信男、信女の仏教信者をいいます。


とある教団で、とある開祖さまが、ナンバー2の人を担いだグループから邪険にされた時代がありました。
しかし、とある開祖さまは、そのグループをまったく咎めなかったのです。
のちに、とある開祖さまが、この時の心境をインタビューされたとき、以下のようにおっしゃいました。
そのグループの人達は、私の可愛い子供達(仏の子)ですからね。出来の悪い子供ほど可愛いものです。
開祖さまは、まさに、『衣座室の三軌』を実践したといえるでしょう・・・。すごい。