お経文として読誦するのでは無く、法華経を拝読するときにお唱えする讃文(讃歌)であります。』ということで、以下を唱えます。
無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭いたてまつること難し。 我今見聞し受持することを得たり、願わくは如来の第一義を解せん。 至極の大乗思議すべからず、見聞触知皆菩提に近づく。 能詮は報身、所詮は法身、色相の文学は即ち是れ応身なり。 無量の功徳皆この経に集まれり。是の故に自在に冥に薫じ密に益す、 有智無智罪を滅し善を生ず、若は信、若は謗共に仏道を成ず。 三世の諸仏甚深の妙典なり、生生世世値遇し頂戴せん。
要約すると、「法華経に巡り会えることは凄く難しく。しかし、私は今、法華経と出会い、心に刻み、できれば、法華経の神髄を理解したい。」、つまり、「遭い難き法華経に出会えて、法華経の神髄を必ずつかませていただきたい!」ということです。
そして、法華経の神髄とは、「無常の法」であり、お互いに生かしあい(諸法無我)、絶えず変化している(諸行無常)ことを悟り、宇宙全体のありようを、一つの大きないのちと観じられる・・・。
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