普通、『真理』とは、いつでも、どこでも変わりのない法則が真理です。
仏教では、その真理を『空』とも呼び。真理に合うとは、大調和のある世界を創造する一因をなすことが、 真理に合ったということなのです。たぶん。
『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。
如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。』
『奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。
ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。』
智慧系 | 慈悲系 | 行徳系 |
---|---|---|
文殊菩薩 | 弥勒菩薩 | 普賢菩薩 |
多宝如来 | 釈迦如来 | 阿弥陀如来 |
法 | 仏 | 僧 |
法身 | 応身 | 報身 |
如来の室 | 如来の衣 | 如来の座 |
諸行無常 | 諸法無我 | 涅槃寂静 |
声聞 | 縁覚 | 菩薩 |
四諦 | 十二因縁 | 六波羅蜜 |
小乗 | 大乗 | 一乗 |
無量義経 | 法華経 | 懺悔経 |
縁起の法 | 永遠の命 | 法の実践 |
呼ばれたら返事、ハイ! | 朝の挨拶、おはよう! | 脱いだ靴は、そろえるよ! |
法布施 | 財布施 | 身布施 |
敬供養 | 利供養 | 行供養 |
自分が変れば相手が変る | まずは人様 | すべては自分 |
『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。
如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである』
お経文として読誦するのでは無く、法華経を拝読するときにお唱えする讃文(讃歌)であります。』ということで、以下を唱えます。
無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭いたてまつること難し。 我今見聞し受持することを得たり、願わくは如来の第一義を解せん。 至極の大乗思議すべからず、見聞触知皆菩提に近づく。 能詮は報身、所詮は法身、色相の文学は即ち是れ応身なり。 無量の功徳皆この経に集まれり。是の故に自在に冥に薫じ密に益す、 有智無智罪を滅し善を生ず、若は信、若は謗共に仏道を成ず。 三世の諸仏甚深の妙典なり、生生世世値遇し頂戴せん。
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 大道を体解して、無上意を発さん。 自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん。 自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 大衆を統理して、一切無げならん。
如来の室に入り如来の衣を著如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。
そのグループの人達は、私の可愛い子供達(仏の子)ですからね。出来の悪い子供ほど可愛いものです。