2025年4月15日火曜日
燈明日記ブログ: 一歩先を読む・・・
第一義
以下は、仏教において第一義といい、万物の真実の姿や究極の真理を指す言葉で、すべて同じものなのです。
- 真理
- 無常の法
- 仏
- 法身の釈迦
- 諸法実相
法華経そのものを指す場合もあります。
また、それを悟った人、又は魂を指すこともあります。
ちなみに、人間の釈迦を「応身の釈迦」といいます。
2025年4月14日月曜日
燈明日記ブログ: 英語学習の日課
働くことの意味とは?
働くことは、「自分はここに生きて、存在している」という事実を、自分に対して、そして周囲の人々や世の中に対して、はっきりと証明する行為なのです。そして、職場とは、さまざまな試練を通じて、自分を成長させるため、大チャンスなのですから。とにかく、リストラのことなど気にせずに、また子供のためにでもなく、自分の成長のために…働くんだと!
大事なので、もう一度書きますね『自分の成長のために働くんだと!』
- 仕事での失敗とは、実は、失うことではなく、失敗という学びを得ることである。
- 仕事での嫌な事は、実は、自分を成長させてもらえる、チャンスなのである。
- 仕事での嫌な人は、実は、自分を成長させてもらえる、有り難い人なのである。
この本に書いてあった『楽しく働くための三カ条』もメモしときます。
楽しく働くための三カ条
- 「あらゆる仕事には価値がある」と信じること
- 「どんな仕事であれ、自分の仕事を愛そう」と決心すること
- 「困難な仕事でも、勇気と希望を持って挑戦しよう」と決心すること
そう、「信じること」と「決心すること」が大事!
まさに、法華経の内容って感じでしょう! (^^;;
2025年4月13日日曜日
無量義経
無量義経とは、『数かぎりない意味を持った教えは、ただ一つの真理から出てくるのだ』という教えのお経です。
法華経の序品第一と同じく法華経にとってプロローグ的な役目のお経です。以下のように3品(章)から構成されています。
徳行品第一
仏さまの完全円満な「徳」と衆生済度の「行」を賛嘆申し上げる章です。
説法品第二
仏さまが「数かぎりない意味を持った教えは、ただ一つの真理(実相)から出てくるのだ」という「説法」をされる章です。
実相とは、すべてのものの真実の相であり、宇宙の大いなるいのちです。すべての存在は、大いなるいのちの現れであり、お互いに関係し合いながら大調和を保つのです。
十功徳品第三
仏さまが「この教えを理解実行すれは、以下のように第一から第十の精神的功徳がある」という「説法」をされる章です。
第一の功徳不思議の力とは、以下のような心を起こさせます。
- 自分の考えだけで生きていると思っている者には、仏さまに生かされるという心を起こさしめ。
- 自分の幸福だけしか考えない者には、他人を幸せにしてあげたいという心を起こさしめ。
- 平気で殺生したり、人を苦しめる者には、人を助けたいという、すべてのものを慈しむ心を起こさしめ。
- 嫉妬を生ずる者には、随喜の心を起こさしめ。
- 財産や地位に執着する者には、執着を捨てる心を起こさしめ。
- いつも欲深い者には、人に施す心を起こさしめ。
- 自分は偉い、間違いないと奢り高ぶる者には、謙虚な心を起こさしめ。
- すぐに腹を立てたり、人を恨む者には、何かされても耐え忍ぶ心を起こさしめ。
- 怠けぐせのある者には、一生懸命に努力する心を起こさしめ。
- 変化があるとすぐグラグラ心が乱れる者には、現象に惑わされない静かな安定した心を起こさしめ。
- 目の前の出来事にすぐ愚痴をいう者には、智慧のある心を起こさしめ。
- 人を救ってあげたいと思わないものには、人を救ってあげたいと思う心を起こさしめ。
- 十悪を行う者には、十善の心を起こさしめ。
- 何事も自分中心に考える者には、自然に自分中心に考えない心を起こさしめ。
- いつも後ろ向きに考える者には、つねに前向きに考える心を起こさしめ。
- 煩悩に基づいて行動してしまう者には、煩悩から離れる心を起こさしめ。
- 煩悩が大変多い者には、煩悩を取り除く心を起こさしむ。
第二の功徳不思議の力とは、教えの一部を理解しただけでも、それが無限に展開していくことを悟り得ることができる。
第三の功徳不思議の力とは、自分はまだ悟っていなくても、ほかの人を救うことができる。
第四の功徳不思議の力とは、いつも諸仏の慈愛に手厚く護られているということが実感できる。
第五の功徳不思議の力とは、自分はまだ煩悩に縛られていても、大菩薩と同じような行いを実現することができる。
第六の功徳不思議の力とは、すべての人の人生苦を断ち切ってあげることができる。
第七の功徳不思議の力とは、六波羅蜜という法の宝を求めないのに、ひとりでに身についてくることができる。
第八の功徳不思議の力とは、この経典を敬い信じ、人々のために説いてあげることができる。
第九の功徳不思議の力とは、前世の業を滅し尽くすことができる。
第十の功徳不思議の力とは、善をすすめ悪をとどめるはかり知れないほどの大きな力を得ることができる。
無量義経は、法華経の序品第一で釈尊が法華経を説く前に説かれたお経です。 ですので、法華経を読誦する前に無量義経を読誦することが普通になっていますが、ストーリー的には、 無量義経も法華経もそれ自体で完結していて、わたし的には、それぞれ個別に読誦すればいいのかな・・・と思う次第です。
2025年4月12日土曜日
悩めるすべての人へ...パートⅢ
すべての人が幸せになるには?
まずは、パートⅠはで、以下の2つの真理を悟りました。
・すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)。
・すべてのモノゴトはたえず変化する(時間的)。
つぎに、パートⅡはで、以下の生きる目的を悟りました。
・人類すべて幸福にする行為の実践。
そして、今回、前回の宿題の答え、パートⅢです。
[パートⅡの宿題]
”では、どうしたら自分自身と家庭を幸福にできるでしょうか?"
[宿題の答え]
例外を除いて、人間は一人では生きて行けません。
つまり、家庭では家族との人間関係があります。
人間関係が良い状態で、毎日楽しく暮らせることが幸福だと定義いたします。
では、人間関係を良い状態にするには、どうしたらいいと思いますか?
それは意外に簡単で、”ほめる”ことです。
どんな悪い人間でも、良心はもっているはずですが、周りの悪い環境で良心に気が付かないのです。
その悪い環境で、良心が生きていくうちに垢まみれになり、隠れてしまっているだけなのだと思います。
その垢まみれの良心を引き出す特効薬が”ほめる”ことです。
これは悪い人間だけではありません。妻、子供、同僚、上司、部下、...にも同じです。
とにかく、これらの人たちが、ちょっとで も、良いことをしたら、見逃さず、”ほめる”ことです。
ですから、つねにまわりを見渡し、良いことした人を発見したら、とにかく”ほめる”ことです。
人間関係を良くするには
つねにまわりを見渡し、ちょっとでも良いことをした人を”見逃さず、ほめる”こと。
これを実行すれば、人間関係はバリバリよくなります。試して見て下さい。
とにかく、ちょっとした事でも、見逃さず、ほめる。
とにかく、育児に効果抜群です。
とにかく、家庭内離婚に効果抜群です。
とにかく、いやな上司に効果抜群です。
とにかく、出来の悪い部下に効果抜群です。
とにかく、試して見て下さい。
最後に...
すべての人の良心が輝いた社会を想像してみてください。
そこは、まさしく、悩みのない、理想境です。
本シリーズ、『悩めるすべての人へ 』パートⅠ、Ⅱ、Ⅲが少しでも、お悩みの解消になれば幸いです。
2025年4月11日金曜日
悩めるすべての人へ...パートⅡ
「生かされている」ということ
前回のパートⅠで、”人間はもしかしたら大宇宙に生かされているのではないのか?”って述べましたが…。それって、結構、なやみに効果あります。
すべての、善いこと悪いことが自分でなくて、宇宙意志による仕業(しわざ)だと思うんです。
たとえば、家庭、会社、社会でのトラブルすべて、自分でなくて、宇宙意志による仕業だと...。
するとすごく、気が楽になりませんか。私はパートⅠを書いてからそれを実感しています。
ここで、話しを少し変えます。
人間(自分)はどうして、ここに今いるのでしょうか?(存在するのでしょうか)
大宇宙に生かされているのですから、大宇宙が必要だと思って、人間(自分)を作ってくれたんでしょう。
つまり、大宇宙から使命をうけてこの世に生まれきたはずなんです。
では、大宇宙からうけた使命ってなんでしょう。
また、話しを少し変えます。
宇宙意志は善いこと、悪いことのすべての意志です。
そして、パートⅠで以下の様にのべました。
・すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)。
例えば、悪い行いをしたとします。
すると、すべてのモノゴトはつながりありますので、全宇宙に悪い影響を与えます。
悪い影響は、すべてのモノゴトはつながりありますので、自分に帰ってきます。
するとそこに、悩みが発生することになります。
逆に、良い行いをしたとします。すると同じように、良い影響が自分に帰ってきます。
ですので、悩みは発生しません。
宇宙意志は悪いことも含みますが、全宇宙(宇宙自身)に悪い影響をおよぼす悪い行いを好むはずはありません。
つまり、大宇宙からうけた使命とは善い行いをすることだったのです。
では、善い行いってなんでしょう。
これは、究極の悪い行いの反対を思えば、案外と簡単にわかります。
大宇宙から使命をうけてこの世に生かされてきたのですから、究極の悪い行いは、その反対の殺人、自殺、戦争でしょう。
つまり、殺人、自殺、戦争の反対は自分を含むすべての人を幸せにする行為だと思います。
人類すべて幸福にする行為の実践、これが大宇宙からうけた使命だったのです。
ちょっと、おおげさな話しになりましたが、人類すべては元をたどれば、家庭、個人です。
つまり、家庭、個人がすべて幸福になれば、人類すべて幸福になります。
今自分ができることは、自分自身と家庭を幸福にすることです。
そうすれば、悩みがなくなると思いたいです。
では、どうしたら自分自身と家庭を幸福にできるでしょうか…。
これは、つづきパートⅢにてお話ししたいと思います。
では、今回はこの辺で...。
2025年4月10日木曜日
悩めるすべての人へ...パートⅠ
誰にでも平等な二大真理について
いろいろな人がいて、いろいろな悩みを抱えていると思います。
最近、私は、悩みをかなり軽減する方法を見つけましたので、
本ブログへ来られた人だけに内緒でお教え致します(^o^)
それは、意外に簡単で、大宇宙を感じるコトです。
宇宙でなく大宇宙がミソです。
ものすごく大きな宇宙空間と、ものすごく長い宇宙的時間を想うのです。
すると、悩みがチッポケに思えてきます。
人間は大宇宙のチッポケな地球に生まれ、そして、人間の一生は宇宙的時間では一瞬です。
こんな人間の悩みなど、大した問題ではなく思えてきませんか…。
では、どうしたら、大宇宙を感じるコトができるでしょうか。
まず、静かな場所をみつけて、リラックスして座り、かるく目を閉じ、頭の中で、地球、太陽、銀河系等の大宇宙をイメージします。
そうすると、すべてのモノゴトには、つながりがあり(空間)、そして、たえず変化している(時間)、ということに気づきました。
そして、もしかしたら人間は、この大宇宙に”生かされている”のではないのかと...。
逆にいうと、大宇宙に生かされている人間が悩むということは、大宇宙に沿った生き方をしていないのでは?
では、大宇宙に沿った生き方とは何か?
それは、先ほど説明した以下の2つを心の底から知ることだと思います。
・すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)
・すべてのモノゴトはたえず変化する(時間的)
各々説明致します。
すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)
例えば、悪い行いをしたとします。すると、すべてのモノゴトはつながりがありますので、全宇宙に悪い影響を与えます。 悪い影響は、すべてのモノゴトはつながりありますので、自分に帰ってきます。するとそこに、悩みが発生することになります。
逆に、良い行いをしたとします。すると同じように、良い影響が自分に帰ってきます。
ですので、悩みは発生しません。
すべてのモノゴトはたえず変化する(時間的)
例えば、今現在、深刻な悩みがあったとしても、すべてのモノゴトはたえず変化しますので、長いスパンで悩みの解決策を立てると、結構時間が解決してくれたりします。
とにかく、一瞬先は闇です。悪いことよりも良いことをしましょう。
まとめ
人間誰しも、悩みはあると思います。それをどう捉えるか、どう感じるか、大宇宙と比較して、なるべく感じないようにすれば、いいのでは...。
また、できれば、悩みごとが起きないように、日頃から良い行いをしましょう。
すると、すべてのモノゴトはつながりがありますので、良い影響を受け、悩みは発生しません。
最近、私自身、いろいろ悩み事があり、上記を編み出しました。すると、意外に気が楽になりましたので、同じ様な人が居るのではと思い、ここに発表致しました。
すこしでも、お悩み解消のヒントになれば幸いです。
尚、『もしかしたら人間は、この大宇宙に”生かされている”のではないのか』については、『悩めるすべての人へ...パートⅡ』で、お話したいと思います・・・つづく
2025年4月9日水曜日
大乗、小乗、一乗
- 大乗 - 大きな乗り物の意味で、沢山の人を救うということ。
- 小乗 - 小さな乗り物の意味で、大乗側からのさげすんだ呼び方。
- 一乗 - 一人の乗り物の意味でなく、一つで全ての人を乗せるということ。
しかし、いつの時代にも、宗教の争いがありますね。そろそろ、法華経の出番ですか・・・。
現代でも、争いをなくすための宗教で逆に争いが 起きています。
真の平和をもたらす法華経が世界宗教になることを望みます(^o^)
2025年4月8日火曜日
努力を続けていないとチャンスはつかめない!
しかし、そのチャンスは、普段から努力して実力を蓄えていないと通り過ぎてしまうそうです。つまり、実力を蓄えていないとチャンスが来たことすら気がつかないのです。
ですので、普段から以下の2つを意識するいいらしいです。
- 人間の脳は、「出来る」と思うと、それを実現するために脳をフル回転させる。
- 反対に「出来ない」と思うと、脳をフル回転させて、出来ない理由を考える。
だから、自分の夢を「出来る」と思って、脳をフル回転させ努力していけば、きっとチャンスをつかめるのです。
努力を続けていれば、才能などなくても、きっと夢を実現することができるのです。
がんばれ! だれにともなく・・・
2025年4月7日月曜日
無功徳
お経(私の場合は法華経)をあげたり、神仏へ願掛けやお願いを凡夫の私などは、よく行いますが・・・
実は、お経の功徳とは、そのようなお願いでなく、すべての現象について『有り難い』と受け止めることができるようになる……ということなのです。
その昔、中国の武帝から『仏教信仰の功徳は何か』と問われた禅宗の達磨大師は、『無功徳』と答えたそうです。そう、仏教に功徳など無いと!
これは、信仰をしたから願いが叶うということではなく、信仰をすることにより、すべての現象について『有り難い』と受け止めることできるようになる……ということらしいのです。
…と某小誌に書いてありました。私も、そう思います!
2025年4月6日日曜日
『悉く能く知らん』は、ことごとくよく知らないこと?
で、気になった「よく知らん」です。
・是の法華を持たん者は 香を聞いで悉く能く知らん
・無根及び非人を弁えざらん 香を聞いで悉く能く知らん
・銅器の盛れる所 香を聞いで悉く能く知らん
・波利質多樹 香を聞いで悉く能く知らん
・衆の宝華の荘厳せる 香を聞いで悉く能く知らん
・中にあって娯楽する 香を聞いで悉く能く知らん
・来往行坐臥する 香を聞いで悉く能く知らん
・周旋し遊戯する時 香を聞いで悉く能く知らん
・入禅出禅の者 香を聞いで悉く能く知らん
・初生及び退没 香を聞いで悉く能く知らん
・或は人の為に説法する 香を聞いで悉く能く知らん
・衆を愍んで説法したもう 香を聞いで悉く能く知らん
・法の如く修行する 香を聞いで悉く能く知らん
読誦していると、嫌になるほど、『知らん』『知らん』と連呼になり、そんなに知らないのかと思えてきて・・・。
実は、法華経に出てくる『知らん』は、現代語では『知るだろう』という意味になるのです!
ということで、漢文『悉能知』の訓読み『悉く能く知らん』は、現代語では『ことごとくよく知るだろう』です!
2025年4月5日土曜日
声聞、縁覚、菩薩
- 声聞 - 仏の教えを学ぶことで、煩悩から離れようとして修行する人。
- 縁覚 - 仏の教えを自らの体験で、煩悩から離れようとして修行する人。
- 菩薩 - 仏の教えを沢山の人に広め、煩悩から離れようとして修行する人。
2025年4月4日金曜日
最敬礼
2007/5頃に京王線で調布駅から分倍河原駅に通っていた時に遭遇したことを、旧燈明日記に書いた記事なんだけど、凄く印象に残っていたので、法華経ブログでも掲載することにしました。
朝通勤で、いつもちょっとうるさく、悪ぶった野球部の高校生の少年がいました。
その少年は、東府中で降りるのですが、話に夢中になっていたのか、ドアが閉まる寸前に飛び降りました。
あせって降りたので、野球帽を車内に忘れてしまったのです。
すると、20才ぐらいの青年がその帽子を見つけましたが、タイミング的にその子に渡すには無理かと思われました。
しかし、あと10Cmぐらいでドアが閉まるとこを目掛けて外に投げたのです。
そして、無事、帽子は少年のもとに戻りました。車内はほっとした雰囲気になりました。
ドアが閉まり電車が出発すると、その少年が、帽子を投げてくれた青年に向けて最敬礼をしているのです。
私はその一部始終を見ていて、なぜか、凄く感動したのでした。
不良っぽい少年が、最敬礼、このコントラストが感動の源泉かな・・・(^o^)
2025年4月3日木曜日
燈明日記ブログ: 「アイウエオ」という心
子供が親を育てる?
ところが、 先日、某教会の法座で、以下のお話しを聞きました。
実は、親が子供を育てるのではなく、子供が親を育てるのです。
法華経では願生といって、子供は、親を選んで生まれてくるそうです。
なので、子供は親にとって『お客さま』みたいなものなのです。
そう、子供を通して、親として成長していけるのです。
子供を育てさせて頂けるお陰様で、親が成長できる・・・
逆に言えば、子供が親を育ているのですね(^^;;
2025年4月2日水曜日
釈尊のいぶき:エピローグ(その20)
ここまで「釈尊のいぶき解説サマリーシリーズ」を読んで下さって、ありがとうございました。
まだ、読んでない方は、3月12日からこの「釈尊のいぶき解説サマリーシリーズ」が始まっております(^^;
「釈尊のいぶき解説サマリーシリーズ」の内容は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめた、立正佼成会の「経典」の解説です。
尚、立正佼成会については、「私と立正佼成会 」をご覧ください。
その経典には、法華経の最高エッセンスが散りばめられていて、これを理解して毎日読誦すれば、法華経マイスターになれると私は思います(^o^)
佼成会会員の方は、毎日朝夕に経典を読誦して、本コンテンツを参考にして、法華経の最高エッセンスを掴んで、実践してみてください。
一般の方は、佼成会に入会するか、経典と「釈尊のいぶき」を佼成ショップで買って、毎日朝夕に経典を読誦して、同じく法華経の最高エッセンスを掴んで実践してみてください。
ということで、本シリーズは、ひとまず終わりにしたいと思います。ご精読ありがとうございました!!
「釈尊のいぶき」の購読は、以下のリンク先で
2025年4月1日火曜日
釈尊のいぶき:普回向・唱題・回向(その19)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-16/
・経文(普回向)(「釈尊のいぶき」での抜粋)
願わくは此の功徳を以て
普く一切に及ぼし
我等と衆生と
皆共に仏道を成ぜん
・訳文
私たちの願いといたしますところは、この供養の功徳をあまねく一切のものにおよぼし、私たちすべての衆生が、みんな同じように仏の境地に達したい、ということでございます。
・唱題
唱題では、「南無妙法蓮華経」のお題目を十回唱えます。
南無というのは、梵語(古代インドの言葉)の音をそのまま漢字に当てはめたもので「帰命」という意味です。
「帰命」とは、全身全霊を投げ出して仏さまの懐に飛び込んでいく、すなわち、すべてのものを生かしている真理・法のなかに純粋に溶け込んでいくことです。
そして、その瞬間に身が震えるほどに感じる「ありがたい」という法悦感も、この二音のなかに込められています。
・経文(回向)
謹んで読誦し奉る大乗妙法蓮華経
集むる処の功徳を以て
南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊
南無証明法華の多宝如来
南無十方分身三世の諸仏
南無上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩
南無文殊・普賢・弥勒等の菩薩摩訶薩
南無高祖日蓮大菩薩
南無開祖日敬一乗大師
南無脇祖妙佼慈道菩薩
本部勧請の御守護尊神
信者一同の御守護尊神
十方無量の諸天善神に回向し慈恩に報酬す。
仰ぎ願わくは先祖代々過去帳一切の精霊
今日命日に当る精霊
十方法界有縁無縁の諸精霊
何卒回向供養の法味を納受し
疾く無上菩提の妙果を成就せしめ給え。
総じては、一切衆生仏性開顕・世界平和達成等の御守護を賜りまするよう、偏に願い上げ奉る。
・訳文
いまここに謹んで読誦させていただきました大乗の教え・妙法蓮華経に集められた功徳のすべてを、
宇宙の大生命である久遠実成の本仏で、その現われとして人類救済のために真理を説いてくださった大恩ある教主釈尊。
法華経の教えの真実を証明される多宝如来。
宇宙の大生命の分身であり、過去・現在・未来を通じて、この世のあらゆる所にお出でくださる諸仏。
すべての人を教化、救済しようと誓願された上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩。
釈尊のお徳(智慧・実践・慈悲)の働きを象徴する文殊・普賢・弥勒をはじめとする菩薩方。
多くの困難を乗り越えて、法華経を説き広めてくださった日蓮大菩薩。
法華経の一仏乗の世界を信受して本会を創立してくださり、真の菩薩行に徹し、法華経広宣流布の大導師であられた開祖日敬一乗大師。
開祖さまの教導のもと、人心救済の教化に身命を惜しまず、菩薩行を行じてご法を証明された脇祖妙佼慈道菩薩。
菩薩行の実践が進むようにと守護してくださる神々。
この世のあらゆる所にいらっしゃり、人びとを護ってくださる神々。
に回向し、その慈悲と大恩に深く感謝いたします。
そして、ご先祖さま、今日が命日にあたる霊位、宇宙の一切の万物(精霊)よ、どうか私たちの真心の回向供養をお受けください。
最後に、本仏釈尊をはじめ、一切の諸仏・諸菩薩・諸天善神に心からお願い申し上げます。何とぞ、本会創立の目的であり、仏さまの本願である『一切衆生の仏性開顕と世界平和の実現』が速やかに成就いたしますよう、私たちの菩薩行実践をご守護くださいませ。
2025年3月31日月曜日
燈明日記ブログ: 朔日(さくじつ)と布薩(ふさつ)
釈尊のいぶき:仏説観普賢菩薩行法経(その18)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-15/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
若し眼根の悪あって。
業障の眼不浄ならば。
但当に大乗を誦し。
第一義を思念すべし。
是れを眼を懺悔して。
諸の不善業を尽くすと名く。
耳根は乱声を聞いて。
和合の義を壊乱す。
是れに由って狂心を起すこと。
猶お癡なる猿猴の如し。
但当に大乗を誦し。
法の空無相を観ずべし。
永く一切の悪を尽くして。
天耳をもって十方を聞かん。
鼻根は諸香に著して。
染に随って諸の触を起す。
此の如き狂惑の鼻。
染に随って諸塵を生ず。
若し大乗経を誦し。
法の如実際を観ぜば。
永く諸の悪業を離れて。
後世に復生ぜじ。
舌根は五種の。
悪口の不善業を起す。
若し自ら調順せんと欲せば。
勤めて慈悲を修し。
法の真寂の義を思うて。
諸の分別の想なかるべし。
心根は猿猴の如くにして。
暫くも停まる時あることなし。
若し折伏せんと欲せば。
当に勤めて大乗を誦し。
仏の大覚身。
力・無畏の所成を念じたてまつるべし。
身は為れ機関の主。
塵の風に随って転ずるが如し。
六賊中に遊戯して。
自在にして罣礙なし。
若し此の悪を滅して。
永く諸の塵労を離れ。
常に涅槃の城に処し。
安楽にして心憺怕ならんと欲せば。
当に大乗経を誦して。
諸の菩薩の母を念ずべし。
無量の勝方便は。
実相を思うに従って得。
此の如き等の六法を。
名けて六情根とす。
一切の業障海は。
皆妄想より生ず。
若し懺悔せんと欲せば。
端坐して実相を思え。
衆罪は霜露の如し。
慧日能く消除す。
是の故に至心に。
六情根を懺悔すべし。
・訳文
もし、自分のものの見方が誤っていたと気づいたならば、一心に大乗の教えを読誦し、諸法実相(第一義空)ということに心をそわせることが大切です。
これが眼の懺悔であり、一切のよくない行ないを消滅し尽くす大本の力です。
また、迷いがあるがゆえに、ものごとを正しく聞くことができないと、人間関係に不和を生じさせる原因となります。
誤った聞き方をすれば、誤った考えを起こし、あたかも本能のみによって動く猿のように、あられもないことをしてしまうのです。
ですから、一心に大乗の教えを読誦し、すべてのものごとは「空」であり、固定した相はないことをしっかりと観じ、すべての人間が持つ仏性を見つめることを心がけなければなりません。
そうすれば、永久に一切の悪を寄せつけず、すべてのものごとが正しく耳に入ってくるようになるでしょう。
感覚の快さのみに執着すれば、その妄念によってさまざまなまちがった感情を起こし、その迷いのためにいろいろな煩悩の塵が生じます。
そのときに大乗経を読誦し諸法の実相を観じるならば、永遠にもろもろの悪業から離れることができ、再び同じことをくり返すことはないでしょう。
舌は、悪口や荒々しい言葉など、口の悪をつくるもとです。
正しい言葉で語りたいと思うならば、常に慈悲の行ないをし、人びとの仏性というものに思いをこらし、自己中心の心から分けへだてをする考え方を捨ててしまわなければなりません。
心というものは、枝から枝へ飛び移る猿のように、しばらくもじっとしていません。
もしその悪へ傾いた心をおさえ、正しい道に引き入れようと思うならば、つとめて大乗の教えを読誦し、天地の真理を悟った身であり(大覚身)、万物を救う力を具え(力)、何ものをも畏れはばかることなく法を説く(無畏)、仏の業を心にありありと思い浮かべることが大切です。
人間の心身の働きは、まるで塵が風に飛ばされるように、周囲の事情によっていかようにも変化します。
そのなかには眼・耳・鼻・舌・身・意(心)の六根のわがままな欲望が暴れまわっています。
この誤った欲望を滅して常に涅槃の境地にいたいと思うならば、大乗経を読誦して仏の智慧と慈悲(菩薩の母)を念じなければなりません。
人間を向上させる勝れた方法は、このように大乗の教えによって、諸法の実相を思うことから生まれてくるのです。
いま説いた六つの教えもその例であって、これらは人間の心の働きを正しくして実相を見きわめるようになる方法にほかならないのです。
すなわち、一切の行ないの過ち(業障)はみな、ありもしないことをあると思う妄想から起こるのです。
もし自分の業障を懺悔しようと思うならば、静かに坐って諸法の実相を深く想い念じることです。
もろもろの罪というものは、ちょうど霜や露のような仮のあらわれに過ぎず、実相を見る智慧の光に会えば、たちまち消滅してしまうのです。
ですから、ひたすら実相を思うことによって、六情根を洗い清めなければなりません。
・補足
鼻根は諸香に著して
人間のすべての感覚を鼻根に代表させています。したがってこの一節は、嗅覚が香を貪るように、感覚の快さのみを追求することを意味しています。
染に随って
「染」とは、染色などが布にしみ込んで離れないように、ものごとに執着する妄念を意味します。
触を起す
「触」とは感情のことです。
法の真寂の義
「真」は究極の真実、「寂」は不動の真理という意味ですから、第一義空(諸法実相)ということです。第一義空を人間にあてはめると、すべての人は「仏性を自らのいのちの本質とする」という点において平等であるということになります。
折伏
悪い道にそれてしまった心を正しい道へ引き入れることです。
六賊
眼・耳・鼻・舌・身・意(心)の六情根(略して六根)が、それぞれ煩悩のおもむくままに働いていることを意味しています。
菩薩の母
菩薩行の原動力は智慧と慈悲です。そこで、仏さまと同じような智慧と慈悲を得たいと念ずることが、菩薩を生み出す母であるというのです。
2025年3月30日日曜日
釈尊のいぶき:妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八(その17)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-14/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
仏、普賢菩薩に告げたまわく、
若し善男子・善女人、
四法を成就せば如来の滅後に於て当に是の法華経を得べし。
一には諸仏に護念せらるることを為、
二には諸の徳本を植え、
三には正定聚に入り、
四には一切衆生を救うの心を発せるなり。
善男子・善女人、是の如く四法を成就せば、如来の滅後に於て必ず是の経を得ん。
爾の時に普賢菩薩、仏に白して言さく、世尊、後の五百歳濁悪世の中に於て、其れ是の経典を受持することあらん者は、我当に守護して其の衰患を除き、安穏なることを得せしめ、伺い求むるに其の便を得る者なからしむべし。
・訳文
仏さまは普賢菩薩に向かってお答えになります。
もし信仰深い男女が、次の四つのことがらを成就すれば、如来の滅後においてもこの教えをつかみ、法華経の真の功徳を得ることができるでしょう。
第一は、諸仏に護られ、念われているのだということを確信することです。
第二は、いつも善い行ないをすることを心がけることです。
第三は、いつも正しい教えを実践する人びとの集団・仲間に入っていることです。
第四は、いつも社会全体をよくすること、人のためにつくすことをめざすことです。
もし、信仰深い男女がこの四つのことがらを満足に行なえば、如来がこの世を去ったのちにおいても、必ず法華経を自分のものにすることができるでしょう。
そのとき普賢菩薩は、仏さまに申し上げました。
世尊、ありがとうございます。
よくわかりました。
私はお誓いいたします。
後の五百歳(自己中心の人が多くなり、自分の利益のことばかり主張するため、大小の争いが絶えない末法の世)の濁りきった悪い社会のなかで、この教えを受持する者がおりましたならば、その者をしっかり守護いたしましょう。
もろもろの障りを取り除き、いつも安穏に法を行なえるようにいたしましょう。
何かの隙をねらって取りつき、修行を妨げたり、迫害を加えようとする者たちに、その手がかりを与えないように守ってやりましょう。
2025年3月29日土曜日
釈尊のいぶき:妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五(その16)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-13/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
衆生困厄を被って。
無量の苦身を逼めんに。
観音妙智の力。
能く世間の苦を救う。
神通力を具足し。
広く智の方便を修して。
十方の諸の国土に。
刹として身を現ぜざることなし。
種種の諸の悪趣。
地獄・鬼・畜生。
生・老・病・死の苦。
以て漸く悉く滅せしむ。
真観・清浄観。
広大智慧観。
悲観及び慈観あり。
常に願い常に瞻仰すべし。
無垢清浄の光あって。
慧日諸の闇を破し。
能く災の風火を伏して。
普く明かに世間を照らす。
悲体の戒雷震のごとく。
慈意の妙大雲のごとく。
甘露の法雨を澍ぎ。
煩悩の燄を滅除す。
諍訟して官処を経。
軍陣の中に怖畏せんに。
彼の観音の力を念ぜば。
衆の怨悉く退散せん。
妙音観世音。
梵音海潮音。
勝彼世間音あり。
是の故に須らく常に念ずべし。
念念に疑を生ずることなかれ。
観世音浄聖は。
苦悩・死厄に於て。
能く為に依怙と作れり。
一切の功徳を具して。
慈眼をもって衆生を視る。
福聚の海無量なり。
是の故に頂礼すべし。
・訳文
人びとが困難に遭い、苦しみにさいなまれているとき、観世音菩薩のすぐれた智慧の力は人びとを救います。
観世音菩薩は自由自在の力を具え、どのような場合にも、その人の救いにピタリと当てはまる智慧を身につけていますから、いかなる場所にも現われて救いの働きをされます。
こうして人間を怒り(地獄)・貪り(餓鬼)・愚痴(畜生)といった悪道から救い、生・老・病・死の苦をしだいに取り除き、ついにはことごとく消滅させるのです。
観世音菩薩は真実を見きわめる眼(真観)、迷いのない清らかな眼(清浄観)、宇宙の万物を自分と一体と見る広大な眼(広大智慧観)、悩み苦しむすべての人を救ってあげたいというやさしい思いに満ちた眼(悲観)、すべての人を幸せにしてあげたいという慈しみをたたえた眼(慈観)を持っています。
人びとは、常にそのような眼を持ちたいと願い、仰ぎ見て手本としなければなりません。
観世音菩薩の身からは、汚れなき清らかな光が放たれ、智慧は太陽のごとく、すべての迷いの闇を払い、もろもろの不幸を滅ぼして世の中全体を照らします。
観世音菩薩の説かれる戒めは、人びとの苦しみを抜いてあげようという愛情に根ざしたものですから、その力は雷鳴のうち震うがごとく偉大です。
また、人びとに幸せを与えずにはいられない心は、あたかも日照りに苦しむ国土を覆う大雲のようにありがたいものであって、甘露のように至上の味わいのある真理の教えの雨をあまねく降り注ぎ、煩悩の炎を消してくれます。
争いごとで役所の裁きを受けたり、それでも解決せずに力ずくの戦いとなって恐ろしい目に遭うようなときでも、観世音菩薩の力を念ずれば、もろもろの忌まわしいことは、たちまち消え失せてしまうでしょう。
観世音菩薩は、至上至妙の真理(妙音)を説き、世のあらゆる人間の願いを明らかに聞き分けて(観世音)くれます。
教えを説く声は清らか(梵音)で、説かれる真理の言葉は海鳴りのように人びとの胸に響き入り(海潮音)、すべての迷いや苦しみを除いて(勝彼世間音)くれます。
ですから、自分も観世音菩薩のようになりたいと常に思うことが肝心です。
ほんの一念にも疑ってはなりません。
観世音菩薩は清らかな身であり、いろいろな苦しみや災難に遭ったときも、力強い寄る辺となります。一切の功徳を具えて、慈悲の眼で人びとを見てくれます。
すべての川が海に集まるように、無量の福がその力によって呼び寄せられるのです。
ですから観世音菩薩を礼拝し、その行ないに学んでいくことが大切なのです。
・補足
普門
この品の題にある普門の「普」とは、広くあまねく、どこにもかしこにもという意味です。「門」は、出入口の意味から転じて、家をさす言葉に用いられます。また、ものごとを分類する部門という意味もあります。したがって普門を直訳すると、「あまねくすべての家に」「人間が抱える問題のすべての部門に」という意味になります。わかりやすく言い換えれば、「この世のいたるところに、ありとあらゆる問題とあらゆる場面に、あらゆる場所に、自由自在に」ということになります。
2025年3月28日金曜日
燈明日記ブログ: 法華経ブログの目的
釈尊のいぶき:妙法蓮華経 如来神力品第二十一(その15)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
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・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
如来の滅後に於て。
仏の所説の経の。
因縁及び次第を知って。
義に随って実の如く説かん。
日月の光明の。
能く諸の幽冥を除くが如く。
斯の人世間に行じて。
能く衆生の闇を滅し。
無量の菩薩をして。
畢竟して一乗に住せしめん。
是の故に智あらん者。
此の功徳の利を聞いて。
我が滅度の後に於て。
斯の経を受持すべし。
是の人仏道に於て。
決定して疑いあることなけん。
・訳文
如来が入滅したのちの世において、
仏の説いた教えがどういう因縁で、
どういう順序で説かれたかということをよく知り、
教えの主旨にしたがって誤りなく人びとに説くならば、
日月の光明が、
すべての暗黒を消滅させるように、
人びとの心の迷いの闇を消し去り、
無数の菩薩(信仰者)たちを必ず一仏乗へと導くでしょう。
よって、人生をほんとうに深く考える人(智慧を求める人)は、
この教えの功徳がすぐれていることを聞いたならば、
如来の滅後において、この教えを受持するのが当然なのです。
どうしても、この教え(真理・法)に帰着せざるを得ないのです。
そうなれば、その人が必ず仏道を成ずるであろうことは、
もはや疑いもありません。
・補足
一乗
一乗とは一仏乗を略したものです。仏さまの教えには、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗という三乗(三つの修行の道)があるように見えますが、それは最高真実の法へ導くための方便であり、最終到達点ではありません。すべての教えは、「一切衆生を仏の境地に導く」というただ一つの目的のために説かれています。三乗という、それぞれに違いがあるように見える道も、この一つの道につながっているのです。ですから、一仏乗とは、自分も他の人もすべてを仏の境地に導く最終的な道を意味します。
2025年3月27日木曜日
釈尊のいぶき:妙法蓮華経 常不軽菩薩品第二十(その14)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-11/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
過去に仏いましき。
威音王と号けたてまつる。
神智無量にして。
一切を将導したもう。
天・人・竜神の。
共に供養する所なり。
是の仏の滅後。
法尽きなんと欲せし時。
一人の菩薩あり。
常不軽と名く。
時に諸の四衆。
法に計著せり。
不軽菩薩。
其の所に往き到って。
而も之に語って言わく。
我汝を軽しめず。
汝等道を行じて。
皆当に作仏すべしと。
諸人聞き已って。
軽毀罵詈せしに。
不軽菩薩。
能く之を忍受しき。
其の罪畢え已って。
命終の時に臨んで。
此の経を聞くことを得て。
六根清浄なり。
神通力の故に。
寿命を増益して。
復諸人の為に。
広く是の経を説く。
諸の著法の衆。
皆菩薩の。
教化し成就して。
仏道に住せしむることを蒙る。
不軽命終して。
無数の仏に値いたてまつる。
是の経を説くが故に。
無量の福を得。
漸く功徳を具して。
疾く仏道を成ず。
彼の時の不軽は。
則ち我が身是れなり。
時の四部の衆の。
著法の者の。
不軽の汝当に。
作仏すべしというを聞きしは。
是の因縁を以て。
無数の仏に値いたてまつる。
此の会の菩薩。
五百の衆。
幷及に四部。
清信士女の。
今我が前に於て。
法を聴く者是れなり。
我前世に於て。
是の諸人を勧めて。
斯の経の第一の。
法を聴受せしめ。
開示して人を教えて。
涅槃に住せしめ。
世世に是の如き。
経典を受持しき。
億億万劫より。
不可議に至って。
時に乃し。
是の法華経を聞くことを得。
億億万劫より。
不可議に至って。
諸仏世尊。
時に是の経を説きたもう。
是の故に行者。
仏の滅後に於て。
是の如き経を聞いて。
疑惑を生ずることなかれ。
応当に一心に。
広く此の経を説くべし。
世世に仏に値いたてまつりて。
疾く仏道を成ぜん。
・訳文
過去に威音王という仏がおられ、すぐれた智慧で一切衆生を導かれました。
天界の人びとも、人間界の人びとも、人間以外の鬼神たちも、ともに真心を捧げてお仕えしていました。
この仏が入滅され、その教えも忘れられようとするころ、一人の菩薩がいました。
常不軽菩薩という名でした。
そのころの出家・在家の修行者たちは、教えを自分流に勝手に解釈して、それにとらわれていましたが、常不軽菩薩は彼らのそばに行ってこう言うのでした。『私はあなた方を軽んじません。
あなた方は菩薩の道を行ずることによって、必ず仏となる方々だからです』と。
人びとは常不軽菩薩のことを、いいかげんなことを言うやつだと軽蔑し、罵り、皮肉を言いましたが、菩薩は寛容の精神をもって、じっとそれを受けとめました。
常不軽菩薩が過去からの身(行ない)、口(言葉)、意(心)の三業の跡を清め尽くして、この世の生を終えようとするとき、法華経の教えを聞くことができました。
そのために身も心もすっかり洗われました。
そして、神通力を得て寿命が延びたため、人びとのためにまた広く教えを説きました。
小法にとらわれていた人びとは、常不軽菩薩のおかげで正しく教化され、仏の悟りを志すようになりました。
菩薩はその功徳によって、次の世も、また次の世でも無数の仏にお会いすることができました。
そして、そこでもこの教えを説き続けたために、はかりしれないほどの功徳を得ることができました。その功徳でまた無数の仏にお会いするという循環をくり返すうちに、ついには仏の悟りに達したのです。
そのときの常不軽菩薩が私の前身なのです。
そして当時、小法にとらわれていた出家・在家の修行者たちは、常不軽菩薩から『あなた方は必ず仏になれる人です』といつも聞かされていたために、その言葉によって仏性を開くことができ、無数の仏に会うことができました。
この法会には、菩薩や大勢の出家・在家の修行者たちが集まって話を聞いていますが、じつは、あなた方こそ過去において私が教化した人たちなのです。
私は、過去の世において、あなた方に最高の法であるこの法華経の教えを聞くことを勧め、〈すべての人が仏性の顕われである〉という真実に目を開かせ、宇宙を貫く〈無常〉の根本法則を教え示して、大安心の境地(涅槃)に至らせました。
そして、私自身もいつの時代にあっても、この教えを常に受持したのです。
しかし、仏法に出遇うことは簡単なことではありません。
億億万劫という考えられないほどの年月がたち、時が熟して、初めて法華経を聞くことができるからです。 億億万劫という推量も及ばぬほどの年月を経て、ふさわしい仏縁が結ばれてこそ初めて諸仏世尊はこの教えをお説きになるからです。
そういうわけですから、私が入滅したのちの世の行者たちよ、この尊い教えに疑惑を持つことなく、真心を込めて教えを説き広めてください。
そうすれば、その功徳によって、いつの時代にも仏に会うことができ、まわり道をすることなく仏の悟りに達することができるでしょう。
・補足
四衆
男の出家僧(比丘)、女の出家僧(比丘尼)、男の在家修行者(優婆塞)、女の在家修行者(優婆夷)のことです。「四部」と言うこともあります。
忍受
怒りや反発を感じながらも、じっと堪えるという意味ではありません。相手を恨むことなく、包容力をもって受けとめるということです。
五百の衆
仏教経典には、一万二千とか、五千などという数がよく出てきますが、これらは実数をさすのではなく、「たくさん」と言う意味です。ですから、この五百という数も「大勢の人たち」と言う意味です。
其の罪畢え已って
常不軽菩薩も出家する以前は、凡夫の生活を送っていました。ときには自分勝手な行ないをしたり、怒ったり、人と争ったこともあったはずです。そうした過去の誤った行ないが、菩薩行によって、すっかり清められたということです。