2025年4月15日火曜日

燈明日記ブログ: 一歩先を読む・・・

燈明日記ブログ: 一歩先を読む・・・: 最近、ママが法華三部経を読み始め、付き合いで横で読んでいるのですが、ママはスムーズに読むのですが、私は、 つっかえつっかえで、すごく読み辛いですね!   なんとか、スムーズに読めないかと、思っていたら、あることに気がつきました。それは、口では目の前の文言を唱え、目では一歩先を読む...

第一義

 


以下は、仏教において第一義といい、万物の真実の姿や究極の真理を指す言葉で、すべて同じものなのです。

  • 真理
  • 無常の法
  • 法身の釈迦
  • 諸法実相

 

法華経そのものを指す場合もあります。
また、それを悟った人、又は魂を指すこともあります。

ちなみに、人間の釈迦を「応身の釈迦」といいます。

2025年4月14日月曜日

燈明日記ブログ: 英語学習の日課

燈明日記ブログ: 英語学習の日課: 今、もうすぐ70歳、64歳から英語の勉強を開始して・・・ 毎日、以下の英語学習なっています。 mikan(約4年間ほぼ毎日)(年間学習数が東京都1位になった時がある) duolingo(約3年間完全毎日)(英語学習の世界チャンピオンになった時がある)   最近、英検3級の勉強と英...

働くことの意味とは?

働くことの意味がわかる本
 
働くことに関する本の記事が旧燈明日記にあったので、こちらにも掲載しておきます。
なぜかと云うと、内容が法華経ではないかと思えるぐらいの感じなので・・・


働くことは、「自分はここに生きて、存在している」という事実を、自分に対して、そして周囲の人々や世の中に対して、はっきりと証明する行為なのです。そして、職場とは、さまざまな試練を通じて、自分を成長させるため、大チャンスなのですから。とにかく、リストラのことなど気にせずに、また子供のためにでもなく、自分の成長のために…働くんだと!

 

大事なので、もう一度書きますね『自分の成長のために働くんだと!』


  • 仕事での失敗とは、実は、失うことではなく、失敗という学びを得ることである。
  • 仕事での嫌な事は、実は、自分を成長させてもらえる、チャンスなのである。
  • 仕事での嫌な人は、実は、自分を成長させてもらえる、有り難い人なのである。


この本に書いてあった『楽しく働くための三カ条』もメモしときます。


楽しく働くための三カ条
  • 「あらゆる仕事には価値がある」と信じること
  • 「どんな仕事であれ、自分の仕事を愛そう」と決心すること
  • 「困難な仕事でも、勇気と希望を持って挑戦しよう」と決心すること

そう、「信じること」と「決心すること」が大事!

 

まさに、法華経の内容って感じでしょう! (^^;;

 

2025年4月13日日曜日

無量義経

 


無量義経とは、『数かぎりない意味を持った教えは、ただ一つの真理から出てくるのだ』という教えのお経です。

 
法華経の序品第一と同じく法華経にとってプロローグ的な役目のお経です。以下のように3品(章)から構成されています。

 

徳行品第一

仏さまの完全円満な「徳」と衆生済度の「行」を賛嘆申し上げる章です。
 

説法品第二

仏さまが「数かぎりない意味を持った教えは、ただ一つの真理(実相)から出てくるのだ」という「説法」をされる章です。
実相とは、すべてのものの真実の相であり、宇宙の大いなるいのちです。すべての存在は、大いなるいのちの現れであり、お互いに関係し合いながら大調和を保つのです。
 

十功徳品第三

仏さまが「この教えを理解実行すれは、以下のように第一から第十の精神的功徳がある」という「説法」をされる章です。

 

第一の功徳不思議の力とは、以下のような心を起こさせます。

  • 自分の考えだけで生きていると思っている者には、仏さまに生かされるという心を起こさしめ。
  • 自分の幸福だけしか考えない者には、他人を幸せにしてあげたいという心を起こさしめ。
  • 平気で殺生したり、人を苦しめる者には、人を助けたいという、すべてのものを慈しむ心を起こさしめ。
  • 嫉妬を生ずる者には、随喜の心を起こさしめ。
  • 財産や地位に執着する者には、執着を捨てる心を起こさしめ。
  • いつも欲深い者には、人に施す心を起こさしめ。
  • 自分は偉い、間違いないと奢り高ぶる者には、謙虚な心を起こさしめ。
  • すぐに腹を立てたり、人を恨む者には、何かされても耐え忍ぶ心を起こさしめ。
  • 怠けぐせのある者には、一生懸命に努力する心を起こさしめ。
  • 変化があるとすぐグラグラ心が乱れる者には、現象に惑わされない静かな安定した心を起こさしめ。
  • 目の前の出来事にすぐ愚痴をいう者には、智慧のある心を起こさしめ。
  • 人を救ってあげたいと思わないものには、人を救ってあげたいと思う心を起こさしめ。
  • 十悪を行う者には、十善の心を起こさしめ。
  • 何事も自分中心に考える者には、自然に自分中心に考えない心を起こさしめ。
  • いつも後ろ向きに考える者には、つねに前向きに考える心を起こさしめ。
  • 煩悩に基づいて行動してしまう者には、煩悩から離れる心を起こさしめ。
  • 煩悩が大変多い者には、煩悩を取り除く心を起こさしむ。

 

第二の功徳不思議の力とは、教えの一部を理解しただけでも、それが無限に展開していくことを悟り得ることができる。
 

第三の功徳不思議の力とは、自分はまだ悟っていなくても、ほかの人を救うことができる。
 

第四の功徳不思議の力とは、いつも諸仏の慈愛に手厚く護られているということが実感できる。
 

第五の功徳不思議の力とは、自分はまだ煩悩に縛られていても、大菩薩と同じような行いを実現することができる。
 

第六の功徳不思議の力とは、すべての人の人生苦を断ち切ってあげることができる。
 

第七の功徳不思議の力とは、六波羅蜜という法の宝を求めないのに、ひとりでに身についてくることができる。
 

第八の功徳不思議の力とは、この経典を敬い信じ、人々のために説いてあげることができる。
 

第九の功徳不思議の力とは、前世の業を滅し尽くすことができる。
 

第十の功徳不思議の力とは、善をすすめ悪をとどめるはかり知れないほどの大きな力を得ることができる。
 

無量義経は、法華経の序品第一で釈尊が法華経を説く前に説かれたお経です。 ですので、法華経を読誦する前に無量義経を読誦することが普通になっていますが、ストーリー的には、 無量義経も法華経もそれ自体で完結していて、わたし的には、それぞれ個別に読誦すればいいのかな・・・と思う次第です。

2025年4月12日土曜日

悩めるすべての人へ...パートⅢ

 


すべての人が幸せになるには?

まずは、パートⅠはで、以下の2つの真理を悟りました。

・すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)。
・すべてのモノゴトはたえず変化する(時間的)。

つぎに、パートⅡはで、以下の生きる目的を悟りました。

・人類すべて幸福にする行為の実践。

そして、今回、前回の宿題の答え、パートⅢです。



[パートⅡの宿題]

”では、どうしたら自分自身と家庭を幸福にできるでしょうか?"

[宿題の答え]

例外を除いて、人間は一人では生きて行けません。
つまり、家庭では家族との人間関係があります。

人間関係が良い状態で、毎日楽しく暮らせることが幸福だと定義いたします。

では、人間関係を良い状態にするには、どうしたらいいと思いますか?

それは意外に簡単で、”ほめる”ことです。

どんな悪い人間でも、良心はもっているはずですが、周りの悪い環境で良心に気が付かないのです。

その悪い環境で、良心が生きていくうちに垢まみれになり、隠れてしまっているだけなのだと思います。

その垢まみれの良心を引き出す特効薬が”ほめる”ことです。

これは悪い人間だけではありません。妻、子供、同僚、上司、部下、...にも同じです。

とにかく、これらの人たちが、ちょっとで も、良いことをしたら、見逃さず、”ほめる”ことです。

ですから、つねにまわりを見渡し、良いことした人を発見したら、とにかく”ほめる”ことです。

 



人間関係を良くするには

つねにまわりを見渡し、ちょっとでも良いことをした”見逃さず、ほめる”こと。

これを実行すれば、人間関係はバリバリよくなります。試して見て下さい。

とにかく、ちょっとした事でも、見逃さず、ほめる。

とにかく、育児に効果抜群です。
とにかく、家庭内離婚に効果抜群です。
とにかく、いやな上司に効果抜群です。
とにかく、出来の悪い部下に効果抜群です。
とにかく、試して見て下さい。


最後に...

すべての人の良心が輝いた社会を想像してみてください。
そこは、まさしく、悩みのない、理想境です。

本シリーズ、『悩めるすべての人へ 』パートⅠ、Ⅱ、Ⅲが少しでも、お悩みの解消になれば幸いです。

2025年4月11日金曜日

悩めるすべての人へ...パートⅡ

 


「生かされている」ということ

前回のパートⅠで、”人間はもしかしたら大宇宙に生かされているのではないのか?”って述べましたが…。それって、結構、なやみに効果あります。

すべての、善いこと悪いことが自分でなくて、宇宙意志による仕業(しわざ)だと思うんです。
たとえば、家庭、会社、社会でのトラブルすべて、自分でなくて、宇宙意志による仕業だと...。
するとすごく、気が楽になりませんか。私はパートⅠを書いてからそれを実感しています。



ここで、話しを少し変えます。
人間(自分)はどうして、ここに今いるのでしょうか?(存在するのでしょうか)
大宇宙に生かされているのですから、大宇宙が必要だと思って、人間(自分)を作ってくれたんでしょう。
つまり、大宇宙から使命をうけてこの世に生まれきたはずなんです。
では、大宇宙からうけた使命ってなんでしょう。



また、話しを少し変えます。
宇宙意志は善いこと、悪いことのすべての意志です。
そして、パートⅠで以下の様にのべました。

・すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)。

例えば、悪い行いをしたとします。
すると、すべてのモノゴトはつながりありますので、全宇宙に悪い影響を与えます。
悪い影響は、すべてのモノゴトはつながりありますので、自分に帰ってきます。
するとそこに、悩みが発生することになります。
逆に、良い行いをしたとします。すると同じように、良い影響が自分に帰ってきます。
ですので、悩みは発生しません。

宇宙意志は悪いことも含みますが、全宇宙(宇宙自身)に悪い影響をおよぼす悪い行いを好むはずはありません。
つまり、大宇宙からうけた使命とは善い行いをすることだったのです。

では、善い行いってなんでしょう。
これは、究極の悪い行いの反対を思えば、案外と簡単にわかります。
大宇宙から使命をうけてこの世に生かされてきたのですから、究極の悪い行いは、その反対の殺人、自殺、戦争でしょう。
つまり、殺人、自殺、戦争の反対は自分を含むすべての人を幸せにする行為だと思います。

人類すべて幸福にする行為の実践、これが大宇宙からうけた使命だったのです。

ちょっと、おおげさな話しになりましたが、人類すべては元をたどれば、家庭、個人です。
つまり、家庭、個人がすべて幸福になれば、人類すべて幸福になります。

今自分ができることは、自分自身と家庭を幸福にすることです。
そうすれば、悩みがなくなると思いたいです。



では、どうしたら自分自身と家庭を幸福にできるでしょうか…。
これは、つづきパートⅢにてお話ししたいと思います。
では、今回はこの辺で...。

2025年4月10日木曜日

悩めるすべての人へ...パートⅠ

 


誰にでも平等な二大真理について

いろいろな人がいて、いろいろな悩みを抱えていると思います。
最近、私は、悩みをかなり軽減する方法を見つけましたので、 本ブログへ来られた人だけに内緒でお教え致します(^o^)



それは、意外に簡単で、大宇宙を感じるコトです。
宇宙でなく大宇宙がミソです。
ものすごく大きな宇宙空間と、ものすごく長い宇宙的時間を想うのです。
すると、悩みがチッポケに思えてきます。

人間は大宇宙のチッポケな地球に生まれ、そして、人間の一生は宇宙的時間では一瞬です。
こんな人間の悩みなど、大した問題ではなく思えてきませんか…。

では、どうしたら、大宇宙を感じるコトができるでしょうか。
まず、静かな場所をみつけて、リラックスして座り、かるく目を閉じ、頭の中で、地球、太陽、銀河系等の大宇宙をイメージします。

そうすると、すべてのモノゴトには、つながりがあり(空間)、そして、たえず変化している(時間)、ということに気づきました。
そして、もしかしたら人間は、この大宇宙に”生かされている”のではないのかと...。

逆にいうと、大宇宙に生かされている人間が悩むということは、大宇宙に沿った生き方をしていないのでは?


では、大宇宙に沿った生き方とは何か?


それは、先ほど説明した以下の2つを心の底から知ることだと思います。

・すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)
・すべてのモノゴトはたえず変化する(時間的)

各々説明致します。
 

すべてのモノゴトはつながりがある(空間的)

例えば、悪い行いをしたとします。すると、すべてのモノゴトはつながりがありますので、全宇宙に悪い影響を与えます。 悪い影響は、すべてのモノゴトはつながりありますので、自分に帰ってきます。するとそこに、悩みが発生することになります。

逆に、良い行いをしたとします。すると同じように、良い影響が自分に帰ってきます。
ですので、悩みは発生しません。


すべてのモノゴトはたえず変化する(時間的)

例えば、今現在、深刻な悩みがあったとしても、すべてのモノゴトはたえず変化しますので、長いスパンで悩みの解決策を立てると、結構時間が解決してくれたりします。

とにかく、一瞬先は闇です。悪いことよりも良いことをしましょう。

まとめ

人間誰しも、悩みはあると思います。それをどう捉えるか、どう感じるか、大宇宙と比較して、なるべく感じないようにすれば、いいのでは...。


また、できれば、悩みごとが起きないように、日頃から良い行いをしましょう。
すると、すべてのモノゴトはつながりがありますので、良い影響を受け、悩みは発生しません。


 

最近、私自身、いろいろ悩み事があり、上記を編み出しました。すると、意外に気が楽になりましたので、同じ様な人が居るのではと思い、ここに発表致しました。

すこしでも、お悩み解消のヒントになれば幸いです。

尚、『もしかしたら人間は、この大宇宙に”生かされている”のではないのか』については、『悩めるすべての人へ...パートⅡ』で、お話したいと思います・・・つづく

2025年4月9日水曜日

大乗、小乗、一乗


仏滅後に、お釈迦さまの教えが、二派(大乗、小乗)に分かれ、これを統一する法華経(一乗)が誕生しました。
 
  1. 大乗 - 大きな乗り物の意味で、沢山の人を救うということ。
  2. 小乗 - 小さな乗り物の意味で、大乗側からのさげすんだ呼び方。
  3. 一乗 - 一人の乗り物の意味でなく、一つで全ての人を乗せるということ。

 

しかし、いつの時代にも、宗教の争いがありますね。そろそろ、法華経の出番ですか・・・。

現代でも、争いをなくすための宗教で逆に争いが 起きています。

真の平和をもたらす法華経が世界宗教になることを望みます(^o^)

2025年4月8日火曜日

努力を続けていないとチャンスはつかめない!


人間には、一生のうちに何度かチャンスがめぐって来ると言われています。

 

しかし、そのチャンスは、普段から努力して実力を蓄えていないと通り過ぎてしまうそうです。つまり、実力を蓄えていないとチャンスが来たことすら気がつかないのです。

 

ですので、普段から以下の2つを意識するいいらしいです。


  • 人間の脳は、「出来る」と思うと、それを実現するために脳をフル回転させる。
  • 反対に「出来ない」と思うと、脳をフル回転させて、出来ない理由を考える。

だから、自分の夢を「出来る」と思って、脳をフル回転させ努力していけば、きっとチャンスをつかめるのです。

 

努力を続けていれば、才能などなくても、きっと夢を実現することができるのです。


がんばれ! だれにともなく・・・

2025年4月7日月曜日

無功徳

 


お経(私の場合は法華経)をあげたり、神仏へ願掛けやお願いを凡夫の私などは、よく行いますが・・・ 

 

実は、お経の功徳とは、そのようなお願いでなく、すべての現象について『有り難い』と受け止めることができるようになる……ということなのです。


その昔、中国の武帝から『仏教信仰の功徳は何か』と問われた禅宗の達磨大師は、『無功徳』と答えたそうです。そう、仏教に功徳など無いと!
 

これは、信仰をしたから願いが叶うということではなく、信仰をすることにより、すべての現象について『有り難い』と受け止めることできるようになる……ということらしいのです。


…と某小誌に書いてありました。私も、そう思います!

2025年4月6日日曜日

『悉く能く知らん』は、ことごとくよく知らないこと?

 


最近、いろいろあって、法華経をよく読誦しています。
で、気になった「よく知らん」です。
 
それは、妙法蓮華経 法師功徳品 第十九には、『xxx悉く能く知らん』というフレーズが13回で、『知らん』だけなら35回も出てきます。

・是の法華を持たん者は 香を聞いで悉く能く知らん
・無根及び非人を弁えざらん 香を聞いで悉く能く知らん
・銅器の盛れる所 香を聞いで悉く能く知らん
・波利質多樹 香を聞いで悉く能く知らん
・衆の宝華の荘厳せる 香を聞いで悉く能く知らん
・中にあって娯楽する 香を聞いで悉く能く知らん
・来往行坐臥する 香を聞いで悉く能く知らん
・周旋し遊戯する時 香を聞いで悉く能く知らん
・入禅出禅の者 香を聞いで悉く能く知らん
・初生及び退没 香を聞いで悉く能く知らん
・或は人の為に説法する 香を聞いで悉く能く知らん
・衆を愍んで説法したもう 香を聞いで悉く能く知らん
・法の如く修行する 香を聞いで悉く能く知らん

読誦していると、嫌になるほど、『知らん』『知らん』と連呼になり、そんなに知らないのかと思えてきて・・・。


実は、法華経に出てくる『知らん』は、現代語では『知るだろう』という意味になるのです!
 
 
つまり、『知らん』ということは、これから『知るだろう』ということなのですね。


ということで、漢文『悉能知』の訓読み『悉く能く知らん』は、現代語では『ことごとくよく知るだろう』です!

2025年4月5日土曜日

声聞、縁覚、菩薩

 


声聞、縁覚、菩薩は、修行者のことで、以下の修行の仕方で呼び名が分けられています。
  1. 声聞 - 仏の教えを学ぶことで、煩悩から離れようとして修行する人。
  2. 縁覚 - 仏の教えを自らの体験で、煩悩から離れようとして修行する人。
  3. 菩薩 - 仏の教えを沢山の人に広め、煩悩から離れようとして修行する人。
たぶん、修行のレベル的には、声聞<縁覚<菩薩の順番ですか・・・。

2025年4月4日金曜日

真理とは?

 


普通、『真理』とは、いつでも、どこでも変わりのない法則が真理です。 

仏教では、その真理を『』とも呼び。真理に合うとは、大調和のある世界を創造する一因をなすことが、 真理に合ったということなのです。たぶん。

最敬礼

 


2007/5頃に京王線で調布駅から分倍河原駅に通っていた時に遭遇したことを、旧燈明日記に書いた記事なんだけど、凄く印象に残っていたので、法華経ブログでも掲載することにしました。

 

朝通勤で、いつもちょっとうるさく、悪ぶった野球部の高校生の少年がいました。
その少年は、東府中で降りるのですが、話に夢中になっていたのか、ドアが閉まる寸前に飛び降りました。
あせって降りたので、野球帽を車内に忘れてしまったのです。


すると、20才ぐらいの青年がその帽子を見つけましたが、タイミング的にその子に渡すには無理かと思われました。
しかし、あと10Cmぐらいでドアが閉まるとこを目掛けて外に投げたのです。


そして、無事、帽子は少年のもとに戻りました。車内はほっとした雰囲気になりました。

 

ドアが閉まり電車が出発すると、その少年が、帽子を投げてくれた青年に向けて最敬礼をしているのです。


私はその一部始終を見ていて、なぜか、凄く感動したのでした。

 

不良っぽい少年が、最敬礼、このコントラストが感動の源泉かな・・・(^o^)

 

2025年4月3日木曜日

燈明日記ブログ: 「アイウエオ」という心

燈明日記ブログ: 「アイウエオ」という心:   前に、「 家庭のオアシスとは 」いう記事をアップしました。   子育てには、以下のオアシスが必要とのこと オアシスのオは、『おはよう』という素直な心 オアシスのアは、『ありがとう』という感謝の心 オアシスのシは、『親切』という思いやる心 オアシスのスは、『すみません』...

子供が親を育てる?


 
普通、親が子供を育てるもので・・・そうやって、子供は成長していきますね!


ところが、 先日、某教会の法座で、以下のお話しを聞きました。


実は、親が子供を育てるのではなく、子供が親を育てるのです。
法華経では願生といって、子供は、親を選んで生まれてくるそうです。
なので、子供は親にとって『お客さま』みたいなものなのです。
そう、子供を通して、親として成長していけるのです。
 
 
たしかに、子供がいるからこそ、親は頑張れますね!

子供を育てさせて頂けるお陰様で、親が成長できる・・・

逆に言えば、子供が親を育ているのですね(^^;;
 
 
また、70歳近くになると、お孫ちゃんが、グランドペアレントを育てるですか(^o^)
それにしても、可愛い・・・ (^^;;;

2025年4月2日水曜日

釈尊のいぶき:エピローグ(その20)


ここまで「釈尊のいぶき解説サマリーシリーズ」を読んで下さって、ありがとうございました。

 

まだ、読んでない方は、3月12日からこの「釈尊のいぶき解説サマリーシリーズ」が始まっております(^^;

 

「釈尊のいぶき解説サマリーシリーズ」の内容は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめた、立正佼成会の「経典」の解説です。

 

尚、立正佼成会については、「私と立正佼成会 」をご覧ください。

 

その経典には、法華経の最高エッセンスが散りばめられていて、これを理解して毎日読誦すれば、法華経マイスターになれると私は思います(^o^) 

 

佼成会会員の方は、毎日朝夕に経典を読誦して、本コンテンツを参考にして、法華経の最高エッセンスを掴んで、実践してみてください。

 

一般の方は、佼成会に入会するか、経典と「釈尊のいぶき」を佼成ショップで買って、毎日朝夕に経典を読誦して、同じく法華経の最高エッセンスを掴んで実践してみてください。

 

ということで、本シリーズは、ひとまず終わりにしたいと思います。ご精読ありがとうございました!!

 

「釈尊のいぶき」の購読は、以下のリンク先で

 

2025年4月1日火曜日

釈尊のいぶき:普回向・唱題・回向(その19)

 


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-16/


・経文(普回向)(「釈尊のいぶき」での抜粋)

わくは
(あまね)ぼし
(われ)()
(みな)(とも)(じょう)ぜん

 

・訳文

たちのいといたしますところは、このをあまねくのものにおよぼし、たちすべてのが、みんなじようにしたい、ということでございます。

 

・唱題

では、「()()(みょう)(ほう)(れん)()(きょう)」のお(とな)えます。

というのは、インドの)のをそのままてはめたもので「」というです。 

」とは、してさまのんでいく、すなわち、すべてのものをかしているのなかにんでいくことです。

そして、そのえるほどにじる「ありがたい」というも、こののなかにめられています。

 

・経文(回向)

んで(たてまつ)
(あつ)むる(ところ)(もっ)
()(おん)(じつ)(じょう)(だい)(おん)(きょう)(しゅ)
(しょう)(みょう)(ほっ)()
(ふん)(じん)(さん)()

(とう)()()(さつ)



(かん)(じょう)()(しゅ)()(そん)(じん)
()(しゅ)()(そん)(じん)
()(こう)()(おん)(ほう)(しゅう)す。

わくは(しょう)(れい)
(しょう)(れい)
()(えん)()(えん)(しょ)(しょう)(れい)
(なに)(とぞ)
()()(じょう)()(だい)せしめ(たま)え。
じては、りまするよう、(ひとえ)(たてまつ)る。

 

・訳文

いまここにんでさせていただきましたえ・められたのすべてを、

宇宙大生命である()(おん)(じつ)(じょう)で、そのわれとして人類救済のために真理いてくださった大恩ある教主釈尊


法華経えの真実証明される


宇宙大生命分身であり、過去現在未来じて、こののあらゆるにおでくださる諸仏


すべての救済しようとされた四大菩薩


釈尊のお実践)のきを象徴するをはじめとする菩薩方


くの困難えて、法華経めてくださった


法華経世界信受して本会創立してくださり、菩薩し、法華経導師であられた


開祖さまののもと、人心救済教化しまず、菩薩じてご証明された


菩薩実践むようにと守護してくださる神々


こののあらゆるにいらっしゃり、びとをってくださる神々

し、そのいたします。
そして、ごさま、今日にあたる)よ、どうかたちのをおけください。   

に、をはじめ、からおげます。とぞ、であり、さまのである『』がやかにいたしますよう、たちのをごくださいませ。


2025年3月31日月曜日

燈明日記ブログ: 朔日(さくじつ)と布薩(ふさつ)

燈明日記ブログ: 朔日(さくじつ)と布薩(ふさつ):   朔日(さくじつ)とは、 陰暦で、月の第一日のことで、 朔日参りの時は「ついたち」参りと読む。   一方、 布薩(ふさつ)の日とは、1日と15日のことで、月2回仏教徒が集会を開いて反省会(懺悔)をする日です。(以前にアップした 布薩の日 を参照のこと)   また、2月15日は釈...

釈尊のいぶき:仏説観普賢菩薩行法経(その18)


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-15/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

()(げん)(こん)あって。

(ごう)(しょう)(まなこ)()(じょう)ならば。

(ただ)(まさ)し。

すべし。

れを(まなこ)して。

くすとく。

()(こん)(らん)(しょう)いて。

()(らん)す。

れに()って(おう)(しん)すこと。 

()(おろか)なる(おん)(こう)し。

(まさ)し。

()(そう)ずべし。

くして。

()をもってかん。

(しょ)(こう)して。

(ぜん)ってす。

(かく) 

(ぜん)(したが)って(しょ)(じん)ず。

(じゅ)し。

(にょ)(じっ)(さい)ぜば。

れて。

(また)(しょう)ぜじ。

の。 

(あっ)()(ごう)す。

調せんとせば。

めてし。

(しん)(じゃく)()(おも)うて。

(おもい)なかるべし。

(しん)(こん)(おん)(こう)(ごと)くにして。

(しばら)くも(とど)まるあることなし。

せんとせば。

めてし。

(だい)(かく)(しん)

(しょ)(じょう)じたてまつるべし。

()

(したが)ってずるがし。

()()して。

にして(さわ)()なし。

して。

(じん)(ろう)れ。

し。 

にして(こころ)(たん)(ぱく)ならんとせば。

して。

ずべし。

(しょう)(ほう)便(べん)は。

うに()って()

(かく)()(ろっ)(ぽう)を。

けてとす。

(ごう)(しょう)(かい)は。

よりず。

せんとせば。

(たん)()してえ。

(しゅ)(ざい)(そう)()し。

()(にち)()す。

(ゆえ)()(しん)に。

すべし。


・訳文

もし、のもののっていたとづいたならば、えをし、)ということにをそわせることがです。

これが(まなこ)であり、のよくないないを()くすです。

また、いがあるがゆえに、ものごとをしくくことができないと、じさせるとなります。

ったをすれば、ったえをこし、あたかものみによってのように、あられもないことをしてしまうのです。

ですから、えをし、すべてのものごとは「(くう)」であり、した(すがた)はないことをしっかりとじ、すべてのつめることをがけなければなりません。

そうすれば、せつけず、すべてのものごとがしくってくるようになるでしょう。

 さのみにすれば、そのによってさまざまなまちがったこし、そのいのためにいろいろな(ちり)が生じます。

そのときにじるならば、にもろもろのかられることができ、じことをくりすことはないでしょう。 

は、しいなど、をつくるもとです。

しいりたいとうならば、ないをし、びとのというものにいをこらし、からけへだてをするててしまわなければなりません。

 というものは、からのように、しばらくもじっとしていません。

もしそのいたをおさえ、しいれようとうならば、つとめてえをし、天地ったであり((だい)(かく)(しん))、(そな)え()、ものをも(おそ)れはばかることなくく(()())、(わざ)(こころ)にありありとかべることがです。 

きは、まるでばされるように、によっていかようにもします。

そのなかには(こころ))ののわがままなれまわっています。

このったしてにいたいとうならば、して)をじなければなりません。

させる(すぐ)れたは、このようにえによって、うことからまれてくるのです。

いまいたつのえもそのであって、これらはきをしくしてきわめるようになるにほかならないのです。

すなわち、ないのち((ごう)(しょう))はみな、ありもしないことをあるとからこるのです。

もししようとうならば、かにってじることです。

もろもろのというものは、ちょうど(しも)(つゆ)のようなのあらわれにぎず、えば、たちまちしてしまうのです。

ですから、ひたすらうことによって、めなければなりません。

 

 ・補足

()(こん)(しょ)(こう)(じゃく)して

のすべての()(こん)させています。したがってこのは、るように、さのみをすることをしています。
 

(ぜん)(したが)って

(ぜん)」とは、などがにしみんでれないように、ものごとにするします。
 

(そく)(おこ)

(そく)」とはのことです。
 

(ほう)(しん)(じゃく)()

(しん)」は、「(じゃく)」はというですから、)ということです。にあてはめると、すべてのは「らのいのちのとする」というにおいてであるということになります。
 

(しゃく)(ぶく)

にそれてしまったしいれることです。
 

(ろく)(ぞく)

(こころ))のして(ろっ)(こん))が、それぞれのおもむくままにいていることをしています。
 

です。そこで、さまとじようなたいとずることが、であるというのです。


2025年3月30日日曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八(その17)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-14/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

()(げん)げたまわく、

せば(おい)(まさ)()()べし。

にはせらるることを()

にはえ、

には(しょう)(じょう)(じゅ)()り、

にはうの(おこ)せるなり。 

(かく)せば、(おい)()()ん。

()(もう)して(もう)さく、(のち)(じょく)(あく)()(おい)て、()()することあらんは、(まさ)して()き、(あん)(のん)なることをせしめ、(うかが)(もと)むるに()便(たより)()なからしむべし。

 

・訳文

さまはかっておえになります。

もしが、つのことがらをすれば、においてもこのえをつかみ、ることができるでしょう。

は、られ、(おも)われているのだということをすることです。 

は、いつもないをすることをがけることです。

は、いつもしいえをするびとのっていることです。

は、いつもをよくすること、のためにつくすことをめざすことです。

もし、がこのつのことがらをなえば、がこのったのちにおいても、のものにすることができるでしょう。

そのときは、さまにげました。 

、ありがとうございます。

よくわかりました。 

はおいいたします。

くなり、のことばかりするため、いがえない)の(にご)りきったのなかで、このえをするがおりましたならば、そのをしっかりいたしましょう。

もろもろのりをき、いつも(あん)(のん)なえるようにいたしましょう。

かの(すき)をねらってりつき、(さまた)げたり、(はく)(がい)えようとするたちに、そのがかりをえないようにってやりましょう。


2025年3月29日土曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五(その16)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-13/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

(こん)(やく)(こうむ)って。 

()()()めんに。 

(みょう)()

()う。

()(そく)し。

便(しゅ)して。

(もろもろ)に。

(くに)としてぜざることなし。

(あく)(しゅ)

 

(もっ)(ようや)(ことごと)せしむ。

(しん)(かん)(しょう)(じょう)(かん)

()()(かん)

(およ)()(かん)あり。

(せん)(ごう)すべし。 

()()あって。 

()(にち)し。

()(さい)(ぶく)して。

(あまね)かにらす。

()(たい)(かい)(らい)(しん)のごとく。

のごとく。

(そそ)ぎ。

(ほのお)す。 

(じょう)(しょう)して(かん)(しょ)()

(ぐん)(じん)()()せんに。

ぜば。

(あだ)退せん。

(ぼん)(のん)(かい)(ちょう)(おん)

(しょう)()(のん)あり。

()(ゆえ)(すべか)らくずべし。 

(しょう)ずることなかれ。

(じょう)(しょう)は。

()(やく)(おい)て。

()(ため)()()れり。

して。

をもって()る。

(じゅ)なり。

()(ゆえ)(ちょう)(らい)すべし。

 

・訳文

びとがい、しみにさいなまれているとき、のすぐれたびとをいます。

え、どのようなにも、そのいにピタリとてはまるにつけていますから、いかなるにもわれていのきをされます。

こうしてり()・(むさぼ)り()・)といったからい、をしだいにき、ついにはことごとくさせるのです。

きわめる(まなこ)(しん))、いのないらかな(しょう)(じょう))、(こう)(だい)()())、しむすべてのってあげたいというやさしいいにちた)、すべてのせにしてあげたいというしみをたたえた())をっています。

びとは、にそのような(まなこ)ちたいとい、としなければなりません。

からは、(けが)れなきらかなたれ、智慧太陽のごとく、すべてのいのい、もろもろの不幸ぼしてらします。

かれるめは、びとのしみをいてあげようというざしたものですから、その(らい)(めい)のうち(ふる)うがごとくです。

また、びとにせをえずにはいられないは、あたかも()りにしむのようにありがたいものであって、のようにわいのあるえのをあまねくぎ、してくれます。

いごとできをけたり、それでもせずにずくのいとなってろしいうようなときでも、ずれば、もろもろの()まわしいことは、たちまちせてしまうでしょう。 

は、(みょう)(おん))をき、のあらゆるいをらかにけて()くれます。

えをらか((ぼん)(のん))で、かれるりのようにびとのり((かい)(ちょう)(おん))、すべてのいやしみをいて((しょう)()()(けん)(のん))くれます。

ですから、のようになりたいとうことがです。

ほんのにもってはなりません。

らかなであり、いろいろなしみやったときも、()()となります。えて、びとをてくれます。

すべてのまるように、(しあわせ)がそのによってせられるのです。

ですからし、そのないにんでいくことがなのです。

 

・補足

()(もん)

このにあるの「()」とは、くあまねく、どこにもかしこにもというです。「(もん)」は、からじて、をさすいられます。また、ものごとをするというもあります。したがってすると、「あまねくすべてのに」「えるのすべてのに」というになります。わかりやすくえれば、「こののいたるところに、ありとあらゆるとあらゆるに、あらゆるに、に」ということになります。


2025年3月28日金曜日

燈明日記ブログ: 法華経ブログの目的

燈明日記ブログ: 法華経ブログの目的: 私は、この「燈明日記ブログ」と、もう一つ「 法華経ブログ 」をやっています。 燈明日記ブログは、単に日記で、何でもありの内容になっていますが、法華経ブログは法華経に何かしら関係のある内容になっています。  法華経ブログは2008年の4月から開始していますが、その前に「法華経ノート...

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 如来神力品第二十一(その15)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-12/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

(おい)て。

の。

って。

(したが)ってかん。

の。

()(ゆう)(みょう)くがく。

()じて。 

()し。

をして。

(ひっ)(きょう)してせしめん。

()(ゆえ)あらん

()いて。

(おい)て。

()すべし。

()(おい)て。

(けつ)(じょう)して疑いあることなけん。 

 

・訳文

したのちのにおいて、

いたえがどういうで、

どういうかれたかということをよくり、

えのにしたがってりなくびとにくならば、

が、

すべてのさせるように、

びとのいのり、 

)たちをへとくでしょう。

よって、をほんとうにえるめる)は、

このえのがすぐれていることをいたならば、

において、このえをするのがなのです。

どうしても、このえ()にせざるをないのです。

そうなれば、そのずるであろうことは、

もはやいもありません。

 

・補足

とは(いち)(ぶつ)(じょう)したものです。さまのえには、(というつの)があるようにえますが、それはくための便であり、ではありません。すべてのえは、「く」というただつののためにかれています。という、それぞれにいがあるようにえるも、このつのにつながっているのです。ですから、とは、もすべてをします。


2025年3月27日木曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 常不軽菩薩品第二十(その14)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-11/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

いましき。

()(おん)(のう)(なづ)けたてまつる。

(じん)()()(りょう)にして。

(しょう)(どう)したもう。

(りゅう)(じん)の。

するなり。

()

()きなんと(ほっ)せし

一人あり。

(じょう)()(きょう)(なづ)く。

(けい)(じゃく)せり。

()(いた)って。

(しか)(これ)ってわく。

(なんじ)しめず。

(なん)(だち)(どう)じて。

(みな)(まさ)()(ぶつ)すべしと。

(しょ)(にん)()(おわ)って。

(きょう)()()()せしに。

()(これ)(にん)(じゅ)しき。

()(つみ)()(おわ)って。

(みょう)(じゅう)(のぞ)んで。

()(きょう)くことをて。

(しょう)(じょう)なり。

(ゆえ)に。

寿(ぞう)(やく)して。

(また)(しょ)(ため)に。

()く。

(じゃく)(ほう)(しゅ)

(みな)の。

して。 

(じゅう)せしむることを(こうむ)る。

(みょう)(じゅう)して。 

()いたてまつる。 

()くが(ゆえ)に。

()(りょう)

(ようや)()して。

()ず。

()は。

(すなわ)()れなり。

()()(しゅ)の。

(じゃく)(ほう)(もの)の。

(なんじ)(まさ)に。

()(ぶつ)すべしというをきしは。 

()(もっ)て。

()いたてまつる。

()()

(しゅ)

幷及(ならび)

(しょう)(しん)()(にょ)の。

(いま)()て。

()れなり。

(おい)て。

()(すす)めて。 

()の。

(ちょう)(じゅ)せしめ。

(かい)()してえて。

(じゅう)せしめ。

()()(かく)(ごと)き。

しき。

(ごう)より。

()()()(いた)って。

(いま)し。

()くことを()

(ごう)より。

(いた)って。

()きたもう。

()(ゆえ)

(ほとけ)(めつ)()(おい)て。

(かく)(ごと)いて。

(しょう)ずることなかれ。

()()(いっ)(しん)に。

()くべし。 

()いたてまつりて。

()(じょう)ぜん。

 

・訳文

()(おん)(のう)というがおられ、すぐれた(みちび)かれました。 

びとも、びとも、たちも、ともにげておえしていました。

このされ、そのえもれられようとするころ、一人がいました。

(じょう)()(きょう)というでした。

そのころのたちは、えをして、それにとらわれていましたが、らのそばにってこううのでした。『はあなた(かろ)んじません。

あなたずることによって、となるだからです』と。

びとはのことを、いいかげんなことをうやつだとし、(ののし)り、いましたが、(かん)(よう)をもって、じっとそれをけとめました。 

からの(しん)ない)、()言葉)、())の(さん)(ごう)(きよ)()くして、このえようとするとき、えをくことができました。

そのためにもすっかりわれました。

そして、寿びたため、びとのためにまたえをきました。

(しょう)(ぼう)にとらわれていた(ひと)びとは、のおかげで(ただ)しく(きょう)()され、(ほとけ)(さと)りを(こころざ)すようになりました。

はそのによって、も、またでもにおいすることができました。

そして、そこでもこのえをけたために、はかりしれないほどのることができました。そのでまたにおいするというをくりすうちに、ついにはりにしたのです。

そのときのなのです。

そして(しょう)(ぼう)にとらわれていたたちは、(じょう)()(きょう)から『あなたになれるです』といつもかされていたために、そのによってくことができ、うことができました。

この(ほう)()には、たちがまっていていますが、じつは、あなたこそにおいてしたたちなのです。

は、において、あなたであるこのえをくことをめ、〈すべての(あら)われである〉というかせ、く〈〉のして、)に(いた)らせました。

そして、もいつのにあっても、このえをしたのです。

しかし、うことはなことではありません。 

(ごう)というえられないほどのがたち、(じゅく)して、めてくことができるからです。 (ごう)というばぬほどのて、ふさわしいばれてこそめてはこのえをおきになるからです。

そういうわけですから、したのちのたちよ、このえにつことなく、めてえをめてください。

そうすれば、そのによって、いつのにもうことができ、まわりをすることなくりにすることができるでしょう。


・補足

()(しゅ)

(()())、()()())、()()(そく))、()()())のことです。「()()」とうこともあります。
 

(にん)(じゅ)

りやじながらも、じっと()えるというではありません。むことなく、をもってけとめるということです。
 

には、とか、などというがよくてきますが、これらはをさすのではなく、「たくさん」とです。ですから、このというも「たち」とです。
 

()(つみ)()(おわ)って

するは、っていました。ときにはないをしたり、ったり、ったこともあったはずです。そうしたったないが、によって、すっかりめられたということです。