2024年12月7日土曜日

すべて自分を生かすことだと自覚する


 

お釈迦さまは、自分を何度も殺そうとした提婆達多(だいばだった)を憎まず、逆によき友(善智識)とおしゃっていました。

これは、自分にとって、いやな人、いやなことが、実は自分を成長させていただけるチャンスなのだという教えなのです。

このように人生は、いいことも、いくないことも、すべて自分を生かすことだと自覚ができれば、すでにもう幸せなのです。

2024年12月6日金曜日

3つの心構えと3つの実践とは


このブログの常連さんは、もうお分かりだと思いますが、私はRKK教団のダメダメ信者です。

この教団の経典は、「法華経」です。
「法華経」は、実は、難信難解です。
 

その難信難解の「法華経」のエッセンスを以下の「3つの心構え」と「3つの実践」で分かりやすく一般人までに落としてくれたのが某教団の方々なのです。

3つの心構え

  • 自分が変われば相手が変わる。
  • まずは、人さま。
  • すべては、自分。 

3つの実践

  • 朝は、元気良く「おはよう!」と挨拶する。
  • 呼ばれたら、元気良く「ハイ!」と返事をする。
  • 靴をぬいだら、人知れず靴をそろえる。

 

特に「3つの実践」は、現会長先生が自ら3年間毎日実践し、これこそ現代の法華経実践とだ確信したものだそうです。


私も同感だと思うこの頃です(^o^)

 

2024年12月5日木曜日

今の中に見つけるもの・・・

昔、旧燈明日記で引用したんだけど、今、引用先がわからない…、良いメッセージなので、また引用しときます(^^;


幸せというのはどこかにあるものを追い求めて得られるのでなく、いま自分がいるその場所で見つけ出すもの、気づくものです。


問題を否定したり、直そうとするのではなく、そのままを喜ぶこと、それが「本質的な救われ」です。


何も変わったことがないのが功徳である場合が多いのです。その功徳を感じとるのが、真の信仰者というものです。

 

仕事での一日3回の警備巡回も、何もないことは、まさに功徳です(^o^)

仕事をちゃんとしてんのかって、声が聞こえて来ましたが・・・


 

2024年12月4日水曜日

法華経は百パーセント救われる?

 
昔、旧燈明日記で引用したんだけど、今、引用先がわからない…、良いメッセージなので、また引用しときます(^^;

 

 

仏教の基本は「世の中のすべてのものごとは、『因』と『縁』の出合いによって存在する」という縁起の教えです。

 

法華経は、これを一歩進めて「常にまわりの人をよい因・よい縁と見る」という「善因善果」で、すべての人が百パーセント救われるという縁起観なのです。


「法華経ですべての人が百パーセント救われる」というのは、出合うことすべてを幸せの因と見ることで、人は皆幸せになるために生まれてきていると信じること。

 

「〜信じること。」って、あんた・・・(^^;;

2024年12月3日火曜日

理性の宗教と感情の宗教


世の中には、実に沢山の宗教があります。

どの宗教も、幸せになることが目的の一つだと思います。
しかし、宗教がもとで争いが起こることもありますね。


争いの宗教は、『感情の宗教』なのです。
『感情の宗教』には、2つの欠陥があります。


それは、感情である『これは好き』、『これは嫌い』、という2つの欠陥です。

  • 『これは好き』が高ずると、他の宗教を排除し、争いが起きるのです。
  • 『これは嫌い』が高ずると、他をきらい過ぎて、争いが起こるのです。

では、『理性の宗教』とは、どういうものでしょうか?


ハイ、それは、仏教です。


仏教は、感情的にこれを拝めとか信ぜよとか教えられたものではありません。
仏教は、因果の法則を説かれたもので、誰でも理性で理解ができるものなのです。


そう、仏教は

  • 良いことをすれば、良い縁にふれて、良い結果になり、良い報いが来る
  • 悪いことをすれば、悪い縁にふれて、悪い結果になり、悪い報いが来る


です!


しかし、一神教は争いばかりですね…

一神教の各々が、それぞれ絶対的に正しいと思っているから他を許せず争いになる。


世界を救えるのは、やはり、仏教しかないですね…(^o^)

2024年12月2日月曜日

仲良くするのは難しい

人には、相性というものがあります。

 

普通、結婚は相性の良い人とするものです。
しかし、実際は、相性が良いと単に勘違いした、あるいは、騙されたケースが多いようですね。


ですので、結婚生活をつづけていると、『無性に腹が立つ』ことがありますね(たぶん相手も同様でしょう・・・)。
これは、感情なので理性では、なかなか抑えきれません。


しかし、そこをなんとか乗り越えるところが、宗教を行ずる信仰者ではないでしょうか・・・。


法華経では、お釈迦様が、自分を何度も殺そうとしたダイバダッタでさえも、良い友達としているのです。
 

逆にいうと、自分にとって都合が悪い相手ほど自分を成長させてくださる有り難い友としてみるのが仏教(法華経)なのですね。


ちなみに、『無性に腹が立つ』の無性は、仏性がない状態のことらしい。

仏性のないもの。悟りを開く素質のないもの

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%84%A1%E6%80%A7_%28%E3%82%80%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%29/

 

すべての人には仏性があるはずなのに、「怒り」や「絶望」は仏性を覆い隠すのですね。
だから、逆の「喜び」や「希望」をいつでももてる自分になりたいですね!

 

 

2024年12月1日日曜日

信仰は お豆腐のように

今年も、早いもので、もう12月ですね。

今日は、とあるところで、法話を聞いて来ました。

その法話で、心に残ったものがありました。

それと同じものが、ネットにありましたので、引用しときます。


信仰は お豆腐のようになることです。
豆腐は煮られてもよし
焼かれてもよし 揚げられてもよし
生で冷奴で ご飯の菜によし
湯豆腐で一杯 酒のさかなによし
柔らかくて 老人 病人の お気に入り
子供や 若い者からも 好かれる
男によし 女によし
貧乏人によし 金持ちによし
平民的であって 気品もあり
上流へも好かれる
行儀よく切って 吸い物となり
精進料理によし
握りつぶして味噌汁の身となり
家庭料理に向く
四時 春夏秋冬 いつでも使われ
安価であって ご馳走の一つに数えられ
山間に都会に…….何処でも歓迎せられる

味がないようで 味があり
平凡に見えて 非凡。

https://woo-site.com/article300/2/

 

煮られてもよし、焼かれてもよし、揚げられてもよし、生でよし
味がないようで味があり、平凡に見えて非凡

私も、豆腐のようになりたい(^o^)