『開祖さまに倣いて』より引用です。
そのとき、その場、その人にふさわしいく真実へ導いてくれる縁、それが「方便」です。
人生に起こることすべてが方便であるとすれば、それをすべて生かそうと努力することが、仏さまの願いの通りに生きることであり、真理へつながる道なのです。
本当に仏さまの願いを理解したとき、目の前にあった問題を超えていくことができるのです。
上記を何回も何回も読むと、わかる気がしてきた・・・(^^;;;
『開祖さまに倣いて』より引用です。
そのとき、その場、その人にふさわしいく真実へ導いてくれる縁、それが「方便」です。
人生に起こることすべてが方便であるとすれば、それをすべて生かそうと努力することが、仏さまの願いの通りに生きることであり、真理へつながる道なのです。
本当に仏さまの願いを理解したとき、目の前にあった問題を超えていくことができるのです。
上記を何回も何回も読むと、わかる気がしてきた・・・(^^;;;
『開祖さまに倣いて』より引用です。
すべての出来事は、自分本来の仏性を輝かせるために必要で、まわりは自分が仏になるための、有り難い「縁」ばかりなのです。
それがなければ、自分の仏性を輝かせることができない、大切なのは「はからい」なのです。
すべてを仏さまの慈悲だと信じることです。
仏さまのお慈悲を信じることによってこそ、仏さまの本願を受けとめることができるようになるのです。
ちなみに、「仏さまの本願」とは法華経如来寿量品で以下のように述べられています。
毎に自ら是の念を作す 何を以ってか衆生をして 無上道に入り 速やかに仏身を成就することを得せしめんと
つまり、どうしたら早く仏と同じ心境にさせることができるのか・・・。
その願いをかなえることが、「仏さまの本願」なのです。
ということで、すべての出来事は、自分を成長させる(仏と同じ心境になる)大切なおはからいと受け止めて頑張れば、いいみたいですね!
『開祖さまに倣いて』より引用です。
私たちは人さまの悩みを聞かせて頂くときに、ややもすると、その人の心の内を聞く前に悩みの原因が見えてしまうことがあります。
するとすぐにでも悩みを解決してあげたくて、「こうしたら」「ああしたら」と、それまでの経験をもとに、その原因を取り除くためのアドバイスをしてしまいます。
それは相手を思う気持ちであり、また、常識的には正しいことかもしれません。
けれども、いくら正しいこと、変えるべくことであっても、それを先に持ち出してしまうと、相手の心を開くことはできません。
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いま目の前にいる人の心を開くには、相手の思いをそのまま共感していくことです。
自分の思いを本当に受け入れてもらったと思えたとき、人の心は開くものです。
すると、今度はどんな言葉も受け入れてくれるようになるのです。
『相手の思いをそのまま共感していくこと』わかりました。
その智慧で見ると、嬉しいことや辛いことの中にも仏さまの慈悲のはたらきをみつけることができ、それを乗り越える実践で、幸せになれると説かれているのが、法華経かな(^o^)
ちなみに、実相をネット検索すると
幸せというのはどこかにあるものを追い求めて得られるのでなく、いま自分がいるその場所で見つけ出すもの、気づくものです。
問題を否定したり、直そうとするのではなく、そのままを喜ぶこと、それが「本質的な救われ」です。
何も変わったことがないのが功徳である場合が多いのです。その功徳を感じとるのが、真の信仰者というものです
幸せとは、その場で見つけ出すもの、何も変わったことがないのが功徳と感じ取る・・・確かに(^o^)
『法華経というのは、因縁を光りが発するように悟ること』・・・。
『法華経の見方とは、いまある「縁」によってこそ、生かされて生きることを感じ取っていくこと』・・・。
仏教の教えというものは、詮じ詰めれば、天地すべてのものに支えられているという実相、目に見えないものにも生かされているという実相を、われわれにわからせるためのものなのです。
開祖さまに倣いて
余計にわからん(^^;;
約2500年前の12月8日、明けの明星を見ながら、お釈迦さまは、お悟りを開きました。
そのお悟りは、人間はもとより、あらゆる動物も植物もみんな仏と同じように尊い、光り輝く存在に見えてきたのです。
本来、光っているものを、光っていると見ることのできる眼を持つこと、それが仏になること。
とにかく、自分も相手もみんな仏性をもっていて、それに気がつくこと……そこから幸せが始まる。
その仏性とは、すべての人を幸せにしたいと願う性質なのだと思います。
本質においては金色に光り輝くような美しい世界なのに、心のレンズにいっぱい汚れがついているために、それを通して見る世界が汚れてみえるだけのことです。
開祖さまに倣いて
ですから、心の汚れをすっかり拭いさってしまえば、この世はこのままで寂光土にかわるのであって、法華経の教えの神髄はこのところにあるといってもいいでしょう。
だから、心の汚れを落としましょう(^o^)