王子から太子になられた青年釈尊は、ある日、郊外の園林に遊びに行くことになりました。
太子がお城の東門から馬車に乗って出かけると、見るに耐えないヨボヨボの老人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。
お供の者は、答えました。
『老人でございます。すべての人間は、生身であるいじょう、老いの苦しみを免れるものは、ございません』
太子は考え込んで、もう遊びにいくどころではなく、お城へ帰りました。
それからしばらくして、また、外出することになりましたが、東門をさけ、南門から出かけました。
すると、道端に倒れてる病人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。
お供の者は、答えました。
『病人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、病の苦しみを免れるものは、ございません』
太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。
また、それからしばらくして、外出することになりましたが、東門と南門をさけ、西門から出かけました。
すると、遺体を運んでいるお葬式に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。
お供の者は、答えました。
『死人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、死の苦しみを免れるものは、ございません』
太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。
それからしばらくして、またまた、外出することになりましたが、東門と南門と西門をさけ、北門から出かけました。
すると、出家修行者に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは、どういう人か』とお尋ねになりました。
お供の者は、答えました。
『沙門でございます。出家の修行者でございます』
太子は、沙門に尋ねました。
『沙門には、どういう利益があるのでしょうか?』
沙門は、答えました。
『わたくしは、生老病死の苦しみを超越し、多くの人に安らぎとしあわせをやりたいと願うばかりで、
世間の汚れから離れている身でございます。これが沙門の利益だと思います』
太子は、『まことにそのとおり、これこそ、わたしの求めていた道だ!』と出家を決意されたとのことでした。
このように仏教は、釈尊が少年期、青年期で体験した苦に対して、どのように克服すればよいかからスタートしたものと思われます。
ということで、仏教は、まず、はじめに苦ありき! です・・・。
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