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2008年11月21日金曜日

釈尊物語 第3話:青年釈尊(四門出遊)


王子から太子になられた青年釈尊は、ある日、郊外の園林に遊びに行くことになりました。


太子がお城の東門から馬車に乗って出かけると、見るに耐えないヨボヨボの老人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。



『老人でございます。すべての人間は、生身であるいじょう、老いの苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう遊びにいくどころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、また、外出することになりましたが、東門をさけ、南門から出かけました。
すると、道端に倒れてる病人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。



『病人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、病の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


また、それからしばらくして、外出することになりましたが、東門と南門をさけ、西門から出かけました。
すると、遺体を運んでいるお葬式に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。



『死人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、死の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、またまた、外出することになりましたが、東門と南門と西門をさけ、北門から出かけました。
すると、出家修行者に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは、どういう人か』とお尋ねになりました。



お供の者は、答えました。



『沙門でございます。出家の修行者でございます』


太子は、沙門に尋ねました。



『沙門には、どういう利益があるのでしょうか?』


沙門は、答えました。



『わたくしは、生老病死の苦しみを超越し、多くの人に安らぎとしあわせをやりたいと願うばかりで、
 世間の汚れから離れている身でございます。これが沙門の利益だと思います』


太子は、『まことにそのとおり、これこそ、わたしの求めていた道だ!』と出家を決意されたとのことでした。



このように仏教は、釈尊が少年期、青年期で体験した苦に対して、どのように克服すればよいかからスタートしたものと思われます。



ということで、仏教は、まず、はじめに苦ありき! です・・・。

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