釈尊は、29歳で出家され修行し、35歳でお悟りを開かれ(成道)、80歳で入滅する(亡くなる)までの45年間、仏法の布教伝道に邁進しました。
仏伝では、初転法輪前後と入滅直前あたりは、順を追って分かるのですが、それ以外の事柄は、2500年前のことなのでわかりません。
しかし、天台大師や後世の学者が、ほぼすべての経典を読破し、成道直後に華厳経、つぎに阿含経、方等経、般若経と説かれ、涅槃の8年前から法華経が説かれ、最後に、涅槃経を入滅直前の一日一夜の説法とのことと解明されました。
さて、入滅の涅槃ですが、直前に2つのエピソードがありました。
一つ目は、ほとんど絶望を思われていた釈尊が、幸い小康を得られた時に、熱心な信者のチュンダが、ご供養した食事の茸に中毒され、ご容体がにわかに悪化し、それを知ったチュンダは、物凄く後悔しました。
しかし、釈尊は『チュンダの供養した食事が、私の最期を早めたからといって、何も悔やむことはありません。
私が成道する前に、スジャータという娘が食事を供養してくれましたが、今入滅しようという際のこの食事も、それと同じように大きな功徳があるのです。』とおおせられ、チュンダの心を救ったとのことです。
2つ目は、いよいよ寿命が尽きることをお悟りになった釈尊のもとへ、スッパダという異教の行者が『真の悟りに至る道』の教えを請いに来ました。
釈尊の弟子達は、ご臨終に近い釈尊をわずらわしてはならぬと思い、断ると、その押し問答を聞かれた釈尊は、『道を聞きに来た人を拒んではなりません。』と八正道をお説きになったそうです。
そして、スッパダは、そのお言葉に目がさめたようになり、釈尊の最後の弟子になりました。
そして、クシナガラという町の沙羅の木の間に床を用意され、頭を北にし、
右脇を下にした形で、お亡くなりになりました(享年80才)。最後のお言葉は、
すべての現象は、移り行くものです。怠らず努力することですよ!
とのことでした。
ここに人類始まって以来の最高の聖者は、まことに大いなる死を迎えたのでありました。
それは、日本暦に直して2月15日の夜半とのことでした。
ちなみに、仏教界ではこの日に涅槃会を毎年とり行っています。
ちなにみ、なぜ北枕にしたのかというと、一説では、足を自分の生まれた国の方向へ向けないためとのことです。
これは、大いなる放棄より、父母に対しての親不孝を、釈尊はいつも気にしていたとのことです。
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