にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村

2009年1月22日木曜日

第17話:現代釈尊(今の仏教)

今の仏教は、葬式仏教と云われています。なぜ、そうなったかというと、それは、戦国時代にまでさかのぼります。


当時の混乱した社会の中で、軍事力もった、増大した仏教勢力を、信長と秀吉は大弾圧をします。


その後、江戸幕府も、寺の軍事力を削ぐため、寺に関する厳しい統制をかけ、江戸幕府は、仏教そのものを国教(寺請制度)としました。


事実上、国教になったことにより、すべての僧侶が幕府の官僧となり、
この結果、僧侶たちは、生活が保障され、布教のために信者を獲得する必要がなくなったのです。


そして、僧侶たちの仕事は、葬式と法事にお経を唱える葬式仏教となってしまったのです。
現代もその流れで、現在に至っているわけです。


しかし、伝統的な仏教とは別の流れとして、新しい仏教教団が大正、昭和の時代に登場します。
それは、本来の仏教の復活でもありました。


たとえば、立正佼成会は、2500年前の釈尊教団をみているようです。


佼成会内部は、みな平等で、法華経を読誦し勉強し、布教も一般の人を強引に勧誘することなく、
ただ、法華経のご縁になっていただくことをお誘い祈るのみです。
また、募金や毛布等をボランティアで集め、世界の恵まれない人達に寄付させてもらう。


そう、立正佼成会は、仏・法・僧(釈尊、法華経、同信者の平等の和)が、ほどよく揃った理想的な仏教教団なのです。(オイ、こんなに持ち上げていいのか・・・)


そういえば、上座部仏教の東南アジア諸国へ進出した現地の佼成会の信者さん達は、佼成会に入ることにより、お経をあげたり、
布教活動ができることなど、すごく有り難いとのことでした。これは、上座部仏教の影響で現地のお坊さん以外は、そのような行いはしないとのことでした。


とにかく、世界を救える多分唯一の宗教は、他を排除する宗教でなく、すべての神々を包含し、すべての人々の大調和を目指す仏教しかないのです。
そして、現代の今、その釈尊の教えが日本から世界へ広がろうとしてるのです!


上記を読んで立正佼成会をもっと知りたいと思った人は、以下をアクセスしてみてください。




きっと、そこには、法華経を学ぶ機会があり、同信者の和の中で自分を磨ける機会があると思います。

2009年1月21日水曜日

第16話:滅後釈尊(その後の仏教)

仏滅後、仏教は13世紀初頭までインドで栄えましたが、回教徒(イスラム軍)のインド侵入により仏教は滅亡しました。


しかし、大乗仏教は東へ東へと、中国、朝鮮半島、日本へと伝わり、小乗仏教(上座部仏教)はスリランカから東南アジア諸国に伝わりました。


大乗仏教の成立は、西暦元年前後で、その後、大乗仏教を理論体系にまとめた『中論』のナーガールジュナ(龍樹)や唯識仏教のアサンガ&ヴァスバンドゥ兄弟を輩出しました。


また、中国では三蔵法師玄奘や鳩摩羅什が大乗仏典を漢訳して、それが日本に伝わりました。
ちなみに、お経を読んでいて観世音菩薩が出てきたら鳩摩羅什訳で、観自在菩薩が出てきたら玄奘訳だそうです。


仏教が伝わったといっても、仏教の経典の数は5000以上もあり、当時の高僧達がこれはと信じたものが広まりました。


ちなみに、今の日本には以下のような宗派があるようです。



  • 天台宗(最澄)- メインは法華経(しかし、密教、禅、戒律、念仏もサブメイン)
  • 真言宗(空海)- メインは密教(即身成仏が目標で、口で呪文を唱え、手に印を結び、心は大日如来を思う)
  • 律宗(鑑真)- メインは戒律(五戒:不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒)
  • 浄土宗(法然)- メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって救われる)
  • 臨済宗(栄西)- メインは禅(禅で真実の自己をみつければ、慈悲の心にかなう生き方が出来る)
  • 曹洞宗(道元)- メインは禅(難しいことは考えず、したすら坐禅をすることで仏と一つになれる)
  • 黄槃宗(隠元)- メインは禅と念仏(念仏と禅を組み合わせた念禅一致で浄土にいたることが出来る)
  • 真宗(親鸞) - メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって極楽浄土することを約束)
  • 日蓮宗(日蓮)- メインは法華経(南無妙法蓮華経を唱えて、法華経の教えを実践することにより救われる)
  • 時宗 (一遍)- メインは念仏(念仏踊り、盆踊りの起源)
  • 融通念仏宗(良忍)- メインは念仏(一人の念仏がすべての人の念仏と融けあい、その功徳がその人に帰ってくる)
  • 法相宗(玄奘)- メインは唯識(一切のものは自分の心から生じたもので、自分の心をきれいにすることで悟りにいたる)
  • 華厳宗(良弁)- メインは毘廬遮那仏(奈良の大仏)(一微塵のなかに全世界が反映し、一瞬のうちに永遠の時間が含まれている)


以上のように、法華経系、密教系、戒律系、念仏系、禅系、その他系に分かれ、法華経系以外は、仏教のある一つの教え、
例えば、陀羅尼、戒律、念仏、禅、唯識等を各々デフォルメして各々発展しているのかなぁ・・・と思う次第です。


すべての教えの仏教全般をフォローしているのは、法華経だけかも・・・。


しかし、とにかく、法華経系以外の宗派を評するほど、仏教に詳しくないです。すみません。

2009年1月20日火曜日

第15話:番外釈尊(釈尊の呼び名)

み仏けさまこと釈尊のお名前の呼び名は、実は沢山ありますね。



  • ゴータマ
  • シッダールタ
  • 釈迦牟尼世尊
  • 釈尊
  • 世尊
  • 釈迦牟尼如来
  • 如来
  • 釈迦
  • お釈迦さま
  • 仏陀
  • ブッダ
  • 仏さま
  • み仏さま
  • 釈迦牟尼仏


ここで少し、解説してみます。


今から、2千5百年前にカピラバスト云う国の王子として生まれた釈尊は、ゴータマ・シッダールタと名づけられました。
シッダールタとは、『すべてののぞみを成就するもの』という意味だそうです。


カピラバスト国は、シャーキャ族(釈迦族)という民族の国でした。
釈迦族は、今のインド人の大部分を占めるアーリア系白色人種でなく、
日本人に似ている蒙古系の黄色人種であったと云われています。


釈尊は、釈迦族出身の聖者(ムニ)で、『世に比類なき尊いお方』のバガヴァン(世尊)の称号で呼ばれていました。
つまり、釈迦牟尼世尊です。それを略して釈尊世尊と言われています。


また、釈迦は、ご自分のことを『真如から来たもの』の如来といっていたそうです。
つまり、釈迦牟尼如来です。
ちなみに、真如とは、宇宙のあらゆるものごとを存在たらしめている大本の法のことで、無生、無滅、無始、無終のもの。


実は、当時『釈迦』といった場合は、釈尊でなく釈迦族を指したそうですが、今では、釈尊のことですね。
もちろん、『お釈迦さま』も。


また、釈尊は、お悟りを開かれたので『真理を悟った人』と言う意味の仏陀ブッダ)と呼ばれ、仏さま、または、み仏さまと言われています。
つまり、釈迦牟尼仏です。


これで、とりあえず、上記の名前はすべて説明がつきました。

2009年1月18日日曜日

第14話:総括釈尊(真の仏教とは)


今回、釈尊の一生を見てきたわけですが、ここに僭越ながら、仏教素人の私の感想(ある意味悟り)を述べてみたいと思います。


仏教はご存知の通り、八万四千の法門があり、経典は約1700種あると言われています。また、宗派も沢山あるわけです。
これは、釈尊の時代には、教えを書物にする習慣(技術?)がなく、随宜説法の内容を口づてに伝えられました。
それを釈尊が入滅したのち、弟子達が思い思いに本にまとめたものが、経典となったのです。


したがって、すべての経典の内容は、ほぼ間違いなく釈尊の教えだと思うのですが、それにしても多過ぎます。
そこで、教えの真髄中の真髄を私なりに推察すると、お悟りと初転法輪のときの2つのメッセージに帰するのかなと思うのです。



一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。


如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。



まず語句を解釈します。

『如来の智慧と徳相』とは、如来は仏様の別名で、智慧と徳相とは、性質です。したがって、仏性となります。

『妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず』は、何に対しての妄想・執着かというと自分自身のからだということです。

上記を踏まえて意訳しますと。


すべての人は、仏性を持っている。仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』である仏性を持っていることを証れ得ないでいるのだ。

苦行と怠けの2つの極端を捨て、真理に合った道を悟ったのである。そして、八正道を実践すると自然と真理に合って来るのです。


とりあえず、これから先は、まだ、悟りえず・・・・・・。


しかし、これだけは、確かなようです。そう、幸せになるための『正しい行い』です!


そういえば、最初(初転法輪)に説いたのが八正道で、最後(涅槃時)も八正道だったなぁ・・・。

2009年1月17日土曜日

第13話:入滅釈尊(大いなる死)


釈尊は、29歳で出家され修行し、35歳でお悟りを開かれ(成道)、
80歳で入滅する(亡くなる)までの45年間、仏法の布教伝道に邁進しました。
仏伝では、初転法輪前後と入滅直前あたりは、順を追って分かるのですが、
それ以外の事柄は、2500年前のことなのでわかりません。


しかし、天台大師や後世の学者が、ほぼすべての経典を読破し、成道直後に華厳経、
つぎに阿含経、方等経、般若経と説かれ、涅槃の8年前から法華経が説かれ、
最後に、涅槃経を入滅直前の一日一夜の説法とのことと解明されました。



さて、入滅の涅槃ですが、直前に2つのエピソードがありました。


一つ目は、ほとんど絶望を思われていた釈尊が、幸い小康を得られた時に、熱心な信者のチュンダが、
ご供養した食事の茸に中毒され、ご容体がにわかに悪化し、それを知ったチュンダは、物凄く後悔しました。
しかし、釈尊は『チュンダの供養した食事が、私の最期を早めたからといって、何も悔やむことはありません。
私が成道する前に、スジャータという娘が食事を供養してくれましたが、今入滅しようという際のこの食事も、
それと同じように大きな功徳があるのです。』とおおせられ、チュンダの心を救ったとのことです。


2つ目は、いよいよ寿命が尽きることをお悟りになった釈尊のもとへ、スッパダという異教の行者が
『真の悟りに至る道』の教えを請いに来ました。
釈尊の弟子達は、ご臨終に近い釈尊をわずらわしてはならぬと思い、断ると、その押し問答を聞かれた釈尊は、
『道を聞きに来た人を拒んではなりません。』と八正道をお説きになったそうです。
そして、スッパダは、そのお言葉に目がさめたようになり、釈尊の最後の弟子になりました。


そして、クシナガラという町の沙羅の木の間に床を用意され、頭を北にし、
右脇を下にした形で、お亡くなりになりました(享年80才)。最後のお言葉は、



すべての現象は、移り行くものです。怠らず努力することですよ!



とのことでした。


ここに人類始まって以来の最高の聖者は、まことに大いなる死を迎えたのでありました。
それは、日本暦に直して2月15日の夜半とのことでした。
ちなみに、仏教界ではこの日に涅槃会を毎年とり行っています。


ちなにみ、なぜ北枕にしたのかというと、一説では、足を自分の生まれた国の方向へ向けないためとのことです。
これは、大いなる放棄より、父母に対しての親不孝を、釈尊はいつも気にしていたとのことです。

2009年1月16日金曜日

第12話:反逆釈尊(提婆達多反逆)


提婆達多は、釈尊の従弟で、年も同世代だったようです。
青少年時代は、学業もスポーツも共に大変優秀だったのですが、提婆達多は、両方とも釈尊に今一歩およびませんでした。
また、ひじょうに我の強い性格だったようです。
そんなことから、提婆達多は、釈尊に強いコンプレックスを感じていたようです。
出家後も、その強い我は直らなかったのです。
そして、大きくなった教団を牛耳ってみたいという気持ちを抑えることが出来ませんでした。


また、釈尊はもちろん、教団の幹部はみな神通力(超能力)を持っていました。
これは、仏道を真に修行すると自然と会得してしまうものなのです。つまり、神通力の会得は二次的なものなのです。
しかし、提婆達多は、すでに神通力を得ている比丘から、神通力だけを伝授してもらいます。
すると、仏道修行で長年抑えていた我が閾値を超え、釈尊何するものぞと、教団を乗っ取ろうと、釈尊の命を狙ったり、いろいろ企てます。
しかし、その企ては、すべて失敗し、自暴自棄になり、悪行を重ね、地獄に落ちたと仏伝にしるされています。


そんな提婆達多のことを、釈尊は、以下のように仰っております。



等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり

(仏の悟りを得て多くの人々を救うことができるのも、みんな提婆達多が善き友のお陰である)



これは、どういうことかというと、提婆達多反逆の苦を通して、自分自身が逆に成長できたということだと思います。
その結果、多くの人々を救うことができた・・・。
また、その奥には、法句経の『恨みに報いるに恨みをもってしない』があったのだと思います。

2009年1月12日月曜日

第11話:布教釈尊(随宜説法)


雨期も過ぎ、約60人の釈尊教団は一人ずつ布教の旅に出ることになりました。
釈尊も、マガダ国へ向かいました。それは、マガダ国王と悟りを開いたら訪れると約束をしていたからです。
途中、森のなかで30人の若者に随宜説法で教化し、つぎに事火外道の三迦葉(うるびん・なだい・がや)の教団をまるごと教化して、
一挙に約1000人でマガダ国に入りました。


国王は、釈尊教団のために竹林精舎(霊鷲山の近く)を建立し、釈尊教団はとどまって修行の道場としたのです。
その後、阿説示が智慧者舎利弗を導き、舎利弗は友達の神通力目連と一緒に入団。
また、拈華微笑摩訶迦葉も釈尊が迎えるまま入団。
そして、ここに三大弟子が加わり、最強の教団が誕生したのでありました。


尚、随宜(ずいぎ)説法とは、相手にふさわしい適切な指導の手段(方便)で、その場その場で、随時よろしく、説法・教化することで。また、拈華微笑(ねんげみしょう)とは、釈尊と摩訶迦葉のとある有名なエピソードなのですが、今回は割愛、将来コンテンツに加えるつもりです。


その後、カピラバスト国へ帰郷したり、コーサラ国に祇園精舎を建立したりして、教団は益々大きくなっていきました。
釈尊の一族からも沢山の出家者が出ました。
阿難(従弟)、羅ご羅(実子)、阿那律(従兄)、耶輸陀羅比丘尼(妻)、摩訶波闍波提比丘尼(継母)、難陀(異母弟)、提婆達多(阿難の兄)。
中でも、提婆達多は、釈尊の永遠のライバルで・・・、つづく。

2009年1月11日日曜日

第10話:教団釈尊(帰依三宝)


初転法輪後、ちょうど雨期だったので、釈尊と5人の比丘は、ベナレスに留まり、そして、ヤシャと云う青年を偶然に仏門に導きます。
仏法を会得したヤシャは、いきなり両親、妻をはじめ50人以上も導いて、釈尊教団が誕生しました。
ちなみに、両親、妻は、出家せず、はじめての優婆寒(男子の在家修行者)、優婆夷(女子の在家修行者)となりました。



釈尊教団に入るには、仏法を理解することはもちろん、つぎの3つの心構え(帰依三宝)の不動の決意が必要でした。



  1. 自ら仏に帰依したてまつる。
  2. 自ら法に帰依したてまつる。
  3. 自ら僧に帰依したてまつる。

仏とは、釈尊(宇宙の大生命)。法とは、仏法(宇宙の真理・法則)。僧とは、同信者の和(宇宙の大調和)。


普段、なにげなく、読経の前に帰依三宝を唱えていますが、結構重い意味があったのですね・・・。