2024年11月10日日曜日

釈尊十大弟子

以下は、法華経を読誦していると、よく登場してくる釈尊のお弟子達で、十大弟子と呼ばれています。

  • 舎利弗しゃりほつ(智恵第一) 
  • 目連もくれん(神通第一)
  • 摩訶迦葉まかかしょう(頭陀ずだ第一)
  • 須菩提しゅぼだい(解空げくう第一)
  • 富楼那弥多羅尼子ふるなみたらにし(説法第一)
  • 摩訶迦旃延まかかせんねん(論義第一)
  • 阿那律あなりつ(天眼てんげん第一)
  • 優波離うぱり(持律じりつ第一)
  • 羅睺羅らごら(密行みつぎょう第一)
  • 阿難あなん(多聞たもん第一)

2024年11月9日土曜日

法華経の神髄

法華経をいろいろ勉強してまいりましたが、おぼろげながら、その神髄が見えてきました。

それは、ズバリ! 『因縁果報(縁起)』と『正しい生活』です。

要は、正しい生活をして(因)、良い(縁)が沢山出来、人生苦が消滅(果)して、幸せ(報)なる。

そして、正しいとは、真理(法)にそった、とういうことです。

人は、良因を積むことで、宇宙の調和と共振し、いつでもどこにでも、法身の釈迦を見ること、感じることが出来るようになる。

すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。

つまり、仏になっていくこと、言い換えれば法華経の実践こそが、宇宙の調和であり、世界平和実現の礎になる。とまぁ、法華経の神髄とは、こんなところですか、たぶん。

2024年11月8日金曜日

法華経ブログって、いいことが書いてある!

 2008年当時、確かに法華経研究が趣味だった気がするのですが、今読むと、結構いいことが書いてある(^^;

しかし、ブログ内のアンカーがことごくアクセス不可になっているので、なんとか直していきたいと思う今日この頃です。


2016年7月8日金曜日

真の菩薩行

『とある人』が、『とある先生』のお供で、インドに行きました。 『とある先生』は、大変忙しく、また、大変偉い方なので、 日本では、話すご縁などありませんでした。
しかし、今回のご縁で2時間、さしでお話しする機会を得たのです。 『ある人』は、大変有り難いご縁を得たので、緊張と感激のあまり喉が乾き、 傍にあった生水を誤って飲んでしまったのです。
そう、インドは、ご存知の通り、生水は不衛生です。 その晩、当然のごとく、「なんとか赤痢」に掛かって、死ぬような苦しみを味わいました。 すると、『ある先生』は、自分がこのようになった時のために用意した点滴をくれたのでした。 尚、点滴は3本用意してきましたが、すでに2本は、同じような症状の同行者に与え、最後の1本を くれたのでした。
点滴を打ったら、『とある人』は、今までの苦しみがうそのように回復しました。 すると、こんどは、『とある先生』の様子がおかしいことに気づきました。 そう、『とある先生』も、実は、「なんとか赤痢」にかかっていたのです。 しかも、『とある人』に点滴を与えた時に、すでに「なんとか赤痢」にかかっていたのを 『とある先生』は、ご自分で知っていたようなのです・・・。
真の菩薩行とは、自分がどんな状態でも、目の前の苦しんでいる人を助けずにはいられない、そして、助ける。そのような行いらしい・・・。
その後、『とある先生』は、恩に着せることなく、そして、『とある人』は身を持って、真の菩薩行を間近で見ることが出来たのです。

2016年7月6日水曜日

あぁ有り難い

障害を持って生まれてきたある一人の青年がいました。 青年は、学生時代に障害のことでイジメにあったり、機能回復の手術を何回も受けたりと、 困難な人生を歩んできました。
そんな青年の母は、お見舞えに来た人達などに、ことある毎に『有り難い有り難い』と言っていました。 しかし、青年は、何がそんなに『有り難い』のかいつも疑問に思っていました。
そんな中、母のご縁で、とあるボランティアに参加することになったのです。 はじめは、母の手前、我慢して、何でオレがと・・・参加していたのですが・・・。
しばらくして、ボランティア人達とも打解けて仲間になり、そして、その仲間のやさしさにふれた時に、 はじめて、心の底から『あぁ有り難い』と思える感動が湧き上がってきたのです・・・。
そして、それは、お母さんやご先祖さまから受け継いだ感謝の気持ちだったのかも知れません。

2016年7月2日土曜日

「正」しいとは?

昨日、法華経の勉強会がありました。その時、正しいの「正」は、一(真理)が止まると書きます』と説明がありました。そこで、すかさず、一は真理とイコールですかと質問をしてみました。
すると、『一般的には、「一」には真理という意味はありません、しかし、法華経観では、すべての人は一つの乗り物(一乗)に乗っているいう真理があり、そこから「一」イコール「真理」となる』と説明がありました。
つまり、正しいとは、真理が止まること、言い換えれば、真理がある状態らしい・・・。
正しいHTML、正しいかな使い、正しい論理、正しい・・・は、真理がやどる・・・。

2016年6月29日水曜日

『辛』と『幸』

今日は、午前中に某出版社の社長さんの講演会へ行きました。
講演では、記者出身の社長さんが、記者時代に取材現場の感動を如何に文章(記事)で表現することが難しいかというお話しをしていました。
確かに、感動を文章で表現するのは、超難しいです。
で、社長さんが言うには、結局、如何に自分がその感動で高まるかが、キーポイントになるそうです。
あと、特に心に残ったお話しで、仏法では、『一切皆苦』という教えがあります。つまり、生きることは、すべて苦しみという教えです。 そして、苦しみであるがゆえに、生きるのが『辛』いわけです。
また、その『辛』さの原因を見極め、結果的には善い行いをしていくと『辛』という字に真理(一)が宿り『幸』になるとの事でした。なるほど、うまい。

2016年6月23日木曜日

法華経的人生の目的

あなたの人生の目的はなんですか?

なんて、突然言われてもこまっちゃう・・・。とか、そんなこと考えたこともない・・・、と思った人がほとんどだと思います。そこで、そんな人のために、今日、法華経の講習会で教わった、法華経的人生の目的をご紹介致します。
法華経的人生の目的
人間の本質は、仏性であることを自覚し、自分と他人を分けて自己中心に考える「我」の心を取り除きながら、いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」と常に一体感を味わえる境地(成仏)にまで、絶えず向上の道を歩むこと。
まぁ、こんな感じです。『いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」』がつっこみどころかもしれませんが、とにかく、法華経的には、すべての人は「一つの大きな輝くいのち」に生かされていると説かれています。
わかりやすく言うと、魂的には、実は全人類皆兄弟姉妹で、だからこそ、仲良く助け合って生きて、皆さん全員幸せになりましょう ってことらしい。(まだ、修行中なのではっきり言えない・・・)
で、まとめですが、ちょっとテーマが大きすぎて、まとまりませんが、次回の機会にと・・・ということで、よろしくお願い致します。

2016年6月22日水曜日

バスの時刻表

あるバス停におじいさんとおばあさんがいました。
なにやら、おじいさんは時刻表をぶっ叩いて怒っています。
『もうとっくにバスが来ている時間なのに、なんで来ないんだぁ!こんな時刻表などいるもんか!捨てちまえ!』

すると、連れ合いのおばあさんが言いました。
『おじいさんや、その時刻表がないと、バスがどれだけ遅れたかわかりませんよ・・・』

現実の社会は、このバスと同じように、決して時刻表通りにはいきません。しかし、時刻表があるからこそ遅れているのがわかるのです。
そう、お釈迦さまの教えは、バスの時刻表のようなものです。
人生は、時間通りに来ないバスのようなものだからこそ、つねに時刻表(お釈迦さまの教え)と照らし合わせて、その差を埋めるべくことに価値があるのです。
そして、その価値こそ、『生きがい』と呼べるものだと思います・・・。

2016年6月20日月曜日

神通力

まぁ、現代では超能力のことですが、お釈迦さまの時代は神通力と呼ばれていました。で、お釈迦さまをはじめ十大弟子の人達は皆、神通力の能力を持っていたとされています。
これは、凡人は、どうしたら神通力を会得できるのかと考えてしまいますが、実は、神通力を会得するのが目的でなく、仏道の修行をしていれば自然に会得してしまうものだそうです。そして、ブッダ教団の幹部は、結果的にMr.マリックのような人の集まりになりました・・・。
しかし、この幹部連中を見ていて、オレも神通力が欲しいと願っていた者がいました。そう、お釈迦さまの従弟の提婆達多です。
この人、お釈迦さまと同じように優秀な人でしたが、あらゆる面で一歩お釈迦さまに及びません。で、しだいにお釈迦さまに悪意を持つようになり、いろいろとお釈迦さまの命を狙います。神通力も十大弟子の一人をそそのかし、会得してしまいます。もともと優秀な人ですので、次第に実力者になっていきますが、もろもろの悪行がたたり、最後には生きながら地獄へ落ちたと言われています。
なんか、まとまりませんが、とりあえず、提婆達多品第十二の予告でした。

私も、仏道(法華経)を修行していますので、そろそろ神通力が欲しいなぁ・・・って言ってみるテスト。
あっ、そう言えば、スプーン曲げは出来るんですよ! Mr.マリックの真似したら出来てしまったのです。凄い!
で、まとめですが、正しい行い(修行)をしていくと自然に神通力が会得できるらしい・・・、とにかく正 しい行いです!

2016年6月19日日曜日

悩んだ人ほど、真理はすぐ傍に・・・

『とある先生』のお供で『とある人』が海外へ行きました。
『とある人』は、そこで、日本語交じりの英語で何かいろいろ回りの外人さんに話し掛けている日本人を見かけました。どうやら海外で迷子なって凄く動転している模様です。迷子の人は、『ある人』が日本人あるとすぐわかったので、地獄で仏のごとく、助けを求めてきました。
で、手がかりは、Sの付く看板があるホテルに泊まっているとのことで、さっそく、Sの付く看板があるホテルを探しましたが、これだけの手がかりでは、まったく、分かりません。そこで、地図でSの付くホテル探しをしていたらシルトンホテルがあり、それを発音すると『おー、その名前のホテルだ!』と迷子の人は言いました。
そして、なんとそのシルトンホテルは、今立って居る斜め後ろのビルではありませんか!
悩みに悩んで、探しに探していたら、いつの間にか探していたホテルのすぐ前に居たのです。しかし、居ても気づかずに・・・。

このことを『とある人』は、『とある先生』に報告すると、『とある先生』は、以下のようにおっしゃいました。
『人助けが出来てよかったですね。悩みに悩んだ人ほど・・・真理のすぐ傍にいるものです・・・。』

2016年6月17日金曜日

法華経を一言で言うと・・・

法華経の大家である庭野日敬氏は、あるインタビューで『法華経を一言で言うと何でしょう?』と聞かれました。 法華経を知り尽くし、実践尽くした庭野日敬氏は、さて、なんて答えたでしょうか・・・。
興味深々ですね! で、いろいろ想像してみてください。『六波羅蜜』『縁起観』『四諦』『十如是』・・・。

お待たせしました。答えです。
『法華経を一言で言うと何でしょう?』とインタビューされた庭野日敬氏は・・・。
『良いご縁を作ることです。』とお答えになりました。さすが、庭野日敬氏。
いや~、まさに法華経を一言で言ってのけました。
さぁ、皆さ~ん、良いご縁を作りましょう! ・・・ということで、まとめとします(合掌)。

2016年6月16日木曜日

わかりやすい法華経

『進んで良いことを行う。』すなわち、これ法華経なり。
今日、ある人から教わった、わかりやすい法華経です。
正しい事を実践して、良い縁をつくり、自他共に幸せになる。

2016年6月15日水曜日

一切皆苦

もっと、いい生活を送りたいとか、いいパソコンが欲しいとか、次男に来年大学に受かってほしいとか、三男が大学に受かるまで(後4年)はリストラされないとか、つい苦しくて神仏に手を合わせて祈ってしまいます。

しかし、釈尊の教えは『一切皆苦』と説かれているのです。すべては苦しみなのだと・・・。
なので、神仏にいくら手を合わせても、実は『一切皆苦』は、変わらないのです。

では、なぜ昔から神仏に手を合わせるのかというと・・・。
それは、今ここに、神仏によって生かされていることへの感謝の気持ちを表す行為なのです。
たとえば・・・
  • 毎朝、目が覚めて、息をしていた。あぁ有り難い。
  • 病気もせず、リストラもされず、今日も会社に行ける。あぁ有り難い。
  • ぼろノートパソコンだけど、こうやってブログを更新できる。あぁ有り難い。
  • ランキングで一時3位まで行ったけど、20位以下になってしまった。でもランキングに参加できるだけで有り難い。
  • 長男はいつ寝ているのかわからないけど、とりあえず生きている。あぁ有り難い。
  • 次男は受験勉強を全然していないけど、明るさだけは失っていない。あぁ有り難い。
  • 三男は三鷹大会を制してから毎日バスケットの練習に夢中で、本当は体にちょっと心配があるのだけれど、今のところ大丈夫そう。あぁ有り難い。
というように、祈りは、神仏にお願いをするのではなく、今あることへの感謝の気持ちを表す行為なのです。

で、本ブログでなにが言いたかったかというと・・・。
神仏にいくらお願いをしても『一切皆苦』はなくならず、今ここに生かされてるという奇跡に気づくと、なぜか苦しみがなくなったような気がして、頑張れる気がしてくるのです。

2016年6月13日月曜日

劫濁(こうじょく)

法華経の方便品に劫濁(こうじょく、または、濁劫という場合もある)という言葉がでてきます。
これは、世の中が同じ状態が長くつづくと動脈硬化をおこして汚れてくるという意味です。

今の世の中、まさにコレですね。
天下りや渡り、2世3世議員、いつの間にか国のトップは、普通のおじさん達になってしまいましたね。

2016年6月11日土曜日

一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し

今朝、ネットをしていて見つけた『マンガ仏教ゼミナール』。
ここに『雑阿含経』の「盲亀浮木の譬え」が載っていました。
「盲亀浮木の譬え」とは、江原さんの影響か・・・人間が死んだら、すぐ生まれ変われるみたいな誤解がありますが、実は、生まれ変わるには物凄く大変だという譬えなのです。
  • 『マンガ仏教ゼミナール』
    (2024年11月現在リンク切れ)
とにかく、百年に一度、浮かび上がる目のみえない亀が、海に浮かぶ丸太ん棒の穴にひょいと頭を入れる確率より、人間に生まれ変わるのは大変だという譬えです。

つまり、人間に生まれるのはすごく大変なことなのだから、命は大切にしなさい・・・という教えなのです。
実は、法華経でも『一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し』というフレーズが24番の妙荘厳王本事品にあります。
こちらは、仏の教えに遭えることの大変さを譬えています。

2016年6月10日金曜日

和顔愛語(わげんあいご)

和顔愛語とは、「大無量寿経」にある仏教の言葉で、笑顔が幸せを呼び込むという教えです。
  • 『和顔愛語』 By マンガ仏教ゼミナール
    2024年11月リンク切れ
上記リンク先に以下のようなことが載っていました。
全国を回っている売薬さんから聞いた話だけど、奥さんの対応によって、その家の未来が分かるそうです。
明るい笑顔をたたえている奥さんの家は、1、2年後に行ってみると、必ず家を新築したり改築したり、庭がきれいになっている。
ところが、苦虫かみつぶしたような奥さんの家は、相変わらず玄関に履き物が散らばり屋根瓦が落ちたりしている。
一家の盛衰は、笑顔で決まりますね。
そう、その人はしみじみ語っていました。
とにかく、家を整えないと・・・とくに玄関は念入りに・・・。
そして、和顔愛語ですね。

実は、笑顔によって人の心を和ませることは、大切な布施行の一つだと仏教では教えられているのです。

2016年6月8日水曜日

ダンナ(旦那)とは

旦那とは、そう、我々亭主のことです(独身者は除く)。

実は、旦那の語源は、古代インドのサンスクリット語で『ダーナ』といい、「布施」を意味します。
「布施」は、慈悲心や情け、思いやりを表しいます。

昔、旦那は寺院や僧侶に布施をする「施主」や「檀家」の意味として用いられていました。
やがて、一般にも広まり、稼いだお金(ある意味、布施)で生活の面倒を見る人、つまり、妻が夫を呼ぶ敬称として旦那が用いられるようになったのです。

まさに、我々旦那衆は、家族のために布施する存在ですね。
財布の中は、最近は小銭しか入っていませんが、こんな時だからこそ、本来の旦那になっているのですね(^^;

2016年6月4日土曜日

あらやしき(阿頼耶識)を清める

最近、仕事のプレッシャーなのか精神的に不安定で、夢の中でも結構叫んでいるらしい・・・。
となりで寝ているママが驚いて、私を起こしてくれるのです・・・顔面ピンタとかで(^^;。

こういう時は、法華経読誦(ご供養)が効きますね。特に陀羅尼(26番、28番)がいいようです。
ここのところ、毎日の法華経読誦が復活しました。確かに精神が安定してきました。
法華経読誦が、なぜ精神安定に効くかというと・・・私が思うには以下の感じです。

潜在意識や無意識のことを仏教では、あらやしき(阿頼耶識)といいます。
この阿頼耶識に仕事のプレッシャーなどがインプットされるみたいです。

しかし、阿頼耶識は、意識的には制御できない無意識の領域なのです。
また、法華経には良い事が沢山書かれています。

つまり、良い事が沢山書かれている法華経を、毎日毎日繰り返し読むことによって、潜在意識に刻み込まれ、プレッシャーの意識などを追放して、阿頼耶識を清めることができるみたいです。

当分、阿頼耶識を清めて参ります。
ついでにママの阿頼耶識も清めてあげるって言ったら、あなただけには言われたくないと、強い拒絶を受けました(^^;

2016年6月1日水曜日

釈提桓因(しゃくだいかんいん)とは

法華経序品第ーに以下のくだりがでてきます。
爾の時に釈提桓因、其の眷属二万の天子と倶なり。
釈提桓因とは、帝釈天の別名で、娑婆世界のうえにある天上界の主とされていました。
その帝釈天の眷属には、以下の天子がいました。
  • 名月天子(月の神)
  • 普香天子(星の神)
  • 宝光天子(日の神)
  • 持国天(四大天王の一人:東方を護る)
  • 多聞天(四大天王の一人:北方を護る。別名:毘沙門天ともいう)
  • 増長天(四大天王の一人:南方を護る)
  • 広目天(四大天王の一人:西方を護る)
実は、これらの神々は、仏教ではなくバラモン教(古代インドの宗教)の神なのです。
釈迦は、これらの神々を排除することなく、仏法護持の神々としたのです。