2024年11月14日木曜日

わかりやすい釈尊物語

本ブログでの法華経解説と並ぶコンテンツ、釈尊物語です。

釈尊物語 第1話から第17話まで、一気にお読みください!

 

釈尊物語 第1話:誕生釈尊(天上天下唯我独尊)

時代は、約紀元前500年。場所は、今のネパールのあたりにカピラバストという国がありました。
そして、その国王の淨飯王と摩訶摩耶夫人に、はじめて王子が誕生されました。
名を悉達多(シッダールタ)といい、後のお釈迦さまの誕生でありました。
誕生された悉達多は、四方に向かって七歩ずつ歩かれ、右手を天に指し、左手を地に指し『天上天下唯我独尊』と宣言されました。
生母:摩訶摩耶夫人(まかまやぶにん)は、出産後、7日後に亡くなり、悉達多は継母:摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)に育てられました。



ここで解説です。
まず、皆さんは、たぶん2つの疑問を持ったことだと思います。



  1. 生まれたての赤ちゃんが、なんで歩くことができるのか? 
  2. 『天上天下唯我独尊』とは、なんて傲慢なことを言うのか?


1は、古代インドの文化では、時空をこえた表現をよくするとのことです。
つまり、生まれたての赤ちゃんの釈尊とお悟りを開いた釈尊が、ごっちゃに表現されているのです。


2は、普通の人が言えば、超傲慢ですが、釈尊が言ったということは、宇宙の真理ということです。
つまり、世界を救えるのは、唯一、宇宙の真理だけであるので、宇宙の真理(法)は尊いのだ、ということです。


とにかく、ここに人類の大導師、お釈迦さまが誕生されたのです。
ちなみに、仏教界では4月8日にお釈迦さまの降誕会を行っています。

 

釈尊物語 第2話:少年釈尊(一切皆苦)

後の釈尊こと悉達多王子は、幼くて母親を亡くし、ものに感じやすい考え込みがちな少年でした。
ある年、年中行事の鋤き入れの式がありました。


王子は、父の淨飯王に連れ添って、それを見ていると・・・。
鋤きで掘り起こされた土の中にいた虫を、鳥が舞い降りてきて食べてしまったのです。
その光景は、何度も何度も繰り返されました。
王子は、いたたまれなくなって、そして思いました。


『一方が生きるために、一方が殺される・・・なんとむごたらしい・・・生きることはすべて苦である・・・』
『そして、それは、確かに現実なのだと・・・、そう、一切皆苦なのだと・・・』



しかし、王子の現実生活は、王子なので、学問・武芸など、なに不自由なく幸福だったとのことです。
そんな王子悉達多少年が、青年へ成長する過程で、出家を決定付ける出来事がありました。四門出遊・・・つづく。


釈尊物語 第3話:青年釈尊(四門出遊)

王子から太子になられた青年釈尊は、ある日、郊外の園林に遊びに行くことになりました。


太子がお城の東門から馬車に乗って出かけると、見るに耐えないヨボヨボの老人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。

『老人でございます。すべての人間は、生身であるいじょう、老いの苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう遊びにいくどころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、また、外出することになりましたが、東門をさけ、南門から出かけました。
すると、道端に倒れてる病人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。

『病人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、病の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


また、それからしばらくして、外出することになりましたが、東門と南門をさけ、西門から出かけました。
すると、遺体を運んでいるお葬式に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。

『死人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、死の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、またまた、外出することになりましたが、東門と南門と西門をさけ、北門から出かけました。
すると、出家修行者に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは、どういう人か』とお尋ねになりました。



お供の者は、答えました。

『沙門でございます。出家の修行者でございます』


太子は、沙門に尋ねました。

『沙門には、どういう利益があるのでしょうか?』


沙門は、答えました。

『わたくしは、生老病死の苦しみを超越し、多くの人に安らぎとしあわせをやりたいと願うばかりで、
 世間の汚れから離れている身でございます。これが沙門の利益だと思います』


太子は、『まことにそのとおり、これこそ、わたしの求めていた道だ!』と出家を決意されたとのことでした。



このように仏教は、釈尊が少年期、青年期で体験した苦に対して、どのように克服すればよいかからスタートしたものと思われます。



ということで、仏教は、まず、はじめに苦ありき! です・・・。


釈尊物語 第4話:出家釈尊(大いなる放棄)

さて、四門出遊で出家を決意した太子でしたが、王子でもあるので王の後継ぎをしなければなりませんでした。
しかし、しばらくすると、太子の御妃が羅ご羅(ラゴラ)を出産されたのです・・・。


これで、後継ぎを羅ご羅(ラゴラ)に任せ、生まれたわが子と産後のお妃と孫出産に喜び慕っている父王を
おきざりにして、太子は出家されました。


王になるべき身分を捨て、乞食同然の沙門になられたのでした。
これを、ヨーロッパの学者は『大いなる放棄』と呼んでいるそうです。
すべての人を救うため、王位と妻子父母を放棄してしまったのです。


この大いなる放棄をして、2500年後の我々まで及んでいる絶大な恩恵である仏教を説いた、お釈迦さまにたいして、
感謝をせずには、いられないのです。
そして、そのお陰さまで、我々は、妻子父母を放棄することなしに、絶大な恩恵である仏教を受け継ぐことができるわけです。
あぁ、よかった・・・。

 

釈尊物語 第5話:苦行釈尊(一麻一米)

さて、沙門になられた太子は、もう太子ではなく菩薩となりました。

菩薩は、師をもとめてバラモンの仙人へ弟子入りしましたが、すぐ仙人と同じ境地に達してしまい、もう師はもとめず一人で修行することに決めました。
ところが、仙人とすぐ同じ境地に達してしまった菩薩をみていた5人の仙人の弟子は、菩薩を慕い6人の仲間で修行することになったのです。
ちなにみ、この5人は後の初転法輪の5人です。


修行は、食事を一日に米一粒、麻の実一粒等の苦行が主で6年間続きました。
しかし、菩薩は、苦行では悟れないということを悟られ、苦行をやめ、村の娘(スジャータ)から乳粥を供養してもらい体力を回復されました。
それを見ていた、5人の仲間は、菩薩が苦行から逃げた脱落者と思い、菩薩から離れていきました。
しかし、菩薩は、意に介せず、苦行では得られなかった真の悟りをもとめて、それにふさわしい場所を探し歩き続けました・・・。つづく。


釈尊物語 第6話:瞑想釈尊(降魔)

真の悟りを求めるにふさわしい場所を見つけ、そこで、菩薩は瞑想をはじめました。

瞑想中に菩薩は思いました。魔王を知る前に悟りを得るのは私にとってふさわしくない・・・、魔王を呼び出そう!

魔王の方も、自分が支配している欲界に仏陀が誕生されるとまずいので、なんとか、菩薩の瞑想を邪魔します。

魔王は、はじめに、若くて美しい自分の娘たち(魔女達)をやって誘惑させます。

しかし、菩薩は、魔女達をやさしく諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。

怒りたけった魔王は、つぎに、怪物の軍勢を送って暴力で屈服させようとします。

しかし、菩薩は、怪物たちを慈悲をもって諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。

さらに怒りたけった魔王は、戦法を変え、ずる賢いペテン師をつかって菩薩を混乱させようと試みました。

しかし、これも失敗に終わってショックを受けた魔王は気絶し、魔力は全く無力化してしまいました。

こうして、魔の軍団を降伏させた菩薩は、本格的にお悟りをする準備に入ったのでした・・・。


ここで少し解説です。

ポイントは、魔王が先に来たのではなく、菩薩が先に呼び出したこと。そして、菩薩の力が魔の力よりすぐれていることが証明されました。

また、魔王の攻撃の初めの2つの『性的な誘惑』と『野蛮な暴力』は、理性でなんとか克服できますが、3番目の『知的な悪魔の論理』は、結構厄介です。これにかかると自分の主義主張が正しいものと信じ込んでしまいますので、それを元に戻すには、すごく大変なわけです。ですので、仏教の力によって『知的な悪魔の論理』を大掃除しなければならないわけです。

とにかく、菩薩は、深い禅定に入り、お悟りは、もうすぐです・・・つづく。

 

釈尊物語 第7話:仏陀釈尊(奇なるかな)

魔王を退治した菩薩は、本格的な瞑想に入り、明けの明星が輝く12月8日の朝、ついにお悟りを開かれたのです。
それは、菩薩から仏陀になられた瞬間でもありました。ちなみに、仏教界では12月8日にお釈迦さまの成道会を行っています。

仏陀とは、梵語(サンスクリット)で『真理を悟った人』と云う意味で、今世の歴史上では釈尊お一人ということになっています。

悟りとは、深い禅定に入ると全く澄み切った無我の境地になり、すると真理がなんの妨げもなく心に流れ込んで、真理そのもと合致してしまうのです。
すると、万物の本当のすがたの実相がありあり見えて(仏眼)しまうのです。

そしてその時、仏陀は、つぎのように仰せられました。

奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。

意訳しますと。


不思議なことに。不思議なことに。すべての人には、如来と同じ智慧と徳相をもっている。
しかし、仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』であることを証れ得ないでいるのだ。

いや~、驚いたことに、お悟りのこの一番最初に、法華経16番の『永遠の命』を説いていたのですね。

そして、『永遠の命』を相手に応じて手を変え品を変え説いたので8万4千もの教えが出来てしまったとか・・・。

そして、一番最後の亡くなる直前に説いた法華経も『永遠の命』がテーマでした。

 

釈尊物語 第8話:方便釈尊(梵天勧請)

さて、悟りを開かれた仏陀こと釈尊は、初めの7日間は、その悟りを味わい。
あとの14日間は、とあることを考えていました。


それは、悟り得た難信難解な法を、世の人々に説いてよいものかどうか・・・。
本来、人々を救う法で、機根が低い人たちの場合は、逆に不幸にしてしまうこともあるだろう・・・。
説くべきか、説かざるべきか・・・。


その時、もろもろの梵天王や帝釈天・四天王などの多くの神々が、その眷属たちを引き連れて現れ、人々のために説いて頂きたいと請うのでした。


すると、釈尊は、過去の仏の示された方便力のことを考えつき、相手に応じて、それにふさわしい方法で、いろいろに説き分けることにしようと決心されたのです。


そして、釈尊は、梵天王に、こう仰いました。


『わたしは、あなたの勧請を受け入れ、甘露の法雨を降らせよう!
すべての人々よ、神々も鬼神たちも、すべての耳のあるものは、この法を聞くがよい!』

これで、以来2500年の間、甘露の法雨が地上に降り続けることになるのです。つづく 


釈尊物語 第9話:説法釈尊(初転法輪)

さて、梵天王に勧請され、説法することを決心しましたが、はじめに誰に説いてよいのか思案です。
いくら、方便を使って説くにも、ある程度機根のある人でないと理解してもらえない・・・。

出家時に師事したバラモンの仙人はもう亡くなっていますし、そうだ、かつて苦行を一緒にした5人にしよう。

5人は、200キロ先の鹿野苑(インドのベナレス)にいるのでそこに徒歩で行き、以下の5人をつかまえて、説法を開始しまた。

  • 嬌陳如(きょうじんにょ)
  • 跋提(ばつだい)
  • 婆沙波(ばしゃば)
  • 摩訶那摩(まかなま)
  • 阿説示(あせつじ)

はじめは、苦行を途中でやめたゴータマ(釈尊の本名)の言う事なんか聞けるか・・・という態度でしたが、次第に釈尊の熱意にほだされ、歴史的な説法が始まったのです。

『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである』

これが、第一声でした。

この中道のあと、四諦八正道の教えが説かれたとのことです。

その後、5人は、釈尊のお弟子になり、仏、法、僧がはじめてそろった、つまり、仏教が誕生した記念すべきイベントで、この説法を初転法輪と云います。

ちなみに、初転とは、はじめて転がすことで、法輪とは、法の車輪。(古代インドでは、りっぱな王には、巨大な車輪が授けられた。)


釈尊物語 第10話:教団釈尊(帰依三宝)

初転法輪後、ちょうど雨期だったので、釈尊と5人の比丘は、ベナレスに留まり、そして、ヤシャと云う青年を偶然に仏門に導きます。
仏法を会得したヤシャは、いきなり両親、妻をはじめ50人以上も導いて、釈尊教団が誕生しました。
ちなみに、両親、妻は、出家せず、はじめての優婆寒(男子の在家修行者)、優婆夷(女子の在家修行者)となりました。


釈尊教団に入るには、仏法を理解することはもちろん、つぎの3つの心構え(帰依三宝)の不動の決意が必要でした。


  1. 自ら仏に帰依したてまつる。
  2. 自ら法に帰依したてまつる。
  3. 自ら僧に帰依したてまつる。

仏とは、釈尊(宇宙の大生命)。法とは、仏法(宇宙の真理・法則)。僧とは、同信者の和(宇宙の大調和)。

普段、なにげなく、読経の前に帰依三宝を唱えていますが、結構重い意味があったのですね・・・。

 

釈尊物語 第11話:布教釈尊(随宜説法)

雨期も過ぎ、約60人の釈尊教団は一人ずつ布教の旅に出ることになりました。
釈尊も、マガダ国へ向かいました。それは、マガダ国王と悟りを開いたら訪れると約束をしていたからです。
途中、森のなかで30人の若者に随宜説法で教化し、つぎに事火外道の三迦葉(うるびん・なだい・がや)の教団をまるごと教化して、
一挙に約1000人でマガダ国に入りました。


国王は、釈尊教団のために竹林精舎(霊鷲山の近く)を建立し、釈尊教団はとどまって修行の道場としたのです。
その後、阿説示が智慧者舎利弗を導き、舎利弗は友達の神通力目連と一緒に入団。
また、拈華微笑摩訶迦葉も釈尊が迎えるまま入団。
そして、ここに三大弟子が加わり、最強の教団が誕生したのでありました。


尚、随宜(ずいぎ)説法とは、相手にふさわしい適切な指導の手段(方便)で、その場その場で、随時よろしく、説法・教化することで。また、拈華微笑(ねんげみしょう)とは、釈尊と摩訶迦葉のとある有名なエピソードなのですが、今回は割愛、将来コンテンツに加えるつもりです。


その後、カピラバスト国へ帰郷したり、コーサラ国に祇園精舎を建立したりして、教団は益々大きくなっていきました。
釈尊の一族からも沢山の出家者が出ました。
阿難(従弟)、羅ご羅(実子)、阿那律(従兄)、耶輸陀羅比丘尼(妻)、摩訶波闍波提比丘尼(継母)、難陀(異母弟)、提婆達多(阿難の兄)。
中でも、提婆達多は、釈尊の永遠のライバルで・・・、つづく。


釈尊物語 第12話:反逆釈尊(提婆達多反逆)

提婆達多は、釈尊の従弟で、年も同世代だったようです。
青少年時代は、学業もスポーツも共に大変優秀だったのですが、提婆達多は、両方とも釈尊に今一歩およびませんでした。
また、ひじょうに我の強い性格だったようです。
そんなことから、提婆達多は、釈尊に強いコンプレックスを感じていたようです。
出家後も、その強い我は直らなかったのです。
そして、大きくなった教団を牛耳ってみたいという気持ちを抑えることが出来ませんでした。


また、釈尊はもちろん、教団の幹部はみな神通力(超能力)を持っていました。
これは、仏道を真に修行すると自然と会得してしまうものなのです。つまり、神通力の会得は二次的なものなのです。
しかし、提婆達多は、すでに神通力を得ている比丘から、神通力だけを伝授してもらいます。
すると、仏道修行で長年抑えていた我が閾値を超え、釈尊何するものぞと、教団を乗っ取ろうと、釈尊の命を狙ったり、いろいろ企てます。
しかし、その企ては、すべて失敗し、自暴自棄になり、悪行を重ね、地獄に落ちたと仏伝にしるされています。


そんな提婆達多のことを、釈尊は、以下のように仰っております。


等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり

(仏の悟りを得て多くの人々を救うことができるのも、みんな提婆達多が善き友のお陰である)


これは、どういうことかというと、提婆達多反逆の苦を通して、自分自身が逆に成長できたということだと思います。
その結果、多くの人々を救うことができた・・・。
また、その奥には、法句経の『恨みに報いるに恨みをもってしない』があったのだと思います。

 

釈尊物語 第13話:入滅釈尊(大いなる死)

釈尊は、29歳で出家され修行し、35歳でお悟りを開かれ(成道)、80歳で入滅する(亡くなる)までの45年間、仏法の布教伝道に邁進しました。
仏伝では、初転法輪前後と入滅直前あたりは、順を追って分かるのですが、それ以外の事柄は、2500年前のことなのでわかりません。


しかし、天台大師や後世の学者が、ほぼすべての経典を読破し、成道直後に華厳経、つぎに阿含経、方等経、般若経と説かれ、涅槃の8年前から法華経が説かれ、最後に、涅槃経を入滅直前の一日一夜の説法とのことと解明されました。

 

さて、入滅の涅槃ですが、直前に2つのエピソードがありました。

一つ目は、ほとんど絶望を思われていた釈尊が、幸い小康を得られた時に、熱心な信者のチュンダが、ご供養した食事の茸に中毒され、ご容体がにわかに悪化し、それを知ったチュンダは、物凄く後悔しました。
しかし、釈尊は『チュンダの供養した食事が、私の最期を早めたからといって、何も悔やむことはありません。
私が成道する前に、スジャータという娘が食事を供養してくれましたが、今入滅しようという際のこの食事も、それと同じように大きな功徳があるのです。』とおおせられ、チュンダの心を救ったとのことです。


2つ目は、いよいよ寿命が尽きることをお悟りになった釈尊のもとへ、スッパダという異教の行者が『真の悟りに至る道』の教えを請いに来ました。
釈尊の弟子達は、ご臨終に近い釈尊をわずらわしてはならぬと思い、断ると、その押し問答を聞かれた釈尊は、『道を聞きに来た人を拒んではなりません。』と八正道をお説きになったそうです。
そして、スッパダは、そのお言葉に目がさめたようになり、釈尊の最後の弟子になりました。


そして、クシナガラという町の沙羅の木の間に床を用意され、頭を北にし、
右脇を下にした形で、お亡くなりになりました(享年80才)。最後のお言葉は、

すべての現象は、移り行くものです。怠らず努力することですよ!

とのことでした。

ここに人類始まって以来の最高の聖者は、まことに大いなる死を迎えたのでありました。
それは、日本暦に直して2月15日の夜半とのことでした。
ちなみに、仏教界ではこの日に涅槃会を毎年とり行っています。

ちなにみ、なぜ北枕にしたのかというと、一説では、足を自分の生まれた国の方向へ向けないためとのことです。
これは、大いなる放棄より、父母に対しての親不孝を、釈尊はいつも気にしていたとのことです。

 

釈尊物語 第14話:総括釈尊(真の仏教とは)

今回、釈尊の一生を見てきたわけですが、ここに僭越ながら、仏教素人の私の感想(ある意味悟り)を述べてみたいと思います。


仏教はご存知の通り、八万四千の法門があり、経典は約1700種あると言われています。また、宗派も沢山あるわけです。
これは、釈尊の時代には、教えを書物にする習慣(技術?)がなく、随宜説法の内容を口づてに伝えられました。
それを釈尊が入滅したのち、弟子達が思い思いに本にまとめたものが、経典となったのです。


したがって、すべての経典の内容は、ほぼ間違いなく釈尊の教えだと思うのですが、それにしても多過ぎます。
そこで、教えの真髄中の真髄を私なりに推察すると、お悟りと初転法輪のときの2つのメッセージに帰するのかなと思うのです。

一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。

如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。

まず語句を解釈します。

『如来の智慧と徳相』とは、如来は仏様の別名で、智慧と徳相とは、性質です。したがって、仏性となります。

『妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず』は、何に対しての妄想・執着かというと自分自身のからだということです。

上記を踏まえて意訳しますと。


すべての人は、仏性を持っている。仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』である仏性を持っていることを証れ得ないでいるのだ。

苦行と怠けの2つの極端を捨て、真理に合った道を悟ったのである。そして、八正道を実践すると自然と真理に合って来るのです。


とりあえず、これから先は、まだ、悟りえず・・・・・・。

しかし、これだけは、確かなようです。そう、幸せになるための『正しい行い』です!

そういえば、最初(初転法輪)に説いたのが八正道で、最後(涅槃時)も八正道だったなぁ・・・。 

 

釈尊物語 第15話:番外釈尊(釈尊の呼び名)

み仏けさまこと釈尊のお名前の呼び名は、実は沢山ありますね。

  • ゴータマ
  • シッダールタ
  • 釈迦牟尼世尊
  • 釈尊
  • 世尊
  • 釈迦牟尼如来
  • 如来
  • 釈迦
  • お釈迦さま
  • 仏陀
  • ブッダ
  • 仏さま
  • み仏さま
  • 釈迦牟尼仏


ここで少し、解説してみます。


今から、2千5百年前にカピラバスト云う国の王子として生まれた釈尊は、ゴータマ・シッダールタと名づけられました。
シッダールタとは、『すべてののぞみを成就するもの』という意味だそうです。


カピラバスト国は、シャーキャ族(釈迦族)という民族の国でした。
釈迦族は、今のインド人の大部分を占めるアーリア系白色人種でなく、
日本人に似ている蒙古系の黄色人種であったと云われています。


釈尊は、釈迦族出身の聖者(ムニ)で、『世に比類なき尊いお方』のバガヴァン(世尊)の称号で呼ばれていました。
つまり、釈迦牟尼世尊です。それを略して釈尊世尊と言われています。


また、釈迦は、ご自分のことを『真如から来たもの』の如来といっていたそうです。
つまり、釈迦牟尼如来です。
ちなみに、真如とは、宇宙のあらゆるものごとを存在たらしめている大本の法のことで、無生、無滅、無始、無終のもの。


実は、当時『釈迦』といった場合は、釈尊でなく釈迦族を指したそうですが、今では、釈尊のことですね。
もちろん、『お釈迦さま』も。


また、釈尊は、お悟りを開かれたので『真理を悟った人』と言う意味の仏陀ブッダ)と呼ばれ、仏さま、または、み仏さまと言われています。
つまり、釈迦牟尼仏です。


これで、とりあえず、上記の名前はすべて説明がつきました。 
 
 

釈尊物語 第16話:滅後釈尊(その後の仏教)

仏滅後、仏教は13世紀初頭までインドで栄えましたが、回教徒(イスラム軍)のインド侵入により仏教は滅亡しました。

しかし、大乗仏教は東へ東へと、中国、朝鮮半島、日本へと伝わり、小乗仏教(上座部仏教)はスリランカから東南アジア諸国に伝わりました。

大乗仏教の成立は、西暦元年前後で、その後、大乗仏教を理論体系にまとめた『中論』のナーガールジュナ(龍樹)や唯識仏教のアサンガ&ヴァスバンドゥ兄弟を輩出しました。

また、中国では三蔵法師玄奘や鳩摩羅什が大乗仏典を漢訳して、それが日本に伝わりました。
ちなみに、お経を読んでいて観世音菩薩が出てきたら鳩摩羅什訳で、観自在菩薩が出てきたら玄奘訳だそうです。

仏教が伝わったといっても、仏教の経典の数は5000以上もあり、当時の高僧達がこれはと信じたものが広まりました。

ちなみに、今の日本には以下のような宗派があるようです。


  • 天台宗(最澄)- メインは法華経(しかし、密教、禅、戒律、念仏もサブメイン)
  • 真言宗(空海)- メインは密教(即身成仏が目標で、口で呪文を唱え、手に印を結び、心は大日如来を思う)
  • 律宗(鑑真)- メインは戒律(五戒:不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒)
  • 浄土宗(法然)- メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって救われる)
  • 臨済宗(栄西)- メインは禅(禅で真実の自己をみつければ、慈悲の心にかなう生き方が出来る)
  • 曹洞宗(道元)- メインは禅(難しいことは考えず、したすら坐禅をすることで仏と一つになれる)
  • 黄槃宗(隠元)- メインは禅と念仏(念仏と禅を組み合わせた念禅一致で浄土にいたることが出来る)
  • 真宗(親鸞) - メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって極楽浄土することを約束)
  • 日蓮宗(日蓮)- メインは法華経(南無妙法蓮華経を唱えて、法華経の教えを実践することにより救われる)
  • 時宗 (一遍)- メインは念仏(念仏踊り、盆踊りの起源)
  • 融通念仏宗(良忍)- メインは念仏(一人の念仏がすべての人の念仏と融けあい、その功徳がその人に帰ってくる)
  • 法相宗(玄奘)- メインは唯識(一切のものは自分の心から生じたもので、自分の心をきれいにすることで悟りにいたる)
  • 華厳宗(良弁)- メインは毘廬遮那仏(奈良の大仏)(一微塵のなかに全世界が反映し、一瞬のうちに永遠の時間が含まれている)


以上のように、法華経系、密教系、戒律系、念仏系、禅系、その他系に分かれ、法華経系以外は、仏教のある一つの教え、
例えば、陀羅尼、戒律、念仏、禅、唯識等を各々デフォルメして各々発展しているのかなぁ・・・と思う次第です。


すべての教えの仏教全般をフォローしているのは、法華経だけかも・・・。


釈尊物語 第17話:現代釈尊(今の仏教)

今の仏教は、葬式仏教と云われています。なぜ、そうなったかというと、それは、戦国時代にまでさかのぼります。

当時の混乱した社会の中で、軍事力もった、増大した仏教勢力を、信長と秀吉は大弾圧をします。

その後、江戸幕府も、寺の軍事力を削ぐため、寺に関する厳しい統制をかけ、江戸幕府は、仏教そのものを国教(寺請制度)としました。

事実上、国教になったことにより、すべての僧侶が幕府の官僧となり、
この結果、僧侶たちは、生活が保障され、布教のために信者を獲得する必要がなくなったのです。

そして、僧侶たちの仕事は、葬式と法事にお経を唱える葬式仏教となってしまったのです。
現代もその流れで、現在に至っているわけです。

しかし、伝統的な仏教とは別の流れとして、新しい仏教教団が大正、昭和の時代に登場します。
それは、本来の仏教の復活でもありました。

しかし、とにかく、法華経系以外の宗派を評するほど、仏教に詳しくないです。すみません。

2024年11月13日水曜日

薬草の譬え(法華七喩あらまし)

薬草の譬え

妙法蓮華経薬草諭品第五に出てくる譬え話しです。

物語

この地上には、いろいろさまざまな草木が生い茂っています。その草木は、大きさにも大・中・小があり、性質もすがた形も、千差万別です。 しかし、すべての草木に共通していることは、ひたすら雨のうるおいを欲し求めていることです。 そして、雨は、どこにでも、どの草木にも、同じように平等に降りそそぎます。ところが、それを受ける草木の方では、その大小や種類の相違によって受け取り方が違ってきます。

仏の教えと衆生との関係もこれと同様であることを知らなければなりません・・・。

解説

この譬えは、差別相と平等相について述べています。

人々の天分や性質は、一人ひとり違います。生い立ちも、健康も、環境も、職業も、それぞれ違います。 そういう様々な条件の違いがあるため、人々が等しくもっている仏性は、まったく平等であるにもかかわらず、真理の雨の受け方にさまざまな違いが生じてくるのです・・・。(差別相)

しかし、いくら受け方が違っても、それぞれの人が真理の雨を受けて、天分の性質のままに成長し、それぞれの花を咲かせ、それぞれの実を結ぶという点において、全く平等なのです・・・。(平等相)

つまり、人間は、それぞれにすがたは違って(差別相)いても、それぞれに成長していくところは、全く同じ(平等相)で、この事を認識することにより、自分もほんとうに生かし、他の人もほんとうに生かす正しい生き方ができるわけです。


 

長者窮子の譬え(法華七喩あらまし)

長者窮子の譬え

妙法蓮華経信解品第四に出てくる譬え話しです。

物語

幼い時に父(長者)の屋敷をさまよいい出て、ゆくえも知らず50年・・・、放浪しながら他国で貧乏な暮らしを続けいた、一人の貧しい子(窮子)がいました。

そして、放浪で知らないまま本国へもどり、偶然、父とは知らず父の立派な屋敷の前で再会しました。 父親は、すぐ我が子だと気づきましたが、窮子は気づかず、立派な父に畏れをなしてしまい、屋敷から立ち去りました。

しかし、父親は、使用人へ窮子と同じような貧しい恰好をさせて近づきさせ、屋敷で働くように仕向けました。 そして、窮子は、屋敷で働くようになりました。

父親は、始めお便所掃除などの汚れ仕事から徐々に財産の管理などの重要な仕事へと段階的に導きました。 窮子も、始めの卑屈な心から次第に菩薩のような心へと段階的に変化していったのです・・・。

そして、父親は臨終間じかに、大勢の人の前で、この窮子は私の実の子ですと真相を明らかにしました。 窮子は、昔の極貧の境遇と、それに甘んじていた志の低さにくらべ、父の莫大な財産を得た身の広やかな思いは、生まれてはじめて味あう喜びでありました・・・。

解説

もちろん、父親(長者)はお釈迦さまの喩えで、そして、窮子はわれわれ凡夫の喩えです。 お釈迦さまは、われわれ凡夫が、志の低いところから徐々に高い所に導いて、最後にはすべての人が、最高の境地で達することができるのです。と説かれました。

そして、父親(長者)の言うことを信じ、理解して、窮子は父親(長者)の後を継ぎ、最高の境地を手に入れたのです・・・。


三車火宅の譬え(法華七喩あらまし)

三車火宅の譬え

妙法蓮華経譬諭品第三に出てくる譬え話しです。

物語

ある国のある町に、大きな長者がいました。 その家やしきは広大なものでしたけども、門はごく狭いのが一つしかありませんでした。 しかも、家は大変荒れはてていました。

ある日、その家が突然火事になりました。 家の中には、長者の子供達が大勢いて、夢中で遊びたわむれていて、火事に全く気づきません。 長者は、大声で知らせますが、全く聞こえてくれません。 その時、長者は、ふと子供達が車を欲しがっていたことを思い出しました。

そして、火事のことではなく、つぎのように呼び掛けたのです・・・。

『おまえ達の好きな、羊のひく車(羊車)や、鹿のひく車(鹿車)や、牛のひく車(牛車)が門の外にあるぞ、早く行ってとりなさい!』

すると子供達は、その言葉を聞いて正気にもどり、われ先にと燃えさかる家から出て助かることができました。 長者が、子供達が助かって安心していると、子供達は、口々に約束の車をせがみます。 すると、長者は、子供達が欲しがっていた車ではなく、大きな白牛のひく大変豪華な車(大白牛車)をみんなにひとしく与えたのでありました・・・。

解説

父の長者は、いうまでもなくお釈迦さまです。 子供たちは、われわれ凡夫です。 荒れはてた家は、現実の人間社会です。 火事は、われわれの煩悩をさしています。

われわれ凡夫は、物質、肉体などにとらわれて、なかなか苦しみからのがれられません。 そこで、お釈迦さまは、いろいろな教えをお説きになりました。 まずは、声聞(羊車)で、とにかくお教えを聞きなさい。 つぎに、縁覚(鹿車)で、とにかくお教えを体験しなさい。 最後に、菩薩(牛車)で、とにかくお教えで沢山の人をお救いしなさい。 などなどです。

そして、この3つ(三乗)の教えを実践して、人格を高めて歩んでいけば・・・、ある一つの真理(大白牛車)にたどり着くのです・・・。

良医の譬え(法華七喩あらまし)

良医の譬え

妙法蓮華経如来寿量品第十六に出てくる譬え話しです。

物語

ある所にどんな病気でも治す名医がいました。 また、その医師にはたくさんの子供がありました。 ある時、用があって、他国へ出かけました。

その留守中に子供達は、したい放題の生活をして、間違って毒薬を飲んで、地べたにころげ回って、苦しがっていました。 そこへ、突然、父が帰って、その状態を見て、良く効く薬を作り、子供達へ与えました。

何人かの子供は、その薬を飲んで治りましたが、ほとんどの子供達は、飲みませんでした。 なぜかというと、本心を失っている子供達には、その薬が良い薬と思えなかったのです。そこで、父は、何とか子供達に薬を飲まそうと、ある方法を考え、子供達に告げました。

『私は年をとって、体が弱り、あまりさきが長くない。それなのにまた用があって他国へ出かけなければならないのだ』と良薬を置いて、旅たって行きました。 そして、旅先から使いをやって『父上は、お亡くなりになりました』と告げさせたのです。

それを聞いた子供達は、大変驚き、悲しみましたが、逆に本心を失っている子供は、ハッと目を覚ましたのです。そして、良薬を飲み、毒による病は治りました。 そして、そこに父が旅先から帰ってきて子供達のまえに姿を表したのです。

解説

この譬えは、仏の神髄を説いたものです。どこが、神髄なんだって声がきこえますが・・・。

まず、医師はお釈迦さまで、子供達は私達衆生です。そして、良薬は法華経です。 お釈迦さまは、序品から寿量品まで『生身の釈迦』が、実は、『法身の釈迦』でもあるのだ・・・と、手を変え品を変え述べているのです。

そして、『生身の釈迦』が入滅するのは、私達衆生を教化するための方便で、本当は滅度したのではなく、『法身の釈迦』として、いつでもどこにでも、私達衆生のために法(法華経)を説いているのだと、明らかにされたのです。

つまり、仏の神髄は、『法身の釈迦』としての、いつでもどこにでも、私達衆生のために法を説いている『永遠の命』だったわけです。

そして、その法とは、すべての人が正しい生活(法華経の実践)をしていけば、世界が大調和し、すべての人が幸せになれるということらしい。

だから、まず始めに自ら正しい生活を実践し、そして、あなたにも実践していただいて、みんなで幸せになりましょう・・・ということが、法華経の教えなのです。

 

髪中の譬え(法華七喩あらまし)

髪中の譬え

妙法蓮華経安楽行品第十四に出てくる譬え話しです。

物語

非常に強いある国の王が、命令に従わない多くの小国を次々と討伐しました。その戦いで手柄があった武将には、領地や衣服や宝石などを褒美として与えましたが、自分の髪に結ってあった明珠の飾りだけは、与えませんでした。

なぜならば、それはたった一つしかない最上の宝なので、もしむやみにこれを与えたら、王の一族が驚き怪しむだろうと考えたからです。

しかし、くらべもののないようなすごい手柄を立てた者がいたら、おしげもなく髪に結ってあった明珠のを与えるでしょう。

解説

この譬えは、法華経が難信難解なので、機根ない人に無闇に説いては行けませんよ。しかし、機根ができれば、おしげもなく法華経を説きなさい。ということの譬えです。

つまり、仏は、禅定と智慧で法の国を治める王です。菩薩達が、衆生を教化して仏道に入ると、 無漏(迷いがなくなる)や根力(精進の力)や涅槃(煩悩を滅する)などを褒美として与えます、 そして、菩薩達が仏法にたいする迷いをなくし、しかも信心が固くて大丈夫だと見極めたら、はじめて法華経を説くのです。


衣裏繋珠の譬え(法華七喩あらまし)

衣裏繋珠の譬え

妙法蓮華経五百弟子受記品第八に出てくる譬え話しです。

物語

貧乏な『ある人』が『友人』の家に訪問し、ごちそうになり、酒に酔って眠ってしまいました。 ところが、その『友人』は、急に用事で旅立つことになりました。 寝ていた『ある人』を起こすのも気の毒と思い、また、貧乏から脱出できるようにと着物の裏の襟に『宝石』を縫い付けてから旅立ちました。

やがて、目を覚ました『ある人』は、『友人』がいなくなっているので、その家を立ち去り、相変わらず貧乏な生活を何年も続けていました。

ずいぶんたってから、『友人』は、『ある人』にバッタリ出会いました。 『友人』は、哀れな『ある人』を見て、「なんとバカなことだ、着物の裏の襟の宝石を売れば、素晴らしい生活ができるのだよ」といいました。

解説

貧乏な『ある人』は、我々凡夫です。『友人』とは、お釈迦様です。着物の裏の襟の『宝石』は、人の心の奥の仏性です。

要は、すべの人は、仏性(宝石)を持っているが、なかなか気づくことができず、苦の人生をさ迷うってしまう。救われるには、その仏性に気づき、仏と同じ命を生きていることに気づけばよいのだと・・・。


 

化城宝処の譬え(法華七喩あらまし)

化城宝処の譬え

妙法蓮華経化城諭品第七に出てくる譬え話しです。

物語

長くけわしい非常に困難な道を、宝物を探し求めて旅をしている一行がありました。一行の中には、もう疲れてしまったり、この道は恐ろしくて行く気にならなと言い出しました。そこで、リーダーは、ひとつの大きな城を幻としてあらわしたのです。

一行は、その城で休息して疲れをすっかり癒し、そして、それを見計ってリーダーは、その幻の城を消してしまい、さぁ、本当の宝物のある場所はもうすぐですよと一行をはげまし、そこへ導きつづけたのでした・・・。

解説

「長くけわしい非常に困難な道」とは、われわれ人生の旅路です。人生での出来事に疲れてしまったり、迷いが生じた時に、とりあえず、迷いを除いて、心に安心を得るようにみちびいてあげるのです(化城のこと)。つまり、「目の前に現れる現象は、仮の現われに過ぎないので、それにふりまわされるな」ということです。

そして、捜し求めている宝物とは、「創造」と「調和」のことで、何を「創造」するかというと、「調和」した平和な世界ということです。これこそが、捜し求めていたこの上のない宝物だったのです・・・。


2024年11月12日火曜日

鬼子母と十羅刹女

鬼子母(きしも)

子煩悩な鬼女でしたが、王舎城(おうしゃじょう)の町に来ては、人の子をとって食べてしまいます。釈尊は鬼子母の子をお隠しになり、 半狂乱になった鬼子母へ、『あなたに食べられた子の親の身になってごらん』と諭しました。すると鬼子母は、非をさとり、仏教に帰依して、安産と幼子の守り神になろうと誓願し、鬼子母神となりました。

藍婆(らんば)

世間をさまよいあるく鬼女。

び藍婆(びらんば)

藍婆より藍婆の完全藍婆?

曲歯(こくし)

まがった歯の羅刹女。

華歯(けし)

花の歯(?)をもった羅刹女。

黒歯(けし)

黒い歯をもった羅刹女。

多髪(たはつ)

髪の毛の多い羅刹女。

無厭足(むえんぞく)

厭き満足することのない羅刹女。

持瓔珞(じようらく)

首飾りをもった羅刹女。

こう諦(こうたい)

屋根にのぼって死人の霊魂を呼び戻す鬼女。

奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)

すべての生物の精気を吸い取ってしまう鬼女。

2024年11月11日月曜日

法華経登場の菩薩たち


弥勒菩薩

慈悲を象徴する菩薩です。お釈迦さまと同じ時代に実在したらしい・・・。

文殊菩薩

智慧を象徴する菩薩です。こちらは、架空の菩薩です。このような菩薩を『法身の菩薩』といいます。

普賢菩薩

行徳を象徴する菩薩です。こちらも、架空の菩薩です。六牙の白象王に乗って現れます。六牙とは、六波羅蜜を表し、白象王に乗ってとは、徹底した実践を表します。

上行(じょうぎょう)菩薩(四大菩薩)

従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

無辺行(むへんぎょう)(四大菩薩)

従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

浄行(じょうぎょう)菩薩(四大菩薩)

従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

安立行(あんりゅうぎょう)菩薩(四大菩薩)

従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

常不軽菩薩

常不軽菩薩品で登場する菩薩で、すべての人の仏性を礼拝する菩薩です。

妙音菩薩

理想の国からやって来た、なぜかウルトラマンのイメージがする菩薩です。

観世音菩薩

苦しい時に、お願いをなんでも叶えてくれる菩薩・・・、いえいえ、自分がそのような菩薩になれるようにとの見本の菩薩。

薬王菩薩

以下のように凄い菩薩です。
薬王菩薩の前世で「香油を飲み、また香油を身体に塗ってしみこませ、如来の前で宝衣に自ら火をつけて、こうして自身を灯明として法華経を供養しました。」



2024年11月10日日曜日

釈尊十大弟子

以下は、法華経を読誦していると、よく登場してくる釈尊のお弟子達で、十大弟子と呼ばれています。

  • 舎利弗しゃりほつ(智恵第一) 
  • 目連もくれん(神通第一)
  • 摩訶迦葉まかかしょう(頭陀ずだ第一)
  • 須菩提しゅぼだい(解空げくう第一)
  • 富楼那弥多羅尼子ふるなみたらにし(説法第一)
  • 摩訶迦旃延まかかせんねん(論義第一)
  • 阿那律あなりつ(天眼てんげん第一)
  • 優波離うぱり(持律じりつ第一)
  • 羅睺羅らごら(密行みつぎょう第一)
  • 阿難あなん(多聞たもん第一)

2024年11月9日土曜日

法華経の神髄

法華経をいろいろ勉強してまいりましたが、おぼろげながら、その神髄が見えてきました。

それは、ズバリ! 『因縁果報(縁起)』と『正しい生活』です。

要は、正しい生活をして(因)、良い(縁)が沢山出来、人生苦が消滅(果)して、幸せ(報)なる。

そして、正しいとは、真理(法)にそった、とういうことです。

人は、良因を積むことで、宇宙の調和と共振し、いつでもどこにでも、法身の釈迦を見ること、感じることが出来るようになる。

すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。

つまり、仏になっていくこと、言い換えれば法華経の実践こそが、宇宙の調和であり、世界平和実現の礎になる。とまぁ、法華経の神髄とは、こんなところですか、たぶん。

2024年11月8日金曜日

法華経ブログって、いいことが書いてある!

 2008年当時、確かに法華経研究が趣味だった気がするのですが、今読むと、結構いいことが書いてある(^^;

しかし、ブログ内のアンカーがことごくアクセス不可になっているので、なんとか直していきたいと思う今日この頃です。


2016年7月8日金曜日

真の菩薩行

『とある人』が、『とある先生』のお供で、インドに行きました。 『とある先生』は、大変忙しく、また、大変偉い方なので、 日本では、話すご縁などありませんでした。
しかし、今回のご縁で2時間、さしでお話しする機会を得たのです。 『ある人』は、大変有り難いご縁を得たので、緊張と感激のあまり喉が乾き、 傍にあった生水を誤って飲んでしまったのです。
そう、インドは、ご存知の通り、生水は不衛生です。 その晩、当然のごとく、「なんとか赤痢」に掛かって、死ぬような苦しみを味わいました。 すると、『ある先生』は、自分がこのようになった時のために用意した点滴をくれたのでした。 尚、点滴は3本用意してきましたが、すでに2本は、同じような症状の同行者に与え、最後の1本を くれたのでした。
点滴を打ったら、『とある人』は、今までの苦しみがうそのように回復しました。 すると、こんどは、『とある先生』の様子がおかしいことに気づきました。 そう、『とある先生』も、実は、「なんとか赤痢」にかかっていたのです。 しかも、『とある人』に点滴を与えた時に、すでに「なんとか赤痢」にかかっていたのを 『とある先生』は、ご自分で知っていたようなのです・・・。
真の菩薩行とは、自分がどんな状態でも、目の前の苦しんでいる人を助けずにはいられない、そして、助ける。そのような行いらしい・・・。
その後、『とある先生』は、恩に着せることなく、そして、『とある人』は身を持って、真の菩薩行を間近で見ることが出来たのです。

2016年7月6日水曜日

あぁ有り難い

障害を持って生まれてきたある一人の青年がいました。 青年は、学生時代に障害のことでイジメにあったり、機能回復の手術を何回も受けたりと、 困難な人生を歩んできました。
そんな青年の母は、お見舞えに来た人達などに、ことある毎に『有り難い有り難い』と言っていました。 しかし、青年は、何がそんなに『有り難い』のかいつも疑問に思っていました。
そんな中、母のご縁で、とあるボランティアに参加することになったのです。 はじめは、母の手前、我慢して、何でオレがと・・・参加していたのですが・・・。
しばらくして、ボランティア人達とも打解けて仲間になり、そして、その仲間のやさしさにふれた時に、 はじめて、心の底から『あぁ有り難い』と思える感動が湧き上がってきたのです・・・。
そして、それは、お母さんやご先祖さまから受け継いだ感謝の気持ちだったのかも知れません。

2016年7月2日土曜日

「正」しいとは?

昨日、法華経の勉強会がありました。その時、正しいの「正」は、一(真理)が止まると書きます』と説明がありました。そこで、すかさず、一は真理とイコールですかと質問をしてみました。
すると、『一般的には、「一」には真理という意味はありません、しかし、法華経観では、すべての人は一つの乗り物(一乗)に乗っているいう真理があり、そこから「一」イコール「真理」となる』と説明がありました。
つまり、正しいとは、真理が止まること、言い換えれば、真理がある状態らしい・・・。
正しいHTML、正しいかな使い、正しい論理、正しい・・・は、真理がやどる・・・。

2016年6月29日水曜日

『辛』と『幸』

今日は、午前中に某出版社の社長さんの講演会へ行きました。
講演では、記者出身の社長さんが、記者時代に取材現場の感動を如何に文章(記事)で表現することが難しいかというお話しをしていました。
確かに、感動を文章で表現するのは、超難しいです。
で、社長さんが言うには、結局、如何に自分がその感動で高まるかが、キーポイントになるそうです。
あと、特に心に残ったお話しで、仏法では、『一切皆苦』という教えがあります。つまり、生きることは、すべて苦しみという教えです。 そして、苦しみであるがゆえに、生きるのが『辛』いわけです。
また、その『辛』さの原因を見極め、結果的には善い行いをしていくと『辛』という字に真理(一)が宿り『幸』になるとの事でした。なるほど、うまい。

2016年6月23日木曜日

法華経的人生の目的

あなたの人生の目的はなんですか?

なんて、突然言われてもこまっちゃう・・・。とか、そんなこと考えたこともない・・・、と思った人がほとんどだと思います。そこで、そんな人のために、今日、法華経の講習会で教わった、法華経的人生の目的をご紹介致します。
法華経的人生の目的
人間の本質は、仏性であることを自覚し、自分と他人を分けて自己中心に考える「我」の心を取り除きながら、いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」と常に一体感を味わえる境地(成仏)にまで、絶えず向上の道を歩むこと。
まぁ、こんな感じです。『いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」』がつっこみどころかもしれませんが、とにかく、法華経的には、すべての人は「一つの大きな輝くいのち」に生かされていると説かれています。
わかりやすく言うと、魂的には、実は全人類皆兄弟姉妹で、だからこそ、仲良く助け合って生きて、皆さん全員幸せになりましょう ってことらしい。(まだ、修行中なのではっきり言えない・・・)
で、まとめですが、ちょっとテーマが大きすぎて、まとまりませんが、次回の機会にと・・・ということで、よろしくお願い致します。

2016年6月22日水曜日

バスの時刻表

あるバス停におじいさんとおばあさんがいました。
なにやら、おじいさんは時刻表をぶっ叩いて怒っています。
『もうとっくにバスが来ている時間なのに、なんで来ないんだぁ!こんな時刻表などいるもんか!捨てちまえ!』

すると、連れ合いのおばあさんが言いました。
『おじいさんや、その時刻表がないと、バスがどれだけ遅れたかわかりませんよ・・・』

現実の社会は、このバスと同じように、決して時刻表通りにはいきません。しかし、時刻表があるからこそ遅れているのがわかるのです。
そう、お釈迦さまの教えは、バスの時刻表のようなものです。
人生は、時間通りに来ないバスのようなものだからこそ、つねに時刻表(お釈迦さまの教え)と照らし合わせて、その差を埋めるべくことに価値があるのです。
そして、その価値こそ、『生きがい』と呼べるものだと思います・・・。

2016年6月20日月曜日

神通力

まぁ、現代では超能力のことですが、お釈迦さまの時代は神通力と呼ばれていました。で、お釈迦さまをはじめ十大弟子の人達は皆、神通力の能力を持っていたとされています。
これは、凡人は、どうしたら神通力を会得できるのかと考えてしまいますが、実は、神通力を会得するのが目的でなく、仏道の修行をしていれば自然に会得してしまうものだそうです。そして、ブッダ教団の幹部は、結果的にMr.マリックのような人の集まりになりました・・・。
しかし、この幹部連中を見ていて、オレも神通力が欲しいと願っていた者がいました。そう、お釈迦さまの従弟の提婆達多です。
この人、お釈迦さまと同じように優秀な人でしたが、あらゆる面で一歩お釈迦さまに及びません。で、しだいにお釈迦さまに悪意を持つようになり、いろいろとお釈迦さまの命を狙います。神通力も十大弟子の一人をそそのかし、会得してしまいます。もともと優秀な人ですので、次第に実力者になっていきますが、もろもろの悪行がたたり、最後には生きながら地獄へ落ちたと言われています。
なんか、まとまりませんが、とりあえず、提婆達多品第十二の予告でした。

私も、仏道(法華経)を修行していますので、そろそろ神通力が欲しいなぁ・・・って言ってみるテスト。
あっ、そう言えば、スプーン曲げは出来るんですよ! Mr.マリックの真似したら出来てしまったのです。凄い!
で、まとめですが、正しい行い(修行)をしていくと自然に神通力が会得できるらしい・・・、とにかく正 しい行いです!