2025年3月31日月曜日

燈明日記ブログ: 朔日(さくじつ)と布薩(ふさつ)

燈明日記ブログ: 朔日(さくじつ)と布薩(ふさつ):   朔日(さくじつ)とは、 陰暦で、月の第一日のことで、 朔日参りの時は「ついたち」参りと読む。   一方、 布薩(ふさつ)の日とは、1日と15日のことで、月2回仏教徒が集会を開いて反省会(懺悔)をする日です。(以前にアップした 布薩の日 を参照のこと)   また、2月15日は釈...

釈尊のいぶき:仏説観普賢菩薩行法経(その18)


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-15/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

若(も)し眼(げん)根(こん)の悪あって。

業(ごう)障(しょう)の眼(まなこ)不(ふ)浄(じょう)ならば。

但(ただ)当(まさ)に大乗を誦し。

第一義を思念すべし。

是れを眼(まなこ)を懺悔して。

諸の不善業を尽くすと名く。

耳(に)根(こん)は乱(らん)声(しょう)を聞いて。

和合の義を壊(え)乱(らん)す。

是れに由(よ)って狂(おう)心(しん)を起すこと。 

猶(な)お癡(おろか)なる猿(おん)猴(こう)の如し。

但当(まさ)に大乗を誦し。

法の空無(む)相(そう)を観ずべし。

永く一切の悪を尽くして。

天耳(に)をもって十方を聞かん。

鼻根は諸(しょ)香(こう)に著して。

染(ぜん)に随って諸の触を起す。

此(かく)の如き狂惑の鼻。 

染(ぜん)に随(したが)って諸(しょ)塵(じん)を生ず。

若し大乗経を誦(じゅ)し。

法の如(にょ)実(じっ)際(さい)を観ぜば。

永く諸の悪業を離れて。

後世に復(また)生(しょう)ぜじ。

舌根は五種の。 

悪(あっ)口(く)の不善業(ごう)を起す。

若し自ら調順せんと欲せば。

勤めて慈悲を修し。

法の真(しん)寂(じゃく)の義(ぎ)を思(おも)うて。

諸の分別の想(おもい)なかるべし。

心(しん)根(こん)は猿(おん)猴(こう)の如(ごと)くにして。

暫(しばら)くも停(とど)まる時あることなし。

若し折伏せんと欲せば。

当に勤めて大乗を誦し。

仏の大(だい)覚(かく)身(しん)。

力・無畏の所(しょ)成(じょう)を念じたてまつるべし。

身は為(こ)れ機関の主。

塵の風に随(したが)って転ずるが如し。

六賊中に遊(ゆ)戯(け)して。

自在にして罣(さわ)礙(り)なし。

若し此の悪を滅して。

永く諸の塵(じん)労(ろう)を離れ。

常に涅槃の城に処し。 

安楽にして心(こころ)憺(たん)怕(ぱく)ならんと欲せば。

当に大乗経を誦して。

諸の菩薩の母を念ずべし。

無量の勝(しょう)方(ほう)便(べん)は。

実相を思うに従(よ)って得(う)。

此(かく)の如き等(ら)の六(ろっ)法(ぽう)を。

名けて六情根とす。

一切の業(ごう)障(しょう)海(かい)は。

皆妄想より生ず。

若し懺悔せんと欲せば。

端(たん)坐(ざ)して実相を思え。

衆(しゅ)罪(ざい)は霜(そう)露(ろ)の如し。

慧(え)日(にち)能(よ)く消除す。

是の故(ゆえ)に至(し)心(しん)に。

六情根を懺悔すべし。


・訳文

もし、自分のものの見方が誤っていたと気づいたならば、一心に大乗の教えを読誦し、諸法実相(第一義空)ということに心をそわせることが大切です。

これが眼(まなこ)の懺悔であり、一切のよくない行ないを消滅し尽(つ)くす大本の力です。

また、迷いがあるがゆえに、ものごとを正しく聞くことができないと、人間関係に不和を生じさせる原因となります。

誤った聞き方をすれば、誤った考えを起こし、あたかも本能のみによって動く猿のように、あられもないことをしてしまうのです。

ですから、一心に大乗の教えを読誦し、すべてのものごとは「空(くう)」であり、固定した相(すがた)はないことをしっかりと観じ、すべての人間が持つ仏性を見つめることを心がけなければなりません。

そうすれば、永久に一切の悪を寄せつけず、すべてのものごとが正しく耳に入ってくるようになるでしょう。

 感覚の快さのみに執着すれば、その妄念によってさまざまなまちがった感情を起こし、その迷いのためにいろいろな煩悩の塵(ちり)が生じます。

そのときに大乗経を読誦し諸法の実相を観じるならば、永遠にもろもろの悪業から離れることができ、再び同じことをくり返すことはないでしょう。 

舌は、悪口や荒々しい言葉など、口の悪をつくるもとです。

正しい言葉で語りたいと思うならば、常に慈悲の行ないをし、人びとの仏性というものに思いをこらし、自己中心の心から分けへだてをする考え方を捨ててしまわなければなりません。

 心というものは、枝から枝へ飛び移る猿のように、しばらくもじっとしていません。

もしその悪へ傾いた心をおさえ、正しい道に引き入れようと思うならば、つとめて大乗の教えを読誦し、天地の真理を悟った身であり(大(だい)覚(かく)身(しん))、万物を救う力を具(そな)え(力)、何ものをも畏(おそ)れはばかることなく法を説く(無(む)畏(い))、仏の業(わざ)を心(こころ)にありありと思い浮かべることが大切です。 

人間の心身の働きは、まるで塵が風に飛ばされるように、周囲の事情によっていかようにも変化します。

そのなかには眼・耳・鼻・舌・身・意(心(こころ))の六根のわがままな欲望が暴れまわっています。

この誤った欲望を滅して常に涅槃の境地にいたいと思うならば、大乗経を読誦して仏の智慧と慈悲(菩薩の母)を念じなければなりません。

人間を向上させる勝(すぐ)れた方法は、このように大乗の教えによって、諸法の実相を思うことから生まれてくるのです。

いま説いた六つの教えもその例であって、これらは人間の心の働きを正しくして実相を見きわめるようになる方法にほかならないのです。

すなわち、一切の行ないの過ち(業(ごう)障(しょう))はみな、ありもしないことをあると思う妄想から起こるのです。

もし自分の業障を懺悔しようと思うならば、静かに坐って諸法の実相を深く想い念じることです。

もろもろの罪というものは、ちょうど霜(しも)や露(つゆ)のような仮のあらわれに過ぎず、実相を見る智慧の光に会えば、たちまち消滅してしまうのです。

ですから、ひたすら実相を思うことによって、六情根を洗い清めなければなりません。

 

 ・補足

鼻(び)根(こん)は諸(しょ)香(こう)に著(じゃく)して

人間のすべての感覚を鼻(び)根(こん)に代表させています。したがってこの一節は、嗅覚が香を貪るように、感覚の快さのみを追求することを意味しています。
 

染(ぜん)に随(したが)って

「染(ぜん)」とは、染色などが布にしみ込んで離れないように、ものごとに執着する妄念を意味します。
 

触(そく)を起(おこ)す

「触(そく)」とは感情のことです。
 

法(ほう)の真(しん)寂(じゃく)の義(ぎ)

「真(しん)」は究極の真実、「寂(じゃく)」は不動の真理という意味ですから、第一義空(諸法実相)ということです。第一義空を人間にあてはめると、すべての人は「仏性を自らのいのちの本質とする」という点において平等であるということになります。
 

折(しゃく)伏(ぶく)

悪い道にそれてしまった心を正しい道へ引き入れることです。
 

六(ろく)賊(ぞく)

眼・耳・鼻・舌・身・意(心(こころ))の六情根(略して六(ろっ)根(こん))が、それぞれ煩悩のおもむくままに働いていることを意味しています。
 

菩薩の母

菩薩行の原動力は智慧と慈悲です。そこで、仏さまと同じような智慧と慈悲を得たいと念ずることが、菩薩を生み出す母であるというのです。


2025年3月30日日曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八(その17)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-14/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

仏、普(ふ)賢(げん)菩薩に告げたまわく、

若し善男子・善女人、

四法を成就せば如来の滅後に於(おい)て当(まさ)に是(こ)の法華経を得(う)べし。

一には諸仏に護念せらるることを為(え)、

二には諸の徳本を植え、

三には正(しょう)定(じょう)聚(じゅ)に入(い)り、

四には一切衆生を救うの心を発(おこ)せるなり。 

善男子・善女人、是(かく)の如く四法を成就せば、如来の滅後に於(おい)て必ず是(こ)の経を得(え)ん。

爾(そ)の時に普賢菩薩、仏に白(もう)して言(もう)さく、世尊、後(のち)の五百歳濁(じょく)悪(あく)世(せ)の中に於(おい)て、其(そ)れ是(こ)の経典を受持することあらん者は、我当(まさ)に守護して其(そ)の衰患を除き、安(あん)穏(のん)なることを得せしめ、伺(うかが)い求(もと)むるに其(そ)の便(たより)を得(う)る者なからしむべし。

 

・訳文

仏さまは普賢菩薩に向かってお答えになります。

もし信仰深い男女が、次の四つのことがらを成就すれば、如来の滅後においてもこの教えをつかみ、法華経の真の功徳を得ることができるでしょう。

第一は、諸仏に護られ、念(おも)われているのだということを確信することです。 

第二は、いつも善い行ないをすることを心がけることです。

第三は、いつも正しい教えを実践する人びとの集団・仲間に入っていることです。

第四は、いつも社会全体をよくすること、人のためにつくすことをめざすことです。

もし、信仰深い男女がこの四つのことがらを満足に行なえば、如来がこの世を去ったのちにおいても、必ず法華経を自分のものにすることができるでしょう。

そのとき普賢菩薩は、仏さまに申し上げました。 

世尊、ありがとうございます。

よくわかりました。 

私はお誓いいたします。

後の五百歳(自己中心の人が多くなり、自分の利益のことばかり主張するため、大小の争いが絶えない末法の世)の濁(にご)りきった悪い社会のなかで、この教えを受持する者がおりましたならば、その者をしっかり守護いたしましょう。

もろもろの障りを取り除き、いつも安(あん)穏(のん)に法を行なえるようにいたしましょう。

何かの隙(すき)をねらって取りつき、修行を妨(さまた)げたり、迫(はく)害(がい)を加えようとする者たちに、その手がかりを与えないように守ってやりましょう。


2025年3月29日土曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五(その16)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-13/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

衆生困(こん)厄(やく)を被(こうむ)って。 

無量の苦(く)身(み)を逼(せ)めんに。 

観音妙(みょう)智(ち)の力。

能(よ)く世間の苦を救う。

神通力を具(ぐ)足(そく)し。

広く智の方便を修(しゅ)して。

十方の諸(もろもろ)の国土に。

刹(くに)として身を現ぜざることなし。

種種の諸の悪(あく)趣(しゅ)。

地獄・鬼・畜生。

生・老・病・死の苦。 

以(もっ)て漸(ようや)く悉(ことごと)く滅せしむ。

真(しん)観(かん)・清(しょう)浄(じょう)観(かん)。

広大智(ち)慧(え)観(かん)。

悲観及(およ)び慈(じ)観(かん)あり。

常に願い常に瞻(せん)仰(ごう)すべし。 

無(む)垢(く)清浄の光あって。 

慧(え)日(にち)諸の闇を破し。

能(よ)く災(さい)の風火を伏(ぶく)して。

普(あまね)く明かに世間を照らす。

悲(ひ)体(たい)の戒(かい)雷(らい)震(しん)のごとく。

慈意の妙大雲のごとく。

甘露の法雨を澍(そそ)ぎ。

煩悩の燄(ほのお)を滅除す。 

諍(じょう)訟(しょう)して官(かん)処(しょ)を経(へ)。

軍(ぐん)陣(じん)の中に怖(ふ)畏(い)せんに。

彼の観音の力を念ぜば。

衆の怨(あだ)悉く退散せん。

妙音観世音。

梵(ぼん)音(のん)海(かい)潮(ちょう)音(おん)。

勝(しょう)彼(ひ)世間音(のん)あり。

是(こ)の故(ゆえ)に須(すべか)らく常に念ずべし。 

念念に疑を生(しょう)ずることなかれ。

観世音浄(じょう)聖(しょう)は。

苦悩・死(し)厄(やく)に於(おい)て。

能(よ)く為(ため)に依(え)怙(こ)と作れり。

一切の功徳を具して。

慈眼をもって衆生を視(み)る。

福聚(じゅ)の海無量なり。

是(こ)の故(ゆえ)に頂(ちょう)礼(らい)すべし。

 

・訳文

人びとが困難に遭い、苦しみにさいなまれているとき、観世音菩薩のすぐれた智慧の力は人びとを救います。

観世音菩薩は自由自在の力を具え、どのような場合にも、その人の救いにピタリと当てはまる智慧を身につけていますから、いかなる場所にも現われて救いの働きをされます。

こうして人間を怒り(地獄)・貪(むさぼ)り(餓鬼)・愚痴(畜生)といった悪道から救い、生・老・病・死の苦をしだいに取り除き、ついにはことごとく消滅させるのです。

観世音菩薩は真実を見きわめる眼(まなこ)(真(しん)観)、迷いのない清らかな眼(清(しょう)浄(じょう)観)、宇宙の万物を自分と一体と見る広大な眼(広(こう)大(だい)智(ち)慧(え)観)、悩み苦しむすべての人を救ってあげたいというやさしい思いに満ちた眼(悲観)、すべての人を幸せにしてあげたいという慈しみをたたえた眼(慈(じ)観)を持っています。

人びとは、常にそのような眼(まなこ)を持ちたいと願い、仰ぎ見て手本としなければなりません。

観世音菩薩の身からは、汚(けが)れなき清らかな光が放たれ、智慧は太陽のごとく、すべての迷いの闇を払い、もろもろの不幸を滅ぼして世の中全体を照らします。

観世音菩薩の説かれる戒めは、人びとの苦しみを抜いてあげようという愛情に根ざしたものですから、その力は雷(らい)鳴(めい)のうち震(ふる)うがごとく偉大です。

また、人びとに幸せを与えずにはいられない心は、あたかも日照(で)りに苦しむ国土を覆う大雲のようにありがたいものであって、甘露のように至上の味わいのある真理の教えの雨をあまねく降り注ぎ、煩悩の炎を消してくれます。

争いごとで役所の裁きを受けたり、それでも解決せずに力ずくの戦いとなって恐ろしい目に遭うようなときでも、観世音菩薩の力を念ずれば、もろもろの忌(い)まわしいことは、たちまち消え失せてしまうでしょう。 

観世音菩薩は、至上至妙の真理(妙(みょう)音(おん))を説き、世のあらゆる人間の願いを明らかに聞き分けて(観世音)くれます。

教えを説く声は清らか(梵(ぼん)音(のん))で、説かれる真理の言葉は海鳴りのように人びとの胸に響き入り(海(かい)潮(ちょう)音(おん))、すべての迷いや苦しみを除いて(勝(しょう)彼(ひ)世(せ)間(けん)音(のん))くれます。

ですから、自分も観世音菩薩のようになりたいと常に思うことが肝心です。

ほんの一念にも疑ってはなりません。

観世音菩薩は清らかな身であり、いろいろな苦しみや災難に遭ったときも、力強い寄(よ)る辺(べ)となります。一切の功徳を具えて、慈悲の眼で人びとを見てくれます。

すべての川が海に集まるように、無量の福(しあわせ)がその力によって呼び寄せられるのです。

ですから観世音菩薩を礼拝し、その行ないに学んでいくことが大切なのです。

 

・補足

普(ふ)門(もん)

この品の題にある普門の「普(ふ)」とは、広くあまねく、どこにもかしこにもという意味です。「門(もん)」は、出入口の意味から転じて、家をさす言葉に用いられます。また、ものごとを分類する部門という意味もあります。したがって普門を直訳すると、「あまねくすべての家に」「人間が抱える問題のすべての部門に」という意味になります。わかりやすく言い換えれば、「この世のいたるところに、ありとあらゆる問題とあらゆる場面に、あらゆる場所に、自由自在に」ということになります。


2025年3月28日金曜日

燈明日記ブログ: 法華経ブログの目的

燈明日記ブログ: 法華経ブログの目的: 私は、この「燈明日記ブログ」と、もう一つ「 法華経ブログ 」をやっています。 燈明日記ブログは、単に日記で、何でもありの内容になっていますが、法華経ブログは法華経に何かしら関係のある内容になっています。  法華経ブログは2008年の4月から開始していますが、その前に「法華経ノート...

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 如来神力品第二十一(その15)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-12/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

如来の滅後に於(おい)て。

仏の所説の経の。

因縁及び次第を知って。

義に随(したが)って実の如く説かん。

日月の光明の。

能(よ)く諸の幽(ゆう)冥(みょう)を除くが如く。

斯(こ)の人世間に行じて。 

能(よ)く衆生の闇を滅し。

無量の菩薩をして。

畢(ひっ)竟(きょう)して一乗に住せしめん。

是(こ)の故(ゆえ)に智あらん者。

此(こ)の功徳の利を聞いて。

我が滅度の後に於(おい)て。

斯(こ)の経を受持すべし。

是(こ)の人仏道に於(おい)て。

決(けつ)定(じょう)して疑いあることなけん。 

 

・訳文

如来が入滅したのちの世において、

仏の説いた教えがどういう因縁で、

どういう順序で説かれたかということをよく知り、

教えの主旨にしたがって誤りなく人びとに説くならば、

日月の光明が、

すべての暗黒を消滅させるように、

人びとの心の迷いの闇を消し去り、 

無数の菩薩(信仰者)たちを必ず一仏乗へと導くでしょう。

よって、人生をほんとうに深く考える人(智慧を求める人)は、

この教えの功徳がすぐれていることを聞いたならば、

如来の滅後において、この教えを受持するのが当然なのです。

どうしても、この教え(真理・法)に帰着せざるを得ないのです。

そうなれば、その人が必ず仏道を成ずるであろうことは、

もはや疑いもありません。

 

・補足

一乗

一乗とは一(いち)仏(ぶつ)乗(じょう)を略したものです。仏さまの教えには、声聞乗、縁覚乗(、菩薩乗という三乗(三つの修行の道)があるように見えますが、それは最高真実の法へ導くための方便であり、最終到達点ではありません。すべての教えは、「一切衆生を仏の境地に導く」というただ一つの目的のために説かれています。三乗という、それぞれに違いがあるように見える道も、この一つの道につながっているのです。ですから、一仏乗とは、自分も他の人もすべてを仏の境地に導く最終的な道を意味します。


2025年3月27日木曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 常不軽菩薩品第二十(その14)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-11/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

過去に仏いましき。

威(い)音(おん)王(のう)と号(なづ)けたてまつる。

神(じん)智(ち)無(む)量(りょう)にして。

一切を将(しょう)導(どう)したもう。

天・人・竜(りゅう)神(じん)の。

共に供養する所なり。

是(こ)の仏の滅後。

法尽(つ)きなんと欲(ほっ)せし時。

一人の菩薩あり。

常(じょう)不(ふ)軽(きょう)と名(なづ)く。

時に諸の四衆。

法に計(けい)著(じゃく)せり。

不軽菩薩。

其の所に往(ゆ)き到(いた)って。

而(しか)も之(これ)に語って言わく。

我汝(なんじ)を軽しめず。

汝(なん)等(だち)道(どう)を行じて。

皆(みな)当(まさ)に作(さ)仏(ぶつ)すべしと。

諸(しょ)人(にん)聞(き)き已(おわ)って。

軽(きょう)毀(き)罵(め)詈(り)せしに。

不軽菩薩。

能(よ)く之(これ)を忍(にん)受(じゅ)しき。

其(そ)の罪(つみ)畢(お)え已(おわ)って。

命(みょう)終(じゅう)の時に臨(のぞ)んで。

此(こ)の経(きょう)を聞くことを得て。

六根清(しょう)浄(じょう)なり。

神通力の故(ゆえ)に。

寿命を増(ぞう)益(やく)して。

復(また)諸(しょ)人の為(ため)に。

広く是(こ)の経を説く。

諸の著(じゃく)法(ほう)の衆(しゅ)。

皆(みな)菩薩の。

教化し成就して。 

仏道に住(じゅう)せしむることを蒙(こうむ)る。

不軽命(みょう)終(じゅう)して。 

無数の仏に値(あ)いたてまつる。 

是(こ)の経を説くが故(ゆえ)に。

無(む)量(りょう)の福を得。

漸(ようや)く功徳を具(ぐ)して。

疾(と)く仏道を成ず。

彼(か)の時の不軽は。

則(すなわ)ち我が身是(こ)れなり。

時の四(し)部(ぶ)の衆(しゅ)の。

著(じゃく)法(ほう)の者(もの)の。

不軽の汝(なんじ)当(まさ)に。

作(さ)仏(ぶつ)すべしというを聞きしは。 

是(こ)の因縁を以(もっ)て。

無数の仏に値(あ)いたてまつる。

此(こ)の会(え)の菩薩。

五百の衆(しゅ)。

幷及(ならび)に四部。

清(しょう)信(しん)士(じ)女(にょ)の。

今(いま)我(わ)が前に於て。

法を聴(き)く者是れなり。

我前世に於(おい)て。

是(こ)の諸人を勧(すす)めて。 

斯(こ)の経の第一の。

法を聴(ちょう)受(じゅ)せしめ。

開(かい)示(じ)して人を教えて。

涅槃に住(じゅう)せしめ。

世(せ)世(せ)に是(かく)の如(ごと)き。

経典を受持しき。

億億万劫(ごう)より。

不(ふ)可(か)議(ぎ)に至(いた)って。

時に乃(いま)し。

是(こ)の法華経を聞くことを得(う)。

億億万劫(ごう)より。

不可議に至(いた)って。

諸仏世尊。

時に是(こ)の経を説きたもう。

是(こ)の故(ゆえ)に行者。

仏(ほとけ)の滅(めつ)後(ご)に於(おい)て。

是(かく)の如(ごと)き経を聞いて。

疑惑を生(しょう)ずることなかれ。

応(ま)当(さ)に一(いっ)心(しん)に。

広く此(こ)の経を説くべし。 

世世に仏に値(あ)いたてまつりて。

疾(と)く仏道を成(じょう)ぜん。

 

・訳文

過去に威(い)音(おん)王(のう)という仏がおられ、すぐれた智慧で一切衆生を導(みちび)かれました。 

天界の人びとも、人間界の人びとも、人間以外の鬼神たちも、ともに真心を捧げてお仕えしていました。

この仏が入滅され、その教えも忘れられようとするころ、一人の菩薩がいました。

常(じょう)不(ふ)軽(きょう)菩薩という名でした。

そのころの出家・在家の修行者たちは、教えを自分流に勝手に解釈して、それにとらわれていましたが、常不軽菩薩は彼らのそばに行ってこう言うのでした。『私はあなた方を軽(かろ)んじません。

あなた方は菩薩の道を行ずることによって、必ず仏となる方々だからです』と。

人びとは常不軽菩薩のことを、いいかげんなことを言うやつだと軽蔑し、罵(ののし)り、皮肉を言いましたが、菩薩は寛(かん)容(よう)の精神をもって、じっとそれを受けとめました。 

常不軽菩薩が過去からの身(しん)(行ない)、口(く)(言葉)、意(い)(心)の三(さん)業(ごう)の跡を清(きよ)め尽(つ)くして、この世の生を終えようとするとき、法華経の教えを聞くことができました。

そのために身も心もすっかり洗われました。

そして、神通力を得て寿命が延びたため、人びとのためにまた広く教えを説きました。

小(しょう)法(ぼう)にとらわれていた人(ひと)びとは、常不軽菩薩のおかげで正(ただ)しく教(きょう)化(け)され、仏(ほとけ)の悟(さと)りを志(こころざ)すようになりました。

菩薩はその功徳によって、次の世も、また次の世でも無数の仏にお会いすることができました。

そして、そこでもこの教えを説き続けたために、はかりしれないほどの功徳を得ることができました。その功徳でまた無数の仏にお会いするという循環をくり返すうちに、ついには仏の悟りに達したのです。

そのときの常不軽菩薩が私の前身なのです。

そして当時、小(しょう)法(ぼう)にとらわれていた出家・在家の修行者たちは、常(じょう)不(ふ)軽(きょう)菩薩から『あなた方は必ず仏になれる人です』といつも聞かされていたために、その言葉によって仏性を開くことができ、無数の仏に会うことができました。

この法(ほう)会(え)には、菩薩や大勢の出家・在家の修行者たちが集まって話を聞いていますが、じつは、あなた方こそ過去において私が教化した人たちなのです。

私は、過去の世において、あなた方に最高の法であるこの法華経の教えを聞くことを勧め、〈すべての人が仏性の顕(あら)われである〉という真実に目を開かせ、宇宙を貫く〈無常〉の根本法則を教え示して、大安心の境地(涅槃)に至(いた)らせました。

そして、私自身もいつの時代にあっても、この教えを常に受持したのです。

しかし、仏法に出遇うことは簡単なことではありません。 

億億万劫(ごう)という考えられないほどの年月がたち、時が熟(じゅく)して、初めて法華経を聞くことができるからです。 億億万劫(ごう)という推量も及ばぬほどの年月を経て、ふさわしい仏縁が結ばれてこそ初めて諸仏世尊はこの教えをお説きになるからです。

そういうわけですから、私が入滅したのちの世の行者たちよ、この尊い教えに疑惑を持つことなく、真心を込めて教えを説き広めてください。

そうすれば、その功徳によって、いつの時代にも仏に会うことができ、まわり道をすることなく仏の悟りに達することができるでしょう。


・補足

四(し)衆(しゅ)

男(の出家僧(比(び)丘(く))、女の出家僧(比(び)丘(く)尼(に))、男の在家修行者(優(う)婆(ば)塞(そく))、女の在家修行者(優(う)婆(ば)夷(い))のことです。「四(し)部(ぶ)」と言うこともあります。
 

忍(にん)受(じゅ)

怒りや反発を感じながらも、じっと堪(た)えるという意味ではありません。相手を恨むことなく、包容力をもって受けとめるということです。
 

五百の衆

仏教経典には、一万二千とか、五千などという数がよく出てきますが、これらは実数をさすのではなく、「たくさん」と言う意味です。ですから、この五百という数も「大勢の人たち」と言う意味です。
 

其(そ)の罪(つみ)畢(お)え已(おわ)って

常不軽菩薩も出家する以前は、凡夫の生活を送っていました。ときには自分勝手な行ないをしたり、怒ったり、人と争ったこともあったはずです。そうした過去の誤った行ないが、菩薩行によって、すっかり清められたということです。


2025年3月26日水曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 如来寿量品第十六(その13)

 



・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-10/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

我仏を得てより来(このかた)。

経たる所の諸の劫数。 

無量百千万。

億載(さい)阿(あ)僧(そう)祇(ぎ)なり。

常に法を説いて。

無数億の衆生を教化して。

仏道に入らしむ。

爾(しか)しより来(このかた)無量劫なり。

衆生を度せんが為の故に。

方便して涅槃を現(げん)ず。 

而(しか)も実には滅度せず。

常に此(ここ)に住して法を説く。

我常に此に住すれども。 

諸の神通力を以(もっ)て。 

 顚(てん)倒(どう)の衆生をして。

近しと雖(いえど)も而(しか)も見ざらしむ。

衆我が滅度を見て。 

広く舎利を供養し。 

咸(ことごと)く皆恋慕を懐(いだ)いて。

渇仰の心を生(しょう)ず。 

衆生既(すで)に信(しん)伏(ぶく)し。

質(しち)直(じき)にして意(こころ)柔(にゅう)輭(なん)に。

一心に仏を見たてまつらんと欲して。

自ら身命を惜まず。

時に我及び衆僧。 

倶(とも)に霊鷲山に出ず。

我時に衆生に語る。 

常に此(ここ)にあって滅せず。方便力を以(もっ)ての故(ゆえ)に。

滅不滅ありと現ず。

余国に衆生の。

恭(く)敬(ぎょう)し信(しん)楽(ぎょう)する者あれば。

我復(また)彼の中に於(おい)て。

為に無上の法を説く。

汝(なん)等(だち)此(こ)れを聞かずして。

但(ただ)我(われ)滅(めつ)度(ど)すと謂(おも)えり。

我諸の衆生を見れば。

苦(く)海(かい)に没(もつ)在(ざい)せり。

故(かるがゆえ)に為に身を現ぜずして。

其れをして。

渇(かつ)仰(ごう)を生ぜしむ。

其(そ)の心恋(れん)慕(ぼ)するに因(よ)って。

乃(すなわ)ち出でて為に法を説く。

神通力是(かく)の如(ごと)し。

阿(あ)僧(そう)祇(ぎ)劫(こう)に於(おい)て。

常に霊(りょう)鷲(じゅ)山(せん)。

及(およ)び余(よ)の諸(もろもろ)の住(じゅう)処(しょ)にあり。

衆生劫尽きて。

大火に焼かるると見る時も。

我が此の土は安(あん)穏(のん)にして。

天人常に充満せり。

園(おん)林(りん)諸の堂(どう)閣(かく)。

種(しゅ)種(じゅ)の宝をもって荘厳し。

宝(ほう)樹(じゅ)花(け)果(か)多(おお)くして。

衆生の遊(ゆ)楽(らく)する所なり。

諸(しょ)天(てん) 天(てん)鼓(く)を撃って。

常に諸の伎(ぎ)楽(がく)を作し。

曼(まん)陀(だ)羅(ら)華(け)を雨(ふ)らして。

仏及(およ)び大衆に散ず。

我が浄土は毀(やぶ)れざるに。

而(しか)も衆は焼け尽きて。

憂(う)怖(ふ)諸の苦悩。 

是(かく)の如(ごと)き悉(ことごと)く充(じゅう)満(まん)せりと見る。

是(こ)の諸の罪の衆生は。

悪業の因縁を以(もっ)て。

阿(あ)僧(そう)祇(ぎ)劫(こう)を過(す)ぐれども。 

三宝の名(みな)を聞かず。

諸の有(あら)ゆる功徳を修(しゅ)し。

柔和質直なる者は。

則(すなわ)ち皆(みな)我が身。 

此(ここ)にあって法を説くと見る。 

或(ある)時(とき)は此(こ)の衆の為に。

仏(ぶつ)寿(じゅ)無(む)量(りょう)なりと説く。

久(ひさ)しくあって乃(いま)し仏を見たてまつる者には。

為(ため)に仏には値(あ)い難(がた)しと説く。

我が智力是(かく)の如(ごと)し。

慧光照すこと無量に。 

寿命無数劫。 

久しく業を修して得る所なり。

汝(なん)等(だち)智(ち)あらん者。

此(ここ)に於(おい)て疑(うたがい)を生ずることなかれ。 

当(まさ)に断(だん)じて永(なが)く尽(つ)きしむべし。 

仏語は実にして虚(むな)しからず。

医(い)の善(よ)き方便をもって。

狂(おう)子(じ)を治(じ)せんが為の故に。

実には在(あ)れども而(しか)も死(し)すというに。

能(よ)く虚(こ)妄(もう)を説くものなきが如く。

我も亦(また)為(こ)れ世の父。

諸の苦(く)患(げん)を救う者なり。

凡夫の顚(てん)倒(どう)せるを為(もっ)て。

実には在(あ)れども而(しか)も滅(めっ)すと言う。

常に我を見るを以(もっ)ての故(ゆえ)に。

而(しか)も憍(きょう)恣(し)の心を生じ。

放(ほう)逸(いつ)にして五(ご)欲(よく)に著(じゃく)し。

悪道の中に堕(お)ちなん。

我常に衆生の。

道を行じ道を行ぜざるを知って。

度すべき所に随(したが)って。

為に種(しゅ)種(じゅ)の法を説く。

毎(つね)に自(みずか)ら是(こ)の念(ねん)を作(な)す。

何を以(もっ)てか衆生をして。

無上道に入(い)り。

速かに仏身を成就することを得せしめんと。

 

・訳文

私が仏となってから、これまでに経った時間は無量・無限です。

そのあいだ私は、常に真実の教えを説き、無数の衆生を教化して仏道に導きました。

そのときからもまた、無量の月日が経っているのです。

私は衆生を救う手段の一つとして、この世から姿を消したこともありますが、実際は滅度(入滅)したのではなく、常にこの娑婆世界にいて法を説いているのです。  

私は常にこの世界にいるのですが、自由自在な神通力によって、顚(てん)倒(どう)している(何ごとも自分中心に考え、ものごとの真実を見ようとしない)衆生には姿が見えないようにするのです。

衆生は、私が入(にゅう)滅(めつ)したのを見て、舎利をまつって供養をし、そこではじめて真剣に仏の教えを求めようという心を起こします。 

求(ぐ)道(どう)の心を起こした衆生は、教えを心から信じ、柔らかく素直な心で、仏とともにいるという自覚を得ようと、命をも惜しまないほどの真剣さで努力します。 

このような人びとが多くなれば、私は弟子たちとこの世に出てきて、『私は常にここにいますが、教化の手段として必要だと思われるときに入(にゅう)滅(めつ)を見せるのです。

また、この世界以外の場所でも、正しい教えを敬い、信じ、聞きたいと願う人たちがいれば、私はその人たちの前にも現われて無上の法を説きます』と衆生に語ります。 

多くの人は、このことを知らないために、私が滅度するのだと思い込んでいるのです。

仏の眼で衆生を見ると、多くの人は苦の海に沈んで、苦しみもがいています。

さればこそ、私はわざと身を現わさないで、衆生に自ら仏を求める気持ちを起こさせるのです。

仏を恋慕する心が人びとに起これば、すぐに身を現わして、その人たちのために法を説(と)きます。

仏の神通力とはこのようなものであって、無限の過去から無限の未来まで、娑婆世界およびその他の世界に仏は存在しているのです。

衆生の目で見ると、世界全体が大火に焼かれてしまうような時代になっても、仏の国は安(あん穏(のん)であって、天上界の者や人間界の者がたくさん集まり、楽しい生活を送っています。

美しい花園や静かな林、光輝く宝(ほう)玉(ぎょく)によって飾られた立派な建物がたくさんあります。

木々には美しい花が咲き、豊かな実がなっていて、その下で人びとは何の憂いもなく遊んでいます。 

天(てん)人(にん)は妙(たえ)なる音楽を奏(かな)で、曼(まん)陀(だ)羅(ら)華(け)の花びらを雨のように、仏や人びとの上に散じています。

仏の眼(まなこ)から見た世界は、このように平和で美しいのですが衆生の目から見ると、あたかも大火に焼かれるがごとく、不安や恐怖に満ちているように見えるのです。

このような衆生は、よくない行ないを積み重ねるために、長い年月が経っても三宝(仏・法・僧)の名をくことができません。

反対に、世のため人のためにさまざまな善行をなし、心が柔(にゅう)和(わ)で素直な者は、私がいつもそばにいて常に法を説いている姿を見る(自覚する)ことができるのです。

そのような人びとに対して、あるときは『仏の寿命は限りないものであって、無始無終である』と説きます。 

長いあいだかかって、ようやく仏の存在を知った人には、『仏に出会うことは難しいのだから、いま出会えた喜びを胸に刻んで、怠らず励むのですよ』と説くこともあるのです。

仏の智慧の力はこのように大きいものであり、その智慧の光が照らしだす世界は無量です。

また、仏の寿命も無量であって、それは長いあいだ善業を積んで得た寿命なのです。

ほんとうの智慧を求めようとしているみなさんは、仏の寿命が永遠であり、智慧の力が無限であることを疑ってはなりません。

もし、疑いを起こすような迷いの心があれば、永久に断ち切ってしまわなければなりません。 

仏の言葉は、すべて真実なのです。

先に述べた譬え話において、毒を飲んで本心を失ってしまった子どもたちを治すために、医師が善い方便をもって、実際は死んでいないのに『死んだ』と告げさせたことを、だれもとがめたりしないのと同じように、仏が姿を見えなくするのも決してうそ、偽りではありません。

私は父です。

世の父です。

さまざまな苦悩を抱える衆生を救う者です。

いつも衆生のそばにいて、その苦しみを除こうとしているのですが、凡夫の心が顚(てん)倒(どう)しているので、その真実を見ることができません。

そこで、その目を覚まさせるために、実際はそばにいても『時期がくれば姿を消すのだ』と告げるのです。

もし、いつでも仏に会えるのだということになれば、衆生にわがままな心が生じて五欲に執着する(己(おのれ)の欲望にとらわれる)ため、修羅(争いの世界)や地獄(怒りの世界)などもろもろの悪道の苦しみが人生に現われてくるのです。

私は衆生のすべてを常に見とおして、ある者はよく仏の道を行じており、ある者は行じていないということを知り尽(つ)くしていますから、衆生の心がけや教えを理解する力に応じて、適切な方法を選び、さまざまに法を説いてあげるのです。

とはいえ、どんな衆生に対しても、私の本心は少しも変わりません。どうしたら衆生を仏の道に導き入れることができるだろうか、どうしたら速やかに仏の境地に達せしめることができるだろうかと、常にそれのみを念じているのです。

 

・補足

神通力

ここで言う神通力とは、修行などによって得られる不思議な力ということではありません。久(く)遠(おん)実(じつ)成(じょう)の本仏は、宇宙の一切のものを生かしている根源の大生命ですから、自由自在の力を持っておられます。その力を表現しているのです。
 

霊(りょう)鷲(じゅ)山(せん)

釈尊が法華経を説かれた場所が霊鷲山であったために、こうおっしゃられたのであって、真の意味は「この世」ということです。私たちが仏の教えを聞くところは、どんな場所であっても、そこが霊鷲山なのです。
 

余(よ)国(こく)

娑婆世界以外の国土ということですが、宇宙のありとあらゆる場所という意味にとらえるといいでしょう。
 

曼(まん)陀(だ)羅(ら)華(け)

天上界に咲く花で、見る人の心を喜ばせずにはおかない、美しい花のことです。
 

罪の衆生

仏教でいう罪とは、必ずしも悪いことをしたという意味だけではなく、煩悩に振り回されて、自らの仏性をくらましてしまっていることもいいます。
 

三宝の名(みな)を聞かず

 仏さまに会うことも、仏さまの教えにふれることも、教えを求める仲間に入れてもらう機会にも恵まれないということです。
 

慧(え)光(こう)照(てら)すこと無量に

仏の智慧の光が照らしだす世界は無量であるということは、いつ、いかなる場所でも、迷いの闇にいる衆生に救いの力を与え、仏性を輝かせる働きをするということです。したがって、すべての人が必ず真理に目覚めることができるという意味です。


2025年3月25日火曜日

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釈尊のいぶき:妙法蓮華経 提婆達多品第十二(その12)


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-9/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

仏諸(もろもろ)の比丘に告げたまわく、未来世の中に若し善男子・善女人あって、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信(しん)敬(きょう)して疑惑を生(しょう)ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕(お)ちずして十方の仏前に生ぜん。所生の所には常に此(こ)の経を聞かん。若し人(にん)・天(でん)の中に生るれば勝妙の楽を受け、若(も)し仏前にあらば蓮華より化(け)生(しょう)せん。

 

・訳文

のちの世において、もし信仰のあつい男女が妙法蓮華経の提婆達多品の教えを聞いて、素直な心で信じ、ありがたいと感じ、疑いを起こすことがなければ、その人は地獄(怒りの世界)・餓鬼(貪(むさぼ)りの世界)・畜生(愚かな世界)といった悪道におちいることなく、必ず仏の前に生まれ、常にこの教えを聞くことができるでしょう。

もし人間界や天上界に生まれ変わるとしても、そこでは至高の精神的な喜びに満ちた生活をおくることができるでしょう。

そして、再び仏の教えを聞く機会に恵まれれば、凡夫の境界にいながらでも、仏に近い境地に達することができるでしょう

 

・補足

地獄

人間の心にあてはめると、怒りに心を振り回されて行動し、常に苦しい気持ちで生きることを意味しています。
 

餓鬼

尽きることのない利己心の満足のために、次から次へとものごとを貪り、つねにイライラした気持ちで生きることです。
 

畜生

欲望のおもむくまま人の道にはずれた行ないをし、他人も自分も傷つけてしまい、不幸な気持ちで生きることです。
 

十方の仏前に生(しょう)ぜん

いつ、どこへ行っても、仏さまとともにいる自覚を持つことができるという意味です。すなわち「私は仏さまに生かされている、いつも仏さまに守られているんだ」という自覚です。こういう自覚が常にあれば、人生に大きな自信と勇気が得られ、いつも幸せな大安心の境地で生きることができます。 

 

常に此(こ)の経を聞かん

いつも仏さまの前にいる自覚がある人は、仏さまの教えを忘れることはありません。ですからこの一節(せつ)は、いつも心の中で教えをくり返し味わうことができるという意味です。