2025年3月28日金曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 如来神力品第二十一(その15)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-12/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

(おい)て。

の。

って。

(したが)ってかん。

の。

()(ゆう)(みょう)くがく。

()じて。 

()し。

をして。

(ひっ)(きょう)してせしめん。

()(ゆえ)あらん

()いて。

(おい)て。

()すべし。

()(おい)て。

(けつ)(じょう)して疑いあることなけん。 

 

・訳文

したのちのにおいて、

いたえがどういうで、

どういうかれたかということをよくり、

えのにしたがってりなくびとにくならば、

が、

すべてのさせるように、

びとのいのり、 

)たちをへとくでしょう。

よって、をほんとうにえるめる)は、

このえのがすぐれていることをいたならば、

において、このえをするのがなのです。

どうしても、このえ()にせざるをないのです。

そうなれば、そのずるであろうことは、

もはやいもありません。

 

・補足

とは(いち)(ぶつ)(じょう)したものです。さまのえには、(というつの)があるようにえますが、それはくための便であり、ではありません。すべてのえは、「く」というただつののためにかれています。という、それぞれにいがあるようにえるも、このつのにつながっているのです。ですから、とは、もすべてをします。


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