2025年3月29日土曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五(その16)

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-13/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

(こん)(やく)(こうむ)って。 

()()()めんに。 

(みょう)()

()う。

()(そく)し。

便(しゅ)して。

(もろもろ)に。

(くに)としてぜざることなし。

(あく)(しゅ)

 

(もっ)(ようや)(ことごと)せしむ。

(しん)(かん)(しょう)(じょう)(かん)

()()(かん)

(およ)()(かん)あり。

(せん)(ごう)すべし。 

()()あって。 

()(にち)し。

()(さい)(ぶく)して。

(あまね)かにらす。

()(たい)(かい)(らい)(しん)のごとく。

のごとく。

(そそ)ぎ。

(ほのお)す。 

(じょう)(しょう)して(かん)(しょ)()

(ぐん)(じん)()()せんに。

ぜば。

(あだ)退せん。

(ぼん)(のん)(かい)(ちょう)(おん)

(しょう)()(のん)あり。

()(ゆえ)(すべか)らくずべし。 

(しょう)ずることなかれ。

(じょう)(しょう)は。

()(やく)(おい)て。

()(ため)()()れり。

して。

をもって()る。

(じゅ)なり。

()(ゆえ)(ちょう)(らい)すべし。

 

・訳文

びとがい、しみにさいなまれているとき、のすぐれたびとをいます。

え、どのようなにも、そのいにピタリとてはまるにつけていますから、いかなるにもわれていのきをされます。

こうしてり()・(むさぼ)り()・)といったからい、をしだいにき、ついにはことごとくさせるのです。

きわめる(まなこ)(しん))、いのないらかな(しょう)(じょう))、(こう)(だい)()())、しむすべてのってあげたいというやさしいいにちた)、すべてのせにしてあげたいというしみをたたえた())をっています。

びとは、にそのような(まなこ)ちたいとい、としなければなりません。

からは、(けが)れなきらかなたれ、智慧太陽のごとく、すべてのいのい、もろもろの不幸ぼしてらします。

かれるめは、びとのしみをいてあげようというざしたものですから、その(らい)(めい)のうち(ふる)うがごとくです。

また、びとにせをえずにはいられないは、あたかも()りにしむのようにありがたいものであって、のようにわいのあるえのをあまねくぎ、してくれます。

いごとできをけたり、それでもせずにずくのいとなってろしいうようなときでも、ずれば、もろもろの()まわしいことは、たちまちせてしまうでしょう。 

は、(みょう)(おん))をき、のあらゆるいをらかにけて()くれます。

えをらか((ぼん)(のん))で、かれるりのようにびとのり((かい)(ちょう)(おん))、すべてのいやしみをいて((しょう)()()(けん)(のん))くれます。

ですから、のようになりたいとうことがです。

ほんのにもってはなりません。

らかなであり、いろいろなしみやったときも、()()となります。えて、びとをてくれます。

すべてのまるように、(しあわせ)がそのによってせられるのです。

ですからし、そのないにんでいくことがなのです。

 

・補足

()(もん)

このにあるの「()」とは、くあまねく、どこにもかしこにもというです。「(もん)」は、からじて、をさすいられます。また、ものごとをするというもあります。したがってすると、「あまねくすべてのに」「えるのすべてのに」というになります。わかりやすくえれば、「こののいたるところに、ありとあらゆるとあらゆるに、あらゆるに、に」ということになります。


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