・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-13/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
衆生困厄を被って。
無量の苦身を逼めんに。
観音妙智の力。
能く世間の苦を救う。
神通力を具足し。
広く智の方便を修して。
十方の諸の国土に。
刹として身を現ぜざることなし。
種種の諸の悪趣。
地獄・鬼・畜生。
生・老・病・死の苦。
以て漸く悉く滅せしむ。
真観・清浄観。
広大智慧観。
悲観及び慈観あり。
常に願い常に瞻仰すべし。
無垢清浄の光あって。
慧日諸の闇を破し。
能く災の風火を伏して。
普く明かに世間を照らす。
悲体の戒雷震のごとく。
慈意の妙大雲のごとく。
甘露の法雨を澍ぎ。
煩悩の燄を滅除す。
諍訟して官処を経。
軍陣の中に怖畏せんに。
彼の観音の力を念ぜば。
衆の怨悉く退散せん。
妙音観世音。
梵音海潮音。
勝彼世間音あり。
是の故に須らく常に念ずべし。
念念に疑を生ずることなかれ。
観世音浄聖は。
苦悩・死厄に於て。
能く為に依怙と作れり。
一切の功徳を具して。
慈眼をもって衆生を視る。
福聚の海無量なり。
是の故に頂礼すべし。
・訳文
人びとが困難に遭い、苦しみにさいなまれているとき、観世音菩薩のすぐれた智慧の力は人びとを救います。
観世音菩薩は自由自在の力を具え、どのような場合にも、その人の救いにピタリと当てはまる智慧を身につけていますから、いかなる場所にも現われて救いの働きをされます。
こうして人間を怒り(地獄)・貪り(餓鬼)・愚痴(畜生)といった悪道から救い、生・老・病・死の苦をしだいに取り除き、ついにはことごとく消滅させるのです。
観世音菩薩は真実を見きわめる眼(真観)、迷いのない清らかな眼(清浄観)、宇宙の万物を自分と一体と見る広大な眼(広大智慧観)、悩み苦しむすべての人を救ってあげたいというやさしい思いに満ちた眼(悲観)、すべての人を幸せにしてあげたいという慈しみをたたえた眼(慈観)を持っています。
人びとは、常にそのような眼を持ちたいと願い、仰ぎ見て手本としなければなりません。
観世音菩薩の身からは、汚れなき清らかな光が放たれ、智慧は太陽のごとく、すべての迷いの闇を払い、もろもろの不幸を滅ぼして世の中全体を照らします。
観世音菩薩の説かれる戒めは、人びとの苦しみを抜いてあげようという愛情に根ざしたものですから、その力は雷鳴のうち震うがごとく偉大です。
また、人びとに幸せを与えずにはいられない心は、あたかも日照りに苦しむ国土を覆う大雲のようにありがたいものであって、甘露のように至上の味わいのある真理の教えの雨をあまねく降り注ぎ、煩悩の炎を消してくれます。
争いごとで役所の裁きを受けたり、それでも解決せずに力ずくの戦いとなって恐ろしい目に遭うようなときでも、観世音菩薩の力を念ずれば、もろもろの忌まわしいことは、たちまち消え失せてしまうでしょう。
観世音菩薩は、至上至妙の真理(妙音)を説き、世のあらゆる人間の願いを明らかに聞き分けて(観世音)くれます。
教えを説く声は清らか(梵音)で、説かれる真理の言葉は海鳴りのように人びとの胸に響き入り(海潮音)、すべての迷いや苦しみを除いて(勝彼世間音)くれます。
ですから、自分も観世音菩薩のようになりたいと常に思うことが肝心です。
ほんの一念にも疑ってはなりません。
観世音菩薩は清らかな身であり、いろいろな苦しみや災難に遭ったときも、力強い寄る辺となります。一切の功徳を具えて、慈悲の眼で人びとを見てくれます。
すべての川が海に集まるように、無量の福がその力によって呼び寄せられるのです。
ですから観世音菩薩を礼拝し、その行ないに学んでいくことが大切なのです。
・補足
普門
この品の題にある普門の「普」とは、広くあまねく、どこにもかしこにもという意味です。「門」は、出入口の意味から転じて、家をさす言葉に用いられます。また、ものごとを分類する部門という意味もあります。したがって普門を直訳すると、「あまねくすべての家に」「人間が抱える問題のすべての部門に」という意味になります。わかりやすく言い換えれば、「この世のいたるところに、ありとあらゆる問題とあらゆる場面に、あらゆる場所に、自由自在に」ということになります。
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