・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-9/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
仏諸の比丘に告げたまわく、未来世の中に若し善男子・善女人あって、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん。所生の所には常に此の経を聞かん。若し人・天の中に生るれば勝妙の楽を受け、若し仏前にあらば蓮華より化生せん。
・訳文
のちの世において、もし信仰のあつい男女が妙法蓮華経の提婆達多品の教えを聞いて、素直な心で信じ、ありがたいと感じ、疑いを起こすことがなければ、その人は地獄(怒りの世界)・餓鬼(貪りの世界)・畜生(愚かな世界)といった悪道におちいることなく、必ず仏の前に生まれ、常にこの教えを聞くことができるでしょう。
もし人間界や天上界に生まれ変わるとしても、そこでは至高の精神的な喜びに満ちた生活をおくることができるでしょう。
そして、再び仏の教えを聞く機会に恵まれれば、凡夫の境界にいながらでも、仏に近い境地に達することができるでしょう
・補足
地獄
人間の心にあてはめると、怒りに心を振り回されて行動し、常に苦しい気持ちで生きることを意味しています。
餓鬼
尽きることのない利己心の満足のために、次から次へとものごとを貪り、つねにイライラした気持ちで生きることです。
畜生
欲望のおもむくまま人の道にはずれた行ないをし、他人も自分も傷つけてしまい、不幸な気持ちで生きることです。
十方の仏前に生ぜん
いつ、どこへ行っても、仏さまとともにいる自覚を持つことができるという意味です。すなわち「私は仏さまに生かされている、いつも仏さまに守られているんだ」という自覚です。こういう自覚が常にあれば、人生に大きな自信と勇気が得られ、いつも幸せな大安心の境地で生きることができます。
常に此の経を聞かん
いつも仏さまの前にいる自覚がある人は、仏さまの教えを忘れることはありません。ですからこの一節は、いつも心の中で教えをくり返し味わうことができるという意味です。
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