2025年3月26日水曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 如来寿量品第十六(その13)

 



・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-10/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

てより(このかた)

たる 

(さい)()(そう)()なり。

いて。

して。

らしむ。

(しか)しより(このかた)なり。

せんがに。

便して(げん)ず。 

(しか)にはせず。

(ここ)してく。

すれども。 

(もっ)て。 

 顚(てん)(どう)をして。

しと(いえど)(しか)ざらしむ。

て。 

し。 

(ことごと)(いだ)いて。

(しょう)ず。 

(すで)(しん)(ぶく)し。

(しち)(じき)にして(こころ)(にゅう)(なん)に。

たてまつらんとして。

まず。

 

(とも)ず。

る。 

(ここ)にあってせず。便(もっ)ての(ゆえ)に。

ありとず。

の。

()(ぎょう)(しん)(ぎょう)するあれば。

(また)(おい)て。

く。

(なん)(だち)()れをかずして。

(ただ)(われ)(めつ)()すと(おも)えり。

れば。

()(かい)(もつ)(ざい)せり。

(かるがゆえ)ぜずして。

れをして。

(かつ)(ごう)ぜしむ。

()(れん)()するに()って。

(すなわ)でてく。

(かく)(ごと)し。

()(そう)()(こう)(おい)て。

(りょう)(じゅ)(せん)

(およ)()(もろもろ)(じゅう)(しょ)にあり。

きて。

かるるとも。

(あん)(のん)にして。

せり。

(おん)(りん)(どう)(かく)

(しゅ)(じゅ)をもってし。

(ほう)(じゅ)()()(おお)くして。

()(らく)するなり。

(しょ)(てん)(てん)()って。

()(がく)し。

(まん)()()()()らして。

(およ)ず。

(やぶ)れざるに。

(しか)きて。

()() 

(かく)(ごと)(ことごと)(じゅう)(まん)せりとる。

()は。

(もっ)て。

()(そう)()(こう)()ぐれども。 

(みな)かず。

(あら)ゆる(しゅ)し。

なるは。

(すなわ)(みな) 

(ここ)にあってくとる。 

(ある)(とき)()に。

(ぶつ)寿(じゅ)()(りょう)なりとく。

(ひさ)しくあって(いま)たてまつるには。

(ため)には()(がた)しとく。

(かく)(ごと)し。

すことに。 

寿 

しくしてなり。

(なん)(だち)()あらん

(ここ)(おい)(うたがい)ずることなかれ。 

(まさ)(だん)じて(なが)()きしむべし。 

にして(むな)しからず。

()()便をもって。

(おう)()()せんがに。

には()れども(しか)()すというに。

()()(もう)くものなきがく。

(また)()

()(げん)なり。

(てん)(どう)せるを(もっ)て。

には()れども(しか)(めっ)すとう。

るを(もっ)ての(ゆえ)に。

(しか)(きょう)()じ。

(ほう)(いつ)にして()(よく)(じゃく)し。

()ちなん。

の。

ぜざるをって。

すべき(したが)って。

(しゅ)(じゅ)く。

(つね)(みずか)()(ねん)()す。

(もっ)てかをして。

()り。

かにすることをせしめんと。

 

・訳文

となってから、これまでにったです。

そのあいだは、えをき、してきました。

そのときからもまた、っているのです。

つとして、このから姿したこともありますが、)したのではなく、にこのにいていているのです。  

にこのにいるのですが、によって、(てん)(どう)している(ごともえ、ものごとのようとしない)には姿えないようにするのです。

は、(にゅう)(めつ)したのをて、をまつってをし、そこではじめてえをめようというこします。 

()(どう)こしたは、えをからじ、らかくで、とともにいるというようと、をもしまないほどのさでします。 

このようなびとがくなれば、たちとこのてきて、『にここにいますが、としてだとわれるときに(にゅう)(めつ)せるのです。

また、このでも、しいえをい、じ、きたいとたちがいれば、はそのたちのにもわれてきます』とります。 

くのは、このことをらないために、するのだとんでいるのです。

ると、くのんで、しみもがいています。

さればこそ、はわざとわさないで、めるちをこさせるのです。

するびとにこれば、すぐにわして、そのたちのために()きます。

とはこのようなものであって、からまで、およびそのしているのです。

ると、かれてしまうようなになっても、(あん(のん)であって、がたくさんまり、しいっています。

しいかな(ほう)(ぎょく)によってられたがたくさんあります。

にはしいき、かながなっていて、そのびとはいもなくんでいます。 

(てん)(にん)(たえ)なる音楽(かな)で、(まん)()()()びらをのように、びとのじています。

(まなこ)からは、このようにしいのですがからると、あたかもかれるがごとく、ちているようにえるのです。

このようなは、よくないないをねるために、っても)のをくことができません。

に、のためのためにさまざまなをなし、(にゅう)()は、がいつもそばにいていている姿る(する)ことができるのです。

そのようなびとにして、あるときは『寿りないものであって、である』ときます。 

いあいだかかって、ようやくったには、『うことはしいのだから、いまえたびをんで、らずむのですよ』とくこともあるのです。

はこのようにきいものであり、そのらしだすです。

また、寿であって、それはいあいだんで寿なのです。

ほんとうのめようとしているみなさんは、寿であり、であることをってはなりません。

もし、いをこすようないのがあれば、ってしまわなければなりません。 

は、すべてなのです。

べたにおいて、んでってしまったどもたちをすために、便をもって、んでいないのに『んだ』とげさせたことを、だれもとがめたりしないのとじように、姿えなくするのもしてうそ、りではありません。

です。

です。

さまざまなえるです。

いつものそばにいて、そのしみをこうとしているのですが、(てん)(どう)しているので、そのることができません。

そこで、そのまさせるために、はそばにいても『がくれば姿すのだ』とげるのです。

もし、いつでもえるのだということになれば、にわがままなじてする((おのれ)にとらわれる)ため、いの)やりの)などもろもろのしみがわれてくるのです。

のすべてをとおして、あるはよくじており、あるじていないということを()くしていますから、がけやえをするじて、び、さまざまにいてあげるのです。

とはいえ、どんなしても、しもわりません。どうしたられることができるだろうか、どうしたらやかにせしめることができるだろうかと、にそれのみをじているのです。

 

・補足

ここでとは、などによってられるということではありません。()(おん)(じつ)(じょう)は、のものをかしているですから、っておられます。そのしているのです。
 

(りょう)(じゅ)(せん)

かれたであったために、こうおっしゃられたのであって、は「この」ということです。たちがえをくところは、どんなであっても、そこがなのです。
 

()(こく)

国土ということですが、宇宙のありとあらゆるというにとらえるといいでしょう。
 

(まん)()()()

で、ばせずにはおかない、しいのことです。
 

でいうとは、ずしもいことをしたというだけではなく、されて、らのをくらましてしまっていることもいいます。
 

(みな)かず

 さまにうことも、さまのえにふれることも、えをめるれてもらうにもまれないということです。
 

()(こう)(てら)すこと

らしだすであるということは、いつ、いかなるでも、いのにいるいのえ、かせるきをするということです。したがって、すべてのめることができるというです。


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