2025年3月27日木曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 常不軽菩薩品第二十(その14)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-11/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

いましき。

()(おん)(のう)(なづ)けたてまつる。

(じん)()()(りょう)にして。

(しょう)(どう)したもう。

(りゅう)(じん)の。

するなり。

()

()きなんと(ほっ)せし

一人あり。

(じょう)()(きょう)(なづ)く。

(けい)(じゃく)せり。

()(いた)って。

(しか)(これ)ってわく。

(なんじ)しめず。

(なん)(だち)(どう)じて。

(みな)(まさ)()(ぶつ)すべしと。

(しょ)(にん)()(おわ)って。

(きょう)()()()せしに。

()(これ)(にん)(じゅ)しき。

()(つみ)()(おわ)って。

(みょう)(じゅう)(のぞ)んで。

()(きょう)くことをて。

(しょう)(じょう)なり。

(ゆえ)に。

寿(ぞう)(やく)して。

(また)(しょ)(ため)に。

()く。

(じゃく)(ほう)(しゅ)

(みな)の。

して。 

(じゅう)せしむることを(こうむ)る。

(みょう)(じゅう)して。 

()いたてまつる。 

()くが(ゆえ)に。

()(りょう)

(ようや)()して。

()ず。

()は。

(すなわ)()れなり。

()()(しゅ)の。

(じゃく)(ほう)(もの)の。

(なんじ)(まさ)に。

()(ぶつ)すべしというをきしは。 

()(もっ)て。

()いたてまつる。

()()

(しゅ)

幷及(ならび)

(しょう)(しん)()(にょ)の。

(いま)()て。

()れなり。

(おい)て。

()(すす)めて。 

()の。

(ちょう)(じゅ)せしめ。

(かい)()してえて。

(じゅう)せしめ。

()()(かく)(ごと)き。

しき。

(ごう)より。

()()()(いた)って。

(いま)し。

()くことを()

(ごう)より。

(いた)って。

()きたもう。

()(ゆえ)

(ほとけ)(めつ)()(おい)て。

(かく)(ごと)いて。

(しょう)ずることなかれ。

()()(いっ)(しん)に。

()くべし。 

()いたてまつりて。

()(じょう)ぜん。

 

・訳文

()(おん)(のう)というがおられ、すぐれた(みちび)かれました。 

びとも、びとも、たちも、ともにげておえしていました。

このされ、そのえもれられようとするころ、一人がいました。

(じょう)()(きょう)というでした。

そのころのたちは、えをして、それにとらわれていましたが、らのそばにってこううのでした。『はあなた(かろ)んじません。

あなたずることによって、となるだからです』と。

びとはのことを、いいかげんなことをうやつだとし、(ののし)り、いましたが、(かん)(よう)をもって、じっとそれをけとめました。 

からの(しん)ない)、()言葉)、())の(さん)(ごう)(きよ)()くして、このえようとするとき、えをくことができました。

そのためにもすっかりわれました。

そして、寿びたため、びとのためにまたえをきました。

(しょう)(ぼう)にとらわれていた(ひと)びとは、のおかげで(ただ)しく(きょう)()され、(ほとけ)(さと)りを(こころざ)すようになりました。

はそのによって、も、またでもにおいすることができました。

そして、そこでもこのえをけたために、はかりしれないほどのることができました。そのでまたにおいするというをくりすうちに、ついにはりにしたのです。

そのときのなのです。

そして(しょう)(ぼう)にとらわれていたたちは、(じょう)()(きょう)から『あなたになれるです』といつもかされていたために、そのによってくことができ、うことができました。

この(ほう)()には、たちがまっていていますが、じつは、あなたこそにおいてしたたちなのです。

は、において、あなたであるこのえをくことをめ、〈すべての(あら)われである〉というかせ、く〈〉のして、)に(いた)らせました。

そして、もいつのにあっても、このえをしたのです。

しかし、うことはなことではありません。 

(ごう)というえられないほどのがたち、(じゅく)して、めてくことができるからです。 (ごう)というばぬほどのて、ふさわしいばれてこそめてはこのえをおきになるからです。

そういうわけですから、したのちのたちよ、このえにつことなく、めてえをめてください。

そうすれば、そのによって、いつのにもうことができ、まわりをすることなくりにすることができるでしょう。


・補足

()(しゅ)

(()())、()()())、()()(そく))、()()())のことです。「()()」とうこともあります。
 

(にん)(じゅ)

りやじながらも、じっと()えるというではありません。むことなく、をもってけとめるということです。
 

には、とか、などというがよくてきますが、これらはをさすのではなく、「たくさん」とです。ですから、このというも「たち」とです。
 

()(つみ)()(おわ)って

するは、っていました。ときにはないをしたり、ったり、ったこともあったはずです。そうしたったないが、によって、すっかりめられたということです。


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