- 如是相 - あらゆる存在には、必ず持ち前のすがた(相)があります。
- 如是性 - (相)あるものには、それにふさわしい持ち前の性質(性)があります。
- 如是体 - (性)あるものには、それそのものの主体(体)があります。
- 如是力 - (体)あるものには、かならずそれにふさわしい(力)をもっています。
- 如是作 - (力)あるものには、かならずいろいろな作用(作)をおこします。
- 如是因 - (作)を起こせば、そこに、原因(因)が生じます。
- 如是縁 - いろいろな原因(因)がいろいろな条件(縁)で出会います。
- 如是果 - すると、いろいろな結果(果)でることになります。
- 如是報 - 結果(果)がでれば、あとに必ず何か(報)を残します。
- 如是本末究境等 - そして、これら9つ(本末)は、つまるところ(究境)、等しいものである。
2016年3月8日火曜日
十如是(じゅうにょぜ)
2016年3月6日日曜日
六波羅蜜(ろくはらみつ)
- 布施 - 精神的、物質的、肉体的にあらゆる面から人に尽くすこと。
- 持戒 - 謙虚に教えを守り、人格完成の努力をすること。
- 忍辱 - 他に対して寛容であり、どんな場合でも平静心を保つこと。
- 精進 - 本来の使命にむかって、人格完成の努力をすること。
- 禅定 - どんな事が起こっても動揺しない、平静心をえること。
- 智慧 - どんな場合でも、真理に沿った、正しい道を選ぶことができること。
2016年3月5日土曜日
十二因縁
- 無明 - 生まれてくる前の状態で、正しいものの見方を知らない無知の状態です。
- 行 - 無明よる業が、両親の行為を縁として母親の胎内に宿ります。
- 識 - 生けるものとしての誕生です。
- 名色 - 名は無形のもので「心」表し、色は有形のもので「体」を表します。
- 六入 - 名色が発達してくると、「眼」「耳」「鼻」「舌」「触覚」「第六感」がはっきりしてきます。
- 触 - 六入が発達して、触ることにより、自然にものごとを見分ける力が出てきます。
- 受 - すると、好き嫌いの感情が起こるようになります。これを「受」と云います。
- 愛 - 「受」が起これば、当然の流れとして「愛」が生まれます。この場合の「愛」は愛着や執着のことです。
- 取 - 「愛」が起これば、当然の流れとして愛するものを欲しかる「取」が生まれます。この場合の「取」は所有欲のことです。
- 有 - 所有欲から差別心が生まれることを「有」と云います。
- 生 - 差別心から争いが生じ、苦しい人生展開になることを「生」と云います。
- 老死 - 思い通りにならない苦しい人生を送っているうちに、老い、ついに死がやってきます。
2016年3月4日金曜日
八正道
- 正見 - 正しくものごと見る。
- 正思 - 正しく考える。
- 正語 - 正しく語り。
- 正行 - 正しく行為し。
- 正命 - 正しく生活し。
- 正精進 - 正しく努力し。
- 正念 - 正しく念じ。
- 正定 - 正しく心を定める。
2016年3月2日水曜日
2016年2月29日月曜日
無量義経
- 徳行品第一
仏さまの完全円満な「徳」と衆生済度の「行」を賛嘆申し上げる章です。 - 説法品第二
仏さまが「数かぎりない意味を持った教えは、ただ一つの真理(実相)から出てくるのだ」という「説法」をされる章です。
実相とは、すべてのものの真実の相であり、宇宙の大いなるいのちです。すべての存在は、大いなるいのちの現れであり、お互いに関係し合いながら大調和を保つのです。 - 十功徳品第三
仏さまが「この教えを理解実行すれは、以下のように第一から第十の精神的功徳がある」という「説法」をされる章です。- 第一の功徳不思議の力とは、以下のような心を起こさせます。
- 自分の考えだけで生きていると思っている者には、仏さまに生かされるという心を起こさしめ。
- 自分の幸福だけしか考えない者には、他人を幸せにしてあげたいという心を起こさしめ。
- 平気で殺生したり、人を苦しめる者には、人を助けたいという、すべてのものを慈しむ心を起こさしめ。
- 嫉妬を生ずる者には、随喜の心を起こさしめ。
- 財産や地位に執着する者には、執着を捨てる心を起こさしめ。
- いつも欲深い者には、人に施す心を起こさしめ。
- 自分は偉い、間違いないと奢り高ぶる者には、謙虚な心を起こさしめ。
- すぐに腹を立てたり、人を恨む者には、何かされても耐え忍ぶ心を起こさしめ。
- 怠けぐせのある者には、一生懸命に努力する心を起こさしめ。
- 変化があるとすぐグラグラ心が乱れる者には、現象に惑わされない静かな安定した心を起こさしめ。
- 目の前の出来事にすぐ愚痴をいう者には、智慧のある心を起こさしめ。
- 人を救ってあげたいと思わないものには、人を救ってあげたいと思う心を起こさしめ。
- 十悪を行う者には、十善の心を起こさしめ。
- 何事も自分中心に考える者には、自然に自分中心に考えない心を起こさしめ。
- いつも後ろ向きに考える者には、つねに前向きに考える心を起こさしめ。
- 煩悩に基づいて行動してしまう者には、煩悩から離れる心を起こさしめ。
- 煩悩が大変多い者には、煩悩を取り除く心を起こさしむ。
- 第二の功徳不思議の力とは、教えの一部を理解しただけでも、それが無限に展開していくことを悟り得ることができる。
- 第三の功徳不思議の力とは、自分はまだ悟っていなくても、ほかの人を救うことができる。
- 第四の功徳不思議の力とは、いつも諸仏の慈愛に手厚く護られているということが実感できる。
- 第五の功徳不思議の力とは、自分はまだ煩悩に縛られていても、大菩薩と同じような行いを実現することができる。
- 第六の功徳不思議の力とは、すべての人の人生苦を断ち切ってあげることができる。
- 第七の功徳不思議の力とは、六波羅蜜という法の宝を求めないのに、ひとりでに身についてくることができる。
- 第八の功徳不思議の力とは、この経典を敬い信じ、人々のために説いてあげることができる。
- 第九の功徳不思議の力とは、前世の業を滅し尽くすことができる。
- 第十の功徳不思議の力とは、善をすすめ悪をとどめるはかり知れないほどの大きな力を得ることができる。
- 第一の功徳不思議の力とは、以下のような心を起こさせます。
2016年2月28日日曜日
大乗、小乗、一乗
- 大乗 - 大きな乗り物の意味で、沢山の人を救うということ。
- 小乗 - 小さな乗り物の意味で、大乗側からのさげすんだ呼び方。
- 一乗 - 一人の乗り物の意味でなく、ずばり、法華経そのものです。
2016年2月26日金曜日
声聞、縁覚、菩薩
- 声聞 - 仏の教えを学ぶことで、煩悩から離れようとして修行する人。
- 縁覚 - 仏の教えを自らの体験で、煩悩から離れようとして修行する人。
- 菩薩 - 仏の教えを沢山の人に広め、煩悩から離れようとして修行する人。
2016年2月24日水曜日
真理、法、仏、法身の釈迦、諸法実相
2016年2月23日火曜日
2009年1月22日木曜日
釈尊物語 第17話:現代釈尊(今の仏教)
当時の混乱した社会の中で、軍事力もった、増大した仏教勢力を、信長と秀吉は大弾圧をします。
その後、江戸幕府も、寺の軍事力を削ぐため、寺に関する厳しい統制をかけ、江戸幕府は、仏教そのものを国教(寺請制度)としました。
事実上、国教になったことにより、すべての僧侶が幕府の官僧となり、
この結果、僧侶たちは、生活が保障され、布教のために信者を獲得する必要がなくなったのです。
そして、僧侶たちの仕事は、葬式と法事にお経を唱える葬式仏教となってしまったのです。
現代もその流れで、現在に至っているわけです。
しかし、伝統的な仏教とは別の流れとして、新しい仏教教団が大正、昭和の時代に登場します。
それは、本来の仏教の復活でもありました。
2009年1月21日水曜日
釈尊物語 第16話:滅後釈尊(その後の仏教)
仏滅後、仏教は13世紀初頭までインドで栄えましたが、回教徒(イスラム軍)のインド侵入により仏教は滅亡しました。
しかし、大乗仏教は東へ東へと、中国、朝鮮半島、日本へと伝わり、小乗仏教(上座部仏教)はスリランカから東南アジア諸国に伝わりました。
大乗仏教の成立は、西暦元年前後で、その後、大乗仏教を理論体系にまとめた『中論』のナーガールジュナ(龍樹)や唯識仏教のアサンガ&ヴァスバンドゥ兄弟を輩出しました。
また、中国では三蔵法師玄奘や鳩摩羅什が大乗仏典を漢訳して、それが日本に伝わりました。
ちなみに、お経を読んでいて観世音菩薩が出てきたら鳩摩羅什訳で、観自在菩薩が出てきたら玄奘訳だそうです。
仏教が伝わったといっても、仏教の経典の数は5000以上もあり、当時の高僧達がこれはと信じたものが広まりました。
ちなみに、今の日本には以下のような宗派があるようです。
- 天台宗(最澄)- メインは法華経(しかし、密教、禅、戒律、念仏もサブメイン)
- 真言宗(空海)- メインは密教(即身成仏が目標で、口で呪文を唱え、手に印を結び、心は大日如来を思う)
- 律宗(鑑真)- メインは戒律(五戒:不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒)
- 浄土宗(法然)- メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって救われる)
- 臨済宗(栄西)- メインは禅(禅で真実の自己をみつければ、慈悲の心にかなう生き方が出来る)
- 曹洞宗(道元)- メインは禅(難しいことは考えず、したすら坐禅をすることで仏と一つになれる)
- 黄槃宗(隠元)- メインは禅と念仏(念仏と禅を組み合わせた念禅一致で浄土にいたることが出来る)
- 真宗(親鸞) - メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって極楽浄土することを約束)
- 日蓮宗(日蓮)- メインは法華経(南無妙法蓮華経を唱えて、法華経の教えを実践することにより救われる)
- 時宗 (一遍)- メインは念仏(念仏踊り、盆踊りの起源)
- 融通念仏宗(良忍)- メインは念仏(一人の念仏がすべての人の念仏と融けあい、その功徳がその人に帰ってくる)
- 法相宗(玄奘)- メインは唯識(一切のものは自分の心から生じたもので、自分の心をきれいにすることで悟りにいたる)
- 華厳宗(良弁)- メインは毘廬遮那仏(奈良の大仏)(一微塵のなかに全世界が反映し、一瞬のうちに永遠の時間が含まれている)
以上のように、法華経系、密教系、戒律系、念仏系、禅系、その他系に分かれ、法華経系以外は、仏教のある一つの教え、
例えば、陀羅尼、戒律、念仏、禅、唯識等を各々デフォルメして各々発展しているのかなぁ・・・と思う次第です。
すべての教えの仏教全般をフォローしているのは、法華経だけかも・・・。
しかし、とにかく、法華経系以外の宗派を評するほど、仏教に詳しくないです。すみません。
2009年1月20日火曜日
釈尊物語 第15話:番外釈尊(釈尊の呼び名)
み仏けさまこと釈尊のお名前の呼び名は、実は沢山ありますね。
- ゴータマ
- シッダールタ
- 釈迦牟尼世尊
- 釈尊
- 世尊
- 釈迦牟尼如来
- 如来
- 釈迦
- お釈迦さま
- 仏陀
- ブッダ
- 仏さま
- み仏さま
- 釈迦牟尼仏
ここで少し、解説してみます。
今から、2千5百年前にカピラバスト云う国の王子として生まれた釈尊は、ゴータマ・シッダールタと名づけられました。
シッダールタとは、『すべてののぞみを成就するもの』という意味だそうです。
カピラバスト国は、シャーキャ族(釈迦族)という民族の国でした。
釈迦族は、今のインド人の大部分を占めるアーリア系白色人種でなく、
日本人に似ている蒙古系の黄色人種であったと云われています。
釈尊は、釈迦族出身の聖者(ムニ)で、『世に比類なき尊いお方』のバガヴァン(世尊)の称号で呼ばれていました。
つまり、釈迦牟尼世尊です。それを略して釈尊や世尊と言われています。
また、釈迦は、ご自分のことを『真如から来たもの』の如来といっていたそうです。
つまり、釈迦牟尼如来です。
ちなみに、真如とは、宇宙のあらゆるものごとを存在たらしめている大本の法のことで、無生、無滅、無始、無終のもの。
実は、当時『釈迦』といった場合は、釈尊でなく釈迦族を指したそうですが、今では、釈尊のことですね。
もちろん、『お釈迦さま』も。
また、釈尊は、お悟りを開かれたので『真理を悟った人』と言う意味の仏陀(ブッダ)と呼ばれ、仏さま、または、み仏さまと言われています。
つまり、釈迦牟尼仏です。
これで、とりあえず、上記の名前はすべて説明がつきました。
2009年1月18日日曜日
釈尊物語 第14話:総括釈尊(真の仏教とは)
今回、釈尊の一生を見てきたわけですが、ここに僭越ながら、仏教素人の私の感想(ある意味悟り)を述べてみたいと思います。
仏教はご存知の通り、八万四千の法門があり、経典は約1700種あると言われています。また、宗派も沢山あるわけです。
これは、釈尊の時代には、教えを書物にする習慣(技術?)がなく、随宜説法の内容を口づてに伝えられました。
それを釈尊が入滅したのち、弟子達が思い思いに本にまとめたものが、経典となったのです。
したがって、すべての経典の内容は、ほぼ間違いなく釈尊の教えだと思うのですが、それにしても多過ぎます。
そこで、教えの真髄中の真髄を私なりに推察すると、お悟りと初転法輪のときの2つのメッセージに帰するのかなと思うのです。
一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。
如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。
まず語句を解釈します。
『如来の智慧と徳相』とは、如来は仏様の別名で、智慧と徳相とは、性質です。したがって、仏性となります。
『妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず』は、何に対しての妄想・執着かというと自分自身のからだということです。
上記を踏まえて意訳しますと。
すべての人は、仏性を持っている。仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』である仏性を持っていることを証れ得ないでいるのだ。
苦行と怠けの2つの極端を捨て、真理に合った道を悟ったのである。そして、八正道を実践すると自然と真理に合って来るのです。
とりあえず、これから先は、まだ、悟りえず・・・・・・。
しかし、これだけは、確かなようです。そう、幸せになるための『正しい行い』です!
2009年1月17日土曜日
釈尊物語 第13話:入滅釈尊(大いなる死)
釈尊は、29歳で出家され修行し、35歳でお悟りを開かれ(成道)、80歳で入滅する(亡くなる)までの45年間、仏法の布教伝道に邁進しました。
仏伝では、初転法輪前後と入滅直前あたりは、順を追って分かるのですが、それ以外の事柄は、2500年前のことなのでわかりません。
しかし、天台大師や後世の学者が、ほぼすべての経典を読破し、成道直後に華厳経、つぎに阿含経、方等経、般若経と説かれ、涅槃の8年前から法華経が説かれ、最後に、涅槃経を入滅直前の一日一夜の説法とのことと解明されました。
さて、入滅の涅槃ですが、直前に2つのエピソードがありました。
一つ目は、ほとんど絶望を思われていた釈尊が、幸い小康を得られた時に、熱心な信者のチュンダが、ご供養した食事の茸に中毒され、ご容体がにわかに悪化し、それを知ったチュンダは、物凄く後悔しました。
しかし、釈尊は『チュンダの供養した食事が、私の最期を早めたからといって、何も悔やむことはありません。
私が成道する前に、スジャータという娘が食事を供養してくれましたが、今入滅しようという際のこの食事も、それと同じように大きな功徳があるのです。』とおおせられ、チュンダの心を救ったとのことです。
2つ目は、いよいよ寿命が尽きることをお悟りになった釈尊のもとへ、スッパダという異教の行者が『真の悟りに至る道』の教えを請いに来ました。
釈尊の弟子達は、ご臨終に近い釈尊をわずらわしてはならぬと思い、断ると、その押し問答を聞かれた釈尊は、『道を聞きに来た人を拒んではなりません。』と八正道をお説きになったそうです。
そして、スッパダは、そのお言葉に目がさめたようになり、釈尊の最後の弟子になりました。
そして、クシナガラという町の沙羅の木の間に床を用意され、頭を北にし、
右脇を下にした形で、お亡くなりになりました(享年80才)。最後のお言葉は、
すべての現象は、移り行くものです。怠らず努力することですよ!
とのことでした。
ここに人類始まって以来の最高の聖者は、まことに大いなる死を迎えたのでありました。
それは、日本暦に直して2月15日の夜半とのことでした。
ちなみに、仏教界ではこの日に涅槃会を毎年とり行っています。
ちなにみ、なぜ北枕にしたのかというと、一説では、足を自分の生まれた国の方向へ向けないためとのことです。
これは、大いなる放棄より、父母に対しての親不孝を、釈尊はいつも気にしていたとのことです。
2009年1月16日金曜日
釈尊物語 第12話:反逆釈尊(提婆達多反逆)
提婆達多は、釈尊の従弟で、年も同世代だったようです。
青少年時代は、学業もスポーツも共に大変優秀だったのですが、提婆達多は、両方とも釈尊に今一歩およびませんでした。
また、ひじょうに我の強い性格だったようです。
そんなことから、提婆達多は、釈尊に強いコンプレックスを感じていたようです。
出家後も、その強い我は直らなかったのです。
そして、大きくなった教団を牛耳ってみたいという気持ちを抑えることが出来ませんでした。
また、釈尊はもちろん、教団の幹部はみな神通力(超能力)を持っていました。
これは、仏道を真に修行すると自然と会得してしまうものなのです。つまり、神通力の会得は二次的なものなのです。
しかし、提婆達多は、すでに神通力を得ている比丘から、神通力だけを伝授してもらいます。
すると、仏道修行で長年抑えていた我が閾値を超え、釈尊何するものぞと、教団を乗っ取ろうと、釈尊の命を狙ったり、いろいろ企てます。
しかし、その企ては、すべて失敗し、自暴自棄になり、悪行を重ね、地獄に落ちたと仏伝にしるされています。
そんな提婆達多のことを、釈尊は、以下のように仰っております。
等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり
(仏の悟りを得て多くの人々を救うことができるのも、みんな提婆達多が善き友のお陰である)
これは、どういうことかというと、提婆達多反逆の苦を通して、自分自身が逆に成長できたということだと思います。
その結果、多くの人々を救うことができた・・・。
また、その奥には、法句経の『恨みに報いるに恨みをもってしない』があったのだと思います。
2009年1月12日月曜日
釈尊物語 第11話:布教釈尊(随宜説法)
雨期も過ぎ、約60人の釈尊教団は一人ずつ布教の旅に出ることになりました。
釈尊も、マガダ国へ向かいました。それは、マガダ国王と悟りを開いたら訪れると約束をしていたからです。
途中、森のなかで30人の若者に随宜説法で教化し、つぎに事火外道の三迦葉(うるびん・なだい・がや)の教団をまるごと教化して、
一挙に約1000人でマガダ国に入りました。
国王は、釈尊教団のために竹林精舎(霊鷲山の近く)を建立し、釈尊教団はとどまって修行の道場としたのです。
その後、阿説示が智慧者舎利弗を導き、舎利弗は友達の神通力目連と一緒に入団。
また、拈華微笑摩訶迦葉も釈尊が迎えるまま入団。
そして、ここに三大弟子が加わり、最強の教団が誕生したのでありました。
尚、随宜(ずいぎ)説法とは、相手にふさわしい適切な指導の手段(方便)で、その場その場で、随時よろしく、説法・教化することで。また、拈華微笑(ねんげみしょう)とは、釈尊と摩訶迦葉のとある有名なエピソードなのですが、今回は割愛、将来コンテンツに加えるつもりです。
その後、カピラバスト国へ帰郷したり、コーサラ国に祇園精舎を建立したりして、教団は益々大きくなっていきました。
釈尊の一族からも沢山の出家者が出ました。
阿難(従弟)、羅ご羅(実子)、阿那律(従兄)、耶輸陀羅比丘尼(妻)、摩訶波闍波提比丘尼(継母)、難陀(異母弟)、提婆達多(阿難の兄)。
中でも、提婆達多は、釈尊の永遠のライバルで・・・、つづく。
2009年1月11日日曜日
釈尊物語 第10話:教団釈尊(帰依三宝)
初転法輪後、ちょうど雨期だったので、釈尊と5人の比丘は、ベナレスに留まり、そして、ヤシャと云う青年を偶然に仏門に導きます。
仏法を会得したヤシャは、いきなり両親、妻をはじめ50人以上も導いて、釈尊教団が誕生しました。
ちなみに、両親、妻は、出家せず、はじめての優婆寒(男子の在家修行者)、優婆夷(女子の在家修行者)となりました。
釈尊教団に入るには、仏法を理解することはもちろん、つぎの3つの心構え(帰依三宝)の不動の決意が必要でした。
- 自ら仏に帰依したてまつる。
- 自ら法に帰依したてまつる。
- 自ら僧に帰依したてまつる。
仏とは、釈尊(宇宙の大生命)。法とは、仏法(宇宙の真理・法則)。僧とは、同信者の和(宇宙の大調和)。
普段、なにげなく、読経の前に帰依三宝を唱えていますが、結構重い意味があったのですね・・・。
2008年12月21日日曜日
釈尊物語 第9話:説法釈尊(初転法輪)
さて、梵天王に勧請され、説法することを決心しましたが、はじめに誰に説いてよいのか思案です。
いくら、方便を使って説くにも、ある程度機根のある人でないと理解してもらえない・・・。
出家時に師事したバラモンの仙人はもう亡くなっていますし、そうだ、かつて苦行を一緒にした5人にしよう。
5人は、200キロ先の鹿野苑(インドのベナレス)にいるのでそこに徒歩で行き、以下の5人をつかまえて、説法を開始しまた。
- 嬌陳如(きょうじんにょ)
- 跋提(ばつだい)
- 婆沙波(ばしゃば)
- 摩訶那摩(まかなま)
- 阿説示(あせつじ)
はじめは、苦行を途中でやめたゴータマ(釈尊の本名)の言う事なんか聞けるか・・・という態度でしたが、次第に釈尊の熱意にほだされ、歴史的な説法が始まったのです。
『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである』
これが、第一声でした。
その後、5人は、釈尊のお弟子になり、仏、法、僧がはじめてそろった、つまり、仏教が誕生した記念すべきイベントで、この説法を初転法輪と云います。
ちなみに、初転とは、はじめて転がすことで、法輪とは、法の車輪。(古代インドでは、りっぱな王には、巨大な車輪が授けられた。)
2008年12月7日日曜日
釈尊物語 第8話:方便釈尊(梵天勧請)
さて、悟りを開かれた仏陀こと釈尊は、初めの7日間は、その悟りを味わい。
あとの14日間は、とあることを考えていました。
それは、悟り得た難信難解な法を、世の人々に説いてよいものかどうか・・・。
本来、人々を救う法で、機根が低い人たちの場合は、逆に不幸にしてしまうこともあるだろう・・・。
説くべきか、説かざるべきか・・・。
その時、もろもろの梵天王や帝釈天・四天王などの多くの神々が、その眷属たちを引き連れて現れ、人々のために説いて頂きたいと請うのでした。
すると、釈尊は、過去の仏の示された方便力のことを考えつき、相手に応じて、それにふさわしい方法で、いろいろに説き分けることにしようと決心されたのです。
そして、釈尊は、梵天王に、こう仰いました。
『わたしは、あなたの勧請を受け入れ、甘露の法雨を降らせよう!すべての人々よ、神々も鬼神たちも、すべての耳のあるものは、この法を聞くがよい!』
これで、以来2500年の間、甘露の法雨が地上に降り続けることになるのです。つづく。