2024年11月15日金曜日

法華経あらましシリーズ(後半)

ブログだと投函した順番が逆順になってしまうので、正順で読める様にしました。

法華経あらまし後半15〜28品まで、一気にお読みください!

 

従地涌出品 第十五(法華経のあらまし)

他の世界からやって来た菩薩達が、仏の滅後に娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。
しかし、お釈迦さま、そのお申し出を次のようにお断りになりました。
「尊き志をもつ菩薩達よ。その必要はないのです。なぜなら娑婆世界には、あなた方の数をはるかに凌ぐ六萬恒河沙の菩薩がおり、その一人一人の菩薩にも六萬恒河沙の眷族がおり、彼らこそがこの地において法華経を護り、教えを広める使命を持つからなのです。」
この言葉が終わるやいなや大地は激しく振動して裂け、そこから計り知れない数の菩薩達が現れました。その姿はみなお釈迦さまと同様に三十二相という尊い人相をそなえ、全身は金色に輝き、光を放っていました。
この菩薩たちは、娑婆世界の下の虚空に住んでいたのですが、お釈迦さまのお説になったお言葉に応じて大地から湧き出してみもとに参ったのです。
その中に四人の大導師がおられました。その名を上行(じょうぎょう)菩薩・無辺行(むへんぎょう)菩薩・浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行(あんりゅうぎょう)菩薩といいました。(四弘誓願を参照のこと)
で、この光景をみていた古参の弥勒菩薩等は、どうも納得がいきません。お釈迦さまは、どうやって短い間にこれだけの沢山の菩薩達を教化されたのか・・・。
と云う感じで、その疑問は、そのまま法華経の神髄を解き明かすキーワードとして、「如来寿量品 第十六」へ引き続くことになります・・・。

 

如来寿量品 第十六(法華経のあらまし)

従地涌出品での疑問:『お釈迦さまは、どうやって短い間にこれだけの沢山の菩薩達を教化されたのか?』
答えのポイントは、輪廻です。答えは、良医の譬えの解説を参照願います。

そう、『すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。』

これが、法華経を毎日読誦して感じた、今のレベルでの私の法華経感です。
とにかく、仏は『永遠の命』こと『仏寿無量』で、これを信じきることが出来るか出来ないかが、法華経を理解するキーになるようです。

 

分別功徳品 第十七(法華経のあらまし)

この17番から28番までが、流通分と云われ、法華経を実践すれば、大変素晴らしい功徳のあることが説かれています。
この分別功徳品では、とにかく『仏寿無量(永遠の命)』を信解すれば、ものすごく大きな功徳があると説かれています。
たとえば、以下の感じです。
80万億那由他劫という長い長い間、五波羅蜜(六波羅蜜から智慧を除く)を行じてえる功徳は、大変なものですが、しかしそれでも、『仏寿無量』をほんの一念にでも信解することよって得られる功徳とくらべると、その百千万億分一にも及ばないそうです。つまり、『仏寿無量』の信解の方が百千万億倍も功徳があるのです。
ホントかよって感じですが、もしホントなら、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。

 

随喜功徳品 第十八(法華経のあらまし)

この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。
たとえば、法華経の伝言ゲームで、50番目の人が一偈でも信解したならば、その功徳は、宇宙のあらゆる生あるものに物質的&精神的に布施した功徳より大きいと・・・。
また、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
信じることから始まるらしい・・・。

 

法師功徳品 第十九(法華経のあらまし)

この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。
もし信仰心の深い男女が、法華経を信じ、読誦し、解説し、書写したとしましょう。その人は、以下のような功徳を得ることが出来るのです。

  • 『八百の眼の功徳』
  • 『千二百の耳の功徳』
  • 『八百の鼻の功徳』
  • 『千二百の舌の功徳』
  • 『八百の身の功徳』
  • 『千二百の意の功徳』


その功徳をもって、すべての感覚・知覚器官の作用を美しく。清らかなものにするでありましょう・・・と。
またまた、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
信じることから始まるらしい・・・。

 

常不軽菩薩品 第二十(法華経のあらまし)

仏の教えが形式化、そして、形骸化された時代に一人の菩薩がいました。その菩薩は、会う人ごとに、会う人ごとに、『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と言って賛嘆するのでした。
ところが、大勢の中にはそんなことを言われて腹を立て、石や瓦を投げつける者がいました。
すると、菩薩は走って逃げ、遠くのほうからまた同じセリフ『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と、大声で唱えるのでした。
そして、菩薩は一生の間、この行を続けたのです。すると、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)が清浄となって、虚空の中からひびいてくる声を聞くように法華経を自得したのです。
すると、寿命が2百万億那由他歳になり、広く人々のためにその法華経の教えを説きました。
で、解説です。この常不軽菩薩品では以下の3つがポイントです。

  • 真心から行じた、ただ一つの礼拝行だけでも実に尊いことで、それが救いの道に入る第一歩になる。
  • 逆に言うと、形式だけをいかに多く行じても真心から行じないと無価値である。
  • 仏性を礼拝することは、あらゆる人間の中にある仏性を認めることである。


あぁ、雨にも負けず風にも負けず、私は、常不軽菩薩でありたい・・・。

 

如来神力品 第二十一(法華経のあらまし)

この神力品は、法華経の総まとめの品と云われています。しかし、普通に(浅く)読むと、とてもそうとは思えません。舌を出したり、光を出したり、咳をしたり、指パッチをしたり・・・とか、そのどこが、神力なのだと思うわけです。また、仏なら神力でなくて仏力だろ・・・とか。だけど、それには、以下の意味があるらしい。

しかし、その前に復習です。法華経は、前半が『方便品』を中心とした智慧の教え(迹門の教え)で、後半は『寿量品』を中心とした慈悲の教え(本門の教え)です。これは、前半(迹門)と後半(本門)が別々のように思えてしまいますが・・・、実は・・・。

  • 『舌を出したり』とは、インドでは、自分の言ったことは真実であると云うことで、迹門を信じても、本門を信じても、実は一つなのだという象徴。(出広長舌)
  • 『光を出したり』とは、迷いの闇を打ち破ることで、迹門の原理も、本門の原理も、実は一つなのだという象徴。(毛孔放光)
  • 『咳をしたり』とは、声を出し教えを説く象徴のことで、迹門の教えも、本門の教えも、実は一つなのだという象徴。(一時謦がい)
  • 『指パッチをしたり』とは、インドでは承知しましたと云う事で、迹門の教えを広めることを承知した人も、本門の教えを広めることを承知した人も、実は一つなのだという象徴。(倶共弾指)

このように如来(釈尊と菩薩)が『一時謦がい』『倶共弾指』をしたら以下のようなことが起こりました。

  • 天地のあらゆるもの心が感動した。(六種地動)
  • 普くすべてのものがこの大会を見ることができた。(普見大会)
  • 諸天善神が法華経を説いた釈尊を供養すべしと空中から唱声した。(空中唱声)
  • 空中唱声を聞いて、必ずすべての人が釈尊に帰命する。(感皆帰命)
  • 花、香、瓔珞等が美しい帳に変じて如来の上に覆った。(遥散諸物)
  • すると、宇宙空間(十方世界)が一つの仏土になった。(通一仏土)

そして、この

  1. 出広長舌
  2. 毛孔放光
  3. 一時謦がい
  4. 倶共弾指
  5. 六種地動
  6. 普見大会
  7. 空中唱声
  8. 感皆帰命
  9. 遥散諸物
  10. 通一仏土


これが、『如来の十大神力』と云われています。

そして、この『如来の十大神力』を踏まえ、法華経の総まとめの句がつぎに示されます。

『如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘蔵の蔵・如来の一切の甚深の事・皆此の経に於て宣示顕説す。』

とにかく、如来の一切の『正法』『衆生救済力』『秘密の教え』『修行の実践方法』が、すべてこの法華経に注ぎ込んでいると宣言しているのです・・・。あぁ、なんて有り難い、合掌。

 

嘱累品 第二十二(法華経のあらまし)

釈尊は、法座より起き上がり、菩薩達の頭を撫ぜながら、この法華経の広宣流布を託します。と述べられ、とりあえず、この品で法華経は、ひとまず終わりを迎えます。

では、後の薬王菩薩本事品から普賢菩薩勧発品までは、何かというと、
一編一編が一つの短編ストーリーになっていて法華経実践の大切さを説いています。まぁ、法華経の駄目押しですかね・・・。 

 

薬王菩薩本事品 第二十三(法華経のあらまし)

薬王菩薩の沢山の前世のお話で、体を燃やしたり、両腕を燃やしたりして仏を供養したお話です・・・。
・・・その時、宿王華菩薩が釈尊におたずねになりました。
『薬王菩薩というお方は、どのようにして、大変素晴らしい働きがおできになるようになったのでしょうか・・・・・・そのことを知ったら、みんな歓喜することでございましょう!』
その問いにたいして釈尊は、次のようにお答えになりました。
『遠い遠い昔、日月淨明徳如来という仏さまがいました。仏さまは、一切衆生憙見菩薩をはじめとするもろもろの菩薩、声聞に法華経の教えをお説きになりました。』
『すると一切衆生憙見菩薩は、法華経を1万2千年の間、一心に修行して、高い境地に達し、大いに歓喜し、仏恩にお報いする大きな力を得て、一切衆生を救いたいと思い、日月淨明徳如来と法華経を供養するため、自分自身に火をつけ、80億恒河沙の広い世界の普く闇を照らし出したのです。』
『燃え尽きて、一度亡くなった一切衆生憙見菩薩ですが、再度、生まれてきて、今度は、両腕を燃やして供養しました・・・とさ・・・。』
『さて、あなたは、どう思いますか。この一切衆生憙見菩薩は、ほかでもありません、今の薬王菩薩の前身なのです・・・』
ここで解説です。
とにかく、法華経の実践には、いろいろありますが、中でも身の布施が一番尊いということの本事です。
ちなみに、本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。
そして、釈尊は宿王華菩薩へ法華経の実践の功徳を『十二論の利益』の譬えにしておおせになりました。

1、池の清らかな水を飲んで、喉の渇いた者が満足するように。
2、寒さに震えていた人が、暖かい火を得て生き返ったように。
3、裸の人が、着物をえたるがように。
4、商人が、主のものをえたるがように。
5、子が、母をえたるがように。
6、渡りに、船をえたるがように。
7、病に、良い医者をえたるがように。
8、暗に、灯火をえたるがように。
9、貧乏に、宝をえたるがように。
10、民に、王をえたるがように。
11、貿易者に、平穏な海路をえたるがように。
12、たいまつの灯かりが、暗を除くように。

とにかく、法華経を実践すると、何かと、事(お手配)がスムーズに行くのですよ・・・いや、ホントに不思議や!
そうそう、この品には、念仏で有名な阿弥陀仏が登場します。
『仏滅後、5百歳の中の世に、もし女人があってこの経典を聞いて修行したならば、その世の生を終えた後、阿弥陀仏のいる安楽世界の蓮華の寶座の上に生まれ変わるでしょう!』
なぜ、女人なのかは、謎ですが・・・。
 
 

妙音菩薩品 第二十四(法華経のあらまし)

理想の世界からやって来た妙音菩薩のお話です・・・。
・・・釈尊は、突然、眉間から光を出し、宇宙のあらゆる世界を照らしました。
すると、淨光荘厳という理想の世界いる三昧神通力を具えられた妙音菩薩がそれを察知し、この光から、非常に徳の高い方と分かりましたので、娑婆という現実の世界へ、釈尊(仏)と法華経(法)と菩薩達(僧)を供養しにやって来たのでした。
妙音菩薩は、過去世に一万2千年間、美しい音楽(プラス言葉で仏を称える)を奏し、8万4千の数(経典数)の七宝の鉢をささげ、仏を供養しました。
その結果、淨光荘厳という理想世界に生まれ変わり、三昧神通力と三十四身を得たのです。
ここで解説です。
理想世界は、もちろん尊いものですが、あくまでも頭の中で考えられている間は、その価値が生きてきません。それを現実世界の生活の中に一つ一つ実現していくことにこそ、本当の価値がいきてくるのです。
そして、つまるところ、この品は、理想世界の代表である妙音菩薩が、現実世界での理想世界具現者:釈尊を讃嘆しているのです。

    理想は、それを一歩ずつでも現実化してこそ尊いのである。

ちなみに、妙音菩薩は身長が4万2千由旬です。これをキロメートルにすると・・・。・・・一由旬が約四十里で、一里が約3.9キロメートル、よって、42000*40*3.9 = 6552000で6百55万2千キロメートルもあります。驚きです。

妙音菩薩の三十四身
妙音菩薩は三十四身で自由自在に法を説きました。
01.梵王/ 02.帝釈/ 03.自在天/ 04.大自在天/ 05.天大将軍/ 06毘沙門天/ 07.転輪聖王/ 08.諸の小王/ 09.長者/ 10.居士/ 11.宰官/ 12.婆羅門/ 13.比丘/ 14.比丘尼/ 15.優婆寒/ 16.優婆夷/ 17.長者の婦女/ 18.居士の婦女/ 19.宰官の婦女/ 20.婆羅門の婦女/ 21.童男/ 22.童女/ 23.天/ 24.龍/ 25.夜叉/ 26.乾闥婆/ 27.阿修羅/ 28.迦楼羅/ 29.緊那羅/ 30.摩羅伽/ 31.人/ 32.非人/ 33.苦難にあえぐ人 34.後宮の女身
 
 

観世音菩薩普門品 第二十五(法華経のあらまし)

観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・、実は、観世音菩薩みたいになりましょうということらしい・・・。
・・・南無観世音菩薩を唱えれば、三毒(貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ))、四苦(生・老・病・死)、七難(火難・水難・風難・剣難・鬼難・獄難・盗難)を滅し、さらに願う通りの子を得ることができるという・・・。
しかし、こんな拝み信仰じゃ、いままで序品から説かれていた法華経は、なんだったのかということになりますね。これらの観音力は、確かにこの品に書かれています。でも、浅い理解なのです。
本当は、無尽意菩薩が偉大な救済力(観音力)をもつ観世音菩薩を供養しようとして、瓔珞(首飾り)をさしあげましたが、しかし、受けとっても、首にかけず、それを2つにして、釈尊と多宝如来に捧げました。これは、偉大な救済力である観音力の元は、真理を教えられた釈尊と、その真理を証明された多宝如来のおかげであるということの表明なのです。
つまり、救いの本質は、ある外側の力によって目の前の苦難から逃れることではなく、久遠実成の本仏のみ心に沿い、そこに周囲との調和がうまれ、みんなが救われることにあるのです。
また、観世音菩薩普門品の観世音とは、世の人々の声(音)を見(観)分けることで、菩薩とは、手本として仰ぐべき方で、普門とは、相手に応じていろいろ姿(三十六身)をかえて、平等に真理の門に引き入れることです。
とにかく、観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・ではなく、真に観世音菩薩を念じるとは、慈悲をもって苦しみあえぐ人の声(世音)を感知し聞き入れ(観)、観世音菩薩のようになりましょうということです。

観世音菩薩の三十六身
ちなみに、妙音菩薩は三十四身でしたが、観世音菩薩は三十六身で自由自在に法を説きました。数はあまり気にしなくてよく、とにかく、いろいろな人を救うために身を現じて法を説く、ということです。
01.仏身/ 02.辟支仏/ 03.声聞/ 04.梵王/ 05.帝釈/ 06.自在天/ 07.大自在天/ 08.天大将軍/ 09毘沙門天/ 10.転輪聖王/ 11.小王/ 12.長者/ 13.居士/ 14.宰官/ 15.婆羅門/ 16.比丘/ 17.比丘尼/ 18.優婆寒/ 19.優婆夷/ 20.長者の婦女/ 21.居士の婦女/ 22.宰官の婦女/ 23.婆羅門の婦女/ 24.童男/ 25.童女/ 26.天/ 27.龍/ 28.夜叉/ 29.乾闥婆/ 30.阿修羅/ 31.迦楼羅/ 32.緊那羅/ 33.摩羅伽/ 34.人/ 35.非人/ 36.執金剛神

陀羅尼品 第二十六(法華経のあらまし)

薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天王、持国天王、十羅刹女等が法華経の説法者を守護するため呪文(神呪、陀羅尼)を唱えました。

『あに まに まね ままね しれ しゃりて しゃみや しゃびたい せんて もくて もくたび しゃび あいしゃび そうび しゃび・・・・・・』


この神呪は、神々の名もしくはその異称の呼びかけであるということです。また、神呪を唱えることにより、善をよく身にたもち、悪をおしとどめて、発しせしめない・・・とのことです。
ではなぜ、法華経説法者の守護が必要なのかというと、法華経は真の善の教えなので、悪の教えや、見かけ上は善の教えの勢力などから迫害を受けやすいとのことです。
そして、神呪に守られた法華経説法者に、迫害をくわえることは、神々に迫害を加えるのと同じで・・・後は推して知るべし・・・です。
ちなにみ、毘沙門天王、持国天王は、他教(バラモン教)の神々で、羅刹女とは、鬼女のことです。つまり、他教の神々や鬼女までもが、法華経説法者の守護を願って、神呪を唱えてくれたのです。
これは、法華経の教えが、万教をも包容し、また、鬼女たちをも平等に成仏させる力をもっていることの証しです。
また、鬼女の中に鬼子母もいました。これは、法華経の主な登場人物の鬼子母と十羅刹女を参照願います。(しかし、鬼子母と十羅刹女・・・・・・どんなにやさしい女の人でも、たまに垣間見る性質のような気がします。やばい書いてしまった・・・)
とにかく、陀羅尼(ダラニ)は、法華経説法者からみれば、いろいろ守護してくれる有り難い神呪なのです。合掌。
 
 

妙荘巌王本事品 第二十七(法華経のあらまし)

薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話で、王様の父を教化するお話です・・・。
・・・そのとき釈尊は、もろもろの大衆に薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話を語り始めました。


はるかはるかな遠い大昔に、雲雷音宿王華如来という仏さまと妙荘巌王という王さまがいました。
王さまの夫人は、淨徳と言い、また、淨蔵(前世の薬王)と淨眼(前世の薬上)と言う2人の王子がいました。
淨蔵と淨眼は、六波羅蜜を行じ、仏教を信仰しておりました。
しかし、王さまの父は、邪教を信仰しており、2人はなんとか正しい教えの仏教へ改宗してもらいたいと思っていました。
そこで、2人は母に相談しました。すると母は、父へびっくりするような信仰の証しの奇跡をみせれば、改宗できるでしょうとアドバイスをされました。
2人は母のアドバイス通りにいろいろな奇跡を父の前で演じ、父の妙荘巌王を改宗させました、とさ・・・。


で、本品のポイントは、身近な家族の教化の難しさと、指導的立場の人(王様等)の教化の難しさで、それらの人を教化するには、法華経を頭で理解してもらうだけでなく、自ら身を持って示さなければならないということです。
ちなみに、妙荘巌王本事品(みょうそうごんのう ほんじほん)の本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。

 

普賢菩薩勧発品 第二十八(法華経のあらまし)

最後の最後に大菩薩団を引き連れて娑婆世界に釈尊の説法を聞きに来た大物菩薩の普賢菩薩と釈尊(お釈迦さま)の問答です。
はじめに、普賢菩薩はお釈迦さま(釈尊)へ『仏滅後、どうしたら法華経の真の功徳を得ることができるのでしょうか』とお尋ねになりました。
すると、お釈迦さまは普賢菩薩へ、以下の『四法成就』、を実践すれば、真の功徳を得ることができましょう・・・と、お答えになりました。


  1. 諸仏に護念されているという絶対の信念を持つこと。(仏さまを信じきる)
  2. もろもろの徳の本(もと)を身に植えること。(いつも善い行いを心がける)
  3. 正しい教えを実践する人々の仲間にはいること。(正しい信仰者の仲間に入る)
  4. 一切衆生を救おうという心を起こすこと。(いつも人のために尽くす)

 

 それをうかがった普賢菩薩は、感激して次のように申し上げました、
『法華経行者がどこにいても、六牙(六波羅蜜の象徴)の白象王(実践の象徴)にのって応援し守護したいと思います!』
と、お釈迦さまの許可をえて、法華経行者を守護するために陀羅尼(神呪)を説きました。
 

『あたんだい たんだはだい たんだはて たんだくしゃれ たんだしゅだれ しゅだれ しゅだれはち ぼっだはせんね さるばだらに・・・・・・』

 

お釈迦さまは、満足そうにうなずかれ、今度は具体的な功徳についてのべられました。

  • 世俗的な楽しみを貪ったり、とらわれたりすることがなくなる。
  • 仏教以外の教えや本に、はまりこんでしまうことがなくなる。
  • また、その著者や悪人に心を奪われることがなくなる。
  • 肉屋、猟師、女色系の職業に、親しく近づくことがなくなる。
  • この人は、心が素直で、ものの考え方が常に真理に一致していて、福の徳で人を幸せにすることができる。
  • 貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ)の三毒に悩まされることが無い。
  • また、嫉妬・我慢・邪慢・増上慢に悩まされることが無い。
  • 少欲知足で普賢菩薩のように法華経の教えを行じられる。

そして、この普賢菩薩勧発品の説法を聞いた無数の菩薩は、百千万億人に展転する善をすすめ悪をとどめる大きな教化の力を得て、普賢菩薩とおなじような、徹底した実践力を身に具えることができました。
このようにして、ここに法華経のすべての教えを聞き終えた、普賢等の諸々の菩薩、舎利弗等の諸々の声聞、及び諸々の一切のギャラリーは歓喜し、仏語を受持し、お釈迦さまを礼拝し、去っていきました。
ちなみに、普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつ かんぼっぽん)の勧発とは、元気づけとか励ましという意味です。
 
 

法華経の神髄

法華経をいろいろ勉強してまいりましたが、おぼろげながら、その神髄が見えてきました。

それは、ズバリ! 『因縁果報(縁起)』と『正しい生活』です。

要は、正しい生活をして(因)、良い(縁)が沢山出来、人生苦が消滅(果)して、幸せ(報)なる。

そして、正しいとは、真理(法)にそった、とういうことです。

人は、良因を積むことで、宇宙の調和と共振し、いつでもどこにでも、法身の釈迦を見ること、感じることが出来るようになる。

すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。

つまり、仏になっていくこと、言い換えれば法華経の実践こそが、宇宙の調和であり、世界平和実現の礎になる。とまぁ、法華経の神髄とは、こんなところですか、たぶん。

 

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