2024年11月17日日曜日

わかりやすい法華七喩

法華七喩(ほっけしちゆ)とは、法華経に説かれる7つの譬え話です。

法華七喩は次のとおりです。

  • 三車火宅の譬え(譬喩品)
  • 長者窮子の譬え(信解品)
  • 薬草の譬え(薬草喩品)
  • 化城宝処の譬え(化城喩品)
  • 衣裏繋珠の譬え(五百弟子授記品)
  • 髪中の譬え(安楽行品)
  • 良医の譬え(寿量品)

     

    三車火宅の譬え

    妙法蓮華経譬諭品第三に出てくる譬え話しです。

    物語

    ある国のある町に、大きな長者がいました。 その家やしきは広大なものでしたけども、門はごく狭いのが一つしかありませんでした。 しかも、家は大変荒れはてていました。

    ある日、その家が突然火事になりました。 家の中には、長者の子供達が大勢いて、夢中で遊びたわむれていて、火事に全く気づきません。 長者は、大声で知らせますが、全く聞こえてくれません。 その時、長者は、ふと子供達が車を欲しがっていたことを思い出しました。

    そして、火事のことではなく、つぎのように呼び掛けたのです・・・。

    『おまえ達の好きな、羊のひく車(羊車)や、鹿のひく車(鹿車)や、牛のひく車(牛車)が門の外にあるぞ、早く行ってとりなさい!』

    すると子供達は、その言葉を聞いて正気にもどり、われ先にと燃えさかる家から出て助かることができました。 長者が、子供達が助かって安心していると、子供達は、口々に約束の車をせがみます。 すると、長者は、子供達が欲しがっていた車ではなく、大きな白牛のひく大変豪華な車(大白牛車)をみんなにひとしく与えたのでありました・・・。

    解説

    父の長者は、いうまでもなくお釈迦さまです。 子供たちは、われわれ凡夫です。 荒れはてた家は、現実の人間社会です。 火事は、われわれの煩悩をさしています。

    われわれ凡夫は、物質、肉体などにとらわれて、なかなか苦しみからのがれられません。 そこで、お釈迦さまは、いろいろな教えをお説きになりました。 まずは、声聞(羊車)で、とにかくお教えを聞きなさい。 つぎに、縁覚(鹿車)で、とにかくお教えを体験しなさい。 最後に、菩薩(牛車)で、とにかくお教えで沢山の人をお救いしなさい。 などなどです。

    そして、この3つ(三乗)の教えを実践して、人格を高めて歩んでいけば・・・、ある一つの真理(大白牛車)にたどり着くのです・・・。

     

    長者窮子の譬え

    妙法蓮華経信解品第四に出てくる譬え話しです。

    物語

    幼い時に父(長者)の屋敷をさまよいい出て、ゆくえも知らず50年・・・、放浪しながら他国で貧乏な暮らしを続けいた、一人の貧しい子(窮子)がいました。

    そして、放浪で知らないまま本国へもどり、偶然、父とは知らず父の立派な屋敷の前で再会しました。 父親は、すぐ我が子だと気づきましたが、窮子は気づかず、立派な父に畏れをなしてしまい、屋敷から立ち去りました。

    しかし、父親は、使用人へ窮子と同じような貧しい恰好をさせて近づきさせ、屋敷で働くように仕向けました。 そして、窮子は、屋敷で働くようになりました。

    父親は、始めお便所掃除などの汚れ仕事から徐々に財産の管理などの重要な仕事へと段階的に導きました。 窮子も、始めの卑屈な心から次第に菩薩のような心へと段階的に変化していったのです・・・。

    そして、父親は臨終間じかに、大勢の人の前で、この窮子は私の実の子ですと真相を明らかにしました。 窮子は、昔の極貧の境遇と、それに甘んじていた志の低さにくらべ、父の莫大な財産を得た身の広やかな思いは、生まれてはじめて味あう喜びでありました・・・。

    解説

    もちろん、父親(長者)はお釈迦さまの喩えで、そして、窮子はわれわれ凡夫の喩えです。 お釈迦さまは、われわれ凡夫が、志の低いところから徐々に高い所に導いて、最後にはすべての人が、最高の境地で達することができるのです。と説かれました。

    そして、父親(長者)の言うことを信じ、理解して、窮子は父親(長者)の後を継ぎ、最高の境地を手に入れたのです・・・。 

     

    薬草の譬え

    妙法蓮華経薬草諭品第五に出てくる譬え話しです。

    物語

    この地上には、いろいろさまざまな草木が生い茂っています。その草木は、大きさにも大・中・小があり、性質もすがた形も、千差万別です。 しかし、すべての草木に共通していることは、ひたすら雨のうるおいを欲し求めていることです。 そして、雨は、どこにでも、どの草木にも、同じように平等に降りそそぎます。ところが、それを受ける草木の方では、その大小や種類の相違によって受け取り方が違ってきます。

    仏の教えと衆生との関係もこれと同様であることを知らなければなりません・・・。

    解説

    この譬えは、差別相と平等相について述べています。

    人々の天分や性質は、一人ひとり違います。生い立ちも、健康も、環境も、職業も、それぞれ違います。 そういう様々な条件の違いがあるため、人々が等しくもっている仏性は、まったく平等であるにもかかわらず、真理の雨の受け方にさまざまな違いが生じてくるのです・・・。(差別相)

    しかし、いくら受け方が違っても、それぞれの人が真理の雨を受けて、天分の性質のままに成長し、それぞれの花を咲かせ、それぞれの実を結ぶという点において、全く平等なのです・・・。(平等相)

    つまり、人間は、それぞれにすがたは違って(差別相)いても、それぞれに成長していくところは、全く同じ(平等相)で、この事を認識することにより、自分もほんとうに生かし、他の人もほんとうに生かす正しい生き方ができるわけです。 

     

    化城宝処の譬え

    妙法蓮華経化城諭品第七に出てくる譬え話しです。

    物語

    長くけわしい非常に困難な道を、宝物を探し求めて旅をしている一行がありました。一行の中には、もう疲れてしまったり、この道は恐ろしくて行く気にならなと言い出しました。そこで、リーダーは、ひとつの大きな城を幻としてあらわしたのです。

    一行は、その城で休息して疲れをすっかり癒し、そして、それを見計ってリーダーは、その幻の城を消してしまい、さぁ、本当の宝物のある場所はもうすぐですよと一行をはげまし、そこへ導きつづけたのでした・・・。

    解説

    「長くけわしい非常に困難な道」とは、われわれ人生の旅路です。人生での出来事に疲れてしまったり、迷いが生じた時に、とりあえず、迷いを除いて、心に安心を得るようにみちびいてあげるのです(化城のこと)。つまり、「目の前に現れる現象は、仮の現われに過ぎないので、それにふりまわされるな」ということです。

    そして、捜し求めている宝物とは、「創造」と「調和」のことで、何を「創造」するかというと、「調和」した平和な世界ということです。これこそが、捜し求めていたこの上のない宝物だったのです・・・。 

     

    衣裏繋珠の譬え

    妙法蓮華経五百弟子受記品第八に出てくる譬え話しです。

    物語

    貧乏な『ある人』が『友人』の家に訪問し、ごちそうになり、酒に酔って眠ってしまいました。 ところが、その『友人』は、急に用事で旅立つことになりました。 寝ていた『ある人』を起こすのも気の毒と思い、また、貧乏から脱出できるようにと着物の裏の襟に『宝石』を縫い付けてから旅立ちました。

    やがて、目を覚ました『ある人』は、『友人』がいなくなっているので、その家を立ち去り、相変わらず貧乏な生活を何年も続けていました。

    ずいぶんたってから、『友人』は、『ある人』にバッタリ出会いました。 『友人』は、哀れな『ある人』を見て、「なんとバカなことだ、着物の裏の襟の宝石を売れば、素晴らしい生活ができるのだよ」といいました。

    解説

    貧乏な『ある人』は、我々凡夫です。『友人』とは、お釈迦様です。着物の裏の襟の『宝石』は、人の心の奥の仏性です。

    要は、すべの人は、仏性(宝石)を持っているが、なかなか気づくことができず、苦の人生をさ迷うってしまう。救われるには、その仏性に気づき、仏と同じ命を生きていることに気づけばよいのだと・・・。 

     

    髪中の譬え

    妙法蓮華経安楽行品第十四に出てくる譬え話しです。

    物語

    非常に強いある国の王が、命令に従わない多くの小国を次々と討伐しました。その戦いで手柄があった武将には、領地や衣服や宝石などを褒美として与えましたが、自分の髪に結ってあった明珠の飾りだけは、与えませんでした。

    なぜならば、それはたった一つしかない最上の宝なので、もしむやみにこれを与えたら、王の一族が驚き怪しむだろうと考えたからです。

    しかし、くらべもののないようなすごい手柄を立てた者がいたら、おしげもなく髪に結ってあった明珠のを与えるでしょう。

    解説

    この譬えは、法華経が難信難解なので、機根ない人に無闇に説いては行けませんよ。しかし、機根ができれば、おしげもなく法華経を説きなさい。ということの譬えです。

    つまり、仏は、禅定と智慧で法の国を治める王です。菩薩達が、衆生を教化して仏道に入ると、 無漏(迷いがなくなる)や根力(精進の力)や涅槃(煩悩を滅する)などを褒美として与えます、 そして、菩薩達が仏法にたいする迷いをなくし、しかも信心が固くて大丈夫だと見極めたら、はじめて法華経を説くのです。

     

    良医の譬え

    妙法蓮華経如来寿量品第十六に出てくる譬え話しです。

    物語

    ある所にどんな病気でも治す名医がいました。 また、その医師にはたくさんの子供がありました。 ある時、用があって、他国へ出かけました。

    その留守中に子供達は、したい放題の生活をして、間違って毒薬を飲んで、地べたにころげ回って、苦しがっていました。 そこへ、突然、父が帰って、その状態を見て、良く効く薬を作り、子供達へ与えました。

    何人かの子供は、その薬を飲んで治りましたが、ほとんどの子供達は、飲みませんでした。 なぜかというと、本心を失っている子供達には、その薬が良い薬と思えなかったのです。そこで、父は、何とか子供達に薬を飲まそうと、ある方法を考え、子供達に告げました。

    『私は年をとって、体が弱り、あまりさきが長くない。それなのにまた用があって他国へ出かけなければならないのだ』と良薬を置いて、旅たって行きました。 そして、旅先から使いをやって『父上は、お亡くなりになりました』と告げさせたのです。

    それを聞いた子供達は、大変驚き、悲しみましたが、逆に本心を失っている子供は、ハッと目を覚ましたのです。そして、良薬を飲み、毒による病は治りました。 そして、そこに父が旅先から帰ってきて子供達のまえに姿を表したのです。

    解説

    この譬えは、仏の神髄を説いたものです。どこが、神髄なんだって声がきこえますが・・・。

    まず、医師はお釈迦さまで、子供達は私達衆生です。そして、良薬は法華経です。 お釈迦さまは、序品から寿量品まで『生身の釈迦』が、実は、『法身の釈迦』でもあるのだ・・・と、手を変え品を変え述べているのです。

    そして、『生身の釈迦』が入滅するのは、私達衆生を教化するための方便で、本当は滅度したのではなく、『法身の釈迦』として、いつでもどこにでも、私達衆生のために法(法華経)を説いているのだと、明らかにされたのです。

    つまり、仏の神髄は、『法身の釈迦』としての、いつでもどこにでも、私達衆生のために法を説いている『永遠の命』だったわけです。

    そして、その法とは、すべての人が正しい生活(法華経の実践)をしていけば、世界が大調和し、すべての人が幸せになれるということらしい。

    だから、まず始めに自ら正しい生活を実践し、そして、あなたにも実践していただいて、みんなで幸せになりましょう・・・ということが、法華経の教えなのです。

     

2024年11月16日土曜日

法華経プロローグ

「法華経のあらまし」を読む前の予備知識「法華経概説」をシリーズにしました。

一気にお読みください!

読み終わったら、最後の「法華経あらまし」リンクをクリック!!

 

 法華経ってなに?

ここにブログとして『法華経』を取り上げます。
そこで、超簡単に『法華経』を紹介させていただきます。
『法華経』は、ずばり! お経です・・・。お経は、お釈迦さまの教えです。
お経は、沢山あり、なぜ『法華経』かと言われれば、たまたまご縁があったってことでしょうか・・・。
さて、この『法華経』は、28の章(品)から成り立っていて、16章の「如来寿量品」が『法華経』の真髄とされています。
そこには、「法身の釈迦」について説かれています。「法身の釈迦」とは、人間の釈迦ではなく、時空のあらゆるところに存在し、真理(法華経)を説く釈迦のことです。
もう少し、わかりやすく言うと、過去未来、宇宙全体のいつでもどこにでも存在して、真理(法華経)を説く存在です。
ごく普通の人は、そんな馬鹿な! と、まず思うでしょう。でも、そうらしいのです。とにかく、理屈でなく、信じることから、始まるらしい・・・。
どんな、真理(法華経)なのかは、これからが、本テーマへと続きます。ご期待ください!

 

なぜ法華経なのか?

なぜ法華経なのか? と問われれば、たまたま、そうとしか言えませんが・・・。しかし、この法華経の凄いところは、実践の書というところです。
他のお経や宗教は、単に、拝んだり、祈っただけで御利益があるって感じですが・・・。法華経は違います。法華経に書かれている教えを実行しなさい。そうすれば、「必ず幸せになれます」よ、と云う教えです。
この「必ず幸せになれます」ってところが凄いところです。つまり、法華経の教えを実践すれば・・・。貧乏な人、犯罪者の人、極悪人の人、また、お金持ちでも心の貧しい人、偽善者の人、善良だけど運の悪い人などなどでも、100%幸せになることが出来ると書かれているらしいのです。
どうですか、そろそろ、法華経には、どんな事が書かれているか知りたくなって来たでしょう。あせらず、じっくり、行きましょう。では、続きをお楽しみに・・・。

 

法華経のルーツ

お釈迦さまがお説きになったお経は、約1700種あると云われていますが・・・。実は、直筆のものは無いそうです。
この沢山のお経は、お釈迦さまの弟子達が、お釈迦さまが亡くなってから、編集したもので、法華経も仏滅後400~600年後に編集されました。
その後、インドに留学していた鳩摩羅什が中国に持ち帰り翻訳し、天台大師に引き継がれます。また、同時期に日本にも伝わり聖徳太子が「十七条の憲法」を法華経をもとに作ったとされています。
その後、奈良朝の終わり頃、最澄が天台宗を日本にも起こし・・・。鎌倉時代に法華経のエース、日蓮が登場し、法華経を元に日蓮宗を起こします。
まぁ、簡単ですがこんなところです。尚、鳩摩羅什、天台大師、聖徳太子、最澄、日蓮は、仏教界では、大谷翔平級の人達です。

 

法華経の誕生秘話

法華経の教えが説かれたのは、お釈迦さまの晩年、すなわち亡くなる前の8年間であることが、法華経の本文からうかがい知ることができます。
ところが、経典として出現したのは、仏滅後、400~600年ぐらいと推定されています。
なぜ、こんなに経ってから法華経が成立したのでしょうか・・・。それは、今もよくある宗教論争が、当時もあったのです。
仏滅後、お釈迦さまの教えを一字一句守ろうとする保守派(小乗)と教えの精神こそ守るべきとする進歩派(大乗)の対立でした。
もともと、争いをなくし、みんなが幸せになるという、お釈迦さまの教えが原因で、逆に争いが起こることに疑問をもった良識派(一乗)が、大乗も小乗もなくすべてが一乗なのだという精神のもとに、お釈迦さまの晩年の教えを法華経としてまとめました。
そう、ここに法華経が誕生したのです!
つまり、法華経こそが、すべての教えを包み込む性質をもったお経として誕生したのです。

 

法華経(仏教)を解き明かす『3』という謎の数とは?

法華経を読んでいると、なにかと3つが組みになっているキーワードに遭遇します。
智慧系慈悲系行徳系
文殊菩薩弥勒菩薩普賢菩薩
多宝如来釈迦如来阿弥陀如来



法身
応身報身
如来の室
如来の衣如来の座
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
声聞
縁覚
菩薩
四諦
十二因縁
六波羅蜜
小乗
大乗
一乗
無量義経
法華経
懺悔経
縁起の法永遠の命法の実践
呼ばれたら返事、ハイ!朝の挨拶、おはよう!脱いだ靴は、そろえるよ!
法布施財布施身布施
敬供養利供養行供養
自分が変れば相手が変るまずは人様すべては自分
そして、それらのイメージが自然と、智慧系、慈悲系、行徳系に分類されるのです。 また、法華経の前半を智慧系が、中程を慈悲系が、後半が行徳系のくだりになっているのです。
どうも、この3つの系が一体化されたものを釈尊は、悟られたのかなぁと思う次第です。 まだ、未消化気味の内容の文章ですが、これからも考察していきたいと思う次第です。

 

法華経の教え

法華経の教えとは
悟ればこの身がすなわち仏であり、みんなが悟ればすなわちこの世が寂光土であるという教えです。
仏はわれわれの心のなかにある、極楽はわれわれの日常生活のなかにあるという教えなのです。
『新釈 法華三部経十巻』(著:庭野日敬) より


ごく身近な心の中と日常生活の中にあるとは、まさにその通り、素晴らしい気づきだ!

 

法華経ストーリーの流れ

法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。
また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品 第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。
以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。

  • はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。

  • そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。

  • すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。

  • そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。

  • しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。

  • すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。

  • そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。

  • ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。

  • そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。

  • そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。

  • さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます。

では、上記を踏まえて、各品毎のあらましにつづきます。


 

 

2024年11月15日金曜日

法華経あらましシリーズ(前半)

ブログだと投函した順番が逆順になってしまうので、正順で読める様にしました。

法華経あらまし前半1〜24品まで、一気にお読みください!

 

法華経ストーリーの流れ

法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。
また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品 第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。
以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。

  • はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。

  • そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。

  • すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。

  • そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。

  • しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。

  • すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。

  • そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。

  • ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。

  • そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。

  • そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。

  • さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます。

では、上記を踏まえて、各品毎のあらましにつづきます。

 

序品 第一(法華経のあらまし)

序品は、文字通り法華経のプロローグです。舞台は、王舎城(おうしゃじょう)の霊鷲山(りょうじゅうせん)。まさに今、大オペラが始まろうとしています・・・。

お釈迦さまの教えを聞こうと、沢山の人(弟子、菩薩、他教の神々、鬼神、動物等)が集まってきました。そして、その教えは、『無量義』という教えでした。その教えを説き終えれると、お釈迦さまは、三昧(瞑想)にお入りになりました。そして、しばらくすると、空から美しい花が降ってきて、お釈迦さまの眉間から光が出て、宇宙のあらゆる世界を照らしました。しかも、過去世の様子まで・・・。

この光景を見ていた弥勒菩薩は、このことが、どういうことか、お釈迦さまへ聞きたかったのですが、三昧に入っていたので、代わりに文殊菩薩に聞きました。そして、文殊菩薩は答えました・・・。

「わたしはかつて、過去の諸仏もとで修行をしていた遠い昔に、同じような奇跡を見た事があります。それは、日月燈明如来という仏がおられ、声聞には『四諦』を、縁覚には『十二因縁』を、菩薩には『六波羅蜜』を説かれました。また、そのつぎの時代にも別の仏が現れ、名は同じく日月燈明如来とよばれ、今度は、『無量義』を説かれ、三昧に入り、そして、『妙法蓮華経』をお説きになったのです・・・。まさに今、その時と同じ光景なのですよ!」

とまぁ、こんな感じに展開していきます。そして、本品のポイントは、他教の神々や生きとし生けるものすべてに対して説かれたこと。また、眉間からの光が時空を超えてすべてのものにとどいたこと。つまり、法華経は、あらゆるものに通じる真理を象徴しています。

 

方便品 第二(法華経のあらまし)

序品第一で三昧に入られていたお釈迦さまが目を開け、そして起き上がり、弟子の舎利弗に告げはじめました。

「もろもろの仏が悟った智慧は、深遠で大変難しく、舎利弗をはじめとする皆さんには到底理解することができません。もし、お話ししても、皆さんの頭が混乱するだけなので、説くのはやめましょう。」



しかし、舎利弗は余計に聞きたくなり、再度、説いてくださいとお願いしましたが、やはり、駄目で、三度目でやっと、それほど云うならと説法をお話し始めました。(これが有名な三止三請です。)

すると、今までお釈迦さまの教えを聞いて、自分はもう悟っていると思っている弟子達五千人が、いまさら新たな教えなど聞き耳もちませんとその場を退場していきました。

すると、お釈迦さまは、その弟子達を止めもせず、あらためて、舎利弗へこの教えを聞くに相応しい人だけ残りましたと説法をお話し始めました。

しかし、この品では、肝心の法華経については、至らず、さわりで、因果の法則(十如是)や方便についてお話しになりました。

十如是は、相、性、体、力、作、因、縁、果、報、がすべて等しいことであるとする法門で、諸法実相とも云います、あとで詳しく説明を致します。

また、方便は、正しい手段のことで、それぞれの人に、その時、その場所により、無数の教えを今まで説いてきましたが、実は、ある一つの教え(真理)がすべて元になっていて、そこに気づき、理解できれは、舎利弗をはじめとする皆さんも、仏になれますよ・・・。

と、云う事で、方便品は終わり、『譬諭品 第三』へ続いていきます・・・。

 

譬諭品 第三(法華経のあらまし)

方便品で、お釈迦さまから、つぎのようなお言葉を承った舎利弗は・・・。

『無数の方便で、それぞれの人にふさわしい、適切な道によって教えが説かれ、そして、ある一つの真理を会得すれば、舎利弗をはじめとするすべての皆さんも仏になることが出来ますよ。』

これを聞いて、自分も仏になれるのだと大変喜びました。そこで、舎利弗は「ある一つの真理」とはどんなものでしょうかと、お釈迦さまへおうかがいしました。すると、お釈迦さまは、『三車火宅の譬え』をお話し始めたのです。

『三車火宅の譬え』をお話し終えたお釈迦さまは、今まで無数の方便の尊い教えを説いてきましたが、実はそれは、ただ唯一の一番尊い真理を説いていたのです・・・。
ということで、法華経の神髄は、まだ、語られず、信解品へ続くことになります。

 

信解品 第四(法華経のあらまし)

譬諭品 第三で、お釈迦さまから『舎利弗をはじめとするすべての皆さんも仏になることが出来ますよ』と聞いた、慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目ケン連の4人は、われわれも仏になれると大喜びして、我々が理解した内容を譬えにして申し上げますと『長者窮子の譬え』を語り始めました・・・。

尚、信解品の「信」とは、感情(行)のはたらきです。「解」とは、理性(学)のはたらきです。そう、信仰に対して、この両方がかね備わってこないと、なかなか「ある一つの真理」を会得することが難しいみたいです・・・。

 

薬草諭品 第五(法華経のあらまし)

信解品 第四で、摩訶迦葉らから『長者窮子の譬え』を聞いた、お釈迦さまは、「よろしい、よく分かってくれました。しかし、如来は、もっともっと計り知れないほどの功徳があるのです。如来は、一切の教えを知り、それを自由自在に支配するものです。そして、すべてのものごとの真相を明らかに究め尽くして、多くの衆生にたいして、その一切を知るものの智慧を示されるのであります・・・。」と、続いて『薬草の譬え』をお説きになりました。

 

授記品 第六(法華経のあらまし)

この品は、『信解品 第四』で、仏の教えについて理解した内容を『長者窮子の譬え』にして申し上げた、慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目ケン連らが、『薬草諭品 第五』『薬草の譬え』を聞き、ますます、教えを深め、そして、そのことに対して、お釈迦様が、仏法を理解したこと認め、あなた方も仏になれますよと、授記されます。

授記とは保証のことで、保証にはいつも条件があり、それは、これからも行学二道の研修に励み、多くの人々を仏道に導いた後・・・、ということです。つまり、これからが大事で、理解した仏法を実践してくださいってことです。

 

化城諭品 第七(法華経のあらまし)

はるかなる大昔に、大通智勝如来という仏さまがおられました。この仏さまには、出家するまえに16人の子供がいました。16人の子供は、みな父上を見習って法華経を説くために仏さまになりました。そして、16番目の仏さまが娑婆国担当の釈迦牟尼仏でありました。

釈迦牟尼仏ことお釈迦さまは、過去世に法華経の教えによって教化した衆生たちこそ、いまの弟子たち及び未来世の信者(現在の我々)に他ならないことを、明らかにしました。

真に悟りを得る道は2つあるものでは、ありません。ただ一つ法華経の教えがあるのみです。しかし、五官の欲にとらわれて、みずから苦しみを招いている人もいますので、そういう人達のために、とりあえず、迷いを除いて、心に安心を得るようにみちびいてあげるのです、と。このことを譬え話で説明いたしましょうと『化城宝処の譬え』を説かれ始めます・・・。

 

五百弟子受記品 第八(法華経のあらまし)

この品は、お釈迦さまが富楼那(フルナ)をはじめとする5百人の弟子(阿羅漢)に成仏の保証(受記)されます。
阿羅漢たちは、受記されるにいたった悟ったことを『衣裏繋珠の譬え』にして、申し上げました。

この譬え話が終わると、「お釈迦さまも、この友人のようなお方です。まだ菩薩であられたころ、私たちに、『だれしも仏性が具わっているのだから、修行して仏の悟りをひらくように』と教えてくださってのですが、私たちの心は眠りこけていて、そのことを知らず、ただ煩悩を除くことだけで、それが最上の悟りだと思い込んでおりました。

今、ここに、お釈迦さまは私どもの目をさまさせてくださいました。と心からお礼を申し上げるのでした・・・。

 

授学無学人記品 第九(法華経のあらまし)

この品は、前品の『五百弟子受記品 第八』で 五百人を受記(仏に成れる保証)されましたが、さらに、『授学無学人記品第九』では、阿難(アナン)羅ご羅(ラゴラ)を始めとする授学無学人の二千人を受記されます。

さて、この阿難と羅ご羅ですが、ブッダ十大弟子でありながら、一番最後に受記されました。
どうしてかと言うと、この2人、実は、お釈迦様の従弟と実子(長男)で、いかに身内の者を教化することが難しいかということと、お釈迦様の身内に生まれたことの強い因縁があったと言われています。

阿難は、「多聞第一」といわれ、当時、いまでは考えられないほどの男尊女卑の時代に比丘尼教団を作ってしまった人です。どうしてかと言うと、女の人が沢山慕ってくるほどの美男子だったようです。

羅ご羅は、「密行第一」といわれ、人の見ていないところでも常に慈悲のある正しい行いをし、また、高い境地にいながらも、決してそれを表に出すことなく陰徳を積んだとされています。

そして、この2人の受記が終わると他の授学無学の二千人を受記されます。
ちなみに、ここでいう無学とは、学が無いという意味でなく、もう学ぶことが無いと言う意味です。
で、結局この品は、方便品 第二から始まった受記がすべて完了したと言うことでしょうか・・・、ブッダ教団は皆、菩薩になりました。

 

法師品 第十(法華経のあらまし)

ほとんどの弟子を受記されたお釈迦さまは、今度は薬王菩薩をはじめとする八万の菩薩に告げ始めました。

「法華経の一偈ー句を聞いて、一瞬の間でも有りがたいと思う者があれば、その人に悟りを得る保証を与えましょう。」「法華経の一偈ー句でも受持・読・誦・解説・書写し(五種法師)、感謝を捧げる人が、仏になれる人であると答えましょう」

そして、すべての教えの中で『法華経』が第一であると宣言されました。

また、お釈迦さまは、『法華経』を説くときに、「如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して説くのです。如来の室とは大慈悲心です。如来の衣とは柔和忍辱の心です。如来の座とは一切は空であり、すべての人間は平等に生かされているという、根本真理です。この大慈悲心と、柔和忍辱の心と、平等心を胸にしっかりと持ちつづけて、広くこの経を説きなさい」と教えられました。

 

見宝塔品 第十一(法華経のあらまし)

序品第一から前回の法師品第十までは、第一幕で、この品から、第二幕の始まりになります。
第一幕の舞台は、王舎城(おうしゃじょう)の霊鷲山(りょうじゅうせん)でしたが、この第二幕からは、霊鷲山の上空にいきなりなってしまいます。

どういうことかと言うと、大地から東京タワーのような塔がいきなり湧き出して来て、中から『お釈迦さまの説く法華経は、すべて真実です』という大きな声が聞こえてきました。

不思議に思った大楽説菩薩は、お釈迦さまに、中には何方がいるのですかとお尋ねすると、『如来の全身である多宝如来です』とお答えになりました。

そして、多宝如来が塔の中にお釈迦さまを招き入れ、一つの椅子に2人並んでお座りになりました。すると弟子達もその近くまで行きたいと思うと同時に、それを察知したお釈迦さまが、神通力で弟子達を虚空(上空)へ引き上げられました。

と、こんな感じで大スペクタルが展開していきます。これから先は、とうぶん虚空が舞台になります。
で、結局、この品はどういうことかと言うと、大地が人の比喩で、塔が仏性の比喩で、多宝如来が真理の比喩で、要は、法華経を授受すると、人は皆、本来持っている仏性が塔のように現れ、その中に真理が宿っている・・・。ということらしい・・・.。

そして、お釈迦さまがお説きになった法華経が、多宝如来によって真理であると証明されました。しかし、根拠がイマイチ謎ですが・・・。

 

堤婆達多品 第十二(法華経のあらまし)

法華経は、正しい行いをしていけば、すべての人が幸せ(成仏)になれるという教えです。
すべての人ですから、当然、悪い人も女の人も正しい行いをしていけば、成仏できるわけです。
なぜ、悪人と女性を同等に扱っているかと言うと、『提婆達多品第十二』のテーマが『悪人成仏 & 女人成仏』なのです。
悪人成仏は、極悪人である提婆達多が主人公で語られ、女人成仏は、8才の竜女が主人公で語られます。


悪人成仏


お釈迦さまは、前世において、阿私陀(あしだ)と言う仙人に法華経を教わったとお話しになりました。
その阿私陀は、現世において、お釈迦さまの命を狙ったり、いろいろ悪いことした提婆達多のことだと明らかにされました。
しかし、その提婆達多も長い間修行をすれば、仏の悟りを得られるでしょう、と授記されました。
そして、お釈迦さまも極悪人の提婆達多が、実は『善知識』だったお蔭様で成仏できたとお明かしになりました。
生きていくうちには、良い縁ばかりではありません。そう、もちろん悪い縁(逆縁)もあります。本品は、如何に逆縁に遭遇したときに、それを人間的成長の糧として消化していくことの大切さを教えてくださっています。


女人成仏


文殊菩薩から教化された竜女が、即座に悟りを得ますが、舎利弗はそんなことがあるはず無いと信じません・・・、でも結果的には信じざるをえなくなります。
しかし、竜女はそのままでは、成仏出来ず、男性に変身して成仏するのです。法華経では、『変成男子』とあります。また、梵本では、『女性の生殖器が消え、男性の生殖器が生じる』とあるそうです。
なんで、女性のまま成仏ができないのか・・・謎だ。ブッダの時代は、よほど女性の地位が低い時代だったのかなぁ・・・。
とにかく、ブッダの時代は、女性のまま成仏するなど、とんでもないと思われていた時代だったようです。現代でもまだ、なごりはありますよね・・・。
そして、すべての人を平等に救う教えの法華経だからこそ、女性までもが成仏できるというのはごく当然のことなのです。どんなに女性蔑視の時代にも・・・。つまり、法華経こそが、女性の味方の経典なのです。(ここにもってこれて良かった・・・。)

 

勧持品 第十三(法華経のあらまし)

この品には、いかなる困難にも耐えて忍んで、『法華経』を勧め、受持することが述べられています。

はじめに、お釈迦さまへ薬王菩薩と大楽説菩薩をはじめ、先に授記された8千人の比丘たちが、お釈迦さまが入滅されても、この『法華経』を受持し、学び、人々のために説き広めましょうと申し述べました。

つぎに、お釈迦さまは、突然ですが、叔母(摩訶波闍波提比丘尼)と妻(耶輸陀羅比丘尼)を授記します。先に堤婆達多品で竜女を授記していますが、これは、身近な者や教養の高い人ほど『法華経』を受持するのが難しいことを表しています。

で、この品のポイントですが、法華経が、正しいがゆえに迫害や謗り辱めを受けやすく、それを忍辱の鎧を着て忍び、この教えを説き広めるという一大事のために、あらゆる困難に耐えましょう。ということらしい・・・。

 

安楽行品 第十四(法華経のあらまし)

この品は、文殊菩薩がお釈迦さまへ末法の世で法華経を護持し、説き広める心がけをおたずねになりました。
するとお釈迦さまは、自分の行いと人々との交際についての心構え(身安楽行)、ことばについての戒め(口安楽行)、心の持ち方についての戒め(意安楽行)、理想の実現に対する努力のしかた(誓願安楽行)、の四つの心がけを教えられます。
そして、髪中の譬えで法華経がどんなにすぐれた教えであるのかを力説し、四安楽行を完全に行って、この教えを広める者の功徳について以下のようにお説きになりました。

  • 一切心配事がなくなる。
  • 一切苦痛がなくなる。
  • 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
  • 生活にこまることがなくなる。
  • 大勢の人から崇め慕われる。
  • 神からも守護される。
  • いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
  • 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまうでしょう。

上記のことは、当然、四つの心がけある以下の四安楽行を実践できている人が対象です。

身安楽行

いつも柔和忍辱をたもち、権力や邪法や勝負事には近寄らず、性的なことには最善の注意を払う、などなど。

口安楽行

悪口や見下すような言葉、批判、また、あの人は好きだとか嫌いだとか、などなど。

意安楽行

嫉妬の心を持たないようにしたり、人を軽んじたり、失望させたり、えこひいきなどをしない、などなど。

誓願安楽行

すべての人をこの法華経によって幸せにしたいと誓願すること、などなど。
そして、次の従地涌出品第十五から如来寿量品第十六で法華経の神髄が述べられます。ご期待ください!

 

 

法華経あらましシリーズ(後半)

ブログだと投函した順番が逆順になってしまうので、正順で読める様にしました。

法華経あらまし後半15〜28品まで、一気にお読みください!

 

従地涌出品 第十五(法華経のあらまし)

他の世界からやって来た菩薩達が、仏の滅後に娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。
しかし、お釈迦さま、そのお申し出を次のようにお断りになりました。
「尊き志をもつ菩薩達よ。その必要はないのです。なぜなら娑婆世界には、あなた方の数をはるかに凌ぐ六萬恒河沙の菩薩がおり、その一人一人の菩薩にも六萬恒河沙の眷族がおり、彼らこそがこの地において法華経を護り、教えを広める使命を持つからなのです。」
この言葉が終わるやいなや大地は激しく振動して裂け、そこから計り知れない数の菩薩達が現れました。その姿はみなお釈迦さまと同様に三十二相という尊い人相をそなえ、全身は金色に輝き、光を放っていました。
この菩薩たちは、娑婆世界の下の虚空に住んでいたのですが、お釈迦さまのお説になったお言葉に応じて大地から湧き出してみもとに参ったのです。
その中に四人の大導師がおられました。その名を上行(じょうぎょう)菩薩・無辺行(むへんぎょう)菩薩・浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行(あんりゅうぎょう)菩薩といいました。(四弘誓願を参照のこと)
で、この光景をみていた古参の弥勒菩薩等は、どうも納得がいきません。お釈迦さまは、どうやって短い間にこれだけの沢山の菩薩達を教化されたのか・・・。
と云う感じで、その疑問は、そのまま法華経の神髄を解き明かすキーワードとして、「如来寿量品 第十六」へ引き続くことになります・・・。

 

如来寿量品 第十六(法華経のあらまし)

従地涌出品での疑問:『お釈迦さまは、どうやって短い間にこれだけの沢山の菩薩達を教化されたのか?』
答えのポイントは、輪廻です。答えは、良医の譬えの解説を参照願います。

そう、『すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。』

これが、法華経を毎日読誦して感じた、今のレベルでの私の法華経感です。
とにかく、仏は『永遠の命』こと『仏寿無量』で、これを信じきることが出来るか出来ないかが、法華経を理解するキーになるようです。

 

分別功徳品 第十七(法華経のあらまし)

この17番から28番までが、流通分と云われ、法華経を実践すれば、大変素晴らしい功徳のあることが説かれています。
この分別功徳品では、とにかく『仏寿無量(永遠の命)』を信解すれば、ものすごく大きな功徳があると説かれています。
たとえば、以下の感じです。
80万億那由他劫という長い長い間、五波羅蜜(六波羅蜜から智慧を除く)を行じてえる功徳は、大変なものですが、しかしそれでも、『仏寿無量』をほんの一念にでも信解することよって得られる功徳とくらべると、その百千万億分一にも及ばないそうです。つまり、『仏寿無量』の信解の方が百千万億倍も功徳があるのです。
ホントかよって感じですが、もしホントなら、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。

 

随喜功徳品 第十八(法華経のあらまし)

この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。
たとえば、法華経の伝言ゲームで、50番目の人が一偈でも信解したならば、その功徳は、宇宙のあらゆる生あるものに物質的&精神的に布施した功徳より大きいと・・・。
また、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
信じることから始まるらしい・・・。

 

法師功徳品 第十九(法華経のあらまし)

この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。
もし信仰心の深い男女が、法華経を信じ、読誦し、解説し、書写したとしましょう。その人は、以下のような功徳を得ることが出来るのです。

  • 『八百の眼の功徳』
  • 『千二百の耳の功徳』
  • 『八百の鼻の功徳』
  • 『千二百の舌の功徳』
  • 『八百の身の功徳』
  • 『千二百の意の功徳』


その功徳をもって、すべての感覚・知覚器官の作用を美しく。清らかなものにするでありましょう・・・と。
またまた、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
信じることから始まるらしい・・・。

 

常不軽菩薩品 第二十(法華経のあらまし)

仏の教えが形式化、そして、形骸化された時代に一人の菩薩がいました。その菩薩は、会う人ごとに、会う人ごとに、『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と言って賛嘆するのでした。
ところが、大勢の中にはそんなことを言われて腹を立て、石や瓦を投げつける者がいました。
すると、菩薩は走って逃げ、遠くのほうからまた同じセリフ『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と、大声で唱えるのでした。
そして、菩薩は一生の間、この行を続けたのです。すると、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)が清浄となって、虚空の中からひびいてくる声を聞くように法華経を自得したのです。
すると、寿命が2百万億那由他歳になり、広く人々のためにその法華経の教えを説きました。
で、解説です。この常不軽菩薩品では以下の3つがポイントです。

  • 真心から行じた、ただ一つの礼拝行だけでも実に尊いことで、それが救いの道に入る第一歩になる。
  • 逆に言うと、形式だけをいかに多く行じても真心から行じないと無価値である。
  • 仏性を礼拝することは、あらゆる人間の中にある仏性を認めることである。


あぁ、雨にも負けず風にも負けず、私は、常不軽菩薩でありたい・・・。

 

如来神力品 第二十一(法華経のあらまし)

この神力品は、法華経の総まとめの品と云われています。しかし、普通に(浅く)読むと、とてもそうとは思えません。舌を出したり、光を出したり、咳をしたり、指パッチをしたり・・・とか、そのどこが、神力なのだと思うわけです。また、仏なら神力でなくて仏力だろ・・・とか。だけど、それには、以下の意味があるらしい。

しかし、その前に復習です。法華経は、前半が『方便品』を中心とした智慧の教え(迹門の教え)で、後半は『寿量品』を中心とした慈悲の教え(本門の教え)です。これは、前半(迹門)と後半(本門)が別々のように思えてしまいますが・・・、実は・・・。

  • 『舌を出したり』とは、インドでは、自分の言ったことは真実であると云うことで、迹門を信じても、本門を信じても、実は一つなのだという象徴。(出広長舌)
  • 『光を出したり』とは、迷いの闇を打ち破ることで、迹門の原理も、本門の原理も、実は一つなのだという象徴。(毛孔放光)
  • 『咳をしたり』とは、声を出し教えを説く象徴のことで、迹門の教えも、本門の教えも、実は一つなのだという象徴。(一時謦がい)
  • 『指パッチをしたり』とは、インドでは承知しましたと云う事で、迹門の教えを広めることを承知した人も、本門の教えを広めることを承知した人も、実は一つなのだという象徴。(倶共弾指)

このように如来(釈尊と菩薩)が『一時謦がい』『倶共弾指』をしたら以下のようなことが起こりました。

  • 天地のあらゆるもの心が感動した。(六種地動)
  • 普くすべてのものがこの大会を見ることができた。(普見大会)
  • 諸天善神が法華経を説いた釈尊を供養すべしと空中から唱声した。(空中唱声)
  • 空中唱声を聞いて、必ずすべての人が釈尊に帰命する。(感皆帰命)
  • 花、香、瓔珞等が美しい帳に変じて如来の上に覆った。(遥散諸物)
  • すると、宇宙空間(十方世界)が一つの仏土になった。(通一仏土)

そして、この

  1. 出広長舌
  2. 毛孔放光
  3. 一時謦がい
  4. 倶共弾指
  5. 六種地動
  6. 普見大会
  7. 空中唱声
  8. 感皆帰命
  9. 遥散諸物
  10. 通一仏土


これが、『如来の十大神力』と云われています。

そして、この『如来の十大神力』を踏まえ、法華経の総まとめの句がつぎに示されます。

『如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘蔵の蔵・如来の一切の甚深の事・皆此の経に於て宣示顕説す。』

とにかく、如来の一切の『正法』『衆生救済力』『秘密の教え』『修行の実践方法』が、すべてこの法華経に注ぎ込んでいると宣言しているのです・・・。あぁ、なんて有り難い、合掌。

 

嘱累品 第二十二(法華経のあらまし)

釈尊は、法座より起き上がり、菩薩達の頭を撫ぜながら、この法華経の広宣流布を託します。と述べられ、とりあえず、この品で法華経は、ひとまず終わりを迎えます。

では、後の薬王菩薩本事品から普賢菩薩勧発品までは、何かというと、
一編一編が一つの短編ストーリーになっていて法華経実践の大切さを説いています。まぁ、法華経の駄目押しですかね・・・。 

 

薬王菩薩本事品 第二十三(法華経のあらまし)

薬王菩薩の沢山の前世のお話で、体を燃やしたり、両腕を燃やしたりして仏を供養したお話です・・・。
・・・その時、宿王華菩薩が釈尊におたずねになりました。
『薬王菩薩というお方は、どのようにして、大変素晴らしい働きがおできになるようになったのでしょうか・・・・・・そのことを知ったら、みんな歓喜することでございましょう!』
その問いにたいして釈尊は、次のようにお答えになりました。
『遠い遠い昔、日月淨明徳如来という仏さまがいました。仏さまは、一切衆生憙見菩薩をはじめとするもろもろの菩薩、声聞に法華経の教えをお説きになりました。』
『すると一切衆生憙見菩薩は、法華経を1万2千年の間、一心に修行して、高い境地に達し、大いに歓喜し、仏恩にお報いする大きな力を得て、一切衆生を救いたいと思い、日月淨明徳如来と法華経を供養するため、自分自身に火をつけ、80億恒河沙の広い世界の普く闇を照らし出したのです。』
『燃え尽きて、一度亡くなった一切衆生憙見菩薩ですが、再度、生まれてきて、今度は、両腕を燃やして供養しました・・・とさ・・・。』
『さて、あなたは、どう思いますか。この一切衆生憙見菩薩は、ほかでもありません、今の薬王菩薩の前身なのです・・・』
ここで解説です。
とにかく、法華経の実践には、いろいろありますが、中でも身の布施が一番尊いということの本事です。
ちなみに、本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。
そして、釈尊は宿王華菩薩へ法華経の実践の功徳を『十二論の利益』の譬えにしておおせになりました。

1、池の清らかな水を飲んで、喉の渇いた者が満足するように。
2、寒さに震えていた人が、暖かい火を得て生き返ったように。
3、裸の人が、着物をえたるがように。
4、商人が、主のものをえたるがように。
5、子が、母をえたるがように。
6、渡りに、船をえたるがように。
7、病に、良い医者をえたるがように。
8、暗に、灯火をえたるがように。
9、貧乏に、宝をえたるがように。
10、民に、王をえたるがように。
11、貿易者に、平穏な海路をえたるがように。
12、たいまつの灯かりが、暗を除くように。

とにかく、法華経を実践すると、何かと、事(お手配)がスムーズに行くのですよ・・・いや、ホントに不思議や!
そうそう、この品には、念仏で有名な阿弥陀仏が登場します。
『仏滅後、5百歳の中の世に、もし女人があってこの経典を聞いて修行したならば、その世の生を終えた後、阿弥陀仏のいる安楽世界の蓮華の寶座の上に生まれ変わるでしょう!』
なぜ、女人なのかは、謎ですが・・・。
 
 

妙音菩薩品 第二十四(法華経のあらまし)

理想の世界からやって来た妙音菩薩のお話です・・・。
・・・釈尊は、突然、眉間から光を出し、宇宙のあらゆる世界を照らしました。
すると、淨光荘厳という理想の世界いる三昧神通力を具えられた妙音菩薩がそれを察知し、この光から、非常に徳の高い方と分かりましたので、娑婆という現実の世界へ、釈尊(仏)と法華経(法)と菩薩達(僧)を供養しにやって来たのでした。
妙音菩薩は、過去世に一万2千年間、美しい音楽(プラス言葉で仏を称える)を奏し、8万4千の数(経典数)の七宝の鉢をささげ、仏を供養しました。
その結果、淨光荘厳という理想世界に生まれ変わり、三昧神通力と三十四身を得たのです。
ここで解説です。
理想世界は、もちろん尊いものですが、あくまでも頭の中で考えられている間は、その価値が生きてきません。それを現実世界の生活の中に一つ一つ実現していくことにこそ、本当の価値がいきてくるのです。
そして、つまるところ、この品は、理想世界の代表である妙音菩薩が、現実世界での理想世界具現者:釈尊を讃嘆しているのです。

    理想は、それを一歩ずつでも現実化してこそ尊いのである。

ちなみに、妙音菩薩は身長が4万2千由旬です。これをキロメートルにすると・・・。・・・一由旬が約四十里で、一里が約3.9キロメートル、よって、42000*40*3.9 = 6552000で6百55万2千キロメートルもあります。驚きです。

妙音菩薩の三十四身
妙音菩薩は三十四身で自由自在に法を説きました。
01.梵王/ 02.帝釈/ 03.自在天/ 04.大自在天/ 05.天大将軍/ 06毘沙門天/ 07.転輪聖王/ 08.諸の小王/ 09.長者/ 10.居士/ 11.宰官/ 12.婆羅門/ 13.比丘/ 14.比丘尼/ 15.優婆寒/ 16.優婆夷/ 17.長者の婦女/ 18.居士の婦女/ 19.宰官の婦女/ 20.婆羅門の婦女/ 21.童男/ 22.童女/ 23.天/ 24.龍/ 25.夜叉/ 26.乾闥婆/ 27.阿修羅/ 28.迦楼羅/ 29.緊那羅/ 30.摩羅伽/ 31.人/ 32.非人/ 33.苦難にあえぐ人 34.後宮の女身
 
 

観世音菩薩普門品 第二十五(法華経のあらまし)

観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・、実は、観世音菩薩みたいになりましょうということらしい・・・。
・・・南無観世音菩薩を唱えれば、三毒(貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ))、四苦(生・老・病・死)、七難(火難・水難・風難・剣難・鬼難・獄難・盗難)を滅し、さらに願う通りの子を得ることができるという・・・。
しかし、こんな拝み信仰じゃ、いままで序品から説かれていた法華経は、なんだったのかということになりますね。これらの観音力は、確かにこの品に書かれています。でも、浅い理解なのです。
本当は、無尽意菩薩が偉大な救済力(観音力)をもつ観世音菩薩を供養しようとして、瓔珞(首飾り)をさしあげましたが、しかし、受けとっても、首にかけず、それを2つにして、釈尊と多宝如来に捧げました。これは、偉大な救済力である観音力の元は、真理を教えられた釈尊と、その真理を証明された多宝如来のおかげであるということの表明なのです。
つまり、救いの本質は、ある外側の力によって目の前の苦難から逃れることではなく、久遠実成の本仏のみ心に沿い、そこに周囲との調和がうまれ、みんなが救われることにあるのです。
また、観世音菩薩普門品の観世音とは、世の人々の声(音)を見(観)分けることで、菩薩とは、手本として仰ぐべき方で、普門とは、相手に応じていろいろ姿(三十六身)をかえて、平等に真理の門に引き入れることです。
とにかく、観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・ではなく、真に観世音菩薩を念じるとは、慈悲をもって苦しみあえぐ人の声(世音)を感知し聞き入れ(観)、観世音菩薩のようになりましょうということです。

観世音菩薩の三十六身
ちなみに、妙音菩薩は三十四身でしたが、観世音菩薩は三十六身で自由自在に法を説きました。数はあまり気にしなくてよく、とにかく、いろいろな人を救うために身を現じて法を説く、ということです。
01.仏身/ 02.辟支仏/ 03.声聞/ 04.梵王/ 05.帝釈/ 06.自在天/ 07.大自在天/ 08.天大将軍/ 09毘沙門天/ 10.転輪聖王/ 11.小王/ 12.長者/ 13.居士/ 14.宰官/ 15.婆羅門/ 16.比丘/ 17.比丘尼/ 18.優婆寒/ 19.優婆夷/ 20.長者の婦女/ 21.居士の婦女/ 22.宰官の婦女/ 23.婆羅門の婦女/ 24.童男/ 25.童女/ 26.天/ 27.龍/ 28.夜叉/ 29.乾闥婆/ 30.阿修羅/ 31.迦楼羅/ 32.緊那羅/ 33.摩羅伽/ 34.人/ 35.非人/ 36.執金剛神

陀羅尼品 第二十六(法華経のあらまし)

薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天王、持国天王、十羅刹女等が法華経の説法者を守護するため呪文(神呪、陀羅尼)を唱えました。

『あに まに まね ままね しれ しゃりて しゃみや しゃびたい せんて もくて もくたび しゃび あいしゃび そうび しゃび・・・・・・』


この神呪は、神々の名もしくはその異称の呼びかけであるということです。また、神呪を唱えることにより、善をよく身にたもち、悪をおしとどめて、発しせしめない・・・とのことです。
ではなぜ、法華経説法者の守護が必要なのかというと、法華経は真の善の教えなので、悪の教えや、見かけ上は善の教えの勢力などから迫害を受けやすいとのことです。
そして、神呪に守られた法華経説法者に、迫害をくわえることは、神々に迫害を加えるのと同じで・・・後は推して知るべし・・・です。
ちなにみ、毘沙門天王、持国天王は、他教(バラモン教)の神々で、羅刹女とは、鬼女のことです。つまり、他教の神々や鬼女までもが、法華経説法者の守護を願って、神呪を唱えてくれたのです。
これは、法華経の教えが、万教をも包容し、また、鬼女たちをも平等に成仏させる力をもっていることの証しです。
また、鬼女の中に鬼子母もいました。これは、法華経の主な登場人物の鬼子母と十羅刹女を参照願います。(しかし、鬼子母と十羅刹女・・・・・・どんなにやさしい女の人でも、たまに垣間見る性質のような気がします。やばい書いてしまった・・・)
とにかく、陀羅尼(ダラニ)は、法華経説法者からみれば、いろいろ守護してくれる有り難い神呪なのです。合掌。
 
 

妙荘巌王本事品 第二十七(法華経のあらまし)

薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話で、王様の父を教化するお話です・・・。
・・・そのとき釈尊は、もろもろの大衆に薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話を語り始めました。


はるかはるかな遠い大昔に、雲雷音宿王華如来という仏さまと妙荘巌王という王さまがいました。
王さまの夫人は、淨徳と言い、また、淨蔵(前世の薬王)と淨眼(前世の薬上)と言う2人の王子がいました。
淨蔵と淨眼は、六波羅蜜を行じ、仏教を信仰しておりました。
しかし、王さまの父は、邪教を信仰しており、2人はなんとか正しい教えの仏教へ改宗してもらいたいと思っていました。
そこで、2人は母に相談しました。すると母は、父へびっくりするような信仰の証しの奇跡をみせれば、改宗できるでしょうとアドバイスをされました。
2人は母のアドバイス通りにいろいろな奇跡を父の前で演じ、父の妙荘巌王を改宗させました、とさ・・・。


で、本品のポイントは、身近な家族の教化の難しさと、指導的立場の人(王様等)の教化の難しさで、それらの人を教化するには、法華経を頭で理解してもらうだけでなく、自ら身を持って示さなければならないということです。
ちなみに、妙荘巌王本事品(みょうそうごんのう ほんじほん)の本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。

 

普賢菩薩勧発品 第二十八(法華経のあらまし)

最後の最後に大菩薩団を引き連れて娑婆世界に釈尊の説法を聞きに来た大物菩薩の普賢菩薩と釈尊(お釈迦さま)の問答です。
はじめに、普賢菩薩はお釈迦さま(釈尊)へ『仏滅後、どうしたら法華経の真の功徳を得ることができるのでしょうか』とお尋ねになりました。
すると、お釈迦さまは普賢菩薩へ、以下の『四法成就』、を実践すれば、真の功徳を得ることができましょう・・・と、お答えになりました。


  1. 諸仏に護念されているという絶対の信念を持つこと。(仏さまを信じきる)
  2. もろもろの徳の本(もと)を身に植えること。(いつも善い行いを心がける)
  3. 正しい教えを実践する人々の仲間にはいること。(正しい信仰者の仲間に入る)
  4. 一切衆生を救おうという心を起こすこと。(いつも人のために尽くす)

 

 それをうかがった普賢菩薩は、感激して次のように申し上げました、
『法華経行者がどこにいても、六牙(六波羅蜜の象徴)の白象王(実践の象徴)にのって応援し守護したいと思います!』
と、お釈迦さまの許可をえて、法華経行者を守護するために陀羅尼(神呪)を説きました。
 

『あたんだい たんだはだい たんだはて たんだくしゃれ たんだしゅだれ しゅだれ しゅだれはち ぼっだはせんね さるばだらに・・・・・・』

 

お釈迦さまは、満足そうにうなずかれ、今度は具体的な功徳についてのべられました。

  • 世俗的な楽しみを貪ったり、とらわれたりすることがなくなる。
  • 仏教以外の教えや本に、はまりこんでしまうことがなくなる。
  • また、その著者や悪人に心を奪われることがなくなる。
  • 肉屋、猟師、女色系の職業に、親しく近づくことがなくなる。
  • この人は、心が素直で、ものの考え方が常に真理に一致していて、福の徳で人を幸せにすることができる。
  • 貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ)の三毒に悩まされることが無い。
  • また、嫉妬・我慢・邪慢・増上慢に悩まされることが無い。
  • 少欲知足で普賢菩薩のように法華経の教えを行じられる。

そして、この普賢菩薩勧発品の説法を聞いた無数の菩薩は、百千万億人に展転する善をすすめ悪をとどめる大きな教化の力を得て、普賢菩薩とおなじような、徹底した実践力を身に具えることができました。
このようにして、ここに法華経のすべての教えを聞き終えた、普賢等の諸々の菩薩、舎利弗等の諸々の声聞、及び諸々の一切のギャラリーは歓喜し、仏語を受持し、お釈迦さまを礼拝し、去っていきました。
ちなみに、普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつ かんぼっぽん)の勧発とは、元気づけとか励ましという意味です。
 
 

法華経の神髄

法華経をいろいろ勉強してまいりましたが、おぼろげながら、その神髄が見えてきました。

それは、ズバリ! 『因縁果報(縁起)』と『正しい生活』です。

要は、正しい生活をして(因)、良い(縁)が沢山出来、人生苦が消滅(果)して、幸せ(報)なる。

そして、正しいとは、真理(法)にそった、とういうことです。

人は、良因を積むことで、宇宙の調和と共振し、いつでもどこにでも、法身の釈迦を見ること、感じることが出来るようになる。

すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。

つまり、仏になっていくこと、言い換えれば法華経の実践こそが、宇宙の調和であり、世界平和実現の礎になる。とまぁ、法華経の神髄とは、こんなところですか、たぶん。

 

2024年11月14日木曜日

わかりやすい釈尊物語

本ブログでの法華経解説と並ぶコンテンツ、釈尊物語です。

釈尊物語 第1話から第17話まで、一気にお読みください!

 

釈尊物語 第1話:誕生釈尊(天上天下唯我独尊)

時代は、約紀元前500年。場所は、今のネパールのあたりにカピラバストという国がありました。
そして、その国王の淨飯王と摩訶摩耶夫人に、はじめて王子が誕生されました。
名を悉達多(シッダールタ)といい、後のお釈迦さまの誕生でありました。
誕生された悉達多は、四方に向かって七歩ずつ歩かれ、右手を天に指し、左手を地に指し『天上天下唯我独尊』と宣言されました。
生母:摩訶摩耶夫人(まかまやぶにん)は、出産後、7日後に亡くなり、悉達多は継母:摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)に育てられました。



ここで解説です。
まず、皆さんは、たぶん2つの疑問を持ったことだと思います。



  1. 生まれたての赤ちゃんが、なんで歩くことができるのか? 
  2. 『天上天下唯我独尊』とは、なんて傲慢なことを言うのか?


1は、古代インドの文化では、時空をこえた表現をよくするとのことです。
つまり、生まれたての赤ちゃんの釈尊とお悟りを開いた釈尊が、ごっちゃに表現されているのです。


2は、普通の人が言えば、超傲慢ですが、釈尊が言ったということは、宇宙の真理ということです。
つまり、世界を救えるのは、唯一、宇宙の真理だけであるので、宇宙の真理(法)は尊いのだ、ということです。


とにかく、ここに人類の大導師、お釈迦さまが誕生されたのです。
ちなみに、仏教界では4月8日にお釈迦さまの降誕会を行っています。

 

釈尊物語 第2話:少年釈尊(一切皆苦)

後の釈尊こと悉達多王子は、幼くて母親を亡くし、ものに感じやすい考え込みがちな少年でした。
ある年、年中行事の鋤き入れの式がありました。


王子は、父の淨飯王に連れ添って、それを見ていると・・・。
鋤きで掘り起こされた土の中にいた虫を、鳥が舞い降りてきて食べてしまったのです。
その光景は、何度も何度も繰り返されました。
王子は、いたたまれなくなって、そして思いました。


『一方が生きるために、一方が殺される・・・なんとむごたらしい・・・生きることはすべて苦である・・・』
『そして、それは、確かに現実なのだと・・・、そう、一切皆苦なのだと・・・』



しかし、王子の現実生活は、王子なので、学問・武芸など、なに不自由なく幸福だったとのことです。
そんな王子悉達多少年が、青年へ成長する過程で、出家を決定付ける出来事がありました。四門出遊・・・つづく。


釈尊物語 第3話:青年釈尊(四門出遊)

王子から太子になられた青年釈尊は、ある日、郊外の園林に遊びに行くことになりました。


太子がお城の東門から馬車に乗って出かけると、見るに耐えないヨボヨボの老人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。

『老人でございます。すべての人間は、生身であるいじょう、老いの苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう遊びにいくどころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、また、外出することになりましたが、東門をさけ、南門から出かけました。
すると、道端に倒れてる病人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。

『病人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、病の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


また、それからしばらくして、外出することになりましたが、東門と南門をさけ、西門から出かけました。
すると、遺体を運んでいるお葬式に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。

『死人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、死の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、またまた、外出することになりましたが、東門と南門と西門をさけ、北門から出かけました。
すると、出家修行者に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは、どういう人か』とお尋ねになりました。



お供の者は、答えました。

『沙門でございます。出家の修行者でございます』


太子は、沙門に尋ねました。

『沙門には、どういう利益があるのでしょうか?』


沙門は、答えました。

『わたくしは、生老病死の苦しみを超越し、多くの人に安らぎとしあわせをやりたいと願うばかりで、
 世間の汚れから離れている身でございます。これが沙門の利益だと思います』


太子は、『まことにそのとおり、これこそ、わたしの求めていた道だ!』と出家を決意されたとのことでした。



このように仏教は、釈尊が少年期、青年期で体験した苦に対して、どのように克服すればよいかからスタートしたものと思われます。



ということで、仏教は、まず、はじめに苦ありき! です・・・。


釈尊物語 第4話:出家釈尊(大いなる放棄)

さて、四門出遊で出家を決意した太子でしたが、王子でもあるので王の後継ぎをしなければなりませんでした。
しかし、しばらくすると、太子の御妃が羅ご羅(ラゴラ)を出産されたのです・・・。


これで、後継ぎを羅ご羅(ラゴラ)に任せ、生まれたわが子と産後のお妃と孫出産に喜び慕っている父王を
おきざりにして、太子は出家されました。


王になるべき身分を捨て、乞食同然の沙門になられたのでした。
これを、ヨーロッパの学者は『大いなる放棄』と呼んでいるそうです。
すべての人を救うため、王位と妻子父母を放棄してしまったのです。


この大いなる放棄をして、2500年後の我々まで及んでいる絶大な恩恵である仏教を説いた、お釈迦さまにたいして、
感謝をせずには、いられないのです。
そして、そのお陰さまで、我々は、妻子父母を放棄することなしに、絶大な恩恵である仏教を受け継ぐことができるわけです。
あぁ、よかった・・・。

 

釈尊物語 第5話:苦行釈尊(一麻一米)

さて、沙門になられた太子は、もう太子ではなく菩薩となりました。

菩薩は、師をもとめてバラモンの仙人へ弟子入りしましたが、すぐ仙人と同じ境地に達してしまい、もう師はもとめず一人で修行することに決めました。
ところが、仙人とすぐ同じ境地に達してしまった菩薩をみていた5人の仙人の弟子は、菩薩を慕い6人の仲間で修行することになったのです。
ちなにみ、この5人は後の初転法輪の5人です。


修行は、食事を一日に米一粒、麻の実一粒等の苦行が主で6年間続きました。
しかし、菩薩は、苦行では悟れないということを悟られ、苦行をやめ、村の娘(スジャータ)から乳粥を供養してもらい体力を回復されました。
それを見ていた、5人の仲間は、菩薩が苦行から逃げた脱落者と思い、菩薩から離れていきました。
しかし、菩薩は、意に介せず、苦行では得られなかった真の悟りをもとめて、それにふさわしい場所を探し歩き続けました・・・。つづく。


釈尊物語 第6話:瞑想釈尊(降魔)

真の悟りを求めるにふさわしい場所を見つけ、そこで、菩薩は瞑想をはじめました。

瞑想中に菩薩は思いました。魔王を知る前に悟りを得るのは私にとってふさわしくない・・・、魔王を呼び出そう!

魔王の方も、自分が支配している欲界に仏陀が誕生されるとまずいので、なんとか、菩薩の瞑想を邪魔します。

魔王は、はじめに、若くて美しい自分の娘たち(魔女達)をやって誘惑させます。

しかし、菩薩は、魔女達をやさしく諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。

怒りたけった魔王は、つぎに、怪物の軍勢を送って暴力で屈服させようとします。

しかし、菩薩は、怪物たちを慈悲をもって諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。

さらに怒りたけった魔王は、戦法を変え、ずる賢いペテン師をつかって菩薩を混乱させようと試みました。

しかし、これも失敗に終わってショックを受けた魔王は気絶し、魔力は全く無力化してしまいました。

こうして、魔の軍団を降伏させた菩薩は、本格的にお悟りをする準備に入ったのでした・・・。


ここで少し解説です。

ポイントは、魔王が先に来たのではなく、菩薩が先に呼び出したこと。そして、菩薩の力が魔の力よりすぐれていることが証明されました。

また、魔王の攻撃の初めの2つの『性的な誘惑』と『野蛮な暴力』は、理性でなんとか克服できますが、3番目の『知的な悪魔の論理』は、結構厄介です。これにかかると自分の主義主張が正しいものと信じ込んでしまいますので、それを元に戻すには、すごく大変なわけです。ですので、仏教の力によって『知的な悪魔の論理』を大掃除しなければならないわけです。

とにかく、菩薩は、深い禅定に入り、お悟りは、もうすぐです・・・つづく。

 

釈尊物語 第7話:仏陀釈尊(奇なるかな)

魔王を退治した菩薩は、本格的な瞑想に入り、明けの明星が輝く12月8日の朝、ついにお悟りを開かれたのです。
それは、菩薩から仏陀になられた瞬間でもありました。ちなみに、仏教界では12月8日にお釈迦さまの成道会を行っています。

仏陀とは、梵語(サンスクリット)で『真理を悟った人』と云う意味で、今世の歴史上では釈尊お一人ということになっています。

悟りとは、深い禅定に入ると全く澄み切った無我の境地になり、すると真理がなんの妨げもなく心に流れ込んで、真理そのもと合致してしまうのです。
すると、万物の本当のすがたの実相がありあり見えて(仏眼)しまうのです。

そしてその時、仏陀は、つぎのように仰せられました。

奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。

意訳しますと。


不思議なことに。不思議なことに。すべての人には、如来と同じ智慧と徳相をもっている。
しかし、仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』であることを証れ得ないでいるのだ。

いや~、驚いたことに、お悟りのこの一番最初に、法華経16番の『永遠の命』を説いていたのですね。

そして、『永遠の命』を相手に応じて手を変え品を変え説いたので8万4千もの教えが出来てしまったとか・・・。

そして、一番最後の亡くなる直前に説いた法華経も『永遠の命』がテーマでした。

 

釈尊物語 第8話:方便釈尊(梵天勧請)

さて、悟りを開かれた仏陀こと釈尊は、初めの7日間は、その悟りを味わい。
あとの14日間は、とあることを考えていました。


それは、悟り得た難信難解な法を、世の人々に説いてよいものかどうか・・・。
本来、人々を救う法で、機根が低い人たちの場合は、逆に不幸にしてしまうこともあるだろう・・・。
説くべきか、説かざるべきか・・・。


その時、もろもろの梵天王や帝釈天・四天王などの多くの神々が、その眷属たちを引き連れて現れ、人々のために説いて頂きたいと請うのでした。


すると、釈尊は、過去の仏の示された方便力のことを考えつき、相手に応じて、それにふさわしい方法で、いろいろに説き分けることにしようと決心されたのです。


そして、釈尊は、梵天王に、こう仰いました。


『わたしは、あなたの勧請を受け入れ、甘露の法雨を降らせよう!
すべての人々よ、神々も鬼神たちも、すべての耳のあるものは、この法を聞くがよい!』

これで、以来2500年の間、甘露の法雨が地上に降り続けることになるのです。つづく 


釈尊物語 第9話:説法釈尊(初転法輪)

さて、梵天王に勧請され、説法することを決心しましたが、はじめに誰に説いてよいのか思案です。
いくら、方便を使って説くにも、ある程度機根のある人でないと理解してもらえない・・・。

出家時に師事したバラモンの仙人はもう亡くなっていますし、そうだ、かつて苦行を一緒にした5人にしよう。

5人は、200キロ先の鹿野苑(インドのベナレス)にいるのでそこに徒歩で行き、以下の5人をつかまえて、説法を開始しまた。

  • 嬌陳如(きょうじんにょ)
  • 跋提(ばつだい)
  • 婆沙波(ばしゃば)
  • 摩訶那摩(まかなま)
  • 阿説示(あせつじ)

はじめは、苦行を途中でやめたゴータマ(釈尊の本名)の言う事なんか聞けるか・・・という態度でしたが、次第に釈尊の熱意にほだされ、歴史的な説法が始まったのです。

『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである』

これが、第一声でした。

この中道のあと、四諦八正道の教えが説かれたとのことです。

その後、5人は、釈尊のお弟子になり、仏、法、僧がはじめてそろった、つまり、仏教が誕生した記念すべきイベントで、この説法を初転法輪と云います。

ちなみに、初転とは、はじめて転がすことで、法輪とは、法の車輪。(古代インドでは、りっぱな王には、巨大な車輪が授けられた。)


釈尊物語 第10話:教団釈尊(帰依三宝)

初転法輪後、ちょうど雨期だったので、釈尊と5人の比丘は、ベナレスに留まり、そして、ヤシャと云う青年を偶然に仏門に導きます。
仏法を会得したヤシャは、いきなり両親、妻をはじめ50人以上も導いて、釈尊教団が誕生しました。
ちなみに、両親、妻は、出家せず、はじめての優婆寒(男子の在家修行者)、優婆夷(女子の在家修行者)となりました。


釈尊教団に入るには、仏法を理解することはもちろん、つぎの3つの心構え(帰依三宝)の不動の決意が必要でした。


  1. 自ら仏に帰依したてまつる。
  2. 自ら法に帰依したてまつる。
  3. 自ら僧に帰依したてまつる。

仏とは、釈尊(宇宙の大生命)。法とは、仏法(宇宙の真理・法則)。僧とは、同信者の和(宇宙の大調和)。

普段、なにげなく、読経の前に帰依三宝を唱えていますが、結構重い意味があったのですね・・・。

 

釈尊物語 第11話:布教釈尊(随宜説法)

雨期も過ぎ、約60人の釈尊教団は一人ずつ布教の旅に出ることになりました。
釈尊も、マガダ国へ向かいました。それは、マガダ国王と悟りを開いたら訪れると約束をしていたからです。
途中、森のなかで30人の若者に随宜説法で教化し、つぎに事火外道の三迦葉(うるびん・なだい・がや)の教団をまるごと教化して、
一挙に約1000人でマガダ国に入りました。


国王は、釈尊教団のために竹林精舎(霊鷲山の近く)を建立し、釈尊教団はとどまって修行の道場としたのです。
その後、阿説示が智慧者舎利弗を導き、舎利弗は友達の神通力目連と一緒に入団。
また、拈華微笑摩訶迦葉も釈尊が迎えるまま入団。
そして、ここに三大弟子が加わり、最強の教団が誕生したのでありました。


尚、随宜(ずいぎ)説法とは、相手にふさわしい適切な指導の手段(方便)で、その場その場で、随時よろしく、説法・教化することで。また、拈華微笑(ねんげみしょう)とは、釈尊と摩訶迦葉のとある有名なエピソードなのですが、今回は割愛、将来コンテンツに加えるつもりです。


その後、カピラバスト国へ帰郷したり、コーサラ国に祇園精舎を建立したりして、教団は益々大きくなっていきました。
釈尊の一族からも沢山の出家者が出ました。
阿難(従弟)、羅ご羅(実子)、阿那律(従兄)、耶輸陀羅比丘尼(妻)、摩訶波闍波提比丘尼(継母)、難陀(異母弟)、提婆達多(阿難の兄)。
中でも、提婆達多は、釈尊の永遠のライバルで・・・、つづく。


釈尊物語 第12話:反逆釈尊(提婆達多反逆)

提婆達多は、釈尊の従弟で、年も同世代だったようです。
青少年時代は、学業もスポーツも共に大変優秀だったのですが、提婆達多は、両方とも釈尊に今一歩およびませんでした。
また、ひじょうに我の強い性格だったようです。
そんなことから、提婆達多は、釈尊に強いコンプレックスを感じていたようです。
出家後も、その強い我は直らなかったのです。
そして、大きくなった教団を牛耳ってみたいという気持ちを抑えることが出来ませんでした。


また、釈尊はもちろん、教団の幹部はみな神通力(超能力)を持っていました。
これは、仏道を真に修行すると自然と会得してしまうものなのです。つまり、神通力の会得は二次的なものなのです。
しかし、提婆達多は、すでに神通力を得ている比丘から、神通力だけを伝授してもらいます。
すると、仏道修行で長年抑えていた我が閾値を超え、釈尊何するものぞと、教団を乗っ取ろうと、釈尊の命を狙ったり、いろいろ企てます。
しかし、その企ては、すべて失敗し、自暴自棄になり、悪行を重ね、地獄に落ちたと仏伝にしるされています。


そんな提婆達多のことを、釈尊は、以下のように仰っております。


等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり

(仏の悟りを得て多くの人々を救うことができるのも、みんな提婆達多が善き友のお陰である)


これは、どういうことかというと、提婆達多反逆の苦を通して、自分自身が逆に成長できたということだと思います。
その結果、多くの人々を救うことができた・・・。
また、その奥には、法句経の『恨みに報いるに恨みをもってしない』があったのだと思います。

 

釈尊物語 第13話:入滅釈尊(大いなる死)

釈尊は、29歳で出家され修行し、35歳でお悟りを開かれ(成道)、80歳で入滅する(亡くなる)までの45年間、仏法の布教伝道に邁進しました。
仏伝では、初転法輪前後と入滅直前あたりは、順を追って分かるのですが、それ以外の事柄は、2500年前のことなのでわかりません。


しかし、天台大師や後世の学者が、ほぼすべての経典を読破し、成道直後に華厳経、つぎに阿含経、方等経、般若経と説かれ、涅槃の8年前から法華経が説かれ、最後に、涅槃経を入滅直前の一日一夜の説法とのことと解明されました。

 

さて、入滅の涅槃ですが、直前に2つのエピソードがありました。

一つ目は、ほとんど絶望を思われていた釈尊が、幸い小康を得られた時に、熱心な信者のチュンダが、ご供養した食事の茸に中毒され、ご容体がにわかに悪化し、それを知ったチュンダは、物凄く後悔しました。
しかし、釈尊は『チュンダの供養した食事が、私の最期を早めたからといって、何も悔やむことはありません。
私が成道する前に、スジャータという娘が食事を供養してくれましたが、今入滅しようという際のこの食事も、それと同じように大きな功徳があるのです。』とおおせられ、チュンダの心を救ったとのことです。


2つ目は、いよいよ寿命が尽きることをお悟りになった釈尊のもとへ、スッパダという異教の行者が『真の悟りに至る道』の教えを請いに来ました。
釈尊の弟子達は、ご臨終に近い釈尊をわずらわしてはならぬと思い、断ると、その押し問答を聞かれた釈尊は、『道を聞きに来た人を拒んではなりません。』と八正道をお説きになったそうです。
そして、スッパダは、そのお言葉に目がさめたようになり、釈尊の最後の弟子になりました。


そして、クシナガラという町の沙羅の木の間に床を用意され、頭を北にし、
右脇を下にした形で、お亡くなりになりました(享年80才)。最後のお言葉は、

すべての現象は、移り行くものです。怠らず努力することですよ!

とのことでした。

ここに人類始まって以来の最高の聖者は、まことに大いなる死を迎えたのでありました。
それは、日本暦に直して2月15日の夜半とのことでした。
ちなみに、仏教界ではこの日に涅槃会を毎年とり行っています。

ちなにみ、なぜ北枕にしたのかというと、一説では、足を自分の生まれた国の方向へ向けないためとのことです。
これは、大いなる放棄より、父母に対しての親不孝を、釈尊はいつも気にしていたとのことです。

 

釈尊物語 第14話:総括釈尊(真の仏教とは)

今回、釈尊の一生を見てきたわけですが、ここに僭越ながら、仏教素人の私の感想(ある意味悟り)を述べてみたいと思います。


仏教はご存知の通り、八万四千の法門があり、経典は約1700種あると言われています。また、宗派も沢山あるわけです。
これは、釈尊の時代には、教えを書物にする習慣(技術?)がなく、随宜説法の内容を口づてに伝えられました。
それを釈尊が入滅したのち、弟子達が思い思いに本にまとめたものが、経典となったのです。


したがって、すべての経典の内容は、ほぼ間違いなく釈尊の教えだと思うのですが、それにしても多過ぎます。
そこで、教えの真髄中の真髄を私なりに推察すると、お悟りと初転法輪のときの2つのメッセージに帰するのかなと思うのです。

一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。

如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。

まず語句を解釈します。

『如来の智慧と徳相』とは、如来は仏様の別名で、智慧と徳相とは、性質です。したがって、仏性となります。

『妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず』は、何に対しての妄想・執着かというと自分自身のからだということです。

上記を踏まえて意訳しますと。


すべての人は、仏性を持っている。仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』である仏性を持っていることを証れ得ないでいるのだ。

苦行と怠けの2つの極端を捨て、真理に合った道を悟ったのである。そして、八正道を実践すると自然と真理に合って来るのです。


とりあえず、これから先は、まだ、悟りえず・・・・・・。

しかし、これだけは、確かなようです。そう、幸せになるための『正しい行い』です!

そういえば、最初(初転法輪)に説いたのが八正道で、最後(涅槃時)も八正道だったなぁ・・・。 

 

釈尊物語 第15話:番外釈尊(釈尊の呼び名)

み仏けさまこと釈尊のお名前の呼び名は、実は沢山ありますね。

  • ゴータマ
  • シッダールタ
  • 釈迦牟尼世尊
  • 釈尊
  • 世尊
  • 釈迦牟尼如来
  • 如来
  • 釈迦
  • お釈迦さま
  • 仏陀
  • ブッダ
  • 仏さま
  • み仏さま
  • 釈迦牟尼仏


ここで少し、解説してみます。


今から、2千5百年前にカピラバスト云う国の王子として生まれた釈尊は、ゴータマ・シッダールタと名づけられました。
シッダールタとは、『すべてののぞみを成就するもの』という意味だそうです。


カピラバスト国は、シャーキャ族(釈迦族)という民族の国でした。
釈迦族は、今のインド人の大部分を占めるアーリア系白色人種でなく、
日本人に似ている蒙古系の黄色人種であったと云われています。


釈尊は、釈迦族出身の聖者(ムニ)で、『世に比類なき尊いお方』のバガヴァン(世尊)の称号で呼ばれていました。
つまり、釈迦牟尼世尊です。それを略して釈尊世尊と言われています。


また、釈迦は、ご自分のことを『真如から来たもの』の如来といっていたそうです。
つまり、釈迦牟尼如来です。
ちなみに、真如とは、宇宙のあらゆるものごとを存在たらしめている大本の法のことで、無生、無滅、無始、無終のもの。


実は、当時『釈迦』といった場合は、釈尊でなく釈迦族を指したそうですが、今では、釈尊のことですね。
もちろん、『お釈迦さま』も。


また、釈尊は、お悟りを開かれたので『真理を悟った人』と言う意味の仏陀ブッダ)と呼ばれ、仏さま、または、み仏さまと言われています。
つまり、釈迦牟尼仏です。


これで、とりあえず、上記の名前はすべて説明がつきました。 
 
 

釈尊物語 第16話:滅後釈尊(その後の仏教)

仏滅後、仏教は13世紀初頭までインドで栄えましたが、回教徒(イスラム軍)のインド侵入により仏教は滅亡しました。

しかし、大乗仏教は東へ東へと、中国、朝鮮半島、日本へと伝わり、小乗仏教(上座部仏教)はスリランカから東南アジア諸国に伝わりました。

大乗仏教の成立は、西暦元年前後で、その後、大乗仏教を理論体系にまとめた『中論』のナーガールジュナ(龍樹)や唯識仏教のアサンガ&ヴァスバンドゥ兄弟を輩出しました。

また、中国では三蔵法師玄奘や鳩摩羅什が大乗仏典を漢訳して、それが日本に伝わりました。
ちなみに、お経を読んでいて観世音菩薩が出てきたら鳩摩羅什訳で、観自在菩薩が出てきたら玄奘訳だそうです。

仏教が伝わったといっても、仏教の経典の数は5000以上もあり、当時の高僧達がこれはと信じたものが広まりました。

ちなみに、今の日本には以下のような宗派があるようです。


  • 天台宗(最澄)- メインは法華経(しかし、密教、禅、戒律、念仏もサブメイン)
  • 真言宗(空海)- メインは密教(即身成仏が目標で、口で呪文を唱え、手に印を結び、心は大日如来を思う)
  • 律宗(鑑真)- メインは戒律(五戒:不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒)
  • 浄土宗(法然)- メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって救われる)
  • 臨済宗(栄西)- メインは禅(禅で真実の自己をみつければ、慈悲の心にかなう生き方が出来る)
  • 曹洞宗(道元)- メインは禅(難しいことは考えず、したすら坐禅をすることで仏と一つになれる)
  • 黄槃宗(隠元)- メインは禅と念仏(念仏と禅を組み合わせた念禅一致で浄土にいたることが出来る)
  • 真宗(親鸞) - メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって極楽浄土することを約束)
  • 日蓮宗(日蓮)- メインは法華経(南無妙法蓮華経を唱えて、法華経の教えを実践することにより救われる)
  • 時宗 (一遍)- メインは念仏(念仏踊り、盆踊りの起源)
  • 融通念仏宗(良忍)- メインは念仏(一人の念仏がすべての人の念仏と融けあい、その功徳がその人に帰ってくる)
  • 法相宗(玄奘)- メインは唯識(一切のものは自分の心から生じたもので、自分の心をきれいにすることで悟りにいたる)
  • 華厳宗(良弁)- メインは毘廬遮那仏(奈良の大仏)(一微塵のなかに全世界が反映し、一瞬のうちに永遠の時間が含まれている)


以上のように、法華経系、密教系、戒律系、念仏系、禅系、その他系に分かれ、法華経系以外は、仏教のある一つの教え、
例えば、陀羅尼、戒律、念仏、禅、唯識等を各々デフォルメして各々発展しているのかなぁ・・・と思う次第です。


すべての教えの仏教全般をフォローしているのは、法華経だけかも・・・。


釈尊物語 第17話:現代釈尊(今の仏教)

今の仏教は、葬式仏教と云われています。なぜ、そうなったかというと、それは、戦国時代にまでさかのぼります。

当時の混乱した社会の中で、軍事力もった、増大した仏教勢力を、信長と秀吉は大弾圧をします。

その後、江戸幕府も、寺の軍事力を削ぐため、寺に関する厳しい統制をかけ、江戸幕府は、仏教そのものを国教(寺請制度)としました。

事実上、国教になったことにより、すべての僧侶が幕府の官僧となり、
この結果、僧侶たちは、生活が保障され、布教のために信者を獲得する必要がなくなったのです。

そして、僧侶たちの仕事は、葬式と法事にお経を唱える葬式仏教となってしまったのです。
現代もその流れで、現在に至っているわけです。

しかし、伝統的な仏教とは別の流れとして、新しい仏教教団が大正、昭和の時代に登場します。
それは、本来の仏教の復活でもありました。

しかし、とにかく、法華経系以外の宗派を評するほど、仏教に詳しくないです。すみません。

2024年11月13日水曜日

薬草の譬え(法華七喩あらまし)

薬草の譬え

妙法蓮華経薬草諭品第五に出てくる譬え話しです。

物語

この地上には、いろいろさまざまな草木が生い茂っています。その草木は、大きさにも大・中・小があり、性質もすがた形も、千差万別です。 しかし、すべての草木に共通していることは、ひたすら雨のうるおいを欲し求めていることです。 そして、雨は、どこにでも、どの草木にも、同じように平等に降りそそぎます。ところが、それを受ける草木の方では、その大小や種類の相違によって受け取り方が違ってきます。

仏の教えと衆生との関係もこれと同様であることを知らなければなりません・・・。

解説

この譬えは、差別相と平等相について述べています。

人々の天分や性質は、一人ひとり違います。生い立ちも、健康も、環境も、職業も、それぞれ違います。 そういう様々な条件の違いがあるため、人々が等しくもっている仏性は、まったく平等であるにもかかわらず、真理の雨の受け方にさまざまな違いが生じてくるのです・・・。(差別相)

しかし、いくら受け方が違っても、それぞれの人が真理の雨を受けて、天分の性質のままに成長し、それぞれの花を咲かせ、それぞれの実を結ぶという点において、全く平等なのです・・・。(平等相)

つまり、人間は、それぞれにすがたは違って(差別相)いても、それぞれに成長していくところは、全く同じ(平等相)で、この事を認識することにより、自分もほんとうに生かし、他の人もほんとうに生かす正しい生き方ができるわけです。


 

長者窮子の譬え(法華七喩あらまし)

長者窮子の譬え

妙法蓮華経信解品第四に出てくる譬え話しです。

物語

幼い時に父(長者)の屋敷をさまよいい出て、ゆくえも知らず50年・・・、放浪しながら他国で貧乏な暮らしを続けいた、一人の貧しい子(窮子)がいました。

そして、放浪で知らないまま本国へもどり、偶然、父とは知らず父の立派な屋敷の前で再会しました。 父親は、すぐ我が子だと気づきましたが、窮子は気づかず、立派な父に畏れをなしてしまい、屋敷から立ち去りました。

しかし、父親は、使用人へ窮子と同じような貧しい恰好をさせて近づきさせ、屋敷で働くように仕向けました。 そして、窮子は、屋敷で働くようになりました。

父親は、始めお便所掃除などの汚れ仕事から徐々に財産の管理などの重要な仕事へと段階的に導きました。 窮子も、始めの卑屈な心から次第に菩薩のような心へと段階的に変化していったのです・・・。

そして、父親は臨終間じかに、大勢の人の前で、この窮子は私の実の子ですと真相を明らかにしました。 窮子は、昔の極貧の境遇と、それに甘んじていた志の低さにくらべ、父の莫大な財産を得た身の広やかな思いは、生まれてはじめて味あう喜びでありました・・・。

解説

もちろん、父親(長者)はお釈迦さまの喩えで、そして、窮子はわれわれ凡夫の喩えです。 お釈迦さまは、われわれ凡夫が、志の低いところから徐々に高い所に導いて、最後にはすべての人が、最高の境地で達することができるのです。と説かれました。

そして、父親(長者)の言うことを信じ、理解して、窮子は父親(長者)の後を継ぎ、最高の境地を手に入れたのです・・・。


三車火宅の譬え(法華七喩あらまし)

三車火宅の譬え

妙法蓮華経譬諭品第三に出てくる譬え話しです。

物語

ある国のある町に、大きな長者がいました。 その家やしきは広大なものでしたけども、門はごく狭いのが一つしかありませんでした。 しかも、家は大変荒れはてていました。

ある日、その家が突然火事になりました。 家の中には、長者の子供達が大勢いて、夢中で遊びたわむれていて、火事に全く気づきません。 長者は、大声で知らせますが、全く聞こえてくれません。 その時、長者は、ふと子供達が車を欲しがっていたことを思い出しました。

そして、火事のことではなく、つぎのように呼び掛けたのです・・・。

『おまえ達の好きな、羊のひく車(羊車)や、鹿のひく車(鹿車)や、牛のひく車(牛車)が門の外にあるぞ、早く行ってとりなさい!』

すると子供達は、その言葉を聞いて正気にもどり、われ先にと燃えさかる家から出て助かることができました。 長者が、子供達が助かって安心していると、子供達は、口々に約束の車をせがみます。 すると、長者は、子供達が欲しがっていた車ではなく、大きな白牛のひく大変豪華な車(大白牛車)をみんなにひとしく与えたのでありました・・・。

解説

父の長者は、いうまでもなくお釈迦さまです。 子供たちは、われわれ凡夫です。 荒れはてた家は、現実の人間社会です。 火事は、われわれの煩悩をさしています。

われわれ凡夫は、物質、肉体などにとらわれて、なかなか苦しみからのがれられません。 そこで、お釈迦さまは、いろいろな教えをお説きになりました。 まずは、声聞(羊車)で、とにかくお教えを聞きなさい。 つぎに、縁覚(鹿車)で、とにかくお教えを体験しなさい。 最後に、菩薩(牛車)で、とにかくお教えで沢山の人をお救いしなさい。 などなどです。

そして、この3つ(三乗)の教えを実践して、人格を高めて歩んでいけば・・・、ある一つの真理(大白牛車)にたどり着くのです・・・。

良医の譬え(法華七喩あらまし)

良医の譬え

妙法蓮華経如来寿量品第十六に出てくる譬え話しです。

物語

ある所にどんな病気でも治す名医がいました。 また、その医師にはたくさんの子供がありました。 ある時、用があって、他国へ出かけました。

その留守中に子供達は、したい放題の生活をして、間違って毒薬を飲んで、地べたにころげ回って、苦しがっていました。 そこへ、突然、父が帰って、その状態を見て、良く効く薬を作り、子供達へ与えました。

何人かの子供は、その薬を飲んで治りましたが、ほとんどの子供達は、飲みませんでした。 なぜかというと、本心を失っている子供達には、その薬が良い薬と思えなかったのです。そこで、父は、何とか子供達に薬を飲まそうと、ある方法を考え、子供達に告げました。

『私は年をとって、体が弱り、あまりさきが長くない。それなのにまた用があって他国へ出かけなければならないのだ』と良薬を置いて、旅たって行きました。 そして、旅先から使いをやって『父上は、お亡くなりになりました』と告げさせたのです。

それを聞いた子供達は、大変驚き、悲しみましたが、逆に本心を失っている子供は、ハッと目を覚ましたのです。そして、良薬を飲み、毒による病は治りました。 そして、そこに父が旅先から帰ってきて子供達のまえに姿を表したのです。

解説

この譬えは、仏の神髄を説いたものです。どこが、神髄なんだって声がきこえますが・・・。

まず、医師はお釈迦さまで、子供達は私達衆生です。そして、良薬は法華経です。 お釈迦さまは、序品から寿量品まで『生身の釈迦』が、実は、『法身の釈迦』でもあるのだ・・・と、手を変え品を変え述べているのです。

そして、『生身の釈迦』が入滅するのは、私達衆生を教化するための方便で、本当は滅度したのではなく、『法身の釈迦』として、いつでもどこにでも、私達衆生のために法(法華経)を説いているのだと、明らかにされたのです。

つまり、仏の神髄は、『法身の釈迦』としての、いつでもどこにでも、私達衆生のために法を説いている『永遠の命』だったわけです。

そして、その法とは、すべての人が正しい生活(法華経の実践)をしていけば、世界が大調和し、すべての人が幸せになれるということらしい。

だから、まず始めに自ら正しい生活を実践し、そして、あなたにも実践していただいて、みんなで幸せになりましょう・・・ということが、法華経の教えなのです。

 

髪中の譬え(法華七喩あらまし)

髪中の譬え

妙法蓮華経安楽行品第十四に出てくる譬え話しです。

物語

非常に強いある国の王が、命令に従わない多くの小国を次々と討伐しました。その戦いで手柄があった武将には、領地や衣服や宝石などを褒美として与えましたが、自分の髪に結ってあった明珠の飾りだけは、与えませんでした。

なぜならば、それはたった一つしかない最上の宝なので、もしむやみにこれを与えたら、王の一族が驚き怪しむだろうと考えたからです。

しかし、くらべもののないようなすごい手柄を立てた者がいたら、おしげもなく髪に結ってあった明珠のを与えるでしょう。

解説

この譬えは、法華経が難信難解なので、機根ない人に無闇に説いては行けませんよ。しかし、機根ができれば、おしげもなく法華経を説きなさい。ということの譬えです。

つまり、仏は、禅定と智慧で法の国を治める王です。菩薩達が、衆生を教化して仏道に入ると、 無漏(迷いがなくなる)や根力(精進の力)や涅槃(煩悩を滅する)などを褒美として与えます、 そして、菩薩達が仏法にたいする迷いをなくし、しかも信心が固くて大丈夫だと見極めたら、はじめて法華経を説くのです。


衣裏繋珠の譬え(法華七喩あらまし)

衣裏繋珠の譬え

妙法蓮華経五百弟子受記品第八に出てくる譬え話しです。

物語

貧乏な『ある人』が『友人』の家に訪問し、ごちそうになり、酒に酔って眠ってしまいました。 ところが、その『友人』は、急に用事で旅立つことになりました。 寝ていた『ある人』を起こすのも気の毒と思い、また、貧乏から脱出できるようにと着物の裏の襟に『宝石』を縫い付けてから旅立ちました。

やがて、目を覚ました『ある人』は、『友人』がいなくなっているので、その家を立ち去り、相変わらず貧乏な生活を何年も続けていました。

ずいぶんたってから、『友人』は、『ある人』にバッタリ出会いました。 『友人』は、哀れな『ある人』を見て、「なんとバカなことだ、着物の裏の襟の宝石を売れば、素晴らしい生活ができるのだよ」といいました。

解説

貧乏な『ある人』は、我々凡夫です。『友人』とは、お釈迦様です。着物の裏の襟の『宝石』は、人の心の奥の仏性です。

要は、すべの人は、仏性(宝石)を持っているが、なかなか気づくことができず、苦の人生をさ迷うってしまう。救われるには、その仏性に気づき、仏と同じ命を生きていることに気づけばよいのだと・・・。


 

化城宝処の譬え(法華七喩あらまし)

化城宝処の譬え

妙法蓮華経化城諭品第七に出てくる譬え話しです。

物語

長くけわしい非常に困難な道を、宝物を探し求めて旅をしている一行がありました。一行の中には、もう疲れてしまったり、この道は恐ろしくて行く気にならなと言い出しました。そこで、リーダーは、ひとつの大きな城を幻としてあらわしたのです。

一行は、その城で休息して疲れをすっかり癒し、そして、それを見計ってリーダーは、その幻の城を消してしまい、さぁ、本当の宝物のある場所はもうすぐですよと一行をはげまし、そこへ導きつづけたのでした・・・。

解説

「長くけわしい非常に困難な道」とは、われわれ人生の旅路です。人生での出来事に疲れてしまったり、迷いが生じた時に、とりあえず、迷いを除いて、心に安心を得るようにみちびいてあげるのです(化城のこと)。つまり、「目の前に現れる現象は、仮の現われに過ぎないので、それにふりまわされるな」ということです。

そして、捜し求めている宝物とは、「創造」と「調和」のことで、何を「創造」するかというと、「調和」した平和な世界ということです。これこそが、捜し求めていたこの上のない宝物だったのです・・・。


2024年11月12日火曜日

鬼子母と十羅刹女

鬼子母(きしも)

子煩悩な鬼女でしたが、王舎城(おうしゃじょう)の町に来ては、人の子をとって食べてしまいます。釈尊は鬼子母の子をお隠しになり、 半狂乱になった鬼子母へ、『あなたに食べられた子の親の身になってごらん』と諭しました。すると鬼子母は、非をさとり、仏教に帰依して、安産と幼子の守り神になろうと誓願し、鬼子母神となりました。

藍婆(らんば)

世間をさまよいあるく鬼女。

び藍婆(びらんば)

藍婆より藍婆の完全藍婆?

曲歯(こくし)

まがった歯の羅刹女。

華歯(けし)

花の歯(?)をもった羅刹女。

黒歯(けし)

黒い歯をもった羅刹女。

多髪(たはつ)

髪の毛の多い羅刹女。

無厭足(むえんぞく)

厭き満足することのない羅刹女。

持瓔珞(じようらく)

首飾りをもった羅刹女。

こう諦(こうたい)

屋根にのぼって死人の霊魂を呼び戻す鬼女。

奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)

すべての生物の精気を吸い取ってしまう鬼女。

2024年11月11日月曜日

法華経登場の菩薩たち


弥勒菩薩

慈悲を象徴する菩薩です。お釈迦さまと同じ時代に実在したらしい・・・。

文殊菩薩

智慧を象徴する菩薩です。こちらは、架空の菩薩です。このような菩薩を『法身の菩薩』といいます。

普賢菩薩

行徳を象徴する菩薩です。こちらも、架空の菩薩です。六牙の白象王に乗って現れます。六牙とは、六波羅蜜を表し、白象王に乗ってとは、徹底した実践を表します。

上行(じょうぎょう)菩薩(四大菩薩)

従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

無辺行(むへんぎょう)(四大菩薩)

従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

浄行(じょうぎょう)菩薩(四大菩薩)

従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

安立行(あんりゅうぎょう)菩薩(四大菩薩)

従地涌出品で大地から涌出して法華経流布を申し出た菩薩。

常不軽菩薩

常不軽菩薩品で登場する菩薩で、すべての人の仏性を礼拝する菩薩です。

妙音菩薩

理想の国からやって来た、なぜかウルトラマンのイメージがする菩薩です。

観世音菩薩

苦しい時に、お願いをなんでも叶えてくれる菩薩・・・、いえいえ、自分がそのような菩薩になれるようにとの見本の菩薩。

薬王菩薩

以下のように凄い菩薩です。
薬王菩薩の前世で「香油を飲み、また香油を身体に塗ってしみこませ、如来の前で宝衣に自ら火をつけて、こうして自身を灯明として法華経を供養しました。」



2024年11月10日日曜日

釈尊十大弟子

以下は、法華経を読誦していると、よく登場してくる釈尊のお弟子達で、十大弟子と呼ばれています。

  • 舎利弗しゃりほつ(智恵第一) 
  • 目連もくれん(神通第一)
  • 摩訶迦葉まかかしょう(頭陀ずだ第一)
  • 須菩提しゅぼだい(解空げくう第一)
  • 富楼那弥多羅尼子ふるなみたらにし(説法第一)
  • 摩訶迦旃延まかかせんねん(論義第一)
  • 阿那律あなりつ(天眼てんげん第一)
  • 優波離うぱり(持律じりつ第一)
  • 羅睺羅らごら(密行みつぎょう第一)
  • 阿難あなん(多聞たもん第一)

2024年11月9日土曜日

法華経の神髄

法華経をいろいろ勉強してまいりましたが、おぼろげながら、その神髄が見えてきました。

それは、ズバリ! 『因縁果報(縁起)』と『正しい生活』です。

要は、正しい生活をして(因)、良い(縁)が沢山出来、人生苦が消滅(果)して、幸せ(報)なる。

そして、正しいとは、真理(法)にそった、とういうことです。

人は、良因を積むことで、宇宙の調和と共振し、いつでもどこにでも、法身の釈迦を見ること、感じることが出来るようになる。

すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。

つまり、仏になっていくこと、言い換えれば法華経の実践こそが、宇宙の調和であり、世界平和実現の礎になる。とまぁ、法華経の神髄とは、こんなところですか、たぶん。

2024年11月8日金曜日

法華経ブログって、いいことが書いてある!

 2008年当時、確かに法華経研究が趣味だった気がするのですが、今読むと、結構いいことが書いてある(^^;

しかし、ブログ内のアンカーがことごくアクセス不可になっているので、なんとか直していきたいと思う今日この頃です。


2016年7月8日金曜日

真の菩薩行

『とある人』が、『とある先生』のお供で、インドに行きました。 『とある先生』は、大変忙しく、また、大変偉い方なので、 日本では、話すご縁などありませんでした。
しかし、今回のご縁で2時間、さしでお話しする機会を得たのです。 『ある人』は、大変有り難いご縁を得たので、緊張と感激のあまり喉が乾き、 傍にあった生水を誤って飲んでしまったのです。
そう、インドは、ご存知の通り、生水は不衛生です。 その晩、当然のごとく、「なんとか赤痢」に掛かって、死ぬような苦しみを味わいました。 すると、『ある先生』は、自分がこのようになった時のために用意した点滴をくれたのでした。 尚、点滴は3本用意してきましたが、すでに2本は、同じような症状の同行者に与え、最後の1本を くれたのでした。
点滴を打ったら、『とある人』は、今までの苦しみがうそのように回復しました。 すると、こんどは、『とある先生』の様子がおかしいことに気づきました。 そう、『とある先生』も、実は、「なんとか赤痢」にかかっていたのです。 しかも、『とある人』に点滴を与えた時に、すでに「なんとか赤痢」にかかっていたのを 『とある先生』は、ご自分で知っていたようなのです・・・。
真の菩薩行とは、自分がどんな状態でも、目の前の苦しんでいる人を助けずにはいられない、そして、助ける。そのような行いらしい・・・。
その後、『とある先生』は、恩に着せることなく、そして、『とある人』は身を持って、真の菩薩行を間近で見ることが出来たのです。

2016年7月6日水曜日

あぁ有り難い

障害を持って生まれてきたある一人の青年がいました。 青年は、学生時代に障害のことでイジメにあったり、機能回復の手術を何回も受けたりと、 困難な人生を歩んできました。
そんな青年の母は、お見舞えに来た人達などに、ことある毎に『有り難い有り難い』と言っていました。 しかし、青年は、何がそんなに『有り難い』のかいつも疑問に思っていました。
そんな中、母のご縁で、とあるボランティアに参加することになったのです。 はじめは、母の手前、我慢して、何でオレがと・・・参加していたのですが・・・。
しばらくして、ボランティア人達とも打解けて仲間になり、そして、その仲間のやさしさにふれた時に、 はじめて、心の底から『あぁ有り難い』と思える感動が湧き上がってきたのです・・・。
そして、それは、お母さんやご先祖さまから受け継いだ感謝の気持ちだったのかも知れません。

2016年7月2日土曜日

「正」しいとは?

昨日、法華経の勉強会がありました。その時、正しいの「正」は、一(真理)が止まると書きます』と説明がありました。そこで、すかさず、一は真理とイコールですかと質問をしてみました。
すると、『一般的には、「一」には真理という意味はありません、しかし、法華経観では、すべての人は一つの乗り物(一乗)に乗っているいう真理があり、そこから「一」イコール「真理」となる』と説明がありました。
つまり、正しいとは、真理が止まること、言い換えれば、真理がある状態らしい・・・。
正しいHTML、正しいかな使い、正しい論理、正しい・・・は、真理がやどる・・・。