2025年2月9日日曜日

四安楽行とは


妙法蓮華経安楽行品第十四に出てくる身口意誓願(しんくいせいがん)の四安楽行(しあんらくぎょう)です!
 

身安楽行

いつも柔和忍辱をたもち、権力や邪法や勝負事には近寄らず、性的なことには最善の注意を払う、などなど。

口安楽行

悪口や見下すような言葉、批判、また、あの人は好きだとか嫌いだとか、などなど。

意安楽行

嫉妬の心を持たないようにしたり、人を軽んじたり、失望させたり、えこひいきなどをしない、などなど。
 

誓願安楽行

すべての人をこの法華経によって幸せにしたいと誓願すること、などなど。


四安楽行を完全に行って、この教えを広める者の功徳については、以下のようにお説きになりました。


  • 一切心配事がなくなる。
  • 一切苦痛がなくなる。
  • 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
  • 生活にこまることがなくなる。
  • 大勢の人から崇め慕われる。
  • 神からも守護される。
  • いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
  • 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまうでしょう。

 

これは、もう四安楽行を実践するしかないですね(^o^)

2025年2月8日土曜日

親の切ない思い



自分の赤ちゃんが重度のアトピーで、痒いので掻いて血だらけになっていたとしたら...。 そう自分ではなく、自分ではどうすることもできない、小さな赤ちゃんが...です。

 

つい先日、盲目のエッセイストのお話しを聞かせてもらいました。 このエッセイスト(麻由子)は、四歳のときに失明して、それ以後、母親と二人三脚で今日に至りました。 母親は、麻由子に生きがいを与えるべく、絵本を読んできかせたり、点字を先にマスターして教えてあげたりしました。

 

四歳の娘が失明してしまったことにたいする、どうすることもできない親の切ない思い...。 その切ない思いを力に変えて、麻由子は大学院まで入り、英語やフランス語まで点字をマスターしてしまったのです。麻由子にとって感謝しきれない、最高のお母さんでした。

 

そして、麻由子にとって、いま一番うれしいのは、本人の何倍も努力したであろう母が以下のようにいってくれたことでした。

 
「麻由子を育てることで、二度も三度も人生を楽しめた。
        だからあなたに感謝しているのよ」

 

アトピーの赤ちゃんのお母さんにも同じような結果になることを願っております。

 

『苦は楽の種』といいます。もしかしたら、神さまから、苦を克服したその先に楽しみが待っているよ…というメッセージなのかもしれません...。



2025年2月7日金曜日

原因は、外ではなく、実は内だった


失敗したり、嫌なことがあると、普通、人は、外に原因を求めます。

そして、それらしき原因をみつけ、取り除こうとします。

でも、なかなか上手く行きません・・・


そうなんです。それは、真の原因じゃないからなのです。

真の原因は、実は外ではなく内で、自分自身だと云う事に気がつくと、解決の道がひらけるかも知れないのです。

By picochanjiiji (^^;;


追記

とにかく、普段からメモする習慣をつけて、ミスや失敗をしたら、欠かさずメモする。そして、空き時間に、メモをまとめて、頭に刻みつける。同じミスを犯さないようにと・・・

とにかく、原因である自分を変えるしかないのです。

2025年2月6日木曜日

関心は実は愛だった・・・


私がブログを毎日更新し続けるのは、なんなんだろうと思っていたら、どうやら正体がわかってきました。

 

その正体は、愛不足です・・・たぶん(^^;;

 

マザーテレサが『愛の反対は無関心である』と確か言っていたと思うのだけれど・・・

そうすると、 愛の反対の反対は関心であるということになる。

よって、関心は愛とイコールなんだとわかる(^^;;;


皆さん、まだこのブログに無関心なので、もっと関心を持ってもらいたい、つまり、愛不足・・・(^^;;


夫婦であればパートナーを、親子であれば親子同士、仕事であればお客さまや同僚に対して関心をもつこと!

 

そして、関心をもってくれることが分かると、嬉しくなりこちらも関心を持ち、こんどは相手が嬉しくなり、プラスのスパイラルになっていくのです。


早く、プラスのスパイラルなるように頑張ってブログ更新をしていきたいと思います(^o^)



2025年2月5日水曜日

家庭のオアシスとは



以前、旧燈明日記にアップしたものだけど、こちらにもアップしとく(^^;;


もう子供は、3人とも三十過ぎで、子育てに関係ないんだけれど、可愛い可愛いお孫ちゃんのピコちゃんができたので、昔、子育てのインストラクターの講演で聞いた内容をアップしときます。


子供の躾で、『人さまや世間の迷惑になることはしてはいけない』と言うより、『人さまや世間のためになる人になりなさい』と言う方がかなり良いとのことです。

言われると、あーそうか! って感じですが、つい『人さまや世間の迷惑になることはしてはいけない』と躾てしまう・・・。(無意識の日本人意識)


また、子育てには、オアシスが必要とのことでした。

  • オアシスのオは、『おはよう』という素直な心
  • オアシスのアは、『ありがとう』という感謝の心
  • オアシスのシは、『親切』という思いやる心
  • オアシスのスは、『すみません』という反省する心

このように躾ると家庭がオアシスなる・・・なるほど上手いこと言う。


あと、呼ばれたら『ハイ』と返事するように躾しますが、この『ハイ』は、実は人を拝む『拝』とのことで、呼ばれたら『ハイ』と返事をするのは、呼んだ人を拝むことだったのですね。

 

以上、家庭のオアシスでした(^o^)

それにしても、オアシスの例えはスゴイですね!

法華経の実践と言っても過言ではない…

 

追記

「子育ての4つの離さず」もメモしときます。

  • 赤ちゃんの時は、肌身離さず。
  • 幼稚園の時は、手を離さず。
  • 小学校の時は、目を離さず。
  • 中学校の時は、心を離さず。

以上、「子育ての4つの離さず」でした(^o^)


なんたって家庭が第一です。上記を実行して、幸せな家庭を築い参りましょう(^o^)


2025年2月4日火曜日

戒名当番と云う修行

 

戒名当番とは、私が入会しているRKK教団(立正佼成会)の修行の一つです。

 

修行内容を簡単に云ってしまうと、戒名を筆で習字するわけです。

 

修行が進んだ人の場合には、本当に戒名をつけることもあります。

 

私のレベルでは、まだまだ、すでにある戒名を筆で習字練習するわけです。


戒名は、ご存知の通り、亡くなった人につける名前です。
ですので、普通の習字より集中して練習します。


上手く書こうとするとなぜか上手く書けず、無心で1文字1文字に魂を入れる気で書くと、力強い字が書ける感じです。

 

私は、佼成会会員としては、まだまだ未熟なので、もしかしたら、この修行の本質がわかっていないのかも知れませんが、戒名当番をご紹介いさせていただきました。

 

最後に私が字について思う格言があります。


頭が良い人で、字の下手な人はいますが、字が上手くて、頭の悪い人はいない!


です。


なんか、当たっていると思いませんか?


ちなみに、私は、字の下手さでは、誰にも負けません。
しかし、次男の字を見た時に、はじめて敗北を感じました・・・遺伝や・・・(^o^)

 

2025年2月3日月曜日

生まれそして生きる意味

また、生きる意味がわからなくなってきました・・・

 

昔、引用した「 生まれそして生きる意味 」の文章がPCに残っていましたので、ご紹介いたします。尚、引用元がネット検索しても見つかりませんでした。

 

赤ちゃんは、掌を握り締めて生まれ、掌を広げて産声を上げるそうです。

 

では、なぜ赤ちゃんは、掌を握り締めて生まれ、掌を広げて産声を上げるのでしょうか・・・

 

赤ちゃんは、この世に生まれてくる時に、たくさんの夢と希望を、握り締めて生まれてくるんです。

 

そして、生まれた時に、この世界に、みんな解き放ってしまうんだそうです。

 

生まれた喜びと、夢と希望を手放してしまった悲しみで、産声を上げるのだそうです。

 

では、なぜ、人は生きていくのでしょうか・・・

 

それは、生まれた時に手放した夢と希望をもう一度、手に入れるために、苦しくても、悲しくても、生きていくのだそうです。

 

夢や希望を、手にした時の喜びを、もう一度知るために・・・辛くても、苦しくても、希望の光だけは、見失わない事と、信じています・・・

 

そっかー!生きる意味は、夢や希望を取り戻すためか〜!! 


ちょっと白々しいけど頑張る(^o^)

2025年2月2日日曜日

ダラニ(陀羅尼)って……


木鉦(もくしょう)

 ほぼ毎日、法華経の抜粋を読誦するのですが、その中に陀羅尼があります。


陀羅尼とは、法華経26番(品)と28番(品)に出てくる呪文です。

 


もともとは、サンスクリット語の発音でいろいろな神の名前を云っているそうですが、日本人には呪文に聞こえます。


ご利益は、『あらゆる悪をとどめ、あらゆる善をすすめる』とのことです。

たとえば、こんな感じです。

 

あに まに まね ままね しれ しゃりて しゃみや しゃびたい せんて もくて もくたび しゃび あいしゃび そうび しゃび・・・・・・

 

本当は、これに、木鉦(もくしょう)でリズムをつけて読誦しますが、木鉦のリズムが不規則で習得するのが凄く難しく、普段は、木鉦なしで読誦します。

 

ということで、陀羅尼を簡単に説明させて頂きました。 


今度、本部の木鉦研修で陀羅尼木鉦をマスターしたいと思う今日この頃です(^-^;)

2025年2月1日土曜日

我を捨ててこそ自由あり

 


前に、家内から一枚のコピーを読みなさいと渡されました。
そこには、『我を捨ててこそ自由あり』のタイトルで以下のような内容でした。

 

自由・不自由は、つまるところ現象の上にあるのではなく、心の中にあるのです。
:
:
タゴール(インドの大詩人。東洋人として初のノーベル賞受賞者)はこう言っています。

「人間の自由は、苦痛を救われることにあるのではなく、その苦痛を愉悦の一要素に変えるところにある」



どうしたら、苦痛を愉悦に変えることができるか、道はただ一つ、できうる限り”我”を忘れることです。

仕事に打ち込む働き人も、愛し子の世話をする母親も、その瞬間において我を放棄しているからこそ、苦の中に喜びを感じているのです。

まことに、真の自由とは我を捨てるところにこそあるのです。

 

昨今、隊長からお前の頭は我だらけで、言ったこと(指導)が入るスペースがちょびっとしかない、「我を捨てろ」と言われたばかりでした。
明日から、仕事に打ち込んで、長年間培った我を消滅させたいと思います。できるかな…(^^;;

2025年1月31日金曜日

器量と布施と徳積

 
人には、人格やリーダーシップ等の器量というものがあります。器量が小さいと、その人の人生も、小さなものになってしまいます。これは、大きなチャンスが来たときに、小さな器だと受け取れないから、そうなってしまうのです。

 

では、器量を大きくするためには、どうしたらよいでしょうか?

 

それには、2つ。

  1. すでに入っているものを出して、器の容量を増やす。
  2. やはり、器そのものをなんとか大きくする。

 

1は、布施です。自分の持っているもの(財施、身施、法施)を出して人に施し、自分の器の容量を増やすのです。

2は、徳積です。仏法では、善い行いを続けて行くことを徳積と云い、これにより器が大きくなると説かれています。 

 

1の布施とは

  • 財施 - 金銭や物質を他人に施し与えること。
  • 身施 - 自分の骨折りによって他人の心配や苦労を少なくしたり、喜びを与えること。
  • 法施 - 正しくものごとを他人に教え与えること。

貧乏で財施はできなくても、身施、法施は、出来そうですね!

 

2の徳積とは

  • 徳積の『徳』という字は、行ずるの行人偏に十四の心と書きます。
  • 十四の心とは、六波羅蜜八正道を足した数の心です。
  • そして、十四の心積んで行くことが徳積なのです。 

我ながら、最後は上手くまとまったな・・・(^o^)

 

2025年1月30日木曜日

お茶のエピソード


私は、RKK教団(立正佼成会)のダメダメ信者です。

その教団の初代会長を開祖さまとお呼びしています。

その開祖さまは、以下の3つの実践をしていると秘書の方から聞きました。

  • 叱責しない。
  • 信者さん第一。
  • 真心、ありのまま素直。

 

これを裏付けるエピソードがありますのでご紹介します。


開祖さまが信者さんからお茶をご馳走になったときに、開祖さまは、湯呑みの蓋をあけ、飲み干し、大変美味しかったのでもう一杯もらえますか・・・と、おかわりをされました。

 

そして、おかわりを入れようとした信者さんが、湯呑みの中をみると、お茶が入っていた形跡がなかったのです。

 

つまり、信者さんは緊張していてミスで、空のお茶をご馳走してしまったのでした。

 

しかし、3つの実践をしている信者さん第一の開祖さまは、そのことを叱責することなく、真心、ありのまま素直に、自分(お茶が飲める)も信者さん(ミスが表に出ない)も幸せにしたのです。 


以上のエピソードは、RKK教団では結構有名らしいのですが、まだ知らない人がいるかもしれないので書きました。


RKK教団(立正佼成会)の人、この「法華経ブログ」を教会内に知らせていただけると嬉しいです(^o^)

 

 


2025年1月29日水曜日

人を救えるお経とは?

よく初期の経典以外、つまり大乗経典は、釈尊が説いたものではなく、弟子達が適当に作り上げたもので、 信じるに値しないと言う人がいます。 確かに、法華経も仏滅後500年以上経って作成されたものとされています。

 

しかし、はっきり言ってしまえば、現代の人にとって、釈尊が説いたかどうかが問題でなく、釈尊が説いたであろう教え、あるいは、優れた仏弟子が説いた教えで、救われるかどうかが問題だと思うのです。 

 

逆説的にいえば、本当に人を救える教え(経典)しか生き残れないのだと思う次第です。 今残っている日本の仏教を見てみますと、圧倒的に日蓮系(法華経)と浄土系(南無阿弥陀仏)で、どちらも大乗仏教です。

 

たとえ、どんなに良い経典でも、人に読んでもらえなければ、無いのと同じです。 つまり、沢山の人に読まれている大乗仏教(法華経等)は、人を救えるお経なのだと思う次第です。 

 


2025年1月28日火曜日

反省するな! 希望を持つな!



とある宗教評論家の人が、以下のようなことを言っていました。

  • 反省するな!
  • 希望を持つな!

仏教の教えは、『いま・ここで・わたしが生きている』という、しっかりと自分を生きることの教えです。

過去でもなく、未来でもなく、今なのです。


確かに、今一瞬一瞬をしっかり生きれば、つねに充実しているので、過去を反省する必要はないし、未来はよい方向に開けていくので、特に希望など持たなくても大丈夫だと言えるでしょう。

 

しかし、しかしですよ、やはり、反省も希望も生きていくためには必要と、私は考えます。

人生はミスの連続です。せっかくミスをしたのだから無駄にせず、反省して未来に同じミスをしないようにするのが肝要です。

また、希望があるからこそ、人間は頑張れるものです。

どう考えても、反省も希望も、人生には必要と私は考えます!


2025年1月27日月曜日

『神』と『仏』

 

神という字は、申(シン)が音符の形声文字で、申は稲妻の形です。

稲妻は天にある神の威光のあらわれと考えられたので「かみ」の意味になりました。

つまり、申は神の元の字で、申が「かみ」以外に「もうす」などの意味に用いられたので、

示偏をつけて「神」の字になりました。


一方、仏の元の字は「佛」で、弗(フツ)が音符の形声文字です。

意味は、彷彿(ほうふつ)等ように「ほのかな、かすか」です。

のちに、梵語で正しい悟りを意味するブッタの音訳に陀と共に充てられ仏陀となりました。

この世で「正しい悟り」を得たのは釈尊一人ということなので、釈尊イコール仏陀となって、釈尊を仏さまという。

 

と云うことで、『神』は天の威光で、『仏』は 正しい悟りです!

2025年1月26日日曜日

自分が変われば、相手が変わる

 


以下のお言葉は、立正佼成会が、対人関係で悩んでいる信者さんへアドバイスする定番です。
 
 
『自分が変われば、相手が変わる』

 

このお言葉、実は真理を、分かり易く、言い当てているお言葉なのです。

 

真理と言うのは、当たり前のことで、普段は余り気がつきませんが、実は、すべての生きとし生けるものは、大いなる一つの命に生かされているということらしいのです。

 

生きとし生けるものは、大宇宙(大いなる一つの命)が、なければ生きて行けないわけです。

 

つまり、生きとし生けるものは、大宇宙で、相互に関係し合って生かされて、まぁ、いろんな現象が生じているのです。

 

相互に関係し合うとは、仏法では、『縁起』といいます。

 

また、いろんな現象は、縁を変えれば、現象も変わるのです。


なので、『自分が変われば、相手が変わる』は、自分が変われば、縁が変わり、相手の縁も変わるのです。

 

つまり、自分が変われば、縁が変わるのだから、間違えなく相手も変わるのです

 

対人関係で悩んでいる方へ、相手を変えようとせず、とにかく内省し、自分の考えを変えてみてください。きっと上手く行くと思いますよ。なんたって真理ですから・・・。

 

2025年1月25日土曜日

「砂の上の足跡」という詩

 

「砂の上の足跡」という詩があります。

結構有名なので知っている人も多いと思いますが、まずは、その詩を・・・

 

ある男が、夢を見ました。
仏さまと二人で、浜辺を歩いている夢です。
空に、男のいろいろな思いが写し出されていました。
その思い出のどれにも、足跡があります。
砂の上に、二本の足跡が並んでついています。
一つは、男の足跡です。もう一つは、仏さまのものです。

ところが、砂の上の足跡をよく見てみると、男が一番つらく、
苦しかったとき、寂しく、悲しかったときに、
足跡が一つしかついていません。
男は悲しくなり、仏さまに尋ねました。

「仏さま、私があなたの教えに従って生きていこうと決めたとき、
あなたはいつも私と一緒にいてくれると約束して下さいました。
それなのに、私が一番つらかったときに、一番寂しく、
悲しかったときに足跡が一つしか残っていません。
私がもっともあなたを必要としているときに、
なぜ、私を一人置いていかれたのか、私にはわかりません。」

仏さまはこたえられました。

「私の愛する仏の子よ
私はあなたから一時も離れることはありませんでした。
あなたが、一番つらかったときに、あなたが寂しく、
悲しかったときに、足跡が一つしかついていないのは、
私があなたを背負って歩いていたからです。」

 

初めて読んだ時は、凄く感動するんだけど、実はこれ、「神さま」を「仏さま」に変えたもので、オリジナルは、キリスト教系の詩ということです。

確かに、仏教的には、仏さまと一緒に歩くシチュエーションは変な感じがします。

しかし、ご先祖さまだと思うと、辛い時にきっと背負ってくれる気がするのです。

自分がご先祖さまだったら、可愛い可愛い子孫が、苦しんだり辛かったら、背負わずにいられないでしょう。

ということで、良い詩には変わりがない・・・ と思う次第です(^o^) 


2025年1月24日金曜日

法華経概略ストーリー


法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。


また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品 第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。

 

あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。


以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。


はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。


そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。


すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。


そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。


しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。


すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。


そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。


ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。


そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。


そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。


さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます


しかし、あの難解な法華経が、 あまりにも、あっさりまとまってるな・・・さすがだ自分(^^;;;

    2025年1月23日木曜日

    宗教的智慧



    たとえば、夕方、奥さんが食事の支度を終わって、ちゃぶ台の下に味噌汁の入っている鍋を置いていた状態で、旦那様の帰りを待っている場面をまず思ってください。

     

    そして、会社から旦那様が帰ってきて、上着等を脱ぎ、メシといってちゃぶ台についた途端、ちゃぶ台の下ある鍋に気づかず、味噌汁の鍋をひっくり返してしまいました。

     

    さて、あなたが、奥さんだったらどうしますか? 旦那様だったたらどうしますか?

     

    普通は、この場面では、夫婦ケンカになりますよね。

    奥さんは、折角作った味噌汁をひっくりかえされたのですから、旦那様は、いきなり、味噌汁でズボンがずぶ濡れになってしまったのですから...。

     

    しかし、奥さんは、こんなところに味噌汁の鍋を置いてごめんねと相手をおもいやり、旦那様は、折角作ってくれた味噌汁をひっくりかえしてごめんねと相手をおもいやると、どうでしょうか...。

     

    そうケンカには、なりませんね。

    宗教的智慧とは、相手を思いやるところから出てくるらしい...。


    2025年1月22日水曜日

    人格形成に大切な3つのこと

     


    とある説法で、以下のお話しを聞きました。


    約2500年前、お釈迦様は人物をつくる上で大切なものとして以下の3つをあげました。

    • 「貧乏」
    • 「読書」
    • 「母の感化」

     

    貧乏とは、お金の価値を知るということと、生きていく上で我慢を知るということ。

    読書とは、未知への見聞を広げるということと、知識を蓄えるということ。

    母親の感化とは、やさしさや思いやりの感化…かな。


    現代の日本では、母親の感化が、いい学校へ行きなさいとか、競争に勝ちなさいとかで、違った方向へいっているのが問題なのだという指摘がありました。たしかに、日本はおかしな社会になりつつあるのかも知れません。


    上記の人格形成に大切な3つで、教育されれば、たしかにいい子に育つ気がしますね!

     

    まぁ、お釈迦様が言ったのだから、まちがいないでしょう…。

     

    2025年1月21日火曜日

    不安との戦い

     


    戦争、自然災害、世界情勢、日本経済、リストラ、年金・・・

    とにかく、毎日毎日が、不安との戦いです。

    そして、その戦いに勝ち抜くには、夫婦仲良く、家族仲良く、助け合って、頑張って、生きて行くしかないですね。

     

    まだかなり早いけど最後に、お釈迦様のお言葉で〆ることに致します。

     

    天神が
    『何ものが、人々の依りどころであるのか、何ものが、この世で最高の友であるか』
    と問うた時、
    釈尊は
    『子供たちが、人々の依りどころである、そして、妻が、最高の友である』
    と答えたという。
                             『相応部・一・五四』
    

     

    今は、子供でなく、可愛い可愛いお孫ちゃんが、依りどころですね(^o^)

    妻は、本当に最高の友です。って、他に友達いない(^^;;;

    子供の30過ぎのヤロっ子たちは、勝手に生きてろ〜 (しかし、犯罪だけはしないでね)