2008年12月21日日曜日

釈尊物語 第9話:説法釈尊(初転法輪)


さて、梵天王に勧請され、説法することを決心しましたが、はじめに誰に説いてよいのか思案です。
いくら、方便を使って説くにも、ある程度機根のある人でないと理解してもらえない・・・。


出家時に師事したバラモンの仙人はもう亡くなっていますし、そうだ、かつて苦行を一緒にした5人にしよう。


5人は、200キロ先の鹿野苑(インドのベナレス)にいるのでそこに徒歩で行き、以下の5人をつかまえて、説法を開始しまた。



  • 嬌陳如(きょうじんにょ)
  • 跋提(ばつだい)
  • 婆沙波(ばしゃば)
  • 摩訶那摩(まかなま)
  • 阿説示(あせつじ)

はじめは、苦行を途中でやめたゴータマ(釈尊の本名)の言う事なんか聞けるか・・・という態度でしたが、次第に釈尊の熱意にほだされ、歴史的な説法が始まったのです。

『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである』

これが、第一声でした。


この中道のあと、四諦八正道の教えが説かれたとのことです。


その後、5人は、釈尊のお弟子になり、仏、法、僧がはじめてそろった、つまり、仏教が誕生した記念すべきイベントで、この説法を初転法輪と云います。


ちなみに、初転とは、はじめて転がすことで、法輪とは、法の車輪。(古代インドでは、りっぱな王には、巨大な車輪が授けられた。)

2008年12月7日日曜日

釈尊物語 第8話:方便釈尊(梵天勧請)


さて、悟りを開かれた仏陀こと釈尊は、初めの7日間は、その悟りを味わい。
あとの14日間は、とあることを考えていました。


それは、悟り得た難信難解な法を、世の人々に説いてよいものかどうか・・・。
本来、人々を救う法で、機根が低い人たちの場合は、逆に不幸にしてしまうこともあるだろう・・・。
説くべきか、説かざるべきか・・・。



その時、もろもろの梵天王や帝釈天・四天王などの多くの神々が、その眷属たちを引き連れて現れ、人々のために説いて頂きたいと請うのでした。



すると、釈尊は、過去の仏の示された方便力のことを考えつき、相手に応じて、それにふさわしい方法で、いろいろに説き分けることにしようと決心されたのです。



そして、釈尊は、梵天王に、こう仰いました。



『わたしは、あなたの勧請を受け入れ、甘露の法雨を降らせよう!
すべての人々よ、神々も鬼神たちも、すべての耳のあるものは、この法を聞くがよい!』


これで、以来2500年の間、甘露の法雨が地上に降り続けることになるのです。つづく。

2008年11月30日日曜日

釈尊物語 第7話:仏陀釈尊(奇なるかな)

魔王を退治した菩薩は、本格的な瞑想に入り、明けの明星が輝く12月8日の朝、ついにお悟りを開かれたのです。
それは、菩薩から仏陀になられた瞬間でもありました。ちなみに、仏教界では12月8日にお釈迦さまの成道会を行っています。


仏陀とは、梵語(サンスクリット)で『真理を悟った人』と云う意味で、今世の歴史上では釈尊お一人ということになっています。


悟りとは、深い禅定に入ると全く澄み切った無我の境地になり、すると真理がなんの妨げもなく心に流れ込んで、真理そのもと合致してしまうのです。
すると、万物の本当のすがたの実相がありあり見えて(仏眼)しまうのです。


そしてその時、仏陀は、つぎのように仰せられました。


奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。

意訳しますと。



不思議なことに。不思議なことに。すべての人には、如来と同じ智慧と徳相をもっている。
しかし、仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』であることを証れ得ないでいるのだ。

いや~、驚いたことに、お悟りのこの一番最初に、法華経16番の『永遠の命』を説いていたのですね。


そして、『永遠の命』を相手に応じて手を変え品を変え説いたので8万4千もの教えが出来てしまったとか・・・。


そして、一番最後の亡くなる直前に説いた法華経も『永遠の命』がテーマでした。

2008年11月29日土曜日

釈尊物語 第6話:瞑想釈尊(降魔)

真の悟りを求めるにふさわしい場所を見つけ、そこで、菩薩は瞑想をはじめました。


瞑想中に菩薩は思いました。魔王を知る前に悟りを得るのは私にとってふさわしくない・・・、魔王を呼び出そう!


魔王の方も、自分が支配している欲界に仏陀が誕生されるとまずいので、なんとか、菩薩の瞑想を邪魔します。


魔王は、はじめに、若くて美しい自分の娘たち(魔女達)をやって誘惑させます。


しかし、菩薩は、魔女達をやさしく諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。


怒りたけった魔王は、つぎに、怪物の軍勢を送って暴力で屈服させようとします。


しかし、菩薩は、怪物たちを慈悲をもって諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。


さらに怒りたけった魔王は、戦法を変え、ずる賢いペテン師をつかって菩薩を混乱させようと試みました。


しかし、これも失敗に終わってショックを受けた魔王は気絶し、魔力は全く無力化してしまいました。


こうして、魔の軍団を降伏させた菩薩は、本格的にお悟りをする準備に入ったのでした・・・。




ここで少し解説です。


ポイントは、魔王が先に来たのではなく、菩薩が先に呼び出したこと。そして、菩薩の力が魔の力よりすぐれていることが証明されました。


また、魔王の攻撃の初めの2つの『性的な誘惑』と『野蛮な暴力』は、理性でなんとか克服できますが、3番目の『知的な悪魔の論理』は、結構厄介です。これにかかると自分の主義主張が正しいものと信じ込んでしまいますので、それを元に戻すには、すごく大変なわけです。ですので、仏教の力によって『知的な悪魔の論理』を大掃除しなければならないわけです。


とにかく、菩薩は、深い禅定に入り、お悟りは、もうすぐです・・・つづく。

2008年11月25日火曜日

釈尊物語 第5話:苦行釈尊(一麻一米)


さて、沙門になられた太子は、もう太子ではなく菩薩となりました。


菩薩は、師をもとめてバラモンの仙人へ弟子入りしましたが、すぐ仙人と同じ境地に達してしまい、もう師はもとめず一人で修行することに決めました。
ところが、仙人とすぐ同じ境地に達してしまった菩薩をみていた5人の仙人の弟子は、菩薩を慕い6人の仲間で修行することになったのです。
ちなにみ、この5人は後の初転法輪の5人です。


修行は、食事を一日に米一粒、麻の実一粒等の苦行が主で6年間続きました。
しかし、菩薩は、苦行では悟れないということを悟られ、苦行をやめ、村の娘(スジャータ)から乳粥を供養してもらい体力を回復されました。
それを見ていた、5人の仲間は、菩薩が苦行から逃げた脱落者と思い、菩薩から離れていきました。
しかし、菩薩は、意に介せず、苦行では得られなかった真の悟りをもとめて、それにふさわしい場所を探し歩き続けました・・・。つづく。

2008年11月24日月曜日

釈尊物語 第4話:出家釈尊(大いなる放棄)


さて、四門出遊で出家を決意した太子でしたが、王子でもあるので王の後継ぎをしなければなりませんでした。
しかし、しばらくすると、太子の御妃が羅ご羅(ラゴラ)を出産されたのです・・・。


これで、後継ぎを羅ご羅(ラゴラ)に任せ、生まれたわが子と産後のお妃と孫出産に喜び慕っている父王を
おきざりにして、太子は出家されました。


王になるべき身分を捨て、乞食同然の沙門になられたのでした。
これを、ヨーロッパの学者は『大いなる放棄』と呼んでいるそうです。
すべての人を救うため、王位と妻子父母を放棄してしまったのです。


この大いなる放棄をして、2500年後の我々まで及んでいる絶大な恩恵である仏教を説いた、お釈迦さまにたいして、
感謝をせずには、いられないのです。
そして、そのお陰さまで、我々は、妻子父母を放棄することなしに、絶大な恩恵である仏教を受け継ぐことができるわけです。
あぁ、よかった・・・。

2008年11月21日金曜日

釈尊物語 第3話:青年釈尊(四門出遊)


王子から太子になられた青年釈尊は、ある日、郊外の園林に遊びに行くことになりました。


太子がお城の東門から馬車に乗って出かけると、見るに耐えないヨボヨボの老人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。



『老人でございます。すべての人間は、生身であるいじょう、老いの苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう遊びにいくどころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、また、外出することになりましたが、東門をさけ、南門から出かけました。
すると、道端に倒れてる病人と遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。



『病人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、病の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


また、それからしばらくして、外出することになりましたが、東門と南門をさけ、西門から出かけました。
すると、遺体を運んでいるお葬式に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは何者か?』とお尋ねになりました。


お供の者は、答えました。



『死人でございます。すべて人間は、生身であるいじょう、死の苦しみを免れるものは、ございません』


太子は考え込んで、もう外出どころではなく、お城へ帰りました。


それからしばらくして、またまた、外出することになりましたが、東門と南門と西門をさけ、北門から出かけました。
すると、出家修行者に遭遇しました。
太子は、お供の者に『あれは、どういう人か』とお尋ねになりました。



お供の者は、答えました。



『沙門でございます。出家の修行者でございます』


太子は、沙門に尋ねました。



『沙門には、どういう利益があるのでしょうか?』


沙門は、答えました。



『わたくしは、生老病死の苦しみを超越し、多くの人に安らぎとしあわせをやりたいと願うばかりで、
 世間の汚れから離れている身でございます。これが沙門の利益だと思います』


太子は、『まことにそのとおり、これこそ、わたしの求めていた道だ!』と出家を決意されたとのことでした。



このように仏教は、釈尊が少年期、青年期で体験した苦に対して、どのように克服すればよいかからスタートしたものと思われます。



ということで、仏教は、まず、はじめに苦ありき! です・・・。

2008年11月20日木曜日

釈尊物語 第2話:少年釈尊(一切皆苦)


後の釈尊こと悉達多王子は、幼くて母親を亡くし、ものに感じやすい考え込みがちな少年でした。
ある年、年中行事の鋤き入れの式がありました。


王子は、父の淨飯王に連れ添って、それを見ていると・・・。
鋤きで掘り起こされた土の中にいた虫を、鳥が舞い降りてきて食べてしまったのです。
その光景は、何度も何度も繰り返されました。
王子は、いたたまれなくなって、そして思いました。


『一方が生きるために、一方が殺される・・・なんとむごたらしい・・・生きることはすべて苦である・・・』
『そして、それは、確かに現実なのだと・・・、そう、一切皆苦なのだと・・・』


しかし、王子の現実生活は、王子なので、学問・武芸など、なに不自由なく幸福だったとのことです。
そんな王子悉達多少年が、青年へ成長する過程で、出家を決定付ける出来事がありました。四門出遊・・・つづく。

2008年11月19日水曜日

釈尊物語 第1話:誕生釈尊(天上天下唯我独尊)


時代は、約紀元前500年。場所は、今のネパールのあたりにカピラバストという国がありました。
そして、その国王の淨飯王と摩訶摩耶夫人に、はじめて王子が誕生されました。
名を悉達多(シッダールタ)といい、後のお釈迦さまの誕生でありました。
誕生された悉達多は、四方に向かって七歩ずつ歩かれ、右手を天に指し、左手を地に指し『天上天下唯我独尊』と宣言されました。
生母:摩訶摩耶夫人(まかまやぶにん)は、出産後、7日後に亡くなり、悉達多は継母:摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)に育てられました。



ここで解説です。
まず、皆さんは、たぶん2つの疑問を持ったことだと思います。



  1. 生まれたての赤ちゃんが、なんで歩くことができるのか? 
  2. 『天上天下唯我独尊』とは、なんて傲慢なことを言うのか?


1は、古代インドの文化では、時空をこえた表現をよくするとのことです。
つまり、生まれたての赤ちゃんの釈尊とお悟りを開いた釈尊が、ごっちゃに表現されているのです。


2は、普通の人が言えば、超傲慢ですが、釈尊が言ったということは、宇宙の真理ということです。
つまり、世界を救えるのは、唯一、宇宙の真理だけであるので、宇宙の真理(法)は尊いのだ、ということです。


とにかく、ここに人類の大導師、お釈迦さまが誕生されたのです。
ちなみに、仏教界では4月8日にお釈迦さまの降誕会を行っています。

2008年6月7日土曜日

普賢菩薩勧発品 第二十八(法華経のあらまし)

最後の最後に大菩薩団を引き連れて娑婆世界に釈尊の説法を聞きに来た大物菩薩の普賢菩薩と釈尊(お釈迦さま)の問答です。
はじめに、普賢菩薩はお釈迦さま(釈尊)へ『仏滅後、どうしたら法華経の真の功徳を得ることができるのでしょうか』とお尋ねになりました。
すると、お釈迦さまは普賢菩薩へ、以下の『四法成就』、を実践すれば、真の功徳を得ることができましょう・・・と、お答えになりました。


  1. 諸仏に護念されているという絶対の信念を持つこと。(仏さまを信じきる)
  2. もろもろの徳の本(もと)を身に植えること。(いつも善い行いを心がける)
  3. 正しい教えを実践する人々の仲間にはいること。(正しい信仰者の仲間に入る)
  4. 一切衆生を救おうという心を起こすこと。(いつも人のために尽くす)

 

 それをうかがった普賢菩薩は、感激して次のように申し上げました、
『法華経行者がどこにいても、六牙(六波羅蜜の象徴)の白象王(実践の象徴)にのって応援し守護したいと思います!』
と、お釈迦さまの許可をえて、法華経行者を守護するために陀羅尼(神呪)を説きました。
 

『あたんだい たんだはだい たんだはて たんだくしゃれ たんだしゅだれ しゅだれ しゅだれはち ぼっだはせんね さるばだらに・・・・・・』

 

お釈迦さまは、満足そうにうなずかれ、今度は具体的な功徳についてのべられました。

  • 世俗的な楽しみを貪ったり、とらわれたりすることがなくなる。
  • 仏教以外の教えや本に、はまりこんでしまうことがなくなる。
  • また、その著者や悪人に心を奪われることがなくなる。
  • 肉屋、猟師、女色系の職業に、親しく近づくことがなくなる。
  • この人は、心が素直で、ものの考え方が常に真理に一致していて、福の徳で人を幸せにすることができる。
  • 貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ)の三毒に悩まされることが無い。
  • また、嫉妬・我慢・邪慢・増上慢に悩まされることが無い。
  • 少欲知足で普賢菩薩のように法華経の教えを行じられる。

そして、この普賢菩薩勧発品の説法を聞いた無数の菩薩は、百千万億人に展転する善をすすめ悪をとどめる大きな教化の力を得て、普賢菩薩とおなじような、徹底した実践力を身に具えることができました。
このようにして、ここに法華経のすべての教えを聞き終えた、普賢等の諸々の菩薩、舎利弗等の諸々の声聞、及び諸々の一切のギャラリーは歓喜し、仏語を受持し、お釈迦さまを礼拝し、去っていきました。
ちなみに、普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつ かんぼっぽん)の勧発とは、元気づけとか励ましという意味です。

2008年6月3日火曜日

妙荘巌王本事品 第二十七(法華経のあらまし)

薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話で、王様の父を教化するお話です・・・。
・・・そのとき釈尊は、もろもろの大衆に薬王菩薩と薬上菩薩の前世のお話を語り始めました。


はるかはるかな遠い大昔に、雲雷音宿王華如来という仏さまと妙荘巌王という王さまがいました。
王さまの夫人は、淨徳と言い、また、淨蔵(前世の薬王)と淨眼(前世の薬上)と言う2人の王子がいました。
淨蔵と淨眼は、六波羅蜜を行じ、仏教を信仰しておりました。
しかし、王さまの父は、邪教を信仰しており、2人はなんとか正しい教えの仏教へ改宗してもらいたいと思っていました。
そこで、2人は母に相談しました。すると母は、父へびっくりするような信仰の証しの奇跡をみせれば、改宗できるでしょうとアドバイスをされました。
2人は母のアドバイス通りにいろいろな奇跡を父の前で演じ、父の妙荘巌王を改宗させました、とさ・・・。


で、本品のポイントは、身近な家族の教化の難しさと、指導的立場の人(王様等)の教化の難しさで、それらの人を教化するには、法華経を頭で理解してもらうだけでなく、自ら身を持って示さなければならないということです。
ちなみに、妙荘巌王本事品(みょうそうごんのう ほんじほん)の本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。

2008年6月1日日曜日

陀羅尼品 第二十六(法華経のあらまし)

薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天王、持国天王、十羅刹女等が法華経の説法者を守護するため呪文(神呪、陀羅尼)を唱えました。

『あに まに まね ままね しれ しゃりて しゃみや しゃびたい せんて もくて もくたび しゃび あいしゃび そうび しゃび・・・・・・』


この神呪は、神々の名もしくはその異称の呼びかけであるということです。また、神呪を唱えることにより、善をよく身にたもち、悪をおしとどめて、発しせしめない・・・とのことです。
ではなぜ、法華経説法者の守護が必要なのかというと、法華経は真の善の教えなので、悪の教えや、見かけ上は善の教えの勢力などから迫害を受けやすいとのことです。
そして、神呪に守られた法華経説法者に、迫害をくわえることは、神々に迫害を加えるのと同じで・・・後は推して知るべし・・・です。
ちなにみ、毘沙門天王、持国天王は、他教(バラモン教)の神々で、羅刹女とは、鬼女のことです。つまり、他教の神々や鬼女までもが、法華経説法者の守護を願って、神呪を唱えてくれたのです。
これは、法華経の教えが、万教をも包容し、また、鬼女たちをも平等に成仏させる力をもっていることの証しです。
また、鬼女の中に鬼子母もいました。これは、法華経の主な登場人物の鬼子母と十羅刹女を参照願います。(しかし、鬼子母と十羅刹女・・・・・・どんなにやさしい女の人でも、たまに垣間見る性質のような気がします。やばい書いてしまった・・・)
とにかく、陀羅尼(ダラニ)は、法華経説法者からみれば、いろいろ守護してくれる有り難い神呪なのです。合掌。

2008年5月31日土曜日

観世音菩薩普門品 第二十五(法華経のあらまし)

観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・、実は、観世音菩薩みたいになりましょうということらしい・・・。
・・・南無観世音菩薩を唱えれば、三毒(貪(欲張り)・瞋(我による怒り)・痴(目先の愚かさ))、四苦(生・老・病・死)、七難(火難・水難・風難・剣難・鬼難・獄難・盗難)を滅し、さらに願う通りの子を得ることができるという・・・。
しかし、こんな拝み信仰じゃ、いままで序品から説かれていた法華経は、なんだったのかということになりますね。これらの観音力は、確かにこの品に書かれています。でも、浅い理解なのです。
本当は、無尽意菩薩が偉大な救済力(観音力)をもつ観世音菩薩を供養しようとして、瓔珞(首飾り)をさしあげましたが、しかし、受けとっても、首にかけず、それを2つにして、釈尊と多宝如来に捧げました。これは、偉大な救済力である観音力の元は、真理を教えられた釈尊と、その真理を証明された多宝如来のおかげであるということの表明なのです。
つまり、救いの本質は、ある外側の力によって目の前の苦難から逃れることではなく、久遠実成の本仏のみ心に沿い、そこに周囲との調和がうまれ、みんなが救われることにあるのです。
また、観世音菩薩普門品の観世音とは、世の人々の声(音)を見(観)分けることで、菩薩とは、手本として仰ぐべき方で、普門とは、相手に応じていろいろ姿(三十六身)をかえて、平等に真理の門に引き入れることです。
とにかく、観世音菩薩を念じれば、なんでも叶う・・・ではなく、真に観世音菩薩を念じるとは、慈悲をもって苦しみあえぐ人の声(世音)を感知し聞き入れ(観)、観世音菩薩のようになりましょうということです。

観世音菩薩の三十六身
ちなみに、妙音菩薩は三十四身でしたが、観世音菩薩は三十六身で自由自在に法を説きました。数はあまり気にしなくてよく、とにかく、いろいろな人を救うために身を現じて法を説く、ということです。
01.仏身/ 02.辟支仏/ 03.声聞/ 04.梵王/ 05.帝釈/ 06.自在天/ 07.大自在天/ 08.天大将軍/ 09毘沙門天/ 10.転輪聖王/ 11.小王/ 12.長者/ 13.居士/ 14.宰官/ 15.婆羅門/ 16.比丘/ 17.比丘尼/ 18.優婆寒/ 19.優婆夷/ 20.長者の婦女/ 21.居士の婦女/ 22.宰官の婦女/ 23.婆羅門の婦女/ 24.童男/ 25.童女/ 26.天/ 27.龍/ 28.夜叉/ 29.乾闥婆/ 30.阿修羅/ 31.迦楼羅/ 32.緊那羅/ 33.摩羅伽/ 34.人/ 35.非人/ 36.執金剛神

2008年5月29日木曜日

妙音菩薩品 第二十四(法華経のあらまし)

理想の世界からやって来た妙音菩薩のお話です・・・。
・・・釈尊は、突然、眉間から光を出し、宇宙のあらゆる世界を照らしました。
すると、淨光荘厳という理想の世界いる三昧神通力を具えられた妙音菩薩がそれを察知し、この光から、非常に徳の高い方と分かりましたので、娑婆という現実の世界へ、釈尊(仏)と法華経(法)と菩薩達(僧)を供養しにやって来たのでした。
妙音菩薩は、過去世に一万2千年間、美しい音楽(プラス言葉で仏を称える)を奏し、8万4千の数(経典数)の七宝の鉢をささげ、仏を供養しました。
その結果、淨光荘厳という理想世界に生まれ変わり、三昧神通力と三十四身を得たのです。
ここで解説です。
理想世界は、もちろん尊いものですが、あくまでも頭の中で考えられている間は、その価値が生きてきません。それを現実世界の生活の中に一つ一つ実現していくことにこそ、本当の価値がいきてくるのです。
そして、つまるところ、この品は、理想世界の代表である妙音菩薩が、現実世界での理想世界具現者:釈尊を讃嘆しているのです。

    理想は、それを一歩ずつでも現実化してこそ尊いのである。

ちなみに、妙音菩薩は身長が4万2千由旬です。これをキロメートルにすると・・・。・・・一由旬が約四十里で、一里が約3.9キロメートル、よって、42000*40*3.9 = 6552000で6百55万2千キロメートルもあります。驚きです。

妙音菩薩の三十四身
妙音菩薩は三十四身で自由自在に法を説きました。
01.梵王/ 02.帝釈/ 03.自在天/ 04.大自在天/ 05.天大将軍/ 06毘沙門天/ 07.転輪聖王/ 08.諸の小王/ 09.長者/ 10.居士/ 11.宰官/ 12.婆羅門/ 13.比丘/ 14.比丘尼/ 15.優婆寒/ 16.優婆夷/ 17.長者の婦女/ 18.居士の婦女/ 19.宰官の婦女/ 20.婆羅門の婦女/ 21.童男/ 22.童女/ 23.天/ 24.龍/ 25.夜叉/ 26.乾闥婆/ 27.阿修羅/ 28.迦楼羅/ 29.緊那羅/ 30.摩羅伽/ 31.人/ 32.非人/ 33.苦難にあえぐ人 34.後宮の女身

2008年5月28日水曜日

薬王菩薩本事品 第二十三(法華経のあらまし)

薬王菩薩の沢山の前世のお話で、体を燃やしたり、両腕を燃やしたりして仏を供養したお話です・・・。
・・・その時、宿王華菩薩が釈尊におたずねになりました。
『薬王菩薩というお方は、どのようにして、大変素晴らしい働きがおできになるようになったのでしょうか・・・・・・そのことを知ったら、みんな歓喜することでございましょう!』
その問いにたいして釈尊は、次のようにお答えになりました。
『遠い遠い昔、日月淨明徳如来という仏さまがいました。仏さまは、一切衆生憙見菩薩をはじめとするもろもろの菩薩、声聞に法華経の教えをお説きになりました。』
『すると一切衆生憙見菩薩は、法華経を1万2千年の間、一心に修行して、高い境地に達し、大いに歓喜し、仏恩にお報いする大きな力を得て、一切衆生を救いたいと思い、日月淨明徳如来と法華経を供養するため、自分自身に火をつけ、80億恒河沙の広い世界の普く闇を照らし出したのです。』
『燃え尽きて、一度亡くなった一切衆生憙見菩薩ですが、再度、生まれてきて、今度は、両腕を燃やして供養しました・・・とさ・・・。』
『さて、あなたは、どう思いますか。この一切衆生憙見菩薩は、ほかでもありません、今の薬王菩薩の前身なのです・・・』
ここで解説です。
とにかく、法華経の実践には、いろいろありますが、中でも身の布施が一番尊いということの本事です。
ちなみに、本事とは、仏弟子が前世に行った事のストーリーです。
そして、釈尊は宿王華菩薩へ法華経の実践の功徳を『十二論の利益』の譬えにしておおせになりました。

1、池の清らかな水を飲んで、喉の渇いた者が満足するように。
2、寒さに震えていた人が、暖かい火を得て生き返ったように。
3、裸の人が、着物をえたるがように。
4、商人が、主のものをえたるがように。
5、子が、母をえたるがように。
6、渡りに、船をえたるがように。
7、病に、良い医者をえたるがように。
8、暗に、灯火をえたるがように。
9、貧乏に、宝をえたるがように。
10、民に、王をえたるがように。
11、貿易者に、平穏な海路をえたるがように。
12、たいまつの灯かりが、暗を除くように。

とにかく、法華経を実践すると、何かと、事(お手配)がスムーズに行くのですよ・・・いや、ホントに不思議や!
そうそう、この品には、念仏で有名な阿弥陀仏が登場します。
『仏滅後、5百歳の中の世に、もし女人があってこの経典を聞いて修行したならば、その世の生を終えた後、阿弥陀仏のいる安楽世界の蓮華の寶座の上に生まれ変わるでしょう!』
なぜ、女人なのかは、謎ですが・・・。

2008年5月27日火曜日

嘱累品 第二十二(法華経のあらまし)

釈尊は、法座より起き上がり、菩薩達の頭を撫ぜながら、この法華経の広宣流布を託します。と述べられ、とりあえず、この品で法華経は、ひとまず終わりを迎えます。

では、後の薬王菩薩本事品から普賢菩薩勧発品までは、何かというと、
一編一編が一つの短編ストーリーになっていて法華経実践の大切さを説いています。まぁ、法華経の駄目押しですかね・・・。

2008年5月25日日曜日

如来神力品 第二十一(法華経のあらまし)

この神力品は、法華経の総まとめの品と云われています。しかし、普通に(浅く)読むと、とてもそうとは思えません。舌を出したり、光を出したり、咳をしたり、指パッチをしたり・・・とか、そのどこが、神力なのだと思うわけです。また、仏なら神力でなくて仏力だろ・・・とか。だけど、それには、以下の意味があるらしい。

しかし、その前に復習です。法華経は、前半が『方便品』を中心とした智慧の教え(迹門の教え)で、後半は『寿量品』を中心とした慈悲の教え(本門の教え)です。これは、前半(迹門)と後半(本門)が別々のように思えてしまいますが・・・、実は・・・。

  • 『舌を出したり』とは、インドでは、自分の言ったことは真実であると云うことで、迹門を信じても、本門を信じても、実は一つなのだという象徴。(出広長舌)
  • 『光を出したり』とは、迷いの闇を打ち破ることで、迹門の原理も、本門の原理も、実は一つなのだという象徴。(毛孔放光)
  • 『咳をしたり』とは、声を出し教えを説く象徴のことで、迹門の教えも、本門の教えも、実は一つなのだという象徴。(一時謦がい)
  • 『指パッチをしたり』とは、インドでは承知しましたと云う事で、迹門の教えを広めることを承知した人も、本門の教えを広めることを承知した人も、実は一つなのだという象徴。(倶共弾指)

このように如来(釈尊と菩薩)が『一時謦がい』『倶共弾指』をしたら以下のようなことが起こりました。

  • 天地のあらゆるもの心が感動した。(六種地動)
  • 普くすべてのものがこの大会を見ることができた。(普見大会)
  • 諸天善神が法華経を説いた釈尊を供養すべしと空中から唱声した。(空中唱声)
  • 空中唱声を聞いて、必ずすべての人が釈尊に帰命する。(感皆帰命)
  • 花、香、瓔珞等が美しい帳に変じて如来の上に覆った。(遥散諸物)
  • すると、宇宙空間(十方世界)が一つの仏土になった。(通一仏土)

そして、この

  1. 出広長舌
  2. 毛孔放光
  3. 一時謦がい
  4. 倶共弾指
  5. 六種地動
  6. 普見大会
  7. 空中唱声
  8. 感皆帰命
  9. 遥散諸物
  10. 通一仏土

これが、『如来の十大神力』と云われています。

そして、この『如来の十大神力』を踏まえ、法華経の総まとめの句がつぎに示されます。

『如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘蔵の蔵・如来の一切の甚深の事・皆此の経に於て宣示顕説す。』

とにかく、如来の一切の『正法』『衆生救済力』『秘密の教え』『修行の実践方法』が、すべてこの法華経に注ぎ込んでいると宣言しているのです・・・。あぁ、なんて有り難い、合掌。

2008年5月24日土曜日

常不軽菩薩品 第二十(法華経のあらまし)

仏の教えが形式化、そして、形骸化された時代に一人の菩薩がいました。その菩薩は、会う人ごとに、会う人ごとに、『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と言って賛嘆するのでした。
ところが、大勢の中にはそんなことを言われて腹を立て、石や瓦を投げつける者がいました。
すると、菩薩は走って逃げ、遠くのほうからまた同じセリフ『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と、大声で唱えるのでした。
そして、菩薩は一生の間、この行を続けたのです。すると、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)が清浄となって、虚空の中からひびいてくる声を聞くように法華経を自得したのです。
すると、寿命が2百万億那由他歳になり、広く人々のためにその法華経の教えを説きました。
で、解説です。この常不軽菩薩品では以下の3つがポイントです。

  • 真心から行じた、ただ一つの礼拝行だけでも実に尊いことで、それが救いの道に入る第一歩になる。
  • 逆に言うと、形式だけをいかに多く行じても真心から行じないと無価値である。
  • 仏性を礼拝することは、あらゆる人間の中にある仏性を認めることである。

あぁ、雨にも負けず風にも負けず、私は、常不軽菩薩でありたい・・・。

2008年5月23日金曜日

法師功徳品 第十九(法華経のあらまし)

この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。
もし信仰心の深い男女が、法華経を信じ、読誦し、解説し、書写したとしましょう。その人は、以下のような功徳を得ることが出来るのです。

  • 『八百の眼の功徳』
  • 『千二百の耳の功徳』
  • 『八百の鼻の功徳』
  • 『千二百の舌の功徳』
  • 『八百の身の功徳』
  • 『千二百の意の功徳』

その功徳をもって、すべての感覚・知覚器官の作用を美しく。清らかなものにするでありましょう・・・と。
またまた、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
信じることから始まるらしい・・・。

2008年5月22日木曜日

随喜功徳品 第十八(法華経のあらまし)

この品も分別功徳品と同じく、法華経には、ものすごく大きな功徳のあることが説かれています。
たとえば、法華経の伝言ゲームで、50番目の人が一偈でも信解したならば、その功徳は、宇宙のあらゆる生あるものに物質的&精神的に布施した功徳より大きいと・・・。
また、ホントかよって感じですが、『仏寿無量』『仏寿無量』『仏寿無量』・・・。
信じることから始まるらしい・・・。