2024年12月31日火曜日

今日は大晦日、法華経ブログ毎日更新

 

 

2016年7月から約8年間休止していた「法華経ブログ」を今年の11月8日から再開いたしました。

 

2016年当時は、ネットで色々やっていましたが、 「法華経ブログ」と「燈明日記」だけは、消さないで残しておきました。

 

また当時、windowsのパソコンの立
ち上げ時間が5〜10分ぐらい掛かるので、パソコンもやらなくなりました。

 

そして時が経ち、今年の11月に物置整理をした時に、長男が残して行った荷物の中に、MacBookがありまして、電源を入れたら、動くではありませんか!

 

なんと、約3年間、物置の中で眠っていたのです。また、立ち上げ時間が瞬時で、遅いwindowsパソコンは何だったんだって感じです。


長男に連絡したら、MacBookを使っていいとのことで、法華経ブログと燈明日記を再開いたしました(^o^)

 

今日は大晦日、今月12月は、法華経ブログ毎日更新達成で、引き続き来年も毎日更新に挑戦したいと思います。どうぞご期待ください!!

 

ちなみに、毎日、5:00に事前に用意したコンテンツが自動投稿されます。また、用意したコンテンツのネタは、すでに1ヶ月分を確保しました(^^;;

 

では来年も、よろしくお願い致します!

 

追記

その用意した1月分のネタを精査しながら読んでいるんですが、これが、めちゃくちゃ面白い・・・

その分、12月分は、ある意味イマイチだったかも知れない・・・

これからの法華経ブログに、期待してください!

 (^o^)

 

 


2024年12月30日月曜日

私が編み出した幸福へのワンツウスリー


私が編み出した幸福へのワンツウスリーです。

 

  1. あいさつ力(愛他・利他)
  2. かんしゃ力(すべての幸福は、感謝の気持ちが作る)
  3. そうじ力(そうじを実践して、自分の心もピカピカする)

 

1は、どんな人にも、嫌いな人にも、差別せず、挨拶を行う。シュチュエーシション的にできない場合でも、会釈はする。

 

2は、 良縁はもちろん、逆縁の場合でも、自分を成長させてくれるありがたいご縁と感謝する。

 

3は、掃除で周りが綺麗になると、間違いなく心も綺麗になります。これは、実践していただければ、分かります。


この3力を実践して、幸福になりたいと思います(^o^)

2024年12月29日日曜日

すべての幸福は、感謝の気持ちがつくる


今、とある本を読んでいます。そこに書いてあった、私にとって耳の痛いメッセージです。

  • 感謝しない人のまわりからは、人が去っていきます。
  • 感謝しない人には、お金が入ってこなくなります。
  • 感謝しない人は、孤独になります。

だから、孤独で貧乏なんや…。

 

ではこれからは、逆をやってみよう〜

    • 感謝をすれば、人が去っていかない。
    • 感謝をすれば、お金が入ってくる。
    • 感謝をすれば、孤独にならない。

まさに、タイトル通り「すべての幸福は、感謝の気持ちがつくる」ですね(^o^)


2024年12月28日土曜日

一番の供養

 

亡くなった人への一番の供養は、自分がしっかりと生き抜くこと。
そして、亡くなった人へ心配を掛けないこと。


お墓参りは、後悔の祈り参りではなく、ましてや幸福へのお願い参りではなく、しっかり生きていることの報告参り。


いつまでも、下を向いていては、亡くなった人が心配して上に逝ってくれないよ……。また、生まれ変わって、きっと、会いにきてくれるよ……。 

 

法華経で願生や輪廻が、当たり前のように説かれているし、きっと、お空から親を選んで、愛してくれた人達のもとに生まれ変わってくるよ!

 

ピコちゃんをみていると、実にそう思う(^o^)



2024年12月27日金曜日

先祖供養は未来休養!?

よく考えると、過去のお先祖さまの誰一人欠けても、自分は存在しないのです。
そう、お先祖さまあっての自分なのです。


また、供養とは、そのようなお先祖さまに対する感謝の心を表す行為です。
具体的には、お墓参りとか、ご仏前にお花、お水、お茶をお供えし、お経の読誦とかです。
そして、これらの行いは、善い行いとしてお先祖さまへ回向されるのです。


善い行いをすると、善い報いが来ると説くのが、仏教です。
だから、供養を行うと、必ず、未来に善い報いが来るのです。


それは、自分に来る場合もあるし、子孫へ来る場合もあるのです。
まさに、 先祖供養は未来休養になるのです。

 

2024年12月26日木曜日

同心とは


とある小誌より

口で「同心」を唱えるだけでは、一つの心になれるものではありません。
共通の願いを持って、苦楽を共にしてこそ同心が育っていくのです。

共通の願いを持って、苦楽を共にする・・・まさに夫婦ですね!

結婚して40年、しかし、よく我慢している・・・もちろん奥さんの方が(^^;;;

私の方は、優しい優しい奥さんで、幸せや〜 

また今年、可愛い可愛いお孫ちゃんもできて、幸せや〜



 

2024年12月25日水曜日

仏性を拝み出す・・・菩薩行

 開祖さまに倣いてから

 

菩薩行の根本は、人間を礼拝することである。

人間を礼拝するとは、あらゆる人間の中にある仏性を認めることである。
仏性を認めないでその人を救おうというのは、形式だけの空虚な行いに過ぎない。
その人の中に必ず実在する仏性を拝み出すところに、真の済度はあるのだ。

菩薩にとっていちばんたいせつなのは、いうまでもなく愛他・利他の精神であり、その精神から発した実践行動であります。
その実践行動を<布施>というのです。

 

逆にいうと、愛他・利他の精神から発した実践行動が布施であり、それが菩薩行と言われるのか(^o^)

 


 

2024年12月24日火曜日

願いに沿って生きる・・・修行 

開祖さまに倣いてから


 『開祖さまに倣いて』より引用です。

・・・「人間は、いくらでも幸せになってもいい。幸せになったら、その功徳をみんなにお分けすればいいんです。そうすれば、もっと幸せが増えるから」・・・

それは毎日の生活のなかで、小さな幸せ、小さな喜びを発見し、その喜んでいる心をそのまま口に出してみることから始まります。
どんな小さな喜びでも、それを言葉に表し、人に伝えてみることで、驚くほどまわりをあたたかく、幸せに変えていきます。
すると自分自身が、仏さまの説かれる法をより深く実感できるようになるのです。

開祖さまに倣いて


確かに、そんな感じがします。

小さな喜び、伝えて行きます(^o^)


2024年12月23日月曜日

願いによって生まれてきた・・・願生

開祖さまに倣いてから 


 『開祖さまに倣いて』より引用です。

「願って」生まれてきた心境になれたとき、人生の苦しみ、悲しみが、解決すべき問題から、仏さまの慈悲の導きに変わったのです。

開祖さまに倣いて

 

あなたは、ソウルメイトを信じますか?

赤ちゃんは、お空から、親を選んで生まれてくるといいます。

私もお空から、親を選んで、願って、生まれてきたのかも・・・

そう思うと、人生の苦しみや悲しみを、実は自分が望んでいた(^^;



2024年12月22日日曜日

真理によって救われる・・・信仰

開祖さまに倣いてから

 


『開祖さまに倣いて』より引用です。

仏さまは、お慈悲によって私たちに難題をもたらしてくださいます。
それは、法の認識を深めさせるためのお慈悲であり、幸せな心境に導くためなのです。


私が真理に沿っていけば、救いという果報は仏さまが出してくださるのです。
それが、根こそぎ救われる法華経の真理の世界です。
そこに「信仰」があるのです。

開祖さまに倣いて

 

なんだよ、難題は、仏さまのお慈悲だったのか・・・。

だったら、お慈悲なんかいらないよって凡夫の私は思うけど・・・。

でも、真理に沿っていけば、よさそうだなぁ、よしよし。

2024年12月21日土曜日

一切のお手配・・・方便

開祖さまに倣いてから

 


『開祖さまに倣いて』より引用です。

そのとき、その場、その人にふさわしいく真実へ導いてくれる縁、それが「方便」です。
人生に起こることすべてが方便であるとすれば、それをすべて生かそうと努力することが、仏さまの願いの通りに生きることであり、真理へつながる道なのです。
本当に仏さまの願いを理解したとき、目の前にあった問題を超えていくことができるのです。

開祖さまに倣いて

上記を何回も何回も読むと、わかる気がしてきた・・・(^^;;;

2024年12月20日金曜日

仏の慈悲を知る・・・本願

開祖さまに倣いてから

 

『開祖さまに倣いて』より引用です。

すべての出来事は、自分本来の仏性を輝かせるために必要で、まわりは自分が仏になるための、有り難い「縁」ばかりなのです。
それがなければ、自分の仏性を輝かせることができない、大切なのは「はからい」なのです。
すべてを仏さまの慈悲だと信じることです。
仏さまのお慈悲を信じることによってこそ、仏さまの本願を受けとめることができるようになるのです。

開祖さまに倣いて


ちなみに、「仏さまの本願」とは法華経如来寿量品で以下のように述べられています。

毎に自ら是の念を作す 何を以ってか衆生をして 無上道に入り 速やかに仏身を成就することを得せしめんと

つまり、どうしたら早く仏と同じ心境にさせることができるのか・・・。
その願いをかなえることが、「仏さまの本願」なのです。


ということで、すべての出来事は、自分を成長させる(仏と同じ心境になる)大切なおはからいと受け止めて頑張れば、いいみたいですね!

2024年12月19日木曜日

心を開く・・・開示悟入

開祖さまに倣いてから


『開祖さまに倣いて』より引用です。

私たちは人さまの悩みを聞かせて頂くときに、ややもすると、その人の心の内を聞く前に悩みの原因が見えてしまうことがあります。
するとすぐにでも悩みを解決してあげたくて、「こうしたら」「ああしたら」と、それまでの経験をもとに、その原因を取り除くためのアドバイスをしてしまいます。
それは相手を思う気持ちであり、また、常識的には正しいことかもしれません。
けれども、いくら正しいこと、変えるべくことであっても、それを先に持ち出してしまうと、相手の心を開くことはできません。


いま目の前にいる人の心を開くには、相手の思いをそのまま共感していくことです。
自分の思いを本当に受け入れてもらったと思えたとき、人の心は開くものです。
すると、今度はどんな言葉も受け入れてくれるようになるのです。

開祖さまに倣いて

『相手の思いをそのまま共感していくこと』わかりました。

2024年12月18日水曜日

ありのままに観る・・・実相

開祖さまに倣いてから


仏さまの智慧とは、ありのままを見通し、ありのままを生かすこと。

 

いまを最大限に生かす智慧を磨くこと、それが私たちの生きる目的なのです。

開祖さまに倣いて

 

その智慧で見ると、嬉しいことや辛いことの中にも仏さまの慈悲のはたらきをみつけることができ、それを乗り越える実践で、幸せになれると説かれているのが、法華経かな(^o^)

 

ちなみに、実相をネット検索すると

実相
  1. 実際の有様。実際の事情。
  2. 仏教すべてのものの、生滅変化する仮のすがたの奥にある真実のすがた。

2024年12月17日火曜日

いまのなかにみつける・・・功徳

開祖さまに倣いてから

 

幸せというのはどこかにあるものを追い求めて得られるのでなく、いま自分がいるその場所で見つけ出すもの、気づくものです。


問題を否定したり、直そうとするのではなく、そのままを喜ぶこと、それが「本質的な救われ」です。


何も変わったことがないのが功徳である場合が多いのです。その功徳を感じとるのが、真の信仰者というものです

開祖さまに倣いて

 

幸せとは、その場で見つけ出すもの、何も変わったことがないのが功徳と感じ取る・・・確かに(^o^)

2024年12月16日月曜日

生かされて生きる・・・縁起

開祖さまに倣いてから


『法華経というのは、因縁を光りが発するように悟ること』・・・。

『法華経の見方とは、いまある「縁」によってこそ、生かされて生きることを感じ取っていくこと』・・・。

 

仏教の教えというものは、詮じ詰めれば、天地すべてのものに支えられているという実相、目に見えないものにも生かされているという実相を、われわれにわからせるためのものなのです。

開祖さまに倣いて

 

ちなみに、実相を、ネットで検索すると。
じっそう
実相
  1. 実際の有様。実際の事情。
  2. 仏教すべてのものの、生滅変化する仮のすがたの奥にある真実のすがた。

余計にわからん(^^;;

2024年12月15日日曜日

光を見いだす・・・成道

開祖さまに倣いてから

 

約2500年前の12月8日、明けの明星を見ながら、お釈迦さまは、お悟りを開きました。

そのお悟りは、人間はもとより、あらゆる動物も植物もみんな仏と同じように尊い、光り輝く存在に見えてきたのです。


本来、光っているものを、光っていると見ることのできる眼を持つこと、それが仏になること。
とにかく、自分も相手もみんな仏性をもっていて、それに気がつくこと……そこから幸せが始まる。


その仏性とは、すべての人を幸せにしたいと願う性質なのだと思います。

 

本質においては金色に光り輝くような美しい世界なのに、心のレンズにいっぱい汚れがついているために、それを通して見る世界が汚れてみえるだけのことです。
ですから、心の汚れをすっかり拭いさってしまえば、この世はこのままで寂光土にかわるのであって、法華経の教えの神髄はこのところにあるといってもいいでしょう。

開祖さまに倣いて

 

だから、心の汚れを落としましょう(^o^)

2024年12月14日土曜日

仏教の戒律と慈悲とは

 

仏教の戒律は、これを破れば、神さまや仏さまの罰(ばち)が当たるとか、社会的制裁が加えられるとかでなく・・・

 

自分自身が損なわれること、自分自身の向上が妨げられること、だからこのように生活をしたほうがいいですよ。
という、『慈悲のすすめ』なのです。


仏教は、何も強制をしないのです。何も束縛をしないのです。正しい道が指し示されているだけなのです。
よくなろうと思う人は、その道に従って精進すれば、まちがえなくよくなるのです。


ちなみに、『慈悲のすすめ』のとは、人を幸せにしてあげたいという心で、とは、人の苦しみを取り除いてあげたいという心です。

2024年12月13日金曜日

葬式仏教のお経

 


普通の人が、お経を聞く機会は、おそらくお葬式ぐらいでしょうか・・・


浄土真宗、天台宗、真言宗などのお経は、まさにお葬式にマッチした長唄みたいなお経ですね。確かに、亡くなった人を浄土に送るのにふさわしい感じのお経です。


しかし、本来、お経はそのようなもでなく、生きているうちに実践するべきものなのです。
お経は、お釈迦さまが2500前にすべての人を幸せにするために説かれた実践教訓なのです。
 

そんな実践教訓の代表が法華経で、法華経を読んだり、書いたり、理解したり、そして、内容を実践する。これで幸せになれるのですね。たぶん。

2024年12月12日木曜日

無礙ならん

 


お経には『無礙(むげ)』という言葉がよく登場します。

『無礙』とは、妨げるものがない、すなわち自由自在という意味です。

ということで、

 

『まさに願わくは衆生と共に、大衆を統理(とうり)して一切無礙ならん』チン!

 

ちなみに、「ならん」は、現代では「ならない」のことですが、古文では「なるらん」から変化したもので「なるだろう」 という逆の意味合いになるとのことです。 


だから、「一切無礙ならん」は「一切自由自在になるだろう」ですか・・・

 

2024年12月11日水曜日

わかりやすい六波羅蜜



菩薩行は、法華経に六波羅蜜の実践と書いてあります。

  • 布施
  • 持戒
  • 忍辱
  • 精進
  • 禅定
  • 智慧

しかし、漢字2文字で言われてもなぁ・・・、なかなか実践できないよなぁ・・・

 

そんなあなたに、わかりやすい六波羅蜜があります!

法華経の前経である無量義経十功徳品に逆説に解説してあるのです!

  • Not慳貪(ガツガツ生きない) = 布施
  • Not驕慢(ツンツン生きない) = 持戒
  • Not瞋恚(カッカ 生きない) = 忍辱
  • Not懈怠(ズルズル生きない) = 精進
  • Not散乱(フラフラ生きない) = 禅定
  • Not愚痴(ブツブツ生きない) = 智慧

 

ガツガツ、ツンツン、カッカ、ズルズル、フラフラ、ブツブツ・・・わかりやすい(^o^)

2024年12月10日火曜日

幸せになれる3つの入り口


某雑誌に以下の『幸せになれる3つの入り口』が載っていました。

 

  1. 過去、自分に起きたことを、すべて受け入れる
  2. 1の延長上で、現在のすべてを、受け入れる
  3. そして、周りの人から感謝される存在になる

 

1は、過去の悪かったことも、良かったことも、すべて受け入れると気持ちがすごく安らかになり、幸せへの一つ目の入り口になります。


2は、現在の自分を取り巻いている状況をすべて受け入れ、それに感謝するということです。これも、幸せへの二つ目の入り口になります。


3は、1と2を踏まえて、人さまから感謝される存在になる…これこそが、人間にとって最高の、この上ない幸せであるといえます。


ということで、これからは、どんな状況におかれても、過去も現在もすべて受け入れ、人さまから感謝されるように精進していきたいと思います!

2024年12月9日月曜日

言葉の力


とある小誌からの引用です。

 

「優しい言葉をかける」といっても、単に口先だけの言葉では相手を動かすことはできません。
心から相手を思い、幸せにしてあげたいという気持ちからほとばしり出た言葉であるとき、その言葉が相手の琴線にふれ、その人生を一変させるほどの力をもつのです。

 

『ほとばしり出た言葉』、ですね……。

 

2024年12月8日日曜日

成道会とは

 


今日は、12月8日・・・

12月と言えば、キリスト降誕のクリスマスですが、仏教だって大きなイベントがあります!

 

それは、仏教三大行事の一つ、『成道会』が、今日、12月8日です。
そう、お釈迦さまが、おさとりを開いた日です!

 
今から約2500年前、今のインド周辺のカピラバストという国の王子で、シャーキャ族(釈迦族)の聖者(牟尼)、『世に比類なき尊いお方』のバガヴァン(世尊)である釈迦牟尼世尊が修行の末、35歳の時、明けの明星が輝く12月8日の朝、ついにお悟りを開かれたのです。
 
 
『お悟りを開いた人(真理を悟った人)』のことを梵語(サンスクリット)で仏陀(ブッダ)と云い、なので釈迦牟尼世尊は仏陀と呼ばれ、日本では、訓読みで『仏さま』と呼ばれるようになりました。
 

そう、これこそが、どんな困難も克服することのできる智慧と慈悲の仏教誕生の瞬間でありました。

 

悟りに至るまでは、修行といっても苦行では悟りはえられぬことに気づいたお釈迦さまは、ある日ブッダガヤという町のはずれの菩提樹の下で、静かに坐禅を組み、ついに12月8日の未明、空に美しく輝く明けの明星をご覧になり、お釈迦さま、こうおっしゃられました。

 

「奇なるかな奇なるかな、一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す、ただ妄想執着あるがゆえに証得せず」


そう、ついに真理をお悟りなったのです。そして仏教が誕生した日でもありました。
 

「不思議なことに、不思議なことに、一切の生きとし生けるものはすべて、佛の智慧と徳相を具えているではないか、ただ、煩悩に覆われていてなかなか気がつかない・・・。」

 

つまり、すべての人は、煩悩を取り除くと仏になれる・・・、本来はすべて仏なので、みな平等・・・。
 

ちなみに、お釈迦さまが生まれた日を「降誕会 4月8日」と言い、回りの不幸をいろいろ見て、すべての人を幸せにしたいと願われ、29才で出家し、35才で真理を悟り(成道会)、72才ぐらいからすべての人を幸せにする極意(法華経)を説きはじめ、80才でご逝去(涅槃会 2月15日)されました。

2024年12月7日土曜日

すべて自分を生かすことだと自覚する


お釈迦さまは、自分を何度も殺そうとした提婆達多(だいばだった)を憎まず、逆によき友(善智識)とおしゃっていました。

これは、自分にとって、いやな人、いやなことが、実は自分を成長させていただけるチャンスなのだという教えなのです。

このように人生は、いいことも、いくないことも、すべて自分を生かすことだと自覚ができれば、すでにもう幸せなのです。

2024年12月6日金曜日

3つの心構えと3つの実践とは


 このブログの常連さんは、もうお分かりだと思いますが、私はRKK教団のダメダメ信者です。

この教団の経典は、「法華経」です。
「法華経」は、実は、難信難解です。
 

その難信難解の「法華経」のエッセンスを以下の「3つの心構え」と「3つの実践」で分かりやすく一般人までに落としてくれたのが某教団の方々なのです。

3つの心構え

  • 自分が変われば相手が変わる。
  • まずは、人さま。
  • すべては、自分。 

3つの実践

  • 朝は、元気良く「おはよう!」と挨拶する。
  • 呼ばれたら、元気良く「ハイ!」と返事をする。
  • 靴をぬいだら、人知れず靴をそろえる。

 

特に「3つの実践」は、現会長先生が自ら3年間毎日実践し、これこそ現代の法華経実践とだ確信したものだそうです。


私も同感だと思うこの頃です(^o^)

 

2024年12月5日木曜日

今の中に見つけるもの・・・

 


昔、旧燈明日記で引用したんだけど、今、引用先がわからない…、良いメッセージなので、また引用しときます(^^;



幸せというのはどこかにあるものを追い求めて得られるのでなく、いま自分がいるその場所で見つけ出すもの、気づくものです。


問題を否定したり、直そうとするのではなく、そのままを喜ぶこと、それが「本質的な救われ」です。


何も変わったことがないのが功徳である場合が多いのです。その功徳を感じとるのが、真の信仰者というものです。

 

仕事での一日3回の警備巡回も、何もないことは、まさに功徳です(^o^)

仕事をちゃんとしてんのかって、声が聞こえて来ましたが・・・


 

2024年12月4日水曜日

法華経は百パーセント救われる?



昔、旧燈明日記で引用したんだけど、今、引用先がわからない…、良いメッセージなので、また引用しときます(^^;

 

 

仏教の基本は「世の中のすべてのものごとは、『因』と『縁』の出合いによって存在する」という縁起の教えです。

 

法華経は、これを一歩進めて「常にまわりの人をよい因・よい縁と見る」という「善因善果」で、すべての人が百パーセント救われるという縁起観なのです。


「法華経ですべての人が百パーセント救われる」というのは、出合うことすべてを幸せの因と見ることで、人は皆幸せになるために生まれてきていると信じること。

 

「〜信じること。」って、あんた・・・(^^;;

2024年12月3日火曜日

理性の宗教と感情の宗教



世の中には、実に沢山の宗教があります。

どの宗教も、幸せになることが目的の一つだと思います。
しかし、宗教がもとで争いが起こることもありますね。


争いの宗教は、『感情の宗教』なのです。
『感情の宗教』には、2つの欠陥があります。


それは、感情である『これは好き』、『これは嫌い』、という2つの欠陥です。

  • 『これは好き』が高ずると、他の宗教を排除し、争いが起きるのです。
  • 『これは嫌い』が高ずると、他をきらい過ぎて、争いが起こるのです。

では、『理性の宗教』とは、どういうものでしょうか?


ハイ、それは、仏教です。


仏教は、感情的にこれを拝めとか信ぜよとか教えられたものではありません。
仏教は、因果の法則を説かれたもので、誰でも理性で理解ができるものなのです。


そう、仏教は

  • 良いことをすれば、良い縁にふれて、良い結果になり、良い報いが来る
  • 悪いことをすれば、悪い縁にふれて、悪い結果になり、悪い報いが来る


です!


しかし、一神教は争いばかりですね…

一神教の各々が、それぞれ絶対的に正しいと思っているから他を許せず争いになる。


世界を救えるのは、やはり、仏教しかないですね…(^o^)

2024年12月2日月曜日

仲良くするのは難しい

 


人には、相性というものがあります。

 

普通、結婚は相性の良い人とするものです。
しかし、実際は、相性が良いと単に勘違いした、あるいは、騙されたケースが多いようですね。


ですので、結婚生活をつづけていると、『無性に腹が立つ』ことがありますね(たぶん相手も同様でしょう・・・)。
これは、感情なので理性では、なかなか抑えきれません。


しかし、そこをなんとか乗り越えるところが、宗教を行ずる信仰者ではないでしょうか・・・。


法華経では、お釈迦様が、自分を何度も殺そうとしたダイバダッタでさえも、良い友達としているのです。
 

逆にいうと、自分にとって都合が悪い相手ほど自分を成長させてくださる有り難い友としてみるのが仏教(法華経)なのですね。


ちなみに、『無性に腹が立つ』の無性は、仏性がない状態のことらしい。

仏性のないもの。悟りを開く素質のないもの

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%84%A1%E6%80%A7_%28%E3%82%80%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%29/

 

すべての人には仏性があるはずなのに、「怒り」や「絶望」は仏性を覆い隠すのですね。
だから、逆の「喜び」や「希望」をいつでももてる自分になりたいですね!

 

 

2024年12月1日日曜日

信仰は お豆腐のように

 


今年も、早いもので、もう12月ですね。

今日は、とあるところで、法話を聞いて来ました。

その法話で、心に残ったものがありました。

それと同じものが、ネットにありましたので、引用しときます。


信仰は お豆腐のようになることです。
豆腐は煮られてもよし
焼かれてもよし 揚げられてもよし
生で冷奴で ご飯の菜によし
湯豆腐で一杯 酒のさかなによし
柔らかくて 老人 病人の お気に入り
子供や 若い者からも 好かれる
男によし 女によし
貧乏人によし 金持ちによし
平民的であって 気品もあり
上流へも好かれる
行儀よく切って 吸い物となり
精進料理によし
握りつぶして味噌汁の身となり
家庭料理に向く
四時 春夏秋冬 いつでも使われ
安価であって ご馳走の一つに数えられ
山間に都会に…….何処でも歓迎せられる

味がないようで 味があり
平凡に見えて 非凡。

https://woo-site.com/article300/2/

 

煮られてもよし、焼かれてもよし、揚げられてもよし、生でよし
味がないようで味があり、平凡に見えて非凡

私も、豆腐のようになりたい(^o^)

2024年11月30日土曜日

出会いが人生を変える

 


たとえば、よく仕事で厳しいことを言ってくる人がいます。

 

その人を「この人さえいなければ」と否定的に見るか、「苦言は、足りない私を向上させるため」と肯定的みるか、またまた「器を大きくさせていただける、ありがたいご縁」と感謝の心で見るかによって、出会いは大きく変化します。

 

つまり、「仕事で厳しいことを言ってくる人」という一つの現象に対して、以下の三つの見方があったわけです。

 

  1. 否定的「この人さえいなければ」
  2. 肯定的「苦言は、足りない私を向上させるため」
  3. 感謝的「器を大きくさせていただける、ありがたいご縁」

 

そして、否定的より肯定的、肯定的より感謝的に見ることにより、仕事スキルが上がり、精神的にも成長ができ、自分が変わり、自分が変われば世界が変わるのです。

 

また、「あいさつ」は人間関係を円滑にする基本の一つです。いまを大切に生きることで、未来が拓くのですから、どんな人にも変わることなく、あいさつをする。

 

相手を否定的に見ないで、こちらが一つのことを貫いていけば、人間関係は必ず変化していくのです。


どんな出会いも感謝的に受け取り、どんな人にもあいさつを貫いていけば、出会いが人生を変えるのです。たぶん。

 

2024年11月29日金曜日

「お経を読む」ということ


 

最近、法華経ブログを再開し始めて、サボりにサボっていた法華経読誦も再開で…(^^;
 

「お経を読む」ということは、どういうことかというと・・・。まず、仏教とは、ずばり「因縁果報」の教えです。

 

平たく云うと、以下の2つです。

  • 良いことをすれば、良い縁にふれて、良い結果が出て、良い報いが来る
  • 悪いことをすれば、悪い縁にふれて、悪い結果が出て、悪い報いが来る

で、お経には、良いことが沢山書かれています。 

 

読み始めのうちは、チンプンカンプンですが、毎日毎日読誦したり、ネットや本で分からない語句を調べたりして、徐々にお経の内容が理解でき、良いことが沢山書かれていると、わかるようになるのです。


つまり、「お経を読む」ということは、良いことが書かれているお経を読むわけですから、良いことなのです。
すると、良い縁にふれたときに、良い結果が出て、良い報いが来ることになるのです。


だから、「お経を読む」と良い報いが来て、幸せになることができるのです(^o^)

2024年11月28日木曜日

いのちの尊さ実感

 

自分が生まれてきた命の尊さを考えてみました。

たとえば、過去10代のご先祖さま1024人の内、1人欠けても自分は存在していないです。

つまり、それだけ尊い命を私たちは生きているのです!

  1. 両親で2人
  2. 両親の両親で4人
  3. 両親の両親の両親で8人
  4. 両親の両親の両親の両親で16人
  5. 両親の両親の両親の両親の両親で32人
  6. 両親の両親の両親の両親の両親の両親で64人
  7. 両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親で128人
  8. 両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親で256人
  9. 両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親で512人
  10. 両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親で1024人

と思ったら、以下は超桁違いに、尊い命を私たちは生きているのですね!!

自分のいのちの尊さについて考えましたが、理屈理論で考えてみると、、、。
男性の精巣は一日に約3億5000万個の精子を作り出します。そして、10歳位から死ぬまで作られます。人生80歳と仮定すると、3億5000万(個)×365(日)×70(年)=8兆9425億(個)
女性の卵巣は1ヶ月に1個の卵子を作り出します。そして、10歳位から50歳位まで作られますので、1(個)×12(月)×40(年)=480(個)
精子×卵子=4292兆4千億(個)となります。

私ひとりのいのちは、1/4,292,400,000,000,000の確立で頂いたいのちなのですね。これを貴重と言わずして何と言ったら良いのでしょうか?

(引用先リンクなくなる)

 まぁ、法華経に出てくる数値レベルのとんでもない数値ですね(^^;;

 

2024年11月27日水曜日

「ようし」と「かなめ」とは


 
最近、仕事で年一度の停電作業夜勤勤務に当たって、面倒臭いな…と思っていましたが、以下を思い出し、意外と何事もなく乗り越えることができました(^o^)

 
とある書誌より引用

何か事が起こると、「さあ大変だ」と言うのが口癖になっている人がいますが、私は逆に難問がくると「これは、おもしろくなってきたぞ」と自分に言い聞かせるのです。そこの紙一重の差が大事だとおもうのです。


さあ大変だと思うと腰が引けてしまいます。反対に、「ようし」と心に決めると、すぐ行動がおこせるのです。行動を起こせば、必ずどこかに道が開けてきます。


「仏教は苦滅の道」であると学んで、「どんな苦も救うことができる教えを見つけた」と、躍り上がらんばかりだった当時の感動です。


その苦滅の道のかなめは、自分に不利なこと、つまり逆縁をも仏さまのご功徳であり、善縁なのだと受け取れるようになることにあります。

    
本当に「ようし」と心に決めて、入念な下準備して、嫌なことの「かなめ」を受け入れたら、意外と上手く終わらせることができ、安堵の日々を送ることができました(^o^)

 
みなさん、「さあ大変だ」と思ったら、脳内で「これは、おもしろくなってきたぞ」と変換するのですよ!

2024年11月26日火曜日

仏教五戒について


 

法華経には五戒(ごかい)という言葉自体は具体的に登場しませんが、方便品第二に六波羅蜜が出てきます。この六波羅蜜は6通りの修行ことで、その2番目の修行に持戒が出てきます。その修行には、以下の5つあるという教えです。

五戒

  1. 不殺生(ふせっしょう)
  2. 不偸盗(ふちゅうとう)
  3. 不妄語(ふもうご)
  4. 不飲酒(ふおんじゅ)
  5. 不邪淫(ふじゃいん)

1から3の「殺さない・盗まない・嘘つかない」は、まぁ当たり前すぎて、守ることすら意識しないでも大丈夫ですが・・・ 人によっては、嘘つきは結構いる感じですか・・・

 

問題は4と5の「酒飲まない・エロしない」は、これは守るのがすごく難しいですね。


お酒は、付き合いでどうしても飲んでしまうとか、特に夏場はビールがすごくおいしいですね。しかし、お酒が入ると、眠たくなったりして何も出来ず、その時間がいつももったいなく思います。


邪淫の本来の意味は、不倫など人の道をはずれた性行為のことですが、一般的には、エロなどのよこしまで、みだらなことです。私も若い時は結構エロ好きでしたが、もうすぐ70歳になる今は、全く無くなってしまいました(^^;;;


ということで、五戒を意識しなくてもできる自分になりたい…と思う今日この頃です。五戒ありを誤解なく言えたかな(^o^)

2024年11月25日月曜日

当たり前の事を当たり前に行うことが大事


仏法では、誰もが否定できない「当たり前の事」を法(真理)といいます。

しかし、この「当たり前の事」を「当たり前に行う」ことが、実生活の上では凄く凄く難しいのです。

 

以前、こんな有り難いお話を聞かせて頂きました。

あるお寺に、お釈迦さまの教えを悟りきった凄く偉いお坊さんがいました。

ある仏教専門の偉い学者さんが、是非、教えを請いたいと遠い所からわざわざそのお寺へ訪ねてきました。

学者さんは、お坊さんに、お釈迦さまの難しい教えの真髄を教えて下さいとお願いしました。

すると、お坊さんは、お釈迦さまの教えは、難しくありません。3歳の子供でもすぐ理解ができます。といってお話しをはじめました。

お釈迦さまの教えは、『悪いことをしては、いけませんよ、良いことをしなさい。』これだけです。

それを聞いた学者さんは、わざわざ遠いところから、そんな「当たり前の事」を聞きに来たのではないと怒りはじめました。

それを見て、お坊さんは、『では、あなたは、その「当たり前の事」を実行することが出来ていますか・・・』

それを聞いて、我に帰った学者さんは、仏法を悟ったそうです・・・。

 

ちなみに、「法」とは、さんずいに去ると書きます。さんずいは、みなさんご存知の通り「水」です。そう、「法」とは、水が流れて去っていくというごく「当たり前の事」をいっている漢字だったのです。

2024年11月24日日曜日

因縁果報

 

今年2月に、次男夫婦に初のお孫ちゃんが産まれ、お孫ちゃんの安全と健康を祈るために法華経の読誦を、毎日することを決意し、しかし、サボり気味なり、そして今、法華経ブログ再開ということで、今のところ、毎日欠かさず、読誦させていただいています(^^;;


法華経の教えは、突き詰めると『因縁果報』という普遍の法則です。
『とある原因(因)』が『とある条件(縁)』にふれ『とある結果(果)』となり『とある報い(報)』が来る。


『とある結果』のところで、ネガティブな妄想が膨らみ、いろいろと苦しくなっている感じです。『とある結果』のところを変えようと思っても、その領域は、実は神や仏の領域で、自分ではどうすることもできません。自分でできるのは、『とある原因』のところなのです。


原因である自分を変えることしか出来ないのです。
自分にできることを精一杯させて頂くしかないのです。
ネガティブな妄想を捨て、今を精一杯生き抜くしかないのです。


さあ、サボらないで、法華経読誦、するぞ〜と誰にともなく・・・(^^;

2024年11月23日土曜日

不退転とあびばっち、あゆいおっち

 

法華経を読誦していると「不退転」とか「あびばっち」、「あゆいおっち」という単語が出てきます。

 

実はこの3つ、同じものなのです。

梵語の「アヴァイヴァルティカ」を音写したのが「あびばっち(阿び跋致)」で、不退転と漢訳されたものなのです。
また、阿惟越致(あゆいおっち)も阿び跋致(あびばっち)と同じものなのです。


尚、阿惟越致は13番16番、阿び跋致は3番、不退転は1,6,12,20番に出てきますね。


あびばっちの決意で、法華経を授受しないといけませんね(^^;


2024年11月22日金曜日

五種法師とは

 

五種法師(ごしゅほうし)とは、法華経に対する修行者のあり方を示すもので、「法華経」の法師品に説かれています。

 

  1. 法華経を受持し。
  2. 法華経を読んで。
  3. 法華経を誦じて。
  4. 法華経を解説し。
  5. 法華経を書写す。

 


法華経を信じきり(受持)、毎日毎日読んで読んで(読)、暗記して(誦)、みなさんに教えてあげる(解説)。
また、インターネットを使って法華経の教えを公開する(書写)。

まだまだですが、私も頑張ります・・・誰にともなく(^^;


2024年11月21日木曜日

雨にも負けず、風にも負けず


私のお仕事は施設警備員で立哨もあります。 ここ数日、雨が降っていました。


雨の中の立哨は、結構堪えますが、「雨の中、ご苦労様」とか「お風邪を引かないように」等の温かい労いの言葉を頂くことがあり、凄く有り難いです。


仕事とはいえ、雨と寒さの中の立哨は、凄く大変です。
でも、その大変さを顔に出したら、警備員失格ですね。


つねに、良い挨拶と良い姿勢。そして、良い身だしなみを心がけ…。
自己改革を続けなければ、警備員の社会的地位は底辺のままです。


休日に自家用車を買い物等で乗り回すと、交通誘導の警備員さんを沢山見掛けます。
半分以上の警備員さんは、だらしがない格好をしていますね。
平気で警備服のままタバコを吸っていたり…。


警備の仕事は、意識を高く持てば、素晴らしい仕事です。
底辺の仕事などと言われないように頑張りましょう!(誰にともなく…)


ちなみに、「雨にも負けず、風にも負けず」の詩は、宮沢賢治の没後に発見された遺作のメモであり、その最後に「南無無邊行菩薩/南無上行菩薩/南無多宝如來/南無妙法蓮華経/南無釈迦牟尼佛/南無浄行菩薩/南無安立行菩薩」という題目が記されていたという。
この詩は、明らかに法華経20番の常不軽菩薩とイメージが重なります。


私も、常不軽菩薩のように、仏性を拝む修行をしているのかもしれません。
私も、デクノボーと呼ばれ…そういう者に私はなりたい(^^;

 

2024年11月20日水曜日

「行ってきます」と「行って参ります」


あなたは、何処かへ出かける時、「行ってきます」と言いますか?
それとも、「行って参ります」と言いますか?

 

この2つ、同じ意味で使われますが、実は、大きな違いがあるのです。それは、「参」が入るか、入らないか、ということです。

 

「参」には、さまざまな出会いの中で、人間として少しでも尊ぶべきものごとを学び、向上して帰ります、という精神的な意味合いが含まれるのです。


また、何かの対戦で、負けると「参った」、「参りました」と言います。
これは、悔しがったり、文句を言ったりせず、謙虚に相手の強さを認め、敬意を表す言葉です。


つまり、尊いものや強いものに近づこうと誓願するのが「参」と言うことなのです。
ということで、「行って参ります」は、イコール自己向上を意味し、仏教的には、自らの魂を磨くことなのですね。


「行ってきます」は、まさにそのままですが、「行って参ります」は、行って魂を磨いてくるのです!