無量義経とは、『数かぎりない意味を持った教えは、ただ一つの真理から出てくるのだ』という教えのお経です。
法華経の序品第一と同じく法華経にとってプロローグ的な役目のお経です。以下のように3品(章)から構成されています。
徳行品第一
仏さまの完全円満な「徳」と衆生済度の「行」を賛嘆申し上げる章です。
説法品第二
仏さまが「数かぎりない意味を持った教えは、ただ一つの真理(実相)から出てくるのだ」という「説法」をされる章です。
実相とは、すべてのものの真実の相であり、宇宙の大いなるいのちです。すべての存在は、大いなるいのちの現れであり、お互いに関係し合いながら大調和を保つのです。
十功徳品第三
仏さまが「この教えを理解実行すれは、以下のように第一から第十の精神的功徳がある」という「説法」をされる章です。
第一の功徳不思議の力とは、以下のような心を起こさせます。
- 自分の考えだけで生きていると思っている者には、仏さまに生かされるという心を起こさしめ。
- 自分の幸福だけしか考えない者には、他人を幸せにしてあげたいという心を起こさしめ。
- 平気で殺生したり、人を苦しめる者には、人を助けたいという、すべてのものを慈しむ心を起こさしめ。
- 嫉妬を生ずる者には、随喜の心を起こさしめ。
- 財産や地位に執着する者には、執着を捨てる心を起こさしめ。
- いつも欲深い者には、人に施す心を起こさしめ。
- 自分は偉い、間違いないと奢り高ぶる者には、謙虚な心を起こさしめ。
- すぐに腹を立てたり、人を恨む者には、何かされても耐え忍ぶ心を起こさしめ。
- 怠けぐせのある者には、一生懸命に努力する心を起こさしめ。
- 変化があるとすぐグラグラ心が乱れる者には、現象に惑わされない静かな安定した心を起こさしめ。
- 目の前の出来事にすぐ愚痴をいう者には、智慧のある心を起こさしめ。
- 人を救ってあげたいと思わないものには、人を救ってあげたいと思う心を起こさしめ。
- 十悪を行う者には、十善の心を起こさしめ。
- 何事も自分中心に考える者には、自然に自分中心に考えない心を起こさしめ。
- いつも後ろ向きに考える者には、つねに前向きに考える心を起こさしめ。
- 煩悩に基づいて行動してしまう者には、煩悩から離れる心を起こさしめ。
- 煩悩が大変多い者には、煩悩を取り除く心を起こさしむ。
第二の功徳不思議の力とは、教えの一部を理解しただけでも、それが無限に展開していくことを悟り得ることができる。
第三の功徳不思議の力とは、自分はまだ悟っていなくても、ほかの人を救うことができる。
第四の功徳不思議の力とは、いつも諸仏の慈愛に手厚く護られているということが実感できる。
第五の功徳不思議の力とは、自分はまだ煩悩に縛られていても、大菩薩と同じような行いを実現することができる。
第六の功徳不思議の力とは、すべての人の人生苦を断ち切ってあげることができる。
第七の功徳不思議の力とは、六波羅蜜という法の宝を求めないのに、ひとりでに身についてくることができる。
第八の功徳不思議の力とは、この経典を敬い信じ、人々のために説いてあげることができる。
第九の功徳不思議の力とは、前世の業を滅し尽くすことができる。
第十の功徳不思議の力とは、善をすすめ悪をとどめるはかり知れないほどの大きな力を得ることができる。
無量義経は、法華経の序品第一で釈尊が法華経を説く前に説かれたお経です。 ですので、法華経を読誦する前に無量義経を読誦することが普通になっていますが、ストーリー的には、 無量義経も法華経もそれ自体で完結していて、わたし的には、それぞれ個別に読誦すればいいのかな・・・と思う次第です。
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