2025年1月20日月曜日

本当の生き甲斐とは?

昔読んだ開祖随感の本をめくると、付箋紙のあるページが目にとまりました。

それは、以下の「奉仕できる喜び」の所でした。


奉仕できる喜び

人はふつう、自分が人に奉仕するのはあまり好きではなく、人から奉仕してもらうほうがうれしいように思っています。しかし、それは心のほんの表面上のことで、心の深いところでは、人はむしろ人に奉仕することを欲しているものです。

どんなことでもいい、実際に人さまのために尽くして、それで相手の人に喜んでもらえると、それがよく分かるのです。

「なんで、子どものことでこんな苦労をしなければならないんだろう」と愚痴をこぼしていた親でも、子どもが一人前になって巣立ってしまうと、空虚な思いに陥ってしまいます。世話をしてあげる人がだれもいなくなると、「ああ楽々した」という思いよりも、虚脱感に襲われてしまうのです。

さらに、体が不自由になって、だれにも、なにもしてあげられず、ただ周囲からしてもらうだけの身になってしまったら、どんなに寂しい思いになるかしれません。

そう考えてみると、自分が人さまに役立てることが、どんなにうれしいことか分かってきます。それが人間の本当の生き甲斐なのです。


庭野日敬著『開祖随感』より

 

人間の本当の生き甲斐とは、自分が人さまに役立てること…なのですね!

日々暮らしていると、ふと、なんのために生きているのだろうか…なんて思う時があります。

そんな時は、原点に戻り、人さまに役立てることを考えて実施すれば、いいわけですよ!(誰にともなく)

2025年1月19日日曜日

七仏通戒偈

 

 

突然ですが、仏教の教えは、八万四千の法門があると言われますが、実は、元は以下の3つだと言われています。

  • 諸悪莫作(しょあくまくさ) - 諸々な悪い行いをしてはならない
  • 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)- 多くの善い行いをしなさい
  • 自浄其意(じじょうごい)- 心を自ずから浄めていく

 

善い行いをする前に、とにかく悪い行いをしないことが重要らしい、そして、「諸悪莫作」と「衆善奉行」は、道徳とイコールで、宗教では、「自浄其意」が要らしいです。

 

また、この3つを『七仏通戒偈』と言って、七仏は、お釈迦様から過去へさかのぼった七代の仏を指しており、久遠の昔から連綿と受け継がれてきた『戒め』という深い意味があります。


まとめ

1に悪い事はしない。2に善い事をしなさい。3に心を磨く。

仏教は、このワン・ツウ・スリーです!

そう、仏教って簡単でしょう!

 

ちなみに、七仏通戒偈は、法華経には出てきていません(^^;;

2025年1月18日土曜日

現代版 法華経見宝塔品 二仏同座


法華経の見宝塔品には、真理を実践するお釈迦様と真理の象徴である多宝如来が虚空で同座するシーン(二仏同座)があります。

 

現代でも、それを彷彿するシーンがありました。1994年11月第六回WCRP(世界宗教者平和会議)がバチカンで行われた時でした。

 

ひな壇の一番高い座に席が二つ、一つは教皇ヨハネ・パウロ二世、もう一つは誰が座られるのだろと注目のところ、なんと立正佼成会開祖さまこと庭野日敬氏が導かれて座られたのです。

 

ここで話しは、29年前にさかのぼります。

1965年9月第二バチカン公会議開会式に出席された、開祖さまは、時の教皇パウロ六世から『キリスト教が分派を生んだのは歴代の教皇の罪です。いまや宗教が分裂しているときではありません。お互いに手を携えてひとつの平和に向かって進むときです』と身近で聞いて、大きな衝撃を受け、宗教協力は可能だと、このお言葉がWCRP活動へと繋がっていきました。

 

そして、開祖さまは感激のあまり教皇さまへ、カトリックへ改宗してもよいと、おしゃったとか・・・。オイ!

 

それを聞いた当時佼成新聞記者の「とある人」さんは、開祖さまに、仏教徒であるのになぜそのようことをおしゃったのですかと問い詰めると・・・。すると開祖さまは一言。

 
相手を信じきれなくて、どうして自分を信じてもらえるでしょうか・・・。

 

このように、開祖さまは、教皇パウロ六世と強い信頼関係を築き、教皇パウロ六世は、1978年8月にご逝去されました。

 

そして、開祖さまは、1994年11月第六回WCRPでバチカンにつくなり、教皇パウロ六世の地下墓所へ一番先に訪れになりましたが、しかし、そこに行く通路がたまたま工事中で、仕方無く、地下墓所の真上辺りの広場で、地面に額をつけて、教皇パウロ六世を参拝されたそうです。それは、霊界にいる教皇パウロ六世と開祖さまがあたかも何かを語り合っているように感じられたとのことでした。

 

以上、『開祖さま生誕会』で、元佼成新聞記者の元某教会長の「とある人」から聞いた開祖さまのエピソードでした。


2025年1月17日金曜日

懺悔経

 

 

『懺悔経』は、『佛説観普賢菩薩行法経』の愛称で、『法華経』ではないのですが、『無量義経』と合わせて、以下の法華三部経の一部を担っています。

 

また、法華経には、三大菩薩がほどよく登場します。

  • 序盤は『智慧の文殊菩薩』
  • 中盤は『慈悲の弥勒菩薩』
  • 終盤は『行徳の普賢菩薩』

 

つまり、法華経の序盤・中盤・終盤は以下のようになっています。

  • 序盤は『十如是』等の法を頭で理解(智慧)することが中心。
  • 中盤は『如来寿量品第十六』等で、法を心(慈悲)で理解することが中心。
  • 終盤は『頭と心で理解した法』を如何に実践(行徳)して行くかが中心。

 

つまるところ懺悔とは、普賢菩薩の行法実践で、六波羅蜜と七戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不悪口、不綺語、不両舌)を行い、心(魂)の垢を落とすだけでなく、ピカピカに磨いていくことらしいです。

 

未来は、一瞬一瞬の積み重ねです。いまこの瞬間こそ、汚れた魂をピカピカに!


尚、懺悔経自体の解説は、またの機会に(^-^;) このタイトル詐欺が〜

 

2025年1月16日木曜日

とある婦人部長の説法


 

RKK教団では、よく信者さんの説法イベントがあります。今回は、とある支部婦人部長さんの説法をご紹介いたします。

 

その支部婦人部長さんは、一緒に関わっていた、とある部員さんの友人が、病気を悲観して自殺をしてしまって、そのことを通して、自分は人との関わりがうわべだけで、実は上手く行っていなかったのではないのか・・・と悩んでいたのです。

 

そんな時期に、自分が多摩教区婦人部青梅練成へ参加することになり、行く当日に、急にお腹が痛くなって、4才の娘が『お母さん、お腹大丈夫』と、お腹をさすりながら、行くのを心配してくれたのです。

 

そして、その青梅練成から帰ってきた時に、自分はすっかりそのことを忘れていたのに、真っ先に娘から『お母さん、お腹大丈夫』と言われ・・・。

 

この練成中も、ずーっと心配をしてくれていた我が子のやさしさに触れた時に、自分には、このやさしさが足りなかったんだ、と気付く・・・。


やさしい子供のいる人には、わかっていただけると思いますが、久々の感動の説法でした・・・涙涙涙。

 



2025年1月15日水曜日

「布薩の日」とは?

 


一年後に、なぜ「布薩の日」と云うか、わかりました。RKK某教会では、月の1日と15日のことを「布薩の日」と言います。


私は、1年ぐらい前に法座(法華経実践の報告会)で質問をしました。『布薩の日ってなんですか? なんで月2回あるのですか?』


その時は、『昔からそうなんです』的な答えで、はぐらかされてしまいました。そして、一年後、ママの付き合いで久々に某教会の法座に座らせていただきました。


法座が終わったあと、隣に座った、とあるおばぁちゃんと久しくお話をする機会があり、そこで一年前に質問した答えのメモを頂きました。


そのおばぁちゃんは、一年前の質問を、その時にわからなかったので、ご自分で調べていたのでした。

 

私自身は、そのことをすっかり忘れていたのですが、そのメモを渡されて鮮明に思い出しました。

 

こんな些細な質問を丁寧に調べてくれて、しかも一年後の突然の回答、感動いたしました。ありがとうございます!


布薩メモ

比丘たちが半月ごとに行われる布薩という集会。

仏陀または長老比丘に対して懺悔を行った。

係の比丘が戒律を一つ一つ読み上げていくうちに、

もしその箇条にふれる罪を犯したという自覚を気づいたら、

即座に自らを申し出て内心のひそかなる罪をすべてさらけだし、

指導者のさばきを待つのでした。

 

つまり、半月毎なので1日と15日に行い、そして、懺悔を行う日なのですね。また、これは某教会の行事でなく、仏教の行事だったのですね。


2025年1月14日火曜日

平和への道

 

 開祖さま(庭野日敬師)の御著書『平和への道』からの引用です。

 

理屈を抜きにして、とにかく、人に親切にしてごらんなさい。そうすれば、なんともいえぬすがすがしい、美しい気持ちになります。そして、そういう行いを続けていくと、そのすがすがしい、美しい気持ちが、いつかすっかり身につき、自分の徳になってしまいます。そういうふうにして心が変われば、体も、暮らしも変わってくる。

 

そうなんですね。自分の徳になるのですね。明日から人に親切にしよう!

そして、暮らしも変わって、貧乏脱出か(^o^)

 

もしかしたら、タイトルと内容が一致していないかもしれませんが、全ての人に親切が行き届く道程、それこそが平和への道なのですね!


2025年1月13日月曜日

大いなる一(ひとつ)


 

仏の真の教えは、唯一であり、それによってすべての人々、衆生(しゅじょう)が成仏できると説く教法を、『一乗』といいます。

 

そして、『一乗』の一(ひとつ)は、『真の教え』のことであり、実は、真理そのものを指します。


つまり、一(ひとつ)は、真理とイコールになり、すべての人が真理に乗ることができると説くのが『一乗』であり『法華経』なのです。


また、すべての衆生(人間)が成仏(幸せ)になるための菩薩行(実践行)は、突詰めると、正しい行いをすることと仏教(法華経)は説きます。

 

そう、辛い日々の生活でも正しい行いをしていけば、やがて、大いなる一(真理)が『止』まって『正』になり、さらに『辛』に一が加わって『幸』になるのです。

 

 

いやー、今回は、我ながら、よくまとまった(^o^)


2025年1月12日日曜日

愚かになることの教え


 

RKK教団(立正佼成会)の開祖さまは、本当の喜びは、自分が救われるのでなく、他人が救われることですと、よくおしゃっていました。

 

現会長先生は、今の学校では、如何に「賢く」なるための勉強で、そこには、競争や対立が生じてしまう。しかし、仏教では、逆に「愚か」になることの教えで、そこには、「和」が生ずると言われました。

 

なるほど・・・。だから私は、仏教に向いているのか・・・(^^;;

なので仏教は、和が生ずるから、世界平和に向いた宗教なんだと思う次第です。

 

しかしそれにしても、一神教は不和を生み出す宗教ですね・・・

2025年1月11日土曜日

信仰とは

RKK教団(立正佼成会)の某教会の掲示板に貼ってあった開祖さまのお言葉です。


信仰とは、何事も起こらぬ平穏無事を願うものではなく、
人生は次ぎから次ぎへ問題が起こってくるものと覚悟して、
それに立ち向かい、乗越えられる力をつけるためのものなのです。 


なぜか、今、このお言葉が、心にすーっと入ってくるんです。

 

次ぎから次ぎへと問題が起こり過ぎて絶望したり、愛する人が突然に亡くなったり、そんな時でも、乗り越えられる力を信仰でつけられるんですね!

 

もうやるしかない! さー、修行だ〜

 

2025年1月10日金曜日

永遠の命

 


もちろん、人間としての命は有限です。しかし、法華経の如来寿量品第十六に、無限の過去から永遠の未来まで、すべての人へ法を説く仏さまのことが述べられています。

 

つまり、仏さまは、永遠の命なのです。まぁ、いきなり言われてもにわかに信じられないと思いますが・・・。

 

そして、仏教とは、仏になるための教え・・・、いや、実は、自分が仏であったことに気づく教えなのです。

 

つまり、自分も永遠の命なのです。もちろん、人間として生身の命は有限です。あくまでも、魂として・・・。

 

しかし、そう簡単に「永遠の命」なんて理解できるはずがないと思うのが普通でしょう。だからこそ、日々、法華経を学んで実行し、法華経の極意「永遠の命」を体感したいと思います。


法華経の極意

『すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。』



2025年1月9日木曜日

法華経は誰が説いたのか?


『とある先生』ことRKK教団の開祖、庭野日敬氏が初代会長を引退する時に、当時、佼成出版社の記者であった『とある人』は、仕事でインタビューする機会があったそうです。

 

庭野日敬氏は、あまり知られていませんが、実は、昔から日本には、宗教教団の初代でこれほどおおぜいの信者さんをもった人はいないそうです。数は少なくとも、親鸞、日蓮、達磨等は有名ですが・・・。

 

ですから、『とある人』は、当然、庭野教の祖師を起こされるんでしょうか?・・・とインタビューすると・・・。

 

庭野日敬氏は、以下のようにおこたえになりました。

 

「私が説いた教えなど何もないです。ただ、法華経の教えを説いていただけなのです。」

「ですので、庭野教などなく、釈尊教団の立正佼成会なのです。」

「また、釈尊も日蓮も自分の説いた教えなど何もないはずです。」

 

では、誰が、法華経の教えを説いたのですか?

 

それは、釈尊がいた時代よりもっともっと大昔よりあり、これから先、未来永劫にまである、普通の人には理解し難い、真理そのものが、実は、法華経なのです・・・。

 

ちなみに、『とある人』とは、当時、佼成出版社の記者で、後に立正佼成会三鷹教会の元教会長さんです。

 

教会長さん、いつも、ネタ、ありがとうございます!


2025年1月8日水曜日

法華経の実践とは?

 

法華経は、実践の書と云われています。

では、法華経のを実践するのですか・・・と問われた時に、即座に答えられないのです。 いや~、盲点でした。

 

確かに法華経はドラマ仕立てになっていて、いろいろありすぎて、決定的な実践すべきことが、即座に分からないのです。

 

ですが、とりあえず、思いつくまま述べてみると・・・。

  1. 四諦,八正道,六波羅蜜の流れの実践。(布施と正しい行い)
  2. 法師品での、五種法師の実践。(法華経の受持・読・誦・解説・書写)
  3. 安楽行品での、四安楽行の実践。(法華経を護持し説き広める心がけ)
  4. 常不軽菩薩品での、仏性礼拝行の実践。(アメニモマケズ、カゼニモマケズ、徹底した礼拝行)

 

1は、法華経というより、根本仏教の教えで、初転法輪のときに説法された、仏教の基本中の基本です。

 

上記を踏まえて、私が、思いついた法華経の実践とは、以下の通りです。

仏教の基本である八正道六波羅蜜を実践しながら、法華経を読誦し解説書写し、
四安楽行を心がけて、相手の仏性を礼拝しながら、法華経を説き広める。

 

上記を実践すれば、『諸法実相(十如是)』『永遠の命』『六通』を会得できるのかなと思う次第です。

そして、以下の実践の功徳があるとのことです。(in 安楽行品

  • 一切心配事がなくなる。
  • 一切苦痛がなくなる。
  • 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
  • 生活にこまることがなくなる。
  • 大勢の人から崇め慕われる。
  • 神からも守護される。
  • いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
  • 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまう。

これは、もう、実践するしかないですね!

 

2025年1月7日火曜日

御親教



 昨日、1/7にRKK教団で『御親教』があると連絡がありました。1/7は、仕事なので行けないのですが・・・


ちなみに、『御親教』とは辞書に出ていなく、意味がわかりません。また、ウェブ検索してもわかりません。
なので推察するには、『親しい教え』か、または『親の教え』なのでしょう…。


実際は、仏教系の宗教の代表者の年頭の挨拶を『御親教』と云っているみたいですね。
宗教の代表者は、親みたいなもので、年頭に親しく教えを説くので、『御親教』ですかね?

 

2007/1/7の御親教でのメモがありましたので引用しときます。

 

今日は、某教会で御親教というイベントがあり、いろいろ善い話を聞いてきましたのでここにメモしておきます。

  • 信仰に自信をもつこと。
  • 人の死にかたは、その人の生きかたが表れる。
  • 亡くなった人へ感謝して生きること。
  • 長所と短所は紙一重。長所は短所にならないように努力し、短所は長所になるように努力する。

とにかく、自らを信じて、すべてのことにあたる。
そして、感謝して、すべてのことにあたる。
そう、『自信』と『感謝』の2本柱で今年は乗り切って行こうと思います。

 

人の死にかたは、その人の生きかたが表れる。』は、今年の1月2日のブログに書いたばかりですね!まさにそうだと思います。

 

2025年も、『自信』と『感謝』の2本柱で乗り切って行こうと思います(^o^)

 

 

 

 

2025年1月6日月曜日

六通(神通力)


 

仏道を修行していると、2次的にいつのまにか会得してしまうという6個の神通力(六通)があります。

  • 天眼通 - 普通の人に見えないものを見通す能力
  • 天耳通 - 普通の人に聞こえない音や声を聞くことができる能力
  • 他心通 - 人の心をすっかり見通す能力
  • 宿命通 - 前の世のことを知ることのできる能力
  • 神足通 - 素晴らしい早さでどこにでも自在に行ける能力
  • 漏尽通 - 自由自在に人の迷いを除ける能力

また、生まれつきそのような神通力を持ち合わせている人もいるようです。 たぶん、そのような人は、前世で仏道の修行をしたのかも知れません。


しかし、世の中には、このような超能力を全否定する人が結構沢山います。

 

確かに今の科学では、証明されていないし、疑い深い人は、インチキだと思っていることでしょう・・・。

 

でも、私は本当だと信じたい・・・


2025年1月5日日曜日

悪魔の部屋

 

みなさんは、決して開けてはならない「悪魔の部屋」をご存知でしょうか?

 

某小誌にヘルパー養成講師でエッセイストの、認知症介護についてのエッセイの中に載っていた「悪魔の部屋」です。

 

ある日、認知症の母親を介護している知人から、このエッセイストに「母親を殺してしまいそう!」と電話が掛かってきました。

 

そのとき、エッセイストは、すかさず、「わかった、今、ロープをもって手伝いに行く」と言ったら、 受話器の向こうから大きなため息と「ありがとう、気持ちが少し落ち着いた」という言葉が返ってきたという。

 

普通の人なら、励ましの定番「頑張って」と言ってしまうかもしれません。しかし、介護を究極に頑張っている人には、 無意味というより、逆に本当に殺しかねません。

 

介護は本当に大変です。これは、経験してみないと分からない大変さなのです。このエッセイストは、「心の中に悪魔の部屋を持っていい」と言っています。

 

悪魔の部屋に「ぽっくり、逝ってくれないか」「どこかに行ってしまえばいいのに」を閉じ込めるのです。

 

自分がやさしい人だと思っている人ほど、介護される人を憎んだりすることを悪いことだと考えてしまい、ストレスになってしまうのです。 

 

いいんです。悪いことを考えても、ただし、決して開けてはならない悪魔の部屋の中にだけに・・・。

 

介護と「悪魔の部屋」の葛藤の積み重ねが、死を大きく包み込み(私達、頑張ったわよね)と思える、 そして、それまでマイナスだと思っていた感情が、大きな愛に変わるのです。

 

今まさに、介護に疲れた人に、以下のお言葉を捧げます。

あなたが乗り越えられないような苦労を、神仏はけっして与えられません。
それは、あなたがそれに耐えて成長していける人だから与えられる試練です。
いつの日か「あのときの悲しみ、あのときの苦しみのお陰で、いまの私がある」
と思えるときが必ずくるものです。  By 庭野日敬

 

実は、私も父が亡くなりまでの半年間、父の介護で、妻、妹、叔母が次々にダウンして、最後は、私と長男で食事を作ったり、本当に大変な思いをしました。

 

私も「悪魔の部屋」に助けられたのです。また、本当にどうしようもないとき、神仏が助けてくれるを・・・実感しました。

 

どうか、「悪魔の部屋」で気持ちを切り替えて、辛い現実を乗り越えてください。


 

2025年1月4日土曜日

供養とは何か?

家内(ママ)からご仏壇(ご宝前)に、毎朝、必ずお水とお茶を上げてね・・・と言われて、 始めのうちは、いやいやながらでしたが、今では習慣になってしまいました。 当然、寝る前にはそれを下げるのも私です。

 

このような行いを仏教では、「利供養」といい、 本来、仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為なのです。

 

私の場合は、そんなことつゆ知らずに、家内から半強制にやらされましたが、 結果的にそういうことだったのです(^^;;

 

供養こと「仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為」は、 「利供養」とは別に「敬供養」「行供養」があります。

 

  • 「利供養」とは、仏さま(仏壇)へお香・華・水、お茶、ご飯)をたてまつる供養。
  • 「敬供養」とは、仏さま(仏壇)へ読経(法華経等)をし、敬い、賛嘆する供養。
  • 「行供養」とは、仏さまの教え(法華経等)を受持し、実践(六波羅蜜)する供養。

 

自分で言うものアレだけど、結構、供養している。 でも、供養が「仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為」と言われると、ちょっと意外。

 

しかしだんだん、自分にも信仰心が芽生えてきていると自覚しはじめている今日この頃です。かつては、大嫌いだったのに・・・

 

宗教嫌いのあなたへ、神(仏)にすべておまかせする生き方もいいものですよ、とか言ってみるテスト(^o^)

 


2025年1月3日金曜日

教えの流れ

 

初めに、無量義経は、法華経(本経)の開経と呼ばれ、法華三部経の一部を担っています。ちなみに、もう一つは、仏説観普賢菩薩行法経で結経と呼ばれています。

そして、教えの流れが 開経無量義経の中でお釈迦さま(世尊)への質問にて明らかにされます。

 

無量義経の十功徳品で、大荘厳という菩薩が世尊(釈尊)に3つの質問をします。

  1. この経典は、いずれの所よりか来たのですか?
  2. 去って、いずれの所にか至るのですか?
  3. とどまって、いずれの所に住するのですか?

 

世尊は、この質問を褒め称え、以下のようにお答えになりました。

  1. この経典は、本諸仏の室宅の中より来たり。
  2. 去って、一切衆生の発菩提心に至り。
  3. とどまって、諸々の菩薩所行の所に住する。

 

分かり易く言うと、この教えの流れが、宇宙の万物を生かす仏の心の奥にある真実の慈悲からあふれ出たものですべての人に届きこの法を知ることによって最高無上の悟りを得る智慧に至り菩薩行の実践(行徳)の中に流れが存在し留まる

 

・・・ここにも、法華経の3つのキーワード、「慈悲」「智慧」「行徳」が顔を出しました・・・(^o^)

2025年1月2日木曜日

人の死にかたは、その人の生きかたが表れる

 


今日は、2025年1月2日。

とある1月2日に、とある知り合いのお婆さんが、亡くなりなした。

このお婆さんは、RKK教団の教えを大変よく実行した方で、お子さんは教会長までしています。


元旦に親戚がみんな集まり、子供や孫、ひ孫達との団欒後、その日の夕方に気分が悪くなって、あくる日に、大きく息をしたあと急死したとのことです。


元旦までは、お元気だったとのことです。


急死ということで、大変驚きがあったのですが、ある意味、まわりに全く迷惑を掛けずに、親戚全員に見守られながら亡くなったのです。


実は、その後、別の年の同じ日の1月2日に私の父が亡くなりました。それはそれは、亡くなるまで大変でした。妻、妹、叔母さんまでもが看護で次々ダウンし、最後は私と長男が食事を作って看護・・・

 

『人の死にかたは、その人の生きかたが表れる。』という言葉、まさに真実です。実感をもって聞きました。

 

私は、父を反面教師にして、ワガママをせず、周りに迷惑をかけないように(特に妻と子供達へ)、良い死にかたができるように生きていこうと思います。


2025年1月1日水曜日

今日は元旦、法華経ブログ毎日更新

 

 

明けましておめでとうございます。

 

さて、今年は、「法華経ブログ」を毎日更新したいと思っています。

本ブログのブロガーシステムには、下書きとスケジュール機能があります。

ネタを下書きし、スケジュール機能で毎日5:00に配信していきます。

 

しかし、このブロガーは、よく出来ていて、しかも無料で、広告も出ない!

元プログラマーには、凄く使い易く、マジで、素晴らしいシステムです。

アンドロイドスマホで撮った写真が、即ブログに貼り付けできるし・・・凄い。

 

この素晴らしいブロガーで一年間 法華経ブログの毎日更新を頑張ってみます。

本年もよろしくお願いいたします!

 


追記

昭和生まれの人へ、今年は昭和100年になるの知ってましたか!
昨日、picoちゃんのひいばぁちゃん(90歳)が来てそう言ってました。