2016年4月7日木曜日

法華経の教え

法華経の教えとは
悟ればこの身がすなわち仏であり、みんなが悟ればすなわちこの世が寂光土であるという教えです。
仏はわれわれの心のなかにある、極楽はわれわれの日常生活のなかにあるという教えなのです。
『新釈 法華三部経十巻』(著:庭野日敬) より


ごく身近な心の中と日常生活の中にあるとは、まさにその通り、素晴らしい気づきだ!

2016年4月6日水曜日

仏の十号

法華経には、釈尊を始めとして沢山の仏さまが登場します。
過去の日月燈明仏等や弟子達の未来仏、そして他の惑星の仏さま達……。

登場するたびに、仏の十号という尊称で紹介されます
  1. 如来(にょらい)- 真如(ほぼ真理と同じ)から来た人
  2. 応供(おうぐ)- 供養を受けるに相応しい人
  3. 正偏知(しょうへんち)- 正しい智慧を具えた人
  4. 明行足(みょうぎょうそく)- 智慧(明)と実践(行)が満ち足りている人
  5. 善逝(ぜんぜい)- 迷いを完全にのぞきさってしまった人
  6. 世間解(せけんげ)- 世間をはっきり見分けることができる人
  7. 無上士(むじょうじ)- この上もないりっぱな人
  8. 調御丈夫(じょうごじょうぶ)- どんな人でも教えに導くことが出来る人
  9. 天人師(てんにんし)- 天上界と人間界の大導師の人
  10. 仏世尊(ぶつせそん)- 悟ったことにより世の中で尊重される人
ということで、仏の十号でした。

2016年4月5日火曜日

四顛倒(してんどう)

顛倒とは、物事を逆さまに見ること、すなわち真相を見誤ることです。
普通の人(凡夫)には4つの顛倒があると、仏教では云われています。
  • 常顛倒 - 本来は無常(変化)であるのに、常(変化しない)と考える。
  • 楽顛倒 - もともとは苦であるものを、一時的な現象だけで楽と考える。
  • 淨顛倒 - 不浄なるものを、表面だけを見て淨と考える。
  • 我顛倒 - 世の中は助け合って成り立っているものを、自分の力だけだと考える。

人は追い込まれると、まさに四顛倒になりますね。
余裕をもって四顛倒にならないようにいきましょう。

2016年4月3日日曜日

『劫』という時間の長さ

お経には、『劫(こう)』という時間の単位がよく登場します。
では、『劫』という時間の長さはどれぐらいでしょうか?
お釈迦さまは以下の様に、おっしゃたそうです。

『たとえば、広さ40里もある石の山があって、その頂きを100年に一度ずつ柔らかい衣の袖で撫でることによって、
石の山がすこしずつ磨れてゆき、すっかり磨れてしまうまでの年数よりも、劫というのはもっと長い時間である』

いや~どんだけ、長いんや~。
ちなみに、1里は約3.9キロメートルです。

2016年4月1日金曜日

さとりの境地

さとりの境地をまとめてみました。
  1. 1.なん法 - 仏法にふれて暖かく傍にいたいと思う境地。
  2. 2.頂法 - 仏法の尊さはやや認識できたけど、あやふやな境地。
  3. 3.忍法 - 仏法の尊さがはっきり認識できた境地。
  4. 4.世第一法 - 仏法が世の教えの中で第一であると確固たる境地。
  5. 5.須陀おん果 - 仏道の流れに乗った信仰状態の境地。
  6. 6.斯陀ごん果 - まだ迷いのある凡夫へ戻る可能性のある信仰状態の境地。
  7. 7.阿那ごん果 - もう凡夫へ戻る可能性のない信仰状態の境地。
  8. 8.阿羅かん果 - まよいのない境地、声聞の最高の境地。
  9. 9.辟支仏 - 縁覚ともいい、生活体験によって仏の道を会得している状態の境地。
  10. 10.第一地:歓喜地 - 二空の理を会得して大歓喜している境地。
  11. 11.第二地:離垢地 - 煩悩(垢)からすっかり離れた境地。
  12. 12.第三地:発光地 - 人格から光を発する境地。
  13. 13.第四地:焔慧地 - 焔(ほのう)のような智慧をもった境地。
  14. 14.第五地:極難勝地 - 言う事、なす事がすべて仏道と一致してくる境地。
  15. 15.第六地:現前地 - すべての人が平等であると現実に目の前に見えてくる境地。
  16. 16.第七地:遠行地 - 声聞・縁覚のさとりから遠く離れて、仏に近くなった境地。
  17. 17.第八地:不動地 - 仏の境界に達する資格が不動になった境地。
  18. 18.第九地:善慧地 - どんな人でもかならず救えることが出来るようになった境地。
  19. 19.第十地:法雲地 - 大雲が空を覆うように仏法でありとあらゆる人を救う境地。
1から4は、仏教入門の人の境地
5から8は、いわゆる声聞といわれる人の境地
9は、いわゆる縁覚といわれる人の境地
10から19は菩薩といわれる人の境地
う~ん、私は、4~5の中間ぐらいかな、まだまだ、先は長い……。

2016年3月31日木曜日

仏教で云う『真理』とは?

普通、『真理』とは、いつでも、どこでも変わりのない法則が真理です。
仏教では、その真理を『』とも呼び。真理に合うとは、大調和のある世界を創造する一因をなすことが、 真理に合ったということなのです。たぶん。

2016年3月29日火曜日

仏教で云う『中道』とは?

普通、中道とは、物事の中程の道と思われています。
しかし、釈尊は、最初に説法された初転法輪で以下のように仰いました。
『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。
如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。』
この『中道』とは、『極端を離れたほどよい道』というあいまいなものではなく、ただ一つしかない真理に合った道を云うのです。
仏道修行によって『我執』を捨て、八つの正しい道(八正道)を歩むことを心がけていますと、 しだいしだいに、考え方や行いが真理に合うようになってくるのです。
では、真理に合うとは、『仏教で云う『真理』とは?を参照願います。

2016年3月27日日曜日

仏教で云う『我執』とは?

普通、『我執』とは、我に執着することで、すべて自己中心に考え「自分のために・・・」と考える気持ちです。
釈尊は、お悟りを開かれた時につぎのように仰いました。
『奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。
ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。』
つまり、我々の心に、この我執が充満しているかぎり、すべてのものを生かす真理が入り込む余地がないのです(証得せず)。 逆に、『我執』を捨てた『無我』の境地になると、真理の光が何の障害もなく心の底に差込み、染み込んでくるのです。
したがって、いくら仏教を学んでも行じても、『我執』を捨てなければ、救いも幸せも生ずるはずがないのです。
では、どうしたら『我執』を捨てることができるかというと、仏教徒の人は、朝夕の読経供養がいいらしいです。 では、一般の人は、どうするの・・・仏教徒になるしか・・・。

2016年3月26日土曜日

仏教で云う『空(クウ)』とは?

色即是空とか空即是色といった言葉をよく目にします。 この空(クウ)は、一般的な意味は空『カラッポ』という意味です。 しかし、仏教で云う空とは、全く反対の『実体』と云うことなのです。
空の原語である梵語のシャーニャは、『脹らむもの』と云う意味だそうです。 『脹らむもの』とは、エネルギーの象徴です。 生きて、動いて、働いて、ものごとを作り出すエネルギー、それが空の真の意味なのです。
『実体』と『エネルギー』は一見矛盾すると思いますが、現代物理学では、究極の物質(実体)はエネルギーだそうです。 だから、矛盾していないのです。
究極の物質が『空』であると云う事は、容易にこの宇宙の実体が『空』であるということにたどり着きます。 また、人間も宇宙の生成物の一つである以上、『空』なのです。
したがって、人間の本質は、生きて、動いて、働いて、ものごとを作り出すエネルギーで、すべての人間は、同じ『空』なのです。
つまり、人間は、何かを創造することが本質で、すべての人間は、平等に空に生かされている兄弟姉妹なのです。 だからこそ、大調和のある世界を兄弟姉妹で創造することが、『空』の最終形態なのかなと思う次第です。
と、私の今のレベルでの空の理解でした。"違うぞ!"、という方、ご指導よろしくお願いいたします。

2016年3月24日木曜日

法華経(仏教)を解き明かす『3』という謎の数とは?

法華経を読んでいると、なにかと3つが組みになっているキーワードに遭遇します。
智慧系慈悲系行徳系
文殊菩薩弥勒菩薩普賢菩薩
多宝如来釈迦如来阿弥陀如来



法身
応身報身
如来の室
如来の衣如来の座
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
声聞
縁覚
菩薩
四諦
十二因縁
六波羅蜜
小乗
大乗
一乗
無量義経
法華経
懺悔経
縁起の法永遠の命法の実践
呼ばれたら返事、ハイ!朝の挨拶、おはよう!脱いだ靴は、そろえるよ!
法布施財布施身布施
敬供養利供養行供養
自分が変れば相手が変るまずは人様すべては自分
そして、それらのイメージが自然と、智慧系、慈悲系、行徳系に分類されるのです。 また、法華経の前半を智慧系が、中程を慈悲系が、後半が行徳系のくだりになっているのです。
どうも、この3つの系が一体化されたものを釈尊は、悟られたのかなぁと思う次第です。 まだ、未消化気味の内容の文章ですが、これからも考察していきたいと思う次第です。

2016年3月22日火曜日

初転法輪

初転法輪とは、今から約2500年前、釈尊がお悟りを開いた後に、以下の5人へ、はじめて鹿野苑(インドのベナレス)で説法をされたこと云います。
ちなにみ、初転とは、はじめて転がすことで、法輪とは、法の車輪を転がすことです。(古代インドでは、りっぱな王には、巨大な車輪が授けられた。)
  • 嬌陳如(きょうじんにょ)
  • 跋提(ばつだい)
  • 婆沙波(ばしゃば)
  • 摩訶那摩(まかなま)
  • 阿説示(あせつじ)
第一声は以下でした。
『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。
如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである』
そのあと、四諦八正道の教えが説かれたとのことです。
また、仏、法、僧がはじめてそろった、つまり、仏教が誕生した記念すべきイベントが初転法輪なのです。

2016年3月21日月曜日

開経偈

開経偈とは、『お経文として読誦するのでは無く、法華経を拝読するときにお唱えする讃文(讃歌)であります。』ということで、以下を唱えます。
無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭いたてまつること難し。
我今見聞し受持することを得たり、願わくは如来の第一義を解せん。
至極の大乗思議すべからず、見聞触知皆菩提に近づく。
能詮は報身、所詮は法身、色相の文学は即ち是れ応身なり。
無量の功徳皆この経に集まれり。是の故に自在に冥に薫じ密に益す、
有智無智罪を滅し善を生ず、若は信、若は謗共に仏道を成ず。
三世の諸仏甚深の妙典なり、生生世世値遇し頂戴せん。 
要約すると、「法華経に巡り会えることは凄く難しく。しかし、私は今、法華経と出会い、心に刻み、できれば、法華経の神髄を理解したい。」、つまり、「遭い難き法華経に出会えて、法華経の神髄を必ずつかませていただきたい!」ということです。
そして、法華経の神髄とは、「無常の法」であり、お互いに生かしあい(諸法無我)、絶えず変化している(諸行無常)ことを悟り、宇宙全体のありようを、一つの大きないのちと観じられる・・・。

2016年3月20日日曜日

三帰依文

三帰依文とは、仏教徒なら毎日お経を上げる前に必ず唱える例の決まり文句です。
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 
大道を体解して、無上意を発さん。 

自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 
深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん。 

自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 
大衆を統理して、一切無げならん。 
意味は、「仏(仏さま)・法(真理)・僧(仏の仲間)を全身全霊で信じきり、拝みきって、心のよいどころに致します。」ということらしい。

では、なぜいきなり、三帰依文かというと・・・。
それは、先日、三身一体でお話した「応身・法身・報身」が、もしかしたら、「仏・法・僧」のことではないか・・・と、ふと思ったのです。っていうか、報身がイマイチ理解できなくて、そこに「仏・法・僧」の「僧」が、飛び込んできたのです。つまり・・・
  • 応身 = 仏
  • 法身 = 法
  • 報身 = 僧
ということで、報身とは、法華経を行ずる我々自身だということに気づかせて頂きました。
そして、他人からいわれるのでなく、自ら「仏・法・僧」を全身全霊で信じきり、拝みきる・・・。私は、いつになったら、その境地になれるのでしょうか・・・。

2016年3月18日金曜日

三身一体(法身・応身・報身)

三位一体では、ありません、こちらは、キリスト教でのお祈りの言葉で「父と子と聖霊の名のもとに・・・」であり、父とは神であり、子とはイエスのことであり、聖霊とは信仰の証のことです。
さて、三身一体とは、以下のように仏教での三身の仏のことをいい、そして、三身だけど実は一体なのだという教えです。
  • 法身 - 法華経では、多宝如来として表されている究極的な真理(仏さまの本体)をいいます。
  • 応身 - 究極的な真理を衆生にお示しになるために、人としてこの世に生まれた釈迦如来をいいます。
  • 報身 - 浄土宗でいう阿弥陀如来などのことで、修行の報いによって仏になられた信仰の証をいいます。
そう、三位一体とほぼ一緒と言おうか、これは、もう同じでしょう・・・。やはり、仏教もキリスト教も根本では、同じ説を信じます。

2016年3月17日木曜日

四弘誓願(しぐせいがん)

先の「法華経 従地涌出品 第十五」で、他の世界からやって来た菩薩達が、仏の滅後に娑婆世界にとどまってこの法華経を広めたいと申し出たのを、きっぱりとお釈迦さまは、お断りになったとたん、突然地面の中から涌き出した四大菩薩(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)等は、どのような意味があるのでしょうか。
実は、この四大菩薩は、菩薩としての四つの大誓願を代表しておられるのです。これを四弘誓願といいます。
  • 安立行(衆生無辺誓願度)- 衆生の数は無辺であろうとも、すべてもれなくお救いしようという誓願。
  • 浄行(煩悩無数誓願断)- 煩悩の数は無数であろうとも、かならずすべてを断ち切ろうという誓願。
  • 無辺行(法門無尽誓願学)- 仏の教えは無尽であろうとも、かならず学びつくそうという誓願。
  • 上行(仏道無上誓願成) - 仏の道は無上であろうとも、かならず成就しようという誓願。
まず、娑婆世界の地から涌き出したということは、娑婆世界の住民であるわれわれが、自らこの世界を法華経(正しい教え)によって、平和をつくりださねばならない、という力強い意味があります。
また、菩薩の名前に「行」が付いているのは、まさに「この世界を法華経(正しい教え)によって平和を作りださねばならない」という「行」そのものなのです。そして、その「行」は、四弘誓願の実践とイコールらしい。

2016年3月15日火曜日

衣座室(えざしつ)の三軌

以前、法華経の勉強会に行って、法師品第十を主に勉強してきました。で、心に残った『衣座室(えざしつ)の三軌』をお分けいたします。
これは、法華経を説く時の三つの心構え(ルール)です。
如来の室に入り如来の衣を著如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。
  • 如来の室(大慈悲心是れなり)
    大きな喜びをあたえ、大きな苦しみをも取り除いてあげようとする心。
  • 如来の衣(柔和忍辱の心是れなり)
    やさしくおだやかで、種々の侮辱や苦しみを耐え忍び、心を動かさないこと。
  • 如来の座(一切法空是れなり)
    すべての人は、仏の子(同根同胞)であり、すべての教えは、平等に受け止められ、生きるエネルギーになる。
ちなみに、「四衆」とは僧、尼、信男、信女の仏教信者をいいます。


とある教団で、とある開祖さまが、ナンバー2の人を担いだグループから邪険にされた時代がありました。
しかし、とある開祖さまは、そのグループをまったく咎めなかったのです。
のちに、とある開祖さまが、この時の心境をインタビューされたとき、以下のようにおっしゃいました。
そのグループの人達は、私の可愛い子供達(仏の子)ですからね。出来の悪い子供ほど可愛いものです。
開祖さまは、まさに、『衣座室の三軌』を実践したといえるでしょう・・・。すごい。

2016年3月14日月曜日

智慧とは・・・

  • 智慧の智とは、すべての物事の違いを見分ける力。
  • 智慧の慧とは、すべての物事の共通を見いだす力。
  • 救いとは、心のやすらぎと生きる希望を与えられたとき。
  • 有難いとは、有る事が難しいこと。
  • 仏性とは、すべての人がもっているもの。

2016年3月13日日曜日

慈悲の心とは・・・

慈悲の慈とは、梵語のマイトレーヤの訳で「最高の友情」という意味があるそうです。で、そこから転じて、「与楽の心」だと定義されています。(たぶん、法華経に・・・)
慈悲の悲とは、梵語のカルナーの訳で「苦しんでいる人の声をきいて共感してあげる」という意味があるそうです。で、そこから転じて、「抜苦の心」だと定義されています。(同じく、法華経に・・・)
また、法華経では、すべての人が平等であると説いていますが、人生にはいろいろと苦と楽にアンバランスが生じ、不平等が生じます。
そして、不平等が生じたときに、ほとんど無意識にその不平等を均して平等に返そうとする気持ち、どうしてもそれをぜすにはいられなくなる気持ちを・・・、慈悲の心というらしい・・・。

2016年3月11日金曜日

四無量心(慈・悲・喜・捨)

ふつう、人は、幸せになりたい。なるべく悲しい思いはしたくない。自分だけの喜びをもちたい。自分の大切なものは捨てたくない。
と、まぁ思うものです。そう、これがごく普通です・・・。
しかし、約2500年前のとあるお方は、
  1. 『慈 = 自分でなく人を幸せにしてあげたい』
  2. 『悲 = 人の苦しみを取り除いてあげたい』
  3. 『喜 = 人の喜びを一緒に喜んであげたい』
  4. 『捨 = どんなことに出会ってもありのままに受けとめて、怒ったり驚いたり過剰に反応しない』
を実践したそうです。
ふつうの人のは、無意識で人間の本能と言えるのに対して・・・、とあるお方のは、全く逆で、意識的で、それを実行するために常に修行という努力が必要でした。
種明かし、そう、とあるお方は、ブッダこと仏さまのことであり、また、『慈・悲・喜・捨』の4つを仏教用語で『四無量心』といいます。
つまり、ブッダの教え、仏教は、『四無量心』の実践といえます。また、法華経そのものともいえますね・・・。
さあ、あなたも、いつまでも本能まま生きるのではなく、『四無量心』を実践してみては・・・。誰にともなく・・・。

2016年3月9日水曜日

三法印

仏法には、三法印という教えがあります。
  • 諸行無常 - この世の中に現れるすべての現象は、たえず変化する。
  • 諸法無我 - この世の中のすべてのものごとは、必ずつながりがあり、孤立しているものはない。
  • 涅槃寂静 - 迷いをすっかり吹き消してしまってこそ、平穏な、生活が得られるのだ。
この教えで、涅槃寂静の教えが、どうも、しっくりこないのです・・・。
諸行無常は、たえず変化するということで、「永遠の時間」の概念です。諸法無我は、必ずつながりがあるということで、「永遠の空間」の概念です。
では、涅槃寂静は、この二つと同レベルなもののはずですよね・・・。つまり、涅槃寂静は、「永遠の時間でも空間でもないもの」です。たぶん。
では、「永遠の時間でも空間でもないもの」って何でしょうか?
この世は、時間と空間で成り立っているので、そんなもん、まったく、思い付きません。
この世?・・・、あっ!、思い付いた! もしかしたら、涅槃寂静は、あの世ことではないでしょうか・・・。そして、永遠の時間と空間が畳み込まれた世界・・・。
まぁ、宗教素人の戯言でした・・・。トンデモ思い付き、御免!

2016年3月8日火曜日

十如是(じゅうにょぜ)

十如是の如是は、「このように」とか「あるがままのすがた」という意味です。では、各々説明いたしましょう。
  1. 如是相 - あらゆる存在には、必ず持ち前のすがた(相)があります。
  2. 如是性 - (相)あるものには、それにふさわしい持ち前の性質(性)があります。
  3. 如是体 - (性)あるものには、それそのものの主体(体)があります。
  4. 如是力 - (体)あるものには、かならずそれにふさわしい(力)をもっています。
  5. 如是作 - (力)あるものには、かならずいろいろな作用(作)をおこします。
  6. 如是因 - (作)を起こせば、そこに、原因(因)が生じます。
  7. 如是縁 - いろいろな原因(因)がいろいろな条件(縁)で出会います。
  8. 如是果 - すると、いろいろな結果(果)でることになります。
  9. 如是報 - 結果(果)がでれば、あとに必ず何か(報)を残します。
  10. 如是本末究境等 - そして、これら9つ(本末)は、つまるところ(究境)、等しいものである。
と、いう教えです。つまり、『因縁果報』そのもので、諸法実相とも云い、そして、『法華経の神髄』で述べた半分の部分です。
実は、この十如是は、序品、方便品での流れの中に不自然に出てきます。あたかも、誰かが後から付け足したように・・・。まぁ、こだわりませんが・・・。

2016年3月6日日曜日

六波羅蜜(ろくはらみつ)

六波羅蜜の波羅蜜は、梵語でパーラミータのことで、到彼岸ことです。また、彼岸とは、ずばり真理を悟った境地のことです。
つまり、六波羅蜜とは、悟りに到るための六通りの修行のことです。
  1. 布施 - 精神的、物質的、肉体的にあらゆる面から人に尽くすこと。
  2. 持戒 - 謙虚に教えを守り、人格完成の努力をすること。
  3. 忍辱 - 他に対して寛容であり、どんな場合でも平静心を保つこと。
  4. 精進 - 本来の使命にむかって、人格完成の努力をすること。
  5. 禅定 - どんな事が起こっても動揺しない、平静心をえること。
  6. 智慧 - どんな場合でも、真理に沿った、正しい道を選ぶことができること。
お布施とは、悪徳宗教の資金源のことではありません。また、お金でなくても、人に尽くことは沢山ありますよね!

2016年3月5日土曜日

十二因縁

十二因縁とは、正しいものの見方を知らないと(無明の状態だと)、12個の因縁よって、不幸な一生になってしまいますよって教えです。
逆に云えば、正しいものの見方、正しい生き方で、真理に沿って生きていけば、幸せになれますよって教えです。
  1. 無明 - 生まれてくる前の状態で、正しいものの見方を知らない無知の状態です。
  2.  - 無明よる業が、両親の行為を縁として母親の胎内に宿ります。
  3.  - 生けるものとしての誕生です。
  4. 名色 - 名は無形のもので「心」表し、色は有形のもので「体」を表します。
  5. 六入 - 名色が発達してくると、「眼」「耳」「鼻」「舌」「触覚」「第六感」がはっきりしてきます。
  6.  - 六入が発達して、触ることにより、自然にものごとを見分ける力が出てきます。
  7.  - すると、好き嫌いの感情が起こるようになります。これを「受」と云います。
  8.  - 「受」が起これば、当然の流れとして「愛」が生まれます。この場合の「愛」は愛着や執着のことです。
  9.  - 「愛」が起これば、当然の流れとして愛するものを欲しかる「取」が生まれます。この場合の「取」は所有欲のことです。
  10.  - 所有欲から差別心が生まれることを「有」と云います。
  11.  - 差別心から争いが生じ、苦しい人生展開になることを「生」と云います。
  12. 老死 - 思い通りにならない苦しい人生を送っているうちに、老い、ついに死がやってきます。
思い通りにならない苦しい人生だからこそ、魂の成長する絶好のチャンスです。頑張りましょう!(だれにともなく・・・自分も含めて・・・)

2016年3月4日金曜日

八正道

八正道とは、苦を消滅させる八つの正しい道。尚、ここで云う「正しい」は、真理にあっているという意味です。
  1. 正見 - 正しくものごと見る。
  2. 正思 - 正しく考える。
  3. 正語 - 正しく語り。
  4. 正行 - 正しく行為し。
  5. 正命 - 正しく生活し。
  6. 正精進 - 正しく努力し。
  7. 正念 - 正しく念じ。
  8. 正定 - 正しく心を定める。
要は、正しい生活をして(因)、良い(縁)が沢山出来、人生苦が消滅(果)して、幸せ(報)になる。
これ、法華経の極意(神髄)です。

2016年3月2日水曜日

四諦

四諦の諦は、明らかにするという意味で、それが以下のように4つあります。
  1. 苦諦
    生、老、病、死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦(のちほど説明)の四苦八苦を明らかにすること。
  2. 集諦
    苦の原因を見極めるとそれは皆、渇愛または貪欲にもとづくものであることを明らかにすること。
  3. 道諦
    苦を消滅させる道、『八正道』を明らかにすること。(実践すること)
  4. 滅諦
    集諦で明らかにした、渇愛または貪欲を道諦により捨て去り、苦を消滅させたことを明らかにすること。
どうも、欲張りは、苦を呼び込むらしい・・・。

2016年2月29日月曜日

無量義経

無量義経とは、『数かぎりない意味を持った教えは、ただ一つの真理から出てくるのだ』という教えのお経です。
法華経の序品第一と同じく法華経にとってプロローグ的な役目のお経です。以下のように3品(章)から構成されています。
  1. 徳行品第一
    仏さまの完全円満な「徳」と衆生済度の「行」を賛嘆申し上げる章です。
  2. 説法品第二
    仏さまが「数かぎりない意味を持った教えは、ただ一つの真理(実相)から出てくるのだ」という「説法」をされる章です。
    実相とは、すべてのものの真実の相であり、宇宙の大いなるいのちです。すべての存在は、大いなるいのちの現れであり、お互いに関係し合いながら大調和を保つのです。
  3. 十功徳品第三
    仏さまが「この教えを理解実行すれは、以下のように第一から第十の精神的功徳がある」という「説法」をされる章です。
    1. 第一の功徳不思議の力とは、以下のような心を起こさせます。
      • 自分の考えだけで生きていると思っている者には、仏さまに生かされるという心を起こさしめ。
      • 自分の幸福だけしか考えない者には、他人を幸せにしてあげたいという心を起こさしめ。
      • 平気で殺生したり、人を苦しめる者には、人を助けたいという、すべてのものを慈しむ心を起こさしめ。
      • 嫉妬を生ずる者には、随喜の心を起こさしめ。
      • 財産や地位に執着する者には、執着を捨てる心を起こさしめ。
      • いつも欲深い者には、人に施す心を起こさしめ。
      • 自分は偉い、間違いないと奢り高ぶる者には、謙虚な心を起こさしめ。
      • すぐに腹を立てたり、人を恨む者には、何かされても耐え忍ぶ心を起こさしめ。
      • 怠けぐせのある者には、一生懸命に努力する心を起こさしめ。
      • 変化があるとすぐグラグラ心が乱れる者には、現象に惑わされない静かな安定した心を起こさしめ。
      • 目の前の出来事にすぐ愚痴をいう者には、智慧のある心を起こさしめ。
      • 人を救ってあげたいと思わないものには、人を救ってあげたいと思う心を起こさしめ。
      • 十悪を行う者には、十善の心を起こさしめ。
      • 何事も自分中心に考える者には、自然に自分中心に考えない心を起こさしめ。
      • いつも後ろ向きに考える者には、つねに前向きに考える心を起こさしめ。
      • 煩悩に基づいて行動してしまう者には、煩悩から離れる心を起こさしめ。
      • 煩悩が大変多い者には、煩悩を取り除く心を起こさしむ。
    2. 第二の功徳不思議の力とは、教えの一部を理解しただけでも、それが無限に展開していくことを悟り得ることができる。
    3. 第三の功徳不思議の力とは、自分はまだ悟っていなくても、ほかの人を救うことができる。
    4. 第四の功徳不思議の力とは、いつも諸仏の慈愛に手厚く護られているということが実感できる。
    5. 第五の功徳不思議の力とは、自分はまだ煩悩に縛られていても、大菩薩と同じような行いを実現することができる。
    6. 第六の功徳不思議の力とは、すべての人の人生苦を断ち切ってあげることができる。
    7. 第七の功徳不思議の力とは、六波羅蜜という法の宝を求めないのに、ひとりでに身についてくることができる。
    8. 第八の功徳不思議の力とは、この経典を敬い信じ、人々のために説いてあげることができる。
    9. 第九の功徳不思議の力とは、前世の業を滅し尽くすことができる。
    10. 第十の功徳不思議の力とは、善をすすめ悪をとどめるはかり知れないほどの大きな力を得ることができる。
無量義経は、法華経の序品第一で釈尊が法華経を説く前に説かれたお経です。 ですので、法華経を読誦する前に無量義経を読誦することが普通になっていますが、ストーリー的には、 無量義経も法華経もそれ自体で完結していて、わたし的には、それぞれ個別に読誦すればいいのかな・・・と思う次第です。

2016年2月28日日曜日

大乗、小乗、一乗

仏滅後に、お釈迦さまの教えが、二派(大乗、小乗)に分かれ、これを統一する法華経(一乗)が誕生しました。
  1. 大乗 - 大きな乗り物の意味で、沢山の人を救うということ。
  2. 小乗 - 小さな乗り物の意味で、大乗側からのさげすんだ呼び方。
  3. 一乗 - 一人の乗り物の意味でなく、ずばり、法華経そのものです。
しかし、いつの時代にも、宗教の争いがありますね。そろそろ、法華経の出番ですか・・・。

2016年2月26日金曜日

声聞、縁覚、菩薩

声聞、縁覚、菩薩は、修行者のことで、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)の三種類の修行の仕方があります。
  1. 声聞 - 仏の教えを学ぶことで、煩悩から離れようとして修行する人。
  2. 縁覚 - 仏の教えを自らの体験で、煩悩から離れようとして修行する人。
  3. 菩薩 - 仏の教えを沢山の人に広め、煩悩から離れようとして修行する人。
たぶん、修行のレベル的には、声聞<縁覚<菩薩の順番ですか・・・。

2016年2月24日水曜日

真理、法、仏、法身の釈迦、諸法実相

真理、法、仏、法身の釈迦、諸法実相は、すべて、同じものです。法華経そのものを指す場合もあります。まぁ、因果の法則+α と思ってください。
また、因果の法則+α を悟った人、又は魂を指すこともあります。
ちなみに、人間の釈迦を「応身の釈迦」といいます。

2009年1月22日木曜日

釈尊物語 第17話:現代釈尊(今の仏教)

今の仏教は、葬式仏教と云われています。なぜ、そうなったかというと、それは、戦国時代にまでさかのぼります。

当時の混乱した社会の中で、軍事力もった、増大した仏教勢力を、信長と秀吉は大弾圧をします。

その後、江戸幕府も、寺の軍事力を削ぐため、寺に関する厳しい統制をかけ、江戸幕府は、仏教そのものを国教(寺請制度)としました。

事実上、国教になったことにより、すべての僧侶が幕府の官僧となり、
この結果、僧侶たちは、生活が保障され、布教のために信者を獲得する必要がなくなったのです。

そして、僧侶たちの仕事は、葬式と法事にお経を唱える葬式仏教となってしまったのです。
現代もその流れで、現在に至っているわけです。

しかし、伝統的な仏教とは別の流れとして、新しい仏教教団が大正、昭和の時代に登場します。
それは、本来の仏教の復活でもありました。

2009年1月21日水曜日

釈尊物語 第16話:滅後釈尊(その後の仏教)

仏滅後、仏教は13世紀初頭までインドで栄えましたが、回教徒(イスラム軍)のインド侵入により仏教は滅亡しました。


しかし、大乗仏教は東へ東へと、中国、朝鮮半島、日本へと伝わり、小乗仏教(上座部仏教)はスリランカから東南アジア諸国に伝わりました。


大乗仏教の成立は、西暦元年前後で、その後、大乗仏教を理論体系にまとめた『中論』のナーガールジュナ(龍樹)や唯識仏教のアサンガ&ヴァスバンドゥ兄弟を輩出しました。


また、中国では三蔵法師玄奘や鳩摩羅什が大乗仏典を漢訳して、それが日本に伝わりました。
ちなみに、お経を読んでいて観世音菩薩が出てきたら鳩摩羅什訳で、観自在菩薩が出てきたら玄奘訳だそうです。


仏教が伝わったといっても、仏教の経典の数は5000以上もあり、当時の高僧達がこれはと信じたものが広まりました。


ちなみに、今の日本には以下のような宗派があるようです。



  • 天台宗(最澄)- メインは法華経(しかし、密教、禅、戒律、念仏もサブメイン)
  • 真言宗(空海)- メインは密教(即身成仏が目標で、口で呪文を唱え、手に印を結び、心は大日如来を思う)
  • 律宗(鑑真)- メインは戒律(五戒:不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒)
  • 浄土宗(法然)- メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって救われる)
  • 臨済宗(栄西)- メインは禅(禅で真実の自己をみつければ、慈悲の心にかなう生き方が出来る)
  • 曹洞宗(道元)- メインは禅(難しいことは考えず、したすら坐禅をすることで仏と一つになれる)
  • 黄槃宗(隠元)- メインは禅と念仏(念仏と禅を組み合わせた念禅一致で浄土にいたることが出来る)
  • 真宗(親鸞) - メインは念仏(したすら、南無阿弥陀仏を唱えることによって極楽浄土することを約束)
  • 日蓮宗(日蓮)- メインは法華経(南無妙法蓮華経を唱えて、法華経の教えを実践することにより救われる)
  • 時宗 (一遍)- メインは念仏(念仏踊り、盆踊りの起源)
  • 融通念仏宗(良忍)- メインは念仏(一人の念仏がすべての人の念仏と融けあい、その功徳がその人に帰ってくる)
  • 法相宗(玄奘)- メインは唯識(一切のものは自分の心から生じたもので、自分の心をきれいにすることで悟りにいたる)
  • 華厳宗(良弁)- メインは毘廬遮那仏(奈良の大仏)(一微塵のなかに全世界が反映し、一瞬のうちに永遠の時間が含まれている)


以上のように、法華経系、密教系、戒律系、念仏系、禅系、その他系に分かれ、法華経系以外は、仏教のある一つの教え、
例えば、陀羅尼、戒律、念仏、禅、唯識等を各々デフォルメして各々発展しているのかなぁ・・・と思う次第です。


すべての教えの仏教全般をフォローしているのは、法華経だけかも・・・。


しかし、とにかく、法華経系以外の宗派を評するほど、仏教に詳しくないです。すみません。

2009年1月20日火曜日

釈尊物語 第15話:番外釈尊(釈尊の呼び名)

み仏けさまこと釈尊のお名前の呼び名は、実は沢山ありますね。



  • ゴータマ
  • シッダールタ
  • 釈迦牟尼世尊
  • 釈尊
  • 世尊
  • 釈迦牟尼如来
  • 如来
  • 釈迦
  • お釈迦さま
  • 仏陀
  • ブッダ
  • 仏さま
  • み仏さま
  • 釈迦牟尼仏


ここで少し、解説してみます。


今から、2千5百年前にカピラバスト云う国の王子として生まれた釈尊は、ゴータマ・シッダールタと名づけられました。
シッダールタとは、『すべてののぞみを成就するもの』という意味だそうです。


カピラバスト国は、シャーキャ族(釈迦族)という民族の国でした。
釈迦族は、今のインド人の大部分を占めるアーリア系白色人種でなく、
日本人に似ている蒙古系の黄色人種であったと云われています。


釈尊は、釈迦族出身の聖者(ムニ)で、『世に比類なき尊いお方』のバガヴァン(世尊)の称号で呼ばれていました。
つまり、釈迦牟尼世尊です。それを略して釈尊世尊と言われています。


また、釈迦は、ご自分のことを『真如から来たもの』の如来といっていたそうです。
つまり、釈迦牟尼如来です。
ちなみに、真如とは、宇宙のあらゆるものごとを存在たらしめている大本の法のことで、無生、無滅、無始、無終のもの。


実は、当時『釈迦』といった場合は、釈尊でなく釈迦族を指したそうですが、今では、釈尊のことですね。
もちろん、『お釈迦さま』も。


また、釈尊は、お悟りを開かれたので『真理を悟った人』と言う意味の仏陀ブッダ)と呼ばれ、仏さま、または、み仏さまと言われています。
つまり、釈迦牟尼仏です。


これで、とりあえず、上記の名前はすべて説明がつきました。

2009年1月18日日曜日

釈尊物語 第14話:総括釈尊(真の仏教とは)


今回、釈尊の一生を見てきたわけですが、ここに僭越ながら、仏教素人の私の感想(ある意味悟り)を述べてみたいと思います。


仏教はご存知の通り、八万四千の法門があり、経典は約1700種あると言われています。また、宗派も沢山あるわけです。
これは、釈尊の時代には、教えを書物にする習慣(技術?)がなく、随宜説法の内容を口づてに伝えられました。
それを釈尊が入滅したのち、弟子達が思い思いに本にまとめたものが、経典となったのです。


したがって、すべての経典の内容は、ほぼ間違いなく釈尊の教えだと思うのですが、それにしても多過ぎます。
そこで、教えの真髄中の真髄を私なりに推察すると、お悟りと初転法輪のときの2つのメッセージに帰するのかなと思うのです。



一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。


如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。



まず語句を解釈します。

『如来の智慧と徳相』とは、如来は仏様の別名で、智慧と徳相とは、性質です。したがって、仏性となります。

『妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず』は、何に対しての妄想・執着かというと自分自身のからだということです。

上記を踏まえて意訳しますと。


すべての人は、仏性を持っている。仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』である仏性を持っていることを証れ得ないでいるのだ。

苦行と怠けの2つの極端を捨て、真理に合った道を悟ったのである。そして、八正道を実践すると自然と真理に合って来るのです。



とりあえず、これから先は、まだ、悟りえず・・・・・・。


しかし、これだけは、確かなようです。そう、幸せになるための『正しい行い』です!


そういえば、最初(初転法輪)に説いたのが八正道で、最後(涅槃時)も八正道だったなぁ・・・。

2009年1月17日土曜日

釈尊物語 第13話:入滅釈尊(大いなる死)


釈尊は、29歳で出家され修行し、35歳でお悟りを開かれ(成道)、80歳で入滅する(亡くなる)までの45年間、仏法の布教伝道に邁進しました。
仏伝では、初転法輪前後と入滅直前あたりは、順を追って分かるのですが、それ以外の事柄は、2500年前のことなのでわかりません。


しかし、天台大師や後世の学者が、ほぼすべての経典を読破し、成道直後に華厳経、つぎに阿含経、方等経、般若経と説かれ、涅槃の8年前から法華経が説かれ、最後に、涅槃経を入滅直前の一日一夜の説法とのことと解明されました。



さて、入滅の涅槃ですが、直前に2つのエピソードがありました。


一つ目は、ほとんど絶望を思われていた釈尊が、幸い小康を得られた時に、熱心な信者のチュンダが、ご供養した食事の茸に中毒され、ご容体がにわかに悪化し、それを知ったチュンダは、物凄く後悔しました。
しかし、釈尊は『チュンダの供養した食事が、私の最期を早めたからといって、何も悔やむことはありません。
私が成道する前に、スジャータという娘が食事を供養してくれましたが、今入滅しようという際のこの食事も、それと同じように大きな功徳があるのです。』とおおせられ、チュンダの心を救ったとのことです。


2つ目は、いよいよ寿命が尽きることをお悟りになった釈尊のもとへ、スッパダという異教の行者が『真の悟りに至る道』の教えを請いに来ました。
釈尊の弟子達は、ご臨終に近い釈尊をわずらわしてはならぬと思い、断ると、その押し問答を聞かれた釈尊は、『道を聞きに来た人を拒んではなりません。』と八正道をお説きになったそうです。
そして、スッパダは、そのお言葉に目がさめたようになり、釈尊の最後の弟子になりました。


そして、クシナガラという町の沙羅の木の間に床を用意され、頭を北にし、
右脇を下にした形で、お亡くなりになりました(享年80才)。最後のお言葉は、



すべての現象は、移り行くものです。怠らず努力することですよ!



とのことでした。


ここに人類始まって以来の最高の聖者は、まことに大いなる死を迎えたのでありました。
それは、日本暦に直して2月15日の夜半とのことでした。
ちなみに、仏教界ではこの日に涅槃会を毎年とり行っています。


ちなにみ、なぜ北枕にしたのかというと、一説では、足を自分の生まれた国の方向へ向けないためとのことです。
これは、大いなる放棄より、父母に対しての親不孝を、釈尊はいつも気にしていたとのことです。

2009年1月16日金曜日

釈尊物語 第12話:反逆釈尊(提婆達多反逆)


提婆達多は、釈尊の従弟で、年も同世代だったようです。
青少年時代は、学業もスポーツも共に大変優秀だったのですが、提婆達多は、両方とも釈尊に今一歩およびませんでした。
また、ひじょうに我の強い性格だったようです。
そんなことから、提婆達多は、釈尊に強いコンプレックスを感じていたようです。
出家後も、その強い我は直らなかったのです。
そして、大きくなった教団を牛耳ってみたいという気持ちを抑えることが出来ませんでした。


また、釈尊はもちろん、教団の幹部はみな神通力(超能力)を持っていました。
これは、仏道を真に修行すると自然と会得してしまうものなのです。つまり、神通力の会得は二次的なものなのです。
しかし、提婆達多は、すでに神通力を得ている比丘から、神通力だけを伝授してもらいます。
すると、仏道修行で長年抑えていた我が閾値を超え、釈尊何するものぞと、教団を乗っ取ろうと、釈尊の命を狙ったり、いろいろ企てます。
しかし、その企ては、すべて失敗し、自暴自棄になり、悪行を重ね、地獄に落ちたと仏伝にしるされています。


そんな提婆達多のことを、釈尊は、以下のように仰っております。



等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり

(仏の悟りを得て多くの人々を救うことができるのも、みんな提婆達多が善き友のお陰である)



これは、どういうことかというと、提婆達多反逆の苦を通して、自分自身が逆に成長できたということだと思います。
その結果、多くの人々を救うことができた・・・。
また、その奥には、法句経の『恨みに報いるに恨みをもってしない』があったのだと思います。

2009年1月12日月曜日

釈尊物語 第11話:布教釈尊(随宜説法)


雨期も過ぎ、約60人の釈尊教団は一人ずつ布教の旅に出ることになりました。
釈尊も、マガダ国へ向かいました。それは、マガダ国王と悟りを開いたら訪れると約束をしていたからです。
途中、森のなかで30人の若者に随宜説法で教化し、つぎに事火外道の三迦葉(うるびん・なだい・がや)の教団をまるごと教化して、
一挙に約1000人でマガダ国に入りました。


国王は、釈尊教団のために竹林精舎(霊鷲山の近く)を建立し、釈尊教団はとどまって修行の道場としたのです。
その後、阿説示が智慧者舎利弗を導き、舎利弗は友達の神通力目連と一緒に入団。
また、拈華微笑摩訶迦葉も釈尊が迎えるまま入団。
そして、ここに三大弟子が加わり、最強の教団が誕生したのでありました。


尚、随宜(ずいぎ)説法とは、相手にふさわしい適切な指導の手段(方便)で、その場その場で、随時よろしく、説法・教化することで。また、拈華微笑(ねんげみしょう)とは、釈尊と摩訶迦葉のとある有名なエピソードなのですが、今回は割愛、将来コンテンツに加えるつもりです。


その後、カピラバスト国へ帰郷したり、コーサラ国に祇園精舎を建立したりして、教団は益々大きくなっていきました。
釈尊の一族からも沢山の出家者が出ました。
阿難(従弟)、羅ご羅(実子)、阿那律(従兄)、耶輸陀羅比丘尼(妻)、摩訶波闍波提比丘尼(継母)、難陀(異母弟)、提婆達多(阿難の兄)。
中でも、提婆達多は、釈尊の永遠のライバルで・・・、つづく。

2009年1月11日日曜日

釈尊物語 第10話:教団釈尊(帰依三宝)


初転法輪後、ちょうど雨期だったので、釈尊と5人の比丘は、ベナレスに留まり、そして、ヤシャと云う青年を偶然に仏門に導きます。
仏法を会得したヤシャは、いきなり両親、妻をはじめ50人以上も導いて、釈尊教団が誕生しました。
ちなみに、両親、妻は、出家せず、はじめての優婆寒(男子の在家修行者)、優婆夷(女子の在家修行者)となりました。



釈尊教団に入るには、仏法を理解することはもちろん、つぎの3つの心構え(帰依三宝)の不動の決意が必要でした。



  1. 自ら仏に帰依したてまつる。
  2. 自ら法に帰依したてまつる。
  3. 自ら僧に帰依したてまつる。

仏とは、釈尊(宇宙の大生命)。法とは、仏法(宇宙の真理・法則)。僧とは、同信者の和(宇宙の大調和)。


普段、なにげなく、読経の前に帰依三宝を唱えていますが、結構重い意味があったのですね・・・。