2025年3月23日日曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 譬諭品第三(その10)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-7/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

()は。(みな)()なり。は。()()()なり。
(しか)()は。(げん)(なん)(おお)し。(ただ)(われ)(いち)(にん)のみ。()()()()す。

 

・訳文

この宇宙のものです。そのにいるは、すべてです。

しかも、この世界には、いろいろなしみがちています。それをうものは、だけしかいないのです。

 

・補足

()()なり──ここでいう「」とは、一人のことだけをさしているのではありません。真理意味する「」のことであり、「真理ったもの」という意味です。

この宇宙のものである──宇宙真理り、本仏一体になることができれば、まったくこのは「わがもの」です。しかし、この言葉は「宇宙自分のものだ」という所有権主張するものではありません。反対に、自分宇宙んでしまったとじることなのです。
宇宙んでしまうとじることは、になることです。さなてると、宇宙のすべてにかされている自分発見できます。すると、自分という存在が、みるみる宇宙全体がっていきます。無我こそ「宇宙はわがもの」にじる、ただつのなのです。

宇宙がわがものであれば、その衆生は、すべてわがであり、兄弟姉妹であり、仲間です。すると自然と、びとのために親身になってつくさずにはいられなくなります。これがほんとうのなのです。

 


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