2025年3月24日月曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 法師品第十(その11)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-8/


 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

あって、()を説かんとせば、()(かに)してかくべき。 

()は、り、()して、(しこう)して(いま)()くべし。

とは()れなり。

とは()れなり。

とは()れなり。

()して、(しこう)して()(だい)(もっ)て、に、くべし。 

 

・訳文

もし在家男女修行者が、くのびとのためにこの法華経えをこうとするならば、どのようにいたらよいのでしょうか。

そのたちは、に入り、如来如来にすわり、そしてくのびとにくこの法華経かなければなりません。

如来とは、すべてのびとにするのことです。

如来とは、であり、しかも、からの影響にまどわされない(にん)(にく))です。

如来とは、一切である(すべての人間は、本仏いなる宇宙根源のいのち)に平等かされている──という根本真理認識することです)。

この大慈(だいじ)悲心(ひしん)柔和忍辱と、えをにしっかりとけ、ることのない意思って、くの菩薩大衆のためにくこの法華経かなければならないのです。

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