2025年3月25日火曜日
燈明日記ブログ: 休憩室のお湯の量で5種類の人間がわかる
釈尊のいぶき:妙法蓮華経 提婆達多品第十二(その12)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-9/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
仏諸の比丘に告げたまわく、未来世の中に若し善男子・善女人あって、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん。所生の所には常に此の経を聞かん。若し人・天の中に生るれば勝妙の楽を受け、若し仏前にあらば蓮華より化生せん。
・訳文
のちの世において、もし信仰のあつい男女が妙法蓮華経の提婆達多品の教えを聞いて、素直な心で信じ、ありがたいと感じ、疑いを起こすことがなければ、その人は地獄(怒りの世界)・餓鬼(貪りの世界)・畜生(愚かな世界)といった悪道におちいることなく、必ず仏の前に生まれ、常にこの教えを聞くことができるでしょう。
もし人間界や天上界に生まれ変わるとしても、そこでは至高の精神的な喜びに満ちた生活をおくることができるでしょう。
そして、再び仏の教えを聞く機会に恵まれれば、凡夫の境界にいながらでも、仏に近い境地に達することができるでしょう
・補足
地獄
人間の心にあてはめると、怒りに心を振り回されて行動し、常に苦しい気持ちで生きることを意味しています。
餓鬼
尽きることのない利己心の満足のために、次から次へとものごとを貪り、つねにイライラした気持ちで生きることです。
畜生
欲望のおもむくまま人の道にはずれた行ないをし、他人も自分も傷つけてしまい、不幸な気持ちで生きることです。
十方の仏前に生ぜん
いつ、どこへ行っても、仏さまとともにいる自覚を持つことができるという意味です。すなわち「私は仏さまに生かされている、いつも仏さまに守られているんだ」という自覚です。こういう自覚が常にあれば、人生に大きな自信と勇気が得られ、いつも幸せな大安心の境地で生きることができます。
常に此の経を聞かん
いつも仏さまの前にいる自覚がある人は、仏さまの教えを忘れることはありません。ですからこの一節は、いつも心の中で教えをくり返し味わうことができるという意味です。
燈明日記ブログ: That's What Friends Are Forを文法的に解析してみる
2025年3月24日月曜日
釈尊のいぶき:妙法蓮華経 法師品第十(その11)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-8/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
若し善男子・善女人あって、如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何してか説くべき。
是の善男子・善女人は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。
如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。
如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。
如来の座とは一切法空是れなり。
是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。
・訳文
もし在家の男女の修行者が、私の滅後に多くの人びとのためにこの法華経の教えを説こうとするならば、どのように説いたらよいのでしょうか。
その人たちは、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座にすわり、そして多くの人びとに広くこの法華経を説かなければなりません。
如来の室とは、すべての人びとに対する大慈悲心のことです。
如来の衣とは、柔和であり、しかも、外からの影響にまどわされない強い心(忍辱)です。
如来の座とは、一切は空である(すべての人間は、本仏(大いなる宇宙の根源のいのち)に平等に生かされている──という根本の真理を深く認識することです)。
この大慈悲心と柔和忍辱の心と、空の教えを胸の奥にしっかりと持ち続け、常に怠ることのない強い 意思を持って、多くの菩薩や大衆のために広くこの法華経を説かなければならないのです。
2025年3月23日日曜日
釈尊のいぶき:妙法蓮華経 譬諭品第三(その10)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-7/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
今此の三界は。皆是れ我が有なり。其の中の衆生は。悉く是れ吾が子なり。
而も今此の処は。諸の患難多し。唯我一人のみ。能く救護を為す。
・訳文
この宇宙は私のものです。その中にいる衆生は、すべて私の子です。
しかも、この世界には、いろいろな苦しみが満ちています。それを救うものは、私だけしかいないのです。
・補足
我が有なり──ここでいう「私」とは、釈尊お一人のことだけをさしているのではありません。真理・法を意味する「仏」のことであり、「真理を悟ったもの」という意味です。
この宇宙は私のものである──宇宙の真理を悟り、本仏と一体になることができれば、まったくこの世は「わがもの」です。しかし、この言葉は「宇宙は自分のものだ」という所有権を主張するものではありません。反対に、自分が宇宙に溶け込んでしまったと感じることなのです。
宇宙に溶け込んでしまうと感じることは、無我になることです。小さな我を捨てると、宇宙のすべてに生かされている自分を発見できます。すると、自分という存在が、みるみる宇宙全体に広がっていきます。無我こそ「宇宙はわがもの」に通じる、ただ一つの道なのです。
宇宙がわがものであれば、その中に住む衆生は、すべてわが子であり、兄弟・姉妹であり、仲間です。すると自然と、人びとのために親身になってつくさずにはいられなくなります。これがほんとうの慈悲心なのです。
2025年3月22日土曜日
燈明日記ブログ: 自分流タイピングのコツ
釈尊のいぶき:妙法蓮華経 方便品第二(その9)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-6/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
爾の時に世尊、三昧より安詳として起って、舎利弗に告げたまわく、諸仏の智慧は甚深無量なり。
其の智慧の門は難解難入なり。
一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。
所以は何ん、仏曾て百千万億無数の諸仏に親近し、尽くして諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞えたまえり。
甚深未曾有の法を成就して、宜しきに随って説きたもう所、意趣解り難し。
舎利弗、吾成仏してより已来、種種の因縁・種種の譬諭をもって、広く言教を演べ、無数の方便をもって、衆生を引導して諸の著を離れしむ。所以は何ん、如来は方便・知見波羅蜜、皆已に具足せり。
舎利弗、如来の知見は広大深遠なり。無量・無碍・力・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり。
舎利弗、如来は能く種種に分別し、巧に諸法を説き、言辞柔輭にして、衆の心を悦可せしむ。
舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまえり。
止みなん、舎利弗、復説くべからず。
所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。
唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。
所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。
・訳文
そのとき釈尊は、めい想を終えられて静かに目をお開きになられると、舎利弗に向かって言われました。『仏の智慧は非常に奥深く、はかりしれないものです』。
その根本真理は、あまりにも深遠で難しいため、修行中の者であっても理解できるものではありません。
なぜならば、仏というものは、かつて無数の仏に親しく教えを受け、その数々の教えをあらゆる努力をつくして実践し、内外から起こる障害や困難を、勇猛心をもって残らず克服し、ただひたすら目的のために突き進んでいったのち、ついにすぐれた智慧を得て、すべての人びとに仰がれるような身となったのです。
このようなはかりしれない努力の結果、いままで世に知られたことのない深遠なる真理・法を悟られたのが仏なのです。仏は、その真理・法を、人びとの機根に応じた適切な説き方をされるのですが、人びとは、その奥にある仏の真意がどこにあるのか気づけないでいるのです。
舎利弗よ、私は仏の悟りを得てからいままで、いろいろと過去の実例や譬えを用いて、多くの人びとに教えを説いてきました。
すなわち、それぞれの人と場合に応じた適切な方法で人びとを導き、自己中心の考え方からさまざまなものごとに執着し、その執着のために苦しんでいる人には、その苦の原因を悟らせて苦しみを解いてあげてきたのです。
なぜ、こうしたことができたのかというと、私は方便と智慧の両方を完全に身に具えているからです。
舎利弗よ、如来の智慧というものは、非常に広大であって、この宇宙間のあらゆるものごとを知りつくしています。また、非常に深遠なものであって、遠いむかしのことから、永遠の未来のことまで見とおしているのです。すなわち、すべての人に無量の福を生じさせる徳(無量)と、教えを説く完全な自由自在の力(無碍)と、この世のあらゆるものごとを知る力と、何ものをも恐れはばかることなく法を説く根本的な勇気(無所畏)と、心の散乱を防いで静かに真理におもいをこらす境地(禅定)と、ものごとに対するあらゆる執着から脱け出て真の安心を得る心の持ち方(解脱)と、精神を一事に集中してその一念を正しく保つ精神統一の法(三昧)のすべてを具え、はてしなく奥深い境地に入り、いままでだれも知りえなかった真理・法を見きわめ、いままで人の達したことのない法を成就したのです。
舎利弗よ。私は相手と場合に応じて、いろいろに説き方を変えて、たくみに多くの教えを説き、しかも常に柔らかで飲み込みやすい言葉で説いて、人びとの心に教えを聞くことの喜びをわき起こさせてきました。舎利弗よ。これまでに述べたことを総じて言えば、ふつうの人間では想像することもできない、最高の法を私はすっかり悟ったのです。
やめましょう、舎利弗よ。説明してみてもわかるはずがありません。
なぜならば仏がきわめた真理・法は、この世における最高の真理・法であり、仏と仏のあいだだけで理解できるものだからです。
もろもろの仏は、この世のすべてのものごと(現象=諸法)のありのままのすがた(実相)を見きわめ尽くされ、私もまた見きわめたのです。
すなわち、すべての現象には持ち前の相(すがた)があり、相にふさわしい性(性質)や体(本体)があります。
体は力(潜在力)を持ち、常に外に向け、いろいろな作(作用)を起こしています。
つまり、この世のすべてのものには必ず相・性・体・力・作があり、それらは互いに因(原因)となり縁(機会・条件)となって、関係し合いながら変化し続け、千差万別の果(結果)・報(影響)をつくり出しているのです。
こうした諸現象は複雑にからみあっていて、人間の知恵では原因と結果のつながりが見えにくいことも多いのですが、そのじつ、すべては初め(本)の相から終わり(末)の報まで、ふさわしくつながり合って展開していく(究竟等)のです。これが諸法の実相であり、本仏(真理)の働きなのです。
・補足
声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり
声聞は、教えを聞くことによって悟りを得ようとしている修行者。
辟支仏は縁覚ともいい、自分の体験によって仏の道を会得しようと努めている修行者。
しかし、声聞も縁覚も、自分が悟ることを修行の第一目的としており、菩薩のように、人びとの教化・救済に力をつくしながら、人びととともに仏の悟りへの道を歩もうとしていません。
そのために低い段階での知恵で満足してしまい、仏さまの真意(すべての人を仏の境地=最高無上の智慧まで引き上げてあげたいという願い)に気づけないでいます。
機根
教えを理解する力のこと。
仏と仏と乃し能く
ここで語られている「仏と仏」というのは、この世で諸法の実相を悟られた釈尊ご自身とほかの諸仏という区別ではなく、いわば「仏というものは」という意味です。
諸法の実相を究尽したまえり
実相には、「すべてのものごとの、現象として現われている相をありのままに観る」という意味と、「すべてのものごとの本質の相を観る」という意味があります。
ここでいう〈実相〉は、両方の意味をさしています。すべてのものごとの本質の相をみながら、現象として現われている相をも、ありのままにみておられるのです。
2025年3月21日金曜日
燈明日記ブログ: ゾーンに入る感覚・・・
釈尊のいぶき:無量義経十功徳品第三 (その8)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-5/
・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)
仏の言わく、善男子、第一に、
是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして菩提心を発さしめ、
慈仁なき者には慈心を起さしめ、
殺戮を好む者には大悲の心を起さしめ、
嫉妬を生ずる者には随喜の心を起さしめ、
愛著ある者には能捨の心を起さしめ、
諸の慳貪の者には布施の心を起さしめ、
憍慢多き者には持戒の心を起さしめ、
瞋恚盛んなる者には忍辱の心を起さしめ、
懈怠を生ずる者には精進の心を起さしめ、
諸の散乱の者には禅定の心を起さしめ、
愚癡多き者には智慧の心を起さしめ、
未だ彼を度すること能わざる者には彼を度する心を起さしめ、
十悪を行ずる者には十善の心を起さしめ、
有為を楽う者には無為の心を志さしめ、
退心ある者には不退の心を作さしめ、
有漏を為す者には無漏の心を起さしめ、
煩悩多き者には除滅の心を起さしむ。
善男子、是れを是の経の第一の功徳不思議の力と名く。
・訳文
仏さまはこのようにお説きになりました。この経には第一に、次のような功徳があります。
まず、大乗の教えを学んでいても、まだ心底から仏の智慧を得たいという心を起こしていない者に、心底から仏の悟りを得たいという心を起こさせます。
また、人を幸せにしてあげようという気持ち(慈仁)のない者には、情け心(慈心)を起こさせます。
人を苦しめたり、生き物を殺したりすること(殺戮)を好む者には、かわいそうだと思う心や、苦しんでいる人を助けてあげたいという心(大悲の心)を起こさせます。
自分よりすぐれた人や幸福そうに見える人に妬み心(嫉妬)を感じるくせのある者は、仏さまの前ではみな平等な人間であるということがわかり、その真理の発見に対する心からの喜び(随喜)が起こるために、人を妬む気持ちがなくなります。
さらに、地位や財産、愛する人などに必要以上に執着(愛著)しているため、誤った行ないをしたり、自分の心を苦しめている者は、捨てるときにはいつでも捨てることができるという、とらわれのないのびのびとした気持ち(能捨の心)を持つようになります。
また、もの惜しみする心や、むやみに欲しがる心(慳貪)が強かった者は、人のために施そうという心(布施)がわいてきます。
自分は悟っている、行ないにもまちがいはない、というおごり高ぶった心(憍慢)の多い者も、この教えを聞けば、自分の心や行ないのまちがいが見えてくるために、仏の教えられた戒めを守って修行しようという謙虚な心(持戒)になります。
自己中心の心から、すぐ腹をたてるくせのある(瞋恚)者は、どんなことが起きても怒りや恨みの心を起こさなくなります(忍辱)。
怠けたり、つまらぬことに打ち込んでいる(懈怠)者も、自分の進むべき道を真剣に歩むようになります(精進)。
まわりの状況が変化するたびに心が乱れ、動揺する(散乱)者も、この教えを聞けば、変化している現象もその本質においては常に大調和しているという真実がわかってくるので、いつも静かで安定した心(禅定)になります。
目の前のことしか見えず、あとさきの分別ができない(愚痴)者は、智慧の心が働くことで縁起の道理がよくわかり、心も頭も澄みきってきます。
ほかの人を救ってあげよう(彼を度する)という心をまだ起こしたことがない者でも、自分だけがこの世に生きているのではないということがわかるので、自分も他人も一緒に救われなければ、ほんとうの幸せはないという真実に目覚め、ほかの人を救おうという気持ちが自然とわいてきます。
また、いろいろな悪い行ない(十悪)をする者には、それらの悪行をすべて払い去った清らかな境地に達しようという心(十善)を起こさせます。
現象面の幸福ばかりを追って右往左往している(有為を楽う)者は、現象世界の奥にある大いなるいのちに生かされているという事実に目覚め、自己中心ではない心(無為の心)が生じます。
信仰心があともどりする(退心)傾向のある者は、一歩も退くことのない不動の信仰心(不退の心)が起きてきます。
煩悩のおもむくままにものごとを行なう(有漏を為す)者は、真理にそってものごとを行なう心(無漏の心)が起こります。
さらに、煩悩が多く、自ら心を苦しめている者には、真理を見つめることによって、煩悩をなくしてしまおうという心(除滅の心)を起こさせます。
これがこの経の第一の功徳の力なのです。
・補足
無量義経は、釈尊が妙法蓮華経(法華経)をお説きになる直前に説法された教えです。
法華経も無量義経から入ってこそ、ほんとうによく理解できることから、法華経の開経と呼ばれています。
無量義経は徳行品第一、説法品第二、十功徳品第三の三品で構成されています。
徳行品は、釈尊の完全円満な「徳」と衆生を救いきる「行」のすばらしさを讃歎した品です。
説法品は、釈尊が実相ということをお説きになった、無量義経の理論的中心となる品です。
十功徳品は、説法品で説かれた教えをほんとうに理解し、実践した人が受ける功徳を十に分けて説かれます。
今回ご紹介した経文は、十功徳品抜粋で第一の功徳の部分ですが、第一の功徳だけでも、これほどたくさん(17個も)あるのです。
2025年3月20日木曜日
お彼岸
今日は、3月20日春分の日です。そう、お彼岸です。お彼岸は、超簡単に言うと先祖供養をする日です。先祖というと大昔のことのように思いますが...、実は、一番身近な先祖は親だったりします。まして、お子さんがいる人は、自分が先祖だったりします。
たとえば、子供から親孝行をされた時は、言葉では言い表せないぐらい嬉しいものです。また、親は無条件で子供たちの健康と安全をいつも見守っています。
また、よく考えると、子が親を思う親孝行って、私たちが先祖を思う先祖供養と同じなのですね。ですから、先祖供養は、ご先祖さまが、言葉では言い表せないぐらい嬉しがっているはずなんです。
そして、親が子を見守るように、ご先祖さまは、無条件で私達の健康と安全をいつも見守っているんです。ちなみに、読経や念仏によって得た功徳を故人に回し向けるを「回向」と言います...。
先日、こんな話しを聞きました。
ある母と娘がいました。娘は亡くなったお祖母さんが大好きでした。 娘は、小学校である賞をもらい、家に帰るとすぐ、お祖母さんに知らせたく、 仏壇に賞状をお供えました。 すると、ろうそくの火がゆれたのです...。 それを見た娘は、「お祖母ちゃんが喜んでいる、喜んでいるよ!」と言いました。 母は、きっとそうね、きっとそうね、と娘を抱きしめました...。
情景が浮かんで・・・涙涙・・・
2025年3月19日水曜日
なぜお彼岸は年二回あるか?
もう、お彼岸ですね!
お彼岸について少し調べてみました。
まず、お彼岸とは? 大辞林(国語辞典)より
(1)春分の日・秋分の日を中日(ちゆうにち)とする各七日間。また、この時期に営む仏事。俳句では、彼岸といえば春彼岸のこと。[季]春。
と、いうことです。しかし、春と秋に「なぜお彼岸は年二回あるか?」疑問に思いませんか。そこで、この素朴な疑問を調べてみましたが・・・。
結論からいうと、はっきりとは、分かりませんでした。
しかし、なんとなく、以下の感じです。
ご存知、日本は昔から農業の国です。春に「どうかたくさんの作物が実りますように」と祈り、秋には「たくさんの作物がとれました」と、お日様に感謝する習慣がありました。
つまり、春、秋、年二回、お日様に感謝を願うのです。そう日願(ひがん)です。
一方、仏教では、仏の世界(悟りの境地)へ行くことをサンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、日本語で「かなたの岸」として「到彼岸」となり、略されて「彼岸」となりました。
そう、ここに、日本の習慣である「日願」と仏教での「彼岸」がクロスオーバーして、春、秋、年二回に「彼岸」が行われるようになったらしいのです・・・。
そして、現在は、すでに仏の世界へ逝っている人(ご先祖様)をご供養する日に、お彼岸は、なりました。
また、悟りの境地になる「到彼岸」は、サンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、そのための修行が6通りあり、それを六波羅蜜といいます。
2025年3月18日火曜日
釈尊のいぶき:開経偈(その7)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-4/
・経文
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇たてまつること難し。
我今見聞し受持することを得たり。願わくは如来の第一義を解せん。
・訳文
仏さまがお説きになられた、このうえもなく尊く、非常に奥深い、そして言い表わしようもないほどすぐれた教えは、きわめて長い年月がたっても、なかなかめぐり遇うことのできないものです。
それほどありがたい教えに、いまめぐり遇い、信仰する身となりました。このうえは、心を込めて読誦し、仏さまのお説きになった根本の真義をしっかりとつかませていただきます。
・用語
如来の第一義
仏さまの悟りの根本の真義で「無常」の法です。
・解説
人間として生まれ、遭いかたぎ仏法に遭うことができ、その教えを受持できる喜び、その感激から生まれる「仏法の奥義を必ずつかませていただきたい!」との力強い決意、それを表すことこそが開経偈なのです。
道場観から始まり、三帰依、勧請、この開経偈で、イントロが終わり、やっと無量義経、法華経と本編に入っていきます。ご期待ください!
2025年3月17日月曜日
釈尊のいぶき:勧請(その6)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-3/
・経文
南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊
南無証明法華の多宝如来
南無十方分身三世の諸仏
南無上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩
南無文殊・普賢・弥勒等の菩薩摩訶薩
南無高祖日蓮大菩薩
南無開祖日敬一乗大師
南無脇祖妙佼慈道菩薩
本部勧請の御守護尊神
十方無量の諸天善神
来臨影向 知見照覧
・訳文
宇宙の大生命である久遠実成の本仏で、その現われとして人類救済のために真理を説いてくださった大恩ある教主釈尊よ。
法華経の教えの真実を証明される多宝如来よ。
宇宙の大生命の分身であり、過去・現在・未来を通じて、この世のあらゆる所にお出でくださる諸仏よ。
すべての人を教化、救済しようと誓願された上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩よ。
釈尊のお徳(智慧・実践・慈悲)の働きを象徴する文殊・普賢・弥勒をはじめとする菩薩方よ。
多くの困難を乗り越えて、法華経を説き広めてくださった日蓮大菩薩よ。
法華経の一仏乗の世界を信受して本会を創立してくださり、真の菩薩行に徹し、法華経広宣流布の大導師であられた開祖日敬一乗大師よ。
開祖さまの教導のもと、人心救済の教化に身命を惜しまず、菩薩行を行じてご法を証明された脇祖妙佼慈道菩薩よ。
菩薩行の実践が進むようにと守護してくださる神々よ。
この世のあらゆる所にいらっしゃり、人びとを護ってくださる神々よ。
どうぞこの場にお出でくださり、この場を荘厳にしてください。そして、私たちの揺るぎない信仰への真心をお見とおしください
・用語
久遠実成
釈尊は如来寿量品で、「私は、はかりしれないほど無限の過去に成仏してから、ずっとこの宇宙のいたる所にいて説法し、衆生を教化し、導いてきたのだ」とお説きになられます。釈尊のほんとうのすがた本仏は、このように時間的、空間的に無限の存在であることを言い表わしています。
菩薩
仏の智慧、仏の悟りを得ようとして修行しながら、他の人びとを救うことにも努力されている人のこと。
摩訶薩
摩訶とは「大」、薩は「人」という意味ですから、直訳すると、大きな志を持った人ということになります。つまり大菩薩です。
・解説
勧請では、弟子となった私たちが、本仏釈尊をはじめとする諸仏、諸菩薩、開祖さま、脇祖さま、ご守護くださる神々に対し、お経を読誦させて頂くこの場へのご来集をお願いいたします。そして、真理の光を心の奥底まで差し込ませ、本仏釈尊と一体になる清らかな心境を作らせていただきます。
2025年3月16日日曜日
燈明日記ブログ: タイピング速度の目安と上げるには?
釈尊のいぶき:三帰依(その5)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・ https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-2/
・経文
自ら仏に帰依し奉る
当に願わくは衆生と共に 大道を体解して無上意を発さん
自ら法に帰依し奉る
当に願わくは衆生と共に 深く経蔵に入って智慧海の如くならん
自ら僧に帰依し奉る
当に願わくは衆生と共に 大衆を統理して一切無礙ならん
・訳文
・用語
帰依
その存在を絶対的なものと信じ、心のよりどころとし、すべてをお任せすることです。
一切無礙ならん
一切自由自在になるだろう
無上意(むじょうい)
これ以上ない、最高の状態であることを意味します。
・解説
仏とは、全ての存在を生かす、根源の大いなる命です。楽しいこと、悲しいこと、辛いことなど、全ての出来事の中に、仏さまの広く深い慈悲が込められていて、親として私たちの成長を願ってくださっています。
法とは、三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)のことで、心や行いを、この法のレールに沿わせることができれば、自由自在に生きていけるのです。
僧とは、僧伽(そうぎゃ)の略で、語源は「密接な結合」と云う意味で、釈尊の仏法を信じ行じる人々の和合の姿を云います。そして、お互いに励まし合い、助け合い、教え合って、信仰を深めていくことができるのです。
2025年3月15日土曜日
釈尊のいぶき:道場観(その4)
・はじめに
立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。
そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。
尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。
・ https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-1/
ちなみに、法華三部経とは以下の3つのお経をまとめてそう言います。
- 無量義経
- 妙法蓮華経
- 仏説観普賢菩薩行法経
・経文
当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。
諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。
・訳文
いまこそはっきりと知るべきです、この場所こそが、悟りを開いた場所と同じなのです。
そして、諸仏がこの場所で、まさに最高の智慧を悟られた場所であり、諸仏が永遠の教えを説かれる場所であり、諸仏が入滅される(亡くなられる)場所なのです。
・用語
阿耨多羅三藐三菩提
仏の智慧、仏の悟りのこと。
法輪
法を説くことを意味します。
涅槃
迷いや悩みをすっかり消滅して、永遠に煩悩にまどわされることのなくなった安らかな悟りの境地のことです。般涅槃とは、完全な涅槃に入るという意味です。
・解説
いま、御宝前に向かっているこの場所が、釈尊や諸仏が一生を送られた場と同じなんだ、ここで法を説いてくださっているんだ、ここが私の道場なんだ、と云うこと。
道場観は、私たちと仏さまがいのちの親子として「大きな一つのいのちを生かされて生きている」と云う一体感を深く心に刻み込むために唱えるのです。
補足:仏法では、仏さまが親で、全ての人は、みんな仏の子で、親子関係があるのです。なぜなら、この宇宙そのもののいのちが仏さまそのものだからです。
2025年3月14日金曜日
釈尊のいぶき:はじめに(その3)
はじめに
朝夕に読誦する立正佼成会の所依の『経典』は、法華三部経のエキスをまとめたものです。
ちなみに、法華三部経とは以下の3つのお経をまとめてそう言います。
- 無量義経
- 妙法蓮華経
- 仏説観普賢菩薩行法経
尚、立正佼成会については、以下をご覧ください。
立正佼成会の所依の『経典』には、以下ことが説かれいます。
- 宇宙の絶対の真理・法の働き
- この世はどのように成り立っているのか
- 人間とはどのような存在なのか
- 人間本来の生き方とはどのようなものなのか
また、仏さまの眼でこの世界を見ると、すべてが1つの大いなる命と一体で、不幸な人がいるかぎり自分の本当の幸せもないと説かれています。
しかし 、経文にはむずかしい言葉が並んでいて、容易に理解することはできません。そこを分かり易く、開祖さま、会長先生は、噛み砕いてくださったのです。
それを、立正佼成会教務部でまとめあげたのが『釈尊のいぶき』なのです。
むずかしい経文(経典)とそれを噛み砕いてくださった解説(釈尊のいぶき)を対比しながら学習し理解し・・・
毎日朝夕に『経典』を読誦して、ご先祖さま方に感謝の真心を捧げるのが最大の供養と言えるでしょう。
『経典』を読誦し『釈尊のいぶき』で理解して、人格完成と寂光土建設の願い成就に向かって、たゆまぬ歩みを続けて参りましょう!
とりあえず、ご著書『釈尊のいぶき』が無くても、本ブログを読んで頂ければ、経典を理解して頂けると思います(^O^)v
「釈尊のいぶき」の購読は、以下のリンク先で
2025年3月13日木曜日
釈尊のいぶき:目次(その2)
これからアップしていく「釈尊のいぶき解説サマリー」シリーズは、まずは、これを法華経ブログで取り上げた経緯を「プロローグ」へ書きました。あとは、目次順に解説していく予定です。
尚、「釈尊のいぶき」のご著書は、立正佼成会の経典の解説本です。本ブログは、その解説本のサマリー解説です(^^;;
尚、立正佼成会については、以下をご覧ください。
尚、「釈尊のいぶき」は、以下のリンク先で購入することができます。
以下は、「釈尊のいぶき」の目次です。
- はじめに
- 道場観
- 三帰依
- 勧請
- 開経偈
- 無量義経十功徳品第三
- 妙法蓮華経方便品第二
- 妙法蓮華経譬諭品第三
- 妙法蓮華経法師品第十
- 妙法蓮華経提婆達多品第十二
- 妙法蓮華経如来寿量品第十六
- 妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十
- 妙法蓮華経如来神力品第二十一
- 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五
- 妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八
- 仏説観普賢菩薩行法経
- 普回向・唱題・回向
ちなみに、今後、目次通りの順番に解説して参ります。そして、各々の解説をアップしたら、そのリンク情報もこの記事に追加更新して行きたいと思っています。
では、ご期待下さい(^o^)
大丈夫か 自分(^-^;)
2025年3月12日水曜日
釈尊のいぶき:プロローグ(その1)
これまで法華経ブログを読んで下さった方、ありがとうございました。
実は、今までの法華経ブログネタは、旧燈明日記(1998年〜)の過去ログをアレンジしてアップしたものでした(^^;;
これからは、「釈尊のいぶき」と言う御著書を新たに勉強し、そして、それを理解し、内容をまとめてわかりやすく、法華経ブログにアップしていきたいと思います。
「釈尊のいぶき」とは、立正佼成会教務局が企画編集し、佼成出版会社から出版されています。
ちなみに、発行者は、「とある人」こと、三鷹教会の元教会長で、佼成出版社の元社長の岡部さんみたいです・・・(汗)かつては、お世話に成りました。
なぜ、「釈尊のいぶき」かと言うと、以下の感じです。
- 仏教の最高最強の経典ある法華経のエキスが余すこなく注ぎ込まれている…はず(^^;;
- 実は、R K K教団(立正佼成会)の朝夕読誦経典の解説本で、実に分かりやすい(^o^)
佼成会会員は、毎日、朝夕に法華経抜粋の経典を読誦しているわけですが、漢文や古い漢字の羅列では、理解するには難しく限界があります。
そこで、その経典の解説本である「釈尊のいぶき」で、経典完全理解を目論んだわけです(^^;;
と言うことで、当分、法華経ブログは、「釈尊のいぶき」の解説サマリーシリーズになります。ご期待ください・・・いや、期待に応えるように努力します(^^;;
続きリンク
https://hokekyou-blog.blogspot.com/2025/03/blog-post_11.html
https://hokekyou-blog.blogspot.com/2025/01/blog-post_91.html
「釈尊のいぶき」の購読は、以下のリンク先で
2025年3月11日火曜日
『朝夕のご供養』とは
それは、朝起きてからと、寝る前に、法華経の抜粋(経典)を読誦します。
尚、立正佼成会については、以下をご覧ください。
また、法華経の抜粋の経典には、その解説本である「釈尊のいぶき」もあります。
その解説本「釈尊のいぶき」は、以下のリンク先で購入することができます。
では、ここからが本題です。
朝夕のご供養は、経典の内容通りに、以下の順序で読誦します。
ちなみに、法華経抜粋は以の各品からになります。
- 無量義経十功徳品第三
- 妙法蓮華経方便品第二
- 妙法蓮華経譬諭品第三
- 妙法蓮華経法師品第十
- 妙法蓮華経提婆達多品第十二
- 妙法蓮華経如来寿量品第十六
- 妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十
- 妙法蓮華経如来神力品第二十一
- 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五
- 妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八
- 仏説観普賢菩薩行法経
『朝夕のご供養』は朝夕で2回が基本ですが、私の場合、実は寝る前の1回になっています。不良会員なので・・・(^^;;
寝る前に法華経を読誦しながら、その日を振り返り、今日一日無事に過ごせたことに感謝を祈るのです。特に、孫のピコちゃんの健康と安全を祈り念じます。
仏教の功徳は、現象が良い方向へ変わることと考えがちですが、実は、むしろ何も変わったことがないのが功徳である場合が多いのです。
ということで、今日も家族みな何ごともなく過ごせました。あぁ功徳功徳…。
そうそう、お経を読誦していると、子守唄と同じ効果あり、ご供養のあとすぐ寝付けることも功徳ですね!
いつも書いてますが、夕食後4時間は何も食べず、熱めのお風呂に入って、ご供養して寝る。これ、立派な健康法になりまよ!みなさんも是非どうぞ!