2025年3月26日水曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 如来寿量品第十六(その13)

 



・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-10/


・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

てより(このかた)

たる 

(さい)()(そう)()なり。

いて。

して。

らしむ。

(しか)しより(このかた)なり。

せんがに。

便して(げん)ず。 

(しか)にはせず。

(ここ)してく。

すれども。 

(もっ)て。 

 顚(てん)(どう)をして。

しと(いえど)(しか)ざらしむ。

て。 

し。 

(ことごと)(いだ)いて。

(しょう)ず。 

(すで)(しん)(ぶく)し。

(しち)(じき)にして(こころ)(にゅう)(なん)に。

たてまつらんとして。

まず。

 

(とも)ず。

る。 

(ここ)にあってせず。便(もっ)ての(ゆえ)に。

ありとず。

の。

()(ぎょう)(しん)(ぎょう)するあれば。

(また)(おい)て。

く。

(なん)(だち)()れをかずして。

(ただ)(われ)(めつ)()すと(おも)えり。

れば。

()(かい)(もつ)(ざい)せり。

(かるがゆえ)ぜずして。

れをして。

(かつ)(ごう)ぜしむ。

()(れん)()するに()って。

(すなわ)でてく。

(かく)(ごと)し。

()(そう)()(こう)(おい)て。

(りょう)(じゅ)(せん)

(およ)()(もろもろ)(じゅう)(しょ)にあり。

きて。

かるるとも。

(あん)(のん)にして。

せり。

(おん)(りん)(どう)(かく)

(しゅ)(じゅ)をもってし。

(ほう)(じゅ)()()(おお)くして。

()(らく)するなり。

(しょ)(てん)(てん)()って。

()(がく)し。

(まん)()()()()らして。

(およ)ず。

(やぶ)れざるに。

(しか)きて。

()() 

(かく)(ごと)(ことごと)(じゅう)(まん)せりとる。

()は。

(もっ)て。

()(そう)()(こう)()ぐれども。 

(みな)かず。

(あら)ゆる(しゅ)し。

なるは。

(すなわ)(みな) 

(ここ)にあってくとる。 

(ある)(とき)()に。

(ぶつ)寿(じゅ)()(りょう)なりとく。

(ひさ)しくあって(いま)たてまつるには。

(ため)には()(がた)しとく。

(かく)(ごと)し。

すことに。 

寿 

しくしてなり。

(なん)(だち)()あらん

(ここ)(おい)(うたがい)ずることなかれ。 

(まさ)(だん)じて(なが)()きしむべし。 

にして(むな)しからず。

()()便をもって。

(おう)()()せんがに。

には()れども(しか)()すというに。

()()(もう)くものなきがく。

(また)()

()(げん)なり。

(てん)(どう)せるを(もっ)て。

には()れども(しか)(めっ)すとう。

るを(もっ)ての(ゆえ)に。

(しか)(きょう)()じ。

(ほう)(いつ)にして()(よく)(じゃく)し。

()ちなん。

の。

ぜざるをって。

すべき(したが)って。

(しゅ)(じゅ)く。

(つね)(みずか)()(ねん)()す。

(もっ)てかをして。

()り。

かにすることをせしめんと。

 

・訳文

となってから、これまでにったです。

そのあいだは、えをき、してきました。

そのときからもまた、っているのです。

つとして、このから姿したこともありますが、)したのではなく、にこのにいていているのです。  

にこのにいるのですが、によって、(てん)(どう)している(ごともえ、ものごとのようとしない)には姿えないようにするのです。

は、(にゅう)(めつ)したのをて、をまつってをし、そこではじめてえをめようというこします。 

()(どう)こしたは、えをからじ、らかくで、とともにいるというようと、をもしまないほどのさでします。 

このようなびとがくなれば、たちとこのてきて、『にここにいますが、としてだとわれるときに(にゅう)(めつ)せるのです。

また、このでも、しいえをい、じ、きたいとたちがいれば、はそのたちのにもわれてきます』とります。 

くのは、このことをらないために、するのだとんでいるのです。

ると、くのんで、しみもがいています。

さればこそ、はわざとわさないで、めるちをこさせるのです。

するびとにこれば、すぐにわして、そのたちのために()きます。

とはこのようなものであって、からまで、およびそのしているのです。

ると、かれてしまうようなになっても、(あん(のん)であって、がたくさんまり、しいっています。

しいかな(ほう)(ぎょく)によってられたがたくさんあります。

にはしいき、かながなっていて、そのびとはいもなくんでいます。 

(てん)(にん)(たえ)なる音楽(かな)で、(まん)()()()びらをのように、びとのじています。

(まなこ)からは、このようにしいのですがからると、あたかもかれるがごとく、ちているようにえるのです。

このようなは、よくないないをねるために、っても)のをくことができません。

に、のためのためにさまざまなをなし、(にゅう)()は、がいつもそばにいていている姿る(する)ことができるのです。

そのようなびとにして、あるときは『寿りないものであって、である』ときます。 

いあいだかかって、ようやくったには、『うことはしいのだから、いまえたびをんで、らずむのですよ』とくこともあるのです。

はこのようにきいものであり、そのらしだすです。

また、寿であって、それはいあいだんで寿なのです。

ほんとうのめようとしているみなさんは、寿であり、であることをってはなりません。

もし、いをこすようないのがあれば、ってしまわなければなりません。 

は、すべてなのです。

べたにおいて、んでってしまったどもたちをすために、便をもって、んでいないのに『んだ』とげさせたことを、だれもとがめたりしないのとじように、姿えなくするのもしてうそ、りではありません。

です。

です。

さまざまなえるです。

いつものそばにいて、そのしみをこうとしているのですが、(てん)(どう)しているので、そのることができません。

そこで、そのまさせるために、はそばにいても『がくれば姿すのだ』とげるのです。

もし、いつでもえるのだということになれば、にわがままなじてする((おのれ)にとらわれる)ため、いの)やりの)などもろもろのしみがわれてくるのです。

のすべてをとおして、あるはよくじており、あるじていないということを()くしていますから、がけやえをするじて、び、さまざまにいてあげるのです。

とはいえ、どんなしても、しもわりません。どうしたられることができるだろうか、どうしたらやかにせしめることができるだろうかと、にそれのみをじているのです。

 

・補足

ここでとは、などによってられるということではありません。()(おん)(じつ)(じょう)は、のものをかしているですから、っておられます。そのしているのです。
 

(りょう)(じゅ)(せん)

かれたであったために、こうおっしゃられたのであって、は「この」ということです。たちがえをくところは、どんなであっても、そこがなのです。
 

()(こく)

国土ということですが、宇宙のありとあらゆるというにとらえるといいでしょう。
 

(まん)()()()

で、ばせずにはおかない、しいのことです。
 

でいうとは、ずしもいことをしたというだけではなく、されて、らのをくらましてしまっていることもいいます。
 

(みな)かず

 さまにうことも、さまのえにふれることも、えをめるれてもらうにもまれないということです。
 

()(こう)(てら)すこと

らしだすであるということは、いつ、いかなるでも、いのにいるいのえ、かせるきをするということです。したがって、すべてのめることができるというです。


2025年3月25日火曜日

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釈尊のいぶき:妙法蓮華経 提婆達多品第十二(その12)


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-9/

 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

(もろもろ)げたまわく、あって、いて、(しん)(きょう)して(しょう)ぜざらんは、()ちずしてぜん。には()かん。(にん)(でん)るればけ、()にあらばより()(しょう)せん。

 

・訳文

のちのにおいて、もしのあついえをいて、じ、ありがたいとじ、いをこすことがなければ、そのりの)・(むさぼ)りの世界)・かな)といったにおちいることなく、まれ、にこのえをくことができるでしょう。

もしまれわるとしても、そこではびにちたをおくることができるでしょう。

そして、えをまれれば、にいながらでも、することができるでしょう

 

・補足


にあてはめると、りにされてし、しいちできることをしています。
 


きることのないのために、からへとものごとをり、つねにイライラしたちできることです。
 

のおもむくままにはずれたないをし、つけてしまい、ちできることです。
 

(しょう)ぜん

いつ、どこへっても、さまとともにいるつことができるというです。すなわち「さまにかされている、いつもさまにられているんだ」というです。こういうにあれば、きなられ、いつもせなきることができます。 

 

()かん

いつもさまのにいるがあるは、さまのえをれることはありません。ですからこの(せつ)は、いつもえをくりわうことができるというです。


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2025年3月24日月曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 法師品第十(その11)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-8/


 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

あって、()を説かんとせば、()(かに)してかくべき。 

()は、り、()して、(しこう)して(いま)()くべし。

とは()れなり。

とは()れなり。

とは()れなり。

()して、(しこう)して()(だい)(もっ)て、に、くべし。 

 

・訳文

もし在家男女修行者が、くのびとのためにこの法華経えをこうとするならば、どのようにいたらよいのでしょうか。

そのたちは、に入り、如来如来にすわり、そしてくのびとにくこの法華経かなければなりません。

如来とは、すべてのびとにするのことです。

如来とは、であり、しかも、からの影響にまどわされない(にん)(にく))です。

如来とは、一切である(すべての人間は、本仏いなる宇宙根源のいのち)に平等かされている──という根本真理認識することです)。

この大慈(だいじ)悲心(ひしん)柔和忍辱と、えをにしっかりとけ、ることのない意思って、くの菩薩大衆のためにくこの法華経かなければならないのです。

2025年3月23日日曜日

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 譬諭品第三(その10)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

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・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

()は。(みな)()なり。は。()()()なり。
(しか)()は。(げん)(なん)(おお)し。(ただ)(われ)(いち)(にん)のみ。()()()()す。

 

・訳文

この宇宙のものです。そのにいるは、すべてです。

しかも、この世界には、いろいろなしみがちています。それをうものは、だけしかいないのです。

 

・補足

()()なり──ここでいう「」とは、一人のことだけをさしているのではありません。真理意味する「」のことであり、「真理ったもの」という意味です。

この宇宙のものである──宇宙真理り、本仏一体になることができれば、まったくこのは「わがもの」です。しかし、この言葉は「宇宙自分のものだ」という所有権主張するものではありません。反対に、自分宇宙んでしまったとじることなのです。
宇宙んでしまうとじることは、になることです。さなてると、宇宙のすべてにかされている自分発見できます。すると、自分という存在が、みるみる宇宙全体がっていきます。無我こそ「宇宙はわがもの」にじる、ただつのなのです。

宇宙がわがものであれば、その衆生は、すべてわがであり、兄弟姉妹であり、仲間です。すると自然と、びとのために親身になってつくさずにはいられなくなります。これがほんとうのなのです。

 


2025年3月22日土曜日

燈明日記ブログ: 自分流タイピングのコツ

燈明日記ブログ: 自分流タイピングのコツ:   前に、AIくんが教えてくれた タイピングのコツをアップ しましたが、以下は、それを私が実践し、自分流にアレンジしたものです。   必ずホームポジションで 姿勢を正す(ホームポジションに手を置いたら反射的に) 打つアルファベットの声を出す(実際は頭の中で出す) ミスタイプしても...

釈尊のいぶき:妙法蓮華経 方便品第二(その9)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

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・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

()(さん)(まい)より(あん)(じょう)としてって、(しゃ)()(ほつ)げたまわく、なり。

()(なん)()(なん)(にゅう)なり。

(びゃく)()(ぶつ)ること(あた)わざるなり。

()()(いか)ん、(かつ)()(しゅ)(しん)(ごん)し、くして(どう)(ほう)(ぎょう)じ、(ゆう)(みょう)して、(みょう)(しょう)(あまね)(きこ)えたまえり。

()(ぞう)()して、(よろ)しきに(したが)ってきたもう()(しゅ)(さと)(がた)し。

(われ)してより(この)(かた)(しゅ)(じゅ)(しゅ)(じゅ)をもって、(ごん)(きょう)()べ、便をもって、して(じゃく)(はな)れしむ。()()(いか)ん、便()()(みつ)(みな)(すで)()(そく)せり。

(じん)(のん)なり。()()(りき)()(しょ)()あって()(さい)り、()(ぞう)()せり。 

()(しゅ)(じゅ)し、き、(ごん)()(にゅう)(なん)にして、(えっ)()せしむ。

って(これ)わば、()(ぞう)()を、(ことごと)したまえり。

()みなん、(また)()くべからず。

()()(いか)ん、したまえるは、()()(なん)()なり。

(ただ)(いま)()()(じん)したまえり。

(いわ)(ゆる)(にょ)()(そう)(にょ)()(しょう)(にょ)()(たい)(にょ)()(りき)(にょ)()()(にょ)()(いん)(にょ)()(えん)(にょ)()()(にょ)()(ほう)(にょ)()(ほん)(まつ)()(きょう)(とう)なり。

 

・訳文

そのときは、めい(そう)えられてかに()をお(ひら)きになられると、かってわれました。『非常奥深く、はかりしれないものです』。

その根本真理は、あまりにもしいため、修行中であっても理解できるものではありません。

なぜならば、というものは、かつて無数しくえをけ、その数々えをあらゆるをつくして実践し、内外からこる障害困難を、(ゆう)(もう)をもってらず克服し、ただひたすら目的のためにんでいったのち、ついにすぐれた智慧て、すべてのびとに(あお)がれるようなとなったのです。

このようなはかりしれない結果、いままでられたことのない深遠なる真理られたのがなのです。は、その真理を、びとのじた適切をされるのですが、びとは、そのにある真意がどこにあるのかづけないでいるのです。

舎利よ、りをてからいままで、いろいろと過去実例えをいて、くのびとにえをいてきました。

すなわち、それぞれの場合じた適切方法びとをき、自己中心からさまざまなものごとに(しゅう)(ちゃく)し、その執着のためにしんでいるには、その原因らせてしみをいてあげてきたのです。

なぜ、こうしたことができたのかというと、便智慧両方完全えているからです。

舎利よ、智慧というものは、非常広大であって、この宇宙間のあらゆるものごとをりつくしています。また、非常深遠なものであって、いむかしのことから、永遠未来のことまでとおしているのです。すなわち、すべての無量(しょう)じさせる無量)と、えを完全自由自在()())と、こののあらゆるものごとをと、ものをもれはばかることなく根本的勇気()(しょ)())と、散乱いでかに真理におもいをこらす境地(ぜん)(じょう))と、ものごとにするあらゆる執着から()()(だつ))と、精神一事してその一念しく精神統一)のすべてをえ、はてしなく奥深境地り、いままでだれもりえなかった真理きわめ、いままでしたことのない成就したのです。

舎利よ。相手場合じて、いろいろにえて、たくみにくのえをき、しかもらかでみやすい言葉いて、びとのえをくことのびをわきこさせてきました。舎利よ。これまでにべたことをじてえば、ふつうの人間では想像することもできない、最高はすっかりったのです。 

やめましょう、舎利よ。説明してみてもわかるはずがありません。

なぜならばがきわめた真理は、このにおける最高真理であり、のあいだだけで理解できるものだからです。

もろもろのは、こののすべてのものごと(現象(げんしょう)諸法(しょほう))のありのままのすがた((じっ)(そう))をきわめくされ、もまたきわめたのです。

すなわち、すべての現象には(そう)(すがた)があり、(そう)にふさわしい(しょう)性質(せいしつ))や(たい)本体(ほんたい))があります。

(たい)(りき)(せん)(ざい)(りょく))をち、け、いろいろな作用(さよう))をこしています。

つまり、こののすべてのものには(そう)(しょう)(たい)(りき)()があり、それらはいに原因(げんいん))となり機会(きかい)条件(じょうけん))となって、関係いながら変化け、千差万別結果(けっか))・(ほう)影響(えいきょう))をつくりしているのです。

こうした諸現象複雑にからみあっていて、人間知恵では原因結果のつながりがえにくいこともいのですが、そのじつ、すべてはめ((ほん))の(そう)からわり((まつ))の(ほう)まで、ふさわしくつながりって展開していく(()(きょう)(とう))のです。これが諸法実相であり、本仏真理(しんり))のきなのです。

 

・補足

(びゃく)()(ぶつ)ること(あた)わざるなり 

声聞は、えをくことによってりをようとしている修行者 

辟支仏(びゃくしぶつ)(えん)(がく)ともいい、自分体験によって会得しようとめている修行者

しかし、声聞縁覚も、自分ることを修行目的としており、菩薩のように、びとの救済をつくしながら、びととともにりへのもうとしていません。

そのために段階での知恵満足してしまい、さまの真意(すべての境地(きょうち)最高(さいこう)無上(むじょう)までげてあげたいというい)にづけないでいます。

()(こん)

えを理解するのこと。

(ほとけ)(ほとけ)(いま)()

ここでられている「」というのは、この諸法られた自身とほかの諸仏という区別ではなく、いわば「というものは」という意味です。

諸法実相()(じん)したまえり

実相には、「すべてのものごとの、現象としてわれているをありのままにる」という意味と、「すべてのものごとの本質る」という意味があります。

ここでいう〈実相〉は、両方意味をさしています。すべてのものごとの本質をみながら、現象としてわれているをも、ありのままにみておられるのです。

 


2025年3月21日金曜日

燈明日記ブログ: ゾーンに入る感覚・・・

燈明日記ブログ: ゾーンに入る感覚・・・:   毎日、タッチタイピングの練習をしているんだが、速く打とうとすると焦ってミスタイプが多くなり結果的に速く打てず、ミスタイプをしないようにと、確実に打つと、ごくたまに速く打てる場合があるのです。   確かに、確実に打つと概ねスピードが遅くなるんだが、なぜか速く打てる場合があるので...

釈尊のいぶき:無量義経十功徳品第三 (その8)


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-5/


 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

(のたま)わく、(なん)()に、

せざるをしてさしめ、

(にん)なきにはさしめ、 

(せつ)(りく)にはさしめ、

ずるにはさしめ、 

あるにはさしめ、

慳貪には布施さしめ、

にはさしめ、

(しん)()んなるには忍辱(にんにく)さしめ、

()(だい)ずるにはさしめ、 

にはさしめ、

にはさしめ、

(いま)(かれ)()すること(あた)わざるにはするさしめ、

ずるにはさしめ、

(ねが)には(こころざ)さしめ、

退あるには退()さしめ、

()にはさしめ、

にはさしむ。

(なん)()れを(なづ)く。

 

・訳文

さまはこのようにおきになりました。このには第一に、のようながあります。

まず、えをんでいても、まだ心底からたいというこしていないに、心底からりをたいというこさせます。

また、せにしてあげようという気持ち(()(にん))のないには、()(しん))をこさせます。

しめたり、したりすること((せつ)(りく))をには、かわいそうだとや、しんでいるけてあげたいという(だい)()(こころ))をこさせます。

自分よりすぐれた幸福そうにえる(ねた)(しっ)())をじるくせのあるは、さまのではみな平等人間であるということがわかり、その真理発見するからのび((ずい)())がこるために、気持ちがなくなります。

さらに、地位財産するなどに必要以上(あい)(じゃく))しているため、ったないをしたり、自分しめているは、てるときにはいつでもてることができるという、とらわれのないのびのびとした気持ち((のう)(しゃ))をつようになります。

また、もの()しみするや、むやみにしがる(けん)(どん))がかったは、のために(ほどこ)そうという()())がわいてきます。

自分っている、ないにもまちがいはない、というおごりぶった(きょう)(まん))のも、このえをけば、自分ないのまちがいがえてくるために、えられためをって修行しようという謙虚()(かい))になります。

自己中心から、すぐをたてるくせのある((しん)()は、どんなことがきてもりやみのこさなくなります((にん)(にく))。

けたり、つまらぬことにんでいる(()(だい)も、自分むべき真剣むようになります((しょう)(じん))。

まわりの状況変化するたびにれ、動揺する((さん)(らん)も、このえをけば、変化している現象もその本質においては大調和しているという真実がわかってくるので、いつもかで安定した(ぜん)(じょう))になります。

のことしかえず、あとさきの分別ができない(()()は、智慧くことで道理がよくわかり、みきってきます。

ほかのってあげよう((かれ)()する)というをまだこしたことがないでも、自分だけがこのきているのではないということがわかるので、自分他人一緒われなければ、ほんとうのせはないという真実目覚め、ほかのおうという気持ちが自然とわいてきます。

また、いろいろなない((じゅう)(あく))をするには、それらの悪行をすべてったらかな境地しようという(じゅう)(ぜん))をこさせます。

現象面幸福ばかりをって右往(うおう)左往(さおう)している(()()(ねが)う)は、現象世界にあるいなるいのちにかされているという事実目覚め、自己中心ではない()()(こころ))がじます。 

信仰心があともどりする(退(たい)(しん)傾向のあるは、一歩退くことのない不動信仰心()退(たい)(こころ))がきてきます。

のおもむくままにものごとをなう(()()()す)は、真理にそってものごとをなう()()(こころ))がこります。

さらに、煩悩く、しめているには、真理つめることによって、煩悩をなくしてしまおうという(じょ)(めつ)(こころ))をこさせます。

これがこの第一功徳なのです。 

 

・補足

は、妙法蓮華経法華経(ほけきょう))をおきになる直前説法されたえです。

法華経無量義経からってこそ、ほんとうによく理解できることから、法華経ばれています。

無量義経第一第二第三構成されています。

徳行品は、釈尊完全円満な「」といきる「」のすばらしさを(さん)(たん)したです。

説法品は、釈尊ということをおきになった、無量義経理論的中心となるです。

功徳品は、説法品かれたえをほんとうに理解し、実践したける功徳けてかれます。

今回ご紹介した経文は、功徳品第一功徳部分ですが、第一功徳だけでも、これほどたくさん(17個も)あるのです。


2025年3月20日木曜日

お彼岸



今日は、3月20日春分の日です。そう、お彼岸です。お彼岸は、超簡単に言うと先祖供養をする日です。先祖というと大昔のことのように思いますが...、実は、一番身近な先祖は親だったりします。まして、お子さんがいる人は、自分が先祖だったりします。

 

たとえば、子供から親孝行をされた時は、言葉では言い表せないぐらい嬉しいものです。また、親は無条件で子供たちの健康と安全をいつも見守っています。


また、よく考えると、子が親を思う親孝行って、私たちが先祖を思う先祖供養と同じなのですね。ですから、先祖供養は、ご先祖さまが、言葉では言い表せないぐらい嬉しがっているはずなんです。


そして、親が子を見守るように、ご先祖さまは、無条件で私達の健康と安全をいつも見守っているんです。ちなみに、読経や念仏によって得た功徳を故人に回し向けるを「回向」と言います...。


先日、こんな話しを聞きました。

 

ある母と娘がいました。娘は亡くなったお祖母さんが大好きでした。 娘は、小学校である賞をもらい、家に帰るとすぐ、お祖母さんに知らせたく、 仏壇に賞状をお供えました。 すると、ろうそくの火がゆれたのです...。 それを見た娘は、「お祖母ちゃんが喜んでいる、喜んでいるよ!」と言いました。 母は、きっとそうね、きっとそうね、と娘を抱きしめました...。

 

情景が浮かんで・・・涙涙・・・

2025年3月19日水曜日

なぜお彼岸は年二回あるか?


もう、お彼岸ですね!

お彼岸について少し調べてみました。

 

まず、お彼岸とは? 大辞林(国語辞典)より

(1)春分の日・秋分の日を中日(ちゆうにち)とする各七日間。また、この時期に営む仏事。俳句では、彼岸といえば春彼岸のこと。[季]春。

 

と、いうことです。しかし、春と秋に「なぜお彼岸は年二回あるか?」疑問に思いませんか。そこで、この素朴な疑問を調べてみましたが・・・。

 

結論からいうと、はっきりとは、分かりませんでした。

 

しかし、なんとなく、以下の感じです。

ご存知、日本は昔から農業の国です。春に「どうかたくさんの作物が実りますように」と祈り、秋には「たくさんの作物がとれました」と、お日様に感謝する習慣がありました。

つまり、春、秋、年二回、お日様に感謝を願うのです。そう日願(ひがん)です。

 

一方、仏教では、仏の世界(悟りの境地)へ行くことをサンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、日本語で「かなたの岸」として「到彼岸」となり、略されて「彼岸」となりました。

 

そう、ここに、日本の習慣である「日願」と仏教での「彼岸」がクロスオーバーして、春、秋、年二回に「彼岸」が行われるようになったらしいのです・・・。

 

そして、現在は、すでに仏の世界へ逝っている人(ご先祖様)をご供養する日に、お彼岸は、なりました。

 

また、悟りの境地になる「到彼岸」は、サンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、そのための修行が6通りあり、それを六波羅蜜といいます。

 

波羅蜜は前に解説していますので、そちらを参照してください。

2025年3月18日火曜日

釈尊のいぶき:開経偈(その7)

 


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-4/

 

・経文

()(じょう)(じん)(じん)()(みょう)は、にも()()たてまつることし。
(われ)(いま)(けん)(もん)することをたり。わくはせん。

 

・訳文

さまがおきになられた、このうえもなくく、非常奥深い、そしてわしようもないほどすぐれたえは、きわめて年月がたっても、なかなかめぐりうことのできないものです。

それほどありがたいえに、いまめぐりい、信仰するとなりました。このうえは、めてし、さまのおきになった根本真義をしっかりとつかませていただきます。


・用語

仏さまの悟りの根本の真義で「無常」の法です。


・解説

人間として生まれ、遭いかたぎ仏法に遭うことができ、その教えを受持できる喜び、その感激から生まれる「仏法の奥義を必ずつかませていただきたい!」との力強い決意、それを表すことこそが開経偈なのです。

道場観から始まり、三帰依、勧請、この開経偈で、イントロが終わり、やっと無量義経、法華経と本編に入っていきます。ご期待ください!

 

2025年3月17日月曜日

釈尊のいぶき:勧請(その6)

 


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-3/


・経文

()(おん)(じつ)(じょう)




南無日蓮大菩薩
南無
南無

(じっ)(ぽう)()(りょう)(しょ)(てん)(ぜん)(じん)
(らい)(りん)(よう)(ごう)()(けん)(しょう)(らん)

 

・訳文

宇宙大生命である()(おん)(じつ)(じょう)で、そのわれとして人類救済のために真理いてくださった大恩ある教主釈尊よ。


法華経えの真実証明されるよ。


宇宙大生命分身であり、過去現在未来じて、こののあらゆるにおでくださる諸仏よ。


すべての救済しようとされた四大菩薩よ。


釈尊のお実践)のきを象徴するをはじめとする菩薩方よ。


くの困難えて、法華経めてくださったよ。


法華経世界信受して本会創立してくださり、菩薩し、法華経導師であられたよ。


開祖さまののもと、人心救済教化しまず、菩薩じてご証明されたよ。


菩薩実践むようにと守護してくださる神々よ。


こののあらゆるにいらっしゃり、びとをってくださる神々よ。

 

どうぞこのにおでくださり、このにしてください。そして、たちのるぎない信仰への真心をおとおしください

 

 

・用語

()(おん)(じつ)(じょう)

寿で、「は、はかりしれないほど無限過去成仏してから、ずっとこの宇宙のいたるにいて説法し、し、いてきたのだ」とおきになられます。釈尊のほんとうのすがた本仏は、このように時間的空間的無限存在であることをわしています。 

菩薩(ぼさつ)

智慧りをようとして修行しながら、びとをうことにも努力されているのこと。

()()(さつ)

摩訶とは「」、は「」という意味ですから、直訳すると、きなを持ったということになります。つまり大菩薩です。

 

・解説

勧請では、弟子となった私たちが、本仏釈尊をはじめとする諸仏、諸菩薩、開祖さま、脇祖さま、ご守護くださる神々に対し、お経を読誦させて頂くこの場へのご来集をお願いいたします。そして、真理の光を心の奥底まで差し込ませ、本仏釈尊と一体になる清らかな心境を作らせていただきます。

2025年3月16日日曜日

燈明日記ブログ: タイピング速度の目安と上げるには?

燈明日記ブログ: タイピング速度の目安と上げるには?:   毎日、タイピングランドでタイピングの練習をしています。 で、今の自分のスピードが、なかなか速くならず、どのレベルか気になり調べてみました。 結論から言うと、まぁ普通でした(^^;; タイピング系の仕事でなければ、一分間に80文字なので、今、約100文字なので軽くクリアーできて...

釈尊のいぶき:三帰依(その5)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-2/


・経文

(みずか)
(まさ)わくはに してさん


わくはに って智慧くならん


わくはに してならん

 

・訳文

たちは、であるさまにいたします。
そして、すべてのたちとともに、宇宙真理体得し、りの境地することをいたします。
 
たちは、さまのおきになったみえにいたします。
そして、すべてのたちとともに、いみえのにある根本真理をつかみ、大海のようにいほんとうのることを誓願いたします。

たちは、信仰者結合体(僧=サンガ)に帰依いたします。
そして、わくはびとをすべて仲間にし、けへだてなくい、そのサンガをげ、前進させていくことを誓願いたします」

 

・用語

 

その存在絶対的なものとじ、のよりどころとし、すべてをおせすることです。

一切無礙ならん 

一切自由自在になるだろう

無上意(むじょうい)

これ以上ない、最高の状態であることを意味します。


・解説

仏とは、全ての存在を生かす、根源の大いなる命です。楽しいこと、悲しいこと、辛いことなど、全ての出来事の中に、仏さまの広く深い慈悲が込められていて、親として私たちの成長を願ってくださっています。

法とは、三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)のことで、心や行いを、この法のレールに沿わせることができれば、自由自在に生きていけるのです。

僧とは、僧伽(そうぎゃ)の略で、語源は「密接な結合」と云う意味で、釈尊の仏法を信じ行じる人々の和合の姿を云います。そして、お互いに励まし合い、助け合い、教え合って、信仰を深めていくことができるのです。