2025年2月11日火曜日

人生にむだはない

 

 今の心境にぴったりのメッセージがありましたので引用しておきます。


人生にむだはない

私たちが人生で体験することには一つのむだもありません。

お釈迦さまが「人生は苦である」と教えられているように、私たちの人生には苦がつきものです。けれども私たちは不幸や苦しみに見舞われると、「なぜ自分だけがこんなに苦しい目に遭わなくてはならないのか」と恨(うら)みごとを言い、嘆くのが常です。しかし、その苦しみを通らないと人生の本当の喜びは得られないのです。いや、苦しみを乗り越える、そのことの中に真の楽があるといってもいいのです。

人は自分が実際に経営に失敗して苦しみ、病気で苦しんでみてこそ、同じ苦しみを持つ人に、それを乗り越える道、そして乗り越えたときの喜びを、自信をもって説くことができます。

苦しみにぶつかったときに、「仏さまが、この苦しみを通して同じ苦しみにある人たちを救う力を与えてくださるのだ」と受け止められるようになると、力が内からわき上がってきます。その力が道を開いていくのです。

「無用の用こそ大切」といいます。人生でぶつかるさまざまな苦しみ、むだな回り道と思えることも、すべて将来に生きていくのです。


庭野日敬著『開祖随感』より

 

『人生でぶつかるさまざまな苦しみ、むだな回り道と思えることも、すべて将来に生きていくのです。』

 

そうあって欲しい…

 

ちなみに、『無用の用』とは、一見意味のないように感じるものが、実は重要な役割を担っているという意味です。

2025年2月10日月曜日

ミスチルGiftと法華経


昔、ミスチルファンだった時に、一番好きな曲がこの「Gift」です。

なぜ好きかというと、法華経そのものなんですね!これが!!

まずは、以下の詩で、「一番光っているもの」を、意味的に『仏性』に置き代えて読んでみてください。

一番きれいな色ってなんだろう?
一番ひかってるものってなんだろう?
僕は探していた 最高のGIFTを
君が喜んだ姿をイメージしながら

『本当の自分』を見つけたいって言うけど
『生まれた意味』を知りたいって言うけど
僕の両手がそれを渡す時
ふと謎が解けるといいな 受け取ってくれるかな

長い間 君に渡したくて
強く握り締めていたから
もうグジャグジャになって 色は変わり果て
お世辞にもきれいとは言えないけど

「白か黒で答えろ」という
難題を突きつけられ
ぶち当たった壁の前で
僕らはまた迷っている 迷ってるけど
白と黒のその間に
無限の色が広がってる
君に似合う色探して やさしい名前をつけたなら
ほら 一番きれいな色
今 君に贈るよ

地平線の先に辿り着いても
新しい地平線が広がるだけ
「もうやめにしようか?」 自分の胸に聞くと
「まだ歩き続けたい」と返事が聞こえたよ
知らぬ間に増えていった荷物も
まだなんとか背負っていけるから
君の分まで持つよ だからそばにいてよ
それだけで心は軽くなる

果てしない旅路の果てに
『選ばれる者』とは誰?
たとえ僕じゃなくたって
それでもまた走っていく 走っていくよ
降り注ぐ日差しがあって
だからこそ日陰もあって
そのすべてが意味を持って
互いを讃えているのなら
もうどんな場所にいても
光を感じれるよ

今 君に贈るよ 気に入るかなぁ? 受け取ってよ
君とだから探せたよ 僕の方こそありがとう

一番きれいな色ってなんだろう?
一番ひかってるものってなんだろう?
僕は抱きしめる   君がくれたGIFTを

いつまでも胸の奥で
ほら光ってるんだよ
光り続けるんだよ

まずは解説

『本当の自分』を見つけたい、『生まれた意味』を知りたいって、あんた、法華経のテーマそのものではないですか!
 
グジャグジャになって色は変わり果ては、仏性が曇っているけど、磨けば輝き出すぞ!
 
君の荷物を背負っても君がそばにいれば心は軽くなるは、まさに布施奉仕だな〜
 
そして、以下の引用
降り注ぐ日差しがあって
だからこそ日陰もあって
そのすべてが意味を持って
互いを讃えているのなら
もうどんな場所にいても
光を感じれるよ


自分も陰で支えてくれる人も全て意味を持ってお互いを讃えているのなら、お互いに仏性を感じられる。

 

最後に、以下のの引用

君とだから探せたよ 僕の方こそありがとう

一番きれいな色ってなんだろう?
一番ひかってるものってなんだろう?
僕は抱きしめる   君がくれたGIFTを

いつまでも胸の奥で
ほら光ってるんだよ
光り続けるんだよ

君と一緒に探せた仏性を、君も自分もいつまでも胸の奥で光り続けるんだよ・・・

 

 



2025年2月9日日曜日

四安楽行とは


妙法蓮華経安楽行品第十四に出てくる身口意誓願(しんくいせいがん)の四安楽行(しあんらくぎょう)です!
 

身安楽行

いつも柔和忍辱をたもち、権力や邪法や勝負事には近寄らず、性的なことには最善の注意を払う、などなど。

口安楽行

悪口や見下すような言葉、批判、また、あの人は好きだとか嫌いだとか、などなど。

意安楽行

嫉妬の心を持たないようにしたり、人を軽んじたり、失望させたり、えこひいきなどをしない、などなど。
 

誓願安楽行

すべての人をこの法華経によって幸せにしたいと誓願すること、などなど。


四安楽行を完全に行って、この教えを広める者の功徳については、以下のようにお説きになりました。


  • 一切心配事がなくなる。
  • 一切苦痛がなくなる。
  • 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
  • 生活にこまることがなくなる。
  • 大勢の人から崇め慕われる。
  • 神からも守護される。
  • いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
  • 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまうでしょう。

 

これは、もう四安楽行を実践するしかないですね(^o^)

2025年2月8日土曜日

親の切ない思い



自分の赤ちゃんが重度のアトピーで、痒いので掻いて血だらけになっていたとしたら...。 そう自分ではなく、自分ではどうすることもできない、小さな赤ちゃんが...です。

 

つい先日、盲目のエッセイストのお話しを聞かせてもらいました。 このエッセイスト(麻由子)は、四歳のときに失明して、それ以後、母親と二人三脚で今日に至りました。 母親は、麻由子に生きがいを与えるべく、絵本を読んできかせたり、点字を先にマスターして教えてあげたりしました。

 

四歳の娘が失明してしまったことにたいする、どうすることもできない親の切ない思い...。 その切ない思いを力に変えて、麻由子は大学院まで入り、英語やフランス語まで点字をマスターしてしまったのです。麻由子にとって感謝しきれない、最高のお母さんでした。

 

そして、麻由子にとって、いま一番うれしいのは、本人の何倍も努力したであろう母が以下のようにいってくれたことでした。

 
「麻由子を育てることで、二度も三度も人生を楽しめた。
        だからあなたに感謝しているのよ」

 

アトピーの赤ちゃんのお母さんにも同じような結果になることを願っております。

 

『苦は楽の種』といいます。もしかしたら、神さまから、苦を克服したその先に楽しみが待っているよ…というメッセージなのかもしれません...。



2025年2月7日金曜日

原因は、外ではなく、実は内だった


失敗したり、嫌なことがあると、普通、人は、外に原因を求めます。

そして、それらしき原因をみつけ、取り除こうとします。

でも、なかなか上手く行きません・・・


そうなんです。それは、真の原因じゃないからなのです。

真の原因は、実は外ではなく内で、自分自身だと云う事に気がつくと、解決の道がひらけるかも知れないのです。

By picochanjiiji (^^;;


追記

とにかく、普段からメモする習慣をつけて、ミスや失敗をしたら、欠かさずメモする。そして、空き時間に、メモをまとめて、頭に刻みつける。同じミスを犯さないようにと・・・

とにかく、原因である自分を変えるしかないのです。

2025年2月6日木曜日

関心は実は愛だった・・・


私がブログを毎日更新し続けるのは、なんなんだろうと思っていたら、どうやら正体がわかってきました。

 

その正体は、愛不足です・・・たぶん(^^;;

 

マザーテレサが『愛の反対は無関心である』と確か言っていたと思うのだけれど・・・

そうすると、 愛の反対の反対は関心であるということになる。

よって、関心は愛とイコールなんだとわかる(^^;;;


皆さん、まだこのブログに無関心なので、もっと関心を持ってもらいたい、つまり、愛不足・・・(^^;;


夫婦であればパートナーを、親子であれば親子同士、仕事であればお客さまや同僚に対して関心をもつこと!

 

そして、関心をもってくれることが分かると、嬉しくなりこちらも関心を持ち、こんどは相手が嬉しくなり、プラスのスパイラルになっていくのです。


早く、プラスのスパイラルなるように頑張ってブログ更新をしていきたいと思います(^o^)



2025年2月5日水曜日

家庭のオアシスとは



以前、旧燈明日記にアップしたものだけど、こちらにもアップしとく(^^;;


もう子供は、3人とも三十過ぎで、子育てに関係ないんだけれど、可愛い可愛いお孫ちゃんのピコちゃんができたので、昔、子育てのインストラクターの講演で聞いた内容をアップしときます。


子供の躾で、『人さまや世間の迷惑になることはしてはいけない』と言うより、『人さまや世間のためになる人になりなさい』と言う方がかなり良いとのことです。

言われると、あーそうか! って感じですが、つい『人さまや世間の迷惑になることはしてはいけない』と躾てしまう・・・。(無意識の日本人意識)


また、子育てには、オアシスが必要とのことでした。

  • オアシスのオは、『おはよう』という素直な心
  • オアシスのアは、『ありがとう』という感謝の心
  • オアシスのシは、『親切』という思いやる心
  • オアシスのスは、『すみません』という反省する心

このように躾ると家庭がオアシスなる・・・なるほど上手いこと言う。


あと、呼ばれたら『ハイ』と返事するように躾しますが、この『ハイ』は、実は人を拝む『拝』とのことで、呼ばれたら『ハイ』と返事をするのは、呼んだ人を拝むことだったのですね。

 

以上、家庭のオアシスでした(^o^)

それにしても、オアシスの例えはスゴイですね!

法華経の実践と言っても過言ではない…

 

追記

「子育ての4つの離さず」もメモしときます。

  • 赤ちゃんの時は、肌身離さず。
  • 幼稚園の時は、手を離さず。
  • 小学校の時は、目を離さず。
  • 中学校の時は、心を離さず。

以上、「子育ての4つの離さず」でした(^o^)


なんたって家庭が第一です。上記を実行して、幸せな家庭を築い参りましょう(^o^)


2025年2月4日火曜日

戒名当番と云う修行

 

戒名当番とは、私が入会しているRKK教団(立正佼成会)の修行の一つです。

 

修行内容を簡単に云ってしまうと、戒名を筆で習字するわけです。

 

修行が進んだ人の場合には、本当に戒名をつけることもあります。

 

私のレベルでは、まだまだ、すでにある戒名を筆で習字練習するわけです。


戒名は、ご存知の通り、亡くなった人につける名前です。
ですので、普通の習字より集中して練習します。


上手く書こうとするとなぜか上手く書けず、無心で1文字1文字に魂を入れる気で書くと、力強い字が書ける感じです。

 

私は、佼成会会員としては、まだまだ未熟なので、もしかしたら、この修行の本質がわかっていないのかも知れませんが、戒名当番をご紹介いさせていただきました。

 

最後に私が字について思う格言があります。


頭が良い人で、字の下手な人はいますが、字が上手くて、頭の悪い人はいない!


です。


なんか、当たっていると思いませんか?


ちなみに、私は、字の下手さでは、誰にも負けません。
しかし、次男の字を見た時に、はじめて敗北を感じました・・・遺伝や・・・(^o^)

 

2025年2月3日月曜日

生まれそして生きる意味

また、生きる意味がわからなくなってきました・・・

 

昔、引用した「 生まれそして生きる意味 」の文章がPCに残っていましたので、ご紹介いたします。尚、引用元がネット検索しても見つかりませんでした。

 

赤ちゃんは、掌を握り締めて生まれ、掌を広げて産声を上げるそうです。

 

では、なぜ赤ちゃんは、掌を握り締めて生まれ、掌を広げて産声を上げるのでしょうか・・・

 

赤ちゃんは、この世に生まれてくる時に、たくさんの夢と希望を、握り締めて生まれてくるんです。

 

そして、生まれた時に、この世界に、みんな解き放ってしまうんだそうです。

 

生まれた喜びと、夢と希望を手放してしまった悲しみで、産声を上げるのだそうです。

 

では、なぜ、人は生きていくのでしょうか・・・

 

それは、生まれた時に手放した夢と希望をもう一度、手に入れるために、苦しくても、悲しくても、生きていくのだそうです。

 

夢や希望を、手にした時の喜びを、もう一度知るために・・・辛くても、苦しくても、希望の光だけは、見失わない事と、信じています・・・

 

そっかー!生きる意味は、夢や希望を取り戻すためか〜!! 


ちょっと白々しいけど頑張る(^o^)

2025年2月2日日曜日

ダラニ(陀羅尼)って……


木鉦(もくしょう)

 ほぼ毎日、法華経の抜粋を読誦するのですが、その中に陀羅尼があります。


陀羅尼とは、法華経26番(品)と28番(品)に出てくる呪文です。

 


もともとは、サンスクリット語の発音でいろいろな神の名前を云っているそうですが、日本人には呪文に聞こえます。


ご利益は、『あらゆる悪をとどめ、あらゆる善をすすめる』とのことです。

たとえば、こんな感じです。

 

あに まに まね ままね しれ しゃりて しゃみや しゃびたい せんて もくて もくたび しゃび あいしゃび そうび しゃび・・・・・・

 

本当は、これに、木鉦(もくしょう)でリズムをつけて読誦しますが、木鉦のリズムが不規則で習得するのが凄く難しく、普段は、木鉦なしで読誦します。

 

ということで、陀羅尼を簡単に説明させて頂きました。 


今度、本部の木鉦研修で陀羅尼木鉦をマスターしたいと思う今日この頃です(^-^;)

2025年2月1日土曜日

我を捨ててこそ自由あり

 


前に、家内から一枚のコピーを読みなさいと渡されました。
そこには、『我を捨ててこそ自由あり』のタイトルで以下のような内容でした。

 

自由・不自由は、つまるところ現象の上にあるのではなく、心の中にあるのです。
:
:
タゴール(インドの大詩人。東洋人として初のノーベル賞受賞者)はこう言っています。

「人間の自由は、苦痛を救われることにあるのではなく、その苦痛を愉悦の一要素に変えるところにある」



どうしたら、苦痛を愉悦に変えることができるか、道はただ一つ、できうる限り”我”を忘れることです。

仕事に打ち込む働き人も、愛し子の世話をする母親も、その瞬間において我を放棄しているからこそ、苦の中に喜びを感じているのです。

まことに、真の自由とは我を捨てるところにこそあるのです。

 

昨今、隊長からお前の頭は我だらけで、言ったこと(指導)が入るスペースがちょびっとしかない、「我を捨てろ」と言われたばかりでした。
明日から、仕事に打ち込んで、長年間培った我を消滅させたいと思います。できるかな…(^^;;

2025年1月31日金曜日

器量と布施と徳積

 
人には、人格やリーダーシップ等の器量というものがあります。器量が小さいと、その人の人生も、小さなものになってしまいます。これは、大きなチャンスが来たときに、小さな器だと受け取れないから、そうなってしまうのです。

 

では、器量を大きくするためには、どうしたらよいでしょうか?

 

それには、2つ。

  1. すでに入っているものを出して、器の容量を増やす。
  2. やはり、器そのものをなんとか大きくする。

 

1は、布施です。自分の持っているもの(財施、身施、法施)を出して人に施し、自分の器の容量を増やすのです。

2は、徳積です。仏法では、善い行いを続けて行くことを徳積と云い、これにより器が大きくなると説かれています。 

 

1の布施とは

  • 財施 - 金銭や物質を他人に施し与えること。
  • 身施 - 自分の骨折りによって他人の心配や苦労を少なくしたり、喜びを与えること。
  • 法施 - 正しくものごとを他人に教え与えること。

貧乏で財施はできなくても、身施、法施は、出来そうですね!

 

2の徳積とは

  • 徳積の『徳』という字は、行ずるの行人偏に十四の心と書きます。
  • 十四の心とは、六波羅蜜八正道を足した数の心です。
  • そして、十四の心積んで行くことが徳積なのです。 

我ながら、最後は上手くまとまったな・・・(^o^)

 

2025年1月30日木曜日

お茶のエピソード


私は、RKK教団(立正佼成会)のダメダメ信者です。

その教団の初代会長を開祖さまとお呼びしています。

その開祖さまは、以下の3つの実践をしていると秘書の方から聞きました。

  • 叱責しない。
  • 信者さん第一。
  • 真心、ありのまま素直。

 

これを裏付けるエピソードがありますのでご紹介します。


開祖さまが信者さんからお茶をご馳走になったときに、開祖さまは、湯呑みの蓋をあけ、飲み干し、大変美味しかったのでもう一杯もらえますか・・・と、おかわりをされました。

 

そして、おかわりを入れようとした信者さんが、湯呑みの中をみると、お茶が入っていた形跡がなかったのです。

 

つまり、信者さんは緊張していてミスで、空のお茶をご馳走してしまったのでした。

 

しかし、3つの実践をしている信者さん第一の開祖さまは、そのことを叱責することなく、真心、ありのまま素直に、自分(お茶が飲める)も信者さん(ミスが表に出ない)も幸せにしたのです。 


以上のエピソードは、RKK教団では結構有名らしいのですが、まだ知らない人がいるかもしれないので書きました。


RKK教団(立正佼成会)の人、この「法華経ブログ」を教会内に知らせていただけると嬉しいです(^o^)

 

 


2025年1月29日水曜日

人を救えるお経とは?

よく初期の経典以外、つまり大乗経典は、釈尊が説いたものではなく、弟子達が適当に作り上げたもので、 信じるに値しないと言う人がいます。 確かに、法華経も仏滅後500年以上経って作成されたものとされています。

 

しかし、はっきり言ってしまえば、現代の人にとって、釈尊が説いたかどうかが問題でなく、釈尊が説いたであろう教え、あるいは、優れた仏弟子が説いた教えで、救われるかどうかが問題だと思うのです。 

 

逆説的にいえば、本当に人を救える教え(経典)しか生き残れないのだと思う次第です。 今残っている日本の仏教を見てみますと、圧倒的に日蓮系(法華経)と浄土系(南無阿弥陀仏)で、どちらも大乗仏教です。

 

たとえ、どんなに良い経典でも、人に読んでもらえなければ、無いのと同じです。 つまり、沢山の人に読まれている大乗仏教(法華経等)は、人を救えるお経なのだと思う次第です。 

 


2025年1月28日火曜日

反省するな! 希望を持つな!



とある宗教評論家の人が、以下のようなことを言っていました。

  • 反省するな!
  • 希望を持つな!

仏教の教えは、『いま・ここで・わたしが生きている』という、しっかりと自分を生きることの教えです。

過去でもなく、未来でもなく、今なのです。


確かに、今一瞬一瞬をしっかり生きれば、つねに充実しているので、過去を反省する必要はないし、未来はよい方向に開けていくので、特に希望など持たなくても大丈夫だと言えるでしょう。

 

しかし、しかしですよ、やはり、反省も希望も生きていくためには必要と、私は考えます。

人生はミスの連続です。せっかくミスをしたのだから無駄にせず、反省して未来に同じミスをしないようにするのが肝要です。

また、希望があるからこそ、人間は頑張れるものです。

どう考えても、反省も希望も、人生には必要と私は考えます!


2025年1月27日月曜日

『神』と『仏』

 

神という字は、申(シン)が音符の形声文字で、申は稲妻の形です。

稲妻は天にある神の威光のあらわれと考えられたので「かみ」の意味になりました。

つまり、申は神の元の字で、申が「かみ」以外に「もうす」などの意味に用いられたので、

示偏をつけて「神」の字になりました。


一方、仏の元の字は「佛」で、弗(フツ)が音符の形声文字です。

意味は、彷彿(ほうふつ)等ように「ほのかな、かすか」です。

のちに、梵語で正しい悟りを意味するブッタの音訳に陀と共に充てられ仏陀となりました。

この世で「正しい悟り」を得たのは釈尊一人ということなので、釈尊イコール仏陀となって、釈尊を仏さまという。

 

と云うことで、『神』は天の威光で、『仏』は 正しい悟りです!

2025年1月26日日曜日

自分が変われば、相手が変わる

 


以下のお言葉は、立正佼成会が、対人関係で悩んでいる信者さんへアドバイスする定番です。
 
 
『自分が変われば、相手が変わる』

 

このお言葉、実は真理を、分かり易く、言い当てているお言葉なのです。

 

真理と言うのは、当たり前のことで、普段は余り気がつきませんが、実は、すべての生きとし生けるものは、大いなる一つの命に生かされているということらしいのです。

 

生きとし生けるものは、大宇宙(大いなる一つの命)が、なければ生きて行けないわけです。

 

つまり、生きとし生けるものは、大宇宙で、相互に関係し合って生かされて、まぁ、いろんな現象が生じているのです。

 

相互に関係し合うとは、仏法では、『縁起』といいます。

 

また、いろんな現象は、縁を変えれば、現象も変わるのです。


なので、『自分が変われば、相手が変わる』は、自分が変われば、縁が変わり、相手の縁も変わるのです。

 

つまり、自分が変われば、縁が変わるのだから、間違えなく相手も変わるのです

 

対人関係で悩んでいる方へ、相手を変えようとせず、とにかく内省し、自分の考えを変えてみてください。きっと上手く行くと思いますよ。なんたって真理ですから・・・。

 

2025年1月25日土曜日

「砂の上の足跡」という詩

 

「砂の上の足跡」という詩があります。

結構有名なので知っている人も多いと思いますが、まずは、その詩を・・・

 

ある男が、夢を見ました。
仏さまと二人で、浜辺を歩いている夢です。
空に、男のいろいろな思いが写し出されていました。
その思い出のどれにも、足跡があります。
砂の上に、二本の足跡が並んでついています。
一つは、男の足跡です。もう一つは、仏さまのものです。

ところが、砂の上の足跡をよく見てみると、男が一番つらく、
苦しかったとき、寂しく、悲しかったときに、
足跡が一つしかついていません。
男は悲しくなり、仏さまに尋ねました。

「仏さま、私があなたの教えに従って生きていこうと決めたとき、
あなたはいつも私と一緒にいてくれると約束して下さいました。
それなのに、私が一番つらかったときに、一番寂しく、
悲しかったときに足跡が一つしか残っていません。
私がもっともあなたを必要としているときに、
なぜ、私を一人置いていかれたのか、私にはわかりません。」

仏さまはこたえられました。

「私の愛する仏の子よ
私はあなたから一時も離れることはありませんでした。
あなたが、一番つらかったときに、あなたが寂しく、
悲しかったときに、足跡が一つしかついていないのは、
私があなたを背負って歩いていたからです。」

 

初めて読んだ時は、凄く感動するんだけど、実はこれ、「神さま」を「仏さま」に変えたもので、オリジナルは、キリスト教系の詩ということです。

確かに、仏教的には、仏さまと一緒に歩くシチュエーションは変な感じがします。

しかし、ご先祖さまだと思うと、辛い時にきっと背負ってくれる気がするのです。

自分がご先祖さまだったら、可愛い可愛い子孫が、苦しんだり辛かったら、背負わずにいられないでしょう。

ということで、良い詩には変わりがない・・・ と思う次第です(^o^) 


2025年1月24日金曜日

法華経概略ストーリー


法華経は、お経でありながらオペラのようなストーリー展開になっています。テーマは、『縁起』、『永遠の命』、『法の実践』の3つで、各々、智慧のお話、慈悲のお話、行徳のお話の順に展開していきます。


また、法華経は28の章(品)からなり、序品第一から法師品第十までが、インド霊鷲山(りょうじゅうせん)の説法で、見宝塔品第十一から嘱累品 第二十二までが、霊鷲山の空中(虚空)での説法になります。

 

あとの薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩薩勧発品第二十八は、また霊鷲山の地上での説法になります。


以下は、簡単ではありますが、大体の法華経ストーリーの流れです。尚、時代は約紀元前500年、場所はインド霊鷲山。今、法華経の説法が始まろうとしています・・・。


はじめ、お釈迦さまは、沈黙されておりましたが、突然眉間から光を放ち、『縁起』について語りはじめます。


そして、『縁起』を理解した智慧のある弟子達をどんどん授記していきます。


すると、地面から多宝如来のいる見宝塔が湧き出して来て、いきなり霊鷲山から虚空での説法となりました。


そして、お釈迦さまの説法を多宝如来が真実であると証明すると、他の世界からやって来た菩薩達が娑婆世界にとどまって、この教えを説き広めたいと表明します。


しかし、お釈迦さまは、その表明をぴしゃりとお断りになりました。


すると、地面から今度は、計り知れない数の全身金色に輝く菩薩達が登場したのです。


そして、お釈迦さまは、その登場した菩薩達を過去世の『永遠の命』の中で教化したのだと宣言します。


ここに、生きとし生けるものすべてのものの本質は仏性で、それは、過去世、今世、来世と輪廻して『永遠の命』と繋がっている。


そして、『永遠の命』は、我々生きとし生けるものすべてを、いつでも、どこでも、慈悲をもって生かしてくれる。


そのご、智慧の『縁起』と慈悲の『永遠の命』を説く法華経を授受実践。つまり、行徳の『法の実践』をすることがいかに功徳があるかを語り。


さいご、『法の実践』のエピソードを薬王菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩を各々主役にして語り、終わりを迎えます


しかし、あの難解な法華経が、 あまりにも、あっさりまとまってるな・・・さすがだ自分(^^;;;

    2025年1月23日木曜日

    宗教的智慧



    たとえば、夕方、奥さんが食事の支度を終わって、ちゃぶ台の下に味噌汁の入っている鍋を置いていた状態で、旦那様の帰りを待っている場面をまず思ってください。

     

    そして、会社から旦那様が帰ってきて、上着等を脱ぎ、メシといってちゃぶ台についた途端、ちゃぶ台の下ある鍋に気づかず、味噌汁の鍋をひっくり返してしまいました。

     

    さて、あなたが、奥さんだったらどうしますか? 旦那様だったたらどうしますか?

     

    普通は、この場面では、夫婦ケンカになりますよね。

    奥さんは、折角作った味噌汁をひっくりかえされたのですから、旦那様は、いきなり、味噌汁でズボンがずぶ濡れになってしまったのですから...。

     

    しかし、奥さんは、こんなところに味噌汁の鍋を置いてごめんねと相手をおもいやり、旦那様は、折角作ってくれた味噌汁をひっくりかえしてごめんねと相手をおもいやると、どうでしょうか...。

     

    そうケンカには、なりませんね。

    宗教的智慧とは、相手を思いやるところから出てくるらしい...。


    2025年1月22日水曜日

    人格形成に大切な3つのこと

     


    とある説法で、以下のお話しを聞きました。


    約2500年前、お釈迦様は人物をつくる上で大切なものとして以下の3つをあげました。

    • 「貧乏」
    • 「読書」
    • 「母の感化」

     

    貧乏とは、お金の価値を知るということと、生きていく上で我慢を知るということ。

    読書とは、未知への見聞を広げるということと、知識を蓄えるということ。

    母親の感化とは、やさしさや思いやりの感化…かな。


    現代の日本では、母親の感化が、いい学校へ行きなさいとか、競争に勝ちなさいとかで、違った方向へいっているのが問題なのだという指摘がありました。たしかに、日本はおかしな社会になりつつあるのかも知れません。


    上記の人格形成に大切な3つで、教育されれば、たしかにいい子に育つ気がしますね!

     

    まぁ、お釈迦様が言ったのだから、まちがいないでしょう…。

     

    2025年1月21日火曜日

    不安との戦い

     


    戦争、自然災害、世界情勢、日本経済、リストラ、年金・・・

    とにかく、毎日毎日が、不安との戦いです。

    そして、その戦いに勝ち抜くには、夫婦仲良く、家族仲良く、助け合って、頑張って、生きて行くしかないですね。

     

    まだかなり早いけど最後に、お釈迦様のお言葉で〆ることに致します。

     

    天神が
    『何ものが、人々の依りどころであるのか、何ものが、この世で最高の友であるか』
    と問うた時、
    釈尊は
    『子供たちが、人々の依りどころである、そして、妻が、最高の友である』
    と答えたという。
                             『相応部・一・五四』
    

     

    今は、子供でなく、可愛い可愛いお孫ちゃんが、依りどころですね(^o^)

    妻は、本当に最高の友です。って、他に友達いない(^^;;;

    子供の30過ぎのヤロっ子たちは、勝手に生きてろ〜 (しかし、犯罪だけはしないでね)

     

     

    2025年1月20日月曜日

    本当の生き甲斐とは?

    昔読んだ開祖随感の本をめくると、付箋紙のあるページが目にとまりました。

    それは、以下の「奉仕できる喜び」の所でした。


    奉仕できる喜び

    人はふつう、自分が人に奉仕するのはあまり好きではなく、人から奉仕してもらうほうがうれしいように思っています。しかし、それは心のほんの表面上のことで、心の深いところでは、人はむしろ人に奉仕することを欲しているものです。

    どんなことでもいい、実際に人さまのために尽くして、それで相手の人に喜んでもらえると、それがよく分かるのです。

    「なんで、子どものことでこんな苦労をしなければならないんだろう」と愚痴をこぼしていた親でも、子どもが一人前になって巣立ってしまうと、空虚な思いに陥ってしまいます。世話をしてあげる人がだれもいなくなると、「ああ楽々した」という思いよりも、虚脱感に襲われてしまうのです。

    さらに、体が不自由になって、だれにも、なにもしてあげられず、ただ周囲からしてもらうだけの身になってしまったら、どんなに寂しい思いになるかしれません。

    そう考えてみると、自分が人さまに役立てることが、どんなにうれしいことか分かってきます。それが人間の本当の生き甲斐なのです。


    庭野日敬著『開祖随感』より

     

    人間の本当の生き甲斐とは、自分が人さまに役立てること…なのですね!

    日々暮らしていると、ふと、なんのために生きているのだろうか…なんて思う時があります。

    そんな時は、原点に戻り、人さまに役立てることを考えて実施すれば、いいわけですよ!(誰にともなく)

    2025年1月19日日曜日

    七仏通戒偈

     

     

    突然ですが、仏教の教えは、八万四千の法門があると言われますが、実は、元は以下の3つだと言われています。

    • 諸悪莫作(しょあくまくさ) - 諸々な悪い行いをしてはならない
    • 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)- 多くの善い行いをしなさい
    • 自浄其意(じじょうごい)- 心を自ずから浄めていく

     

    善い行いをする前に、とにかく悪い行いをしないことが重要らしい、そして、「諸悪莫作」と「衆善奉行」は、道徳とイコールで、宗教では、「自浄其意」が要らしいです。

     

    また、この3つを『七仏通戒偈』と言って、七仏は、お釈迦様から過去へさかのぼった七代の仏を指しており、久遠の昔から連綿と受け継がれてきた『戒め』という深い意味があります。


    まとめ

    1に悪い事はしない。2に善い事をしなさい。3に心を磨く。

    仏教は、このワン・ツウ・スリーです!

    そう、仏教って簡単でしょう!

     

    ちなみに、七仏通戒偈は、法華経には出てきていません(^^;;

    2025年1月18日土曜日

    現代版 法華経見宝塔品 二仏同座


    法華経の見宝塔品には、真理を実践するお釈迦様と真理の象徴である多宝如来が虚空で同座するシーン(二仏同座)があります。

     

    現代でも、それを彷彿するシーンがありました。1994年11月第六回WCRP(世界宗教者平和会議)がバチカンで行われた時でした。

     

    ひな壇の一番高い座に席が二つ、一つは教皇ヨハネ・パウロ二世、もう一つは誰が座られるのだろと注目のところ、なんと立正佼成会開祖さまこと庭野日敬氏が導かれて座られたのです。

     

    ここで話しは、29年前にさかのぼります。

    1965年9月第二バチカン公会議開会式に出席された、開祖さまは、時の教皇パウロ六世から『キリスト教が分派を生んだのは歴代の教皇の罪です。いまや宗教が分裂しているときではありません。お互いに手を携えてひとつの平和に向かって進むときです』と身近で聞いて、大きな衝撃を受け、宗教協力は可能だと、このお言葉がWCRP活動へと繋がっていきました。

     

    そして、開祖さまは感激のあまり教皇さまへ、カトリックへ改宗してもよいと、おしゃったとか・・・。オイ!

     

    それを聞いた当時佼成新聞記者の「とある人」さんは、開祖さまに、仏教徒であるのになぜそのようことをおしゃったのですかと問い詰めると・・・。すると開祖さまは一言。

     
    相手を信じきれなくて、どうして自分を信じてもらえるでしょうか・・・。

     

    このように、開祖さまは、教皇パウロ六世と強い信頼関係を築き、教皇パウロ六世は、1978年8月にご逝去されました。

     

    そして、開祖さまは、1994年11月第六回WCRPでバチカンにつくなり、教皇パウロ六世の地下墓所へ一番先に訪れになりましたが、しかし、そこに行く通路がたまたま工事中で、仕方無く、地下墓所の真上辺りの広場で、地面に額をつけて、教皇パウロ六世を参拝されたそうです。それは、霊界にいる教皇パウロ六世と開祖さまがあたかも何かを語り合っているように感じられたとのことでした。

     

    以上、『開祖さま生誕会』で、元佼成新聞記者の元某教会長の「とある人」から聞いた開祖さまのエピソードでした。


    2025年1月17日金曜日

    懺悔経

     

     

    『懺悔経』は、『佛説観普賢菩薩行法経』の愛称で、『法華経』ではないのですが、『無量義経』と合わせて、以下の法華三部経の一部を担っています。

     

    また、法華経には、三大菩薩がほどよく登場します。

    • 序盤は『智慧の文殊菩薩』
    • 中盤は『慈悲の弥勒菩薩』
    • 終盤は『行徳の普賢菩薩』

     

    つまり、法華経の序盤・中盤・終盤は以下のようになっています。

    • 序盤は『十如是』等の法を頭で理解(智慧)することが中心。
    • 中盤は『如来寿量品第十六』等で、法を心(慈悲)で理解することが中心。
    • 終盤は『頭と心で理解した法』を如何に実践(行徳)して行くかが中心。

     

    つまるところ懺悔とは、普賢菩薩の行法実践で、六波羅蜜と七戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不悪口、不綺語、不両舌)を行い、心(魂)の垢を落とすだけでなく、ピカピカに磨いていくことらしいです。

     

    未来は、一瞬一瞬の積み重ねです。いまこの瞬間こそ、汚れた魂をピカピカに!


    尚、懺悔経自体の解説は、またの機会に(^-^;) このタイトル詐欺が〜

     

    2025年1月16日木曜日

    とある婦人部長の説法


     

    RKK教団では、よく信者さんの説法イベントがあります。今回は、とある支部婦人部長さんの説法をご紹介いたします。

     

    その支部婦人部長さんは、一緒に関わっていた、とある部員さんの友人が、病気を悲観して自殺をしてしまって、そのことを通して、自分は人との関わりがうわべだけで、実は上手く行っていなかったのではないのか・・・と悩んでいたのです。

     

    そんな時期に、自分が多摩教区婦人部青梅練成へ参加することになり、行く当日に、急にお腹が痛くなって、4才の娘が『お母さん、お腹大丈夫』と、お腹をさすりながら、行くのを心配してくれたのです。

     

    そして、その青梅練成から帰ってきた時に、自分はすっかりそのことを忘れていたのに、真っ先に娘から『お母さん、お腹大丈夫』と言われ・・・。

     

    この練成中も、ずーっと心配をしてくれていた我が子のやさしさに触れた時に、自分には、このやさしさが足りなかったんだ、と気付く・・・。


    やさしい子供のいる人には、わかっていただけると思いますが、久々の感動の説法でした・・・涙涙涙。

     



    2025年1月15日水曜日

    「布薩の日」とは?

     


    一年後に、なぜ「布薩の日」と云うか、わかりました。RKK某教会では、月の1日と15日のことを「布薩の日」と言います。


    私は、1年ぐらい前に法座(法華経実践の報告会)で質問をしました。『布薩の日ってなんですか? なんで月2回あるのですか?』


    その時は、『昔からそうなんです』的な答えで、はぐらかされてしまいました。そして、一年後、ママの付き合いで久々に某教会の法座に座らせていただきました。


    法座が終わったあと、隣に座った、とあるおばぁちゃんと久しくお話をする機会があり、そこで一年前に質問した答えのメモを頂きました。


    そのおばぁちゃんは、一年前の質問を、その時にわからなかったので、ご自分で調べていたのでした。

     

    私自身は、そのことをすっかり忘れていたのですが、そのメモを渡されて鮮明に思い出しました。

     

    こんな些細な質問を丁寧に調べてくれて、しかも一年後の突然の回答、感動いたしました。ありがとうございます!


    布薩メモ

    比丘たちが半月ごとに行われる布薩という集会。

    仏陀または長老比丘に対して懺悔を行った。

    係の比丘が戒律を一つ一つ読み上げていくうちに、

    もしその箇条にふれる罪を犯したという自覚を気づいたら、

    即座に自らを申し出て内心のひそかなる罪をすべてさらけだし、

    指導者のさばきを待つのでした。

     

    つまり、半月毎なので1日と15日に行い、そして、懺悔を行う日なのですね。また、これは某教会の行事でなく、仏教の行事だったのですね。


    2025年1月14日火曜日

    平和への道

     

     開祖さま(庭野日敬師)の御著書『平和への道』からの引用です。

     

    理屈を抜きにして、とにかく、人に親切にしてごらんなさい。そうすれば、なんともいえぬすがすがしい、美しい気持ちになります。そして、そういう行いを続けていくと、そのすがすがしい、美しい気持ちが、いつかすっかり身につき、自分の徳になってしまいます。そういうふうにして心が変われば、体も、暮らしも変わってくる。

     

    そうなんですね。自分の徳になるのですね。明日から人に親切にしよう!

    そして、暮らしも変わって、貧乏脱出か(^o^)

     

    もしかしたら、タイトルと内容が一致していないかもしれませんが、全ての人に親切が行き届く道程、それこそが平和への道なのですね!


    2025年1月13日月曜日

    大いなる一(ひとつ)


     

    仏の真の教えは、唯一であり、それによってすべての人々、衆生(しゅじょう)が成仏できると説く教法を、『一乗』といいます。

     

    そして、『一乗』の一(ひとつ)は、『真の教え』のことであり、実は、真理そのものを指します。


    つまり、一(ひとつ)は、真理とイコールになり、すべての人が真理に乗ることができると説くのが『一乗』であり『法華経』なのです。


    また、すべての衆生(人間)が成仏(幸せ)になるための菩薩行(実践行)は、突詰めると、正しい行いをすることと仏教(法華経)は説きます。

     

    そう、辛い日々の生活でも正しい行いをしていけば、やがて、大いなる一(真理)が『止』まって『正』になり、さらに『辛』に一が加わって『幸』になるのです。

     

     

    いやー、今回は、我ながら、よくまとまった(^o^)


    2025年1月12日日曜日

    愚かになることの教え


     

    RKK教団(立正佼成会)の開祖さまは、本当の喜びは、自分が救われるのでなく、他人が救われることですと、よくおしゃっていました。

     

    現会長先生は、今の学校では、如何に「賢く」なるための勉強で、そこには、競争や対立が生じてしまう。しかし、仏教では、逆に「愚か」になることの教えで、そこには、「和」が生ずると言われました。

     

    なるほど・・・。だから私は、仏教に向いているのか・・・(^^;;

    なので仏教は、和が生ずるから、世界平和に向いた宗教なんだと思う次第です。

     

    しかしそれにしても、一神教は不和を生み出す宗教ですね・・・

    2025年1月11日土曜日

    信仰とは

    RKK教団(立正佼成会)の某教会の掲示板に貼ってあった開祖さまのお言葉です。


    信仰とは、何事も起こらぬ平穏無事を願うものではなく、
    人生は次ぎから次ぎへ問題が起こってくるものと覚悟して、
    それに立ち向かい、乗越えられる力をつけるためのものなのです。 


    なぜか、今、このお言葉が、心にすーっと入ってくるんです。

     

    次ぎから次ぎへと問題が起こり過ぎて絶望したり、愛する人が突然に亡くなったり、そんな時でも、乗り越えられる力を信仰でつけられるんですね!

     

    もうやるしかない! さー、修行だ〜

     

    2025年1月10日金曜日

    永遠の命

     


    もちろん、人間としての命は有限です。しかし、法華経の如来寿量品第十六に、無限の過去から永遠の未来まで、すべての人へ法を説く仏さまのことが述べられています。

     

    つまり、仏さまは、永遠の命なのです。まぁ、いきなり言われてもにわかに信じられないと思いますが・・・。

     

    そして、仏教とは、仏になるための教え・・・、いや、実は、自分が仏であったことに気づく教えなのです。

     

    つまり、自分も永遠の命なのです。もちろん、人間として生身の命は有限です。あくまでも、魂として・・・。

     

    しかし、そう簡単に「永遠の命」なんて理解できるはずがないと思うのが普通でしょう。だからこそ、日々、法華経を学んで実行し、法華経の極意「永遠の命」を体感したいと思います。


    法華経の極意

    『すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。』



    2025年1月9日木曜日

    法華経は誰が説いたのか?


    『とある先生』ことRKK教団の開祖、庭野日敬氏が初代会長を引退する時に、当時、佼成出版社の記者であった『とある人』は、仕事でインタビューする機会があったそうです。

     

    庭野日敬氏は、あまり知られていませんが、実は、昔から日本には、宗教教団の初代でこれほどおおぜいの信者さんをもった人はいないそうです。数は少なくとも、親鸞、日蓮、達磨等は有名ですが・・・。

     

    ですから、『とある人』は、当然、庭野教の祖師を起こされるんでしょうか?・・・とインタビューすると・・・。

     

    庭野日敬氏は、以下のようにおこたえになりました。

     

    「私が説いた教えなど何もないです。ただ、法華経の教えを説いていただけなのです。」

    「ですので、庭野教などなく、釈尊教団の立正佼成会なのです。」

    「また、釈尊も日蓮も自分の説いた教えなど何もないはずです。」

     

    では、誰が、法華経の教えを説いたのですか?

     

    それは、釈尊がいた時代よりもっともっと大昔よりあり、これから先、未来永劫にまである、普通の人には理解し難い、真理そのものが、実は、法華経なのです・・・。

     

    ちなみに、『とある人』とは、当時、佼成出版社の記者で、後に立正佼成会三鷹教会の元教会長さんです。

     

    教会長さん、いつも、ネタ、ありがとうございます!


    2025年1月8日水曜日

    法華経の実践とは?

     

    法華経は、実践の書と云われています。

    では、法華経のを実践するのですか・・・と問われた時に、即座に答えられないのです。 いや~、盲点でした。

     

    確かに法華経はドラマ仕立てになっていて、いろいろありすぎて、決定的な実践すべきことが、即座に分からないのです。

     

    ですが、とりあえず、思いつくまま述べてみると・・・。

    1. 四諦,八正道,六波羅蜜の流れの実践。(布施と正しい行い)
    2. 法師品での、五種法師の実践。(法華経の受持・読・誦・解説・書写)
    3. 安楽行品での、四安楽行の実践。(法華経を護持し説き広める心がけ)
    4. 常不軽菩薩品での、仏性礼拝行の実践。(アメニモマケズ、カゼニモマケズ、徹底した礼拝行)

     

    1は、法華経というより、根本仏教の教えで、初転法輪のときに説法された、仏教の基本中の基本です。

     

    上記を踏まえて、私が、思いついた法華経の実践とは、以下の通りです。

    仏教の基本である八正道六波羅蜜を実践しながら、法華経を読誦し解説書写し、
    四安楽行を心がけて、相手の仏性を礼拝しながら、法華経を説き広める。
    

     

    上記を実践すれば、『諸法実相(十如是)』『永遠の命』『六通』を会得できるのかなと思う次第です。

    そして、以下の実践の功徳があるとのことです。(in 安楽行品

    • 一切心配事がなくなる。
    • 一切苦痛がなくなる。
    • 徳が自然と顔に現れて、人相がよくなる。
    • 生活にこまることがなくなる。
    • 大勢の人から崇め慕われる。
    • 神からも守護される。
    • いつでも、どこでも、だれにでも、心が自在になれる。
    • 大きな智慧であらゆる迷いの暗黒を打ち破ってしまう。

    これは、もう、実践するしかないですね!

     

    2025年1月7日火曜日

    御親教



     昨日、1/7にRKK教団で『御親教』があると連絡がありました。1/7は、仕事なので行けないのですが・・・


    ちなみに、『御親教』とは辞書に出ていなく、意味がわかりません。また、ウェブ検索してもわかりません。
    なので推察するには、『親しい教え』か、または『親の教え』なのでしょう…。


    実際は、仏教系の宗教の代表者の年頭の挨拶を『御親教』と云っているみたいですね。
    宗教の代表者は、親みたいなもので、年頭に親しく教えを説くので、『御親教』ですかね?

     

    2007/1/7の御親教でのメモがありましたので引用しときます。

     

    今日は、某教会で御親教というイベントがあり、いろいろ善い話を聞いてきましたのでここにメモしておきます。

    • 信仰に自信をもつこと。
    • 人の死にかたは、その人の生きかたが表れる。
    • 亡くなった人へ感謝して生きること。
    • 長所と短所は紙一重。長所は短所にならないように努力し、短所は長所になるように努力する。

    とにかく、自らを信じて、すべてのことにあたる。
    そして、感謝して、すべてのことにあたる。
    そう、『自信』と『感謝』の2本柱で今年は乗り切って行こうと思います。

     

    人の死にかたは、その人の生きかたが表れる。』は、今年の1月2日のブログに書いたばかりですね!まさにそうだと思います。

     

    2025年も、『自信』と『感謝』の2本柱で乗り切って行こうと思います(^o^)

     

     

     

     

    2025年1月6日月曜日

    六通(神通力)


     

    仏道を修行していると、2次的にいつのまにか会得してしまうという6個の神通力(六通)があります。

    • 天眼通 - 普通の人に見えないものを見通す能力
    • 天耳通 - 普通の人に聞こえない音や声を聞くことができる能力
    • 他心通 - 人の心をすっかり見通す能力
    • 宿命通 - 前の世のことを知ることのできる能力
    • 神足通 - 素晴らしい早さでどこにでも自在に行ける能力
    • 漏尽通 - 自由自在に人の迷いを除ける能力

    また、生まれつきそのような神通力を持ち合わせている人もいるようです。 たぶん、そのような人は、前世で仏道の修行をしたのかも知れません。


    しかし、世の中には、このような超能力を全否定する人が結構沢山います。

     

    確かに今の科学では、証明されていないし、疑い深い人は、インチキだと思っていることでしょう・・・。

     

    でも、私は本当だと信じたい・・・


    2025年1月5日日曜日

    悪魔の部屋

     

    みなさんは、決して開けてはならない「悪魔の部屋」をご存知でしょうか?

     

    某小誌にヘルパー養成講師でエッセイストの、認知症介護についてのエッセイの中に載っていた「悪魔の部屋」です。

     

    ある日、認知症の母親を介護している知人から、このエッセイストに「母親を殺してしまいそう!」と電話が掛かってきました。

     

    そのとき、エッセイストは、すかさず、「わかった、今、ロープをもって手伝いに行く」と言ったら、 受話器の向こうから大きなため息と「ありがとう、気持ちが少し落ち着いた」という言葉が返ってきたという。

     

    普通の人なら、励ましの定番「頑張って」と言ってしまうかもしれません。しかし、介護を究極に頑張っている人には、 無意味というより、逆に本当に殺しかねません。

     

    介護は本当に大変です。これは、経験してみないと分からない大変さなのです。このエッセイストは、「心の中に悪魔の部屋を持っていい」と言っています。

     

    悪魔の部屋に「ぽっくり、逝ってくれないか」「どこかに行ってしまえばいいのに」を閉じ込めるのです。

     

    自分がやさしい人だと思っている人ほど、介護される人を憎んだりすることを悪いことだと考えてしまい、ストレスになってしまうのです。 

     

    いいんです。悪いことを考えても、ただし、決して開けてはならない悪魔の部屋の中にだけに・・・。

     

    介護と「悪魔の部屋」の葛藤の積み重ねが、死を大きく包み込み(私達、頑張ったわよね)と思える、 そして、それまでマイナスだと思っていた感情が、大きな愛に変わるのです。

     

    今まさに、介護に疲れた人に、以下のお言葉を捧げます。

    あなたが乗り越えられないような苦労を、神仏はけっして与えられません。
    それは、あなたがそれに耐えて成長していける人だから与えられる試練です。
    いつの日か「あのときの悲しみ、あのときの苦しみのお陰で、いまの私がある」
    と思えるときが必ずくるものです。  By 庭野日敬
    

     

    実は、私も父が亡くなりまでの半年間、父の介護で、妻、妹、叔母が次々にダウンして、最後は、私と長男で食事を作ったり、本当に大変な思いをしました。

     

    私も「悪魔の部屋」に助けられたのです。また、本当にどうしようもないとき、神仏が助けてくれるを・・・実感しました。

     

    どうか、「悪魔の部屋」で気持ちを切り替えて、辛い現実を乗り越えてください。


     

    2025年1月4日土曜日

    供養とは何か?

    家内(ママ)からご仏壇(ご宝前)に、毎朝、必ずお水とお茶を上げてね・・・と言われて、 始めのうちは、いやいやながらでしたが、今では習慣になってしまいました。 当然、寝る前にはそれを下げるのも私です。

     

    このような行いを仏教では、「利供養」といい、 本来、仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為なのです。

     

    私の場合は、そんなことつゆ知らずに、家内から半強制にやらされましたが、 結果的にそういうことだったのです(^^;;

     

    供養こと「仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為」は、 「利供養」とは別に「敬供養」「行供養」があります。

     

    • 「利供養」とは、仏さま(仏壇)へお香・華・水、お茶、ご飯)をたてまつる供養。
    • 「敬供養」とは、仏さま(仏壇)へ読経(法華経等)をし、敬い、賛嘆する供養。
    • 「行供養」とは、仏さまの教え(法華経等)を受持し、実践(六波羅蜜)する供養。

     

    自分で言うものアレだけど、結構、供養している。 でも、供養が「仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為」と言われると、ちょっと意外。

     

    しかしだんだん、自分にも信仰心が芽生えてきていると自覚しはじめている今日この頃です。かつては、大嫌いだったのに・・・

     

    宗教嫌いのあなたへ、神(仏)にすべておまかせする生き方もいいものですよ、とか言ってみるテスト(^o^)

     


    2025年1月3日金曜日

    教えの流れ

     

    初めに、無量義経は、法華経(本経)の開経と呼ばれ、法華三部経の一部を担っています。ちなみに、もう一つは、仏説観普賢菩薩行法経で結経と呼ばれています。

    そして、教えの流れが 開経無量義経の中でお釈迦さま(世尊)への質問にて明らかにされます。

     

    無量義経の十功徳品で、大荘厳という菩薩が世尊(釈尊)に3つの質問をします。

    1. この経典は、いずれの所よりか来たのですか?
    2. 去って、いずれの所にか至るのですか?
    3. とどまって、いずれの所に住するのですか?

     

    世尊は、この質問を褒め称え、以下のようにお答えになりました。

    1. この経典は、本諸仏の室宅の中より来たり。
    2. 去って、一切衆生の発菩提心に至り。
    3. とどまって、諸々の菩薩所行の所に住する。

     

    分かり易く言うと、この教えの流れが、宇宙の万物を生かす仏の心の奥にある真実の慈悲からあふれ出たものですべての人に届きこの法を知ることによって最高無上の悟りを得る智慧に至り菩薩行の実践(行徳)の中に流れが存在し留まる

     

    ・・・ここにも、法華経の3つのキーワード、「慈悲」「智慧」「行徳」が顔を出しました・・・(^o^)

    2025年1月2日木曜日

    人の死にかたは、その人の生きかたが表れる

     


    今日は、2025年1月2日。

    とある1月2日に、とある知り合いのお婆さんが、亡くなりなした。

    このお婆さんは、RKK教団の教えを大変よく実行した方で、お子さんは教会長までしています。


    元旦に親戚がみんな集まり、子供や孫、ひ孫達との団欒後、その日の夕方に気分が悪くなって、あくる日に、大きく息をしたあと急死したとのことです。


    元旦までは、お元気だったとのことです。


    急死ということで、大変驚きがあったのですが、ある意味、まわりに全く迷惑を掛けずに、親戚全員に見守られながら亡くなったのです。


    実は、その後、別の年の同じ日の1月2日に私の父が亡くなりました。それはそれは、亡くなるまで大変でした。妻、妹、叔母さんまでもが看護で次々ダウンし、最後は私と長男が食事を作って看護・・・

     

    『人の死にかたは、その人の生きかたが表れる。』という言葉、まさに真実です。実感をもって聞きました。

     

    私は、父を反面教師にして、ワガママをせず、周りに迷惑をかけないように(特に妻と子供達へ)、良い死にかたができるように生きていこうと思います。


    2025年1月1日水曜日

    今日は元旦、法華経ブログ毎日更新

     

     

    明けましておめでとうございます。

     

    さて、今年は、「法華経ブログ」を毎日更新したいと思っています。

    本ブログのブロガーシステムには、下書きとスケジュール機能があります。

    ネタを下書きし、スケジュール機能で毎日5:00に配信していきます。

     

    しかし、このブロガーは、よく出来ていて、しかも無料で、広告も出ない!

    元プログラマーには、凄く使い易く、マジで、素晴らしいシステムです。

    アンドロイドスマホで撮った写真が、即ブログに貼り付けできるし・・・凄い。

     

    この素晴らしいブロガーで一年間 法華経ブログの毎日更新を頑張ってみます。

    本年もよろしくお願いいたします!

     


    追記

    昭和生まれの人へ、今年は昭和100年になるの知ってましたか!
    昨日、picoちゃんのひいばぁちゃん(90歳)が来てそう言ってました。