2025年3月21日金曜日

釈尊のいぶき:無量義経十功徳品第三 (その8)


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-5/


 

・経文(「釈尊のいぶき」での抜粋)

(のたま)わく、(なん)()に、

せざるをしてさしめ、

(にん)なきにはさしめ、 

(せつ)(りく)にはさしめ、

ずるにはさしめ、 

あるにはさしめ、

慳貪には布施さしめ、

にはさしめ、

(しん)()んなるには忍辱(にんにく)さしめ、

()(だい)ずるにはさしめ、 

にはさしめ、

にはさしめ、

(いま)(かれ)()すること(あた)わざるにはするさしめ、

ずるにはさしめ、

(ねが)には(こころざ)さしめ、

退あるには退()さしめ、

()にはさしめ、

にはさしむ。

(なん)()れを(なづ)く。

 

・訳文

さまはこのようにおきになりました。このには第一に、のようながあります。

まず、えをんでいても、まだ心底からたいというこしていないに、心底からりをたいというこさせます。

また、せにしてあげようという気持ち(()(にん))のないには、()(しん))をこさせます。

しめたり、したりすること((せつ)(りく))をには、かわいそうだとや、しんでいるけてあげたいという(だい)()(こころ))をこさせます。

自分よりすぐれた幸福そうにえる(ねた)(しっ)())をじるくせのあるは、さまのではみな平等人間であるということがわかり、その真理発見するからのび((ずい)())がこるために、気持ちがなくなります。

さらに、地位財産するなどに必要以上(あい)(じゃく))しているため、ったないをしたり、自分しめているは、てるときにはいつでもてることができるという、とらわれのないのびのびとした気持ち((のう)(しゃ))をつようになります。

また、もの()しみするや、むやみにしがる(けん)(どん))がかったは、のために(ほどこ)そうという()())がわいてきます。

自分っている、ないにもまちがいはない、というおごりぶった(きょう)(まん))のも、このえをけば、自分ないのまちがいがえてくるために、えられためをって修行しようという謙虚()(かい))になります。

自己中心から、すぐをたてるくせのある((しん)()は、どんなことがきてもりやみのこさなくなります((にん)(にく))。

けたり、つまらぬことにんでいる(()(だい)も、自分むべき真剣むようになります((しょう)(じん))。

まわりの状況変化するたびにれ、動揺する((さん)(らん)も、このえをけば、変化している現象もその本質においては大調和しているという真実がわかってくるので、いつもかで安定した(ぜん)(じょう))になります。

のことしかえず、あとさきの分別ができない(()()は、智慧くことで道理がよくわかり、みきってきます。

ほかのってあげよう((かれ)()する)というをまだこしたことがないでも、自分だけがこのきているのではないということがわかるので、自分他人一緒われなければ、ほんとうのせはないという真実目覚め、ほかのおうという気持ちが自然とわいてきます。

また、いろいろなない((じゅう)(あく))をするには、それらの悪行をすべてったらかな境地しようという(じゅう)(ぜん))をこさせます。

現象面幸福ばかりをって右往(うおう)左往(さおう)している(()()(ねが)う)は、現象世界にあるいなるいのちにかされているという事実目覚め、自己中心ではない()()(こころ))がじます。 

信仰心があともどりする(退(たい)(しん)傾向のあるは、一歩退くことのない不動信仰心()退(たい)(こころ))がきてきます。

のおもむくままにものごとをなう(()()()す)は、真理にそってものごとをなう()()(こころ))がこります。

さらに、煩悩く、しめているには、真理つめることによって、煩悩をなくしてしまおうという(じょ)(めつ)(こころ))をこさせます。

これがこの第一功徳なのです。 

 

・補足

は、妙法蓮華経法華経(ほけきょう))をおきになる直前説法されたえです。

法華経無量義経からってこそ、ほんとうによく理解できることから、法華経ばれています。

無量義経第一第二第三構成されています。

徳行品は、釈尊完全円満な「」といきる「」のすばらしさを(さん)(たん)したです。

説法品は、釈尊ということをおきになった、無量義経理論的中心となるです。

功徳品は、説法品かれたえをほんとうに理解し、実践したける功徳けてかれます。

今回ご紹介した経文は、功徳品第一功徳部分ですが、第一功徳だけでも、これほどたくさん(17個も)あるのです。


2025年3月20日木曜日

お彼岸



今日は、3月20日春分の日です。そう、お彼岸です。お彼岸は、超簡単に言うと先祖供養をする日です。先祖というと大昔のことのように思いますが...、実は、一番身近な先祖は親だったりします。まして、お子さんがいる人は、自分が先祖だったりします。

 

たとえば、子供から親孝行をされた時は、言葉では言い表せないぐらい嬉しいものです。また、親は無条件で子供たちの健康と安全をいつも見守っています。


また、よく考えると、子が親を思う親孝行って、私たちが先祖を思う先祖供養と同じなのですね。ですから、先祖供養は、ご先祖さまが、言葉では言い表せないぐらい嬉しがっているはずなんです。


そして、親が子を見守るように、ご先祖さまは、無条件で私達の健康と安全をいつも見守っているんです。ちなみに、読経や念仏によって得た功徳を故人に回し向けるを「回向」と言います...。


先日、こんな話しを聞きました。

 

ある母と娘がいました。娘は亡くなったお祖母さんが大好きでした。 娘は、小学校である賞をもらい、家に帰るとすぐ、お祖母さんに知らせたく、 仏壇に賞状をお供えました。 すると、ろうそくの火がゆれたのです...。 それを見た娘は、「お祖母ちゃんが喜んでいる、喜んでいるよ!」と言いました。 母は、きっとそうね、きっとそうね、と娘を抱きしめました...。

 

情景が浮かんで・・・涙涙・・・

2025年3月19日水曜日

なぜお彼岸は年二回あるか?


もう、お彼岸ですね!

お彼岸について少し調べてみました。

 

まず、お彼岸とは? 大辞林(国語辞典)より

(1)春分の日・秋分の日を中日(ちゆうにち)とする各七日間。また、この時期に営む仏事。俳句では、彼岸といえば春彼岸のこと。[季]春。

 

と、いうことです。しかし、春と秋に「なぜお彼岸は年二回あるか?」疑問に思いませんか。そこで、この素朴な疑問を調べてみましたが・・・。

 

結論からいうと、はっきりとは、分かりませんでした。

 

しかし、なんとなく、以下の感じです。

ご存知、日本は昔から農業の国です。春に「どうかたくさんの作物が実りますように」と祈り、秋には「たくさんの作物がとれました」と、お日様に感謝する習慣がありました。

つまり、春、秋、年二回、お日様に感謝を願うのです。そう日願(ひがん)です。

 

一方、仏教では、仏の世界(悟りの境地)へ行くことをサンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、日本語で「かなたの岸」として「到彼岸」となり、略されて「彼岸」となりました。

 

そう、ここに、日本の習慣である「日願」と仏教での「彼岸」がクロスオーバーして、春、秋、年二回に「彼岸」が行われるようになったらしいのです・・・。

 

そして、現在は、すでに仏の世界へ逝っている人(ご先祖様)をご供養する日に、お彼岸は、なりました。

 

また、悟りの境地になる「到彼岸」は、サンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、そのための修行が6通りあり、それを六波羅蜜といいます。

 

波羅蜜は前に解説していますので、そちらを参照してください。

2025年3月18日火曜日

釈尊のいぶき:開経偈(その7)

 


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-4/

 

・経文

()(じょう)(じん)(じん)()(みょう)は、にも()()たてまつることし。
(われ)(いま)(けん)(もん)することをたり。わくはせん。

 

・訳文

さまがおきになられた、このうえもなくく、非常奥深い、そしてわしようもないほどすぐれたえは、きわめて年月がたっても、なかなかめぐりうことのできないものです。

それほどありがたいえに、いまめぐりい、信仰するとなりました。このうえは、めてし、さまのおきになった根本真義をしっかりとつかませていただきます。


・用語

仏さまの悟りの根本の真義で「無常」の法です。


・解説

人間として生まれ、遭いかたぎ仏法に遭うことができ、その教えを受持できる喜び、その感激から生まれる「仏法の奥義を必ずつかませていただきたい!」との力強い決意、それを表すことこそが開経偈なのです。

道場観から始まり、三帰依、勧請、この開経偈で、イントロが終わり、やっと無量義経、法華経と本編に入っていきます。ご期待ください!

 

2025年3月17日月曜日

釈尊のいぶき:勧請(その6)

 


・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-3/


・経文

()(おん)(じつ)(じょう)




南無日蓮大菩薩
南無
南無

(じっ)(ぽう)()(りょう)(しょ)(てん)(ぜん)(じん)
(らい)(りん)(よう)(ごう)()(けん)(しょう)(らん)

 

・訳文

宇宙大生命である()(おん)(じつ)(じょう)で、そのわれとして人類救済のために真理いてくださった大恩ある教主釈尊よ。


法華経えの真実証明されるよ。


宇宙大生命分身であり、過去現在未来じて、こののあらゆるにおでくださる諸仏よ。


すべての救済しようとされた四大菩薩よ。


釈尊のお実践)のきを象徴するをはじめとする菩薩方よ。


くの困難えて、法華経めてくださったよ。


法華経世界信受して本会創立してくださり、菩薩し、法華経導師であられたよ。


開祖さまののもと、人心救済教化しまず、菩薩じてご証明されたよ。


菩薩実践むようにと守護してくださる神々よ。


こののあらゆるにいらっしゃり、びとをってくださる神々よ。

 

どうぞこのにおでくださり、このにしてください。そして、たちのるぎない信仰への真心をおとおしください

 

 

・用語

()(おん)(じつ)(じょう)

寿で、「は、はかりしれないほど無限過去成仏してから、ずっとこの宇宙のいたるにいて説法し、し、いてきたのだ」とおきになられます。釈尊のほんとうのすがた本仏は、このように時間的空間的無限存在であることをわしています。 

菩薩(ぼさつ)

智慧りをようとして修行しながら、びとをうことにも努力されているのこと。

()()(さつ)

摩訶とは「」、は「」という意味ですから、直訳すると、きなを持ったということになります。つまり大菩薩です。

 

・解説

勧請では、弟子となった私たちが、本仏釈尊をはじめとする諸仏、諸菩薩、開祖さま、脇祖さま、ご守護くださる神々に対し、お経を読誦させて頂くこの場へのご来集をお願いいたします。そして、真理の光を心の奥底まで差し込ませ、本仏釈尊と一体になる清らかな心境を作らせていただきます。

2025年3月16日日曜日

燈明日記ブログ: タイピング速度の目安と上げるには?

燈明日記ブログ: タイピング速度の目安と上げるには?:   毎日、タイピングランドでタイピングの練習をしています。 で、今の自分のスピードが、なかなか速くならず、どのレベルか気になり調べてみました。 結論から言うと、まぁ普通でした(^^;; タイピング系の仕事でなければ、一分間に80文字なので、今、約100文字なので軽くクリアーできて...

釈尊のいぶき:三帰依(その5)

 

・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-2/


・経文

(みずか)
(まさ)わくはに してさん


わくはに って智慧くならん


わくはに してならん

 

・訳文

たちは、であるさまにいたします。
そして、すべてのたちとともに、宇宙真理体得し、りの境地することをいたします。
 
たちは、さまのおきになったみえにいたします。
そして、すべてのたちとともに、いみえのにある根本真理をつかみ、大海のようにいほんとうのることを誓願いたします。

たちは、信仰者結合体(僧=サンガ)に帰依いたします。
そして、わくはびとをすべて仲間にし、けへだてなくい、そのサンガをげ、前進させていくことを誓願いたします」

 

・用語

 

その存在絶対的なものとじ、のよりどころとし、すべてをおせすることです。

一切無礙ならん 

一切自由自在になるだろう

無上意(むじょうい)

これ以上ない、最高の状態であることを意味します。


・解説

仏とは、全ての存在を生かす、根源の大いなる命です。楽しいこと、悲しいこと、辛いことなど、全ての出来事の中に、仏さまの広く深い慈悲が込められていて、親として私たちの成長を願ってくださっています。

法とは、三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)のことで、心や行いを、この法のレールに沿わせることができれば、自由自在に生きていけるのです。

僧とは、僧伽(そうぎゃ)の略で、語源は「密接な結合」と云う意味で、釈尊の仏法を信じ行じる人々の和合の姿を云います。そして、お互いに励まし合い、助け合い、教え合って、信仰を深めていくことができるのです。

2025年3月15日土曜日

釈尊のいぶき:道場観(その4)



・はじめに

立正佼成会会員がほぼほぼ朝夕に読誦する所依の『経典』は、法華三部経のエキスをまとめたものです。それを分かりやすく解説した本が「釈尊のいぶき」です。本コンテンツは、その「釈尊のいぶき」の一部の解説サマリーです。

そして、本コンテンツの一番の目的は、所依の『経典』の内容理解です。

尚、本コンテンツを作成するに当たって以下のページを大変参考にさせていただきました。

https://www.kosei-kai.or.jp/official/faith/creed/creed-4-1/

 

ちなみに、法華三部経とは以下の3つのお経をまとめてそう言います。

  • 無量義経
  • 妙法蓮華経
  • 仏説観普賢菩薩行法経

 

・経文

(まさ)るべし、()(ところ)(すなわ)なり。

諸仏此(しょぶつここ)(おい)()(のく)()()(さん)(みゃく)(さん)()(だい)諸仏此法輪じ、諸仏此したもう。

 

・訳文

いまこそはっきりとるべきです、この場所こそが、悟りをいた場所じなのです。

そして、諸仏がこの場所で、まさに最高智慧られた場所であり、諸仏永遠えをかれる場所であり、諸仏される(くなられる)場所なのです。

 

・用語

()(のく)()()(さん)(みゃく)(さん)()(だい) 

智慧りのこと。
 

法輪 

くことを意味します。
 

いやみをすっかり消滅して、永遠煩悩にまどわされることのなくなったらかなりの境地のことです。(はつ)()(はん)とは、完全涅槃るという意味です。

 

・解説

いま、御宝前に向かっているこの場所が、釈尊や諸仏が一生を送られた場と同じなんだ、ここで法を説いてくださっているんだ、ここが私の道場なんだ、と云うこと。

道場観は、私たちと仏さまがいのちの親子として「大きな一つのいのちを生かされて生きている」と云う一体感を深く心に刻み込むために唱えるのです。

補足:仏法では、仏さまが親で、全ての人は、みんな仏の子で、親子関係があるのです。なぜなら、この宇宙そのもののいのちが仏さまそのものだからです。

2025年3月14日金曜日

釈尊のいぶき:はじめに(その3)

はじめに

朝夕に読誦する立正佼成会の所依の『経典』は、法華三部経のエキスをまとめたものです。

ちなみに、法華三部経とは以下の3つのお経をまとめてそう言います。

  • 無量義経
  • 妙法蓮華経
  • 仏説観普賢菩薩行法経


尚、立正佼成会については、以下をご覧ください。


立正佼成会の所依の『経典』には、以下ことが説かれいます。

  • 宇宙の絶対の真理・法の働き
  • この世はどのように成り立っているのか
  • 人間とはどのような存在なのか
  • 人間本来の生き方とはどのようなものなのか

 

また、仏さまの眼でこの世界を見ると、すべてが1つの大いなる命と一体で、不幸な人がいるかぎり自分の本当の幸せもないと説かれています。

 

しかし 、経文にはむずかしい言葉が並んでいて、容易に理解することはできません。そこを分かり易く、開祖さま、会長先生は、噛み砕いてくださったのです。


それを、立正佼成会教務部でまとめあげたのが『釈尊のいぶき』なのです。


むずかしい経文(経典)とそれを噛み砕いてくださった解説(釈尊のいぶき)を対比しながら学習し理解し・・・

 

毎日朝夕に『経典』を読誦して、ご先祖さま方に感謝の真心を捧げるのが最大の供養と言えるでしょう。

 

『経典』を読誦し『釈尊のいぶき』で理解して、人格完成と寂光土建設の願い成就に向かって、たゆまぬ歩みを続けて参りましょう!


とりあえず、ご著書『釈尊のいぶき』が無くても、本ブログを読んで頂ければ、経典を理解して頂けると思います(^O^)v


「釈尊のいぶき」の購読は、以下のリンク先で

 

2025年3月13日木曜日

釈尊のいぶき:目次(その2)

 

 

これからアップしていく「釈尊のいぶき解説サマリー」シリーズは、まずは、これを法華経ブログで取り上げた経緯を「プロローグ」へ書きました。あとは、目次順に解説していく予定です。

 

尚、「釈尊のいぶき」のご著書は、立正佼成会の経典の解説本です。本ブログは、その解説本のサマリー解説です(^^;;

 

尚、立正佼成会については、以下をご覧ください。


尚、「釈尊のいぶき」は、以下のリンク先で購入することができます。


以下は、「釈尊のいぶき」の目次です。

 

ちなみに、今後、目次通りの順番に解説して参ります。そして、各々の解説をアップしたら、そのリンク情報もこの記事に追加更新して行きたいと思っています。


では、ご期待下さい(^o^)

大丈夫か 自分(^-^;)

2025年3月12日水曜日

釈尊のいぶき:プロローグ(その1)

 


これまで法華経ブログを読んで下さった方、ありがとうございました。

 

実は、今までの法華経ブログネタは、旧燈明日記(1998年〜)の過去ログをアレンジしてアップしたものでした(^^;;

 

これからは、「釈尊のいぶき」と言う御著書を新たに勉強し、そして、それを理解し、内容をまとめてわかりやすく、法華経ブログにアップしていきたいと思います。 

 

「釈尊のいぶき」とは、立正佼成会教務局が企画編集し、佼成出版会社から出版されています。 


ちなみに、発行者は、「とある人」こと、三鷹教会の元教会長で、佼成出版社の元社長の岡部さんみたいです・・・(汗)かつては、お世話に成りました。


なぜ、「釈尊のいぶき」かと言うと、以下の感じです。

 

  • 仏教の最高最強の経典ある法華経のエキスが余すこなく注ぎ込まれている…はず(^^;;
  • 実は、R K K教団(立正佼成会)の朝夕読誦経典の解説本で、実に分かりやすい(^o^)

 

佼成会会員は、毎日、朝夕に法華経抜粋の経典を読誦しているわけですが、漢文や古い漢字の羅列では、理解するには難しく限界があります。

 

そこで、その経典の解説本である「釈尊のいぶき」で、経典完全理解を目論んだわけです(^^;; 

 

と言うことで、当分、法華経ブログは、「釈尊のいぶき」の解説サマリーシリーズになります。ご期待ください・・・いや、期待に応えるように努力します(^^;;

 

続きリンク

 

「釈尊のいぶき」の購読は、以下のリンク先で

2025年3月11日火曜日

『朝夕のご供養』とは

立正佼成会では、『朝夕のご供養』がすべての修行の基本です。

それは、朝起きてからと、寝る前に、法華経の抜粋(経典)を読誦します。

尚、立正佼成会については、以下をご覧ください。


また、法華経の抜粋の経典には、その解説本である「釈尊のいぶき」もあります。

その解説本「釈尊のいぶき」は、以下のリンク先で購入することができます。

 

 

では、ここからが本題です。

朝夕のご供養は、経典の内容通りに、以下の順序で読誦します。


ちなみに、法華経抜粋は以の各品からになります。


尚、上記の詳細な解説は、「釈尊のいぶき:xxx」のシリーズで解説する予定です。明日3月12日から配信していきます!


『朝夕のご供養』は朝夕で2回が基本ですが、私の場合、実は寝る前の1回になっています。不良会員なので・・・(^^;;


寝る前に法華経を読誦しながら、その日を振り返り、今日一日無事に過ごせたことに感謝を祈るのです。特に、孫のピコちゃんの健康と安全を祈り念じます。

 

仏教の功徳は、現象が良い方向へ変わることと考えがちですが、実は、むしろ何も変わったことがないのが功徳である場合が多いのです。


ということで、今日も家族みな何ごともなく過ごせました。あぁ功徳功徳…。


そうそう、お経を読誦していると、子守唄と同じ効果あり、ご供養のあとすぐ寝付けることも功徳ですね!


いつも書いてますが、夕食後4時間は何も食べず、熱めのお風呂に入って、ご供養して寝る。これ、立派な健康法になりまよ!みなさんも是非どうぞ!

2025年3月10日月曜日

立正佼成会経典内容解説開始

 

3月12日から、4月の初めまでは、立正佼成会の経典の内容 を解説する予定です。


実は、そのコンテンツは、すでに全て準備済みで、ひとつずつ公開して行きます・・・そう、立正佼成会経典内容の解説開始です(^o^)

 

尚、立正佼成会については、以下で紹介済みです。

 

また、立正佼成会の経典については、基本、法華経の抜粋で、その解説本「釈尊のいぶき」があります。


その解説本「釈尊のいぶき」は、以下のリンク先で購入することができます。

 

すでに準備したコンテンツは、解説本「釈尊のいぶき」の解説サマリーになっています。

 

なぜ、経典解説をブログにしたかというと、意味も分からず読誦するのではなく、意味も理解できたら、気持ちがいいのかなと思った次第です(^o^)


多分、佼成会の会員さんにとって、大変ためになる内容になっていると思います。


会員以外の皆さんにも、法華経の真髄がわかる内容になっていて、一読の価値はあると思います(^^;;


ということで、これから当分、立正佼成会経典である法華経最高エッセンスの解説をお楽しみください!!(^o^)


全然関係ないけど、今日3月10日は、29歳で結婚して40年目、長男が12月に40歳で、私は7月に70歳。40年目の結婚記念です(^o^)


子供は3人とも各々独立して、特に次男夫婦には可愛い可愛いお孫ちゃんが生まれて、今は、お孫ちゃんといる時間が一番の幸せな時間ですね(^o^)

 

40年目の結婚記念に、ある意味、正式に立正佼成会会員をカミングアウトかな・・・(^^;;;


新興宗教などの宗教に嫌悪感のある人もいるかも知れません。強制のない初期仏教教団のような立正佼成会なら大丈夫ですよ・・・と、とりあえず言ってみる(^o^)

2025年3月9日日曜日

幸せを呼ぶ『飛田給ガール』

 


2007年5月頃に京王線で調布駅から分倍河原駅に通っていた時に遭遇したことを、旧燈明日記に書いた記事なんだけど、凄く印象に残っていたので、法華経ブログでも掲載することにしました。


京王線の飛田給駅8時05分着の電車で、一番最後の車両の一番奥のドアにいつもいる少女。
この少女は、飛田給駅に着く寸前に『とびたきゅ〜』と大声で叫び、そして、降りる少女です。


この車両に乗っている人々は、今では、皆、その瞬間を心待ちにしています。
そして、なぜか、その声を聞くと、一日が幸せにすごせるような気がするのです。


先日、私は少女の横にいました。そして、飛田給駅に着くと、その日はなぜか、蚊がなくような小さな声で『とびたきゅ〜』と言ったのです。
ですので、たぶん私以外は、その声は聞こえませんでした。


すると、車内は騒然、『え〜!なんで言わないの!』と言う声があっちにもこっちにも。
高校生の男子グループなどは、『俺、今日は駄目だ、あの声を聞かないと元気でない…どうしよう…』


そう、少女はすでにその車両の人々を幸せにするアイドルになっていたのです。
人は、その少女を数学ガール(書名)でなく、飛田給ガールと呼びました(少なくとも私はそう呼んでいます)。


あなたも是非、飛田給駅8時05分着の一番最後の車両に乗ってみてください。
飛田給ガールの幸せの声を聞いてみてください!

 

記憶では、見るからに知的障碍者の少女でしたが、車内を和やかにする天使のような女の子でした。今でも強く印象に残っています。ありがとう・・・飛田給ガール。今はどうしているんだろうか・・・

2025年3月8日土曜日

燈明日記ブログ: 法華経ブログ毎日更新敗北宣言

燈明日記ブログ: 法華経ブログ毎日更新敗北宣言:   今年一年間、法華経ブログを毎日更新すると、元旦に宣言しましたが、その敗北宣言です! 今日は元旦、法華経ブログ毎日更新   4月の中まではコンテンツを用意できましたが、もうネタ切れで、ブログアクセス数も増えず、モチベーションも駄々下がりです(^^;;; 4月の中からは、毎日更新...

諸法無我に思う

 

 

仏法には三法印とか四法印という仏教の旗印があります。その法印内の一つ、「 諸法無我」について、思うところがありました。

 

「 諸法無我」は、文字通り「すべての事象や存在は無我である」という意味を持ちます。すべての事象や存在に我がないというイメージは、全てがつながっていると解釈していいですか・・・


人間の体は、物質レベルで見たときに、酸素・炭素・水素などの元素から成り立っています。
これらの元素は、すべて地球上の元素からきています。

 

別の言い方をすると、すべての人間は地球上の元素から出来ていて、地球上の元素を食べて生きていき、亡くなったら地球上の元素に戻りますね。
 

つまり、物質レベルで見たときに、すべての人間は、つながっているのです。
また、地球上の元素から生まれ、死んで地球上の元素へ戻る…つまり生死を繰り返して、永遠の命なのですね。

 

魂とかのよくわからない概念でなく、地球上の元素で考えると、空間的繋がりや時間的永遠の命がわかるような気がしたので、ブログに書きましたです(^^;;

 

宗教素人の戯言です・・・すみません、誰にともなく

 

2025年3月7日金曜日

警備業は菩薩行!

私は老施設警備員です。


日々警備業をこなしていく上で気がついたことがありました。それは、警備での仕事の行が、実は菩薩行そのものなのです。


『菩薩行』とは、『六波羅蜜』の実践です。
『六波羅蜜』とは、簡単に紹介すると以下の通りです。

  • 布施 - 精神的、物質的、肉体的にあらゆる面から人に尽くすこと。
  • 持戒 - 謙虚に教えを守り、人格完成の努力をすること。
  • 忍辱 - 他に対して寛容であり、どんな場合でも平静心を保つこと。
  • 精進 - 本来の使命にむかって、人格完成の努力をすること。
  • 禅定 - どんな事が起こっても動揺しない、平静心をえること。
  • 智慧 - どんな場合でも、真理に沿った道を選ぶことができること。


どうですか?
そこの警備員さん!
まさに、警備業は『菩薩行』そのものですね!!


警備流に六波羅蜜を解釈すると以下の感じになりますかね。

  • 布施 - オーナーやお客様はもちろん、同僚や施設に関わるすべての人に、いろいろと尽くします。
  • 持戒 - 警備員は特に犯罪などに関わらないように、施設の規則を守ります。
  • 忍辱 - どんなクレームに対しても寛容であり、どんな場合でも平静心を保ちます。
  • 精進 - 警戒と鍵管理を完璧にやり、非常時(発報時)対応の勉強と訓練に努力をします。
  • 禅定 - 非常時(発報時)にどんな事が起こっても動揺しない、平静心をえるように努力をします。
  • 智慧 - どんな場合でも、真理に沿った、正しい道を選ぶことができるように努力をします。


仏教界では、『菩薩行』とは、仏になる修行の『行』です。
我々一般人が『仏になる』ということは、人格完成を目指すことです。


つまり、警備員さんは、安い給料でも文句を言わず、人様に尽くし、人格完成を目指して頑張っている、素晴らしい人達なのですよ!
 

いや〜、警備員になってよかった!
これからも、人格完成を目指して日々頑張ります!!

 

2025年3月6日木曜日

正定聚の力

 


仏教では、社会を構成する人々を3つの種類に分類しています。


  • 正定聚(いつも正しい心を持って、善をなす人々の集まり)
  • 邪定聚(いつも邪心を持って、悪をなす人々の集まり)
  • 不定聚(正定聚に接すれば正定聚に、邪定聚に接すれば邪定聚に、心や行いが定まらない人々の集まり)


施設警備の現場では、禁煙エリアなのに喫煙、吸殻のポイ捨て、ゴミのポイ捨て、自転車の不法駐輪、バイクの不法駐車、弁当食べ残し放置、嘔吐物放棄、糞尿物放棄…。
モラルの無い人、ルールを守らない人、まさに、施設警備の現場では、邪定聚(じゃじょうじゅ)の人が一杯居ます。


なんとか、私たち警備員が、いつも正しい心を持って、清掃や注意勧告をして、邪定聚の人を正定聚(しょうじょうじゅ)に引き入れようと…まぁ、不定聚(ふじょうじゅ)の人は、結構、引き入れていると思いますが、どうなんでしょうか…。


正定聚の力で、不定聚と邪定聚の人達をなんとか善に目覚めさせる方法はないものでしょうか?
なんて、思いながら、いつも巡回をしている今日この頃です。特に、吸殻のポイ捨てを撲滅する妙案は、ないものでしょうかねぇ……。

 

しかし、人間社会の正定聚、邪定聚、不定聚の関係は、腸内環境の善玉菌、悪玉菌、日和見菌の関係と同じですね。今気がつきました(^^;;

2025年3月5日水曜日

「とやせん」とは


 

妙法蓮華経 化城諭品 第七を読誦していると気になったフレーズがありました。

『大徳の天の生ぜるとやせん、仏の世間に出でたまえるとやせん』等で何回か「とやせん」というフレーズに遭遇します。
これ、ちょっと気になったので、ネットで調べて見ました。

 

「とやせん」とは、「と」は接続助詞。「や」は詠嘆・反語の係助詞。「せ」はサ変動詞「為(す)」の未然形。「ん」は「む」の変形で推量を表す助動詞です。ですので、この部分だけで「どうしようか?どうしようもない」と現代語訳になります。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1470035774

 

また、最近流行りの AIくん に聞いてみると

「仏の世間に出でたまえるとやせん」という表現での「とやせん」は、仏教の文献や経典で見られることが多く、特に法華経の文脈で使われることがあります。この「とやせん」は、日本語の古典的な表現で、「どのようにして」「どのような形で」という意味を持っています。


ということで、「とやせん」は、「どうしようか?どうしようもない」とか「どのような形で」ということでした。

2025年3月4日火曜日

弥勒菩薩の如く

 

私はもうすぐ70歳になる老人施設警備員なんですが、最近、特にもの忘れが多く悩んでいると、以下の一節を見つけました。

 

妙法蓮華経 序品 第一」で弥勒菩薩の過去世についての記述があります。

文殊菩薩が過去世で妙光菩薩だった時 八百人の弟子たちのなかに、求名(ぐみょう)と呼ばれるものがいた。
名利を求め、名声を博したいと願っていたが、経を読んでも理解できず、すぐ忘れてしまう。
しかし、求名は一念発起して善行を積み、数えきれないほど多くの仏に仕えてきました。
弥勒よ、その時の妙光菩薩は、誰あろう他ならぬこのわたし(文殊菩薩)なのです。
そして、すぐ忘れてしまう求名は、あなた(弥勒菩薩)だったのです。

 

このクダリを読んだ時に、警備の仕事で、すぐ忘れてしまう今の自分と重なり、凄く弥勒菩薩に親近感を感じました。


私も一念発起して善行を積み、警備菩薩を目指します(^o^)

 

ちなみに、老人性の物忘れと認知症の物忘れの違いは、以下の感じです。

例えば、前日にAさんとあったとします。

  • 老人性の物忘れの場合、Aさんと会ったのは覚えているのですが、名前が思い出せない。
  • 認知症の物忘れの場合、Aさんと会ったこと自体を全く忘れる。

とのことです。 

私は、どうやら、まだまだ認知症ではない感じです(^^;;;

2025年3月3日月曜日

すべてに感謝の気持ち

先日、月に2度の整体の日で、治療を受けてきました。

治療の部屋にカレンダーがあり、そのカレンダーに『食べ物は、感謝して頂けば、胃腸の病気になることはない』という格言が書いてありました。


いやー、過敏性腸症候群は精神的なものが原因で、会社でのストレスだと思っていましたが、整腸剤を飲んで腹巻きをすれば、ある程度よくなるし、もしかしたら、食べ物に感謝をしていなかったのかなぁ・・・と思えてきました。

それから、整腸剤(ビオスリー)を飲み出してから、花粉症が良くなった気がします。

今の時期、周りでは、花粉症で苦しいとの話しで持ちきりですが、今のところ、私は全く大丈夫です。40年以上患った花粉症が治った?

食べ物に感謝して、腸を整えて、体調も花粉症も調子良く、感謝感謝です。

 

それとは別に以下にも感謝ですね。

  • このリストラ時代に、契約社員でずーっと働けるのも感謝感謝。
  • 会社にいる嫌なヤツも、私をいろいろと成長させてくれるので感謝感謝。
  • 仕事でのミスにも、私をいろいろと成長させてくれるので感謝感謝。
  • 大嫌いな親父も、家を残して亡くなってくれた・・・感謝感謝。
  • 朝、目が覚めて、息をしていた・・・有り難い・・・感謝感謝。
  • まわりに、気のやさしい家族がいる・・・感謝感謝。
  • 可愛い孫が生まれてくれた・・・・感謝感謝。

 

とにかく、『すべてに感謝の気持ち』を持って生きていけば、健康で良い人生が送れそうですね(^o^)

 

2025年3月2日日曜日

燈明日記ブログ: 善意の幼児虐待

燈明日記ブログ: 善意の幼児虐待: 昨日は、 ピコちゃん の初節句を行いました。 2月9日が一歳の誕生日だったのですが、ここのところ、人見知りが激しく、爺婆が抱っこすると泣き止まない状態でした。 また、次男のお嫁さんのご家族が、田舎(島根県)からお祝いに東京に来ました。 次男に呼ばれた時間に次男のアパートに行くと、...

怒りの源泉

 

先日、整体に行ったとき、予約時間から1時間20分も待たされて、怒りがこみ上げてきて、帰ってきてしまいました。

私は、あまり怒らない性格で、自分でもこのことが、すごく驚きでした。


待たされたぐらいで、なんでこんなに怒りがこみ上げてきたのだろうかと、不思議でなりませんでした。
で、いろいろ原因を推察すると、仕事でのストレスが原因ではないかと辿り着きました。


その日は、貴重な公休日で、家内が予約を取ってくれて、整体に行ったわけです。
ちょっと離れている駐車場に駐車区画が2つあり、1台づつ置けるのですが、両方とも先客があり、空くまで待機をしていました。
そして、予約時間を過ぎても駐車区画がなかなか空かないのです。


折角の公休日に、整体へ予約時間に来ているのに、長時間待たされる…。
こんなことで、怒りがむくむく湧き出てくるとは、修行がたらんですね。


しかし、怒りの感情はどこから湧いて来るのだろうか…。
とりあえず、怒りを抑えるには、以下が有効とのことです。

  • まず、ゆっくりと大きく深呼吸して10秒数えます。

 

仏教的には、仕事のストレスの『因』が、1時間20分も待たされた『縁』にふれて、怒りの『果』が爆発し、整体を受けることが出来なかったという『報』が来たのですね。まさに因縁果報でした。

 

しかし、怒りの源泉ってなんだろ〜

 

ネット検索してみると

心理学的に、怒りの感情は危険回避、価値観や自尊心を守るといった防衛本能であると言われます。 この怒りの感情は「二次感情」と呼ばれ、怒りが生まれる前には、悲しい、悔しい、寂しい、苦しい、不安、困惑などのネガティブな「一次感情」があります。 この一次感情から二次感情の怒りが生み出されます。
 

また、AI君にも聞いてみると

  • 欲求不満: 期待していたことが叶わなかったり、目標達成が阻まれたりすると、欲求不満が溜まり、怒りにつながることがあります。
  • 不公平感: 自分だけが不当な扱いを受けていると感じると、怒りを感じやすくなります。
  • 脅威: 身体的、精神的な安全が脅かされると、自己防衛本能から怒りが湧き上がることがあります。
  • ストレス: 過度のストレスは、心身の余裕を奪い、些細なことでも怒りを感じやすくなる原因となります。
  • 過去の経験: 過去のトラウマや嫌な経験が、現在の怒りの感情に影響を与えていることもあります。

ということで、 怒りの感情の前に は、悲しみや悔しさなどの一次的な感情があるんですね…

2025年3月1日土曜日

少欲知足

 


今日のテーマは少欲知足です。意味は読んで字の如く、欲を少なくして足りることを知る。

 

実は、少欲知足という言葉は、普賢菩薩勧発品 第二十八に出てくるのです。 つまり、少なくとも今から約2000から2500年前からある言葉なのです。 

 

 現代は、乱獲飽食エネルギー大量消費の時代になって持続不可能な世界になりつつあります。 (温室効果、オゾン層破壊、異常気象、森林伐採、資源枯渇・・・) 一日も早く持続可能な世界に戻さなければ、なりません。 それには、少欲知足がキーワードになるような気がするのです。

 

とにかく、一人ひとりが、一日も早く、乱獲飽食エネルギー大量消費をやめ、少欲知足に目覚めて、環境にやさしい生き方をして欲しい(もちろん自戒を込めて)。 このままでは、次世代(子供、孫達・・・)につけが沢山まわって、大変な苦労を負わせることになってしまう・・・。

 

ちなみに、少欲知足は小欲知足と勘違いし易いですね。あくまでも少欲知足です。小欲知足の方だと、持続可能な世界を実現させる大きな欲はダメになってしまいます(^^;;


2025年2月28日金曜日

立哨と常不軽菩薩


私のお仕事は施設警備員で、施設の玄関ロビーで立哨をしています。

立哨での具体的な仕事の一つは、実は、挨拶だったりします。

  • 出社時は、「おはようございます。」
  • 退社時は、「おつかれさまでした。お気をつけてお帰りください。」

これを、集団の時は無理なのですが、基本的には一人ひとりに行います。


挨拶をしていると、必ず挨拶を返してくれる人、絶対に挨拶を返さない人が、ハッキリしてきます。挨拶を返さない無視する人は、警備員如きに挨拶されてもなぁって感じなのかな・・・


挨拶を返してくれる人には、すごく親しみがわき、会えると楽しい気持ちになれます。
逆に、絶対に挨拶を返さない人には、顔には出しませんが、嫌な気持ちになります。


妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十に以下の逸話があります。

 

仏の教えが形式化、そして、形骸化された時代に一人の菩薩がいました。その菩薩は、会う人ごとに、会う人ごとに、『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』と言って賛嘆するのでした。
ところが、大勢の中にはそんなことを言われて腹を立て、石や瓦を投げつける者がいました。
すると、菩薩は走って逃げ、遠くのほうからまた同じセリフ『私は、あなたを敬います。けっして軽んじません。なぜなら、あなたは、必ず仏になられる方であるからです。』 と、大声で唱えるのでした。

 

私は「常不軽菩薩」の修行を行っているだ…と思い、今日も全員に挨拶をするのでした。



どんなに無視されようとも、真心から挨拶を行じないといけませんね。自戒をこめて…。

2025年2月27日木曜日

燈明日記ブログ: 私と立正佼成会

燈明日記ブログ: 私と立正佼成会:   

 法華経ブログ を読んでくださっている方は、私が「立正佼成会」のダメダメ信者だと知っていると思いますが、今日は、ちょっと「立正佼成会」について語ってみたいと思います。 尚、公式的な 「立正佼成会」を知りたい方は 本部ホームページ をご覧ください。   さて私は、生まれた時から、...

一大事の因縁とは


 

一大事の因縁とは、妙法蓮華経方便品第二に、以下の一節が出てきます。

 

諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なるを得せしめん

欲するが故に、世に出現したもう。

衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。

衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。

衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。

舎利弗、是れを諸仏は唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうとなづく。

 

要約すると、仏さま(諸仏)は、我々(衆生)の良心(仏性・仏知見)を「開き」「示し」「悟らせ」「正しい道に入らしめる」ため、この世に出現したとのことです。


逆にいうと、我々は、仏道とご縁になることにより、良心(仏性)に目覚め、正しい行いをしていくことが、結果的に幸せになれるよ〜って事らしい(^o^)


2025年2月26日水曜日

認めれば認められる

最近、この法華経ブログを再開して、こんなにも内容も見た目もいいブログなのに、アクス数が少ないと思っていたら・・・、ネットで以下のメッセージを見つけました。

 

いくら努力しても、人は自分のことを正しく評価してくれないと不満をもらす人がいます。その不満で、やる気をなくしたりヤケを起こしたりしたら、自滅の道をたどることになってしまいます。そこのところで、ちょっと見方を変えて「では私は、人のことをどれだけ認めてあげていただろうか」と考えてみてほしいのです。あらためて自分を振り返ると、自分も人のことをあまり認めてあげていないのですね。

人に認めてもらいたかったら、人を認められる自分になるほうが先です。その心のゆとりが持てると、人の目を気にして一喜一憂することがなくなります。人に認められようが認められまいが、気にならない。自分のなすべきことに黙々と励み、喜んで人さまの下積みに徹していられるようになってきます。

いつも申し上げるように、信仰者の安らぎは仏さまがすべてご照覧だという安心感にあります。樹木の根は見えませんが、下に深く根を下ろせば下ろすほど幹や枝葉は上に伸びていきます。無理やり人の目を自分に引きつけようとするよりも、自分が大きく育っていけばいいのです。高くそびえる木は人の目を引かずにいないのですから。


庭野日敬著『開祖随感』より

 

さすが、法華経大家の開祖様、ありがとうございます。

まずは、相手を認め、自分のなすべきことに黙々と励み、喜んで人さまの下積みに徹しられそうです(^o^)


そう思って、 よそ様のブログを読んでみたら、自分が如何に文才がないことを痛感した😓

とにかく、少しでも人さまのお役にたてるような文章が書けるようにと、黙々と励むしかない…

2025年2月25日火曜日

見えない世界からの好意

 


一見、あやしいタイトルになっていますが、正月、家内の実家に行って、お祖母さん(ママのママ)から聞いた話の要約です。

 

信心深いお祖母さんは、仏さまに毎日欠かさず、お経(法華経)を読誦しています。すると、困ったときに必ず、仏さまが助けてくれる(お手配が付く)とのことでした。


これは、理屈ではなく、お祖母さん(90歳)の経験と見聞きから来ることなのです。好意でお経を読誦すると、それが通じ、好意が返ってくる・・・

 

たとえば、私の場合、立哨で普段見も知らない社員さん達に毎日挨拶をしています。
好みの人には特に好意をもって挨拶をしています。


すると、その好意が伝わり、その人から好意をもって挨拶が返ってくるのです。
これは、経験からくる紛れもない事実なのです。


と、同じように見えない世界の仏さまに好意をもって挨拶をすれば、その好意が伝わり、仏さまからも好意をもって返ってくるものと思うのです。 


つまり、お祖母さんの言っていることは、真実なのだと思えるのです。そう、見えない世界から好意が来るのです!!


決して、頭がおかしくなったわけではありません。普段から、嫌々ながらではなく、好意を持ってご供養(法華経読誦)を行なっていれば、本当に困ったときに、仏さまから好意をもらえるのだと思うのです(^o^)

 

2025年2月24日月曜日

笑顔はエネルギー!

 

 

笑顔は、身の布施と云います。

 

施設警備員の私は、立哨時に通る人すべてに挨拶をしますが、殆どの人は形式的な挨拶か無視です。


しかし、中には笑顔で挨拶を返してくれる人が少しいるのです。

 

するとなにか嬉しくなり、よいエネルギーをもらった気がするのです。


老若男女を問わず、そのようになるのです。あまり面白くない仕事の中でも、なにか面白さはありますね。


笑顔は間違いなくエネルギーで、そのエネルギーで今日も仕事にやりがいを感じる事が出来るのです。


もし、あなたが警備員さんから、挨拶をされたら、できれば笑顔で挨拶を返してくださいね。よろしくお願いします。


そうしたら警備員さんも、ありったけのエネルギーを送りますよ!


と書きましたが、やはり、家に帰ってきての奥さんの笑顔が一番のエネルギーかな。すみません。親バカでなく、奥さんバカでした(^o^)

 

お金がない分、笑顔で身の布施をしないとね(^^;;;

2025年2月23日日曜日

警備員のちょっといい話

 


実は、この記事は、法華経ブログにアップするのは場違いかなと思ったのですが、相手の仏性を拝むと云う、法華経の精神と一致するのでここにもアップすることにしました。では、行きます。

 

警備員の新任教育での講師さんから聞いた、ちょっといい話です。

 

その講師さんがまだ現場で警備をしていた時のことでした。

学校の警備をしており、門のところで立哨して、先生や生徒達全員に挨拶をしていました。

みなさん、挨拶を返してくれるのですが、どんなに挨拶しても挨拶を返してくれない女の子がいたのです。

しかし、いつかは挨拶を返してくれると思い、特にその女の子には必ず挨拶をしていました。

ある時、学校で学園祭がありました。

その女の子が父親と手をつないで門のところにきて言いました。


『お父さん、この警備員さん、いつも私へ挨拶してくれるの、私、それがうれしくてうれしくて…』


それを聞いた当時の講師さんも、うれしくてうれしくて涙が止まらなかったそうです。

その女の子が挨拶を返さなかったのは、単に恥かしがり屋さんだっただけなのですね。

 

その女の子への仏性礼拝は通じていたのですね(^o^)

2025年2月22日土曜日

続・一番の供養

 


前に「 一番の供養 」は書きました。

今回は「続・一番の供養」 です。


愛している人がある日突然亡くなることは、大変悲しく辛いことです。

悲しすぎて、辛すぎて、それをすぐには受け入れることはできません。

もう、その日から時間は止まってしまいます。


でも、何もしないで、悲しんでばかりいては、天国で亡くなった人が心配してしまいます。

亡くなった人を心配させないで、安心させてあげなければなりません。

なんとか、時間を動かさないとなりません。


そのためには、一生懸命に生きて、亡くなった人の分まで一生懸命に生きて、安心してもらいましょう!

亡くなった人の供養は、お経をあげることだけではありません。

一番の供養は、亡くなった人に安心してもらえるように、自分がしっかりと生き抜くことにある…と思うのです。


もう、時間は動きはじめましたか?

最後に例のお言葉です。


あなたが乗り越えられないような苦労を、神仏はけっして与えられません。
それは、あなたがそれに耐えて成長していける人だから与えられる試練です。
いつの日か「あのときの悲しみ、あのときの苦しみのお陰で、いまの私がある」
と思えるときが必ずくるものです。  By 庭野日敬

 

 

2025年2月21日金曜日

ポイ捨てする人は、自分もポイ捨てされる?

 

実は、この記事は、法華経ブログにアップするのは場違いかなと思ったのですが、正しい行いをしなさいと云う、法華経の精神と一致するのでここにもアップすることにしました。では、行きます。


施設警備で外周巡回時、吸殻・紙屑・空缶・空瓶などなどが、ポイポイ捨てられています。

そして、我々警備員がそれらを拾いながら巡回していきます。


一日にA番とB番で、合わせて6回巡回しますが、必ず、落ちています!

ポイ捨てをする人は、なぜゴミ箱や灰皿に捨てないのでしょうか?


で、いろいろ突き詰めて考えてみると、躾や教育にたどり着きます。

自分さえよければ…とか、きっと誰かが片付ける…とか。まぁ、ある意味、甘えですね。


そんな感じで、ポイ捨てをする人の精神レベルはかなり低いです。

そんな低レベルの人は、その内、会社や社会から、今度は自分がポイ捨されることになるのでしょう…。


我々警備員は、早くそれに気が付いて欲しいと思いながら、施設周りを綺麗にして行くわけです。

施設周りが綺麗だと、ポイ捨てし辛いでしょう!


我々警備員の通った後は、塵ひとつありませんよ!

とにかく、まだまだ、ポイ捨て人と警備員の戦いは続くのです…。


『戦い』の補足:

モラルの高い人の場合は、条件無く、ポイ捨てしません。

モラルが普通の人の場合は、吸殻やゴミが落ちていたら、ポイ捨てするかもしれません。

モラルの低い人の場合は、条件無く、ポイ捨てします。


もし施設周辺が、つねに塵ひとつ無く、綺麗だったら、モラルが普通の人は、たぶんポイ捨てしません。

もし施設周辺が、つねに塵ひとつ無く、綺麗だったら、モラルが低い人でも、ポイ捨てし辛くなると思うのです。


ここが、『ポイ捨て人と警備員の戦い』と表現しました。

2025年2月20日木曜日

仏道は親孝行

 

 

布薩の日に、某教会で、機関紙『佼成』の勉強会(法座)に参加する機会がありました。

ちなみに、布薩の日とは、過去に書いています。

 

今回の機関紙『佼成』のお勉強とは、会長先生の『親孝行と仏道』というご法話についてでした。また、某教会のRKK教団では「親孝行」「先祖供養」「菩薩行」の3つを生活実践の柱としています。


そしてその勉強会で、「親孝行」こそ仏道そのものだと教えていただきました。「親孝行」とは、生まれつき授かっている仏心、仏性をよりよくはたらかせ、磨き、本来の輝きそのままに生きることにほかならないと教えていただきました。

 

講師の教会長さんは、教務員時代、四国の辺鄙な港に行った時、ある人から、あなたは布教で前しか見ていない、あなたを心配して祈っているご両親を思ったことがありますか…と言われれ、込み上げてくる涙が止まらなかったとおしゃっていました。


また、会長先生のお供で、佼成霊園から杉並本部(大聖堂)へ歩く修行の時に、会長先生へ、『なぜ初代会長の開祖さまから会長を継承したのですか?』、と質問しました。すると、一言『親孝行です』…とおしゃったそうです。


そういえば、お釈迦さまは、亡くなるときに北枕にしたといいます。その場所での北は、お釈迦さまの親のお墓がある方向で、親を置き去りにして出家した親不孝をいつも気にして、足を北に向けることができないほど親を思っていたからなのです。


また、日蓮も身延山での修行時、山頂で毎日、生まれ故郷(千葉県天津小湊)に向かって合掌されていたとのことです。その合掌されていた山頂が、これにちなんで思親閣となったとか…


とにかく、会長先生もお釈迦さまも日蓮も、みな親孝行なのです。つまり仏道は、親孝行がメインの要素なのですね・・・(^o^)

2025年2月19日水曜日

心田を耕す

 

まずはじめに、本コンテンツは、ご著書 『心田を耕す』の感想文ではなく、勉強会の『心田を耕す』です(^^;;

 

ちなみに、ご著書『心田を耕す』の著者は、佼成会の開祖さまではなく、現会長先生です。

 

先日の午前中、ママからのお届けものを、某教会へ持って行きました。

 

そこで、たまたま『心田を耕す』の最終章の勉強会があり、ついでに有難く参加させていただきました(^^;;

 

普通の田んぼに種を植えるには、その前に田んぼを耕します。


心の田んぼも信仰の種を植えるには、同じように、心の田んぼを耕さないとならないのです。


心の田んぼを耕すには、以下の3つが必要とのことでした。

  1. 朝夕にお経を読む
  2. 手取り・お導き・法座に参加する
  3. 法華経を勉強する

これ、某教会では、3つの基本信行と言うらしいです。

 

1のお経は、法華経の抜粋を読誦し、2の手取り・お導き・法座は、法華経を人に薦める行いで、3の法華経を勉強するは、まぁそのままです(^^;

 

しかし、この3つで耕したら、を植える必要がないのではとか…、そもそもこの場合の稲ってなんなんだろうか・・・とか。

 

まぁとにかく、基本は大事、これから心の田んぼを耕して参りましょう(^o^)

 

2025年2月18日火曜日

自分こそ悪者ではないか

 


とある小誌からの抜粋

『自分こそ悪者ではないか』

自分こそ正しいと主張しあうところに対立が起きるのであって、 自分が悪いとなれば、自他一体・一如となり、そこは無対立の世界となります。 それが宗教の智慧であり、平和を築く絶対の力であります。

 

なるほど、なるほど、なるほど・・・

私の場合は、自分こそアタマが悪者ではないか…なのかもしれない・・・スマン(^^;;

 

とにかく、目には目、歯には歯では、争いはなくならない、それでは、永遠に恨みは連鎖してしまいます・・・どこかで断ち切らないと!

 

それにしても、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、争いの絶えないどうしようもない宗教ですね! 

 

世界中が仏教にならなければ、真の平和は訪れないのではないのか・・・と思います(^o^)


2025年2月17日月曜日

「下坐に生きる」の紹介文

旧燈明日記からの引用です。

下坐に生きる By 神渡良平の紹介文です。

 

隔離病棟のドアをあけると、そこには、痩せこけた一人の青年がいた。

その青年は、開放性の結核にかかっており、余命10日といわれていました。

青年の生い立ちは、それは、それは、悲しいものでした。

生まれる前に父は蒸発、母は青年を産み落として亡くなりました。

その後、親戚や学校から邪魔者扱いにされながら育ち、14歳で家を飛び出し、賽銭泥棒等で生活をしていましたが、警察に捕まり、少年院へ送られました。その後、結核になり、今ここに、人間不信のまま辛い辛い人生の幕を閉じようとしていたのです。

あまりに不憫な青年を、なんとか、救ってあげたいと院長から頼まれ、私はドアをあけました。

私 :「おい!どうでぇい。」
青年:「...」(無応答、しばらく間をおいて...)
私 :「折角、見舞い来たんじゃねぇか。なんとか言えよ!」
青年:「うるせえ!」
私 : 言葉は乱暴だけど、しかし、一瞬の青年の寂しい表情を見逃さなかった...。
私 :「おい、こっち向けよ、今日は一晩看病させてもらうからな」
青年:「チェッ、もの好きな奴やな」

生い立ち等の話しをしながら、青年は、次第に心を許しはじめた...。

私 :「折角来たんだ。足でもさすろうか」
私 : さすった足は、枯れ木のような細い足で、骨の形がみえるようだ...。
青年:「おっさんの手は、やわらかいなぁ」
私 :「何言っとるんじゃ。男の手が柔らかいはずがあるかい」
青年:「うんにゃ、柔らかいぞ...、おっさん、あのな!」
私 :「なんじゃ」
青年:「笑っちゃ、いかんぞ」
私 :「笑うもんか、早く言え、もったいぶるな」
青年:「あのなー、一度で言いから、『お父っつぁん』って...呼んでいいかい」
私 :「ああ、いいよ、わしでよかったら、返事するぞ」
青年:「じゃぁ、言うぞ」

しかし、青年は言いかけて、激しく咳き込み、血痰を吐いた、私は、背中をさすりながら...。

私は泣いた、それほどまでに、こいつは『お父っつぁん』と言いたいのか...。

私 :「なぁ、今日は止めとけ、体に悪よ」
青年: 苦しい息のとぎれとぎれに、とうとう言った。「お父っつぁん!」
私 :「おう、ここにいるぞ」

青年の閉じた瞳から涙がこぼれた、どれだけこの言葉が言いたかったことか...。

青年は大声を上げて泣いた。18年間、この言葉を言いたかったのだ...。

 

この本の100分の1でも、感動が伝われば、幸いです。


2025年2月16日日曜日

法華経の中の法華経の正体

 


法華経を読誦していると、その中に有り難いほど沢山の『法華経』が出てきます。

 

如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと...(法師品第十)

妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して...(提婆達多品第十二)

億憶万劫より。不可議に至って、時に及し、是の法華経を聞くこと得。(常不軽菩薩第二十)

四法を成就せば如来の滅後に置いて当に是の法華経を得べし。(普賢菩薩勧発品第二十八)

 

などなど...で、よく考えると法華経は仏滅後400~600年後に編集されたといわれています。


つまり、法華経に出てくる『法華経』は、論理的に法華経ではないということになります。


では、法華経に出てくる法華経でない『法華経』の正体とは、一体なんなのでしょうか...。


この答は、いろいろ考えたり、参考資料を見ましたが、今の私のレベルでは、【謎】です。


しかし、 佼成会の開祖さまが、真理そのものって言っていたような…(^^;;;


ただ、なんとなく思うのは、他の宗教(キリスト教など)や他の宗派(浄土宗など)の経典も実は、 『法華経』の正体と同じものから出ているんじゃないかと推測しています...。


まぁ、『法華経』の正体が分からんと(以下略)。分かったら更新 アップします(^-^;)

2025年2月15日土曜日

お釈迦さまがお亡くなりになった日


今日は2月15日、お釈迦さまが亡くなった涅槃会です。

 

釈尊は、29歳で出家され修行し、35歳でお悟りを開かれ(成道)、80歳で入滅する(亡くなる)までの45年間、仏法の布教伝道に邁進しました。
仏伝では、初転法輪前後と入滅直前あたりは、順を追って分かるのですが、それ以外の事柄は、2500年前のことなのでわかりません。


しかし、天台大師や後世の学者が、ほぼすべての経典を読破し、成道直後に華厳経、つぎに阿含経、方等経、般若経と説かれ、涅槃の8年前から法華経が説かれ、最後に、涅槃経を入滅直前の一日一夜の説法とのことと解明されました。


さて、入滅の涅槃ですが、直前に2つのエピソードがありました。


一つ目は、ほとんど絶望と思われていた釈尊が、幸い小康を得られた時に、熱心な信者のチュンダが、ご供養した食事の茸に中毒され、ご容体がにわかに悪化し、それを知ったチュンダは、物凄く後悔しました。
しかし、釈尊は『チュンダの供養した食事が、私の最期を早めたからといって、何も悔やむことはありません。
私が成道する前に、スジャータという娘が食事を供養してくれましたが、今入滅しようという際のこの食事も、それと同じように大きな功徳があるのです。』とおおせられ、チュンダの心を救ったとのことです。


2つ目は、いよいよ寿命が尽きることをお悟りになった釈尊のもとへ、スッパダという異教の行者が『真の悟りに至る道』の教えを請いに来ました。
釈尊の弟子達は、ご臨終に近い釈尊をわずらわしてはならぬと思い、断ると、その押し問答を聞かれた釈尊は、『道を聞きに来た人を拒んではなりません。』と八正道をお説きになったそうです。
そして、スッパダは、そのお言葉に目がさめたようになり、釈尊の最後の弟子になりました。


そして、クシナガラという町の沙羅の木の間に床を用意され、頭を北にし、
右脇を下にした形で、お亡くなりになりました(享年80才)。最後のお言葉は、


すべての現象は、移り行くものです。怠らず努力することですよ!

 

とのことでした。


ここに人類始まって以来の最高の聖者は、まことに大いなる死を迎えたのでありました。
それは、日本暦に直して2月15日の夜半とのことでした。
ちなみに、仏教界ではこの日に涅槃会を毎年とり行っています。


ちなにみ、なぜ北枕にしたのかというと、一説では、足を自分の生まれた国の方向へ向けないためとのことです。
これは、大いなる放棄より、父母に対しての親不孝を、釈尊はいつも気にしていたとのことです。


2025年2月14日金曜日

生まれてきて良かった

 

前に、京王線の準急に乗っていた時でした。すると何か聞こえます。


二才ぐらいの小さな女の子が、一人でぺちゃくちゃなにか言っているのです。


車内なので、うるさい子だなと内心思いながらいると……。

 

『生まれてきて良かった』『生まれてきて良かった』と連呼し始めたのです。

 

すると、今までうるさいなと思っていた感情が消え、その子がすごく愛しく思えてきたのです。

 

そして、なぜか、涙が込み上げてきて・・・

 

親にとって、子供から『生まれてきて良かった』と思われることは、最高の親孝行ではないでしょうか。

 

ごく日常の中、ふとした感動、ありがとう。

2025年2月13日木曜日

苦労は幸せのもと

よく、「苦は楽の種」といいます。
これ、人間だけでなく、魚や樹木にも言えるみたいですね。

 

先日、おもしろい話を聞きました。
アユを関西から東京にもっていこうといろいろな方法をこころみましたが、どうしてもうまくいきません。
ところが、あるとき水槽の中に棒を入れて、ときどきかき回しながら運んだら、アユはすこぶる元気だったとのことです。


また、そういえば、前にも、おもしろい話を聞きました。
植樹で最良の条件でなくて、主役の苗木と脇役の苗木「まぜるまぜるまぜる」で植えると、相互に協力したり、我慢し合いながら育っていくとのことでした。
つまり、最良の条件を用意してやると逆に苗木が育たないとのことでした。


人は、家庭でも仕事でも学校でも、いろいろな苦労があるからこそ、頑張れるし、成長ができるし、結果的に幸せになれる・・・


そう、まさに「苦は楽の種」で『苦労は幸せのもと』だったんですね!

 

2025年2月12日水曜日

不惜身命(ふしゃくしんみょう)

 


『不惜身命(ふしゃくしんみょう)』は、法華経の勧持品第十三に出てくる言葉です。意味は、「身命をなげうっても惜しくはない」という精神のことです。

 

では、「身命をなげうっても惜しくはない」精神とは、すべての人の真の幸せのためには、自分の生命さえも惜しくないという徹底した境地です。

 

といいますと、たぶん、反感や抵抗感をもたれた方がいると思います。生命が何より尊いものだと・・・。

 

しかし、これは、生命の受け止め方が自分本体だと思うからで、仏法で云う生命とは、仏性のことであり、永遠の命です。自分の生命さえも惜しくないという生きかたこそが、実は、ほんとうに生きるということなのです。


と、某法華経解説本に書いてありました。今、噛み締めていまーす(^-^;)